【反日マスコミが伝えない親日の話】パート3

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1文責:名無しさん
前スレ1です。汚名挽回すべく慎重に立てました。

反日の話なら10人くらいしか集まらない集会を新聞に載せても、親日のいい話なんかはちっともマスコミは伝えません
ここでそういういい話集めてみましょう。本で見たのでも個人的体験談でもオッケイ。

***煽りは極力無視で***
***おもちゃは大切に***

【反日マスコミが伝えない親日の話】 初代
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1014515507/
【反日マスコミが伝えない親日の話】パート2
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015347757/

「汚名挽回」にツッコミたい人は、金玉出して発言するように。ω
2他人の韓国土産話:02/03/30 14:24 ID:FDfJVZfF
悔しいことに私はどう見ても韓国人では無いらしく市場を歩くと
「社長さん皮ジャン安いよ〜」などと暑い夏でも声を掛けられます。
(今ごろ皮ジャンなんて買うのは南半球の人?)
時計、バック、キムチ、海苔、服、だいたいどの店でも日本語で
「はいはいお土産いかが〜」とせっかく「マッパドデェヨ?」など覚えて
行ったのになかなか話せないので「ポルソ、マーニサッソヨ」と
言い捨てるように通り過ぎていました。
日本人があまり行かないような飲食店に入っていくと店員が私を見るなり
「うわ〜日本人だ。言葉話せないしどうしよ〜」という表情をします。
そこでありったけの韓国語を並べると店員さんはほっとして
「ハングンマルチャラシネヨ。オディソ ペオッソヨ?」から会話が
始まります。食事ももちろんですが、食事のたびにこんな会話を楽しんで
いました。ずいぶん発音をチェックされましたがみんな親切でしたよ。
3他人の韓国土産話:02/03/30 14:24 ID:FDfJVZfF
飲食店でも会話(一方的な?)を楽しんでいましたが、買い物でも
ずいぶん楽しみました。キムチ屋でケンニップ(エゴマの葉っぱ)と
パレ(海苔の佃煮っぽいもの)を買っているときには「最近日本では
キムチやチャンジャはよく売っていますが、これはあまりないので
買います」と店の前で話すと店の奥で聞いていたおばさんが拍手して
「あなたの言っていることわかるよ〜」と言ってくれたり、
CDショップで「このCDは日本では2500円もします。だから
たくさん買いに来ました」と言うととても驚いていました。
4文責:名無しさん:02/03/30 14:37 ID:aqjrjJ3z
 ねぇ、皆さん、変な人相手するのに血道をあげてないで、
もっと地道に親日話をしましょうよ。
私たちの先人達がこんないいことをしたという話、もっと聞きたいです。

それに、
匿名なのをいいことに、人をチンカスだの、引きこもりだの罵倒する人は
どうせろくな人ではないだろうし。こういう人に限って、実生活ではスモ
ールハートウィングウィング、相手に媚びへつらうしかできないんでしょうし。
そういえば、相手が強者とみれば韓国人と詐称するお人でしたよね(w
そういう人を相手に議論するのは時間と資源の無駄だと思います。

最近、スレの流れが変わって残念に思ってます。


5==:02/03/30 14:57 ID:PkxGMuoo
>>4

親日ネタがないだけでしょ?なんかすっかり君たちの勢いが影を
潜めたね?ネタがないだけでなく自分たちの妄想癖を露呈してる
だけだからな。相手してあげるのも空しくなってきますよ。

先人達よりも自分の親日話ってないわけ?数少ない先人達の話
もう飽きたよ。
6文責:名無しさん:02/03/30 15:04 ID:FDfJVZfF
日帝が朝鮮を併合した際、朝鮮にはこの併合を恥じる主体の民族意識がなかった。
民族は民族意識と同じだ。したがって朝鮮には「民族」がなかった。
李完用(イ・ワンヨン)らが「売国」した朝鮮には主権と領土はあったが、
自らを国民だと意識してその主権と領土が自分たちのものだと主張する民族がなかった。
王と両班のものとしての朝鮮朝の主権は、韓日合併前、既にほとんど自滅していた。
外勢との争いに敗れて滅亡したのではない。
李完用らが「売国」したというのは誇張された修辞である。

争いは清国、日本、ロシアという外勢の間で、無主物となった朝鮮の主権を
先取りしようして行われた。親日派、親ロ派、親清派は名前を付け替えた
四色党派の変種にすぎないと見るのがいっそのこと適切でないだろうか。
日本が朝鮮の主人となった後、親日派という朝鮮のエリートは老論の世の中を
継承しただけだ。
滅亡した朝鮮朝に忠誠だった「臣下」を民族主義者だったということはできない。

民族は外部的には他の民族との境界ないし葛藤、内部的には民族主権という2つの
側面をたどって意識化される。朝鮮王朝のように「民」には垂直的に捧げる忠誠だけ
があり、水平化された自由と人権がない国家では、民族主権がないため、国家があっ
ても民族意識はあり得ない。
さらに自由と民主主義がない国の民族意識は虚偽意識(false conciousness)
でしかない。 

日本人は日帝が韓国に鉄道と学校を建設したことを誇りに思っている。
ウォン・イルファン(H.B.アンダーウッド)教授は、日帝が韓国に及ぼした功労は
鉄道や学校の建設ではなく両班階級の破壊だと話す。驚くべき洞察力だ。
しかしおそらく日帝のもっと大きな功労は、たとえこれを感謝することはできないと
しても、他民族による支配という苦痛と葛藤を通じて韓国人に民族意識を芽生えさせ
てくれたことではなかろうか。 姜偉錫(月刊エマージ編集人)

2002.03.07 韓国中央日報記事より
7文責:名無しさん:02/03/30 15:10 ID:FDfJVZfF
「正義人道の仮面を被り摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、
世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズペルト君。君は口を開けば
必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に人種差別撤廃文案(提唱者
日本)を挿入しようとしたとき、これに反対し削除したのはどこの国であり、
黒人と東洋人を差別待遇して同じ席につかせず、アフリカ大陸で奴隷狩を、
あたかも野獣狩をするがごとくをしたのはどこの国の者であったか。/
しかし、君たちの悪運は最早尽きた。・・・一億同胞・・なかんずく朝鮮半島
の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦の勇士とならんことを誓っている」
               戦後韓国の国会議員となった詩人 朱耀翰

            以上名越二荒之助著「日韓2000年の真実」より
8文責:名無しさん:02/03/30 15:13 ID:uRg2MKmL
 韓国軍と自衛隊が仲良しであることは、あまり知られていない。
 35年前から朝鮮戦争を共同で研究し、その成果を分け合っている。
9文責:名無しさん:02/03/30 16:26 ID:ONfwbSy1
>>4
本当、スレの流れが変わってしまって残念。1人の変な人のせいで。

>>5
嘘をつき、都合の悪いことには答えない上、
挙句の果てには特定の人以外からのクレームを禁ずるようなへたれが
偉そうに「相手してあげてた」ですか?お笑いだねー。遊ばれてることに気付いてないの?
あとね、ここまでに出た親日の話、みんな下の所に出典元が出てるんですけど。
出典元が明らかでないのは、あんたの体験したっていう反日の話だけ。
傍から見れば、あんたの方がよっぽど自分の妄想癖を露呈してるよ(w
10文責:名無しさん:02/03/30 16:44 ID:FDfJVZfF
「鹿屋の特攻隊史料館 外国人に人気」
“神風特攻隊の史料館”として知られる「鹿屋航空基地史料館」(鹿児島県鹿屋市)が、
香港や台湾など、東南アジアからの団体客でにぎわっている。
鹿児島の指宿(いぶすき)温泉を訪れるツアーなどで立ち寄る客が多いためだが、
展示を見た外国人からは「日本人の心や歴史観が理解できた」と好意的な感想が
多く寄せられている。(篠崎理)

産経新聞 2001.04.19 より
11文責:名無しさん:02/03/30 17:29 ID:TiG56D8G
>>9
スレも替わったことですし、
2人専用スレでも立てて、盛り上がっていただきましょう。
私も、じゅうじゅう反省し、
2ちゃん精神に則り?荒らしは、冷笑を持って読みながら
放置プレイとしましょう。

これだけではなんですので、親日かな・・・イイ話をひとつ。
-----
1932年のLA五輪。
馬術競技/大賞典障害・個人飛び越しでは、
日本軍の大尉にして、男爵の西竹一が金メダルを獲ったのですが、
それは、アメリカ代表の陸軍軍人・チェンバレン選手を逆転してのものでした。

その後、第2次世界大戦も末期、
昭和20年2月19日、硫黄島の大日本帝国陸軍・
戦車第26連隊に向けて、米側から奇妙な呼びかけがなされました。
「西男爵、西男爵、我々はあなたを知っています。
ロサンゼルス・オリンピックで限りない栄誉を受けた
あなたと戦うに忍びない。降伏は恥ではありません。
どうか投降してください」。
結局、再三、同様の呼びかけがあったにもかかわらず、
西竹一は、最後まで任務を全うして名誉の戦士を遂げたのです。

戦争のさなかの緊迫した局面で、こうした呼びかけがなされたことに、感動しませんか?
アメリカで開催された五輪で、アメリカ代表選手を、僅差で逆転しての勝利です。
民度の低い国民だったら、「それ!にっくき西がいたぞ!ひと思いにやってしまえ」となるでしょう。
しかし、そうではなかった。
前スレですが、
ベルリン五輪のサッカーで日本に負けたスウェーデンの国民が、
今もそれを恨みに思っているとの趣旨の発言がありましたが、
それは「ためにする」妄言に過ぎないことが、
間接的にもよく分かります。

民度の高い国であればあるほど、スポーツで堂々と戦い、
結果自国が敗れても、かえって友好は高まると言うことですよ。

それを「負けた事を今も根に持っている」などと、
自分のレベルに押し下げて、他国の人の感情を曲解するのは、
品性下劣以外のナニモノでもありません。
そんな考え方をする国民は、日本人であると思いたくないし、
仮にそうであるならば、さっさと、反日を国是とする国に帰化していただきたいですね。
12文責:名無しさん:02/03/30 17:31 ID:eDy8QLk3
 前スレからずっとROMってるけど、==氏の思考というか、行動は、
日本人のそれっぽくないよね。少なくとも良識を持った日本人のね。

・(自分の安全は確保した上で)他者に対してひたすら攻撃的、人格否定までやる。
・そのくせ、長い物には巻かれる、強い奴には媚びる。
・日本人の過去の行為に対して他人事のようなスタンスでモノを喋る(実際他人事なのかもしれんが)

どことなく大陸的な思考法のような匂いがする。単に卑怯者の系譜なのかもしれんが(w
 それとも、==氏は、外(実生活)ではひたすら卑屈に、内(匿名で活動できる場所)では居丈高に、
という内弁慶くんなんでしょうか?

 それにしても、不思議で仕方がないのが、よくこれで外資系で仕事ができるな、という点。
 私の知る限り、外人(特に欧米人)は自国に誇りを持つ(日本人としてのアイデンティテイを確立した)
人間に対しては一定の敬意、というか評価を持って接してくれる人が多い。
 逆に自国を卑下してる人間に対しては冷笑や侮蔑を持って対してくるケースが多い(例外もあるけどさ)。
外では仮面被ってるのかもしれないけど。
 なんて言い方をすると『こんな国に誇りが持てるか』なんて返されそうだけどさ(w
   
 私としては、==氏には、海外で、非難されようが、石を投げられようが臆することなく、
日本人の血の流れを引く者として、先人の善行悪行ともに受け入れた上で、
堂々と日本人を名乗り、日本に対するの評価を高めるべく行動して欲しいと思います。
保身のために韓国人を詐称したり、こんなところで匿名で他人を罵倒したりせずにさ。

そして、ここには、”私が親日意識向上に貢献した話”を書き込んで欲しいと思います。
13文責:名無しさん:02/03/30 17:36 ID:TiG56D8G
>>12
==氏が、そのように行動することは、
前々スレからの経過を見ていただければ、
金正日が小泉純一郎に土下座することより可能性が低いと思います。
放置プレイしか手はありませんよ。
14文責:名無しさん:02/03/30 17:56 ID:ONfwbSy1
>>11
分かりました。自分もスレの流れを変える変な人、==氏を批判しておきながら、
彼の煽りに乗ってしまったことを深く反省します。
15文責:名無しさん:02/03/30 19:07 ID:Xjy+g/IR
>>11
なんかそれ、大昔にマンガで読んだ様な気がする。
バロン西って聞き覚えがある。
16文責:名無しさん:02/03/30 19:19 ID:als+kzqX
「空手バカ一代」でマス大山がアメリカでレスラーと戦ったあたりにバロン西の話が紹介されていました。

アメリカ編をまとめるとだいたいこんなふう。

・一般市民は第二次大戦を随分うらみに思っており、日系人も差別されていた。
・ハワイだけは力道山のフェアプレイ精神のおかげで大山が来た頃はずいぶんと日本人に好意的だった。
・FBIは日米友好という方針で、大山にもしもの事があったら大変だ、と、暴徒から大山を救い出したり
 コーチをお願いしたりしていた。
17文責:名無しさん:02/03/30 19:23 ID:Xjy+g/IR
>>16
サンクス。
でも多分違うマンガです。空手バカ一代を読んだことがない。
ジャンプ系の読みきりだったような気がする。
15年くらい前かな?
18文責:名無しさん:02/03/30 19:26 ID:als+kzqX
>>17

ジャンプで「バロン西」というと、単に名前を引用したキャラが
「アストロ球団」に登場してましたが・・・。多分違いますよね。
19文責:名無しさん:02/03/30 19:28 ID:Xjy+g/IR
>>18
違うと思いますw
ワラタ
20文責:名無しさん:02/03/30 19:32 ID:Xjy+g/IR
検索したら見つかりました。AAまで・・。文字化けしますがコピペ。

281 名前:( ´∀`)さん 投稿日:2001/07/01(日) 21:38
バロン西閣下と云へば、小生若かりし頃に「週刊少年ジャンプ」にて讀み切りをば拜見し、
その生涯にゐたく感銘を覺えたものである。
  ∧ ∧
  ( ゚Д゚)∧
  ∩ヽ/||⌒!つ


我々は人馬一体!   ∧〜_
         |=☆=| ミ ゚_Ы
        ( ´∀`)ミ //
       (_ ”う〜〜~ ノ=
┃  .  / (_)…フ=┃┃=?凵@ 
┃  *=(   ノ      .┃┃
┣━ ///━━━━━┨┃
┣━// //━━━━━━┨┃
┃ 「/ 「/          ┃┃
┃〃 〃           ┃┃


     |=☆=| 我々はいつも一緒だ
 ∧∧ (´∀` )  戦場へは連れて行けぬが代りに鬣を
 ・”・ ミ” : ””ヽ
(_ノ ミ ≡⊂ノ ブチッ
  |
21文責:名無しさん:02/03/30 19:34 ID:Xjy+g/IR
\バロン西出てきなさい、オリンピックの英雄を失うことはあまりにも惜しい/

  /~゙゙ ヾ⌒`ゝ-  〃””ヾ (~´`ヾ""ヽ (⌒(⌒~ヽ~ ~
 ゝー ′ '"      ``"
  __  〃””ヾ (~´`ヾ"" _    〃””ヾ (~´`ヾ""ヽ
 |=☆=|           /☆ヽ
 (#-∀-)ウラヌス…    ‖(゚Д゚;) 何か言つますよ、中佐
 /”゛.. ゚。:”)        とく :⊂)  中佐!            __
(人_ つ_つ       /」<<っ       ⊂⌒~⊃。Д。)⊃ヽ=v=ノ


バロン西こと西竹一の愛馬ウラヌスは、西が戦死した凡そ壱週間後
後を追ふやうに息を引き取つたと云ふことです
   ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,_____
<””””_          )=*
<___)    __(  ノ
      ⌒ノ ノ/  ヽ/ /
        | ‖     /λ 



マンガは1994少年ジャンプ36・37合併号 「風と踊れ!」樹崎聖 でした。
22文責:名無しさん:02/03/30 19:44 ID:Xjy+g/IR
なにが15年前なんだか・・。
23バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/03/30 20:20 ID:qQdmwhja
浜辺にある椰子の木陰のカフェテラスで、ニンジンジュースを飲みながら話しをうかがった。斉藤さんがもっとも顔を輝かせて夢見るように話したのは、日露戦争の思い出であった。
「そりゃ、すごかった。日本がロシアに勝ったときは。お祭り騒ぎだったよ。ハポネス、ハポネス、てどこにいってもいい目にあったもんじゃ。あれ以来親日感情がぐーんと盛り上がってきたんじゃ。
それにこっちではアメリカ人はグリンゴと呼ばれて嫌われているからね」
私はメキシコは当時も今もまれにみる親日国であるとは思っている。そのおかげで当時学生、社会人を含め百名前後がメキシコ側の費用で留学していた。
国費などといっても、スペイン語学部を持っている大学は少ないのだから、落ちこぼれの私でも留学試験に合格するのは、さほど難しくなかったわけだ。
メキシコに行く前は、1968年のメキシコオリンピックの様々な競技で、「ハポン、ハポン」という」大声援があり、
サッカーの日本対メキシコ戦でも、自国の不甲斐なさに、メキシコ人が日本を応援し始めたテレビ映像をよく覚えていた。
だがなぜそんなに親日なのかは、小学生の私には無論分からなかった。
メキシコに滞在してわかった、親日の一番の理由は、アメリカが隣にあるという地政学的な理由である。

メキシコには「天国にはほど遠く、アメリカには近い」、という諺みたいなのがあり、1848年の米墨戦争で領土の半分を取られたし、
現在経済的にはメキシコをアメリカ資本が牛耳っている。
そこで、メキシコ人には米国への複雑な思いがある。
斉藤さんがいわれたグリンゴというのは、アメリカ軍の制服がグリーンだったので1914年にベラクルス港が米軍に包囲されたときに、メキシコ人が「Green go!」と口々に叫んだのが起源だともいわれている
(それは中南米全域で定着しているし、国や地域によっては、その言葉はアメリカ人に限らず外人を指すような場合もある)。

そのアメリカと同じように戦争をして負け、経済的にはいっときはアメリカを打ち負かせたかに見えた日本。
メキシコ人にとって日本は、彼らの願望の代償行為を行っているわけだ。
24バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/03/30 20:30 ID:qQdmwhja
歴史学研究に掲載されている国本伊代氏の論文と有斐閣選書「概説メキシコ史」にあたってみた。
なるほど日露戦争の勝利はメキシコ中を沸き立たせたようである。
戦争後、メキシコ革命(1910〜1920)のさなか、新たな日本公司安達峰一郎がメキシコのコリマ州に到着したとき彼は異例の大歓迎を受けている。
州知事はこう歓迎の言葉を述べたという。

「小なる日本が大なる露国に勝ちたるごとく、我メキシコも日本にならい、これを友として米国に打ち勝つべし」

公司はメキシコ市でも多くの学生に迎えられ、かつメキシコ市到着を国の休日にするなどという噂さえあったそうだ

 
25文責:名無しさん:02/03/30 21:59 ID:anFHKljP
>>23
同世代人ですね。
メキシコ五輪当時小学生だった私ですが、
サッカーに限らず、「ハポン」の声援の多さは印象に残っています。
私は、「メキシコと日本は仲がいいんだな」と思いました。
大会前には、当時のNHKの超人気番組「ふるさとの歌祭り」が、メキシコに「出張」。
ほとんど「街頭」のようなところの特設ステージだったと記憶していますが、
司会の宮田輝氏に出演者、聴衆、通行人も一体となって和やかな雰囲気。
最後には、「ラ・ゴロンドリーナ」を全員で歌いました。

地球の裏側(経度的には)でも、こんなに日本をすいている国があるのは、小学生の心にも、とても嬉しいことでした。
その20年後、近くの国で開かれた五輪とは大違いでした。
26黒尾寛:02/03/30 23:27 ID:5oIIweV6
http://www.jpf.go.jp/j/urawa/world/kunibetsu/ichiran.html
http://www.jpf.go.jp/j/urawa/world/kunibetsu/1999/israel.html
若年齢層(大学在学年齢)を中心に日本文化・日本社会に対する関心が非常に強く、
高等教育機関の学生は、言語の習得によるより深い日本文化の理解を目的として
日本語を学習している。社会人の日本語学習者の大半は、ハイテク産業、医療および
印刷機器輸出、ダイヤ貿易の分野の関係者である。
国全体としては、日本を固有の文化・社会的価値をもつ極めて深みのある国として
認識しており、マスコミでも日本語の流行語などを紹介する日本関連記事等がごく
普通に取り上げられている。

上記URLを見て、ODAは無駄になって居無い物もあるのだ、と少し反省しました。
地道な努力、日本語学習者を養成することで、我々の文化を知って貰い、イスラエルの
国民のように、日本文化の深みを多くの人に知って貰いたいものです。
27前スレ813のシンガポール在住だが:02/03/31 01:12 ID:cLW0CvhD
今日も仕事でした。一日実験室にこもりっぱなし。いつのまにか、次のスレッドに移っていたのですね。
さて。流れを読め。といわれるやも知れませんが、僕は、ぜひ以下の点について、==君の反論が聴きたいと思ってしまいました。ご容赦あれ。

> 943 名前:== 投稿日:02/03/29 23:53 ID:4noh3zqJ
> 2年ほど前インドネシアに行った時、屋台のレストランで日本でいううどんを注文した
> のですが、当時、味の素の成分に豚の成分が混じっている疑惑で大きな問題に
> なりましたが、

おお、ありましたね、そんな事件。去年の成人式前後じゃなかったか知らん。CNN-ASIAとか
Channel-8とかのニュースで見てましたが、宗教省(保険省?)が噛み付いて、また、
味の素の社長とかいう人が、さっさと全回収すれば良いものを、最終製品には入っていない
とか、つまんない言い訳したんで、一気にもめたやつ。最後はワヒド大統領が仲裁したんでしたっけ。

分からない人がおいでやも知れませんので、「ハラルフード=イスラム律法に則った食物」の
イメージをつかんでもらうと、「ハラルを盛った食器とそれ以外の食器とはいっしょの流し
では洗いませんが何か?」といったレベルでのシビアさを考えてもらうと大体OKかと思います。

そこへ向けて、製造工程でブタエキスを使ってたのがバレちゃったら、そりゃいかに緩やか
と言われる東南アジアのムスリムでも怒りますわね。日本で雪印乳業が中毒事件を起こした
時の反応を思ってもらえば、大体あんな感じの騒ぎだったかと思います。

  しかし

> 日本人とわかるやいなや、(連れが日本のガイドブックを持っていた)現地語なので
> よくわかりませんでしたがとにかく、すごい勢いで追い出されて、その日は本当に
> 日本人であることを気づかれないよう必死でした。

は、僕にはチョット納得できかねますね。ちなみに同じ時期の近所のムスリムフード屋での
僕の経験は次の様なものです。

僕 「なんか味の素がエライ事になってるみたいね、おじさんのとこはなんか影響とかないの?。大丈夫?」
店主「大有りですよ。今は味の素使うの止めてます。料理方法も少し変えてるんですよ」
僕 「言われてみると、普段とは味が違うような気もするけど十分においしいですよ。反ってこのままの方がいいんじゃない?」
店主「ありがとうございます。皆さんにそういってもらえるといいんですけどねぇ」

   ==君と僕とはパラレルワールドに住んでいるのか?。

繰り返しますが、シンガポール/インドネシア、店主の個人の考え方、その他の違いを
加味しても、==君の「実体験」は、僕にはとうてい信じられませんな。このホーカーの
おじさんに限らず、市民レベルでは、(1)味の素の製品とその対応には、みなカナリ腹を
立てていた。(2)日本人である僕と味の素には何の関係もないことは理解していた(当たり前)。
という冷静な、というかしごく当然の反応だったというのが僕の理解ですが。

日本ではXBOXが初期不良の回収対応をしくじって総スカンを食っているらしいですが、
マイクロソフト本社が北米にあるからと言う理由で、アメリカ人に石を投げた人がいるの
ですか?。雪印の時には、北海道民がいじめられたりしたのですか?。同じ事でしょう。

   あなた、東南アジアに住む人達をなめてませんか?

僕は、実を言えば(口調が一部下品に過ぎる場合があることを除けば)、自分の主義主張に
基づいて、一生懸命の発言を繰り返している==君のことを、結構好感を持って眺めて
来たのでしたが、ここに挙げたあなたの「実体験」については、もし、万々が一にも、
筆が滑ってしまった。捏造だった。というような事であれば、それは、あなた少し悪質ですよ。

もし、あなたの「実体験」を信じてしまう人がいたら、あなたはどうなさるおつもりですか?。
そんな形でインドネシアのことを理解してしまう人が出てくれば、それは、インドネシア、
日本の2つの国の双方にとって不幸なことですよ。了解していますか?。
28地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 01:22 ID:pWjSnpIG
>>27
近隣友好とか平和と言う奴の偽善振りを知らないの?

学生運動華やかな頃の上智の渡部氏と学生の会話。
学「部落差別の問題は許しがたい人間は平等だ。」
渡「そうだね、それは、素晴らしいところで君達の中に部落の人いるかね?是非差別の実態が知りたい。」
学「いえ、我々の中には、そのような穢れたものは、一人もいません。」
渡「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

関大、谷沢の場合。
谷「京都大学のXX先生(部落出身)は、講師だが大変素晴らしい研究をしている。是非、教授として向かえよう。」
関大の部落問題の大家の教授「そのような先生が来るのは反対です。」
谷「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

著書名は忘れたが、渡部と谷沢の対談本にあった。
29前スレ813のシンガポール在住だが:02/03/31 02:18 ID:cLW0CvhD
>>28
レスポンスありがとうございます。

ただ、誠に申し訳ないんだが、私の>>27に対するレスポンス
としての>>28というのが、正直に言って、良く理解できなかったん
ですが。よろしければ、味の素と部落、もしくは、味の素と渡辺、矢沢
(これも気を悪くしないでもらいたいんだが、渡辺、矢沢の両先生の
ことは、僕は殆ど評価していないです。いや、地球市民君が
両氏をたてているのか、さげすんでいるのかも、良く見えなかったので
本当に申し訳ないのではありますが)の共通点を、もう少し説明しては
頂けまいか?。

申し訳ない。10時過ぎに帰宅して、NHKの海外放送で、サタデー
スポーツを見ながら晩酌をしたとこなもんですから、(>>27
支離滅裂だったかも、ということも含めて)(あ。ちなみに松坂は
調子いいみたいですな。僕は個人的には中日が敗戦スタートで
チョット鬱ですね)、本当に貴君の指摘が理解できかねるのですが。

申し訳ありません。お手数ですが、もう少し、背景まで含めた
説明をお願いできますか?。
30文責:名無しさん:02/03/31 02:24 ID:pngftJAM
>>5
親日ネタに対する反論もないし、キリがないんだけどね(笑
31文責:名無しさん:02/03/31 02:26 ID:pngftJAM
>>5
君のような妄想をみんなにも晒せ、と?(笑
32前スレ813のシンガポール在住だが:02/03/31 02:27 ID:cLW0CvhD
一箇所訂正させてください。
    X 地球市民君
    O 地球市民さん

あなたのことは17歳だとは思っておりません。
33(´∀`)lm;)´∀`(:02/03/31 02:29 ID:SsWsE0Iy
A
34前スレ813のシンガポール在住だが:02/03/31 02:36 ID:cLW0CvhD
ゴメンナサイ。連続レスです。

>>5 先人達よりも自分の親日話ってないわけ?数少ない先人達の話もう飽きたよ。
については、完全に==君に同意します。そもそも、アジアの国が日本を嫌いな理由=戦争
でひどい目にあったから。日本を好きな理由=ウタダヒカルがかわいい、ガンダムが
カッコイイ、まで全部ひっくるめて、アジアであるにも関わらず、欧米と肩を並べ、時には
欧米をリードする場合すらある経済大国だから。でしょう?。

反日=戦争ネタ に対抗しようとせんがあまり、無理矢理に戦争中のちょっと良い話を探し
まわるのは、既に罠にはまっているのではないですか?。戦争から目を外せば、親日ネタ
なんて、わざわざ探さなくてもいくらでもあるのですがねぇ。というか、わざわざスレッド
など立てる必要すらないでしょう。いや、意図的にそっち方面に話を持っていきたい人が、一部にいるのであれば、それはそれで良いのかも知れませんが(良いのか!?)。

ウヨだとかサヨだとかを自認する人たちに伺いたいのですが、50年も前のことを穿り出して、
何をされたいのですか?。僕にはその意図が理解できませんですね。

僕には、戦争で生じた民族間の感情的な歪みを修正する手段などは、唯一、時間が解決して
くれることを待つ以外には思い付きません。ただし、その時間を加速する手段はあって、
それは、V6が好きでも、日本人の女のこがキュートでも、何でも構わないので、
ポジティブな評価をしてもらえることがらをどんどん輸出して、もっともっと日本を好きに
なってもらえるようにする。ということではないかと考えます。

で。逆に、いまさら、戦争の話など蒸し返して、迷惑を被った人達の神経を逆なでするような
発言などというものは、全く逆の行為であって、唯一の手段のはずである時間を逆行させる
以外の意味はないように思いますが、どうなんでしょうか?。

僕は、戦争だの、民族だのに関わる真実などというものは存在しない。もしくは複数存在する
ものなのではないかと思っています。イスラエルに住んでいる人たちにとっては、身近の人が
テロで傷つき、殺されている事が真実でしょう。パレスチナの人にとっては、自分の住む街に
戦車で軍隊がやってきて、機関銃で街の人たちを殺している事が真実でしょう。これは
どちらも真実なのではないですか?。では、双方が双方の真実のみを言い募ったら、
どのような未来が開けるというのですか?。

悪いことぁ申しません。戦争中の良い話なんかを血眼になって探すよりは、東南アジアでも、
韓国でも、中国でも、御自分で旅行してみては如何ですか?。2002年におけるあなたに
とっての真実が、親日ネタ、反日ネタ、つまり、「サヨ」氏にとって日本人は決して嫌われて
などいない。またしかし、「ウヨ」氏にも、戦争の事はまだ完全に忘れられているわけでも
ない。というような数々のことがらが、拾うつもりなどなくても、ごろごろしているハズですよ。

東南アジアだったら、往復航空券5万円も出せばOKでしょ?。タイ、ベトナム、
シンガポール、インドネシア、どこも食べ物おいしいですよ(ゴメン。マレーシアも基本的に
はおいしいんですが、僕自身はオキアミベースの魚醤が苦手で、..香港のXO醤から
思いっきり洗練と言うものを取り去ったものを想像してもらえば、ほぼアタリです)。

おお。いつのまにか熱くなって、ずいぶんな長文になってしまいました。申し訳ない。

僕の言っている事もずいぶんと極端であり、みなざん異論をお持ちの事と思います。
反論、争論をどうぞ。
35文責:名無しさん:02/03/31 02:38 ID:pngftJAM
http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/000724.htm
マレーシアの親日家たち(1)− ハムダン・ペナン州元首
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 7月9日、ペナン州元首ハムダン氏(Yang di-Pertua 
Negeri Tun Dr Haji Hamdan Sheikh  Tahir)の79歳
の誕生日を祝う式典の模様が写真入りで新聞に紹介された。
記事はハムダン氏の スピーチの内容を伝えるとともに、その日
169人に対し「Datuk Seri」や「Datuk」などの称号を伴う
勲章の授与があったと伝え、その名簿を載せていた。
受勲者の中にはマハティール首相の元日本 語教師 Datuk Syed
 Abbas Alhabshee氏やペナンを中心として実業界で活躍する
Texchem社長 の小西史彦氏の名もあり、目を引いた。

 マレーシアは13州のうち9州にサルタンの州元首がいるが、
サルタンのいないペナン、マラッカ、 サバ、サラワクの4州では
非王族が州元首に任命されている。
ペナン州では1989年よりハムダン 氏がその職にある。

 ハムダン氏は1921年ペナン州生まれ。イスラーム学者の家庭で
厳しく育てられ、1942年に昭 南興亜訓練所修了。
戦後ロンドン大学やマラヤ大学で学び、長年教育省に勤務。
教育事務次官、 マレーシア理科大学副学長(マレーシアでは副学
長が実質上の学長)等を歴任し、独立後のマレ ーシア教育の礎を
築いた功労者として、ペナン州民や国民に広く敬愛されている。
36文責:名無しさん:02/03/31 02:39 ID:pngftJAM
 私が初めてハムダン州元首にお目にかかったのは1991年11
月のことである。
国際交流基金の 駐在員として、クアラルンプールに赴任した翌日
のことであった。
日本文化センターの開設を喜んで 下さったハムダン氏が、まだ開所
式も済ませていない、真新しい施設に気軽に立ち寄って下さった の
である。
といっても、受け入れる側は「気軽に」というわけにはいかず、
ビルのマネジメント・オフィ スは「光栄なこと」として、大騒ぎ
をしていた。

 当日、ハムダン夫妻は白バイのサイレンに誘導されて到着された。
玄関口で同氏とは既に面識 のあった安藤所長が私を「こちらが、副所
長の伴です」と紹介してくれたのだが、まだ右も左も分か らぬ私はた
だドギマギするばかりであった。
恐る恐る手を差し出した私にハムダン氏は親しみを込 めて握手をし
て下さった。
奢らず、それでいて威厳のある方だとそのやさしい微笑みに接して思っ た。
37文責:名無しさん:02/03/31 02:39 ID:pngftJAM
 後になって、91年10月27日付けでハムダン氏が自筆で安藤所
長宛てに日本文化センター完成 の祝いの手紙を下さっていたことを知った。
マレー語で書かれたその手紙は「ごくろうさまでした」と 日本語で締め
くくられていた。

 その後、私は何度か遠くでお姿をお見受けしたり、新聞等のインタ
ビュー記事で同氏の経歴や人 柄を詳しく知ることになった。
戦争中の日本人との出会いに触れた記事も何度か目にしたが、氏は い
つも日本との出会いをポジティブに、好意的に語っておられた。

 そのひとつ、日本マレイシア協会発行の「月刊マレイシア」1995
年4月号に載ったインタビュー記 事から一部を引用したい。

  「マレイシアが日本の占領下となった昭和17年(1942年)半ば、
私は当時イポーにあった教員 養成学校で助手として働いていました。
そこで私は、生涯の友となる多くの日本人教師と出会いま した。
彼らの大半は民間人で、大変な教養人でした。
38文責:名無しさん:02/03/31 02:40 ID:pngftJAM
 当時、私は21歳と若く、彼らの教育に対する姿勢や、日本の文化な
どについて、多くのことを吸 収することが出来ました。

 その後、私は青年訓練所、上級師範学校とで彼らの助手として働きな
がら、同僚であり友人でも あった彼らとの交流の中で、教育について実
に多くのことを学びました。

 また、彼らは教育を通じて、私達マレイシア人に、農場や工場での
仕事が机上の仕事以上に大 切なものであることを気付かせてくれました。

 彼らは、格好の良い仕事のみを求め、農作業などのきつい仕事を蔑視
し、ただ現実離れした日常 の享楽のみを追求していた、私達の勤労意識
に変化をもたらしたのです。

 私達は、身分や職業が何であれ、努力を怠らず、一生懸命働けば、国の
発展に貢献できるという ことを学んだのです。

 この時期の経験は私の教育理念や人生観に最も強い影響を与えました」
39文責:名無しさん:02/03/31 02:41 ID:pngftJAM
 1994年に出版された同氏の写真集は、最初の方の数ページが昭
南興亜訓練所や馬来上級師 範学校が発行した日本語の修了証書等の写
真と解説で占められている。
同氏が、長い人生の中 で当時の経験を如何に大切に考えておられるかが
窺われ、胸が熱くなってくる。

 ハムダン氏には日本でお会いしたこともある。1996年の晩秋、東
京近郊でペナン・フェアが開催 された時のことだった。
ショッピング・モールの屋外で行われた催しであったが、南国帰りの者に
は 冷たい風が身に染み、長時間吹きさらしのところに座っておられた同
氏がお気の毒でならなかっ た。
一市民として参加した私はその企画の経緯など全く知らなかったので、
南国との文化交流を行 なうのに、どうしてこの季節に屋外を会場に選んだ
のだろうと、主催者の配慮のなさを嘆いたりし た。
そして、決して多いとはいえない観客を後方から眺めながら、「この日本
の大都会の空の下で、 一体何人がハムダン氏と日本の関わりを知っている
のだろうか」と考え込んだりもした。

 ハムダン氏は日マ交流への貢献により、1993年日本政府より勲一
等旭日大綬章を受賞されて いる。
忘れてはならないマレーシアの大切な親日家のお一人である。
マレーシア国民とともに同氏 の79歳のお誕生日を心からお祝い申し上げたい。
40文責:名無しさん:02/03/31 02:42 ID:hEqvoThD
 日本http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/000813.htm
マレーシアの親日家たち(2)―ウンク・アジズ元マラヤ大学学長

 先日、久しぶりにウンク・アジズ元マラヤ大学学長にお目に
かかる機会があった。
小人数の夕食会だったのだが、デザートが運ばれる頃になって、
話はサイド・オマールさんのことに及んだ。

 サイド・オマールさんは西マレーシア南端ジョホール州の王族
の出身で、ウンク・アジズ教授夫人、アザー女史の実兄。
同教授とは幼なじみでもあった。
1943年に大東亜省が招請した南方特別留学生として15歳で
来日したのだが、広島で被爆。東京に向かう汽車の中で病状が悪化
し、京都で途中下車した。
しかし、京都大学病院の担当医濱島義博氏の献身的な看護の甲斐もなく、
1945年9月3日、異郷でそのまま帰らぬ人となった。

 「心の優しい、美青年だったそうですね」

 『オマールさんを訪ねる旅―広島にいたマレーシアの王子様』
の表紙を飾るソンコ(黒いイスラーム帽)姿のオマールさんのモ
ノクローム写真を思い浮かべながら、私はそう言った。
41文責:名無しさん:02/03/31 02:42 ID:iwy2D/bE
ダイハード5
マクレーンが日本の大阪府警に犯人引き渡しのため来日する
ナカトミビル籠城事件のヒーローとして
船上パーティーに招待され楽しくシャンパンをのでいたが
突然のテロリスト乱入 女性国会議員が人質にどうする マクレーン・・・

ジョン・マクレーン(ニューヨーク市警 警部補)・・・鈴木宗男
南山・暗(テロリスト)・・・北川明
大元・汚子(国会議員)・・・辻元清美
42文責:名無しさん:02/03/31 02:42 ID:hEqvoThD
 「そう、確かにハンサムだった。・・・優秀なやつでね・・・。
オマールとは私が1945年3月に日本を離れる直前にも会っている。
『帰らなくてもいいの・・・』と言っていた」

 ウンク・アジズ教授は南方特別留学生ではなかったが、徳川家が
ジョホールのサルタン家と親しかった縁で、徳川奨学金を得て早稲
田大学で学んでいた。
しかし、同大学の閉鎖にともない、終戦前に帰国している。

 「京都に墓があってね・・・」
 「円光寺ですね」
 「そう、そういう名前の・・・」

 オマールさんは亡くなって55年経った今も京都修学院の地、
円光寺で、心ある日本人たちに守られて静かに眠っているのだ。
イスラーム教徒でありながら、仏教徒たちに囲まれて・・・。

 「私たちモスレムは、日本人と違ってお墓がどこにあろうとあ
まり気にしないんです。
もうそこには魂も、何もないんだから・・・」
43文責:名無しさん:02/03/31 02:43 ID:hEqvoThD
 そうポツリと漏らしながらも、遠く離れた異境で若い命を絶た
れた義弟について語る同教授の目は潤んでいた。

 私はマレーシアの知的指導者、文化人でもあり、親日家の第一
人者として知られるウンク・アジズ教授の人生に彫り込まれた日本
との悲しく、深い絆に改めて心を動かされた。

 王族であるウンク・アジズ教授(Royal Professor Ungku
 A. Aziz)は1922年ロンドン生まれ。
トルコ人の血を引くその西洋人的風貌は、78歳という年を全く感
じさせない。
今も、学問の傍ら、政府の諮問委員やマレーシア生活協同組合
(ANGKASA)の会長、南北高速道路開発会社等の役員を兼任しており、
エネルギッシュに活動をしておられる。

 1951年マラヤ大学(シンガポール)卒、専門は経済学(農村開発)。
1964年早稲田大学より経済学博士号を取得。
マレー人として初めての講師(1951年)、教授(1960年)となり、
1968年から1988年まで20年間マラヤ大学の副学長(マレーシア
の学長は州元首等がなり、副学長は実質的な学長)を務めた。
44文責:名無しさん:02/03/31 02:44 ID:hEqvoThD
 日本との関係では、60年代、70年代に頻繁に日本を訪問、
1982年にルックイースト政策の一環として始まったマラヤ大学
日本留学予備教育課程はウンク・アジズ学長時代に始まっている。
国際交流基金とも縁が深く、1981年には国際交流基金賞を受賞した。
1993年には福岡アジア文化賞(学術研究部門)を受賞。
日本屈指の東南アジア研究者である石井米雄教授(神田外語大学学長)
とは旧知の仲である。

 半世紀以上前を振り返って、同教授は次のように述べている。

 「日本文化について徳川家を通じて学んだ。どうして日本は米、
英に勝てたのか(後で負けたが)。
明治維新から更に溯って、江戸時代に興味を持った。
マレーシアが日本から学ぶことは2つある。
聖徳太子から江戸時代までの歴史、そして日本人の生活にみられる、
自然や芸術に対する細やかさ、繊細さである」
45文責:名無しさん:02/03/31 02:44 ID:hEqvoThD
 音楽、美術、映画、写真等に対する造詣も深い同教授は、おどけて
自らを東西文化に精通した「文化恐竜(dinosaur)」と称されたこと
もあった。
日本の俳句、五輪真弓の歌、黒沢明や三船敏郎等の日本映画ファン
でもある。

 一人娘で今年5月にマレーシア中央銀行(Bank Negara)総裁に
就任したゼティ・アクタル・アジズ女史(52歳)の息子さんたちを
連れて、国際交流基金主催の映画会などにも気軽に出かけ来て下さ
ったことが思い出される。

 そのウンク・アジズ教授が冒頭で紹介した夕食会の別れ際に次の
ような一言を述べられた。

 「これはお国の大使にお願いすべきことなのだが、アブドゥラ
(アブドゥラ・バダウィ副首相)を早い時期に日本に招待したらいいね。
彼は日本の事をほとんど知らないと思うよ。
何しろマハティールは50回以上も訪日しているからね・・・。
そうだね、やっぱり季節は桜の頃がいいだろうね」

 半世紀にわたり日マ交流に携わってこられた方の、ポスト・
マハティール時代を見据えた貴重な提言だと感服した。
46文責:名無しさん:02/03/31 02:45 ID:emVvJuTK
http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/000824.htm
マレーシアの親日家たち(3)−アブドゥル・ラザク先生

 「私は『東洋の真珠』と呼ばれるペナン島で、1925年の七夕
の日に生まれたんですよ。ロマンチックでしょう?」

 高く甘い声で、悪戯っぽく、そう語るラザク先生の笑顔を、私は
毎年7月7日に必ず思い出す。
お元気だろうか・・・、お会いしたいなあ・・・。
まるで、昔の恋人を思うような懐かしさがこみあげてくるのだ。

 ラザク先生(Abdul Razak bin Abdul Hamid)は元マラ工科
大学ルックイースト政策プログラム主任。生き残った唯一人のマレ
ーシア人被爆者でもある。

 小柄ながら、いつも身だしなみをきちんとし、背筋をピンと張
った先生は、敬虔なモスレムとディシプリンある古き良き時代の
日本人を合せたような人柄で、まるで日本とマレーシアの架け橋と
なるべき星の下に生まれたような方である。
以下その不思議な人生の歩みをご紹介しよう。
47文責:名無しさん:02/03/31 02:46 ID:emVvJuTK
 10歳で父親を亡くしたラザクは、翌年、母親とともにペナン
から兄のいるクアラルンプールへ引っ越す。
クアラルンプールの中学を卒業し、15歳で中学教師見習いとなる。
しかし、間もなく1941年12月8日に、日本軍がマレー半島北
東部コタバルに上陸。
1942年2月15日にイギリス軍がシンガポールで無条件降伏する
と、マラヤは日本の軍政下に置かれる。
ラザクは3ヵ月の日本語講習を優秀な成績で修了し、セランゴール
州文教科日本語教育コーディネーターに任命される。

 マラッカの馬来興亜訓練所での2回にわたる研修を経て、1944
年6月に18歳で南方特別留学生に選ばれ、来日。
東京の国際学友会で日本語教育を受けた後、1945年4月に広島文理
科大学に入学した。
しかし、8月6日、授業中に被爆。同11月、20歳で学業半ばにし
て帰国した。
広島で一緒に学んでいたマラヤ留学生のニック・ユソフとサイド・
オマールは被爆死し(サイド・オマールについては前回コラム参照)、
今も広島と京都で眠っている。
48文責:名無しさん:02/03/31 02:47 ID:emVvJuTK
 帰国したラザクはスルタン・イドリス師範学校で学び、中学教師、
師範学校講師、テレビのジャウィ教育番組の講師等を経て、1978
年にマラ工科大学のマレー語及び日本語の講師となる。
マハティール首相が提唱したルックイースト政策の一環である産業
技術研修生の予備教育が1982年に同大学で開始されると、そのプロ
グラムの責任者に抜擢される。以後、1998年に同大学を退職するまで、
日本語教育者として、また日マの架け橋として活躍。また、1984年か
らは自宅隣のモスクの管理責任者に任命され、今日に至っている。

 私は国際交流基金時代、仕事上でのおつきあいが深かったので、
何度も先生の希有な経験について、直接話を聞くチャンスがあった。

 先生は日本語は美しく、音の響きがよくて、繊細さのある言語だという。
帰国後は暫く日本との距離を置かざるを得なかったが、クアラルンプー
ルに日本大使館が開設されると、館員向けに自らマレー語教師を買っ
て出たり、自宅で夫人が館員の奥様向けにマレー料理教室を開いてその
通訳をするなど、日本語に触れる機会を作る努力を続けたという。
だから、マラ工科大学の日本語講師になった時、30年以上のブランク
があっても、教えることができたのだそうだ。
49文責:名無しさん:02/03/31 02:47 ID:emVvJuTK
 先生はまた、日本文化はイスラームの教えと共通する部分が多く、
その点でも親しみと興味を覚えたという。

 そして、「馬来興亜訓練所や日本留学で学んだことが、その後の生
き方に積極的な影響をもたらし、『負けずに頑張る精神、困難に挫け
ない精神』は一生を通じての生活信条ともなった。
国歌の斉唱や国旗掲揚を通じて、国を愛することも、日本から学んだ
大切な価値だ」と述べている。 
先生の話を繰り返し聞いているうちに、先生の口癖である「できない
ことはない!」はいつしか私たち国際交流基金の仲間の間で「頑張り
ましょう!」に代わる掛け声ともなった。

 60年代後半から再開されたマレーシアの日本語教育は80年代
から90年代にかけてますます盛んになり、1993年にはマレーシア
日本語教育連絡協議会が発足したが、会長にはラザク先生を、と誰し
もが思った。
ラザク先生はこの多民族国家にあって、民族の区別なく広く日本語
教育関係者の人望を集めていた。
そして、ラザク先生のもと、バラバラだった日本語教師たちがお互い
の結びつきを強めていったのである。
50文責:名無しさん:02/03/31 02:48 ID:emVvJuTK
 1995年、国際交流基金はクアラルンプール日本語センターを
開設した。
終戦50周年の年である。偶然のことだった。その同じ年にラザク
先生が国際交流基金奨励賞を受賞した。
マレーシアからはウンク・アジズ元マラヤ大学学長の基金賞に続く、
二人目の受賞者である。
その知らせを受けた時、当時日本語センターの主幹をしていた私は
感極まって、はらはらと泣いてしまった。

 自らの意思というよりも、国家の意図で「南方特別留学生」と
「ルック・イースト政策」という形で日本との関わりを持ったラザ
ク先生。
その50年という長い年月を貫いた先生の日本への情熱に対し熱い
ものがこみ上げてきたのである。

 10月3日の東京での受賞式を終えてマレーシアに戻ったラザク
先生を関係者一同が囲んでお祝いしたことは言うまでもない。
先生は後に続く者の「誇り」でもあった。
51文責:名無しさん:02/03/31 02:49 ID:cbZ5QQJR
 七夕はとっくに過ぎていたが、数日前、私は急に思い立って久
しぶりにゴンバのラザク先生宅を訪ねた。
運良く先生はご在宅で、「伴さぁーん」、「せんせー」と握手をし
たお互いの手は固く握られたまま暫く離れなかった。
少し痩せられたかなとも思ったが、その75歳の小柄な体からは
昔と変わらぬ明るい「生気」が感じられ、「先生は万年青年ですね」
と申し上げた。

 居間に通されると、広島県からのお客さまが歓談していた。
先生は来月また広島を訪問されるという。
「モスクの方も責任があるし…。一日5回行きますよ。夜は毎晩8
時から10時までね。」 退職されてからも相変わらずお忙しそう
な先生だった。

 そんな忙しい先生を突然訪ねて、あまり長居をしてはいけないと、
暇乞いをして外に出ると、家の前に立派な車が止まっているのが目
に付いた。
「先生の…」と言いかけると「いや、息子のですよ。
ペナン科学大学の副学長補佐(実質の副学長)をしている長男のズル
キフリーが出張で来ているんです」と先生はおっしゃった。
先生は幾多の困難をくぐりぬけながらも、やはり、幸せな星の下に
生まれた方なのだなあ、と私は思った。
52文責:名無しさん:02/03/31 02:50 ID:cbZ5QQJR
http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/000909.htm
【読者の声】マレーシアの親日家たち

 先日の日曜日、京都の円光寺にあるオマールさんのお墓を訪れました。
『オマールさんを訪ねる旅』の早川幸夫先生にお手紙を出したところ、御
親切に案内してくださ ったのです。
お墓は大変静かな所にあり、同寺には徳川家康のお墓もあります。
徳川の某氏かが (名前を聞いたけど忘れました)病気療養でジョホール
に滞在していた時、オマールさんと親交があったそうですね。
彼のお墓が家康ゆかりのお寺にあるのも何かの縁か もしれないと早川
先生はおっしゃっていました。 (T、元在マ)
 �
 ハムダンさんとウンク・アジズ氏の記事を見させていただきました。

 ここへ来て思うことは、このように親日家が意外に多いということです。
私たちは教科書では日本軍は悪いことをしたと習いました。
でもここペナンでも、この貴方の記事のように勤労に対する貴賎を
廃する勤勉の哲学を植え付けたところは、日本軍の短期養成学校の
大きな価値を発見します。
53文責:名無しさん:02/03/31 02:52 ID:cbZ5QQJR
<私の知る小さなMalaysiaの親日家>

 1.名も無きインド人(シーク教徒)のリタイアーした先生
 彼は13歳の時、ペナンで日本軍によって創設された日本語速
成教育学校に入学した。
規律正しい体操(Exercize)、日本語の美しい歌唱、キビキビした動作、
団体行動が印象に残った。
その後中学校.高校の英語教師として過ごし、今はイポーで自適生活。
時々ペナンに来て見る。
日本人の教育の仕方はすばらしいが彼の言。
50年かなたの出来事ではあるが、彼にとっては未だ他人に語りたい
吐露したい気持ちが強い。
54文責:名無しさん:02/03/31 02:52 ID:cbZ5QQJR
 2.Eさん(Datukを持つ、前ペナン首相の弟)
 彼はここペナンでは名門の出身、彼も夫人も日本軍創設の日本語
教育を受けている。
勿論華人故、マンダリンは自分自身の言語、そして英語は又母国語並。
若いときはバトミントンのマレーシアチャンピオンと聞く。
今はよくクラブに顔見せるし、若い好奇心旺盛な精神は若者に負けない。
私がたまに日本人の連れを連れて行くとパブへ誘う。
でも婦人がUKへ長く滞在したりして、いっしょに行動してくれなくて
少し寂しそう。
訪ねると「奥さんはChapelです」という。
彼も日本人の教育は優れていると言う、そしてあるところで相容れな
いが日本が好き(何回か行った)。
55文責:名無しさん:02/03/31 02:54 ID:cbZ5QQJR
 3.A Bさん(彼もDatukを持つ)
 彼はインド混血マレー人。若いときは台湾に留学して学ぶ。
一時は日本人(スチュワーデス、今でも名前を覚えている)と結婚
しようとしたが、親に反対され親の勧めるマレー(今の夫人)と結婚。
今では二人でいつもいっしょに行動。
元BumiBankerだが今は退職して自適。娘さんが歌手志望し
て歌っている。秘密だが、ビール一杯はInternational
 Muslimを自称して飲む。
 彼はクラブへ入会するとき、見知らずの私が日本人ということだけ
で保証人の欄にサインしてくれた。

<小耳にはさんだ裏話>

 1.リン大臣について
 彼はブーミに近い華人であり、マラッカの発祥のころ(明の公主の
御付で渡来)のババ、ニョンニャに近い人である。
清崩壊、.太平天国の乱、.共産中国からの新移民とは少し違うとの認識
をこの新しい華人経済層は云う。
56文責:名無しさん:02/03/31 02:55 ID:hJ2s5AXf
 2.西山軍曹
 彼は2次大戦の際、初代ラーマン首相を助けた命の恩人である。
日本軍は1941年ここを占領したときUK側構成の支配層を処刑した。
そのときラーマンは王族支配者の次男、当然処刑される運命。
この軍律に対して西山さんは、自分を賭して子供には責任はないと主
張して彼をかばい助けた。
戦後彼がマラヤ連邦初代首相として来日時、羽田で涙と感激の対面をした。
彼こそ”日本人の男”との考えを持っている人がここには未だいる。
日本人びいきもこのあたりに一つの理由がある。

 3.マハティール
 彼はおじいさんがインド人。計数.合理的考え方はその血を受け継いでいる。

 4.ペナンの日本軍
 General伊東は英語が流暢で毅然とした紳士であった。
佐伯尉官はいつも「早く、早く!」と我々をせきたてて指示をしていた。
日本人から受けた”3ヶ月日本語速成教育”は今でも覚えている。
歌も「弥生の空」「富士は日本一の山」等。日本軍は街のマフィア.犯罪
者(刺青をしているものは全て)をトラックで運び去り一掃してくれた。
 我々が戦後教科書で習ったこととは違う、真実に近い世論を聞いた気
がします。(F、在ペナン)
57文責:名無しさん:02/03/31 02:56 ID:hJ2s5AXf
出てくる話は親日話ばかりで、反日話は==の怪しい話だけなのに、
「数少ない親日話」とか言ってる(笑
ギャグかい?(笑
58文責:名無しさん:02/03/31 02:57 ID:hJ2s5AXf
マレーシアで感じる日本人へのまなざし
http://www.02.246.ne.jp/~kiara/mikiko/990731.htm

�1999.07.31 Mikiko BAN
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 マレーシアで暮らす日本人の多くは、この国を居心地のよ
い国だと感じているようだ。
理由はいろいろと考えられるが、ひとつには日本人に対するマレー
シア人の暖かい「まなざし」ということがあるのではないだろうか。

 クアラルンプールは、多民族から成る市民に加え、大勢の外国人
が住む国際都市だ。
環境が人を育てるとでも言うのだろうか。
クアラルンプール市民は外国人に対し、概してフレンドリーで、
サービス精神に富んでいるように思う。
この外からの「他者」に対する開放的で、スマートな社交術は、こ
の地域がかって東西交易の中心として栄えたマラッカ王国時代以来
の伝統かもしれない。
59文責:名無しさん:02/03/31 02:58 ID:hJ2s5AXf
 しかし、外国人と言っても、皆が同じような接し方を受けるわ
けではない。
建設現場や清掃関係に従事している近隣諸国からの下層外国人労
働者に対するマレーシア人の視線は、日本人や西洋人(ここでは
、ORANG PUTIH [ 白人]と言う言葉が使われている)に対する
ものと、その向きや傾斜が異なることがある。
同じマレーシアに住む外国人であっても、それぞれの出身国に対し、
マレーシア人がどのようなイメージを抱いているかによって、居心
地は違ってくるのだ。

マレーシア人は、この50年、日本人をどのような「まなざし」で見
てきたのだろうか。

 4月にマハティール首相著「A New Deal for Asia」(日本語版は
「日本再生・アジア新生」)が出版され、その内容が新聞に紹介されたが、
日本との関係についての言及が多いのに驚いた。
以下は同記事の日本に関する部分である。

 マハティール氏はマラヤが日本に占領された時代、日本人がい
かにしてイギリスを打ち負かしたか、日本人がどんなに規律正しい
国民であるかを目のあたりにし、次のように述べている。
60文責:名無しさん:02/03/31 03:00 ID:2QrcItRc
「このことは、私に衝撃を与え、のちに、ディシプリンさえあれば、
ほとんど何事でも成し遂げられるのだと確信するに至った。
かくして私たちは目覚め、強い意志さえあれば、日本人のようになれ
るのだ、という自信を与えられたのだ」
 歴史を下って、

「アジアの奇跡が謳われた時代、大きな役割を果したのは外国からの
援助ではなく、外国からの直接投資であった。
マレーシアに大挙してやってきたのは、日本企業だった。
今日、日系企業の生産はマレーシアのGDPの23%を占めている」
 第2章はアジアの価値観とアジア更生のための日本の役割について
書かれている。

 30年前にマハティール氏は「マレー・ジレンマ」という本を出している。
1983年に出版された日本語版に同氏が寄せた「ルック・イースト政策
について」という一文には、1981年に提唱された同政策の主意が記さ
れている。
61地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 03:00 ID:pWjSnpIG
>>29
あ、最近CHに顔出したみたいだろうから分からないだろうけれど。
いわゆる反日の人って反日を主張する事が目的で手段を選ばないって意味ね。

他の過去レス読めば良く分かるよ。
中国との友好、半島との友好とか言ってる奴ラの実態が。

一番ワラッタのが、【コヴァのゴーセン読んでる能無しスレッド】かな?

ウヨ・コヴァの頭脳は【朝鮮人】並

というコピペを散々貼りつけて、差別だろって指摘があったら。

ウヨ・コヴァの嫌いなもの=朝鮮人 =>朝鮮人より劣るもの=ウヨ・コヴァ
従って差別ではない。だとよ。(その後、何の説明も抜きに【朝鮮人】が【森首相】に変わったが)




>>28の例は国内の解放同盟の奴ラの実態。
根っこが同じって事を理解して下さい。
62文責:名無しさん:02/03/31 03:00 ID:2QrcItRc
「マレーシアはこれまで、西洋の影響を強く受けてきた。
それは決して悪いことではなかったが、今や西洋は、その価値観の
基本である個人主義の弊害が出始め、衰退の兆しを見せている。
他方、アジアに目を転じると、日本や韓国が個人の利益よりも集団の
利益を優先させて、めざまし発展を遂げている。
この集団や国が個人よりも重要であると言う哲学が生み出した労働倫理
---規律、忠誠、勤勉など---をマレーシア人に学ばせ、マレーシアを豊
かな国に発展させたい」
 戦後の日マ関係の基本に、マハティール首相や他の指導者たちに大な
り小なりこのような歴史観があったことを忘れてはならないだろう。
そして、それは直接、間接的にマレーシアの対日観に影響を及ぼしてきた。
63地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 03:02 ID:pWjSnpIG
>>62
割り込みゴメン。

俺が会ったマレーシア人やインドネシア人(華僑も含む)は、みんな親日だったな。
64文責:名無しさん:02/03/31 03:03 ID:2QrcItRc
マラッカにある国立独立宣言記念館の文書を翻訳して以下に掲載する。

 マレーシアにおける日本占領 1941-1945

 1941年12月8日、第二次世界大戦で日本軍がコタバルに
上陸作戦を敢行した時、マラヤもまた影響を受けたが、イギリス軍
が残したものは跡形もなく破壊された。
戦艦プリンス・オブ・ウェールズとリパルズが撃沈されたことは強さ
を誇ったイギリスの軍紀に大きな痛手を与えました。

 1942年2月15日、パーシバル将軍に率いられたイギリスが
正式に日本軍に降伏し、アジアの国による新たな植民地化が始まりました。
日本軍の占領によってマラヤは社会的、経済的な被害を受けましたが、
政治的に言えばマラヤ人々にとって覚醒ともいえるものでした。

 マラヤ人はイギリスは無敵の存在と考えてましたが、そうではない
ことが分かったのです。
言い換えれば、日本の成功が西洋列強からの独立の精神を呼び覚まし
たということもできます。

(略)
65文責:名無しさん:02/03/31 03:04 ID:2QrcItRc
 日本による軍政が経済的社会的な苦難を伴ったことは確かですが、
その軍政がある意味ではマラヤ人に劇的な政治変化をもたらしました。
日本がたった70日という短い期間でイギリスを打ち負かしたことを見た
マラヤの民族主義者たちにイギリス植民地主義は無敵でないことを植え
付けました。

 日本は負けましたが、日本の占領はマラヤ独立闘争を続ける
火種を植え付けたのです。(国立マラッカ独立宣言記念館)
66文責:名無しさん:02/03/31 03:05 ID:2QrcItRc
今日はこのへんで(笑
67文責:名無しさん:02/03/31 03:12 ID:2QrcItRc
>>34
>アジアの国が日本を嫌いな理由=戦争
>でひどい目にあったから。

カキコされている話を読めば、それが単なる思い込みに
過ぎないことに気付くはずなんですが・・・。
68文責:名無しさん:02/03/31 03:15 ID:2QrcItRc
日本は戦時中、アジアに酷いことをしたに決まっている!

だったら、アジアは反日に決まっている!

というような思考を持っている人がいるんですよね。
そういった勘違いの思い込みをもった日教組教員が
マレーシアに行って、古老から逆に諭された、という
話はすでにしたと思うけど。
69文責:名無しさん:02/03/31 03:18 ID:2QrcItRc
恒例コピぺ

「読売新聞社と韓国日報社がアジア各国でおこなった共同世論調査」
               (1995年5月23日・読売新聞)

『日本と韓国に対してそれぞれ否定的な印象を持っている各国人の割合』

中国人         対日37.8%   対韓31.1%
インドネシア人     対日13.9%   対韓33.3%
マレーシア人      対日 2.9%   対韓33.3%
タイ人         対日21.6%   対韓61.2%
ベトナム人       対日 1.1%   対韓41.3%

70文責:名無しさん:02/03/31 03:19 ID:2QrcItRc
真・恒例コピぺ

「戦後50周年アンケート」
(1995年読売新聞の世論調査)
『第2次世界大戦中に行なった行為は、今でも日本との関係の発展を妨げているか?』

妨げている
韓国     71%
中国     49%
タイ     36%
マレーシア  25%
ベトナム   13%
インドネシア 12%

日本に対して良いイメージを持っている
ベトナム   95%
マレーシア  94%
タイ     80%
インドネシア 72%
中国     53%
韓国     30%
71地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 03:20 ID:pWjSnpIG
>>67
つーか、危険は伴うが新大久保あたりの外国人と仲良くなれば分かるが。
奴らは、反日をやる時は、金になる時とハッキリ言いますよ。

嫌いだったら、日本に来るかとも言う。
72文責:名無しさん:02/03/31 03:20 ID:KpS+wXWX

   _δ_
  / ⊥ \
  |____|    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ‖∧ ∧¶  / おう、2ちゃんねるの各板の人気投票をするぞ!
   ( ゚Д゚)/ <  投票ルール、組み合わせについては下のサイト
   /  /    \ にdでくれ。間違い・改善点があったら指摘よろ。
  〈  (      \
  ∫ヽ__)        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    U U
  | ̄ ̄ ̄ ̄|
  \__人__/


トーナメント表
http://niigata.cool.ne.jp/nonti0525/2ch.htm
本部
http://ton.2ch.net/test/read.cgi/gline/1017425761
73文責:名無しさん:02/03/31 03:33 ID:2QrcItRc
>>71
危険はヤダ(笑
74地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 03:45 ID:pWjSnpIG
>>73
あ、中東の人とヤの人と半島の人にチョンと言わなければOK。
75地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 03:48 ID:pWjSnpIG
>>74
訂正。
気をつけるのは中東・ヤの人。半島は差別語に気をつけてね。
俺は仲良くなった人間と平気で三国人・ジャップ・鬼子と呼び合っていたが。(w
76文責:名無しさん:02/03/31 03:51 ID:2QrcItRc
>>75
>俺は仲良くなった人間と平気で三国人・ジャップ・鬼子と呼び合っていたが。(w

すごい(笑
77地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/03/31 03:59 ID:pWjSnpIG
>>76
それだけ、仲が良かった。
78文責:名無しさん:02/03/31 04:07 ID:nUJwVWql
だんだんウヨのオナニーになってきたな。まあそれもイイか。
79文責:名無しさん:02/03/31 05:13 ID:2QrcItRc
カキコしなきゃしないで、「数少ない」とか、「ネタ切れか?」など
と言うのに、カキコしたらしたで、「オナニーか?」などと情けない
発言をする。
80文責:名無しさん:02/03/31 05:14 ID:2QrcItRc
結論
サヨは惨め、ってことで。
81名無し:02/03/31 07:11 ID:u7ky4DRq
 八田與一といっても日本ではだれもピンとこないだろうが、台湾ではいまも農業
用水建設の恩人として人々の心の中に生き続けている。台南県烏山頭にはいまもこ
の明治生まれの日本人の銅像が残り、台湾農業に尽くした逸話は中学校の歴史教科
書『認識台湾』に登場し、学校教育の場でも語られ始めている。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc0017/9907/990718.htm


 銅像は最初昭和6年に建てられたが、戦争末期の昭和19年(1 944年)、軍
の命令で銅の供出が叫ばれるなかその姿を消し、誰 もがその存在を諦めていた。と
ころが、戦後その銅像がたまたま嘉 南農田水利協会により発見されたのである。し
かし時代は日本色を 一掃し強権で台湾を支配化に置こうとした国民党白色テロの時
代。 そのような時に日本人の銅像を隠し持つことは命がけであった。そ こで銅像
は八田家族がかつて住み当時空き家となっていた家のベラ ンダに置かれたが、やが
て嘉南の農民がこの家の前を通る時、人々   は手を合わせて拝むようになった。
 この銅像が再び日の目を見たのは、蒋介石も既に亡くなり、台湾 経済が豊かにな
り始め政治的にも民主化の芽が芽生え始めた蒋経国 時代の昭和56年(1981年)
1月である。戦時下に持ち去られ て以来37年ぶりに銅像は元の位置に復活した。
台湾に残る唯一の 日本人の銅像である。
 烏頭山ダムを見下ろしながら建つその銅像と墓の前で、八田與一 の命日から今日
まで追悼式はただの一度も欠けることなく、誰から の命令や指示を受けることなく、
地元の人々の手で続けられている。
 昭和54年(1979年)八田與一の長男晃夫氏が両親の墓参り のため訪れた時
には、81歳になるという老人が老妻に手を引かれ 杖をついてわざわざ会いに来て
電気技師として烏頭山で仕事 をしました。今でも八田所長の下で仕事をした事を生
涯の誇りとし ています。一言、私の気持ちを息子さんにお伝えしたかったったとい
う。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~edamura/mandan.html#hatta
82文責:名無しさん:02/03/31 09:38 ID:F3W0zIeM
>>79-80
アフォは、報知+虫+鹿戸につきるよ。
83文責:名無しさん:02/03/31 14:33 ID:svOgLIYx
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog156.html

「リカルテ将軍〜フィリピン独立に捧げた80年の生涯」

布引丸に先行して、5人の陸軍予備役将校と1名の民間人か
らなる義勇隊が、独立軍支援に赴いていた。隊長は元台湾総督
付参謀の原禎で、「フィリピンの独立を救援しなければ、アメ
リカは必ずこの地を占領し、東亜の自由と発展を害するや必せ
り」として、自ら軍籍を退いて、この挙に加わったのである。

6人は下級労働者に変装して、フィリピン独立軍を包囲する
アメリカ軍陣地を突破した。6人を迎えた大統領アギナルドは、
こう言った。

日本からはるばるフィリピン独立のために、身を挺して
馳せ参じてくださった皆さんの義侠に対して、何と感謝申
し上げてよいかその言葉も知らないほどである。

6人はアギナルドの軍事顧問や、前線部隊の作戦参謀の任に
あたった。同時にフィリピン在留の日本人約300人も、独立
軍に参加して、ともに戦った。日本から義勇隊が来たというの
で独立軍の志気は大いにあがった。

84文責:名無しさん:02/03/31 14:36 ID:svOgLIYx
新・アジア親日事情

NHKが調査した韓国とフィリピンの対日感情の調査があるが、「第2次大戦へ
の思いで日本による戦争被害に今も憤りを感じるか」という項目に、韓国では
「感じる」という回答が73%。一方、フィリピンでは「感じる」という回答は
20%に過ぎない。
また日本は戦争被害に対して、「反省している」は韓国8%に対し、フィリピン
60%である。そのフィリピンはこの戦争で主として米軍の砲爆撃によってだが、
じつに150万人もの犠牲者を出しているのだ。

過去は過去として、このようにフィリピンには親日的な空気がある。
実際、いま日本に住んでいる外国人で最も多いのは朝鮮半島出身者の60万人だ
が、次はフィリピンからの15万〜20万人。毎年6000人前後のフィリピン女性
が日本人と結婚している。

以前マニラ・ガーデンホテルの社長をしていた日本人実業家・鶴岡正一氏に
聞いた話だが、フィリピン人は誠心誠意つくしてくれるという。
たとえば用事でフィリピン人運転手を待たせておいて、帰ってくると、車の
中が暑いという。これは木下籐吉朗のワラジの逸話と逆で、主人が乗ってい
ない時には燃費を考え、クーラーを切って待つからだというのである。

そうした親日感情に日本人も気づきはじめて、いまやフィリピンの工業団地
は、ほとんど日系企業で埋めつくされているといっても過言ではない。
さらにセブ島、マクタン島の工業団地に単身赴任でいった日本人男性の8割が
フィリピン女性と結婚しているというのだから「相思相愛」の感ありだ。
すでに九州あたりの企業は競ってフィリピンに進出しているというのだが、
そうした日本企業がフィリピンで失敗したという例を、私は、ほとんど聞いた
ことがない。




SAPIO 1997,8/27・9/3合併号:作家 深田 裕介
85==:02/03/31 14:49 ID:2S6vRUsq
相変わらず先人達のくだらない話ばかりですね。もっと本人の
実話に基づいた親日話聞きたいものですね。

前スレ813シンガポール在住だが氏へのコメント


あなたが私がインドネシアで味わった味の素騒動の余波を
受けたうどん屋での話、信じるかどうかはあなた次第ですが、
自分の体験と比較してだけで捏造だとおっしゃるのですね?
確かに、あの時期、こういう目に会わされたのはこのうどん屋
だけで、他の店や会社でも日本人だからと言ってそんな目に会わされた
ことはありません。インドネシアで味わった反日話のひとつを書いただけ
ですよ。まあ反日と言える話にしてはレベルが低いとは思いますが。

あと、皆さんはインドネシアは親日で、どこもかしこも日本まんせー何て
思われていますけど、確かに親日の方は多いですよ。日本のおかげで独立
できたなんていう人もいますよ。

ただし、今のインドネシアは日本から多額のODA等の援助の恩恵を受けている
ことが最大の要因で、従軍慰安婦の強制連行の問題を始め、反日的な部分も
あなたがたが考えているよりも多いことを忘れずに。事実今年から教科書に
日本軍の従軍慰安婦の強制連行の話は載りますから。
86文責:名無しさん:02/03/31 15:04 ID:EV+CCqjs
お前が何をいおうがお前一人だけの体験だろ。
たまたまお前がそういう目にあったらそれが世界の定説なのか?

>>あなたがたが考えているよりも多いことを忘れずに。事実今年から教科書に
>>日本軍の従軍慰安婦の強制連行の話は載りますから。

まさかまだ信じているのか?華僑のゆすりに腹が立たないのかよ?
87文責:名無しさん:02/03/31 16:01 ID:svOgLIYx
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。


 (略)
 取材した中嶋氏は、数名のインドネシア閣僚から、次のように言われたという。

 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我
々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部
ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関
係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。
88文責:名無しさん:02/03/31 16:04 ID:svOgLIYx
フィリピンでホームステイの経験がありますが、拍子抜けするほど反日感情はあり
ませんでした。訪比前には多少議論になることもあるだろうと覚悟して、理論武装
のためにある程度勉強したのですがほとんど無駄に終わりました。
フィリピン人持ち前のホスピタリティから私に嫌な思いをさせないための心遣いだ
ったのかもしれませんが、多くの人が戦争は過去の話で戦後生まれの私たちの世代
は別だととらえてくれているように感じました。
太平洋戦争中、敗走する日本軍に豚を徴発されたという老人から一度だけ苦情を聞
きましたが(その老人は戦後初めて会った日本人が私だったみたいです)、それ以
外、特に若い世代は、音楽をはじめ日本のポップカルチャーを積極的に受け入れる
など日本にかなり好感を持っているようでした。
もちろんフィリピンに反日感情が全く存在しないなどと主張するつもりはありませ
んが、日本に伝えられているそうした感情は一部マスコミのミスリードによってひ
どく拡大されているような気がしました。
89通りすがりの装甲巡:02/03/31 16:09 ID:zEF3pD7c
>>85
>ただし、今のインドネシアは日本から多額のODA等の援助の恩恵を受けている
>ことが最大の要因で、従軍慰安婦の強制連行の問題を始め、反日的な部分も
>あなたがたが考えているよりも多いことを忘れずに。

あのな、過去のことだけで親日国ってんなら半島なんぞ世界一の親日国
じゃ無きゃおかしいだろが。(藁
東南アジアが親日なのは過去は過去と考えて今の日本と付き合ってる
から。
それに、散々有る事無い事喚いて援助を分捕ってありがとうの一言も言えない
どこかの国よりは、表面だけでもありがとうと言ってくれる国と
付き合っていくってのがまともな関係だと思うぞ。

90文責:名無しさん:02/03/31 16:20 ID:X8+/dFnF
>>85
>相変わらず先人達のくだらない話ばかりですね。もっと本人の
>実話に基づいた親日話聞きたいものですね。

それをそっくりあんたに返すよ。
あんた前スレで従軍慰安婦やら南京大虐殺やら喚いてたよな?
あれだって先人の言ってることだし、あんたが体験したことじゃあないだろ?
言ってること矛盾してるんじゃない?反論できなくなるとそうなるんですか?
なんかくだらない、くだらないとか言ってるけど、
どう考えてもあんたの捏造反日話のほうくだらないよ。
自分が反論できないものにくだらないってレッテル張りし、
確認の仕様が無いくだらない捏造反日話に逃げるようなへたれ君は引っ込んでろや。

>ただし、今のインドネシアは日本から多額のODA等の援助の恩恵を受けている
>ことが最大の要因で、従軍慰安婦の強制連行の問題を始め、反日的な部分も
>あなたがたが考えているよりも多いことを忘れずに。事実今年から教科書に
>日本軍の従軍慰安婦の強制連行の話は載りますから。

はあ?何で日本からODAを受けていることが原因で反日になるんだ?
まあ本当は違うこと書いたつもりなんだろうけど。あんた本当に文章力無さすぎだよ。
91文責:名無しさん:02/03/31 16:27 ID:EW3xtGWl
↓この==の「設定」に対し、
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015347757/610

↓こういう突っ込みがあり、
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015347757/975

↓それに対して、こういう反論が==からありましたが、
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015347757/980

きょう、Jリーグの中継を見ていて思ったんですが、
住友金属の社員の方は、鹿島アントラーズのことを「本社のサッカーチーム」と思っているのかな?
日立の社員の人は、柏レイソルを「本社のサッカーチーム」と思っているのかな?
JR東日本の社員の人は、ジェフ市原を「本社のサッカーチーム」と思っているのかな?
と、素朴に感じました。

普通こういうのは、「本社が応援しているサッカーチーム」「本社が出資しているサッカーチーム」というのではないかと思いましたね。「日本語的には」ね。
昔、釜本がヤンマーディーゼルの社業もこなしながらサッカーをしていたような時代なら、
ヤンマーのサッカーチームは、ヤンマーの社員にとって「本社のサッカーチーム」だったでしょうが・・・。
92バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/03/31 16:32 ID:yF/zphiJ
まあまあ、みなさん

>インドネシアは親日で、どこもかしこも日本まんせー何て
>思われていますけど、確かに親日の方は多いですよ。日本のおかげで独立
>できたなんていう人もいますよ

わたしゃ、この言葉だけでかな〜り満足しましたよ、==が認めざるを得ないくらい
インドネシアにはこう言う人がいるという事実自体がすごいことじゃないですか(笑)
93文責:名無しさん:02/03/31 16:44 ID:X8+/dFnF
>>92
だけど彼は「それはODAのおかげ」と釘をさしていますよ。
ODA等国際援助を通じての友好に対し、何か文句が言いたいみたいです。
94おなにすと:02/03/31 17:14 ID:PVCVItKj
>>34 >>==
オナニーって悪い事ですか?先人達の「くだらない話」ですか?
小中高で普通に歴史を学び、就職して普通に新聞読んで、普通の日本人の
つもりでいました。そうゆう私は、「南京」を信じ「慰安婦強制」を信じ
ていました。「自分の父や祖父はしなかったけど、余所のお父さんやお爺
ちゃんは、随分酷い事をしたもんだ。」と信じていましたよ。妙な罪悪感
を植え付けられて、この歳まで生きてきました。
(勿論、特別に中韓に対して差別的な感情など持っていませんでした。)
それが「2チャンネル」に出会って、ここ数日で全く違う考えになりまし
た。自国の先人達の志の高さに感動しています。日本人で良かったと思っ
ています。「妙な罪悪感」から解放されていく心地よさを味わっています。
私は、>>34や>>==のように海外勤務の経験が有りません。貴男達のお話は、
それはそれで面白いのでしょうが、貴男達の周りにいる極々小数の人達と
の経験談ですよね。内輪話は内輪話で良いのですが、私はもっと「先人達
のくだらない話」が聞きたいのです。
兎に角、今の私は、わざわざここで妙な雑音は聞きたくなおのです。
もっと私に親日ばなしを!!!!!!
95文責:名無しさん:02/03/31 17:25 ID:ftSlsS2j
オナニーは悪くないけど
公衆の面前でオナニーすることが快感になってしまったら
人はそれを変質者とよぶんでないかい?
96おなにすと:02/03/31 17:33 ID:PVCVItKj
>>95
それでも良い。もっとズリネタを!!!!!!
97文責:名無しさん:02/03/31 17:40 ID:svOgLIYx
インパール作戦

「日本人はインパール(ビルマ最西端からインドでの戦争)作戦は悲劇の戦争と見て
いるが、インド人は華々しい独立戦争と見ている」

(略)

インド人は「インパール作戦は、インドの独立戦争である。我々が非力な為に、
日本軍に多大な犠牲を強いてまことに申し訳ない。永久に日本人の好意は忘れない」
と力説する。
熱烈に日本軍を誉める親日家は老人だけではない。
少年少女が、今戦争を見てきたように、日本軍将兵の奮闘ぶりを語るので、老人と
少年少女の日常会話が偲ばれてならなかった。
(平成9年5月25日号)

アジアの曙光 -6-

アセアンセンター代表 中島慎三郎


98文責:名無しさん:02/03/31 17:42 ID:svOgLIYx
卒塔婆を建てた村長

 インパール作戦で日本軍は惨敗した。シンハ村の村長は次のように語った。 
「レッド・ヒルの争奪戦で、戦死した日本軍の将兵の骨をを集める為、村民を総動員
した。村民は丘の激戦を見ていました。日本軍は全滅し、丘は真紅に染まりました」
イギリス軍がレッド・ヒル(真紅な丘)と名づけた理由がよく分かった。
村長はその丘の麓(ロッパチン村)にレンガを積んで、卒塔婆(高さ約4b)を建て、
毎年、日本軍が玉砕した5月20日には、村を挙げて法要していると言う。 
我々は、ロッパチン村の卒塔婆に参拝し、あつく礼を申し述べた。
卒塔婆の中心に貼られた白い大理石に、雄渾な日本の文字で立派な追悼の詩が書いて
あるので、尋ねたとら、村長は「我等の尊敬してやまない牧野財士先生が書いたもの
です」とほほえんだ。 
シンハ元村長は、「この頃私は呆けましたが、死ぬまで日本兵の墓を守ります。
私が死んだら、息子(現在の村長)が引き受けます。その後は孫が守ります」と
まことに実直である。 この優しい老人の家(村長の家)は、余りにも質素(貧乏)
なので心が痛んだ。竹の家に、竹の寝台、竹のテーブル、鍋釜と槍だけである。 
牧野先生は「農地が無かったら老村長はカルカッタに行って出稼ぎ人夫になって
いた」と教えてくれた。 
家の前に3百坪ほどの水田と養鶏場と養鯉池もある。畑には豆類と薬草が植えられ、
やせた小菊や菜の花が咲いていた。完全な自給自足である。
我々がレッド・ヒルを見上げている時、シンハ元村長は「生き残った兵隊はいなか
った」と涙を浮かべてつぶやいた。

(平成9年6月25日号)

アジアの曙光 -6-

アセアンセンター代表 中島慎三郎
99文責:名無しさん:02/03/31 17:45 ID:EW3xtGWl
>>97-98
ありがとう!!!
イイ話だ。
100文責:名無しさん:02/03/31 17:54 ID:EW3xtGWl
==は、黒尾寛さんを理解者だと思って、色々べらべら話してるね。
・・・・・楽しみになってきた・・・・・。
101文責:名無しさん:02/03/31 18:00 ID:svOgLIYx
アジアと日本
「マレーシアとシンガポール」
平成10年12月15日掲載

http://www06.u-page.so-net.ne.jp/fa2/redfield/0503.htm

1991年、タイとの国境に近い、マレーシアのケランタン州の州都・コタバルに、
日本軍の上陸50周年を記念して、「戦争博物館」がオープンしました。
コタバル上陸作戦で日本軍の「銀輪部隊」が使用した自転車などが展示されており、
小規模なものですが、マレーシアの独立に日本軍が果たした役割が好意的に展示さ
れています。
102黒尾寛:02/03/31 18:51 ID:voVJULp4
>>100
私は、聞くべきは聞く、問うべきは問う、と思っていますよ。まあまあ、話も聞かず
嘘吐きと決め付けるのじゃあ、良くないですよ。
103文責:名無しさん:02/03/31 19:05 ID:VWN+5aew
>>102
話も聞かず
嘘吐きと決め付けるのじゃあ、良くないですよ。

聞きたくなくても==の話を聞かなきゃならない
この不快感!
そんなに聞きたきゃ別に2人でやってくれ。

104文責:名無しさん:02/03/31 20:00 ID:nffLu/At
昔、ネットウォッチ板で、まおちゃんという13歳の荒らし常習犯を
からかうスレがあったとき、こういう理解者のスタンスを持った人が
一人いただけで、おもしろいくらいに相手がひっかかって乗ってきた。
ここでやるかどうかは、まあアレだが、荒らしへの対応として、
非常に勉強になる部分が多いな、と感じます。

でも、笑っちゃうくらい、13歳の子とリアクションがそっくり。。。
105文責:名無しさん:02/03/31 20:03 ID:X8+/dFnF
>>102
聞いてますよ。むしろあっちから積極的に話してくる。
しかしその話に信憑性が無い。
色々と突っ込んでるんだけど、都合の悪いことには答えないし。
106文責:名無しさん:02/03/31 20:44 ID:ScesUKL2
>>34
前スレ813のシンガポール在住だが さんへ

遅レス済みません。
仰る部分、かなり同意できる部分はあります。

 このスレで語られる話題について、私としては、これでアジア諸国との関係云々と
いうつもりは有りませんし、政治運動にしようとも思いません。蒸し返すつもりも更々ありません。
 ただ、前大戦において悪行のみしか語られることがない日本の、決して新聞等に代表されるマス
コミでは公にされることのない、それ以外の部分を知るのも決してマイナスではないと思っています。

 ところで、私事で恐縮ですが、私の祖父は大戦中は仏印に居たと言っていました(工兵)。
その祖父について、戦時中にやったことに対する非難はともかく、やっていないことに対して
まで不当な非難を受けることには抵抗があります。
 亡くなった今となっては知る由もありませんが、おそらく祖父は慰安所に通っていたであろうし、
ひょっとすると民間人を殺したことがあるかもしれません。
 しかし、祖父が命がけで戦い、生還した戦争について、ひとつぐらい意義、マイナスでなかっ
たことがあったら……それが私がこのスレッドに参加している理由です。
そういうスタンスでこの手の話を語ることはいけないことでしょうか?
 だいたい、2ちゃんでこういう話をしたところで、軍国主義の復活に繋がるとは思えませんし。
 ある意味、精神的自慰なのかもしれませんがね。

 それから、戦後の親日、反日話については現在海外、特に東南アジア系の人たちと接する機会
がないので、体験された方からいろいろなお話を聞けるのは興味深いと思います。
人それぞれ、事情、体験等が違うので、1人そういう人がいたから国を挙げて親日だ、反日だと
いうのは噴飯ものだと思いますが。
  
107==:02/03/31 20:52 ID:2S6vRUsq
俺は、黒部寛氏のリクエストによって反日だけの話をしているだけ。
もちろん数多い海外での経験で親日というだからではなく、個人的
にはいい話や楽しい話も多いですよ。ここで書くのはスレ違いですし
書くつもりもありません。


>>86 誰も自分の経験が定説なんて思っていませんよ。私が経験した
反日話をしただけ。本当に日本がどう思われているか知りたいなら、
ここの先人達のくだらない話じゃなく、自分で海外に行くか、海外の
人と接していろいろ経験するか話を直接聞くことですね。あなたのいう
定説はここにかかれている先人達の話ですか?

>>92

私は誰もインドネシア人が日本のおかげで独立させてくれたと思ってる人
がいることは否定は一回もしてませんよ。ただ、それがすべてじゃないと
いってるだけですよ。


>>89

そんな考えだから日本は金さえ出せば何でも済むと思ってODAで援助する
わけですよ。

>>86

本当に華僑のゆすりだと思ってるの?インドネシアの教科書も日本同様
捏造だらけといいたいのかな?


先人たちの戦争を今更美化する話はもういい加減飽きたぜ。もっと個人の
実体験に基づいたものよろしく。
108文責:名無しさん:02/03/31 21:02 ID:Icti1eig
>>==

海外で日本人だからという理由でゆすられたらな、
たとえ屁理屈でも言い返せ。
そういう席での口論の負けは小規模な敗戦に等しい。
国の誇りをもって戦え。口論程度なら負けても殺されるわけじゃないんだから。
109文責:名無しさん:02/03/31 21:05 ID:X8+/dFnF
>>107
言ってることが変わってない?
前スレでは、自分がこういう体験をしたからアジアの人々は反日、
親日話はチンカスって喚いてただろ。

>誰も自分の経験が定説なんて思っていませんよ。

なのにあんたは他の人の言うことを妄想だ、チンカス話だと批判した。

>私は誰もインドネシア人が日本のおかげで独立させてくれたと思ってる人
>がいることは否定は一回もしてませんよ。

これもそう。あんたはこれに関連する話をウヨの妄想、チンカス話と否定した。

いまさら融和路線に走っても遅いんだよ。
110文責:名無しさん:02/03/31 21:08 ID:YIJcuH9x
>>107
悪いけどそちらさんの「実体験」をみんな疑ってるんだよ。
大体、その「実体験」とやらから「韓国人が日本人のふりする事などあり得ない」
とかトンデモない事を断言したのだろう。
もうちょっと考えてから発言したらどうかね?
111文責:名無しさん:02/03/31 21:12 ID:Icti1eig
>>110

そんな事いってたんですか。
大体スペイン語の重要性が全然わからない海外勤務って、
いったいどういう・・・。

112文責:名無しさん:02/03/31 21:19 ID:VWN+5aew
>>==
嫌われても罵倒されてもシカトされても
コテハン名乗って
何処までも何処までも何処までも憑いて来る懲りない奴!
ある意味尊敬する。
113文責:名無しさん:02/03/31 21:43 ID:g4tw4rsC
もしかすると、アジア諸国での反日の人は
朝日なんかが営々と努力した結果、生まれたのでは?
114地震見舞い:02/03/31 22:07 ID:BE0Ylzrt
もう13年近くも前になるが、ソ連東欧が崩壊し、俺は
「共産国家なるものを見る機会はこれが最後かもしれない」と考え
中国への旅行にいった。もっとも内容は完全に観光だったわけだが(w

さて、その中国旅行で桂林に行ったときのことだ。船で川を下る
ツアーに参加したところ、同船したおっさんから流暢な日本語で
声をかけらえた。
「君は日本の方ですか?」

そうだと答えると、そのおっさんは少し小声になって自分は台湾から
旅行で来たのだといった。俺はあまりに上手な日本語に驚き、戦前
日本が台湾を占領していたことを思い出した。

「日本語がお上手なのは、占領教育のせいですよね。何だか申し訳
ないような気持ちになります」その頃の俺はマスコミに洗脳された
学生だったので、そんな風におっさんに言った。すると、おっさんは
「あなたのような若い人が謝る必要ありません。それに日本は
台湾で沢山いいことしました。道路作ったり、国造りの基礎をしてくれた。
ほとんどの台湾人は日本に感謝しています」と笑ってくれた。

ところで、おっさんが俺に声をかけてきたのは、
実は「ガイドブック」が目当てだった。今はどうかしらんが、
台湾では政治的理由で、中国本土の旅行用ガイドブックは
ほとんど売ってないらしい。それで日本語OKのおっさんは、
俺のガイドブックを売ってくれと頼んできたのだ。
俺は本が既にかなり汚れていたので、昼飯だけ驕ってもらって
本は進呈した。

その昼飯の席で、台湾の人は日本を恨んでないのに、他の地域では
どうしても恨まれているのでしょう?と質問したが、
「他の国のことは判らないよ」とかわされてしまった。大人の対応。
115文責:名無しさん:02/03/31 22:07 ID:moJqEWLm
>>107
えっと誰も突っ込まないようなので聞きますが、
>インドネシアの教科書も日本同様 捏造だらけといいたいのかな?
日本の教科書って捏造だらけなんですか?
こういう場合、韓国や中国の教科書ならわかるんですが日本の教科書なんですね。
当方大学を出てしばらくたつもので最近の教科書事情には詳しくないのですが、
具体的にどんなものが捏造だと思っていらっしゃるのでしょうか?
116文責:名無しさん:02/03/31 22:08 ID:YVh2cuAf
私は、黒尾寛さんは==に「優しい」人かと思っていましたが、
他の板でのお話し振りを見ますと、どちらかと言うと私の考え方と近いと感じました。

ただ、唯一話を聞いてくれる黒尾さんを>>107で「黒部」などと書き間違える==は、
それだけでも無礼千万のチンカス。

いまごろ、なにげに軌道修正しているフシが見えるのも姑息。
軌道修正するならするで、先にすることがあるだろう。
あれだけ、誹謗中傷罵倒を繰り返したんだから。
117文責:名無しさん:02/03/31 22:19 ID:Icti1eig
日本の教科書の捏造話?慰安婦だの南京大虐殺だのの事やん。
118文責:名無しさん:02/03/31 22:22 ID:nffLu/At
根本的に捏造なのは、日本の歴史が
支配者階級にしいたげられ続けてきた労働者が
主権を勝ち取るまでの物語、と描きたがっている
点あたりじゃないでしょうか。
119文責:名無しさん:02/03/31 22:23 ID:Icti1eig
>>118

おー、それそれ。
日本国憲法も民定憲法だと思ってるくらいだしね。
あれは「暫定憲法」。
120文責:名無しさん:02/03/31 22:24 ID:iB5lT+Fx
電波少年、胸糞の悪い番組構成しているな。
121文責:名無しさん:02/03/31 22:33 ID:aJhSO7zZ
>>119
すみません。
暫定憲法というのはいわゆる占領下において
とりあえず作られた憲法という認識でよろしいのでしょうか?
122119:02/03/31 22:45 ID:D8Q7eLwq
>>121

うん。正確な用語として使われているわけじゃないだろうけど、そんなもんだと思う。
どう考えても日本人自らの民意でつくった憲法とは到底思えないし。
123119:02/03/31 22:49 ID:D8Q7eLwq
まあ、それを「追認」しているようなもんだといえばそうなんだけど、
追認or取り消しの機会・・・一度でもあったか?
124おなにすと:02/03/31 22:49 ID:6BZebDiP
>>107
親日話がスレ違い?
親日話が聞きたくて此処にいる私は、スレ違い?
>>==、貴方の知ってる親日話教えてよ。
125115:02/03/31 22:58 ID:moJqEWLm
>>118-123
なるほど、そういやそうでしたね。
なんとなく思い出してきましたよ自分の習った教科書の内容♪
でも、新しい歴史教科書は以前マスコミにも取り上げられたから知ってるけど、
その他の教科書が今どういう内容なのか良く知らなかった自分に気がつきちょっと鬱です。
で、==は日本の教科書についてどういった風に見ているのでしょうか。
回答を楽しみにしています。
126文責:名無しさん:02/04/01 00:13 ID:Gw42ztBa
>>85
だから君のように、真偽の定かでない、はなはだ怪しい
個人的与太話を、みんなにもして欲しいのか?
127文責:名無しさん:02/04/01 00:17 ID:Gw42ztBa
>>85
インドネシア?慰安婦?反日?
もうちょっと勉強するなり、下調べをした上でカキコするように。
インドネシア政府は、慰安婦騒動を、日本の左翼活動家の生みだし
た、ということを認めた上で、「われわれにはどうしようもない。
あなた方日本人の手でなんとかして欲しい」、と言ってるんだよ。
つまり、君のような無知な人間、悪質な人間を迷惑がってるんだよ。
128文責:名無しさん:02/04/01 00:21 ID:Gw42ztBa
>インドネシアは親日で、どこもかしこも日本まんせー何て
>思われていますけど、確かに親日の方は多いですよ。日本のおかげで独立
>できたなんていう人もいますよ

あ!すでに==は、こんな発言したんだ。
だったら終わってるじゃん(笑
129文責:名無しさん:02/04/01 00:23 ID:o/6poCCe
フィリピンでボルテスVがすげーブームだったらしいね。
軍の行進曲にも「ボルテスV」使うくらいの。
これを歌った堀江美都子さんがフィリピンに行ったときは国賓扱いで、
高速道路をふさいで堀江さんの乗る車を通行させたらしいの。

ちなみにこういう歌詞。

たとえ嵐が吹こうとも たとえ大波あれるとも
とびたとう戦いの海へ とびこもう戦いの渦へ
見つめあう瞳と瞳 ぬくもりを信じあう5人の仲間
ボルテスVに全てを賭けて やるぞ力のつきるまで
地球の夜明けはもう近い

「地球」「ボルテスV」「5人」差し替えるだけでかなり汎用性の高い国歌、軍歌に転用できるなこれ。
前番組のコンバトラーは独自の単語が多いのでこうはいかん。
130文責:名無しさん:02/04/01 00:23 ID:wjBrwExq
==って最初はネタだと思っていたけど真性なのか?
131文責:名無しさん:02/04/01 00:29 ID:Gw42ztBa
> 誰も自分の経験が定説なんて思っていませんよ。私が経験した
>反日話をしただけ。本当に日本がどう思われているか知りたいなら、
>ここの先人達のくだらない話じゃなく、自分で海外に行くか、海外の

君は最初から、親日話を「都合のよい話をしてるが、そんなのは
一部の話で、自分の経験から言って大概反日だ」みたいなスタンス
で発言してたじゃないか。
それに、先達の話、というのは、「アジアで日本は悪いことをした」
ということを根拠に「アジアは反日だ」と言ってる人たちの根拠を
根底から覆すことになるわけで、ソースもはっきりした話なんだから、
少なくとも君の真偽不明の与太話よりもずっと意義深い。
132文責:名無しさん:02/04/01 00:35 ID:qGr24Dip
バカサヨ坊主は朝日新聞社が1980年頃に出版した
「海外特派員」でも読んで目を醒ませ
ほとんどが「親日」話だぞ(W
朝日新聞紙上に連載されていた「海外特派員」なので
朝日信者向き(W
133文責:名無しさん:02/04/01 00:37 ID:o/6poCCe
親日だとしても、昔の南アフリカみたいなケースはあまり嬉しくないなあ。
(貿易額が多いので日本人は名誉白人。 今の中学地理教科書にはのってるかな?)
134文責:名無しさん:02/04/01 01:18 ID:mtXEpQQ7
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog002.htm
■1.日本への感謝■

 金では真の友人を得られないのは、個人レベルでも、国際社会で
も同じである。日本が厖大な経済援助を行っている中国の、我が国
に対する姿勢を見れば、この事は明らかである。

 真の友人を作るのは、共に汗を流し、そして時には、血を流さね
ばならない。これが国際派日本人の知るべき原則である。

 インド独立50周年を記念して、日印親善協会により全国5会場
で「インドの夕べ」が開催された。東京では、8月2日代々木公園
野外ステージで行われ、約8千人もの人が参加した。

 インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏は「イ
ンド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れま
せん」と、大戦中の日本の行動を賞賛した。[1]

 こういう挨拶を聞いてほとんどの日本人はびっくりするであろう。
しかし、皆さんにもしインド人の学生やビジネスマンとつきあう場
ができたら、ぜひ以下の歴史的事実を語り合って、友情を育んで欲
しい。
135文責:名無しさん:02/04/01 01:19 ID:mtXEpQQ7
■2.藤原機関■

 昭和16年9月、日米交渉が行き詰まり、対米英戦争が避けがた
い状況になった時、大本営参謀藤原岩市陸軍少佐は、マレー半島で
のイギリス軍の中核を占めるインド兵に対し、投降工作を行い、そ
れを将来のインド独立の基盤とする事を命ぜられた。そこで5名の
将校を加えた藤原機関が発足した。

 開戦後、日本陸軍がイギリス軍をなぎ倒して、破竹の勢いでマレー
半島を南下していった。そこにイギリス軍の一大隊が、退路を断た
れ、孤立しているとの情報が入った。イギリス人の大隊長を除き、
中隊長以下、すべてインド人との事である。

 藤原少佐は、一切武器を持たずに、この大隊を訪れ、大隊長に対
し、投降を勧めた。これで200名のインド投降兵の身柄を預かっ
たのだが、この中に、やがてインド国民軍の創設者となるモハンシ
ン大尉がいた。

 藤原少佐は、インド兵達と共にインド料理を手づかみで食べ、彼
らを驚かせた。イギリス軍の中では、こうした事は決してなかった
からである。これを機に、藤原少佐はモハンシン大尉に、この戦争
が長年、欧米に支配されてきたアジア独立の絶好の機会であり、
インド投降兵を組織して、インド国民軍を創設すべき事を説いた。
136文責:名無しさん:02/04/01 01:19 ID:mtXEpQQ7
■3.インド国民軍の創設とチャンドラ・ボース■

 こうして昭和16年12月末に発足したインド国民軍は、各地で
イギリス軍中のインド兵を説得して、次々と自軍に加え、シンガポー
ル陥落時には、数万人の規模に達した。

 ここで、インド独立の志士チャンドラ・ボースが登場する。イギ
リス官憲の弾圧を逃れて、ドイツにいたボースは、18年5月、日
本に移って、東条首相からインド独立支援の約束をとりつけるや、
シンガポールに乗り込んだ。そして、インド国民軍総帥の地位につ
き、さらに自由インド仮政府を作って、英米に宣戦布告した。

 昭和19年1月のインパール作戦は、ボースがインド解放のため
に、「デリーへ」の合い言葉のもと、すべてをかけた戦いであった。
北ビルマから、インド東部に進攻、インド国内の独立活動を激化さ
せて、イギリスを一気に追い出そうとするものであった。

 しかしイギリス軍の日本軍に数倍する兵力と、雨期に入り、物資
補給が続かなくなった事から惨敗、参加した日印10万の将兵の内、
死者は3万人を数え、インド国民軍も8千の犠牲者を出した。冒頭
の「日本人が共に血を流してくれた」とは、この事である。
137文責:名無しさん:02/04/01 01:19 ID:mtXEpQQ7
■4.インド独立■

 日本の敗戦後、イギリスはインド国民軍に参加した約2万名の将
兵を、反逆罪で軍事裁判にかけようとしたが、ガンジー、ネルー率
いる国民会議派は、「インド国民軍将兵は、インド独立のために戦
った愛国者である」として、インド全土での反英運動を展開した。

 イギリスは約2年間、弾圧を続け、数千の死傷者を出したが、つ
いにインドの独立を認めた。その際に、「インドの独立は、日本の
お陰で30年早まった」と、藤原は感謝されている。

 こうした経緯から、インドは戦後の日本に対してきわめて好意的
であった。戦争賠償の請求を放棄し、また東京裁判でも、インド代
表のパール判事が、ただひとり「日本無罪論」を唱えた。さらに復
興後の日本の国連入りをネルー首相は強力にバックアップしてくれ
た。
138文責:名無しさん:02/04/01 01:20 ID:mtXEpQQ7
■5.復権するボース■

 ボースは、終戦の混乱の中、台湾で事故死する。インド政府は、
独立50周年を機に、国会議事堂の構内にボースの銅像を建て、ま
た誕生日の1月12日を、インド共和国の正式の祝日とした。

 シンガポールには、ボースがインパール作戦の犠牲者を弔うため
に建てた「無名戦士の墓」があったが、イギリス軍によって爆破さ
れていた。戦後50周年の95年、シンガポール政府はこれを「イ
ンド国民軍記念碑」として再建した。それには「インド国民軍は、
1942年、英国からインドを解放するため、日本軍の支援を受け
て、シンガポールで創設された」と記されている。
 
 同じく95年、インドから来日したムカジー外相夫妻は、東京杉
並区にある蓮光寺を訪ねた。ここに今もなお、ボースの遺骨が手厚
くまつられているからである。
139文責:名無しさん:02/04/01 01:21 ID:w2IYuP97
■6.巨大な友邦■

 インドは、自由選挙を行っている世界最大の民主主義国である。
最近の自由化政策が成功して、経済も好調である。また法治主義も
定着し、投資先としての信用度は中国をはるかに上回る。そして反
英米感情から、日本企業を歓迎するムードも強い。

 インドとの友好関係をさらに発展させれば、ここに日本は親日的
かつ民主主義的な9億人もの人口を抱える巨大な友邦を持つことに
なる。それは、アジアの火薬庫・中国に対するカウンターバランス
としても大きな力となるであろう。
140文責:名無しさん:02/04/01 01:25 ID:w2IYuP97
因みにインドでは、核実験で日本がインドを非難するまでの間、
八年連続で、「好きな国」で第一位だった。
141文責:名無しさん:02/04/01 11:16 ID:lCWTlj/I
降臨待ちage
142体験談くん:02/04/01 12:27 ID:PDuRE5KE
モルジブに行ったときの話をしよう。
あれは90年代前半だった。

たまたま、むこうに行ったときがラマダンの時期だったので、
向こうの人達は日中は水も食べ物も口にしていなかった。
だが、そんな中でも観光客の相手はせにゃならん。

俺はそんなモルジブの人達に気兼ねして「頑張って」などと
声をかけていたら、彼らは「気にしなくて良いんだよ。
僕等は慣れているから。でも、ありがとう。そういうことを
気にしてくれるのは日本人だけだ」と、握手をもとめてきた。

ウェイターをしていた彼とはその後も何かと会話がはずみ、
いろいろ面白い話を聞いた。
例えば、観光客が酒を飲むのはどう思うかと聞いたら
「僕らには他の娯楽があるから」と暗に他の代替手段を臭わせていた。

さらに、イスラムの国に風俗はあるのかと聞いたら、ストリップが
あるという。女性の肌は厳禁では?と、突っ込むと
「彼女たちはスリランカからの出稼ぎだ。異教の肌は問題ないんだ」
と言って笑っていた(本人達も一応詭弁だと判っている様子)。

さて、そこで彼にムカツク国はどこだ?と尋ねたら
「日本人は優しいし、チップもはずんでくれるので本当に好き」
「ムカツクのはアメリカ人。ムスリムは湾岸戦争許さない。
威張っているが、頭悪いし最悪。あと、ケチなのはフランス人かな」
「日本も湾岸戦争に金出したのは知ってる?」
「知っている。あのニュースには失望した。でも日本は経済でも
アメリカに対向しているし(時期的にバブルの印象が強かったらしい)
尊敬している」

それからも彼には「がんばってくれ。君たちはムスリムではないが友人だ」
と繰り返し言われた。モルジブはイスラムであり同時にインド圏の国なので
当然の感覚なのだろうか。ここのみなが期待している半島関係の話はなかった。
「韓国ってどこだっけ?」だそうだ。
143どいたかっこ:02/04/01 13:30 ID:23Olkr2j
第2次大戦中、日本軍政下のインドネシアで従軍慰安婦にされた女性たちの
体験をまとめた本が3月下旬、ジャカルタで出版された。著者は同国を代表
する作家、プラムディア・アナンタ・トゥール氏。従軍慰安婦問題について
は90年代以降、日本人の手で掘り起こしが進んでいるが、この記録はそれ
よりはるかに早い時期にまとめられた。(ジャカルタ=長岡昇)

 本のタイトルは「軍にもてあそばれた乙女たち」(出版社グラメディア)。
70年代、スハルト政権下でプラムディア氏がブル島に流刑されていた時期に、
政治犯仲間の協力で島の女性や住民の体験談を集め、記録した。氏によると、
長く原稿のまま書斎に埋もれていたが、昨年、福岡アジア文化賞を受賞して訪
日した際に思い出し、四半世紀ぶりの出版となった。

 中部ジャワ・スマラン出身の女性の体験が掲載されている。彼女は14歳
の時「東京に留学させてあげる」と誘われ、44年に200人余りの女性と
ともにブル島に送り込まれた。島では日本軍がパラトマダ山に地下基地を築い
ており、女性たちはそこで日本兵の相手をさせられたという。山ろく部の基地
で働かされた女性の証言もある。

 戦後、女性たちの多くはブル島に取り残され、島に送り込まれた政治犯たち
に初めて身の上を語った。島で、プラムディア氏自身は厳しい監視下に置かれ
ていたが、一般の政治犯は農作業などに出され、地元の住民と接する機会があ
った。

 プラムディア氏は「日本はインドネシア人に西欧の植民地主義と戦うことを
教えた。一方で、従軍慰安婦や労務者(強制労働)の問題がある。どちらも、
私にとっては重要なことだ」と語る。

 90年代半ばに、日本やインドネシアの民間団体が元従軍慰安婦や日本兵に
暴行を受けた女性の調査をしたが、人権侵害の全体像はいまだに明らかになっ
ていない。

 日本占領期のインドネシアに詳しい慶応大学の倉沢愛子教授は「インドネシ
アの従軍慰安婦問題を正面から扱った本が出版されるのは初めてだと思う。ブ
ル島のような人口の少ない島に、多数の女性が送り込まれていたというのは驚
きです」と話している。

 
144どいたかっこ:02/04/01 13:38 ID:23Olkr2j

日本の紫金草合唱団のメンバー35人が25日、南京大虐殺遇難同胞記念館
の記念碑前で、南京大虐殺の中国人犠牲者30万人を合唱で追悼した。
同合唱団は南京に平和へのメッセージを込めた紫金草の園を設けるため
に訪れた。

 南京の鼓楼地区で育った藤井亜子さんは、旧日本兵を代表し記念館に
当時の虐殺の証拠となる南京中華門付近で撮影した写真を贈呈。メンバ
ーのひとり千野誠治さん(75)は「これまでは足がすくんで動かなくな
ってしまうのではないかと思い、こわくて南京に来ることができなかっ
た。今日は贖罪(しょくざい)のために来た」と記念碑の前で涙を流し
ながら語った。千野さんはまた「まだ侵略戦争の真相を知らない日本人
も多い。われわれには多くの日本人に自分たちが戦争の加害国であるこ
とを知らせる責任がある」と強調した。
145文責:名無しさん:02/04/01 13:45 ID:aCmvqI8+
不況で企業がマイナス成長だっていうのに、
南京をはじめとする戦争の死者は毎年、10%成長を続けています。
146どいたかっこ:02/04/01 14:06 ID:23Olkr2j
 93年8月、当時の河野洋平官房長官は戦時中の従軍慰安婦問題で
「強制」があったと認めた。同月、細川護煕首相も「侵略戦争であった
」と発言した。

 こうした流れの中で、中学歴史教科書を発行していた7社すべてが、
97年度版で初めて「従軍慰安婦」を取り上げた。

 96年5月、このことが一斉に報道されると、右翼団体の激しい街宣
行動が始まった。教科書会社幹部や執筆者宅に脅迫状が送りつけられた
。ある執筆者に来た脅迫状にはこうあった。

 「拝啓 偏向自虐的教科書の出版は 国家転覆陰謀罪を構成致します


 執筆者の自宅の写真や「『赤報隊』精神に続け」と書かれた紙が同封
されていた。

 97年春には、朝日新聞大阪本社を100台以上の街宣車が取り巻い
た。

 「新しい歴史教科書をつくる会」が正式発足したのは、同年1月。学
者、文化人、財界人らが名を連ね、全都道府県に支部ができた。会員の
中には、「日本を守る国民会議」の後身「日本会議」のメンバー、「大
和魂の振起」などを掲げる宗教団体「キリストの幕屋」(本部・熊本市)
の信者らもいる。

 「つくる会」の学者らの中学歴史教科書は今年、検定に合格したが、
採択率は1%未満だった。「従軍慰安婦」を記述した教科書も1社だ
けになった。

 「従軍慰安婦」の記述が中学歴史教科書に一斉に登場した97年当時
、文相だった小杉隆・前自民党代議士はこう話す。

 「慰安婦問題に限らず、歴史の事実を事実として教える。それが教科
書だ。この考えは今も変わらない。あの戦争についての反省は当然、あ
る。『つくる会』の動きが活発だが、過去をすべて正当化しようとする
主張への賛同者が増えるとは思えない。物事は国内、国際の両方から複
眼的に見るべきだ」
147文責:名無しさん:02/04/01 14:07 ID:Q689vtJ2
B級ネタですが・・・

日本軍にとって手痛い敗北であり、悲惨な結末となったインパ
ール作戦。日本軍兵士は次々に力尽き、道端には死体の山がで
きていった。

「白骨街道」と呼ばれたその惨状を見たイギリス軍将校は、敗
走する軍隊の悲惨さを痛感したという。

しかし、インパール作戦を目撃していたインド人は、弾薬も尽
き食料もなく、衣服もボロボロになりながら、なおも戦おうと
する姿に尊敬の念を抱くとともに、彼等はここまで必死に戦っ
ているのに、我々は今までいったい何をしてきたのかと自戒の
念にかられたそうです。

♯これは余談ですが、イギリス軍の傭兵として戦っていたグル
♯カ兵は、たびたび日本兵の幽霊を目撃したことから、日本人
♯は魂で戦っていると思ったとか思わないとか・・・
148通りすがりの装甲巡:02/04/01 14:28 ID:yzmrugQ1
>どいたかっこ
おお、久々だが・・・
>>143
“日本軍の”強制連行でも無ければ反日でもないな
>>146
がいしゅつ話ばっかじゃん
ちなみに>>144の紫金草合唱団↓
http://www.google.co.jp/search?q=%8E%87%8B%E0%91%90%8D%87%8F%A5%92c&hl=ja&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=lang_ja
・・・・真っ赤っ赤やね、何気に本勝の名前見えるし(藁。
復帰記念としても29点、赤点ギリギリです
次の“新ネタ”待ってます。
149文責:名無しさん:02/04/01 14:32 ID:8KBoYnIL
>どいたかっこ

そろそろ、名前変えた方がいいんじゃないか?
150文責:名無しさん:02/04/01 14:36 ID:AFnPNFT/
>>146
従軍慰安婦問題は事実なのか?
あと戦争の正当性云々とか言うけど、これって国民自身が考えることじゃない?
なんか今の教科書ってのは、戦争の責任について押し付けがましい内容だと思う。
中国や韓国、左翼系からの圧力によるものなんだろうけど、
当時の日本について少しでも良い印象を与えるような記述をすると、
「戦争を正当化、美化してる」なんて言ってくるし、ひどいね。
それも一応は事実なのに、一方的な情報のみを植え付けられて思考停止させられてる感じが。
151文責:名無しさん:02/04/01 14:40 ID:aCmvqI8+
あの戦争だけではなく、過去の歴史に遡って、
すべての権力者は庶民に残酷なことをした「悪」と
断じているんだよね。
152文責:名無しさん:02/04/01 14:49 ID:aGdF+xCJ
>従軍慰安婦問題は事実なのか?
「日本軍」が「組織的」に「強制連行」したとは書き込まれてないね。そして例によって1次資料の提示も無いし。
153文責:名無しさん:02/04/01 15:04 ID:8KBoYnIL
きょうは、(アメリカでは)「イースター」。
その行事に忙しくて来られない人がいるようだ。
154どいたかっこ:02/04/01 18:16 ID:23Olkr2j

 【ジュネーブ大木俊治】ジュネーブで開かれている国連の人権促進保護小委
員会は16日、各国政府に対し、戦争中の性的奴隷制度の問題に関する人権教
育の促進を求めることなどを盛り込んだ決議を採択した。決議では直接の名指
しは避けたが、教育課程の中で、歴史的事件を正確に教えるよう求め、間接的
ながら初めて日本の教科書問題に一定の注文をつけた。
 決議では、日本の従軍慰安婦問題に関するこれまでの論争を踏まえ、教育課
程の中で「歴史的事件の正確さを保証し」、これらの問題に関する「人権教育
の促進を各国政府に奨励する」としている。

 同委員会の審議では、韓国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の代表、日
本の非政府機関(NGO)などが現在、論争になっている日本の歴史教科書の
問題を取り上げ「歴史をゆがめるもの」などと批判。

155文責:名無しさん:02/04/01 18:19 ID:jBb6wvxX
>>154
↓こちらへどうぞ
国粋マスコミが伝えない反日の話
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015487511/

お互いに盛り上げて行きましょう。
156どいたかっこ:02/04/01 18:24 ID:23Olkr2j
【香港・成沢健一】旧日本軍による香港占領から今年12月で60周年
となるのに合わせ、香港で15日、市民団体などが主催し、旧日本軍に
よる戦争被害者が体験を証言する集会が2日間の日程で始まった。
 中国や韓国、フィリピンなどの元従軍慰安婦や南京大虐殺(1937
年)の生存者らが参加。初日の15日は、日本政府に賠償を求めた元従
軍慰安婦訴訟の原告の1人、中国山西省の李秀梅さん(73)が「15
歳の時に5カ月間、洞くつに閉じ込められて暴行を受けた。今も悪夢に
うなされる。家族が多額の金を払って家に戻れたが、母は自殺していた
」と証言した。

 また、中国・湖北省から出席した袁竹林さん(80)は「日本軍が管
理する寺に連行され、『抵抗すると、殺す』と脅された。慰安婦を強い
られ妊娠し、薬で流産させられた」と涙ながらに話した。

 集会では、日本軍による強制連行の実態や「731部隊」による細菌
戦についての証言も行われる予定。

[毎日新聞]
157どいたかっこ:02/04/01 18:29 ID:23Olkr2j
【サンフランシスコ清宮克良】米サンフランシスコで開かれている対
日講和条約調印50年記念シンポジウムは7日、日本の戦争責任をめぐ
る問題について議論した。また、別の会場では中国系住民をを中心に、
南京大虐殺や従軍慰安婦など戦時中の日本の行為を糾弾する集会も開催
された。
 大戦中に日本企業に強制労働させられた元米捕虜による訴訟を支援す
る日系のホンダ下院議員は「日本は誤りをただして経済的な責任を負う
べきだ」と指摘。ナチス犯罪を追及する作家のレービン氏は「ドイツの
ように道義的責任から賠償をすべきだ」と述べた。
158文責:名無しさん:02/04/01 18:34 ID:xOknIjIL

いやはや、北朝鮮に日本の教科書に問題ありと云われてもねえ。
159どいたかっこ:02/04/01 18:35 ID:23Olkr2j
ワシントン18日斗ケ沢秀俊】1930〜40年代に旧日本軍人の「慰
安婦」を強要されたとして、アジア4カ国の女性15人が、満州事変か
ら69周年に当たる18日、ワシントンの米連邦地裁に日本政府を相手
取り損害賠償請求訴訟を起こした。元慰安婦による訴訟は米国では初め
て。元慰安婦や支援グループは提訴後、在ワシントン日本大使館前で抗
議行動を繰り広げ、日本政府や天皇の謝罪を求めた。
 提訴した女性の国籍は韓国6人、中国、フィリピン各4人、台湾1人
で、いずれも70〜80歳代。多くの元慰安婦を代表した集団訴訟とし
て今後も原告が増える可能性があり、訴状には請求金額が明記されない


 訴えによると、原告の女性たちは工場やホテル清掃の仕事だと偽って
慰安施設に連れて行かれ、旧日本軍人相手の性行為を強要された。殴る
などの暴行も繰り返し受けたという。

 原告の一人の韓国人女性は過酷な体験を語り、「日本政府と天皇に公
式に謝罪してほしい」と訴えた。原告や支援グループは同日午後、日本
大使館前にプラカードを持って集まり、「日本は謝罪を」と要求した。
160文責:名無しさん:02/04/01 18:35 ID:DQ8tZ60N
>>158
ブラックユーモアというのはこういうことをいうんだな(w
161文責:名無しさん:02/04/01 18:36 ID:jBb6wvxX
>>159
↓こちらへどうぞ
国粋マスコミが伝えない反日の話
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015487511/

お互いに盛り上げて行きましょう。
162親中親韓:02/04/01 19:15 ID:2MkmQJ0C
いい流れになってるな〜♪
憲法に関しては民定でいいんじゃない?
よく言われることだけど、アメリカは反共の砦として
特に朝鮮戦争勃発時なんかは日本を参戦させるため
そりゃもうどうにかして改憲させたがってたわけで。
それをがんばって食い止めたのが再軍備反対論者の吉田茂なわけで。
で、@当時まだGHQの占領下。一日も早く独立の誇りを取り戻したい!
Aだから、アメリカの言うこと聞かんとだめ。
Bでも、軍備したくない。
というディレマの中で生まれたのが警察予備隊だったわけで。
これが、公職追放されてた再軍備派の鳩山一郎が首相だったりしたら
間違いなく、改憲→再軍備でしょ。
あのとき、吉田茂がアメリカの改憲要求を拒み世論がそれを支持したことが
「追認」って言っていいんじゃないでしょうか?関係ないのでサゲ

163親中親韓:02/04/01 19:32 ID:2MkmQJ0C
台湾に親日の人が多いのは国民党支配が苛烈だった事もあるのかもね。
大学の台湾出身教授(60歳くらい?)とお茶したときに色々聞いた。
教授いわく、軍政は嫌だったけど日本はインフラを整備してくれたから、
まだよかった。
国民党は思想統制で何万人も連れて行き、ほとんどみんな行方不明に。
この教授のお兄さんも何十年も前に国民党に連れて行かれてそのまんまらしい。
この教授自身、国民党の思想審査せいで留学先の日本から
台湾に帰るに帰られず、結局日本にいついてしまわれたとのこと。
そういうことがあって日本のほうがだいぶましだった、と思えるのがあるのかも。
この先生自身、日本が建てた台湾大学(旧台北帝国大学ね)出身ということもあって
そういう考えなのもあるかもしれませんけど。

ちなみにこの教授が思想審査に引っかかったのは
日本での政治活動のせいだったらしい。
何年か前の総裁選では当時から思想を同じくする台湾大学時代の後輩が
立候補したので応援に台湾に帰ってたとか。

そんなこんなで陳水扁氏はこの教授が台湾に帰ると酒を飲みに来る。
164名無し:02/04/01 20:44 ID:TWIPKbfu
なんだ、どいたかっことかいう奴の書いているのは
どれも同じようなソースで、それも一人で書いてるだけじゃん。

オナニーは済んだか?気持ちよかったか?
じゃあクソして寝ろ 馬鹿が ぺっ
165文責:名無しさん:02/04/01 20:47 ID:Pj/PZpYp
>ナチス犯罪を追及する作家のレービン氏は「ドイツの
>ように道義的責任から賠償をすべきだ」と述べた。

それは良かった!
ならドイツのように日本は戦後に引き揚げた日本人の財産を中国や韓国に
請求して良いし、慰安婦になぞビタ一文出す必要は無いわけだ!
ドイツを引き合いに出すなど「墓穴を掘る」もいいところだね(笑)
166文責:名無しさん:02/04/01 21:03 ID:O66VOTON
>>164

オナニーだオナニーだ言ってるけどなー。じゃあ貴様らがやっている事は何だ?SMじゃねえか。
167文責:名無しさん:02/04/01 21:48 ID:fIzXfJW+
>>166
そのたとえまるでわからん
168文責:名無しさん:02/04/01 21:56 ID:O66VOTON
>>167

日本人を虐待してorアジア諸国様に虐待されて喜んでる、ってことだよ。
169文責:名無しさん:02/04/01 21:57 ID:fIzXfJW+
>>168
いや・・・?ぜんぜんわからんぞ?
>>164もう一回読め。たぶんそれで全て解決する。
170ガイシュツあればスマソ:02/04/01 22:38 ID:BvAtAWvD
>>1
汚名は返上ね。
名誉を挽回しなきゃ。ネタならすまぬ。
171前スレ813のシンガポール在住だが:02/04/01 22:46 ID:WJSrec9c
>>106さん、レスポンスをありがとうございます。

こちらも遅レスで申し訳ない。まだ、見ていらっしゃると良いのですが。(何分にも帰宅が遅いので、
毎晩2ちゃんWatchなどしていると睡眠時間が無くなってしまいます。ご了承ください)。

僕からも、あなたのおっしゃられる106に、特段の異論はありません。もう、お分かり頂いている
ものと思いますが、僕が老婆心で心配しているのは、2ちゃんと現実の区別のついていないであろう
若い方のことのみです。自覚の上でBBSを楽しまれる分には何の問題もないと思いますよ。

ただ、どうも、ここまで来てようやっと分かってきたのですが、...どうやら「ウヨ対サヨ」議論と
いうのは、想像してきたようなものではなく、現実の政治、戦争、民族などの問題からは全く
遊離した、極めて形而上な議論らしい事に、遅れ馳せで、やっと「場が読め」て来まして、
どうやら、紛れ込んでしまったシロートが、2002年における実状について長文でマヂレスしたり
というのは、スレ違いの大バカヤローだったなぁ(苦笑)。と反省しています。

というようなわけで、地球市民さんには>>61で、せっかく参考スレをご紹介頂いたんですが、
僕はどうやら「ウヨ対サヨ」には、興味がもてそうにありませんですな。いや、本当に
せっかくで申し訳ないんだが。

以後、僕的には「==君と楽しく遊ぶスレ」、もしくは「気が向いたらシンガポールの市民生活を
紹介してみるスレ」というスタンスで行かさせて頂きます。
172前スレ813のシンガポール在住だが:02/04/01 23:01 ID:WJSrec9c
>>85 ==君もレスポンスをありがとう。

==君が、事実だ。とおっしゃるのであれば、それを受け入れるしかありませんな。
まぁ、でも、あなた自身がいわれる通り、一般にはもっと冷静な反応だった。また、
反日。というよりは、反味の素であった(そもそも、味の素の東南アジアでの戦略が
かなり胡散臭いところに既にベースがあった)。とは思いますが。

ところで、これは煽りのつもりでは無いので、怒らないで、冷静に聞いて欲しいのですが、

   ==君と僕とはパラレルワールドに住んでいるのか?。

について、あなたは、御自身が日本人だから嫌われるのではなく、あなた自身の
個人的な理由で嫌われている可能性はお考えになりませんか?。例えば、無意識の
内に外国人に対して倣岸な態度で接していたりしませんか?。もし少しでも
思い当たる点があるのであれば、多国籍企業に勤務される==君には大きなマイナス
だと思いますので、ご注意なさったがよろしいかと。本当に老婆心なのですがね。
僕にはどうしても彼我の違いが附に落ちんのですよ。
173前スレ813のシンガポール在住だが:02/04/01 23:52 ID:NZs+Y6JE
なんだか、今夜は僕しか居ないみたいですな。連続で申し訳なし。

これは、==君以外の若い方に

http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015347757/907
> but I am not familiar with English even thogh I am working
> with this company. Pls, understand I am just engineer and I am not
> used this kind of remarks.

を補足させてもらいたいのですが、「エンジニア"にも関わらず"英語は余りなじんでいない」
という言い方はあっても、「単なるエンジニア"なので"英語は余りなじんでいない」という
言い方は、世の中にはありませんよ。くれぐれも誤解なさらないように。

ご存知の方はご存知でしょうが、この分野、ずいぶんと前から、ものすごい勢いで、
国境というものがなくなりつつあります。良きにつけ悪しきにつけ「エンジニアの公用語は
英語」です。(僕自身は、英語はシンプルである以外にこれといった美点の無い言語だと
思っています。全くの余談ですが、UNIXを7ビット系で設計した人に少しでも意図が
あったのであれば、それはスゴイ先見性でしたな)。それは、日本国内に住んでいる、
日本企業のエンジニアにとってすらも、そういって過言ではないと思います。さらに
技術分野以外もそうなりつつありますね。あなたの就職先の上司が外国人かもしれない日は
余り遠くでもないという事です。

   英語は勉強しておいて損はないですよ。<ALL

で、そういう訳で、「英語が通じてスペイン語が通じない国=インド 」は、チョット
認識不足ですね。本社がスペインにあろうがフランスにあろうが、多国籍企業の技術者の
共通語は英語です。トルシエさんのインタビューが仏語なのに、ゴーンさんのインタ
ビューは英語なのには気がついていましたか?。

http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015347757/739
プロファイルのキーワードとしては、(1)SE(=ソフト屋さん?)にもかかわらず、
同僚にインド人がいない事が、若干特殊。(2)さらに言えば、多国籍企業なのに韓国人、
中国人がいない点も特殊。(3)ノルウェー、フィンランド等の北欧の国に==君のような
技術者が出張する必要のある技術部門を持つ会社は余り多くない。なにせ人口がそんなに
多い国じゃないですからね。最初の2つから、アメリカが本社の可能性はかなり薄いかなぁ。
3番目から、ズバリ==君の勤務先所在地は横須賀?。まだ、決め付けるのは早いか(苦笑)。

北欧の食べ物がまずい。というのには激しく同意。僕は学会かなんかで一回ウプサラに
行った事があるだけですが、おいしいものは何もなかった。というか日本人の口には、
全く合いませんでしたねぇ。

最後に==君になんですが、SEという職種であれば、NDAその他の契約書を
交換したり、お付き合いのある他社との時候の挨拶を交わしたり。というのも業務の内で
あろうと思います。上記のような自信の無い事をおっしゃられていてはいけませんな。

174親中親韓:02/04/02 00:10 ID:U1ufVcBu
わーい、シンガポール在住さんだ。
完璧に激しくスレ違いなんですけど、シンガポールのどっかにある
”Our Glory Died”(たぶんこんなん)とか書いてある黒いでっかい石碑をご存知ですか?
二年程前、一人でシンガポールをぶらぶら歩いていたときに偶然見つけたんですけど、
ガイドブックも持ってなかったので、なんだか分からなかったけど
イギリス軍と日本軍の戦いの記念碑かなんかかなー、と勝手に思ってました。
ちょっと気になってるんでもしご存知でしたらお教えください。
175文責:名無しさん:02/04/02 00:33 ID:zr2U/5jM
「どいたかっこ」って、ネタでやってるの?
とっくに破綻したことをまだ繰り返してるし。
思考停止、というやつなのかな?
176文責:名無しさん:02/04/02 00:34 ID:zr2U/5jM
<平成九年三月九日 産経新聞 一面トップより>

「従軍慰安婦」をめぐる平成五年八月の河野洋平官房長官談話で、「強制連行」
を認めたくだりは、政府調査から導き出されたものではなく、
談話発表の直前に韓国で行った元慰安婦十六人からの聴き取り調査
に基づくものだったことが八日、当時の官房副長官、石原信雄氏(七十)
の証言でわかった。
しかし、元慰安婦の証言はいずれも裏付けがなく、一方的な被害証言
による「従軍慰安婦の強制連行」が「歴史的事実」として今日まで独り歩き
している。

<97年数カ月におよぶ産経、朝日社説の応酬><河野談話について>
93年の「河野談話」について、当時官房副長官として補佐した石原信雄氏の
「いくら調べても日韓双方に強制連行を示す証拠がない」という発言を載せ、日
韓関係を考慮した「政治的判断」で河野談話が生まれた事を報じた。
櫻井よし子氏のインタビューで、櫻井氏の「もし、日本政府の個人補償を求めると
いう話になるとしたら、強制性を認めなかったということですか?」という質問に
対して、石原氏は・・・・・
「それはそうです。国家補償の前提としての話だったら、通常の裁判同様、厳密な
事実関係の調査に基づいた証拠を求めます」と答えている。
また、「では、そうではないという前提で、強制性はいわば善意で認めたのですか?」
という質問には・・・
「そうです。両国関係に配慮してそうしたわけです」と発言している。
慰安婦問題について産経、朝日両紙が社説で応酬。事実上朝日が打ち切り惨敗。
177文責:名無しさん:02/04/02 00:36 ID:zr2U/5jM
 日韓関係と同様、インドネシアとの間でも、慰安婦問題が焚き
つけられた。平成5年に高木健一氏(金学順さんらの日本政府に
対する訴訟の主任)ら、日本の弁護士3人がインドネシアにやっ
てきて、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦
は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出した。[5]

 兵補協会のラハルジョ会長は、「補償要求のやり方は、東京の
高木健一弁護士の指示を受け」、慰安婦登録を始めた。会長は取
材した中嶋慎三郎ASEANセンター代表に対して、「慰安婦に2百
万円払え」と怒号したというから、名乗りでれば、2百万円もら
えると宣伝している模様であった、と言う。

 インドネシアでの2百万円とは、日本なら2億円にも相当する
金額なので、大騒ぎとなり、2万2千人もが元慰安婦として名乗
りをあげた。ちなみに、当時ジャワにいた日本兵は2万余である。

 この様子を報道した中京テレビ製作のドキュメンタリー「IA
NFU(慰安婦)インドネシアの場合には」に、英字紙「インド
ネシア・タイムス」のジャマル・アリ会長は次のように語った。

 ばかばかしい。針小棒大である。一人の兵隊に一人の慰安婦
がいたというのか。どうしてインドネシアのよいところを映さ
ない。こんな番組、両国の友好に何の役にも立たない。我々に
は、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオラ
ンダにだって要求しない。
178文責:名無しさん:02/04/02 00:36 ID:zr2U/5jM
 ちなみに、この番組では、元慰安婦のインタビュー場面が出て
くるが、ここでも悪質な仕掛けがあった。元慰安婦が語る場面で、
日本語の字幕で

 戦争が終わると日本人は誰もいなくなっていたんです。私た
ちは無一文で置き去りにされたんです。

 と出ているのだが、実際には、インドネシア語で、

 あの朝鮮人は誰だったろう。全員がいなくなってしまったん
です。私たちは無一文で置き去りにされたんです。

 と話していたのであった。慰安所の経営者は朝鮮人であり、戦
争が終わると、慰安婦たちを見捨てて、姿をくらましたのである。
179文責:名無しさん:02/04/02 00:37 ID:zr2U/5jM
 この番組の予告が、日本共産党の機関紙「赤旗」に出ていたこ
とから、インドネシア政府は、慰安婦問題の動きが、共産党によ
り、両国の友好関係を破壊する目的で行われていると判断したよ
うだ。

 スエノ社会大臣が、すぐにマスコミ関係者を集め、次の見解を
明らかにした。

1) インドネシア政府は、この問題で補償を要求したことはな
い。
2) しかし日本政府(村山首相)が元慰安婦にお詫びをしてお
金を払いたいというので、いただくが、元慰安婦個人には
渡さず、女性の福祉や保健事業のために使う。
3) 日本との補償問題は、1958年の協定により、完結している。

 インドネシア政府の毅然たる姿勢で、高木弁護士らのたくらみ
は頓挫した。この声明の後で、取材した中嶋氏は、数名のインド
ネシア閣僚から、次のように言われたという。

 今回の事件の発端は日本側だ。悪質きわまりない。だが、我
々は日本人を取り締まることはできない。インドネシアの恥部
ばかり報じてインドネシア民族の名誉を傷つけ、両国の友好関
係を損なうような日本人グループがいることが明白になった。
あなた方日本人の手で何とかしてください。
180文責:名無しさん:02/04/02 00:39 ID:mtvZU3z5
日中友好協会の集まりで、日本側の出席社の一人である村松
剛氏が中国の孫平化会長に向かって、「南京虐殺というけど、
・・・人口は二十万しかいないのに、どうやって三十万人殺
せるんですか。・・・ひじょうにおかしいと思うから・・
国際調査委員会を作る、その上で話を決定しようじゃありませ
んか」と語りかけたところ、「その必要はない。三十万という
数字は、中国共産党の決定として、もう決まっているんだ」と
答えたという。
「南京」をめぐる情報戦の本質を、これほど露わにした言葉も
ないだろう。

「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究/藤岡信勝、東中野修道
181文責:名無しさん:02/04/02 00:41 ID:mtvZU3z5
 しかし国際社会では、事実の伝わりにくさを利用して、慰安婦
問題をスキャンダルに仕立てようとするアプローチが今も展開さ
れている。その最初は宮沢首相の訪韓直後の平成4年2月17日、
日本弁護士連合会の戸塚悦郎弁護士が、国連人権委員会で、慰安
婦を人道上の罪と位置づけ、国連の介入を求める発言をした事で
ある。

 平成8年3月にジュネーブで開かれた国連の人権委員会に提出
されたクマラスワミ女史の報告書は、家庭内暴力を主テーマにし
ているのに、その付属文書に「戦時の軍用性奴隷制問題に関する
報告書」と題して、半世紀以上前の日本の慰安婦問題を取り上げ
ている。

 戸塚弁護士は、この時にもジュネーブで本岡昭次参議院議員
(社会党→民主党)とともに、デモやロビー活動を行っている。

 報告書は、やはり吉田清治の本や、慰安婦たちの証言を取り上
げている。その中で、北朝鮮在住の元慰安婦の証言として、

 仲間の一人が一日40人もサービスするのはきついと苦情を
言うと、ヤマモト中隊長は拷問したのち首を切り落とし、「肉
を茹でて、食べさせろ」と命じた。
182文責:名無しさん:02/04/02 00:41 ID:mtvZU3z5
 などという話が紹介されている。この元慰安婦は、1920年に生
まれ、13歳の時に一人の日本兵に拉致されたという拉致された
というのだが、1933年の朝鮮は平時であり、遊郭はあったが、軍
専用の慰安所はなかった。その程度の事実確認もされていない証
言が、4例紹介され、その上で日本政府に対し、被害者への補償、
犯罪者の追及と処罰を勧告している。

 日本のジュネーブ外務省はこの文書に関する40頁の反論を作
成し、根回し工作をしたもようだ。西側諸国代表の間では、クマ
ラスワミ報告書の欠陥が理解されたが、韓国、北朝鮮、中国、フ
ィリピンなどの関係国は立場上、強く反発した。

 このような攻防の結果、人権委員会では家庭内暴力に関する本
文は「賞賛する」という最高の評価を得た一方、慰安婦に関する
部分は、take note(留意する)という最低の評価であった。
183文責:名無しさん:02/04/02 00:44 ID:mtvZU3z5
>>159
それと、主語が抜けてませんか?
業者の強制連行があった、ということは誰も否定してませんからね。
184文責:名無しさん:02/04/02 00:47 ID:mtvZU3z5
>>157
少し勉強してみましょう(笑
実は日本がすでに米国の捕虜虐待、という因縁をつけられて、
補償した、ということがアメリカのメディアでも伝えられました。
185文責:名無しさん:02/04/02 00:49 ID:mtvZU3z5
>>163
(略)台湾社会の親日感情を単純に蒋介石独裁政治への反発から
生まれたものだと断定するのは誤りであろう。
政治意識の薄い一庶民の私の父親も、台湾映画「多桑」の主人公
と同じように、日本に文化的郷愁を持っている。
父の日本文化への憧憬と親日感情は決して蒋政権への反発だけで
解釈できるものではない。
日本人として教育された日本語世代の台湾人が、その身に付いた
「日本精神」に誇りを持つことは極めて純粋な気持ちである。
その誠実な親日感情を単純に政治に翻弄された結果として捉える
のはいささか皮相な感じもする。
戦後の国民党政権は、台湾で中国の共産党政権と同じ視点で反日
教育を行ってきた。その影響もあり、世代の違いによって台湾人
の対日感情も違ってくる。
台湾のマスコミの80%は外省人が支配しているから、マスコミの
言論のみを見ると、反日的なのは当然である。
それにより若い台湾人の中にはそのような言論に同調する者が少
なくない。
しかし、新世代の台湾人は旧世代の台湾人のように日本文化に惚れ
込むことこそ少なくなったが、概して日本に好意的であるのも
事実だ。
現在60代中心の在日台湾知識人は、自世代の対日観と台湾全体
の対日感情を忠実に日本社会に伝えるように努力していると私は
思う。(略)
そのような在日台湾人の親日的な言動を「ある種の情報操作」と
解釈するのは、正に現在の日本人の自信喪失の表れではなかろうか。

「正論」2001・4/「在日台湾人の情報操作はあり得ない」林建良
186文責:名無しさん:02/04/02 00:51 ID:MFxCwPms
■1.カリバタ国立英雄墓地に祀られた日本人■

 ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地は、日本軍降伏後、4年
5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で、特別な功労
を立てて戦死した人々が祀られている。この中に11名の日本人が
一緒に手厚く葬られている。[1]

 1945年8月15日の日本軍降伏後も現地に残留して、インドネシア
独立義勇軍に身を投じた人々は、1〜2千人程度と推定されている。
400名程度が戦死され、そのうちの32名が各地区の英雄墓地に
祀られている。また独立50周年となった平成7年、残留日本兵
69名に対し、渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハ
ルト大統領は官邸に招いて、お礼を述べられた。[2,p109、3]

 これらの人は、何を思って、異国の地に留まったのだろうか。

■2.独立への願い■

 インドネシアがオランダの植民地となったのは、1605年、それ以
来、3世紀半にわたって、人口わずか0.5%のオランダ人が全生
産額の65%を独占するという収奪が続く。

   1905年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた
  西洋をうち負かすことができるほど強くなれるという信念を
  強化させた。それ以降、インドネシア人は、大国として発展
  する日本にいっそうの注目をそそぎはじめた。(インドネシ
  アの歴史家サヌシ・パネ、[4,p242])

 独立を願う民衆の間には、いつしか、「いつか北から同じ人種が
やってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに(約3ヶ
月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生まれた。
187文責:名無しさん:02/04/02 00:52 ID:MFxCwPms
 独立を願う民衆の間には、いつしか、「いつか北から同じ人種が
やってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに(約3ヶ
月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生まれた。

■3.独立を戦いとれる実力を■

 その予言は、1942年3月1日に現実のものとなった。今村均中将率
いる第16軍は、総兵力5万5千をもって、ジャワ上陸を敢行した。
攻略は上陸後3ヶ月を要するだろうと予想されていたが、わずか1
0日後には、オランダ軍司令官は全面降伏した。予言を信じた現地
人が、オランダ軍が築いたバリケードなどの邪魔物を取り除くなど、
積極的に日本軍の進撃を助けたからだ。

 独立運動の指導者スカルノ、ハッタの情熱に感銘を受けた今村中
将は、次のように言って、彼らを支援した。

「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべ
きものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、
われわれの仕事だ、、、」[4,p263]

 それから、独立国への準備が始まった。300近い言語をインド
ネシア語に統一する、州の長官、副長官などに現地人を登用し、州
や市の参議会を作って、行政や議会運営を習得させる、さらにイン
ドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成した。こ
れらの人々が後の独立戦争の主役となっていく。
188文責:名無しさん:02/04/02 00:52 ID:MFxCwPms
■4.植民地復活を狙うイギリス、オランダ■

 日本軍が降伏した1945年8月15日の二日後、スカルノとハッタは
すかさず独立宣言を行う。18日には、インドネシア共和国憲法を採
択し、それぞれ大統領、副大統領に就任した。

 しかしイギリスとオランダは、植民地の復活を狙い、「日本軍は
連合軍が進駐し、交代を命ずるまで、現状を維持し、治安を確保す
べし。そのために必要なる武器は保持してもよろしいから、暴動は
必ず鎮圧すべし」と命令した。さらに「原住民の集会禁止、武器の
携帯、民族旗の掲揚を取り締まるべし。これがためには、兵器の使
用も可である。」との命令が来た。降伏した日本軍を使って、独立
運動を阻止しようというのである。

 一方で、インドネシア側は、来るべき独立戦争に備えるためにも、
何としても日本軍が保有している武器が必要であった。今まで日本
軍に協力してきた幹部達は、必死に日本軍に支援を訴えた。

 独立運動で暴徒化したインドネシア群衆が、武器を要求して、日
本軍の施設を襲う事件も起きた。日本軍は断じて「撃つな、指導者
と話し合え」と厳命を下した。暴徒に銃殺された日本人のなかには、
「インドネシアの独立に栄光あれ」と自らの血糊で壁に書き残した
人もおり、現地人に多大の感銘を与えて、今も記念として残されて
いるという。[4,p290]
189文責:名無しさん:02/04/02 00:53 ID:MFxCwPms
■5.独立戦争への支援■

 日本軍には、オランダ軍の目を盗んで、インドネシア側に協力す
る人々が現れた。中部ジャワ地区の馬淵逸雄少将は、廃兵器処理の
許可を得るや、それを拡大解釈して、トラック何台分もの武器をチ
レボン河の河原に捨てた。対岸で待機していたインドネシア側がこ
れをごっそり手に入れた。

 こうしてインドネシア側に、小銃3万5千挺、戦車、装甲車、自
動車など200台、中小口径砲など多数と、ジャワの日本陸軍の装
備の半分以上が手渡された。[4,p289]

 自ら、軍籍を離脱して、インドネシア軍に身を投じた人々も多か
った。その一人古閑正義中尉は、熊本県出身、明治大学で柔道とラ
グビーの名選手だった。スマトラのアチエ州で、地元の青年達を
「何が何でも独立を勝ち取れ」と教育していた。

 昭和天皇の終戦の詔勅の中の「東亜解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ、
遺憾ノ意ヲ表セザルヲ得ズ」という言葉から、インドネシア人を見
捨てて、日本に帰る気持ちにはなれず、同じ部隊の少尉4名ととも
に、独立軍に参加した。戦闘に慣れないインドネシア人を率いて、
常に先頭に立って、指揮をした。[2,p94]
190文責:名無しさん:02/04/02 00:54 ID:MFxCwPms
 オランダとの独立戦争は1949年12月までの4年5ヶ月も続いた。
兵員こそ200万人もいたが、武器は日本軍から手渡された数万挺
の小銃が中心である。オランダ軍は都市への無差別爆撃なども行い、
80万人もの犠牲者、1千万人を超える負傷者が出たと言われる。
インドを始めとするアジア諸国がオランダを非難し、国連安保理事
会や米国議会も撤兵勧告を行った。全世界の世論に押されてオラン
ダは再植民地化を諦めたのである。[5]

■6.命を捧げてくれた日本青年を偲ぶ■

 平成7年5月29日、戦後50年を記念して、「アジア共生の祭
典」が開かれた。ちょうど、独立50周年を迎えたインドネシアか
らは、スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを歴
任したサイデマン外務省上級大使が参列された。

 サイデマン大使は、約1万人の参列者に対して、次のような挨拶
をされた。

 第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、
外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインド
ネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦っ
てくれました。そして多くの日本の青年がそのために命を捧
げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私た
ちの独立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たち
を偲びたいと思います。[6]

 「かれらが(独立を)戦い取ることのできる実力を養ってやるの
が、われわれの仕事だ」という今村均中将の言葉は、現実となった
のである。
 
191文責:名無しさん:02/04/02 00:56 ID:9SY7jK35
引き揚げ者の中には、海南島から日本兵と共に引き揚げてきた二十名ほどの台湾人
慰安婦の姿もあった。
彼女達は我々と同じキャンプに収容されて台湾への帰国を待っていた。
彼女らは口々に、「海南島は儲かるし、それよりも兵隊さんが喜んでくれたんです」
と語っていた。
そうした生の声には、日本で騒がれるような強制連行の(悲劇)などは存在しなかっ
たことを、私のこの耳がしっかり聞いている。

(略)1999年、8月号の「正論」に掲載された許文龍氏(実業家であり、李登輝総統
の国策顧問)の記事も、まさしくそんな氏の客観的な歴史観と実行力の賜物だった
と言っていいだろう。
日本でくすぶり続ける慰安婦の「強制連行」なる問題に首を傾げた許氏は、戦時中
に慰安婦だった女性を集めてその事実を明らかにしたのである。
もちろん結果は、日本の一部のマスコミや学識者がヒステリックに訴えるような
「強制連行」なる事実は存在しなかった。

「台湾人と日本精神」蔡焜燦著より
192文責:名無しさん:02/04/02 01:10 ID:9SY7jK35
数年前のニュースステーション。
戦時中にインドネシアから日本の陸軍士官学校に留学してきた元士官候補生たちを
「日本の人質政策」として報道しようとしたところ
・士官学校で教わったことは大変役に立った
・同期生とは今も親しく付き合っている。同期生との人脈は商売の上で非常に有利
等など「被害者(藁)」が思う通りの証言をしてくれないので苛立ち、同時中継で
出ていた元留学生の一人に「人質」と繰り返して何とか言質を取ろうとしたのに、
「人質と思ったことはない」とキッパリ否定され(当たり前だ。彼らは「エリート」
として日本に留学したんだぞ)、台無しになってました。
勿論、久米は最後に「やっぱり人質だったと思います」とコメントをしていましたがね。

インドネシアで日本軍が炭鉱で労働者を酷使して大勢殺した という話を
検証に行った大学教授が現地の古老から 「死者は一人も出ていない」 と
いう話を聞いていたのに、日本に帰ってから 「多数の死者が出ていた」と
証言をでっち上げた上に 「死体を放り込むために掘られた穴もあった」
(本当はただの防空壕) とウソの報告した挙句「この事実を直視せねばな
らない」と書い ていたことがあります。
193文責:名無しさん:02/04/02 01:11 ID:9SY7jK35
「慰安婦強制連行問題」には何ひとつ証拠がない。

フィリピン(ホセ報告)
そして筆者は、当時を知る生存者の話を聴き、さまざまな日記、公式
および準公式の文書、ゲリラの新聞などを読んだ結果、戦時中、フィリピン
では日本軍による大規模な強制的売春はなかった、という結論に
到達した。

韓国(クマラスワミ)
「募集方法を立証する書類はほとんど残っていない」
「実際の募集の過程に関する公文書はなく、ほとんど
すべての慰安婦の募集に関する証拠は、被害者自身の口頭
証言だけである」

韓国(挺対協著書)
「今まで発見された軍文書のうち、慰安婦の動員方法を具体的に
説明するものは一件もない」

韓国(吉見義明)
97年2月1日の朝生で証拠がないことを認める。

中国(秦郁彦)
中国では戦中から戦後にかけて、慰安婦問題に対する関心薄かった。
100巻にのぼる国民政府の公式戦史にも、関連の記述はほとんど見られ
ない。

日本(官房副長官:石原信雄)
「いくら調べても日韓双方に強制連行を示す証拠がない」
194文責:名無しさん:02/04/02 01:13 ID:9SY7jK35
ベルリン大学のヴィッパーマン教授は、自宅でのインタヴュー
のさなか、とつぜん話題を変え私にこう語りかけた。
「日本について私が理解できないことがあります。コリアン
(朝鮮半島出身者)の強制売春の問題です。日本ではそれが大
問題となり、コリアンにたいして公式に謝罪が行われました。ドイツ
では議論はありません。これはアジア文化と結びついているんでしょう。
あるいはコリアンの圧力団体があるのでしょう」

「戦争においては、これはまったく普通のことです。たとえば、フランス
の軍隊も売春宿や売春婦をもちろん持っていました。そうでなければ
兵士たちはホモになっていたでしょう。私はこの問題を理解できません。」

「戦争責任とは何か」木佐芳男
195文責:名無しさん:02/04/02 01:16 ID:9SY7jK35
ヨハン・ガルトゥング立命館大学客員教授は、1998年11月、
大阪・京都で行われた第3回世界平和博物館会議で基調講演
したさい、質問に答えこんな指摘をした。
「一方を加害者としてのみ捉え、他方を被害者としてのみ
捉える。これは全く非現実的であるのみならず、極めて知的程度
が低い、しかも道徳的にも問題があります。自己を加害者として
のみ捉え、他者を被害者としてのみ捉える考え方は自虐的です。
俗に右翼といわれる人たちが、たとえば南京虐殺(の展示)を
批判してこのように言うのは正しいと思います」

「戦争責任とは何か」木佐芳男

まともで教育のある人々がなぜパールハーバーを攻撃する
道を選んだのか。
こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人々がいる。
彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人々なのだ。
当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた
悲劇的な立場を考えもせずに発言する人々を英雄視したりしても、
何の解決にもならない。
解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。

ジョージ・フリードマン教授(米・ディッキンソン大学)

「日本の戦後教育のごとき、(反日教育)が生むものは、祖先への
軽蔑と他人を憎悪する卑しさだけであり、決して愛する心を育まない。
現代日本の青少年による凄惨な事件の数々や、教育現場の荒廃はこう
した戦後教育の悲しい結末であろう。もっとも、歪曲した歴史観に
よって自国をさげすむことは、実に残念であるばかりか、そうした
考えに正義感を覚える輩は、ただ(無知)としかみなされないことも
肝に命じておく必要があろう」

「台湾人と日本精神」蔡焜燦著より
196文責:名無しさん:02/04/02 01:18 ID:9SY7jK35
夢にまで見た岐阜陸軍整備学校隊に入校してみると、そこには
台湾で経験したような差別などというものは、まったく存在し
なかった。
むしろ中隊長、池田忠義中尉、区隊長、中澤和男少尉など上官
たちからかわいがられたことが思い出される。
本来、陸軍航空整備学校は飛行機の地上整備員の下級士官を養成
する学校なのだが、こうした専門分野よりもむしろ一般教科の
勉強に多くの時間が割かれていた。
このときの数学教官、時埼忠彦少尉及び田中克巳見習士官も、
我々生徒に温かく接してくれた上官だった。
食事の時間には我々生徒が上官の配膳を準備することになるので、
普段我々を心からかわいがってくれる班長、安原万寿太軍曹に
山盛りの飯をもってゆくと逆に叱られたものである。
それは、自分の食べる分を少しでも我々生徒に食べさせてやりたい
という親心からであった。
奈良教育隊では、伝染病などを防止するため、「ハエ取り競争」
という衛生競技があり、これに負けると夜間の不寝番という罰則
が待っていた。
197文責:名無しさん:02/04/02 01:19 ID:3Y4Rgx+j
しかし安原班長は我々の身代わりを買って出てくれたのである。
「お前達は、必死になってハエなど採らんでもいい。その分しっかり
勉強せい。学生の本文は勉強だ。罰則の不寝番は俺がやってやるから
心配するな」
班長は、我々に勉強する時間を少しでも与えようと、罰則を引き受け
てくれたのだった。
そんな班長を不寝番に立たせては申し訳ないと頑張った我が班は、
つねに中隊一位という成績を収めていたことが面白い。
戦後、軍隊は地獄のような場所であるかのように吹聴する輩もいる
ことは承知しているが、少なくとも岐阜陸軍航空整備学校奈良教育
隊は、それには該当しないことを申し添えておきたい。
「台湾人と日本精神/蔡焜燦」
198文責:名無しさん:02/04/02 01:21 ID:3Y4Rgx+j
当時文部省学務部長心得であった伊沢修二は「教育」をあらゆる
統治政策に優先させることを進言し、七人の優秀な人材を引き連れて
台湾にやってきた。(略)
そんな折り、近衛師団を率いてやってきた北白川宮能久親王が、
台南でマラリアに倒れ不帰の客となった。
伊沢修二は、七人のうちの一人と共に親王の棺に付き添って帰国する。
世に言う「芝山巌事件」の悲劇は伊沢の留守を襲った。
1896年1月1日、元旦の祝賀に参加すべく出掛けた六人の教師を突如
暴徒が取り囲んだ。
時に台湾民主国の宣言をもって日本統治に反対する勢力の抵抗活動
が頻発していた頃である。
六人の教師はふるむ様子をみせず、彼らに教育の枢要を説いた。
しかし、そうした懸命の説得も聞き入れられず、血気に逸る暴徒は
日本人教師達に襲い掛かり、全員を惨殺してしまう。(略)
その後、殉職した六人の教育に対する精神が人々の間で語り継がれ、
そして「六士先生の歌」もつくられた。
199文責:名無しさん:02/04/02 01:22 ID:3Y4Rgx+j
やよや子等 はげめよや
学べ子等 子供たちよ
慕へ慕へ 倒れてやみし先生を
 
歌へ子等 思へよや
すすめ子等 国のため
思へ思へ 遭難六士先生を

1930年には、事件があった芝山巌に芝山巌神社が建てられ、六士先生
の他に、その後台湾で殉職した内地人(日本人)と本島人(台湾人)
の教育者が祀られた。
こうして芝山巌は、台湾の教育のメッカと呼ばれるようになったのである。

「台湾人と日本精神」蔡焜燦より
200文責:名無しさん:02/04/02 01:24 ID:3Y4Rgx+j
台湾人が反日であることは少なく、中国人が親日であることは皆無
に近いというのが、私個人の見方である。
台湾での親日派は、たいてい知日派が主流で、日本語世代の年配者
が中心である。
したがって、年齢の低下につれて、日本を知らない若年層において
反日的傾向が強い。
しかし、今日までの知日派、親日派が、年月と共にこの世から消え
去っていくにつれて、戦後、半世紀来の反日マスコミを微調整、修正
する自律的な機能がだんだんと失われていき、やがて台湾社会が反日
の気風へと変わっていくだろう。
というのは、識者の非公式な計算によれば、現在なおも台湾のマスコ
ミや教育を支配している勢力の90%前後、あるいはそれ以上が中国人
だからである。

日本人が伝統的な文化や美徳を次から次へと棄て、そのうえマゾヒズム的
に過去の価値を否定していくにつれて、誰から見ても日本人とは、すべて
アジア人を虐殺し、婦女暴行ばかりした極悪非道の人間として呪われ、
日本人は、ますます軽蔑すべき人種として映るようになる。
だから、新しい台湾のエリートは今までの日本観、日本像を修正しながら、
嫌日反日に変わって、新しい日本人像を次の世代へと伝えていく。
やがて台湾の反日も、かならずやってくるであろう。

韓国人の「反日」台湾人の「親日」/黄文雄
201文責:名無しさん:02/04/02 01:27 ID:3Y4Rgx+j
嘉南平野の人々は、この地のために生涯を捧げた八田与一夫妻の死を悲しみ
、地元の人々によって墓が建てられ、鳥山頭ダムのほとりに八田与一の銅像
が立てられた。そして白色テロの時には地元の人によって銅像は守られ、今
でも毎年5月8日、八田与一の命日には嘉南農田水利会の人々によって慰霊祭
が行われている。また、後藤新平の「台湾近代化の父」に対して「嘉南大シュウ
の父」と呼ばれている。

後藤新平は、あくまで「生物学の原理」に従って台湾統治を行うべき
であると主張しており、「ヒラメの目を鯛の目に付け替えることは
できない」という有名な喩えが残されている。
こうしたことは、全島の旧習調査からアヘン吸飲習慣を把握した上で
、アヘン患者を徐々に減らしていった手法にもあらわれている。
アヘンを専売制にし、中毒、常習者に限って販売するが、新たに吸飲
するものは厳罰に処せられた。
これにはアヘン患者を自然に減少させる狙いがあった。
こうして当初全島人の6パーセントにものぼった、中毒、常習者は
1941年までに0.1パーセントにまで激減していったのだ。
悪習といえども他民族の習慣を尊重しながら、無理なく時間をかけて
撤廃していったその手腕は実に見事であった。

「台湾人と日本精神」蔡焜燦著より
202文責:名無しさん:02/04/02 01:30 ID:3Y4Rgx+j
繰り返すが、内地で行われていた教育と同じ教育が日本の最南端の台湾で行われていた
のであって、(強制)などという卑しい言葉は不適切であるばかりか、我々台湾人は
そうした歴史の歪曲に不快感を覚えることも知っておいていただきたい。

戦前の台湾では、田舎の人々が警官を「大人(タイジン)」と呼び、決して流暢
とはいえない日本語で「タイジン、タイジン、私の家で美味しい大根が採れたから
持って帰っておくれ」と声をかけると、警官はありがたく頂戴した。
また、「今日は鶏を一羽しめたから、半分どうかね?」と夕食の食材を指しださ
れれば、喜んで持ち帰ったものだ。ある意味で、そうした日常のやりとりは地元
の人々との触れ合いであり、そうすることでコミュニケーションが生まれた。
ただし、日本の警官は、どんなことがあっても賄賂は受け取らなかった。

「台湾人と日本精神」蔡焜燦著より
203通りすがりの予備土官:02/04/02 01:37 ID:erZxDlNt
>>171 前スレ813のシンガポール在住だが  さん

ども、106です。
 私もウヨサヨ議論には全く興味はありません。
まぁ、自分の意に染まぬ意見に対して脊髄反射的に発言される方々にはもう、
君の知性と品性はどこにいったのかと、小一時間ばかり……(w
遅れてきたシロートというのは私も同様。
今更、”バスに乗り遅れるな!”というのも何ですのでのんびりと。
「頭より早く筆を動かすな」ですな。
 そうそう、気が向いたらで結構ですので、ひとつリクエストがあるのですが。
もし、シンガポールに海自の艦が入港する機会がありましたら、そのレポートなど。
いや、単に日本の艦艇が入港する際海外ではどういう反応なのか、バイアスがかかってない話が知りたくて。
ちなみに、私は自衛隊関係者ではありません。
昔、学生時代に官庁船に乗り組んだことがある人間の興味本位のリクエストです。

204文責:名無しさん:02/04/02 02:44 ID:JDIdmX0w
もともとウヨサヨのスレではなかった。
根源はやはり、==氏。

もっとも==氏にかまうのが、また問題なのだが。
205文責:名無しさん:02/04/02 07:47 ID:HxtjPa2D
中国共産党が、「抗日」を根拠に成立したことから、
日本を悪者にしないと中国共産党はやっていけない。


南京事件も、教科諸問題も、そういう角度から見る必要がある。
206文責:名無しさん:02/04/02 11:44 ID:g0RGyp5D
ageときます。
207文責:名無しさん:02/04/02 11:45 ID:BPueg9xm
==はどうなったん?
208文責:名無しさん:02/04/02 12:19 ID:g0RGyp5D
>>207

>>107以来、来ないね。
>>204氏の指摘する問題点はあるが、
==の存在が、結果的に親日話を数多く引き出しているのも、また、事実ではある。
209 :02/04/02 12:47 ID:a/FA4YB+
シンガポール在住さんの話はイイっすね。俺はエンジニアではないが
エンジニアの人と仕事をする機会が多い。英語はマストってのは
本当に常識らしいッスね。本筋とは関係ないけど

で、本論っすけど、ちょっと前にアエラに「アフガンでこんなに
日本人は尊敬されている」みたいな特集あったッスよね?
(アエラのバックナンバー検索したけど、みつからん。。。スマセン)

「アエラでこんな特集するのかぁ」とか、ちょっと思ったッスよ。
まぁ、反米・反戦の流れの記事ではあるんですけどね、
でも、かなり、日本人に自尊心に訴える内容だったかと思います。
210どいたかっこ:02/04/02 14:55 ID:X46RumZj
北朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)の労働党機関紙「労働新聞」は13日
、「日本は過去の犯罪について謝罪し、賠償しなければならない」と題された
署名入りの論評文を発表、日本の植民地支配による朝鮮での暴行について記し、
日本政府に対し、速やかな謝罪と賠償を求めた。論評文の内容は以下の通り。

日本が植民地として朝鮮を統治していた期間、朝鮮の人々が民族の言語、文字
を使う権利だけでなく、姓名を名乗る権利も剥奪し、「地球上から朝鮮民族を
完全に抹殺するという計画」に基づき、思うが侭に資源を略奪、多くの文化財を
奪った。また成人男子600万人に強制労働を課し、20万人の女性を「従軍慰安婦」
として力ずくで連行した。更に一般の朝鮮人を虐殺、すさまじい暴行を加えた。
植民地支配により、朝鮮の人々は数十年にわたり莫大な精神的および物質的損害
と苦痛を受け、その影響は今日まで続いている。

日本の植民地支配がもたらした最大の結果は、朝鮮半島が分裂されたことだ。
祖国が二分されたことにより、朝鮮人は半世紀以上も民族分裂の悲劇を経験し
ている。日本政府は犯した罪について、謝罪し、賠償するべきである。

近い将来、朝日国交正常化の会談が行なわれることが予定されている。日本
政府は歴史を顧みて、「歴史の清算」という任務を果たすという、この会談の
性質をはっきりと認識しなければならない。


211どいたかっこ:02/04/02 15:00 ID:X46RumZj
日本軍が盧溝橋事件を起こし中国への全面的侵略戦争を開始してからち
ょうど63年目にあたる。これに応じて、香港労働組合は日本領事館に請
願書と市民4万8000人の署名を提出し、戦争責任について日本政府に謝罪
と賠償を要求するデモ行進を行った。

デモ行進では、「日本軍国主義打倒」や「政治家による靖国神社参拝
への抗議」、「日本の釣魚島侵犯への抗議」「森喜朗首相の軍国主義的発
言への抗議」などが叫ばれ、日本領事館の前に声明を発表した。日本領
事館の代表は請願書と署名を受け取った後、行進の人たちは離れた。


同労働組合は「日本は敗戦で投降したとはいえ、その軍国主義は亡霊
のようにいつまでも存在している。日本の右翼勢力は第二次世界大戦に
おける日本軍の犯罪行為を認めず、南京大虐殺さえも否定している。日
本政府は侵略戦争を美化するため教科書を改ざんし、政治家はA級戦犯を
奉った靖国神社を何度も参拝している。また日本の右翼団体は釣魚島に
日本国旗を掲げ、神社を建設した」と表明した。

同労働組合は日本政府に対し、@侵略戦争により犯した犯罪行為に対
し謝罪と賠償を行う、A日本国内の右翼勢力と軍国主義の復活を抑制す
る有効的な措置の採用、B侵略戦争により他国に与えた苦難を認識させ
、歴史が繰り返すことを防ぐよう、国民教育を徹底させる、C釣魚島に
建設した神社を取り壊し、中国の主権を侵害する一切の活動を中止する
こと、を要求した。
212通りすがりの装甲巡:02/04/02 15:07 ID:3c1OdN3C
>朝鮮の人々が民族の言語、文字 を使う権利だけでなく、
>姓名を名乗る権利も剥奪し、
ご自慢のハングルを統一し教育に組み入れたのは日帝
>「地球上から朝鮮民族を 完全に抹殺するという計画」に基づき、
ソースキボンぬ
>思うが侭に資源を略奪、多くの文化財を奪った。
そんな資源があれば誰も苦労は・・・・(涙
っつか逆に奪った(奪いつつある)精神的文化財返せや!(藁
>また成人男子600万人に強制労働を課し、20万人の女性を「従軍慰安婦」
>として力ずくで連行した。
>更に一般の朝鮮人を虐殺、すさまじい暴行を加えた。
ノーコメント・・・つか当時の朝鮮の人口何人?
>植民地支配により、朝鮮の人々は数十年にわたり莫大な精神的および
>物質的損害と苦痛を受け、その影響は今日まで続いている。
曲がりなりにも朝鮮が近代化できたのは日帝の“最悪の植民地支配”のおかげ。

儂は“新ネタ”と言ったはずだぞっ!>どいたかっこ (爆藁
213文責:名無しさん:02/04/02 15:40 ID:SPyc4e/r
ここはsage進行でいこうよ。
煽りウザすぎ。
214どいたかっこ:02/04/02 15:46 ID:X46RumZj
墓碑に謝罪文:
戦争で「中国人にわびたい」 父の遺言もとに

 「おれが死んだら墓に彫りつけてくれ」。死の床で父が娘に託した紙
切れに書かれていたのは、中国の人々への謝罪文だった。そして、父の
遺言は墓碑に刻まれ、遺言の理由を探す娘の長い旅が始まった。埼玉県
在住の元教師、倉橋綾子さん(54)が出版した「憲兵だった父の遺
(のこ)したもの」(高文研)は、個人としての戦争責任とその心の傷
を見つめる父娘の記録だ。

 1986年、倉橋さんの父は娘に遺言を託し、息を引きとった。71
歳だった。親族の理解が得られるようになった12年後、遺言は形にな
った。

 「中国人民に対し為(な)したる行為は申し訳なく、只管(ひたすら
)お詫(わ)び申し上げます」。わび文は碑に刻まれた。

 父は群馬県の農家の三男として生まれ、18歳で志願兵、その3年後
に憲兵になった。旧満州(現中国東北部)や華北の憲兵隊に所属し、戦
争末期は旧ソ連国境に近い東寧(トンニン)の憲兵分遣隊にいた。

 父はなぜ、わびなければならなかったのか。倉橋さんは父の戦友を訪
ね歩き、父を題材にした小説を書くことで「憲兵の父」の実像を求め続
けた。父の憲兵としての最後の任地だった東寧を訪ねた。父を知ってい
る人はいなかったが、日本兵に危害を加えられた人々がいた。不十分だ
が、父の「戦争犯罪」が胸に落ちた。中国の人々は父の謝罪を受け入れ
た。

 憲兵生活の記憶に苦しみながらも誰にも言えないでいた父を見つめ続
けた倉橋さん。その苦しみの根をたどり、自分を見つめ直す旅を経て、
「戦後世代の胸の空白を埋める作業だった」とつづる。

 「
215どいたかっこ:02/04/02 15:56 ID:X46RumZj
小泉内閣と「改革」 辻第一・元代議士に聞く
 ──小泉純一郎首相が昨年8月、靖国神社に参拝しました。奥野誠亮
代議士も国のリーダーとして、靖国に参拝することは当然だと主張して
います。

  満州事変に始まるあの戦争は、アジア支配を狙った、紛れもない侵
略戦争ですね。日本の若者は「お国のために死ねば、英霊として靖国に
祭られる」と言われて戦地に送り込まれたのです。靖国は侵略戦争の精
神的支柱でした。

  それに日本を戦争に引きずりこんだA級戦犯もまつられています。
そんな背景のある神社に、国のリーダーが参拝することは許されないこと
です。被害にあった周辺諸国からの反発があるのは当然のことではないでしょうか。
また、憲法が定める政教分離の原則に触れることは明白です。
85年に当時の中曽根康弘首相が靖国に公式参拝し、私たちを含め国内
外から厳しい批判を浴びました。

  その結果翌年から取りやめになったのですが、印象深いのは当時の
官房長官の後藤田正晴さんが「過般の戦争への反省とその上に立った平
和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れがある。それは諸
国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の
究極の願いにもそう所以(ゆえん)ではない」との談話を発表したこと
です。

  それ以来公式参拝はされていません。小泉首相の行動は、こうした
立場さえ踏みにじるものです。

 ■批判は当然

 ──新しい歴史教科書の問題についても議論がありました。

  驚くべき内容ですね。日本が進めた戦争を、「自存自衛」のための
「大東亜戦争」と呼び、アジアの解放に役立ったなどと正当化し美化し
ています。

  アジアの国々から批判がでて当然だと思いますよ。それを教科書に
載せて、日本は正しい戦争をやったんだと子どもたちに思いこませる。
こんな教科書や教育を許していてはだめですよ。国民的批判が広がり、
全国的にほとんど採択されず、奈良でも採択されませんでした。しかし
今後も油断できません。
216通りすがりの装甲巡:02/04/02 16:17 ID:X/c4JZwc
>>213
ageたい人が居るんだよ。
ま、誰とは言わんけど(藁
217文責:名無しさん:02/04/02 18:00 ID:mQuiAxVl

         ,.--―、,.‐-、_
        /  彡ヾ/ ミ ヽ、 祝!アンチジャパン朝鮮日報新聞掲載!Fuck zapan!
       /  r     ヽ、 j
      /  / ,,、,,,,,,_ _,,,,,,、i |     ___
      ト /--{‐- }ー{-‐} |/   /      ヽ.   /⌒`´⌒``ヽ、
      { 6    /。,.j  ,!'  / !       ヽ /  /^~ヾ、   ヽ
       `ヽ  ´、ニニヽ`/  /  |        ヽ{   |==  =ヽ、   )
        |ヽ  =' ,./   |  ∧、_      | |  /三:}ー{:三ヽ、 /
  ,.-----、_ノ{  ヽ --t'    ヽ /===゙゙゙`===`i /i \」  ,(、 ,.).   Yノ
/      ヽ、    {‐----、_ ヽi `” ! : ”´ Yノ   ヽ  -ー-  /|、、
   ヽ     ヽ、__.丿    `ヽ ヽ ノ,‐ ‐_、  ∧-、  ,.iヽ、.........,/ y^|\_
    i           __,.---y>>/ヽ、 ̄ ` /  >、ーOノノ-、___/;; /  ゙‐-
    ヽ         r"ヾ    / ヽヽー‐<  |/   |'ー'-<} ::  /
    ヽ      _ノ  ヾ   ヽy  Yヽノ \|/\  |   `‐、'"/
     i     /         /   |/ ヽ//   `<     rヽ
     L__  /               |ヽ/'/    /     | |

http://haneunnim.hoops.ne.jp/chingu.jpg
http://korea.hanmir.com/ktj.cgi?url=http://antijap.wo.ro/
218文責:名無しさん:02/04/02 18:03 ID:GZvCKur7
165 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/02/21 01:38 ID:Qs1Dzqr1
ペトロナスツインタワーは日本のハザマと韓国のサ×スン建設
が1棟ずつ建てました。
実際にマレーシアでツインタワーを見ると日本が
建てた棟の方が若干高く見えす。
韓国側の建てた棟はかなり汚く汚れているが、日本の
建てた棟はきれいです。
マレーシアでは韓国側の建てた棟は手抜きだとか倒壊しそう、汚いと
言われて嫌われています。
マレーシアには至る所に韓国の会社の建物や看板がありますが
韓国の製品はすぐ壊れるので韓国製はみんな避けています。
最近は街の広場で韓国製の食品の多くに豚のエキスが入ってると言って
たくさんのムスリムたちが抗議しています。
反韓デモがあちこちで起きています。
マレーシアでは日本の印象は良いです。
すみません、僕マレー人なので日本語下手かもしれません。
でも一応、去年まで日本に留学していました。
日本の皆さんにはお世話になりました。ありがとう。
マレーシアは良い所なんで皆さん来てくださいね。
219文責:名無しさん:02/04/02 18:04 ID:GZvCKur7
175 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/02/22 00:29 ID:CYBg99Si
僕は165です。たくさんの返事があってとてもうれしいです。
僕は本当にマレー人です。マレーシアは今暑いです。
日本に留学してるときは今は冬は寒かったと思います。
初めて雪を見たり部屋を暑くする道具を見たりしてびっくりしました。
日本は本当に好きです。
韓国や中国のお店に入ると店員にしつこくついてまわられて
強引に買わされるみたいで嫌なんですけど
でも日本のお店の店員さんはみんな良い人ばかりでゆっくり商品を
見れます。
日本で道に迷って家に帰れなくなったときは日本人の方にタクシーで
おくってもらったこともありました。本当に日本は優しくて楽しくて
良かったです。感謝してます。ありがとう。
マレーシアに来るときは案内しますのでいつでも言ってください。
今はマレーシアでは昼は日本語と英語で観光ガイドやってます。
一応、広東語も話せるけど中国人には文句ばかり言われて最後には
ガイドのお金を割り引いてとお願いされます。
だから中国人にはほとんど観光案内やりません。
やるときは前払いにしてます。
夜は料理の見習いやってます。日本料理のお店です。
オスシ(漢字わからない)とかつくってます。
僕はホンダのバイクに乗ってます。
あと買い物はジャスコでやっています。
親に贈り物あげるときはイセタンで買ってます。
パソコンはソニー使ってます。
日本のホームページとかよく見るけど日本人と話すにはここがいい
と日本に留学してたときの友達に言われて来てみたらマレーシアの
話題があったのでとても嬉しかったです。
名無しさん@お腹いっぱい。とはどう言う意味ですか?
勝手に名前に入ってたんですが。僕の名前は覚えにくいのでこれで
いいんですが・・・
220文責:名無しさん:02/04/02 18:08 ID:GZvCKur7
198 :アザーヒ :02/02/22 02:05 ID:rudpBR7U
マレーシアのマハティール首相はカリスマ的だと思います。
国民にも人気があり、もうずいぶんと首相やってる人です。
僕もこの人のことを尊敬しています。本当に国民から愛されてる
政治家といえるでしょう。それに比べて日本の政治家はちょっと・・・
マレーシアは親日です。みんな日本好きです。
テレビが同じ値段で同じ性能の日本製と韓国製があれば絶対に日本製を
買いますよ。ベストデンキなんか日本の電気製品がたくさんあっていいと
思います。ベストデンキは日本の会社みたいですけどマレーシアでは人気の
ある電気屋さんです。



199 :アザーヒ :02/02/22 02:09 ID:rudpBR7U
あと日本の音楽も人気があります。
Ayu、W-inds、モームスとか・・・
221文責:名無しさん:02/04/02 19:57 ID:Xq901Mvf
ウヨのオナニースレはここですか?
222文責:名無しさん:02/04/02 20:09 ID:GkisEAOs
>日本が植民地として朝鮮を統治していた期間、朝鮮の人々が民族の言語、文字
>を使う権利だけでなく、姓名を名乗る権利も剥奪

日本陸軍士官学校の朝鮮籍卒業生の半分は朝鮮風の姓名だけど?

>20万人の女性を「従軍慰安婦」として力ずくで連行した。

つまり人口の1%近くを力ずくで連行したのに朝鮮人はみんな黙っていたのか?
そう言えば「朝鮮を日帝支配から解放した」筈の「偉大なる指導者」様が何ゆえに
そんな大事について知らん顔をしていたのか是非とも北朝鮮に伺いたい(笑)
223どいたかっこ:02/04/02 21:00 ID:X46RumZj
「日本政府は公に謝罪を」 元慰安婦の声

ロシアとの国境付近に位置する黒龍江省東寧市に住む、李凰雲さん、金淑蘭
さん、池桂花さん、李光子さんはいずれも、1930〜40年代の日本軍による侵略
戦争の被害者だ。李さんらは当時、日本軍に強制されてこの場所で慰安婦とし
て働かされた。

「日本政府に金銭的賠償を要求したいか」という記者の問いに対して池さん
は、「日本政府は責任を負わなければならない。でも賠償金をいくらもらって
も私たちのプライドは取り返せない」と声を荒げ、日本政府は公に謝罪し、侵
略戦争の歴史を教科書にきちんと記すべきだと語った。

224hhh:02/04/02 21:02 ID:FBuhLCVN
こういう可愛い子なら犯罪に走りそう
男の心理だ

http://www.idol.nu/index.html?005596
225前スレ813のシンガポール在住だが:02/04/03 00:22 ID:R5uZYvvw
>>174 >>203 >>209 の各氏、レスポンスを下さってありがとうございます。
スレ違い野郎にも関わらず、少なくとも一部の方には好意的に受け入れて
頂いているようで、実にうれしいなぁ。

>>203 名前:通りすがりの予備土官 投稿日:02/04/02 01:37 ID:erZxDlNt
> もし、シンガポールに海自の艦が入港する機会がありましたら、そのレポートなど。
> いや、単に日本の艦艇が入港する際海外ではどういう反応なのか、
> バイアスがかかってない話が知りたくて。

正直、シンガポリアンが日本の自衛隊の寄港をどう思うのか。という視点で見ては
いなかったので、極めていいかげんですが、記憶の限りでは、前に潜水艦が来た時には、
全く何のニュースにもなっていなかったと思います。CNN-ASIAでもStraits Timesでも
見た覚えが無いですね。多分シンガポール国軍との交流行事とかもあったんでしょうけど。

では、なぜ僕が潜水艦が寄港したのを知っていたかというと、日本人会(という組織が
あるのです)から、会員宛てに試乗して見ませんか。という案内があったんですね。
ミーハーの興味で申し込んだんですが、抽選に外れてしまったと。そういう訳です。
中がどんなんなっているか見てみたかったですねぇ。

>>204 >>207 >>208 の各氏。
僕は==さんに来て欲しいですねぇ。繰り返しになりますが、僕は、彼のことを
まじめな青年だと好感を持っておりますよ。少なくとも自分の主張をきちんと
説明する努力は継続されてますな。(最近の落ち着いたレスで本当に社会人かも?。
と思い始めたので、敬称を変えさせてもらうことにしますね)。
226前スレ813のシンガポール在住だが:02/04/03 00:24 ID:R5uZYvvw
連続で申し訳ない。1つに入らなかったので分けました。

>>174 名前:親中親韓 投稿日:02/04/02 00:10 ID:U1ufVcBu
> シンガポールのどっかにある...黒いでっかい石碑をご存知ですか?
> シンガポールをぶらぶら歩いていたときに偶然見つけたんですけど、
> イギリス軍と日本軍の戦いの記念碑かなんかかなー、と勝手に思ってました。
> ちょっと気になってるんでもしご存知でしたらお教えください。

ゴメンナサイ。わかりません。次の2点を言い訳とさせて下さい。(1)WW2 に関わる史跡、
モニュメントは街中に山ほどある。(2)住んでると、いつでも行けると思うせいか、意外に
史跡巡りはしてない。(僕は実はまだマーライオン公園に行った事も無ければ、ラッフルズ
ホテルのバーでシンガポールスリングを飲んだ事もありません。ゲストを案内したりする
ので、ナイトサファリ=日没に開園する夜行性動物の動物園には、ん十回行ってますが。
全くの余談ですが、キリンが夜行性動物ってご存知でしたか?)。

街中で一番目立つWW2がらみではWar Memorial Parkのモニュメントがあります。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&querytime=Q&q=War+Memorial+Park+Singapore
場所はここ http://streetdirectory.com/map.cgi?x=30358.6898148148;y=30547.6898148148;level=7&xyfile=
とにかく大きいですから、ラッフルズホテル周辺を歩いているとすぐ分かります。

後、僕が知っている石碑では、英語のほかに「日本語」が併記されているものも
ありました。(申し訳ない、内容は書き写せるほど覚えていません)。まれにしか
訪れないであろう日本人訪問者に、それでも読んで欲しい。という意志表示である
と理解しました。あと、コンクリ製のトーチカとかもそのまま残してありますねぇ。

だけ。では不親切なので、Yahoo-Singaporeでチョト探してみたのですが、よろしければ、
以下の所あたりで探して見て頂けますか?。本当にイパーイありますよ。
http://www.heritagehub.com.sg/
http://www.knowledgenet.com.sg/

227文責:名無しさん:02/04/03 00:46 ID:h6F27qzK
>>225
>僕は==さんに来て欲しいですねぇ。繰り返しになりますが、僕は、彼のことを
>まじめな青年だと好感を持っておりますよ。

うん。真面目だと思うよ。
自分の世界を疑うことすら知らないし。
ひたすらに自分の世界観を押し付けようとするし。
すごく、純粋。

慰安婦問題を捏造し、南京虐殺を盲信しているのも、同じように純粋で真面目な人たち。
「単なる真面目」ってのは、良いこととも限らない。寧ろ悪。

>少なくとも自分の主張をきちんと 説明する努力は継続されてますな。

説明する努力をしているとは思えない。
自分の主張があるとも思えない。

「ここの奴らは親日しか知ろうとしない、ウヨどもばかりだ」という思い込みをして
啓蒙してやっているという優越に浸っているだけ。


ただ、それだけ。
228通りすがりの装甲巡:02/04/03 01:09 ID:0k6ZXdFr
>>227
いや、儂も>==は真面目だと思うよ。
(まとも でないのが残念)
少なくともどこかの誰かとはえらい違い・・・・・。
っつかコピペ以外のことしてたっけ?。>どっかのだれか(藁
229地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/04/03 01:21 ID:j5ylp5jo
>>227
まぁ、某F(社長が社員がバカ」だから業績が悪いと言った会社)系のSEの課長さんが
「9600bpsの構内専用線(常時他のデータ送信に使用中)で画像データをリアルに送れます。」
と提案するほどだから、あながちSEというのは間違いないかも。(w
しかし、9600bpsで画像データ送れる(それもリアルに)と言い切ったと言う話聞いた時には笑った。
周りが恥ずかしいから聞かなかった事にしましょうと指摘しても、
「俺のうちじゃ電話繋いで画像しっかりみれるぞ。」<=オイオイ今時どんな遅くても56Kだぞ。
と話を進めようとしたと聞いた時にはもっと笑った、良くFの課長になれたな。
(苗字はひろゆきを脅したフロント企業の方と一緒らしいが)

だから==氏も立派なSEかも知れませんよ。(藁
230文責:名無しさん:02/04/03 02:03 ID:jcgizHvm
>>210
う〜む、北朝鮮ですかぁ(笑

 (略)台湾では、創氏改名も許可制であり、役所に申請した
 上で審査を受けねばならず、これが受理されなければ改姓名
 を名乗ることが出来なかったのだ。
 私自身、軍隊時代もずっと「蔡焜燦」で通し続けたが、それに
 よって何か不都合、不利益があったということはない。
 奈良教育隊に入隊した台湾出身の同期約四十名の内、改姓名
 を名乗っていた者はわずか五名程度だったと記憶している。
 改姓名を持つ者も持たない者も皆一様に、「日本軍人として
 立派に戦って、祖国・日本を護るのだ」と至純の闘志に満ち溢
 れていたことにはなんら変わりはなかった。
 一方、同期で入隊した朝鮮出身者の中には、一人として長鮮名
 の者はいなかった。
 全員が創氏改名した上で入校していたことが興味深い。(略)
 黄文雄氏は、その著書「歪められた朝鮮総督府」の中で、次の
 ように指摘する。
 「台湾社会は朝鮮に比べると、二年遅れて「改姓名運動」を行
 った。しかし、台湾が朝鮮と違ったのは、朝鮮の場合が自己申
 告制によったのに対して、台湾の場合は「創氏改名」は許可制
 であったことだろう。」
--台湾人と日本精神/蔡焜燦--
231文責:名無しさん:02/04/03 02:04 ID:jcgizHvm
 李朝時代には、奴婢には姓氏はおろか戸籍さえ許されて
 いなかった。
 だから、日韓併合後、「一視同仁」に基づく「門閥廃止」と
 「万民平等」という社会改革の下ですべての朝鮮人が、階級
 を問わず戸籍を許され、奴婢までが姓氏を許された。
 それによって、人口の40%以上にあたる奴婢も姓氏を持つ
 ようになったのだ。
 台湾では、1895年の猶予選択期間において、日本国籍選択の
 自由を与えられた。
--韓国人の「反日」台湾人の「親日」黄文雄--
232文責:名無しさん:02/04/03 02:04 ID:jcgizHvm
日本軍と言えば、かならず「無差別虐殺、暴行、掠奪、強姦、放火」
という決まり文句がつく。
こういった歴史叙述は、どこかの「抗日史」の孫引きか創作であろう。
しかし台湾人の私かられみば、それは決して正しい歴史認識ではない。
差別はいかなる時代でも社会でもあるものだということは前述した。
しかし、神社参拝、創氏改名の強要は事実に反する。
台湾人は朝鮮人と違って、創氏改名を申請しても却下される場合が
多かった。
高嶺の花であったのだ。
強制どころではない。
私の幼いころは、神社に参拝しようとしても神様がいる神聖なところ
なので、大人と一緒でないとなかなか参拝できない場所であった。

「韓国人の「反日」台湾人の「親日」」黄文雄
233文責:名無しさん:02/04/03 02:05 ID:jcgizHvm
 台湾では、昭和十七年になって、陸軍特別志願兵制度ができた。
 「この志願兵制度が発表されるや、約千名の募集人員に対し、た
 ちまち四十万人もの志願者が殺到した。その競争率たるや実に
 四百倍に達したが、翌年にはこれをはるかに上回る六百倍を記録
 している。こうした応募者の中には血書嘆願する者も多く、その
 決意は内地の日本人に優るとも劣らぬものがあった」 

 「「台湾人元志願兵と大東亜戦争」の著者である鄭春河氏が血書
 嘆願し、大東亜の戦場へと赴いたのが昭和十七年の第一次募集の
 ときであり、こうして多くの台湾人青年が(祖国)を護るために
 志願していったのである。昨今、日本で強制化否かが取りざたされ
 た「台湾少年工」も、彼らは決して「強制徴用」で日本につれて
 いかれたのではない。このことは「台湾少年工と第二の故郷」に
 詳しいが、台湾の公学校を卒業したおよそ八千人の少年達が自ら
 志願して日本に行ったのである。(略)だからこそ、本の題名に
 もあるように、高座海軍工廟のあった神奈川県大和市を「第二の
 故郷」と呼び、市の公園に「台湾亭」という東屋を寄贈して、いま
 でも心暖まる交流を続けているのである」
234文責:名無しさん:02/04/03 02:06 ID:jcgizHvm
 「(略)黄氏は、台湾人より早く志願兵制度が導入された朝鮮の軍人
 志願者のデータを紹介している。それによると、1942年(昭和十七年)
 の募集人員4千77名に対して志願者は254万273名で、その倍率は約
 六十二倍。同じ年の台湾人志願兵倍率(四百倍)には遠く及ばない
 までも、高い倍率で志願者が殺到したことには相違ない」

(略)この志願兵制度が発表されるや、約千名の募集人員に対し、
 たちまち四十万もの志願者が殺到した。その競争率たるや実に四百倍
 に達したが、翌年にはこれをはるかに上回る六百倍を記録している。
 こうした応募者の中には血書嘆願する者も多く、その決意は内地の
 日本人に優るとも劣らぬものがあった。(略)
 「台湾人元志願兵と大東亜戦争」の著者である鄭春河氏が血書嘆願し、
 大東亜の決戦場へと赴いたのが昭和十七年の第一次募集の時であり、
 こうして多くの台湾人青年が(祖国)を護るために志願していった
 のである。
 昨今、日本で取りざたされた「台湾少年工」も、彼らは決して「強制
 徴用」で日本に連れていかれたのではない。
235文責:名無しさん:02/04/03 02:06 ID:um8sEEO0
 このことは「台湾少年工と第二の故郷」に詳しいが、台湾の公学校を
 卒業したおよそ八千人の少年達が自ら(志願)して日本に行ったので
 ある。(略)
 だからこそ、本の題名にもあるように、高座海軍工廠のあった神奈川県
 大和市を「第二の故郷」と呼び、市の公園に「台湾亭」という東屋を
 寄贈して、いまでも心暖まる交流を続けているのである。
--台湾人と日本精神/蔡焜燦--
236文責:名無しさん:02/04/03 02:07 ID:um8sEEO0
 「この「子供強制徴用の実態」に関して、あたかも「歴史発掘」の
 ように、韓国では一時、歴史捏造に狂奔した。「東亜日報」は、「
 神奈川県で十二から十八歳の台湾少年工八千名が、軍需工場で、強制
 労働させられていたことが明らかになった。しかし、八歳の少年強制
 労働と火葬というのは、ひょっとすると日本全国で初めて確認された
 ことではないだろうか」と日本の大学教授の発言を引用して報道して
 いる。(略)実は、台湾少年工についての歴史捏造と歪曲ほどひどい
 ものはない。戦争末期、台湾から日本に来た八千名の台湾少年工は、
 主に名古屋、大和市、群馬県の戦闘機工場で働いた。彼等は「強制連行
 」ではなく、厳しい筆記試験に合格、さらに身体検査にも合格、校長
 と両親の許可を得て来日したものであった。(略)彼等は現在「高座
 会」をつくり、生存者は七十歳前後になっているものの、なおも五千
 人以上の会員を有している。会誌も発行されている。(略)彼等は日
 本人の友人との絆が強く、九十四年の大和市の大会では、二千人以上
 の会員が台湾から来日し、大和市は、交通大渋滞になるほどであった。
 当時、日本のマスコミは、彼等を「強制連行」と報道したため、自尊
 心を傷つけられた会長が会員全員を引き連れ、新聞社へ抗議に行くと
 いう話もあったほどだ。戦争末期の米軍空襲下でともに働いてきた台
 湾人と日本人は、上官と部下の関係のみでなく、その絆もなかなか強い
 。私は台湾から来た昔の少年兵を連れ、かつての日本人仲間の病気見
 舞いや、老後の不遇者の生活の面倒に奔走する戦友を案内したことも
 あった」
--韓国人の「反日」台湾人の「親日」/黄文雄--
237文責:名無しさん:02/04/03 02:08 ID:um8sEEO0
 「李朝時代の農民の惨状については、チョンヤギョンの「牧民心書(モン
 ミンムソ)」に、じつに細かく描かれている。韓国知識人は、李朝時代の
 農民の惨状を脚本して、すべて「日帝三十六年」にすり替え、歴史捏造を
 したのだ」

 「「日帝三十六年」の農業改革は、朝鮮半島の人口倍増、穀物倍増をもたら
 した。具体的数字を直視することで正しい歴史は把握できるというもので
 はないだろうか。「米の搾取」云々とは、もっとも荒唐無稽な妄言で、朝鮮
 総督府による農政改革、農地改良によって奨励金を出し、逆ザヤ制度まで
 施行し、質、量とも成果をあげ、史上空前の米の生産量倍増を達成し、朝鮮
 半島の人口倍増を支える基礎をつくったのだ。それが史実だ。「日帝」の地
 下資源に対する「搾取」「略奪」という見方も、ただ妄想的な捏造で、日本
 政府は、産金をはじめとする地下資源についても、巨大な資本投下で、補助
 金によって軒並み赤字の地下資源の探掘を支えていた。韓国人学者が対日
 貿易赤字だけでなく、貿易そのものまでを「搾取」ととらえているのは、
 まさしく紛れもなく経済無知を自白しているもので・・」
238文責:名無しさん:02/04/03 02:08 ID:um8sEEO0
 「「日帝三十六年」による国土開発計画に見られる治山治水、交通、流通
 システムなどインフラ整備、文化の保護と教育の普及が、韓国の近代国民国家
 の基礎をつくったのだ」

 「韓国知識人は「貿易」それ自体を搾取ととらえている場合がじつに多い。
 米の搬出を日帝の「搾取」と見ることなどは、理論的欠陥であろう。「日帝」
 の米政策も、金鉱の採掘も、むしろ日帝が補充金を出し、韓国経済生活の向上
 に寄与しているにもかかわらず、わざわざ搾取と歪曲することが、典型的な
 例証である」

 「日本が最も貢献したことを「搾取」という愚論に置き換えるのは、
 中国の文人と同じで、よく使用される独り善がりの常套手段だ」
--韓国人の「反日」台湾人の「親日」/黄文雄--
239文責:名無しさん:02/04/03 02:09 ID:um8sEEO0
 「日帝は植民地住民の搾取以外にも、その言語まで奪ったと指摘
 され、日本人は今日も、たびたび避難されている。ことに朝鮮半島
 の場合は、それを「七奪」の一つとして繰り返し指摘されている。
 それはまったくの歴史歪曲だ。言語まで奪ったというよりも、日本人
 はハングルの習得を奨励したというのが事実である。朝鮮語は、
 東北、西北、中部、西南、東方、済州島の六つの大方言区分に分かれ
 、李朝時代には、言語的には決して統一されてはいなかった。そこ
 で、朝鮮総督府は、朝鮮語を体系化したのだ。両班は漢文、漢語
 を中心に、諺文、諺語を排斥、軽蔑していた。ソウル語を標準語
 として、漢字、ハングル混じりの文章を体系化したのは、統監政治
 以後の日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力による
 ものだ。また台湾では、早くも二代目の桂太郎総督の代からすでに
 台湾語の習得を奨励し、「土人に邦語を学ばしむると同時に、吏員
 も亦事情の許す限りに於て台湾語を研究するを勉むべし」(井手季和
 太「台湾治績志」と訓示している」
240文責:名無しさん:02/04/03 02:10 ID:SNXRalc6
 「当時の戸口調査によれば、早くも台湾領有十年後の明治三十八年
 には、在台日本人のうち、すでに六千七百十人が、いずれかの台湾語
 を話、しかもそのうちの二百八人が常用語としていたという(「台湾
 総督府」)。明治期に、すでに旧慣調査や台湾語大辞典の編纂も完成
 し、台湾の言語、文化保護に大きく貢献した」

 「日本時代の高等学校教科書の語学教育を見ると、英語以外にはドイツ
 、フランス、ロシア語があり、満州語、モンゴル語、韓国語、マレーシア
 語等々多くの言語があった。私が古本屋で見つけた高校教科書のマレーシア
 語とモンゴル語の古本には、当時の台湾学生が書き記した注釈、読み方が
 びっしりと書き込まれ、かなり勉強していたことを窺わせる」

 「日韓合邦後の学校教育では、日本人も朝鮮人も双方の言語を学習した
 のも歴史的事実である」
241文責:名無しさん:02/04/03 02:11 ID:SNXRalc6
 「朝鮮半島では文民総督として知られる三代目斉藤実総督の時代に、京
 城帝大の創立をはじめ、朝鮮語使用を奨励するために、臨時議会から経費
 の協賛を得て、所属官署の内地人職員に対し毎年一回、総督府、あるいは
 道の認定試験に合格したものに、一定期間、月に五十円以内の奨励手当を
 支給していた。皇民化運動の推進役として最も非難された南次郎総督で
 さえ、ヒヨンヨンソプらの朝鮮語廃止の建言をきっぱりと断っているのだ」
--韓国人の「反日」台湾人の「親日」/黄文雄--
242文責:名無しさん:02/04/03 02:12 ID:SNXRalc6
蘆溝橋事件の経緯。日本軍は支那軍の四度に渡る攻撃、七時間を堪えた。
後になって劉少奇(リュウショウキ:中国共産軍)がスターリン(ソ連)の
命令で俺がやったと名乗り出ました。
共産党軍の兵士向けのパンフレットには、
「廬溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって
行われたものである」 とはっきりと記述されていました。
又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、
「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方
に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我
々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」 と発言しています。
共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。

 中共政権が支那本土を掌握した時(1949年10月1日)、中華人民
共和国宣言の際)周恩来首相は誇らしげに言ったのです。
「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍
(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両
軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)
に今日の栄光をもたらした起因である」
 動向5月号1539号「唐沢」を嗤って過ごせるか 参照

 戦史研究家 山内一正
243文責:名無しさん:02/04/03 02:13 ID:SNXRalc6
「慰安婦強制連行問題」には何ひとつ証拠がない。
フィリピン(ホセ報告)
そして筆者は、当時を知る生存者の話を聴き、さまざまな日記、公式
および準公式の文書、ゲリラの新聞などを読んだ結果、戦時中、フィリピン
では日本軍による大規模な強制的売春はなかった、という結論に
到達した。
韓国(クマラスワミ)
「募集方法を立証する書類はほとんど残っていない」
「実際の募集の過程に関する公文書はなく、ほとんど
すべての慰安婦の募集に関する証拠は、被害者自身の口頭
証言だけである」
韓国(挺対協著書)
「今まで発見された軍文書のうち、慰安婦の動員方法を具体的に
説明するものは一件もない」
韓国(吉見義明)
97年2月1日の朝生で証拠がないことを認める。
中国(秦郁彦)
中国では戦中から戦後にかけて、慰安婦問題に対する関心薄かった。
100巻にのぼる国民政府の公式戦史にも、関連の記述はほとんど見られ
ない。
日本(官房副長官:石原信雄)
「いくら調べても日韓双方に強制連行を示す証拠がない」
244文責:名無しさん:02/04/03 02:17 ID:SNXRalc6
本事件の事実と状況を仔細に検討した後、同委員会(リットン)は次のような
最終的考察をもって、過去を片付けたのである。
「前諸章の各読者に取りては、本紛争に包含せらる諸問題は往々称せらるるが
ごとく簡単なるものに非らざること明白なるべし。すなわちこれらの諸問題
はむしろ極度に複雑なり。一切の事実およびその史的背景に関する徹底せる知識
ある者のみ右問題に関する確定意見を表示しうる資格ありというべきなり。
本紛争は一国が国際連盟規約の提供せる調停の機会をあらかじめ利用し尽くすこと
なくして、他の一国に宣戦せる事件に非ず、また一国の国境が隣接国の軍隊により
侵略せられたるがごとき簡単なる事件じもあらず、なんとなれば、満州においては
世界の他の部分において、正確なる類例を見ざる幾多の特殊事態存するをもって
なり」(略)
「右地域は法律的には中国の一構成部分なりといえども、本紛争の根底をなす
事項に関し、日本と直接交渉を遂ぐるに十分なる自治的性質を有したり」と
言っている。

「パル判決書」
245文責:名無しさん:02/04/03 02:19 ID:kd0xPZzy
(略)損害が僅少であったということは、むしろ日本の陰謀
説に矛盾するものであって、それは第三国による裁定を求める準備
をしていたほうの当事国によって計画されたかもしれないという説
と一致する点が多い。
もし日本がこの事件を企てるつもりであったとしたならば、それは
世界に対し、日本のその後の行動を正当化する理由をつくるために
のみ企てたはずである。
日本の陰謀者達はその点に関する世界の輿論は、主として生じた
損害の大きさいかんにかかることを認識しるくらいの見識は持って
いたと認めてよいことは確かである。
彼ら自身が陰謀者であり、かついずれの方面からも突然妨害される
可能性はないのであるから、彼らはその破壊をもすこし上手にした
であろうと期待して差し支えないであろう。
現在証拠の示すところによると、この計画は、遂行された結果をみ
れば、ある興奮した一団のものを軽率な行為に追い込み、その後
その行為を利用して国際的機関から救済を求めるために、企てられ
たという説に一致する点が多いように思われる。

「パル判決書」
246文責:名無しさん:02/04/03 02:20 ID:kd0xPZzy
1923年度の「国際問題概観」には、英語使用国の輿論および外交が
「一歩一歩巧妙なる策略を弄し」日本をその強固な地位と思われた
立場から負い出したと述べてある。
「日本は巧みにそして特別に、みずからの手によって作り上げた仕事
を破壊する特殊の役割を演じさせられた」。
中国もまたこの策動に参加する機会をもった。
「中国政府のベルサイユ条約調印拒否は、合衆国議会がこれを批准する
ことを拒絶した結果、意義深いものとなった」。
本官がいまこのことを述べているのは、どちらの側が正しく、またど
ちらの側が誤っているかをいうためではない。
本官は、奉天事件は中国側によって画策されたものであると主張する
日本の仮説を支持し、たとい中国側に軍事的準備が欠けていたとしても、
この仮説は、全然排除されないということを指摘しているに過ぎない。
この点において、中国側が獲得した中国に有利な最終的決定に関し、
国際連盟の到達した決定を、つぎのように見る第三者の批評家もない
わけではない。
すなわち「ヨーロッパは日本の特殊な困難、またはこの紛争の基本的
本案についてすこしの関心ももたないという感情を」生ずるように仕
組まれたものだというのである。
連盟の結論は、たんに「日本がジュネーブの計画をぶち壊したという
不愉快さ」だけによって、刺激されてできたものであると考えたもの
さえいた。

「パル判決書」
247文責:名無しさん:02/04/03 02:21 ID:kd0xPZzy
太平洋の周辺にある白人諸国による東洋人排斥運動は、その初期に
おいてはたんに地方的性質をもつものであった。
しかし漸次これは国家的運動の状態をとるようになり、国家による
立法、国家による法律励行の制度がその運動の帯びる特色となった。
この東洋人排斥の感情は、第一次世界大戦後その力を削がれること
なしに存続し、制限および排斥を支持する議論の重点は、しだいに、
経済論から文化的、生物学的議論に移っていった。
(略)
問題がもう一つあった。
すなわち、日本の人口過剰である。
ハウス大佐がバルフォア氏にたいして指摘したように、---この意見に
たいしバルフォア氏は、“強い共鳴”を示したが---「世界は彼らに
たいして、アフリカに行ってはならない。いずれの白人国家にも行って
はいけない。中国も駄目。シベリアにもはいってはいけないと言った。
しかも彼らの国は、土地はすべて耕し尽くされており、しかも日々に人口
の増加しつつある国家である。しかし、彼らはどこかへ行かなければなら
なかった」のである。

「パル判決書」
248文責:名無しさん:02/04/03 02:22 ID:kd0xPZzy
日本政府は真摯かつ不断に、「慎重な世界的平和の精神と相和する
真実な平和政策」をとっていたのである。
「日本はその歴史のこの段階において数々の実例をもって、平和への
意志をきわめて印象的に示した」。
「すなわち日英同盟の失効の甘受、ウラジオストックおよび青島からの
軍隊撤収の決定、1924年の挑発的な米国移民法にたいする日本の威厳ある
自制、またとくに銘記すべきさい、たとえば1927年の南京不法事件の時、
日本側はその自衛については米英いずれよりも遥に非闘争的であって、
中国の挑発にたいしてことさら報復手段をとらなかったことである」。

幣原および井上のような人物の政治手腕は、「およそ人間としてできる聡明
な処理」の模範と考えられていた。
日本の歴史上この段階において、日本は真実の平和政策を遂行していた
だけでなくまた隣接諸国家によっても、これを遂行しているものと認められ
ていた。

--共同研究パル判決書--
249文責:名無しさん:02/04/03 02:22 ID:kd0xPZzy
しかし、こういった政策が通用するような世界状況ではなかった。
リットン報告においても、「実績はなはだ貧弱なりしやの観ありたる対中国
幣原「協調政策」」と言われている。
また、パル判決書でも
(略)ワシントン会議以来十年間、日本政府が採用していた進路から、日本
の外交政策の方向を偏向させる要因となったのである。
「幣原および井上のような人物の政治的手腕中に示されているような、およそ
人間としてできる聡明な処理は全世界にわたって大規模に作用していた集団
的社会勢力の動きによって水泡に帰した」(略)
「多年にわたる世界不況の過程における経済的圧迫の仮借なき強化に悩まされ
て」日本人はついにかれらの一貫した工業的ならびに商業的発展を行おうと
するにあたって、従来採用してきた政策に幻滅を感じた。
彼らが従来行ってきた政策は、日本の力の及びがたい人間的な力だけでなく、
さらに同じように「人間の力も及びがたい非人間的な力によって、破滅の
運命にある」と見られたのであって、よかれあしかれ日本人は、この政策
を維持することによって「経済分野でかれらの国家的生活手段を得ようと
する試しみを続けることに絶望した」としている。
だからこそ、日本国民は満州事変や太平洋戦争開戦に歓声を挙げたのである。
つまり、大熊信行の言うように、「軍国主義というものは、一部少数の軍人
の中にのみあったのではない。われわれ日本人のほとんどすべてにおいて
あったものなのだ」(戦争体験における国家)
と、言うことである。
250文責:名無しさん:02/04/03 02:28 ID:yKBxRGIz
復員兵が言ってたから「虐殺はあった」とか言い出すんなら
下のようなものもOKってことになっちゃうね。

あれは平成四年八月初めの暑い日であった。
山口県の萩の松蔭神社を訪問した際、その途中で下関に降り立ち、
いまは亡き森王琢氏を訪ねたことがあった。
明治四十二年生まれの森王氏は、そのとき八十三歳、小柄ながら
矍鑠たる体躯で、その人となりは、高潔そのものという感じであった。
お話によれば、氏は陸士43期生で、南京総攻撃に際しては、京都第十六
師団歩兵第二十連隊第三大隊の大尉であったが、大隊長戦死のため、大隊長
代理として参戦されていた。
お話が進むと、やがて氏は、言葉静かに「南京虐殺など見たことも聞いた
こともない」ともらされた。
その口調は穏やかであったが、真実が歪められていることに、我慢ならない
といった風情であった。

「「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究/藤岡信勝、東中野修道」あとがきより
251文責:名無しさん:02/04/03 02:30 ID:yKBxRGIz
--南京では大虐殺が行われたと言われていますが・・・。

三苫--私は陥落直後の南京を見ておりますから、自信を持って
言えることですが、大虐殺の話なんか見ても聞いてもおりません。
痕跡すら何一つありませんでした。
(略)
日本軍兵舎に収容生活を送り、半年ばかりして引き揚げてきた
のですが、この間一度も虐殺の話を聞いていません。
虐殺の話を知ったのは、例の極東軍事裁判で問題にされたからです。
あれは戦勝者のでっち上げです。
私は全く信じておりません。

--そのほかに何か当時を知る参考になることがありましたら・・。

三苫--それにはこれを見てください。
私が南京支局に勤務している時、南京陥落二周年がめぐってきました。
本社では記念特集を企画しました。
福日南京支局では中国人夫妻をボーイとして雇っておりました。
二人は戦争中も南京にいて、当時のことを詳しく知っていました。
私は匿名の条件でいろいろ聞きただして記事にしました。
その記事は福日紙の昭和14年12月10日付第7面に載りました。
難民区の有り様がよくわかると思いますので、読んでみます。
見出しは
「難民に当時を聴く、恐怖の拉夫、拉婦、目に余る中央軍の暴虐」
で、男の名前は黄真民(仮名。27歳)で、南京より南方十里ほど
隔てた郷土の出身で、中学卒業の学歴があり、女は陳美君(仮名。
26歳)で母は蘇州人です。
252文責:名無しさん:02/04/03 02:30 ID:yKBxRGIz
記者--日本軍がやってきた時君たちは何処で如何していたか。

黄--私たち夫妻は国際委員会で設定された南京城内西北の山二紙路
からズッと入ったイホロの難民区にいました。
難民区には三十万の難民が混雑していました。
中央軍の兵士が銃槍を持って夜となく昼となく交る交るやって来て
難民を検察し、食料や物品を強奪し、お金と見れば一銭でも二銭でも
捲き上げて行きました。
最も恐がられたのは拉夫、拉婦で独身の男は労役に使うため盛んに
拉致されていき、夜は姑娘が拉致されていきました。
中央軍の横暴は全く眼に余るものがありました。
(略)
記者--君の郷里は南京からそう遠くはないじゃないか、何故郷里へ
避難しなかったのか。

黄--それは途中に土匪が多いからです。中央軍も沢山います。

記者--中央軍が居た方が土匪が来なくて都合がよくはないか。

黄--いいえ中央軍も土匪と同じです。
金や品物を持って居れば、殺したり、強奪したりするのです。
(略)
記者--それで土匪や中央軍が恐かったわけだね。
253文責:名無しさん:02/04/03 02:31 ID:yKBxRGIz
黄--恐いものはもっとあります。

記者--それは何だ?

黄--悪人です。
支那には悪人が沢山います。
一面識のあった私の朋友が、私に金があることを羨んで、悪人に通じた
のです。
それでその悪人が私を捉えて懐中の八百元を強奪して逃げました。

記者--それは何時頃のことか。

黄--日本軍人進城の時です。
その悪い朋友は今は何処かへ姿を晦まして帰ってきませんが、金を奪った
悪人はまだ南京にいて時々顔を合わせます。
その悪人の被害者は沢山あります。

記者--何故警察に届けぬのだ。
254文責:名無しさん:02/04/03 02:31 ID:yKBxRGIz
黄--いいえ、それは無駄です。
悪人は徒党を組んでいます。
私から金を奪った悪人は今は食うものがなくてひどく貧乏をしています。
(略)

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
福岡日々新聞・三苫幹之介記者の証言
255文責:名無しさん:02/04/03 02:34 ID:qdOTY63w
テレビもよく見ているというので、「なぜ日本人慰安婦は名乗り
出ないのでしょうね」と聞いてみたら、「二百万円じゃだめでしょう。
二千万円ならいるかもしれんが」と彼女は笑いにまぎらせた。

「慰安婦と戦場の性」秦郁彦
256文責:名無しさん:02/04/03 02:35 ID:qdOTY63w
しかし、どいたかっこ、って人の思考停止ぶりは半端じゃないね(苦笑
257文責:名無しさん:02/04/03 02:41 ID:qdOTY63w
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/sawada_kikokumade.htm
・中国側の姿勢は、初めから一貫していた。学習のための
用紙、筆記用具、本と資料の提供。
我々がその渦中にあった日本軍国主義思想の批判、
歴史を振り返り反省を行うための、学習、思想改造の勧め。
・管理所の職員が中央から受け取った指示は、その過去の罪
行を追及してこれを罰することではなく、「その思想を憎ん
で人を憎まず」という精神で思想改造をさせることであった。
思想改造とか自分で言っちゃってるし、このおじいさんはあ
りがたがって完全に洗脳されてるが、全部読めば中帰連の人
達が洗脳された過程が良く判るよ
258文責:名無しさん:02/04/03 02:44 ID:qdOTY63w
「朝日新聞 天声人語」 昭和31年8月1日
“洗脳”という言葉がある。
英語では、ブレーン・ウォッシングという。
中国で造られた言葉だ。むろん古い中国語ではない。
革命後の中共に生まれた新語で、変脳ともいう。英語には“ターン・コート”
というのがある。
服の裏返しから転じて裏切り者、変節者の意味に使う。
洗脳はこれとは違う。頭脳をすっかり洗い張りして別の思想に仕立て直す。
思想改造であり人間改造である。
中共は革命後、この“洗脳運動”によって国民の“人間改造”をやった
といわれる。いわゆる“学習”や“自己批判会”で国民の思想の入れ替えを
やったといわれる。
こんどの興安丸帰国者のうち328人の“釈放戦犯”は、判で押したように
同じことを言うと報ぜられる。
十余年の苦しい抑留にも少しも不平をいわず、ひたすら過去の罪を総ざんげ
しているそうだ。
それが撫順組も太原組も、元軍人も元憲兵も満鉄社員も医者も技術者も作家も、
十人が十人とも申し合わせたように同じで、面会に行った妻と二人きりになっても、
中国の土を離れた船上でも言うことは変わらず、それでいて驚くほど明るい顔をし
ているという。
侵略の罪を個人としてもざんげするのに不思議はないが、一般帰国者が各自
めいめいの考えをもっているのとくらべて、“戦犯”たちはやはり“洗脳”
の洗礼を受けたのかと思わせられる。
十年も社会から隔離されて朝から晩まで繰り返し“学習”させられたら、たい
がいの人間は同じ鋳型にはめこまれるだろう。

朝日もまともな時期があったんだね(笑
259文責:名無しさん:02/04/03 02:46 ID:qdOTY63w
どいたかっこ、という人にも、同じような「洗脳」の匂いを
感じるのは私だけ?
260文責:名無しさん:02/04/03 02:50 ID:ukHCsGAU
■1.われわれ黒人は日本に最大の敬意を払う■

 全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを
見守っている。

 1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すこ
とのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。
米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平
等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。

 日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち
寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロ
ー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあ
らゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆
願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役を
するというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に
嘆願したのである。

 われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問
題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬
意を払うものである。

 全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦
しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の
仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた。
[1,p71-76]
261文責:名無しさん:02/04/03 02:50 ID:ukHCsGAU
 しかし、本誌52号[a]で紹介したように、日本の提案は16
カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領
ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられ
た。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南
部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事を知っ
ていたのだ。

 アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り、全米で数万人
もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。

■2.茶色い男たちのパンチが白人を打ちのめし続けている■

 アメリカの黒人社会が、日本に期待をかけるようになったの
は、日露戦争の時であった。白人の大国に、有色人種の小国が
独立をかけて、果敢な戦いを挑んでいる、と彼らは見た。

 米国黒人として最初の博士号をハーバード大学でとった黒人
解放運動の指導者W・E・B・デュボイスは、ヨーロッパに
よる支配から有色人種を解放してくれる可能性のもっも高い国
として、日本を支持した。

 日本が勝てば、やがて「アジア人のためのアジア」を声高に
叫ぶ日が来るだろう。それは、彼らの母なる大地アフリカに同
じような声がこだまする前兆となる、と米国黒人の指導者たち
は考えた。黒人紙「インディアナポリス・フリーマン」は次の
ような社説を掲載した。
262文責:名無しさん:02/04/03 02:51 ID:ukHCsGAU
 東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが白人を打ちの
めし続けている。事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人
にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入
れようとしている。有色人種がこの試合をものにするのは、
もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、ついに
今突き崩されようとしている。

 日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てない、という
ヨーロッパ人による世界侵略の近代史で生まれた神話を事実と
して否定してみせたのである。[1,p53-66]

■3.黒人と日系移民の「連帯意識と共感的理解」■

 1920年代に本格化したアメリカへの日系移民に対して、黒人
たちは温かく接した。「フィラデルフィア・トリビューン」紙
は、次のように述べた。黒人たちは日本人を心から尊敬してい
る。同じ『抑圧された民族』であるのもかかわらず、「自分た
ちのために一生懸命努力する」日本人の態度は見習うべきもの
である、と。

 カリフォルニアのオークランドでは、黒人発行の新聞に日系
人がよく広告を出した。「ミカド・クリーニング」、「大阪シ
ルク工業」等々。逆に日系人の新聞には、黒人への差別やリン
チを非難する記事がたびたび登場した。
263文責:名無しさん:02/04/03 02:52 ID:ukHCsGAU
 ロサンゼルスの日系病院の医師のうち、二人が黒人だったこ
とについて、「カリフォルニア・イーグルス」紙は次のように
述べている。

 ほとんどの病院が黒人に固く戸を閉ざしている昨今、日
系人の病院がどの人種にも、門戸を開放していることは本
当に喜ばしい限りである。同じ人種の医者に診てもらうこ
とができる安心を患者は得ることができるのだから。

 黒人を差別しない日本人というイメージは、このようなメデ
ィアを通じて、またたく間に西海岸に広まった。「連帯意識と
共感的理解」、この言葉が両者のつながりを示すのによく用い
られた。[1,p82-89]

■4.日本人を救え■

 1923年の関東大震災の報に接したある黒人は「シカゴ・ディ
フェンダー」紙に「アメリカの有色人種、つまりわれわれ黒人
こそが、同じ有色人種の日本人を救えるのではないか」と投書
し、それを受けて同紙はすぐに日本人救済キャンペーンを始め
た。

 たしかに我々は貧しい。しかし、今、お金を出さなくて
いつ出すというのか。
264文責:名無しさん:02/04/03 02:52 ID:ukHCsGAU
 同紙の熱心な呼びかけは、多くの黒人の間に浸透していった。
万国黒人地位改善協会は、「同じ有色人種の友人」である天皇
に深い同情を表す電報を送り、また日本に多額の寄付を行った。

 「シカゴ・ディフェンダー」紙のコラムニスト、A・L・ジ
ャクソンは、長い間白人たちの専売特許だった科学や商業、工
業、軍事において、飛躍的な発展を遂げようとしていた日本が、
震災で大きな打撃を受けたことにより、黒人もまた精神的な打
撃を受けた、と分析した。日本人は「それまでの白人優位の神
話を崩した生き証人」だったからだという。[1,p82-86]

■5.日本のエチオピア支援■

 1936年のイタリアによるエチオピア侵略に対して、アメリカ
の黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を「最後の砦」とし
て支援しようとした。アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて、
日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事は、アメリカ
の黒人たちの心を動かした。

 「シカゴ・ディフェンダー」紙は、日本の宇垣一成大将が、
「イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけに
はいかない」「エチオピアの同胞を助けるためには、いつでも
何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう」と明言した
ことを伝えている。
265文責:名無しさん:02/04/03 02:53 ID:oFFKfeSc
 「ピッツバーグ・クリア」紙は、エチオピアに特派員を送り、
エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けたこと、戦闘機の
提供まで日本が示唆していたことを特ダネとして報じた。

 そして何よりも黒人たちを感激させたのは、エチオピアのハ
イレ・セラシェ皇帝の甥、アライア・アババ皇太子と日本の皇
族・黒田雅子女史の結婚の計画であった。これは実現には至ら
なかったが、日本がエチオピアとの同盟関係に関心を寄せてい
た証拠であった。シカゴ・ディフェンダー紙は「海を越えた二
人の恋は、ムッソリーニによって引き裂かれた」と報じた。
[1,p96-103]

■6.日本での「忘れがたい経験」■

 1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満州に1週間、中
国に10日間、日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリ
ア」紙に「忘れがたい経験」と題したコラムを連載した。

 デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、
「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が、さも当然であるか
のように、彼の前に割り込んだ。

 ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボ
イスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイ
スに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かま
しいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然と
した態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世
界の幕開けを予感させた。
266文責:名無しさん:02/04/03 02:54 ID:oFFKfeSc
「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個
人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、
われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種で
あり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」こ
とを、心から理解してくれているのだ。[1,p109-118]

 さらに、この旅で、デュボイスは日本人と中国人との違いを
悟った。上海での出来事だった。デュボイスの目の前で4歳く
らいの白人の子どもが、中国人の大人3人に向かって、どくよ
うに言った。すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。
これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。

 上海、この「世界一大きな国の世界一立派な都市は、なぜか
白人の国によって支配され、統治されている。」それに対して、
日本は、「有色人種による、有色人種の、有色人種のための
国」である。

■7.日本人と戦う理由はない■

 日米戦争が始まると、黒人社会の世論は割れた。「人種問題
はひとまず置いておいて母国のために戦おう」という意見から、
「勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう」、さらには「黒人を差
別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている」という意
見まで。
267文責:名無しさん:02/04/03 02:54 ID:oFFKfeSc
 デュボイスは、人種戦争という観点から捉え、「アメリカが
日本人の権利を認めてさえいれば、戦争は起こらなかったはず
だ」とした。

 黒人たちは、白人が日本人を「イエロー・バスタード(黄色
い嫌な奴)」、「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リト
ル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと蔑称をさ
かんに使うことに、ますます人種戦争のにおいをかぎつけた。

 アメリカは日本兵の残虐行為を理由に、「未開人」という日
本人イメージを広めようとやっきになっていた。それに対して、
「ピッツバーグ・クリア」紙は、ビスマーク沖での海戦で、ア
メリカ軍は多数の日本の艦船を沈めた後、波間に漂っていた多
くの日本兵をマシンガンで皆殺しにした、本土爆撃ではわざわ
ざ人の多く住んでいる場所を選んで、大人から赤ん坊まで無差
別に殺した、さらに「広島と長崎に原爆が落とされた時、何万
という人間が一瞬にして殺された。これを残忍と言わずして、
何を残忍と言おう」と主張した。

 軍隊の中でさえ差別に苦しめられていた黒人兵たちにとって、
白人のために、同じ有色人種である日本人と戦わなければなら
ない理由は見いだせなかった。ある黒人部隊の白人指揮官は、
隊の95%は戦う気力がまったくない、と判断を下した。黒人
兵の間では、やりきれない気持ちがこんなジョークを生んだ。

 墓石にはこう刻んでくれ。白人を守ろうと、黄色人種と
戦って命を落とした黒人、ここに眠ると。[1,p120-140]
268文責:名無しさん:02/04/03 02:55 ID:oFFKfeSc
■8.日系人強制収容を黙って見過ごすのか?■

 大戦中、日系移民は、米国の市民権を持っている人々までも、
強制収容所に入れられた。米国の黒人は大きな衝撃を受けた。

 第一に、日系アメリカ人だけが収容され、ドイツ系もイタリ
ア系も収容されなかったのは、あきらかに人種偏見のせいでは
ないか、という点。第二に、アメリカの市民権を持っている日
系人さえもが強制収容されるなら、黒人にも同じ事が起こる可
能性がある、という点であった。

 11万5千人もの人々(日系人)が、一度にアメリカ人
としての自由を奪われるのを、われわれ黒人は黙って見過
ごすというのか。

 ロサンゼルス・トリビューン紙のコラムニストが全米黒人向
上協会に呼びかけ、協会の代表はそれを受けて、次のような決
議文を提出した。

 われわれは人種や肌の色によって差別され、アメリカ人
としての当然の権利を侵害されることには断固として反対
していかねばならない。

 戦後、黒人社会は、収容所から解放されて戻ってきた日系人
を歓迎し、温かく迎えた。彼らは、日系人のために仕事を探し
たり、教会に招いたりしてくれた。[1,p140-152]
269文責:名無しさん:02/04/03 02:56 ID:oFFKfeSc
■9.歴史上、日本人が持ち得たもっとも、親しい友人■

 [1]の著者、レジナルド・カーニー博士(黒人史専攻)は次
のように我々日本人に呼びかけている。

 歴史上、日本人が持ち得たもっとも親しい友人、それが
アメリカ黒人だった。・・・この本を読んでいただければ、
日本の政治家や知識人たちが黒人を差別する発言を繰り返
したときに、なぜ黒人があれほどまでに怒り悲しんだかを、
心から理解してもらえるはずである。

 かつて、黒人から同じ有色人種として敬われていた日本
人。そんな日本人が、今ふたたび、その尊厳と親愛の念を
取り戻せることを、私は心から祈って止まない。おごりの
ない、謙虚な日本人−それが私の願いである。[1,p26]
270文責:名無しさん:02/04/03 03:06 ID:nr2aahvt
黒人って、白人よりよく「ジャップ」「ジャップ」
連発してるぜ。ある意味黒人の黄色人種への差別意識
って白人より強い。
271文責:名無しさん:02/04/03 03:09 ID:m8eRpiPt
統計でも取ったの?
272文責:名無しさん:02/04/03 03:17 ID:nr2aahvt
>271
俺が言っているのは印象。奴等は教育低いから仕方ない
面もある。
273文責:名無しさん:02/04/03 03:33 ID:ZeXzAZEW
>>270
ラップだから仕方ない
274文責:名無しさん:02/04/03 05:37 ID:oFFKfeSc
>>270
ジャップだ何だ、っていうような黒人は、暴動に乗じて韓国人商店を襲撃
するような輩でしょう。
275文責:名無しさん:02/04/03 07:03 ID:nr2aahvt
>274
そう、それはいえてる。哀しいことだが、教育低いとそうなる。
白人も相対的に教育高いだけで、ヴァカは救いようがない。
あんまり人種で親日度を計らないほうがいい。むしろアフリカ
とかのネイティブ黒人の方が、普通の人でも親日かもな
276親中親韓:02/04/03 08:55 ID:U1YpCaI7
>>270
それって差別的な使い方なんですか?
JAPはもともとは差別語じゃなかったよね。
この前スレにもあったけど、日米開戦の当時、
黒人球団にもJAPsとかいうのがあったらしいし(親日的意味で)。
黒人って白人から「ニガ」っていわれると差別って感じるみたいだけど
自分達の間では仲間を呼ぶときは「ニガ」って呼んでるよね。
女の人とかでも「あたしの男だ」って言うのと同じニュアンスで
「あたしのニガだ」って言ったりとかするし。
JAPって言ったからって必ずしも日本嫌いってわけじゃないのかな〜
と思ってみたり。

遅刻遅刻〜・・;
277どいたかっこ:02/04/03 09:38 ID:hI8WDQ1N

 「新しい歴史教科書をつくる会」主導の歴史教科書の沖縄戦に関する記述を
巡り、沖縄戦を経験した元ひめゆり学徒らから、「真実が伝えられていない」
などの批判の声が出ている。沖縄県内でもシンポジウムなどが開催され、反発
の声が上がり始めた。
 「扶桑社」(東京都港区)発行のこの教科書は、「沖縄では、鉄血勤皇隊の
少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って、一般住民約9万4000
人が生命を失い、10万人に近い兵士が戦死した」と記述している。

 「ひめゆり同窓会」事務局長の石川幸子さん(75)=那覇市=は、「負傷
兵の看護、医薬品や食料の運搬はしたが、戦ったなんてとんでもない」と、ひ
めゆり学徒も武器を手にしたかのような記述を批判。東京都杉並区の元ひめゆ
り学徒らも先月、「日本軍による住民虐殺の記載がない」などとして、この教
科書を採択しないよう同区に要請文を出した。

 沖縄戦を伝えるなどの平和活動をしている関西地区読谷村郷友会会長の平安
名(へんな)常徳さん(58)=大阪市生野区=は「ひめゆり学徒は、愚かな
教育を背景に戦争に動員された。なぜ沖縄戦が起こったのかも、記述すべきだ
」と主張する。

 沖縄大学と沖縄国際平和研究所は今月9日、シンポジウム「新教科書を沖縄
から考える」を開き、「子どもたちを歴史の真実から遠ざけるべきではない」
などのアピールを採択。宇根悦子・同研究所事務局長(45)は「沖縄戦をは
じめ全体的に殉国美談調にしている。誰のための教科書なのか」と話した。


 「扶桑社」書籍編集部は「ご指摘の個所は、文献に基づき執筆されており、
文部科学省の検定を踏まえたものだが、事実関係に明白な誤りがあれば訂正を
行いたい」とコメントしている

278文責:名無しさん:02/04/03 09:42 ID:sLCXQJFA
>どいたかっこさん
↓こちらへどうぞ
国粋マスコミが伝えない反日の話
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015487511/

お互いに盛り上げて行きましょう。

>>170
金玉出せ
279どいたかっこ:02/04/03 09:57 ID:hI8WDQ1N
旧日本軍兵士の著作『日本の戦争責任』が翻訳・出版へ

 日本の侵略歴史を反省した書籍――『日本の戦争責任』は1
日、中国社会科学院日本研究所と社会科学文献出版社によって
共同翻訳・出版されるとともに、日本研究所内で発行式を行っ
た。

 これは『東史郎日記』に継いで、中国で発行されたまた一部
の旧日本軍兵士が執筆した、自らの体験をもって日本の中国侵
略歴史に対し理性的分析を行った作品である。作者の若槻泰雄
さんは中国の青島に生まれ、その後徴兵に応じて中国侵略戦争
に参加した。若槻泰雄さんは、この本を書く目的として「力の
及ぶ限りの罪をあがなう」ためであると述べている。若槻泰雄
さんは『日本の戦争責任』のなかで、例の戦争を発動して中日
両国国民に極めて大きな災難をもたらした侵略戦争の張本人は
日本軍国主義であるという観点を表明した。


280文責:名無しさん:02/04/03 10:08 ID:sLCXQJFA
東史郎日記に継いじゃだめだろ・・・。
捏造日記をなんと心得る。
281文責:名無しさん:02/04/03 10:14 ID:+nZ0wqVg
>「日本軍による住民虐殺の記載がない」などとして、この教
>科書を採択しないよう同区に要請文を出した。

えー?日本軍が沖縄の住民を虐殺したのー?
282文責:名無しさん:02/04/03 13:21 ID:qecNQwme
129 :アザーヒ :02/04/03 01:14 ID:ihppaEOk
原子力については難しくて理解できないです。ごめんなさい。
こんばんは。
僕はお洒落ですか???最近はひげを生やしはじめました。
ハリマオはマレー語で虎でイギリスではマレーの虎と言われています。
日本ではマネーの虎という番組が人気があるそうですね。
ZAKZAKに書いてありましたがこれとは違いますよ。
彼は数千人のマレー人の部下を集めて盗賊になりました。
イギリス軍の仕掛けた爆弾を解除したりする仕事もしてとても
マレー人の長老とかから信頼されていたそうです。
彼はマレーシアの英雄です。テレビでは明日に特集が放送される予定の
ようです。
283文責:名無しさん:02/04/03 13:21 ID:qecNQwme
132 :アザーヒ :02/04/03 02:19 ID:ihppaEOk
どんな番組か見て感想を書きます。
ハリマオは妹を中国人に殺されました。中国人はそんな事実はない
と言ったり間違った歴史をマレー人は認識していると言ったりして
いますよ。
たしか僕の大学の先輩が駐日マレーシア大使だったと思う。
今は大使が交代しているかもしれないけどそうだったと思います。
アブダルアジズムハマッド・・・知ってません。
284どいたかっこ:02/04/03 13:36 ID:hI8WDQ1N
日本の新しい歴史教科書問題


今回の教科書検定は、1980年代に日本で起こった2度の教科書問題に続いて、
歴史認識という問題でのさらなる重大な事態である。これにより、日本国内
では現在にいたるまで、侵略戦争を否認し美化する右翼勢力が存在し、活動
を続けていることが証明された。歴史的原因により、日本は過去に起こした
侵略戦争という罪を真剣に清算しておらず、侵略は合理的なものであるとい
う「皇国史観(「日本国は天照大神を皇祖とする万世一系の天皇が統治する
皇国であると考え、日本の歴史を皇国の歴史として捉える歴史観」)を完全
に否定してこなかった。そのため日本では歴史的認識が長期的にあいまいに
されてきたばかりか、侵略戦争という認識を覆し、軍国主義を呼び覚ますこ
とを目的とした右翼勢力の言動は追及されず、侵略を美化し、歴史を歪曲す
る奇妙な議論が堂々と行われ、正義を主張する進歩的な人々は攻撃を受け、
差別されている。日本の右翼勢力はここ数年、日本経済が長期にわたり低迷
を続け、人々の情緒が不安定になっているという社会的背景を利用して、民
族的自虐に反対し、民族の自尊心を回復するというスローガンを掲げ、偏っ
た民族主義意識を扇動し、日本の軍国主義文化の泥沼へと押しやろうと企ん
でいる。このような腹黒い下心と危険な動きに対して、日本国民を始め、世
界中の平和を愛する人々は強く警戒するべきである。

このような重大な問題を抱える教科書が最終的に検定を通過したことにつ
いて、日本政府は逃れることのできない責任を負っていると言わねばならな
い。日本の検定制度によれば、教科書に何を記載するかは編集者によって決
定されるが、検定を通過させるかどうかの決定権は日本政府にある。今回の
教科書検定の過程で、日本政府は1982年の隣国条約に基づいて、検定におい
てはアジア諸国の人々の感情を考慮し、また1995年の村山首相を代表とする
日本政府が行った談話の精神に基づいて処理すると約束したほか、右翼学者
の歴史観は日本ではごく少数派で、日本国民の意思を代表するものではない
と説明した。にもかかわらず、歴史をゆがめ、アジア諸国の被害者の感情を
傷つける、このような教科書が検定を通過した。日本政府は自らの合意事項
に明らかに違反しており、日本当局が歴史問題において誠実な立場にあるの
かどうか、疑問を抱かざるを得ない。

学校教育は、将来の国民を育てるという重責を担っている。どのような
教科書を編纂し、検定し、どのような歴史観を用いて次の世代を教育する
かということは、国家の現在と未来に関わることである。19世紀から20世
紀にかけて、軍国主義による「皇民教育」はその世代の善良な日本国民を
毒し、彼らを侵略戦争へと駆り立て、大砲の餌食と成り果て、日本も空前
の厄災に見舞われた。現在でもこのような「皇国史観」を宣揚し、侵略を
美化する教科書が教室に持ち込まれれば、日本の青少年は著しく毒され、
日本が引き続き平和と発展の道を歩むことが阻まれ、国と国民を間違った
方向へと導き、日本国民の基本的利益が損なわれるであろう。

日本軍国主義が起こした侵略戦争の歴史を正確に認識し、取り扱うこ
とは、中日関係の政治的基礎である。歴史を正視し、歴史を鑑としてこ
そ、未来に向き合うことができる。日本政府が侵略を美化する教科書の
出版を許可したことは、中国人民の感情を著しく傷つけ、中日関係の健
全な発展を妨害した。我々は、日本政府が自らの合意事項を守り、中日
関係の大局を維持し、適切な措置をとり、悪影響を取り除くことを強く
要求する。そのようにしてこそ中日関係は21世紀にも健全に発展するこ
とができるだろう。

285どいたかっこ:02/04/03 13:49 ID:hI8WDQ1N
中国侵略日本軍による大虐殺暴行展、騰沖市にて開催

雲南省の端に位置する都市である騰沖市ではこのほど、「騰沖抗日戦
争資料、実物展」が開催された。展示されている反駁不可能な事実が表
しているように、中国侵略日本軍は、世界を震え上がらせた「南京大虐
殺」を行なっただけでなく、騰沖などの地でも一般市民を殺害するなど
残虐な罪行為を犯していた。

今回展覧された資料および実物は、騰沖が占領された時、日本軍が非
人道的にも一般市民を大量に殺戮した様子を反映している。中には日本
軍が農村で略奪する場面、日本軍により強姦された後殺害された女性、
日本軍により殺害された青年、日本軍により殺害された人々の死体など
たくさんの写真もある。展示品により、日本軍がナイフ、機関銃を使っ
て中国の一般市民を殺害した、心を抉ることも含む極めて残忍な手段が
明らかになっている。2年以上におよぶ間、騰沖において日本軍に殺害
された中国の人々の数は、2万8千人を超える。

286どいたかっこ:02/04/03 13:56 ID:hI8WDQ1N
侵略日本軍の罪証、湖北省襄陽(じょうよう)で発見

湖北省襄陽(じょうよう)に住む68歳の退職した教師・李連森さんは3月18日
、同地にある軍駐在キャンプ地を訪れ、62年間保有していた「侵略日本軍によ
る中国侵略の罪状記録」という貴重な資料を、兵士に向け公開した。この資料
には、現場で撮影された大量の写真が掲載されており、侵略日本軍が中国で犯
した、極めて大きな罪について、正確に記録されている。彼らによる工場爆破
、住居焼き討ち、一般人殺害、婦女暴行、一般人生埋めなどの罪は、非人間的
行為である。


李連森さんによると、この資料は彼が6歳の時、当時の国民党第5戦区司令部
の李宗仁氏の部下、少将参議であった姉の夫・李建華氏から渡されたものであ
る。資料は16冊から成っており、全部で96ページ、1938年7月に国民党軍事委
員会政治部が編集し、印刷したもの。資料には全部で173点のモノクロ写真が
収められ、「炸(爆発)、焼、殺、姦、掠(略奪)、流浪、抗日戦の陣容、侵
略日本軍の没落」などの8つの部分で編成されている。資料には、中国および
日本の戦争損失統計表が付けられている。

287文責:名無しさん:02/04/03 14:03 ID:7V7ZaQ4F
敗戦国の日本などいくら叩いてもいい、という論法なんだよね。
本質的にはね。これはひとつの侵略だよ。
しかも、歴史の抹殺、捏造という最も卑劣な手段を使ったね。
288文責:名無しさん:02/04/03 16:21 ID:0fEw5QVP
>>287
国内にそれを手引きしてる人間もいるしね。
289 :02/04/03 16:23 ID:W4TMsWDa
あ〜あ、良スレで応援していたのに、最近は戦争ガラミばっかり。
ややウヨの俺もひく。もう、ここ来んのは最後だな。
290どいたかっこ:02/04/03 16:26 ID:hI8WDQ1N
カトリック校でも賛否両論

「日の丸・君が代」批判の書簡めぐって 《こころ》
日の丸でなく、ハトをデザインした旗で「世界青年の日大会」に参加し
た日本代表団=昨年8月、イタリア・シエナでの結団式で
 カトリック学校は「日の丸・君が代」をどう扱うべきか、聖職者や学
校現場の中で意見が割れている。「無批判に受け入れるべきでない」と
いう問題提起に対し、「学校の判断に任せよ」という反論が強いのだ。

 カトリック中央協議会の機関である「日本カトリック正義と平和協議
会」は、2月20日付で「カトリック学校の日の丸・君が代・元号につ
いてのお願い」という書簡を全国の系列学校・幼稚園に送った。大塚喜
直担当司教(京都教区司教)の名による、こんな趣旨の呼びかけだった


 「多くのカトリック学校では、儀式などで日の丸・君が代を受け入れ
てきました。キリスト暦である西暦を使わないで、元号を使っている学
校もあります。プロテスタントの学校とは対照的なことです。儀礼とし
て当然などということでなく、見直すよう検討をお願いします。ちなみ
に、私たちは日の丸・君が代の強制に反対しています」
 全文が「カトリック新聞」3月4日号に掲載されると、翌々週の投書
欄には「日の丸などに罪があるのではない。それを利用して栄華を得よ
うとした人を非難すればいいことだ」という83歳の信徒の反論が載った。
 読売新聞と産経新聞が書簡を批判的に紹介し、一部の学校からも不満
が出された。「司教名による文書とはいえ、一機関のものにすぎない。
拘束力はない」と黙殺する理事長や学長もいる。
 こうした動きに浦和教区の谷大二司教は「カトリック新聞」4月22
日付の論説欄で「議論を始めよう」と呼びかけた。「慣習に無批判に従
うのでなく、キリスト教の価値観から見直す姿勢が大切だ。議論を重ね
、タブー視や感情論を乗り越え、日本の歴史も深く見直したい」と述べ
、排他的民族主義に陥る風潮を懸念している。
 翌23日から東京で開かれたカトリック中央協議会学校委員会主催の
第14回「学校長・理事長・総長管区長の集い」では、一部に「この場
で書簡を批判しよう」という動きもあった。分科会では、日本カトリッ
ク学校連合会の渡辺和子理事長が「各学校に任されるべき問題」と、呼
びかけに消極的な発言をした。

 参加した聖職者や理事長らの意見はさまざまだった。関西の女子大幹
部が「私立学校も国から補助金を受けている。国旗や国歌は尊重すべき
だ」といえば、ある修道女は「若者を多く預かっているのに補助金はわ
ずか。恩を着せられることはない」と反論した。別の神父は「日本社会
が侵略戦争を心から反省していないから、こんなことが問題になる」と
嘆いた。
 あるミッションスクールの外国人校長は「私の育った国では国旗国歌
の尊重は当然ですが、日本では微妙な問題ですね」と、こう話した。
 「数年前、在日韓国人の生徒が『祖父は日本に連れてこられ、一家は
その後も差別されてきた。その悲しみにつながる日の丸掲揚は再考して
ほしい』と訴えてきた。大議論の末に訴えを認め、それ以来、日の丸・
君が代はやめています」
 第2日には、「正義と平和協議会」の大塚司教も出席し、「一つの考
えを押し付けるものではない。いっしょに考えていこう、という趣旨で
す」と説明した。
 対立の背景には、第二バチカン公会議後、社会問題で積極的な姿勢に
転じている司教らへの反発がある。外国系修道会が設立した学校には、
日本で生きる証(あかし)として日の丸などをあえて取り込んできた経
緯もある。
 昨年夏にローマで開かれたカトリック「世界青年の日大会」に参加し
た代表団(団長・森一弘司教)は、各国がそれぞれの国旗を掲げる中で
、日章旗でない、新しい図案の旗を使っていた。
291文責:名無しさん:02/04/03 18:09 ID:QitSIig3
>>289
必死ですね。なんなんだか。。。。
292どいたかっこ:02/04/03 19:46 ID:hI8WDQ1N
大阪府箕面市立豊川北小学校(杉原正一校長、生徒445人)で18日に行
われた卒業式の直前、校庭に掲揚された日の丸が訪れたグループに降ろされ、
学校側が警察に出動を要請した。同市教委は19日、会見し、暴力行為がなか
ったことや旗がその場で返されたとして被害届を出さない考えを明らかにした

 市教委によると、午前9時ごろ、30〜60歳代くらいの男女計6人が、校
庭のポールに掲揚していた日の丸を降ろしているのを牧憲秋教頭が発見、駆け
寄ると、1人が手渡した。牧教頭と杉原校長が改めて掲揚しようとしたところ
、グループは「戦争に利用された旗をどうして掲げるのか」と言いながら、ロ
ープをつかむなどして妨害を続けたため、市教委に相談して同9時半過ぎ、1
10番した。
293文責:名無しさん:02/04/03 20:08 ID:yZSTNqkh
>>292
>戦争に利用された旗をどうして掲げるのか


だったら、中国国旗も韓国国旗も、掲げられないな。
星条旗なんか、どうすりゃ良いの?
294文責:名無しさん:02/04/03 23:00 ID:qecNQwme
http://www.tku.ac.jp/~kikaku/gakuho34-3/7ibunka.htm

 トンガでは、青年海外協力隊の活躍により、日本政府および日本企業への好感度が高い。
ヌクアロファの水道整備に無償資金協力が行われたこともあり、輪をかけた親日国。
国王が健康管理のため、日本製の自転車を愛用しているという話からも、感じられる。
エウア島にある学校の校長夫人からは、「日本は、トンガを平等に見てくれるから好き」
との言葉をいただけて、とてもうれしかった。
295文責:名無しさん:02/04/03 23:06 ID:qecNQwme
ポンペイの人々は、のんびり、おおらかで親日的

「南の島の人が、のんびり、おおらか」って当たり前じゃないか、と思われるかもしれない。
しかし、よく見るとヤップ、チューク(旧トラック)、ポンペイ、マジュロと、それぞれ島が
違えば、言葉も違い、顔も違えば、おおらかさも違う。
ポンペイの人は、本当におおらかで、争い事を好まず、のんびりしている。

日本統治時代のなごりと言われるが、道で人に会うと、日本人のように軽く会釈する。
また「反日感情」という言葉を良く耳にするが、(たしかにポンペイにも個人的にそう
いう人もいるにはいるが)総じてポンペイの人々は、日本人が好きで親日的だ。

一つには、戦前の30年以上にわたる日本統治時代の教育の問題。
(年配の方の多くは日本語を話し、勤勉さの教育を懐かしがる)
また、当時の町づくりが、良くできていた。戦争中にも大きな戦闘はなかった。
こういう良き昔を懐かしむ感情がある。

 また、現在ポンペイには在留邦人が100余人いる。
実は、戦前からポンペイに縁のある方々(およびその家族)が多い。
終戦でみなさん日本に引き上げて来た訳であるが、1960年代後半からポンペイに戻り始めた。
この方々がレストラン、スーパー、ホテル等のサービス業を興され、勤勉さを教えるとともに、
地元の人達といい関係を作ってきた。
現在も同様。レストランでは日本食がおいしい。
という訳で、親日的と同時に、日本人というと一目置かれる風潮は、今でも残っている。

296文責:名無しさん:02/04/03 23:15 ID:qecNQwme
親日度で世界一の国オマーンの日本片思い
 さて、オマーンの人たちの日本観はどうだろう。今回出あった人たちからさまざま
な考えを聞いた。その人たちに共通しているのは、オマーンの人たちにとって日本は
高度文明国で、偉大な経済大国であると思っているという認識だ。
 マスカット在住の日本人はおよそ100名。そのほとんどがビジネスマンか経済協
力関係、大使館関係の人たちである。オマーンから何かを学ぼうとしている日本人は
皆無だろう。
 新聞の報道でも、日本の話題は欠かせない。日本の皇室と経済界の話題は、オマー
ンの新聞の大きなテーマである。私たちが滞在中も、現地の新聞に日本に関する記事
が載らない日はなかった。前日に東京で発表されたトヨタの新車が、翌日のオマーン
の新聞では朝日や読売以上のスペースを使って報道されているのにも気が付いた。
 皇室についても、ヨーロッパ諸国の王室とのつながり以上に、オマーンの人たちは
日本の皇室について親しみを持っているようだ。それは、ひとつには、現国王の祖父
にあたる先々代の国王が退位後一時日本の神戸に住んで日本女性と結婚しており、そ
の孫にあたる王女は今もマスカットに住んでいるということと無縁ではないだろう。
その後、現国王の父である前国王も現カブース国王も3代にわたって来日しており、
こういう王室はほとんど例がないという。どんな田舎に行っても、「日本から来た」
というと、誰もが日本を知っているし、親しげに話が弾むのである。そこには、妙な
わだかまりや媚びは存在しない。敬意を持って接してくれるオマーンの人々の優しい
笑顔があるだけである。こんな経験は、先進国とよばれる欧米でも、まして東南アジ
アの国々でもなかったことだ。
 春先のサッカーの試合でオマーンは日本に負けているが、それは実力の差でしかた
ないと思っているらしい。それよりも、親戚のような日本には、アトランタでいい成
績を残して欲しいと思っているようなのだ。
 日本人在住者が少ないわりには(あるいは少ないからこそか?)、オマーンは世界
一の親日国と呼んでも差し支えないように思える。2年前まで、JICA(国際協力
事業団)の専門家としてオマーンに滞在した遠藤晴男氏はその著書『日本に一番近い
アラブの国 オマーンが見えてくる』の中で、オマーンの親日ぶりについてふれ、次
のように書いている。
「(一カ月に)オマーンとアラブ首長国連邦の新聞に日本の記事が載る回数と、日本
の朝日、日経両紙にオマーンの記事の載る回数を調べてみたことがある。なんと、前
者が231回なのに、後者がたった1回であった。それも<ヨルダンのフセイン国王
がオマーンを訪問する>というだけの小さな記事である。」
 遠藤氏がこれを調べたのは5年前の8月のことだが、今でもオマーンの日本に対す
る情報片思い状態は変わってないのではないか。オマーンが日本に向けている熱い視
線の231分の1しか、私たちはオマーンを意識していないということだ。

297文責:名無しさん:02/04/03 23:19 ID:qecNQwme
エストニアのお向かいの国フィンランドは、親日的な国だとよく聞きます。
親日的な理由のひとつには、『歴史上ロシア軍と戦い、これを撃退した数少ない国のひとつだから』らしいです。
東郷ビールもフィンランドで飲めますしね。
国が近いということもあって、エストニア人は、フィンランド人から、この話をよく聞くらしく、
特にエストニアの老人達には、親日的な感情を持つ人たちが少なくありません。

ピリタのビーチで、酔っぱらい仲間になった初老のおじさん達(ふたりとも、ものすごく太ってる!)もそうでした。
彼らは僕にこう言いました。『君の国では、まだ4つの島がロシアから返還されていないんだろう?』
これは、北方領土の事を言っているんだろうと思いました。
『僕らの国でも同じ様な問題を抱えている地域があるんだ。だから、同情するよ。』
恥ずかしい話ですが、僕は普段、北方領土の問題については、深く考えた事もないので、
その時は、何も建設的な意見は言えませんでした。

彼らは続けてこんな事も話してくれました。
『バルト三国がロシアから独立したときに、我々の国が一番平和的に独立を進めたんだ。他の2国では、多くの血が流されてしまった。』このことを彼らは、誇りに思っている感じでした。
彼らの語ったこのエピソードは、エストニア人らしさを良くあらわしていると思います。
エストニア人は、物事を合理的かつ理性的に判断する傾向があり、更に、シャイで内向的な性格が加わり、
争いを好みません。
日本で言うと東北の人々(わたしの父の郷里は岩手県です)を連想します。同じ北国ですしね。
『無関心を装いながらも、実は日本人に対して親近感を感じている人たちが、意外に多いのかもしれない。』と、
彼らと話しながら感じました。

エストニア人の中には、私たちアジア人に対して偏見を持つ人はいると思います。
他のヨーロッパ諸国で、あからさまな差別を受けたことは、僕自身数多くありました。
でも、エストニアでは、そういったことが少なかった。すばらしく気持ちのいい旅が続けられた。
298文責:名無しさん:02/04/04 01:41 ID:bdJQZH8V
> 沖縄戦を伝えるなどの平和活動をしている関西地区読谷村郷友会会長の平安
>名(へんな)常徳さん(58)=大阪市生野区=は「ひめゆり学徒は、愚かな
>教育を背景に戦争に動員された。なぜ沖縄戦が起こったのかも、記述すべきだ
>」と主張する。

「日本の戦後教育のごとき、(反日教育)が生むものは、祖先への
軽蔑と他人を憎悪する卑しさだけであり、決して愛する心を育まない。
現代日本の青少年による凄惨な事件の数々や、教育現場の荒廃はこう
した戦後教育の悲しい結末であろう。もっとも、歪曲した歴史観に
よって自国をさげすむことは、実に残念であるばかりか、そうした
考えに正義感を覚える輩は、ただ(無知)としかみなされないことも
肝に命じておく必要があろう」

「台湾人と日本精神」蔡焜燦著より

>これは『東史郎日記』に継いで、中国で発行されたまた一部

サンケイ新聞 平成8年4月26日夕刊より

 「客観的証拠無い」、東京地裁判決、原告の元兵士勝訴。
南京虐殺、旧日本軍が中国人捕虜や市民を虐殺したとされる
南京事件に関する「南京事件京都師団関係資料集」など三冊
の本で「虐殺者」の一人のように書かれ、名誉を傷つけられ
たとして、元従軍兵士、橋本光治氏(80)が、出版元の青
木書店と橋本氏の元部下で著者の東史郎氏(83)とジャー
ナリストの下里正樹氏(59)の二人を相手取り、200万
円の損害賠償と謝罪広告掲載を求めた訴訟の判決が26日午前、
東京地裁で言い渡された。
299文責:名無しさん:02/04/04 01:48 ID:bdJQZH8V
反日宣伝を目的とした、「国民党政治部第三庁」が「宣伝は作戦に優先する」
 とのスローガンで活動していた。

彼らは「南京虐殺」は主張しておらず、1948年「抗日戦回想録」で初めて
 郭沫若が主張する。おまけに彼は陥落時、南京にいなかった。

同じく、宣伝部隊として「国民革命新編第四軍」というものがある。
 項英は第四軍成立から1938年末までの工作を振り返って、「抗日戦一年来
 の経験と教訓」について演説したが、項英は何度も南京に触れながら、一度
 も「南京虐殺」に言及しないばかりか、「恒常的な、またわが方の人員によ
 る南京城内での 撹乱 が行われた」と語った。
 これは摘発された支那兵の証言や、マッカラムに語った支那人、あるいは、
 「南京地方法院検察処敵罪行調査報告」に記されているように、終戦後の
 南京市民への聴き取り調査で、市民が「南京虐殺」を知らず、多くを語らな
 かったばかりか、安全地帯の非行を「支那兵がやった」と言うものさえいた
 ことと一致する。
300文責:名無しさん:02/04/04 01:49 ID:bdJQZH8V
日本軍は国際法の専門家まで従軍させ、国際法に反することのないよう
 神経を使っていたが、支那軍に国際法を遵守する意志がなかった、という
 ことは、それまでの経緯でもあきらかになっている。
 ウイルソン、12月14日付の手紙には「日本軍はとくに大砲の射撃に際して
 、安全地帯を尊重しているように見えた」と記している。
 安全委員会一号文書には「貴軍の砲兵隊が安全地帯を砲撃しなかった見事
 な遣り方に感謝するため、我々は筆をとっております」と記されている。
 同じく九号文書には「流れ弾による破壊は実に僅かであった」と。
 リリー・アベックは「支那の革新」で、南京での日本兵の非行に関する
 悪評を、初めてのこと、という意味のことを記している。
 「これまで、日本陸軍がこれほどの暴力行為を働いたことなど、一度も
 なかっただけに、南京で犯された無規律ぶりは強い印象となった。南京
 に残留した少数の外国人たちが支那軍撤退の際の掠奪と強奪を恐れる
 ことはあっても、日本軍を恐れることはなかった。そのときまでは、
 支那の至る所で日本軍の入城が歓迎されていた。政治的に日本をよく思わな
 い人ですら、そうであった。
 支那軍が防衛戦にあたって南京郊外のほぼ全域に放火したのに対して、日
 本軍は紫金山攻撃の際も、松井大将は「中山陵を破壊してはならない」と
 命令していることを島田勝巳中隊長は証言しているし、12月18日付ニューヨ
 ーク・タイムズでは、建物の密集地域に支那軍が集まっていても、爆撃を
 避け、日本軍が建物の保存を望んでいたのは「明らか」であるとの記事が
 載っている。
301文責:名無しさん:02/04/04 01:51 ID:bdJQZH8V
「殺人 49人」と僅少なのは、日本軍が南京占領の翌日には難民区
に歩哨を立て監視・保護したことによる。

一言いえば、日本兵の仕業と断定され、通報された非行は数件であり、上記の
「殺人」は合法と認められた事例や目撃者、記録者、報告者などが不明のもの
を含めた数字である。また九割以上が目撃ではなく伝聞であり、殺人以外の、
例えば強姦などの場合も同様である。
この状況に関して、ドイツ大使館のシャルフェンベルクは「第一、暴行、暴行と
言っても、ただ支那人の話を聞いているだけではないか」と記録し、上村利道
参謀副長は「アメリカが無き非行を領事館に申し込みし由」と記述している。
また、南京外交官補佐福田篤泰は・・

その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、ぼくの目の前で
、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして
抗議されても困る。』と幾度も注意した。
時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何も
ない。住んでいる者もいない。

という状況だったことを証言している。
302文責:名無しさん:02/04/04 01:52 ID:bdJQZH8V
中国側の第一級公式資料である何応欽上将の軍事報告の中にさえその片鱗
 も見出せない。
 中国問題の評論家であり、何応欽将軍とも昵懇(じっこん)の高木桂蔵氏
 は、次のように述べている。
 「南京戦で万一、支那の軍民が何万も何十万も殺されていれば、そのことが
 この報告書に載らないはずはない。ところが、日本軍による何十万もの虐殺
 があったなどということは、この「軍事報告」のどこにも載っていない。こ
 れまで南京に関する多くの論争があったが、このような日本の交戦相手国の
 公式一級資料が、日本で出されなかったことは、むしろ不思議といってよか
 ろう。」 
 東京裁判が公正な裁判ならば、当然、重要証拠史料として採用されたであろうし、
 また台湾の中華民国政府も、北京の中共政府も、当然、この重要資料を所持して
 いるはずである。
 ところが、日本が戦争にやぶれ、東京裁判が始まると、南京事件に関する資
 料はガラリと変わる。2級、3級以下の資料価値ゼロの伝聞資料、政治的宣
 伝資料、憶測や創作に類するものまでが、次から次へと悪性腫瘍のように吹
 き出し、そしてそこにもられた数字が一人歩きし始めたのである。
303文責:名無しさん:02/04/04 01:57 ID:gXKKb2A6
当時の日本側マスコミ、文化人が「虐殺など
 見たことも聞いたこともなかった」と述べている。
 南京に入城したのは約120人の新聞記者やカメラマンだけではない。
 大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀市、あるいは西條八十、草野心平、林芙
 美子、石川達三といった高名な評論家や詩人、作家も陥落とほとんど同時に入
 城している。このほかにも、南京陥落後、13年の春から夏にかけて、南京を
 訪れた有名人は大勢いる。これらの人々は、帰国するや色々な雑誌や新聞にレ
 ポートを書き、講演もしている。

米人マギー牧師は2日間にわたって日本軍の犯罪行為を並びた
 てたが、ブルックス弁護人の反対質問にあって、マギー証人が
 殺人を目撃したのはたった一件、それも占領直後日本兵に誰何
 (「だれか?」と声をかけ姓名などをたずねること)されて逃
 げ出した男が撃たれるのを見たというのである。
 南京安全区国際委員会のメンバーとして、日本軍の占領期間
 中、日本軍の行動を監視するため自由行動をとっていた米人牧
 師が、その目で見た殺害事件は前述の一件、強姦一件、窃盗一
 件のわずか三件のみで、他は全部伝聞に属するものであったこ
 とが暴露されている。

終戦後の「南京地方法院検察敵人罪行調査報告」はもちろん日本兵の
 暴行を主張しているが、その南京市民に対する聴き取り調査において、
 日本の罪行を訴える者が「甚だ少なき」、南京虐殺説を聞くと、人々は
 唖然として「冬の蝉の如く口を噤みて語らず」、また、南京虐殺を
 「否認する者」までいた、と報告している。
304文責:名無しさん:02/04/04 02:04 ID:gXKKb2A6
1937年7月31日、国民党内のもう一人の雄、汪兆銘は撤退する際、大小の
都市の区別なく焼き尽くし、支那人同胞すら殺し尽くして、日本軍の手
には「一物」をも渡さぬ、との宣言を行っている。
中国伝統の「堅壁清野作戦」であり、「汪兆銘の最後の関頭演説」である。

「すでに最後の関頭に至れば、絶大の決心と勇気をもって犠牲をなすべき
である。(略)中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめねばな
らぬ。(略)一物をも得させてはならない」

これによって人々は日本軍の接近する前に逃げ出していたのである。
305文責:名無しさん:02/04/04 02:05 ID:gXKKb2A6
日本軍の「南京大虐殺」があったかどうかは別として、今まで
「研究」と銘打って出されている虐殺の記述は、事実に基づい
たものではなく、中国の歴代の王朝が交替するときに行われた
虐殺の歴史から焼き直したり、引き写したりしたものばかりな
のである。
虐殺と言う行為は、行為そのものに文化的な意味があるものである。
どこの民族だろうと、誰であろうと、同じ精神状態に置かれれは、
同じ行為をなすという考え方は必ずしも成り立たない。
いくら学習し訓練したところで、日本兵が中国の長い伝統に基づく
虐殺文化をそっくりまねできるものではない。

「捏造された日本史」黄文雄
306文責:名無しさん:02/04/04 02:07 ID:gXKKb2A6
--そうすると、当時の第十六師団の幹部の間で、南京事件については
何も話がなかったのですね?

三国--そうです。
上の方だけでなく、下の方からもそういう話は聞いていません。
私自身も見ていませんしね。
私は再び北支に行って戦ってる途中、名古屋の第十五師団の参謀長を命ぜられ
ましたので、昭和十三年七月に名古屋に行きましたところ、この師団が江寧
にあたることになり、八月にはまた南京に戻ってきました。
この時も虐殺があったという話は聞いてません。
もう日本人の商人たちもたくさん来てまして、長崎県人が多く、長崎県南京市
などと言ってたころです。
もちろん、軍に対して苦情を言う雰囲気でなかったかもしれませんが、南京の
街は朗らかでした。
その後、私は第十五師団参謀長として昭和十四年八月一日まで南京にいまして
、それから南京特務機関長になったので、さらに十五年の五月まで南京にとどまる
ことになりました。
特務機関長というと、今までの軍と全く違って、毎日、中国人と接触、交渉が
あり、中国の立場に立って考えなければなりません。
ですから町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話を
聞いた記憶はありませんでした。
維新政府の行政院長の粱鴻志氏ともひんぱんに会ってますが、彼から聞いたこと
もありません。
粱鴻志氏は文人で、書いてくれた書は今も持っています。
(略)
--松井大将が東京裁判で南京事件のため死刑になりますが・・・。
307文責:名無しさん:02/04/04 02:08 ID:gXKKb2A6
三国--戦争裁判は問題があると思います。
私は終戦時にハノイにおりまして、船に乗って出発という時に米軍
将校によって船から降ろされ、宍戸参謀長と一緒に広東に連れていかれ、戦犯
に指定されました。
この時の裁判というのが目茶苦茶で、私の罪状が、汪偽政権を作った、私
の兵が市民に乱暴をしたというのです。
確かに汪政権ができた時は南京特務機関長でしたが、深く関ってません。
兵の乱暴についても私の師団は戦闘もあまりなく、軍紀については強く
言ってましたのできちんとしてました。
軍紀がしっかりしていたので支隊に賞詞を与えたくらいです。
ですから市民に乱暴したと言われた時、証拠を見せてほしいと言った
くらいです。
そうすると綴りを持ってきました。
見ると証拠というものは、中国軍が市民に被害を出せと命令して出させた
ものなのです。
綴りにはその命令まで書いてあります。
しかも、そこに書いてあることは旧暦で、場所も日も師団のいたところと
ほとんど合わないのです。
中国の証拠とはこういうものでした。
また、裁判を開いても、検察官も弁護士いないこともありました。
ある人の死刑の判決文には、容貌魁偉、とあったそうですが、判決には
容貌は関係がないと思います。
私も、周りの噂では死刑だということでしたが、それに構わず黙って
いないで全部反論しました。
私の裁判は最後の方でしたが、それまで将官の死刑が多すぎたという
ので、私の前の人から無期徒刑になり、結局、私も無期徒刑になりました。
それで広東の監獄に二年、上海監獄に移されて一年半、さらに二十七年
までの三年半巣鴨に入ってました。
308文責:名無しさん:02/04/04 02:08 ID:gXKKb2A6
戦後、中国が行った戦犯裁判というものはそんな類のものだったと思います。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
野砲兵第二十二連隊長・三国直福大佐の証言
----------------------------------------------------------------------------
--南京の様子はどうでした?

粕谷--普通でした。
特別なことはありませんでした。
店は開いていますし、日本の商人もいました。
虐殺とかそういうことはありませんでした。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
領次官補・粕谷孝夫氏の証言
---------------------------------------------------------------------
吉川--一犬嘘を吠ゆれば万犬実を何とやら、一度世に宣伝せられし
事はこれを反論し世に正しく了解を得ることは難事中の難、第一
印象の刻みは人間感情の心の奥に深く食い入るものです。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
中支那方面軍参謀・吉川猛少佐の証言
309文責:名無しさん:02/04/04 02:10 ID:0V/+GbQl
--足立さんがいらっしゃった朝日新聞では、本多勝一記者が南京
大虐殺があったと主張しているし、社会面でもよく取り上げて
いますが・・・。

足立--非常に残念だ。
先日も朝日新聞の役員に会うことがあったのでそのことを
言ったんだが。
朝日新聞には親中共、反台湾、親北朝鮮、反韓国という風潮
がある。
本多君一人だけじゃなく、社会部にそういう気運がある。
だからああいう紙面になる。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
東京朝日新聞・足立和雄記者の証言

岡田--松井軍司令官付陸軍通訳官岡田尚氏 降伏勧告文を翻訳し、軍使に加わる。
 「城内には死体はありませんでした。ですから一般市民に対しての残虐行為
 はなかったと思います」「火事があったとよくいわれますが、私には記憶あ
 りません」「捕虜の話は聞いています。下関で捕虜を対岸にやろうとして
 (中略)その渡河の途中、混乱がおきて、撃ったと言うことは聞きました」
「あの兵隊の数ですから、強姦とか強盗は何件かあったでしょう。しかし、
その数は知れてます。当時は日本の外交官も南京に来てまして、強姦などが
あると領事館に訴えてましたからその数はわかりますし、それは数えるほど
です。虐殺したということはありえません」。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
松井軍司令官付陸軍通訳官岡田尚の証言
310文責:名無しさん:02/04/04 02:11 ID:0V/+GbQl
第10軍参謀谷田勇大佐、
 「14日の11時30分頃でした。中華門から入ったが付近に死体はほとん
 ど無かった。3時頃になり私は後方課長として占領地がどんな状態か見ておく必
 要を感じ、司令部衛兵1個分隊を伴い、乗用車で城内一帯を巡回した。
 下関に行った時、揚子江には軍艦も停泊しており、艦長と会見した。
 この岸辺に相当数の死体があった。千人ほどあったか、正確に数えれば2千人か
 3千人位か。軍服を着たのが半分以上で、普通の住民服のもあった」
――戦死体と違いますか?
 「城内から逃げたのを第16師団が追いつめて撃ったものと思う。これが後日
 虐殺と称されているものではないか?」
――把江門にも死体があったと言いますが、ご覧になりましたか?
 「ものの本には把江門もだいぶ(死体が)あるように書いてあるようだ。14日
 午後通ったが、その時は無かったね」
 こう言いながら又アルバムを開く。14日の把江門の写真である。写真は3つの
 入り口を持った把江門全体が写っているが、周辺一帯に死体らしきものは見当た
 らない。
 「雨花台でもやったと書かれたものがあるが、そういう死体は全然なかった」
「19日までなら広く南京周辺を加えても、死体数は数千ないし一万程度で、
まして集団虐殺の跡などは発見できませんでした。しがたって、中国側が終戦後
の極東軍事裁判で主張した何十万人という数字は誇大意図的な誇張であると
確信いたしております」。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
第10軍参謀谷田勇大佐の証言
311文責:名無しさん:02/04/04 02:12 ID:0V/+GbQl
第10軍作戦参謀吉永朴少佐、
 「13日早朝、中華門から入りました」
――その時の南京の様子はどうでしたか?
 「儲備銀行に行く途中、身分いやしからぬ中国人の家族に会いました。
 そこで私は自分の名刺に、歩哨線を自由に通過させよ、と書いて渡しました。
 当日(13日)家族が歩ける位ですから、城内が落ち着いていることが解ると
 思います」
 「2、3日してから作戦上の任務で下関に行きました。揚子江の埠頭に相
 当数の中国軍人の死体がありました――数千はあったと思います。第10軍
 は南京の南側からだけ攻めたのではなく、国崎部隊が浦口から攻めましたので、
 この時の死体と思います。」
(略)
--南京では大虐殺があったと言われていますが・・・。
「私は南京大虐殺はなかったという信念をもっています。
中国市民は逃げ足が速く、ほとんど逃げています。残っていたのは
わずかです。また、中国軍を何万人も何十万人もやったとするなら、並べて
機関銃で掃射するとしても、とてもできないことです。何十万人といった
ら押し合いへし合いで、歩けはしない人数です。しかし、南京にそんなに人
はいませんでした。南京大虐殺は白髪三千丈式に、後で中国人が言っている
ことです。私の判決は、虐殺はなかったということです」。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
第10軍作戦参謀吉永朴少佐の証言
312文責:名無しさん:02/04/04 02:13 ID:0V/+GbQl
箭内--捕虜や便衣隊の話はありました。
特に上海ではいろいろありました。
上海で、昼お金をやって働かせていた捕虜が夜になると
謀反を起こし、営舎に手榴弾を投げたり火を付けたりした
ことがありました。
その時、火事になり私もマントが燃えたことがありました。
また、便衣兵が手榴弾を投げたのを見つけて殺してます。
ですから市民の服を着て死んでいるものもいました。
こういう話が口伝えで伝わったということはあると思います。
またこれもあったことですが、兎や鳥を捕った話が戦後、掠奪
したことになってます。
戦争の話というのは、良い話は伝わらないが、悪い話は何十倍
、何百倍になって伝わります。
その方が面白いからです。
虐殺の話もそんなものでしょう。
(略)
--六十五連隊の軍紀の乱れとかそういうことが話題になったことは
ありませんか。

箭内--ありません。
今でも福島には当時従軍した兵隊が何十人か何百人かいます。
聞けばわかることです。
戦後、南京虐殺があったとか、秦賢助氏が第六十五連隊が大虐殺
をしたと言ってますが、誰も信じないでしょう。
313文責:名無しさん:02/04/04 02:13 ID:0V/+GbQl
戦争に行った人は人一人殺すのは容易じゃないことを知っています。
戦争というのは小さい戦闘でも、大砲の音がどんどんして、銃声が
激しく、凄く見えます。
でも、後で戦場を見ると、たいてい、これがあの戦場かと思って
しまいます。
戦後、この凄いと思った時の印象の話が広まっているのでしょう。
一部の人がイデオロギーで戦後何度も虐殺だと言って、その気に
なる人もいるようですが、南京の様子からは考えられないことです。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
福島民報・箭内正五郎記者の証言
314文責:名無しさん:02/04/04 02:14 ID:714JTkbJ
岡田--それにしても日本軍が南京に入ったのは十三日で、その日は
まだ戦闘があったと言います。
私が南京に行ったのはその十日後です。
その間、どの位の死体を片付けることができますか。
あったとしても何百体とか何千体だと思います
紅卍字会が埋葬したという何万という死体もどういうものか。
疑わしいですよ。

--その後、岡田さんは中国で謀略などをやっていたので、中国人と
接触する機会があったと思いますが、南京で虐殺があったということを聞いた
ことはございませんか。

岡田--ありません。
ただの一度もありません。
はじめて聞いたのは戦後になってからです。
聞いてびっくりしました。
私はずっと中国にいて中国人というものをよく知っていますし、陥落前の南京
も陥落後の南京もよく見ていますから言えますが、南京事件とは中国の宣伝
です。
戦後、いちはやく中国が、裁判で何十万人が殺されたと言って、それが世界
に伝わりました。
それが南京事件というものです。
315文責:名無しさん:02/04/04 02:15 ID:714JTkbJ
その時、世界に与えた印象はあまりにも強かったので、これは簡単に
消えるものでありません。
南京事件というのは、中国でそれまでやってきた宣伝戦を戦後も行ったまでの
ことです。
中国は宣伝がうまい国ですし、日本人には理解できませんが、白髪三千丈
の国中国ではこういうことは当然なことなのです。
日本は宣伝戦に負けたのです。
(略)
--南京事件の真相をはっきりさせる方法はないのでしょうか。

岡田--宣伝に負けたとあっさり兜を脱ぐことです。
それしかありません。
数字の討論は愚の骨頂です

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
企画院事務官・岡田芳政氏の証言
316文責:名無しさん:02/04/04 02:16 ID:714JTkbJ
--南京事件については今でもいろいろ言われてますが・・・。

小柳--戦場だから死体はあると思います。
それを言ってるのではないですか。
南京にずっといた体験からそう思います。
戦場のことを今言っても仕方ないことですが、日本兵が特に残虐だという
ことはないと思います。
例えば、中国兵は日本兵を蜂の巣のように刺し殺しています。
もとろん見せしめもあるでしょうが、ああいうのは日本の感覚じゃないですね。
アメリカも比島攻略作戦の時こういうことがありました。
バターンで捕虜になったアメリカの戦車の兵士からわれわれ報道班がいろいろ
聞いていますと、死んでいる日本兵を轢いたと平気で言うのですよ。
それを聞いて皆が、この野郎、と言ったことがあります。
戦後になって思ったのですが、日本兵は中国の都市を占領した後、よく中国
民衆にものをあげていました。
戦後、アメリカ兵も日本に来てチョコレートをくれましたが、日本兵は
いとおしんで物をあげており、なつく中国人もよくいました。
しかし、アメリカ兵はくれてやるという態度で、なついた日本人はいません。
「最近も「南京への道」を書いてますが、私は目が悪くてめったに本は
読まないが、これはそうもいかずに、少しずつ読んでいます。「南京への
道」は火野が従軍したコースだから、火野氏が生きていれば面白い
論争になったと思いますよ。火野とは小林秀雄が芥川賞を杭州に持ってきた
時一緒だったことがあります。イデオロギーで事実をゆがめ、それがまかり
通っている世の中になってます」

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一(陸軍報道員・小柳次一氏の
証言)より
317文責:名無しさん:02/04/04 02:16 ID:714JTkbJ
大谷--完全占領の翌日の14日夕刻、南京に着き、城内に宿営しつつ
四日間滞在し、城内にも数回入りましたが、もちろん虐殺など見て
おりませんし、噂も聞きませんでした。
もうその時は戦闘は全く終息していて、市内は平静で、市民の姿もほとんど
見かけず、虐殺の起るような環境ではありませんでした。
日本軍は城内外に適宜宿営し、のんびり休養をとっていました。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
西本願寺・大谷光照法主の証言
----------------------------------------------------------------------
--虐殺があったと言われてますが・・・。

山本--全然見たことも聞いたこともありません。
夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。
誰もそういうことを言ったことがありません。
朝日新聞では話題になったこともありません。
(略)
事件というようなものはなかったと思います。
私も見ていませんし、朝日でも話題になってません。
また、あの市民の数と中国軍の動きでそういうことが起きる
はずがありません。

「「南京事件」日本人48人の証言」阿羅健一
大阪朝日新聞・山本治上海支局員の証言
318文責:名無しさん:02/04/04 02:18 ID:714JTkbJ
 洞氏は『南京大虐殺の証明』の中で、第16師団長中島今朝吾
中将の日誌に、「大体捕虜はせぬ方針なれば」とあるのを、捕虜
の集団処刑が軍命令、師団命令によってなされていたの_ーない
かと推測している(前掲書304ページ)。
 洞氏にかぎらず虐殺派はおしなべてこの中島中将の「捕虜はせぬ
方針」というのを一般に誤解して、南京の捕虜はかたっぱしから殺
害したかのごとく主張するが、決してそうではない。これについて
大西一上海派遣軍参謀はこう述べている。
 「それは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全
国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
(「正論」61・5阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)。
 さらに大西参謀は軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に
出ていないと断言している。
319文責:名無しさん:02/04/04 02:19 ID:5gCsrXGp
 集団捕虜約1万が南京城内の2つの監獄と、江東門の模範囚収容の
小監獄および2つの収容所に収容された。捕虜取り扱い専任の榊原参
謀によると、「中央監獄の4000人のうち、半分の2000人は、命令によ
り上海の捕虜収容所に移した。その分類は私がした。」と言う。
さらに同氏は東京裁判で、「また幾人かは各部隊が労務に使用し、
逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した」
(「速記録」310号22・11・7)。と証言している。
 また、一部は釈放されて、昭和13年に創立された維新政府――
のちの汪兆銘政府――の軍隊に起用された。維新政府創立の立役者
であり、行政院長に就任した梁鴻志氏は、のちに漢奸裁判にかけられ
て処刑されるが、その裁判の席上こう述べている。
 「綏靖軍(すいせいぐん・維新政府の軍隊)の成立は民国28年
(昭和14年)春で、兵士の大部分は投降兵から成り、応募者は僅少で
あった。4個師に分けたが、1個師は僅か2、3千人であった」
(益井康一著『漢奸裁判史』110ページ)。
 つまり、約1万人の綏靖軍は主として南京戦、武漢作戦における捕
虜を起用したというのである。
のちに北京新民会首都指導部で活躍した劉啓雄少将も南京戦における
捕虜の一人である。
320文責:名無しさん:02/04/04 02:19 ID:5gCsrXGp
 「現地釈放」の例を2つ上げる。
 第16師団の歩兵第20連隊(福知山・大野宣明大佐)第1大隊に所属
する衣川武一氏(京都府夜久野町在住)は筆者への手記の中でこう述
べている。
 「われわれの取り扱った捕虜約2000人のうち、帰順を申し出る者は
、若干の米麦と白旗を持たせて帰郷させた。年末頃までに約半数が帰
順し、半数は使役として働かせた。腕章をつけて食糧の運搬や炊飯な
どさせた。
中山門の内側の土嚢の中に玄米の麻袋があり、我が部隊は大助かりで
あった。
が、水と燃料には苦労した。これらは捕虜の使役で補うことができた。
かれらは一日中食糧の準備に終始した。
私はその指揮に当たったが、「衣川先生(イーセンセンション)」と
呼ばれ、捕虜とわれわれとの間に自然に親近感が芽生え、捕虜殺害な
どとんでもない話である。これらの捕虜は、転進する際全部帰郷させた。」
321文責:名無しさん:02/04/04 02:20 ID:5gCsrXGp
 次の例は、歩兵第45連隊の第2大隊は、14日早朝、下関で白旗をかか
げた捕虜約5000と、砲30門、重機、小銃、弾薬多数及び軍馬10数頭を
ろかくした。
 この捕虜釈放を本多勝一氏は『南京への道』で次のように述べている。
 「劉二等兵を含むたくさんの国民党軍将兵が、帽子を逆にかぶって
(ひさしを後ろにして)投降した。その数は1万人より少ないが、たぶ
ん「数千人」の単位であった。
 一ヶ所に集められたところへ、日本軍のリーダー格らしい人物が馬
に乗って現れた。ヒゲが両耳からアゴの下3〜4センチまで下がっていた。
日本語で何か訓話したが、こまかいことはわからず、通訳によれば要点
は「お前らは百姓だ。釈放する。まっすぐ家に帰れ」と言っているらし
かった。一同は白旗を作らされた。
それぞれありあわせの白布を使った。劉二等兵は自分のハンカチを使い、
30センチほどの木の枝にそれを結びつけた。川岸には住民の捨てた荷や
衣類がたくさん散乱していたので、軍服を脱ぎ捨ててそれを着た。
数千人の捕虜たちは、釈放されると白旗をかかげ、それぞれの故郷に
ばらばらに出発した。」(前掲書41〜2ページ)。
322文責:名無しさん:02/04/04 02:21 ID:5gCsrXGp
 (1) 120人のプレスマンは何を見たか
 鎌倉市よりも狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、
約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていながら、前述
の今井正剛、鈴木二郎記者の虚構を除くほかは、1人として婦女子
の虐殺や一般市民および捕虜の大量虐殺などは見ていないのである。
当時、「朝日」「東日」「読売」「日経」など全国紙の各支局をはじ
め、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。これらのプレ
スマンが異口同音に言うには、「東京裁判で、南京にあのような大事
件があったと聞いて驚いた」である。これは南京に入城した将兵たち
もほとんど同様である。当時、読売新聞の上海特派員だった原四郎氏
(現在読売新聞社顧問)は「世界日報」の記者にこう述べている
(57・8・31)。
 「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京
が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令が敷かれていた訳
ではない。なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確
認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった。また中国軍の宣
伝工作だろう、というのが大方の意見だった。」
323文責:名無しさん:02/04/04 02:22 ID:5gCsrXGp
 これと同じ意味のことを東京日々新聞特派員五島広作氏が書いている。
氏は昭和41年4月に『南京作戦の真相=第六師団戦史』という著書を
熊本日々新聞から出版している。
 「自分が南京戦を終えて上海に帰り、しばらくすると、南京に虐殺事
件があったらしいといった噂を耳にした。
おどろいて、上海に支局をもつ朝日や読売や同盟など各社に電話を入れ
てみた。どの社も全然知らぬ、聞いたこともないと言う。おそらく敵さ
んの例の宣伝工作だろうというのが話のオチであった。」
 これが各紙特派員の当時のいつわらざる実情のようである。
 最近、畠中秀夫氏が、じゅん刊「世界と日本」に『聞き書き 昭和
十二年十二月南京』と題して、南京に入城した著名人の聞き書きを書い
ている。
 その中で死去する少し前の石川達三氏とのインタビューは特に興味深い。
石川氏は前述の通り小説『生きている兵隊』で発禁処分を受け、執行猶
予付きながら、実刑を科せられているのである。畠中氏はその石川氏と
次のような問答をしている。
324文責:名無しさん:02/04/04 02:23 ID:d4AsVfB9
 「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」
 ―そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?
 「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」
 ―いわゆる「南京大虐殺」をどう思いますか?
 「何万の死体の処理は、とても2、3週間では終わらないと思います。
あの話は私は今でも信じておりません」(同書14ページ)。
 自著が発禁になり、実刑まで受けた石川氏の言葉だけに重みがある。
本多勝一氏は『南京への道』で、石川氏の『生きている兵隊』を引用して、
南京大虐殺の有力な立証の材料に使っているが、石川氏に言わせるなら、
迷惑千万な話だった訳だ。
 畠中氏はもう一人異色の人物にインタビューしている。
当時「朝日」の上海支局次長であった橋本登美三郎氏である。田中内閣の
時、自民党の幹事長や運輸大臣まで務め、ロッキード事件に連座して控訴
中の人物である。氏は「朝日」の記者15人ほどを引き連れて、南京に一
番乗りしたことで有名である。氏は畠中氏にこう答えている。
 「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話に
でるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし・・・
それが仕事だからね。噂としても聞いたこともない。
朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが、あったのなら、露骨
でないにしても、抵抗があったとか、そんな話が出るはずだ」
325文責:名無しさん:02/04/04 02:23 ID:d4AsVfB9
 もう一人、「朝日」の大先輩でやはり南京特派員であった足立和雄氏は畠
中氏にこう答えている。
 「私は南京大虐殺なんて見ていません。あなた(畠中)がどういう立場の
人か存じませんが、南京大虐殺の証言はできませんョ」
 きつくそう断られたが、押し問答の末、立場をはっきりし、お目にかかった、
畠中氏はかねて疑問に思っていた“虐殺目撃者”として名乗り出た「朝日」の
記者今井正剛氏について尋ねてみたそうである。足立氏は一言のもとに、今井
氏をこう評したと言う。
 「あれは自分で見て記事を書く人ではなかった。人から聞いたことを脚色
するのが上手かった。」
 婉曲に彼の「文芸春秋」で発表した2万人の虐殺を見たかのごとき作文など
怪しいものである旨示俊したのである。はからずも同じ「朝日」の森山喬氏が
筆者に語った今井評と一致する。森山氏も彼の虚言を立証している。なぜなら
当時彼と一緒に南京で寝室を同じくして取材しているのに、そんな話はついぞ
聞いたことがないと言うのである。
326文責:名無しさん:02/04/04 02:26 ID:d4AsVfB9
 評論家阿羅健一氏は、「N・Y・タイムズ」の1937年12月
1日から38年1月末までの毎日の記事の目次抜粋、同じくアメリ
カにおける代表的な雑誌である「タイム」の記事、および英国の
「ザ・タイムズ」の目次を抜粋するといった大変な作業に取り組ん
でいる。
紙数の関係で抜粋表をお目にかけれないのは残念であるが、その概要
は次の通りである。
 昭和12年12月のN・Y・タイムズのトップを幾度もにぎわした
のは何といっても米砲艦パネー号撃沈事件である。
13日から26日までの2週間にわたり、連日一面トップをかざって
報道されている。一面だけでなく、例えば14日付けのごときは16、
17、18、19、21、24面で取り上げている。
これほどのビック・ニュースはこの前例をみない。
これに比べると、ダーディン記者の2回の署名入りレポート(12月
18日、1月9日)は、長文ではあるが決して大ニュースではない。
 また「南京大虐殺」がトップ記事になったことも、社説に取り上げ
られた事もない。
327文責:名無しさん:02/04/04 02:27 ID:d4AsVfB9
南京事件は社説にもならない雑報記事なのである。
 12月から翌年1月にかけて、南京の様子を報道した記事は、小さい
1段モノまで含めて10回ある。その中には「難民区の中に逃げていた
中国軍の大佐と部下の6人が、日本軍の仕業と見せかけて悪事をはたら
き捕らえられた」と言った記事や、「日本兵がアメリカの所有地に入ら
ないよう、アリソン総領事は日本大使館に抗議した」と言ったたぐいの
ものである。
1月28日から30日にかけて、南京で起きたアリソン総領事殴打事件
と言うのが記事をにぎわしている。だが大量殺害記事など皆無である。
 署名記事のうちマクダニエル記者(AP)は「私の見た死者は戦死者
であった。中国兵、日本兵ともに略奪した。日本は安全区を守り、ここ
には攻撃を加えなかった」と、どちらかと言えば中国軍が悪いという立
場で日本軍占領下の南京の状況をレポートしている。スチール記者(シ
カゴ・デイリーニュース)は「中国兵退却時の混乱と日本兵侵入時のパ
ニック状態」を報道しており、どっちもどっちと言ったとらえ方である。
前述のダーディン記者の「日中ともに栄光はない。日本軍は処刑・強姦
をした」というレポートと、ともかく、南京に残った3人の記者が書い
た3人3様のレポートをニューヨーク・タイムズは掲載している。
これらのレポートや記事を見ても、一般市民、とくに《婦女子や子供の
虐殺》あるいは《捕虜の大量殺害》など、その片鱗さえもうかがうこと
は出来ない。
328文責:名無しさん:02/04/04 02:27 ID:d4AsVfB9
 阿羅氏はロンドン・タイムズの12年12月と13年1月の2ヶ月間
の記事の見出しをリストアップしている。
それによると、英国は古くから中国に進出し、多くの権益や租界を保有し
ている関係上、関心は高く、従ってニュース量も多く、平均すると1週
間のうち2回は中国問題がトップ記事を占めている。
 12月の主なニュースは上海租界、南京攻略、ソ連の選挙、パネー号事件。
1月はスペイン戦争、フランスの政変といったところ。日本軍の占領下の
南京の状況については、パネー号からいったん南京に引き返した(15日
―16日)マクドナルド記者が、17日上海から打電している。
その記事が18日のタイムズにのっている。要約すると、
 「12日、中国兵は逃亡し始めたが、逃げる船がないと解ると混乱が始
まり、安全区になだれ込み、交通部は放火された。
13日、日本軍の掃討がはじまった。
数千人の中国兵が安全区に逃げ込んだ。14日、日本軍は大通りを軒並み
略奪し、外国人のものも略奪した。また中国兵とみなされる者を処刑した。
通りには死体が散在したが女性の死体はなかった。
掃討は15日も続いたが街は落ち着いてきた」という記事である。
329文責:名無しさん:02/04/04 02:28 ID:qZrYd6SI
マクドナルド記者の撮ったパネー号沈没の写真は、1月4日と5日、2回
にわたって大々的に掲載されているが、南京にもどったとき「街は落ち着
いてきた」と述べているから撮るようなものはなかったであろう、市内の
写真は一枚も載っていない。もちろん「大量殺害」も、「虐殺事件」も載
っていない。
 ロンドン・タイムズの2ヶ月間にわたる記事のうち、南京に関するものは
ほとんどこれだけで、あとは雑記事ばかりである。

 さらに、発行部数ではタイムズに比べ1ケタ多いといわれる「サンデー・
エキスプレス」はどうかと言うと、日本に関する大きな報道は2回ある。
1回目は12月19日のパネー号事件。2回目は1月23日の「日本は今後
どのような外交方針をとるか」という論説記事である。あとはアリソン米総
領事の殴打事件報道、たったそれだけである。
330文責:名無しさん:02/04/04 02:30 ID:qZrYd6SI
 (3) 外人記者団の南京戦跡視察
 米・英・仏など先進国のマスコミにいわゆる南京事件なるものが、ほとんど
取り上げられなかったのは、そのような事実はなかったからである。その例証
を上げよう。
 事件の翌年(昭和13年)夏、上海の外人記者クラブが南京戦跡視察を申し
出てきた。軍はそれにOKを与えた。
彼ら15、6名の記者は飛行機をチャーターして南京にやって来た。
そのスケジュール一切彼らが立案したものである。説明は南京の報道部員があ
たった。
彼らは「難民区跡」の病院や捕虜収容所をはじめ、激戦地を訪ねた。
このとき一行と共にこれらの各地を回ったのが、当時同盟の南京特派記者の小
山武夫氏(のち中日ドラゴンズ社長、東京・品川区在住)である。
小山氏はその時の模様を詳しく文章にして(写真と共に)筆者に下さった。
 要約すると日支両軍の戦闘状況や彼我の犠牲者数、戦後の治安状況、俘虜の
問題など、相当突っ込んだ質問がとび、彼ら同士も想像をたくましくして、いろ
いろ語り合っていたが、今日問題になっている俘虜の大量殺害や一般市民に対す
る“虐殺”に類する質問や話題は全くなかった。
331文責:名無しさん:02/04/04 02:31 ID:qZrYd6SI
つまり外人記者同士の間にさえそのような噂すらなかったというのである。
 一行は、紫金山、中山陵、中華門、雨花台、下関、江東門さらに足を伸ばし
て湯水鎮、幕府山などを巡視した。だが、“大虐殺”の話など質問さえでなか
ったと小山氏は言う。
 上海駐在の各国新聞・通信社のより抜きの特派員が15、6名のうち揃っ
て硝煙なまなましい南京戦の戦場を視察したのである。
その視察の期間中“虐殺”問題は話題にものらなかったという。
米・英・仏等の新聞や雑誌に、南京虐殺事件を見ないのも当然である。
小山氏は、さらにこう言う。
 「だいいち13年春から3年以上も南京に駐在し、取材に当たっていた私が、
ついにそういった風聞さえ聞いていないんですからネ。あればどこかで何かを
きくはずですよネ」
332文責:名無しさん:02/04/04 02:31 ID:qZrYd6SI
 私は“南京虐殺”など信じていませんと小山氏は言い切る。
 なお松井大将は、南京陥落後上海で外人記者団と2度会見しているが、この
席でも今日伝えられるいわゆる南京アトロシティーに関する質問は何ら受けてお
らず、またパネー号事件やレディバード号事件で米・英の軍司令官等に謝罪し、
懇談しているが、その席上でも話題に上っていないという。大将は宣誓口供書の
中で、南京に一般中国人の殺害や捕虜の大量殺害事件があったと聞いたのは、終
戦後米軍がそのような放送をしていると聞いたので驚き、部下を呼んで調査せし
めたと述べている(別項参照)。
333文責:名無しさん:02/04/04 02:33 ID:qZrYd6SI
上海のアメリカ系の英字新聞『チャイナ・プレス』1月25日号が南
京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」に綴(と)じてある。そこにも
同じような記事が出て来ている。それによれば、12月28日までに
、将校23名を含む1575名が安全地帯に機関銃やライフルを隠し
て潜伏しているのを摘発された。
 その中には南京平和防衛軍 Nanking peace preservation corps 
司令官王信労(ワン・シンラウ 音訳)がいた。彼は陳弥(チェン・
ミイ 音訳)という偽名で国際委員会の第4部門を率い、3人の部下
とともに「略奪、扇動、強姦にたずさわった」。
 他方、飯沼守少将の陣中日記(1月4日)が「八十八師副師長」を
逮捕と記す当の第八十八師副師長馬包香(マア・ポウシャン 音訳)
中将は、安全地帯で「反日攪乱行為の扇動」を指揮していた。
 そのような舞台裏を安全地帯の避難民が垣間見ていたのであろう。
略奪、放火、強姦は支那軍の犯行と言う者が現れる。
 「支那軍ノ或る者ハ容易ニ略奪・強姦及ビ焼討等ハ支那軍ガヤツタ
ノデハ、日本軍ガヤッタノデハ無イト立証スラ致シマス」
334文責:名無しさん:02/04/04 02:39 ID:2cEr0Alc
逆に、中国軍はどうだったか。

 米南京副領事館エスピー氏は本国政府に次のように報告
している。
 「・・・・市民の大部分は南京国際委員会の計画設定する
いわゆる『安全地帯』に避難しおり、相当数の支那兵を巧み
に捕捉するはずなりしが比較的少数なりしなり、実際に残留
せる支那兵の数は不明なれども、数千の者はその軍服を脱ぎ
捨て常民の服を着て、常民に混り市内のどこか都合良き処に
隠れたるに相違なきなり」。
 また氏の東京裁判への提出書類は次の通りである。
 「・・・・ここに一言注意しおかざるべからざるは、支那
兵自身、日本軍入城前に掠奪を行いおれることなり。最後の
数日間は疑なく彼らにより人および財産に対する暴行・掠奪が
行われたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える
大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じ、その中には着物を
剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし。
 また退却する軍人及び常民にても、計画的ならざる掠奪をな
せしこと明らかなり。すべての公の施設の機能停止による市役
所の完全なる逼塞(ひっそく)と支那人と大部分の支那住民の
退却とにより市に発生したる完全なる混乱と無秩序とは、市を
いかなる不法行為をも行い得らるる場所となし終われるなり。
 これがため残留せる住民には、日本人来たれば待望の秩序と
統制との回復あるべしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さ
えもありたることは想像せらるるところなり。」(法廷証第
328号=検察番号1906号中の一部を弁護人が朗読したもの=
速記録210号)
335文責:名無しさん:02/04/04 02:40 ID:2cEr0Alc
 「東京日々新聞」は、12月20日の夕刊に、〔18日志村特派員発〕
として、戦前から南京にとどまっていた某外国人(特に匿名)の日
誌を抜粋して、外人の見た戦慄の南京最後の模様を報道している。
 それによると、7日早朝、蒋委員長が飛行機で南京を脱出したが、
「この蒋委員長の都落ちが伝わるや、全市民は家財を抱えて難民区
へなだれ込んだ」とある。つまり市民は一人残らず難民区へ逃避し
たとみてよかろう。また8日には「馬南京市長らもまた市民を置き
去りにして逃げだし、郊外の支那軍は民家に火を放ち、南京付近は
四方に炎々たる火焔起こり、市内また火災あり、逃げ迷ふ市民の姿
はこの世のものとは思われぬ」と記述している。支那兵特有の敗走
時の掠奪はそのころ極限に達したことは容易に想像できる。
336文責:名無しさん:02/04/04 02:40 ID:2cEr0Alc
<日本軍到着時、南京周辺は廃虚となっていた>

「東京日々新聞」は、12月20日の夕刊に、〔18日志村特派員発〕
南京付近は四方に炎々たる火焔起こり、市内また火災あり、逃げ迷ふ市民の姿は
この世のものとは思われぬ」と記述している。支那兵特有の敗走時の掠奪はその
ころ極限に達したことは容易に想像できる。

ニューヨーク・タイムズは断末魔の南京とその周辺における“焼き払いの狂宴”
を次のようにレポートしている。
進撃しはじめたことが中国軍によ
る焼き払いの狂宴の合図となったが、これは明らかに城壁周辺で抵抗するため
に土壇場の準備を行っているものであった。中国の「ウエストポイント」であ
る湯山には、砲兵学校と歩兵学校、それに蒋将軍の夏期臨時司令部が置かれて
いるが、そこから南京へ向けて15マイルにわたる農村地区では、ほとんどす
べての建物に火がつけられた。村ぐるみ焼き払われたのである。中山陵園内の
兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、その他多数の施
設が灰塵に帰した。火の手は南門周辺地区と下関(シャーカン)にも向けられ
たが、これらの地区はそれ自体小さな市をなしているのである。
337文責:名無しさん:02/04/04 02:41 ID:2cEr0Alc
 中国軍部は、南京市周辺全域の焼き払いを軍事上の必要からだ、といつも説
明してきた。城壁周辺での決戦で日本軍が利用できそうなあらゆる障害物、あ
らゆる隠れ家、あらゆる施設を破壊することが必要だというのだ。この目的の
ために、建物ばかりでなく、樹木・竹やぶ・茂みなどもすっかり焼き払われた。
338文責:名無しさん:02/04/04 02:42 ID:2cEr0Alc
 金陵大学のベイツ教授はこう述べている。
「南京の城壁に直接に接する市街地と南京の東南京郊外ぞいの町村の焼き払い
は、中国軍が軍事上の措置としておこなったものである。それが適切であった
かなかったかわれわれの決定しうることではない」(AU212ページ)。
 南京陥落を前にして、中国軍が戦術として用いた「空室清野作戦」、すなわ
ち公共建築物や公邸、私邸などの焼き払いの狂宴がいかにものすごいものであ
ったか、この一文でも理解できよう。「南京攻略に先だって何ヶ月間も行われ
た日本軍の空襲による損害」よりもさらに甚大な破壊と、放火と掠奪が行われ
たというのである。しかも、東京裁判ではこれらの焼き払いと掠奪の狂宴は、
すべて日本軍の仕業に置き換えられ、《南京における日本軍の暴虐事件》とし
て告発されているのである。
339文責:名無しさん:02/04/04 02:48 ID:7s0fDaq5
>資料は16冊から成っており、全部で96ページ、1938年7月に国民党軍事委
>員会政治部が編集し、印刷したもの。資料には全部で173点のモノクロ写真が

ウケた。
340文責:名無しさん:02/04/04 02:49 ID:7s0fDaq5
■過激派が中心的役割 教科書不採択運動

公安調査庁の回顧と展望 セクト名挙げ認定

 新しい歴史教科書をつくる会のメンバーが執筆陣に加わった扶桑社の
 中学校歴史・公民教科書の不採択運動に過激派が共産党などとともに
 中心的な役割を果たしていたことが、公安調査庁の二十八日までの調
 べで分かった。同庁がこのほど発表した平成十四年版「内外情勢の回
 顧と展望」で明らかにした。不採択運動を行った団体は「市民の良識
 の勝利」などと主張していたが、公安当局がこれを否定した形だ。

http://www.sankei.co.jp/paper/today/itimen/29iti001.htm
341文責:名無しさん:02/04/04 02:50 ID:7s0fDaq5
2001・12・29産経新聞朝刊
「扶桑社教科書 不採択運動、過激派が関与」
--公安調査庁「回顧と展望」各地で陳情・要望--

新しい歴史教科書をつくる会のメンバーが執筆陣に加わった扶桑社
の中学校歴史・公民教科書の不採択運動に過激派が深く関与していた
ことが、公安調査庁の二十八日までの調べで分かった。
同庁がこのほど発表した平成十四年版「内外情勢の回顧と展望」で
明らかにした。
不採択運動を行った団体は「市民の良識の勝利」などと主張していた
が、公安当局がこれを否定した形だ。
それによると、過激派は「採択に反対する内外の労組、市民団体や在日
韓国人団体などと共闘し全国各地で教育委員会や地方議会に対して、不
採択とするよう要求する陳情・要請活動を展開した」としている。
具体的には、共産同戦旗派と共産同全国委員会が主導する「アジア共同
行動日本連絡会議」が東京、大阪など五ケ所で採択阻止の集会を開催。
いったん採択を決めた栃木県下都賀地区教科書採択協議会に対し、中核派
主導の「とめよう戦争への道!百万人署名運動」が全国の共闘組織からの
抗議電話を集中させた。
342文責:名無しさん:02/04/04 02:50 ID:7s0fDaq5
杉並区役所を取り囲む“人間の鎖”にも中核派などの過激派活動家が参加
したとしている。
和歌山県では、JRCL(旧第四インター)や統一共産同盟の活動家が加わった
団体が、教育委員会に質問状を提出したりはがきを送りつける活動に集中
的に取り組んだ。
八月七日に革労協反主流派がつくる会本部放火テロ事件を起こしたことに
ついて「武装闘争を基軸とする危険な体質を改めて示した」としている。
343文責:名無しさん:02/04/04 02:55 ID:7s0fDaq5
2001.08.25
■逆転不採択の真相 栃木県下都賀地区(中)
------------------------------------------------------------------------
【全国規模の抗議行動】
罵声、脅迫…業務にも支障
(略)
 しかし、採択結果がマスコミに漏れ、報道された七月十二日以降、各教育委員会
へのすさまじい手紙、ファクス、電話攻勢が始まった。

 二市八町のうちのある自治体で手紙、ファクスの束を見せてもらった。

 扶桑社採択賛成派からとみられるものは約七百通で、個人名が多く、「頑張ってく
ださい」といった激励の内容が多かった。

 一方、扶桑社採択反対派からは約四百十通。団体名がほとんどだった。

 この中には公安当局が中核派主導で結成されたと認定している「とめよう戦争
への道!百万人署名運動」など過激な団体もあった。

 栃木県は旧社会党系の日教組や共産党系の全教の影響力がほとんどないことも
あって、この自治体にも他の都道府県の教職員組合からの抗議が殺到した。
(略)
 しかし、傘下の北海道教職員組合(北教組)はレタックスを使って各分会名で大量
に反対の手紙を送付してきた。
すべて同じ文面だった。南は鹿児島県教職員組合(鹿教組)にまで及び、全国規模
の抗議運動を展開していた。
(略)
344文責:名無しさん:02/04/04 02:57 ID:UthKVOkG
 このほか、教職員組合以外の団体では、全農林の各地方組織、日本出版労働組
合連合会京都地域協議会、新興出版社啓林館労組東京支部、日本キリスト教会上
田教会、原水禁憲法を守る会奄美支部、金沢大学文化サークル連合など全国から
抗議が寄せられた。

 直接、担当者に面会を求めた団体もあった。

 部落解放同盟栃木県連合会は二人一組で各市町を回り「教育長に会わせてほ
しい」などと要請し、扶桑社の不採択を求める文書を手渡した。
 在日本大韓民国民団栃木県本部は五人程度で小山市や栃木市を訪れ、採択の
再検討を求めた。その様子を「民団新聞」七月十八日号でも取り上げている。

 各教育委員会の担当者の声を紹介する。

 「反対派は特に組織的だった。県外の人ばかりという感じだった」(藤岡町)
(略)
 抗議攻勢は委員の自宅にも及んだ。

 ある自治体の教育長の側近は「教育長の自宅に『採択したら取り返しのつか
ないことになる』と電話があり、憔悴(しょうすい)していた」と証言する。
345文責:名無しさん:02/04/04 02:57 ID:UthKVOkG
 扶桑社派とみられていた栃木市の教育委員長宅には脅迫電話までかかった。

 電話は深夜一時、二時ごろ、かかってきた。「あんたんとこのおばあさんは
九十歳だってね。
石段から落ちなければいいね」「あっ、寝てたの? 神社が火に包まれちゃうよ」
という男の声だったという。

 この教育委員長は神社の宮司を務めている。八月十五日まで氏子らと交代で
寝ずの番をさせられた。
「うちは神社という性格上、いろいろな相談の電話もかかってくる。
だから脅迫電話があっても電話線を切れなかった」と教育委員長は振りかえる。
346文責:名無しさん:02/04/04 03:00 ID:UthKVOkG
「ニューヨーク・タイムズ」アーベント特派員の記事
 「日本ハ第一次上海事件ヲ繰リ返スヲ好マズ、忍耐、隠忍以テ、極力
 事態ノ悪化ヲ防止セント努メタルモ、支那ニ於ケル外国権益ヲ渦中ニ
 引キ込ムヲ企図シタル支那人ニ依リテ、文字通リ戦争ニ押シ込マレタ
 ルナリ。」

和平交渉が8月9日に予定されているにも関らず、支那保安隊によって、大山、
 斉藤が虐殺される。
「グラン・ゴアール」紙のエドアール・エルセイ特派員が「支那事変
 観たまま」で、日本側が国民党の術中に嵌まったことを記す。
8月9日には日本の海軍士官が、虹橋飛行場の支那番兵に殺害された不幸な事件
が起った。日本の士官も注意すればよかったと言えないこともないが、しかし支那側
の計画的だったことはなんとしても否定できない。南京政府が少なくとも15日前から
上海に戦火を挙げる決意のあったことは疑うべくもない。(略)これは蒋介石自身が
同意したことで、いささか得意でもあったことだ。10月末に南京で会った時、僕は蒋
に向かってこんなことをいってみた。「あの手は実にうまい。上海は日本の足に刺さった
刺みたいなものですからね。抜いてしまわないうちに動きがとれないわけでしょう」。
(通訳があって)
「そうだろう。まあうまくいった積もりだがな、という彼の答えだった。当初は日本
の政府も軍部も交戦を回避していた。上海攻略を危険視していたのだ」。
347文責:名無しさん:02/04/04 03:01 ID:UthKVOkG
昭和二年、漢口のイギリス租界で、中国人とイギリス義勇隊の間に
 争いが起こり、その結果死者がで、暴徒化した群衆は暴れ放題だった。
 イギリスは極東艦隊を南京に終結し、日本やアメリカやその他、租界を
 持つ国々に共同出兵するよう要請した。
 しかし、幣原外相は駐日イギリス大使ティレーにいくら協力を頼まれて
 も、イエスと言わず、中国への出兵を断固拒否し続けた。
 当時の日本の外交の首脳は、租界が時代遅れであることを他の国々よりも
 先に認識していたのである。
 中国にいる日本人の生命財産を租界を作って、保護することは時代に合
 わないから、危険が生じたら危険でないところに移動させればよいという
 考えだった。
 そのような考え方が、結果的に多くの日本人が残虐な手口で惨殺される、
 という事件が繰り返され、日本国民を憤慨させるとともに、弱腰の幣原
 外交を非難させることになるのだが。
348文責:名無しさん:02/04/04 03:02 ID:UthKVOkG
大正十四年、ワシントン条約の線に沿って、中国にある日本の利権の
 縮小方針をさらに進め、北京で開かれた関税特別会議においては、中国の
 関税自主権回復の要望に日本が協力する旨を公表し、中国側を驚喜させ、
 列国側を愕然とさせた。
 このときの日本側は、あまりにも中国に対して同情的であったので、アメ
 リカやイギリスの方にかえって不満が生じ、「日本は列国に抜け駆け
 している」とか、「幣原外交対支協調破りだ」という非難の声が上がるほ
 どだった。
 しかし、列国としても日本の正論と、それに対する中国側の熱烈賛同に
 は反対できず、結局は日本の声明に追随し、関税自主権回復の決議案を
 可決せざるを得なかった。
349文責:名無しさん:02/04/04 03:02 ID:UthKVOkG
昭和二年に起った「第一次南京事件」では、南京に入った北伐軍が暴徒
 となって、外国領事館や外資系の工場や外人住宅を襲い、掠奪や暴行の
 限りを尽くした。
 佐々木到一の「ある軍人の自伝」によると、「逐日耳に入るところの事件
 の真相は悲憤の種だった。英米仏の軍艦はついに城内に向けて火蓋を切った
 のに、わが駆逐艦はついに隠忍した。しかも革命軍は、日清汽船の(ハルク)
 に乱入して、これを破壊し、わが艦を目標として射撃し、げんに一名の
 戦死者を出しておる。荒木大尉以下十二名の水兵が城門で武装を解除された。
 在留外人は全部掠奪され・・(略)わが在留民全部は領事館に収容され、
 しかも三次にわたって暴兵の襲撃を受けた。領事が神経痛のため、病臥中
 をかばう夫人を夫の前で裸体にし、薪炭庫に連行して二十七人が輪姦した
 とか。三十数名の婦女は、少女にいたるまで陵辱せられ、げんに我が駆逐
 艦に収容されて治療を受けた者が十数名もいる。根本少佐が臀部を銃剣で
 突かれ、官邸の2階から飛び降りた。警察署長が射殺されて瀕死の重傷を
 負うた。抵抗を禁ぜられた水兵が切歯扼腕してこの惨状に目を覆うていなけ
 ればならなかった、等々。しかるに、だ、外務省の広報には「わが在留婦女
 にして陵辱を受けたるもの一名も無し」ということであった。
350文責:名無しさん:02/04/04 03:03 ID:MZi57XP6
南京居留民
 の憤激は頂点に達した。居留民大会を上海に開き、支那軍の暴状と外務官憲
 の無責任とを同胞に訴えんとしたが、それすら禁止された、等々。実にこ
 れがわが幣原外交の総決算だったのである」
 日本領事館に派遣された荒木大尉は、途中で中国軍のために武装解除され
 暴行を受けた。荒木大尉はその時は艦長の指示を守って無抵抗に徹したが、
 釈放されて帰艦し、さらに重巡洋艦「利根」に移ったあと、その艦長室に
 おいて、日本の軍人として屈辱に堪えないと言って割腹したのである。
 これが日本国民を痛憤させ、幣原外交に対する不信感を醸成した。
351文責:名無しさん:02/04/04 03:04 ID:MZi57XP6
「第一次南京事件」以来、列国の外交団は蒋介石に対し最後通牒に等しい
 抗議文によって、謝罪と首謀者の処罰を要求するとともに、ただちに軍事
 行動に出ようという意見が強くなった。この時、音頭を取ったのはイギリス
 である。これを知った幣原外相は、イギリスとアメリカの駐日大使を個別に
 呼んで、大要、次のような日本政府の見解を示した。
 「最後通牒を出した場合、それを受諾すれば、蒋介石は屈辱的譲歩をした
 と攻撃され、基礎の十分固まっていない蒋介石政権は潰れる可能性がある。
 そうすれば、国内はふたたび無政府状態になるであろう。これは十数万の
 居留民を有する日本にとっては危険である。また、蒋介石が拒絶すれば、
 出兵して懲罰することになろう。しかし、無数の心臓を有するに似た現状の
 支那を武力制覇することは長期になるであろう。多くの利害関係を持つ日本
 はそんな冒険に加わりたくない」。
 日本が最後通牒にも共同出兵にも参加しないというのでは、イギリスも
 アメリカもフランスもイタリアも、どうすることもできない。英米などの
 提案どおりのことが行われていたら、幣原の言うごとく蒋介石は潰れるか、
 全土が戦場になるかのいずれかであったろう。この時点で蒋介石の国民政府
 を救ったのは、まさに日本外交なのであり、それ以外の何ものでもない。
352文責:名無しさん:02/04/04 03:06 ID:MZi57XP6
C・A・ウィロビー将軍(米・GHQ第二参謀部長)
この裁判は歴史上最悪の偽善だった。
こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。・・・
(なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えば)日本が置かれていた状況と同じ状況
に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うから
である。(東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れたレーリング判事に対する言葉)

「The Tokyo Trial ando Beyond」ベルト・ファン・A・レーリング
353文責:名無しさん:02/04/04 03:06 ID:MZi57XP6
私は日本が九千万人の住む小さな土地で耕作できる面積はそのうち
十五%にすぎず、外部から激しい貿易制限や規制を受けていたとの
弁護士の論述に多くの正論と酌量の余地を認めた。
私は米国なり英国なりが同じ様な状況におかれたらどのように反応
したか、それどころか国民がどのような反応をすることを望んだか
を考えてみた。
米国も英国も日本が1941年に置かれたような状況に置かれれば、戦争
に訴えていたかもしれないのである。

--ウエッブ裁判長--
354文責:名無しさん:02/04/04 03:07 ID:MZi57XP6
(略)本官は、すでに右に記述したところから推して十分明白であるように、蘆溝
橋事件以前の中国の情勢が、本件に重要な関係を有するものであると信ずる。
「中国の内乱およびその結果として同国に広がった無政府状態」は、もしこれが
実証されるならば、検察側によって主張されたような華北における日本側の行動を
正当化するに役立つか、そうでなければ少なくともそれを説明するのにおおいに
役立つものと思われる。
右に関連して弁護側によって主張されたように、華北における日本軍が、平和ならび
に静謐を回復したかどうかということを調べるのは、適当であろうと信ずる。
本官がすでに注意を喚起するところがあったように、不幸にもわれわれは1946年7月9日
ならびに25日に、華北における日本軍が同地の治安を回復したことを示す証拠を却下
したと同様に、日本軍隊の作戦開始以前におけるの国情に関する証拠を却下すること
に裁定したのである。
私見によれば、右のように証拠を却下した結果、われわれが、これらの日本側の行為
がはたして起訴状に主張されたように、事前に何らかの全面的共同謀議があったこと
355文責:名無しさん:02/04/04 03:08 ID:MZi57XP6
を示しているものであるか、またはそれを侵略的であると性格づけうるものである
かどうかという、そのどちらの決定にも到達することを困難にするのである。
本官がすでに指摘したように、本件の右の段階にこたえて弁護側は、中国における
共産主義の性格ならびに同国におけるその急速な発展を立証しようとしたのである。
本裁判所は、1947年4月29日の決定で、多数決をもって、かような証拠は、関連性が
ないと裁定した。
この点に関して、弁護側から提出された証拠が却下されたということは、真に不幸な
ことである。
この裁定に関する本官の見解はすでに述べたところである。
右の証拠を考慮しないで、中国共産主義の性格およびソ連邦における共産主義との関係、
もしくは敵対行為の拡大にそれが演じた役割等に関し、なんらかの決定に到達する
ならば、それは不公平というべきである。

「パル判決書」
356文責:名無しさん:02/04/04 03:10 ID:mNES0SDU
マイアミ大学のW・トムソン教授は、世界の人口の危険地点を指摘するに
あたって、次のように述べた。
「西太平洋地域でのもっとも緊急な問題は、日本の人口問題である。日本
は農業の拡張のために、よりいっそう領土を必要とし、その工業を発展させ
るために、さらに大きな鉱業至言を必要とする。現在における日本の中国
に対する政策は、この真に緊急な経済的必要によって決せられている。
・・・・日本の中国に対する政策は、満州を開発するためにはなにが最善
の手段であるかの判断によって、現在決せられており、将来もそうであろう。
・・・・これが現在の国際関係における通例のやり方であるから、決して
日本の信用をおとすものではない」。

「パル判決書」
357文責:名無しさん:02/04/04 03:11 ID:mNES0SDU
日本が中国のもっとも近い隣国であって、かつ最大の取引先
である以上は、日本は交通機関の不備にもとづく無秩序な状態
、内乱の危険、匪賊および共産主義の脅威などのために他の
いずれの強国よりもいっそうひどく悩まされたのである。
日本はいずれの強国よりも多くの国民を中国にもっている現状
において、中国の法律、司法制度ならびに税制に服従させられた
ならば、それらの国民は、はなはだしく苦しむこととなる。
日本は、日本の条約上の権利に代わるべき満足な保護手段を期待
することができないかぎり、中国の要望を満足させることは不可能
であると感じた。
中国にある日本国民の生命および財産を保護しようとする熱望は
、日本をそいて内乱または地方的騒乱のさい、しばしばこれに干渉
させる結果となった。
右のような行動は中国を極度に憤激させた。
しかるにこの問題は、たとい他の列強より日本に影響するところが
さらに大であったとはいえ、たんに中日両国間だけの問題ではない。
中国はある例外的権力および特権は、その国家の威厳と主権を侵害
するものであると感ずるがゆえに、即時これらの放棄を要求する。
他の列強は中国の状態が自国民の十分な保護を保証しえない間は、
この希望に応ずることを躊躇した。(リットン報告より抜粋)

「パル判決書」
358文責:名無しさん:02/04/04 03:15 ID:mNES0SDU
日本を裁いた側の米英のマスコミや権威ある国際法学者や
裁判官は、裁判の判決がおりた直後から、ニュルンベルク
と東京裁判に対する批判をおこなわれた。
ニューヨークタイムズは東京裁判の直後、この裁判を無効
とし、全員無罪を判決したパール判事の少数意見を一面トッ
プで大きく取り上げこれを評価した。
ロンドンタイムズは1952年6月から7月にかけて約1
ヶ月間にわたって、この2つの裁判に対する論争を連載した。
イギリスの国際法の権威であるハンキー卿はその著『戦犯
裁判の錯誤』(Politicstrials and 
errors)の中で、「パール判事の所論は全く正しい」
という立場に立って、パールの判決文を縦横に引用しながら
戦後連合国が行った戦犯裁判(軍事裁判)を徹底批判している。
米の連邦最高裁判所のW・O・ダグラス判事は「極東国際
軍事裁判所は、国際法に基づいて審理できる自由かつ独立
の裁判所でなく、パール判事が述べたように、同裁判所は
司法的な法廷ではなく、政治権力の道具にすぎなかった」
と述べた。
359文責:名無しさん:02/04/04 03:16 ID:mNES0SDU
米の国際法学者マイニア教授は「東京裁判の判決は、
国際法、法手続、史実のいずれから見ても誤りであった。
結局〈勝者の裁き〉にすぎない」として『勝者の裁き』
という著書を世に問うた。
同じくアメリカ最高裁のフレッド・M・ヴィンソン判事
は、パール判決を支持し、多数判決を糾弾した。
ドイツの哲学者ヤスパースも別の角度から、この2つの
裁判を行った連合国の思い上がったごう慢な行為を痛烈
に批判した。
何よりも刮目すべきことは、この裁判の総轄的主宰者で
あり、判検事の任免権をもち、自ら戦犯憲章(チャータ
ー)を起草した連合軍総司令官マッカーサー元帥が、
1951年5月3日、米上院の軍事外交合同委員会の聴
問会で「日本が第二次世界大戦におもむいた目的は、そ
のほとんどが安全保障のためであった」と、東京裁判
で裁いた“日本の侵略”を全面的に否定し、日本が行った
戦争は自衛のための戦争であったことを認めたのである。
傲岸多弁の裁判長といわれ、天皇の責任追及に熱心であった
オーストラリアのウェッブ裁判長は、ディヴィッド・バーガ
ミニ(DavidBergamini)の『天皇の陰謀』(Ja
pan’sImperialConspiracy)という
本に序文を寄せてこう述べている。
360文責:名無しさん:02/04/04 03:16 ID:mNES0SDU
「私が東京で判事席に座っていた30ヶ月の間に私は
証人たちの日本君主に対する懸念と崇敬の念と、天皇の立
場を説明する際の熱心さと厳正さにしばしば打たれた。
私は日本が1941年に戦争に訴えたことを非難するいかな
る権利をもっているのかと自問することが時折あった。
私は日本が9千万人の住む小さな土地で耕作できる面積はそ
のうち15パーセントにすぎず、外部から激しい貿易制限や
規制を受けていたとの弁護士の論述に多くの正論と酌量の余
地を認めた。私は米国なり英国なりが同じ様な状況におかれ
たらどのように反応したか、それどころか国民がどのような
反応をすることを望んだかを考えてみた。
 米国も英国も日本が1941年におかれたような状況に
 おかれれば、戦争に訴えていたかも知れないのである。」
日本の大東亜戦争が決して侵略戦争でなかったということを
、このような文章ではっきり表現しているのである。
361文責:名無しさん:02/04/04 03:17 ID:mNES0SDU
さらにこの裁判の基本的な問題にふれて、「パリ条約(〈注〉
パリ不戦条約とも、ケロッグ・ブリアン条約ともいわれ、日本は
この条約に違反したと称して侵略者の烙印をおして裁いた)は
調印国がこの条約を破った場合その国の戦争指導者が個々に責
任を問われることは明記していない。
有力な国際法学者の中には、この条約が個人に対して責任をお
わせているわけではないとの見解をとるものもある」
東京裁判があやまりであったことを、ウエッブはこういう形
で表現しているのである。
マッカーサーも裁判から3年後の1951年四月、ウェーキ島
でトルーマン大統領と会談したとき、「東京裁判は平和のため
何ら役に立たなかった」という表現で、この裁判のおやまりを
認め、キーナン首席検事も、ファーネス弁護人への書簡の中で、
重光葵のような人物を被告にしたことは、誤りであったと告白
している。
362文責:名無しさん:02/04/04 03:18 ID:Y3CFpeaI
およそ今日、権威ある世界法学者で、東京裁判の合法性を認め、
これを支持するような学者は皆無と言っても過言ではない。
昭和58年5月、講談社が実質的な主催者となって、長編
記録映画『東京裁判』が公開されたのを機に2日間にわたる
国際シンポジュームが開かれた。
このシンポジュームに参加したのは、オランダ代表判事レー
リンク博士、西独ルール大学々長イプセン博士はじめ、米マ
サチューセッツ大学マイニア教授、ロンドン大学ジョン・プ
リチャード教授、ソ連のルニョフ教授、ビルマのタン・トゥン
教授、韓国ソウル大学白忠鉉教授、中国南開大学愈惇惇教授、
その他東京裁判の弁護人ファーネス氏、補佐弁護人瀧川政次
郎博士等々、そうそうたるメンバーで、日本の司会者は細谷
千博(一橋大名誉教授)、安藤仁介(神戸大教授)大沼保昭
(東大助教授)の三氏、その他に児島襄、栗屋憲太郎、秦郁彦
、鶴見俊輔、木下順二、家永三郎氏らがパネラーとして発言した。
この国際シンポジュームは、東京裁判の違法性を公然と批判
した点で画期的意義をもつものであった。
363文責:名無しさん:02/04/04 03:19 ID:Y3CFpeaI
イプセン博士は、「侵略戦争は第二次世界大戦当時、そして
現在でも、国際法上の“犯罪”とはされていない。
不戦条約の起草者たる米国務長官ケロッグは、戦争が自衛的
か侵攻的かは関係各国が自ら決定すべき事項で、裁判所等が
にんていすべきものでない」と言明し、さらに「東京裁判以
後の推移をみても、遺憾ながら東京裁判が裁いた法は、条約
法によって再認識されてもないし、慣習法に発達させられて
もいない。
大多数の国家は現在でも、国際法上の犯罪に対する個人責任
を認める用意ができていない」と述べた。
マイニア教授は「東京裁判は単に正義の戯画化であっただけ
ではなく、20年後ベトナム戦争への誤りの道を開いた」と
指摘した。レーリンク博士は「インドのパール博士の主張に
私は当時から敬意を抱いていた」と述べ、

「日本が行った戦争
は、アジアを西欧列強の植民地支配から解放するためのもの
であって、犯罪としての侵略戦争ではない」と語った。

そして日本側の提出した証拠はほとんど却下され、裁判は不
当・不公正なものであったと述べた。
この席上、例の家永三郎氏もこの空気におされてか、東京裁
判の不当・不公正について、これを認める発言をしたほどで
あった。
私が言いたいのは、このように世界の有識者、ことに権威
ある国際法学者が否定し、マッカーサーもその誤りを認め、
パールの言う「復讐の欲望を満たすために、たんに法律的
な手続きを踏んだにすぎないような・・・・こんな儀式化
された復讐裁判」と言っている東京裁判を、日本の政治家
やマスコミや歴史学者、教育者までが信奉し、戦後52年
を経ていまだに東京裁判史観の呪縛から脱し得ないでいるこ
の日本の情けない自虐意識についてである。
364文責:名無しさん:02/04/04 03:23 ID:Y3CFpeaI
惨!通州事件

保安隊、デマ放送に踊り反乱す

 盧溝橋事件発生から3週間後の7月29日、北平(北京)東方の通州
で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した。
 世に言う「通州事件」である。
 中国に気兼ねする余り、我が国の歴史学者が口を緘(かん)し、
教科書も新聞も雑誌も一行すら書こうとせぬこの世紀の大虐殺―――。
 恨みを飲んで殺された200数十名の同胞への鎮魂の気持ちを込めて、
この事件を書き留めておこう。
 通州の冀東(きとう)防共自治政府は、昭和10年、親日家の殷汝耕
が南京政府から離脱して創設した政権で、1万余の冀東保安隊を有していた。
 この保安隊は、昭和8(1933)年塘沽(タンクー)停戦協定に基づい
て置かれたものであったが、所要以上の人員を有し、また銃と剣だけで
はなく、機関銃や野砲も持ち、保安隊と称し得る以上の戦闘能力があった。
 さて通州の宝通寺に中国第29軍の1個営が駐屯していたが、7月25、26日
廊坊、広安門の両事件が発生するに至って、通州特務機関も、この宝通寺
部隊の処理を考える必要に迫られた。
365文責:名無しさん:02/04/04 03:24 ID:Y3CFpeaI
 この部隊は日中関係悪化と共に、去就(きょしゅう)すこぶる曖昧
(あいまい)になり、放置しておくのは危険と判断されたのである。
 そこで廊坊事件直後の26日、日本側は宝通寺部隊に対して北平(北京)
への撤退を求める最後通告を行った。
 だが中国軍からの回答はなく、遂に27日早朝、我が軍は攻撃を開始、
正午までに宝通寺部隊は敗走、潰滅(かいめつ)した。
 ところがこの戦闘で、支援のため飛来した関東軍の爆撃機が、誤って
宝通寺兵営と隣接する冀東保安隊幹部訓練所に爆弾を投下し、数名の保安
隊員が死亡するという不幸な事態が起きたのである。
 保安隊は我が爆撃機が対地戦闘を開始するや、好奇心から隊員一同が訓
練所校庭に飛び出して爆撃を見物していたのだが、飛行機には冀察と冀東
の境界線も保安訓練所の位置も分からず、脚下で騒いでいる保安隊を29軍の
一味と速断したのも無理のない事であった。
 誤爆の報に接するや、細木特務機関長は直ちに冀東政府の殷汝耕長官を
往訪(おうほう)し陳謝するとともに機関長自ら現場を視察、遺族の弔問
(ちょうもん)に奔走(ほんそう)した。
 更に翌28日には保安隊教導総隊幹部一同に対して誤爆について釈明し、
慰撫(いぶ)に努めたのであった。
366文責:名無しさん:02/04/04 03:24 ID:Y3CFpeaI
 調度、事件の起こった27日頃、デマを流すので有名な南京放送(中国国
民政府の御用放送)が「盧溝橋で日本軍は29軍に惨敗し、豊台と廊坊は完
全に中国軍が奪還した。
中央は陸続、華北の戦野んい兵を進めつつあり、日本軍の潰滅も旬日のうち
であろう」と事実と正反対の放送を流した。
 南京政府は最後に「軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍をもって大挙
(たいきょ)冀東を攻撃し、偽都・通州を屠(ほふ)り、逆賊殷汝耕を血祭
りにすることを決議した」と叫んでいた。
 これは我が北平(北京)特務機関が聴取したのである。
 このデマ放送が北京方面の実情に疎(うと)い通州の中国兵に相当の心理
的動揺を与えたことは疑いない。
 通州保安隊は張慶余指揮の第1総隊と張研田指揮の第2総隊であったが、
早くから人民戦線運動の影響を受けていた。
 「日本軍敗走」「冀東攻撃」という南京のデマ放送は、彼らの抗日態度を
決定的ならしめ、日本側に付いているよりも29軍側に寝返った方が有利であ
るとの誤った判断を抱かせたに違いない。
367文責:名無しさん:02/04/04 03:25 ID:Y3CFpeaI
 折もおり、通州の日本軍守備隊は、主力が南苑攻撃に向かい、留守部隊は
藤尾小隊40名、山田自動車中隊50名、それに憲兵、兵站(へいたん※補給の事)
、兵器部その他を合わせて110名程度の微弱な兵力でしかなかった。
 我が部隊の手薄なこの時期を狙(ねら)って、張慶余、張研田の両保安隊
は日本軍民への襲撃を開始した。
 夜影に乗じて長官公署を襲って殷汝耕を拉致し、主力は日本軍守備隊を襲
撃した。
 我が方の残留兵力は極めて僅少ではあったが、千数百を算する敵の攻撃に
対して死力を尽くして戦った。
 守備隊には軽機関銃、小銃、手榴弾があるのみで重火器は無かった。
 保安隊の装備の方が遥かに優れていた。
 守備隊は敵の集中砲火を浴び、死傷者の続出する中で撃退に努めたが、居
留民や特務機関まで守る余裕は無かった。
 鬼畜と化した中国保安隊の日本人居留民に対する暴虐は、この間に進行し
ていた。
 また通州特務機関は、1個中隊ほどの保安隊の襲撃を受け、2名の少年給仕
(日本人)を含む機関員が死力を尽くして応戦したが、数十倍の敵には抗し
難く、遂に全員が壮絶な最期を遂(と)げ、特務機関は全滅した。
368文責:名無しさん:02/04/04 03:26 ID:ZmpkQE2c
悪獣も及ばぬ猟奇の惨殺劇

 中国保安隊は我が守備隊や特務機関を攻撃したのみならず、日本人居留民の
家を一軒残らず襲撃し、無辜(むこ)の居留民(多数の老幼婦女子を含む)
に対して略奪、暴行、凌辱(りょうじょく)、殺戮(さつりく)などおよそ残
虐の限りを尽くした。
 中国兵特有の猟奇的な殺害、処刑の場面が白昼堂々、各所で展開された。
 その凄惨(せいさん)なること、かつての南京・済南両事件を上回り、我が
軍の危惧(きぐ)した通り、尼港事件の再現となったのである。
 東京裁判で弁護側は、同事件に関する外務省の公式声明を証拠として提出し
たが、ウエッブ裁判長はこれを却下した。
 所謂(いわゆる)"南京事件"で裁判長が中国側の公式資料を証拠として採用
した事を考えると、公平を欠いた裁判指揮であった。
 しかし虐殺現場を目撃した証人の宣誓口供書は受理されたので、そこから惨
劇の一端を拾い出してみよう。
 当時、天津歩兵隊長及び支那駐屯歩兵第2連隊長で、7月28日の南苑戦闘に参
加した後、30日午後通州に急行して邦人救援に当たった萱島高証人は凡(およ)
そ次の如く証言した。
369文責:名無しさん:02/04/04 03:26 ID:ZmpkQE2c
 「旭軒(飲食店)では40から17〜8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰
部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。
商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き
回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」
 まさになぶり殺しではないか。
 中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊
長代理を務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。
 「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞
紙がかけてあった。
本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身
も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物
でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。帳場や配膳室は足の踏み場もない程
散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。女中部屋に女中らしき日本婦人の4つ
の死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名
だけは局部を露出し上向きになっていた。帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、
或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉
をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き
刺されていた。階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺
突の跡を見た。1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の
死体があった。
370文責:名無しさん:02/04/04 03:27 ID:ZmpkQE2c
その裏の日本人の家では親子2人が惨殺されていた。
子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。南城門近くの日本人商店では、
主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散
乱していた」

(注)近水楼を襲撃したのは武装した黒服の学生団と保安隊であった。彼らは女
中数名を惨殺、残る10数名の男女従業員・宿泊客に対して金品を強奪した後、
全員を麻縄で数珠つなぎにして銃殺場に引き出し、処刑したのであった。
 その凄惨極まる処刑場の情況については、当時だれ1人これを知るものもなかっ
たが、当日近水楼に泊まり合わせた同盟通信特派員・安藤利男氏が命がけで銃殺
場から脱走し、北京にたどり着いた結果、世界はその実相を知ったのであった。
 安藤氏の手記は「続対支回顧録」に、体験談は寺平前掲書に収録されている。
 安藤氏の体験記は「通州の日本人大虐殺」として「文藝春秋」昭和30年8月号に
掲載され、その後「文藝春秋にみる昭和史」第1巻(昭和63(1988)年1月)に
も転載されたが、それには、いかにも戦後のものらしい解釈がつけ加えられている。
371文責:名無しさん:02/04/04 03:28 ID:ZmpkQE2c
 支那駐屯歩兵第2連隊小隊長として7月30日、連隊主力と共に救援に赴(おもむ)
いた桜井文雄証人によれば、「守備隊の東門を出ると、ほとんど数間間隔に居留
民男女の惨殺死体が横たわっており、一同悲憤の極みに達した。「日本人はいな
いか?」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、鼻に牛の如く針金を通された子
供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体がそこここの埃箱
(ゴミばこ)の中や壕(ごう)の中から続々出てきた。ある飲食店では一家ことご
とく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上はことご
とく強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体に
され強姦刺殺されており、陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、口中に土砂を
つめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。東門近くの
池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、一家6人数珠つ
なぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水は血で赤く染まってい
たのを目撃した」実に悪鬼も目をそむける酷(むご)たらしい淫虐(いんぎゃく)
の情景が次々と証言されて行った。
それは正しく悪獣も及ばぬ極悪無道の所業であった。
372文責:名無しさん:02/04/04 03:28 ID:ZmpkQE2c
 (注)お決まりの虐殺方式 上の東京裁判証言に明らかな如(ごと)く、通州
事件でも、頭部切り落とし、眼球抉(えぐ)り取り、胸腹部断ち割り、内臓引き
出し、陰部突刺など支那軍特有の猟奇的虐殺が日本人に対して行われている。
日清戦争以来、お決まりの惨殺パターンと言ってよい。

事件は保安隊の計画的行動(中国側新資料)

 在留日本人380名中、惨殺された260名。
 冀東防共自治政府2ヵ年足らずの歴史は、ここに通州事件という世紀の惨劇を
もって幕を下ろした。
 中国人が日本人を虐殺した数多くの事件の中でも、その凄惨なることで通州
事件をしのぐものはない。
 その残忍なること、悪鬼すらかくまではすまじ、と思われる極悪の所業であった。
 通州事件は冀東政府の保安隊が、日本機に通州の兵舎を爆撃され、疑心暗鬼
になって起こした反乱であるとの説が我が国では流布している。
 つまり誤爆した日本側に責任がある、とする例の日本悪玉論の亜流である。
 だが、日本軍誤爆説は昔日のものであり、もはや中国でさえ通用しない。
373文責:名無しさん:02/04/04 03:29 ID:ZmpkQE2c
 誤爆があったのは昭和12(1937)年7月27日だが、誤爆を知った細木特務機
関長は直ちに冀東政府長官・殷汝耕を往訪陳謝すると共に、自ら現場を視察し
、遺族の弔慰に奔走、翌28日保安隊教導総隊幹部一同に対し、誤爆原因につい
て釈明、慰撫に努めている。
誤爆原因説では保安隊の反乱やその後の日本人大虐殺は説明し切れず、通州事
件の説明はいま一つ釈然とせぬものが残っていたのだ。
 ところが近年になって、通州事件は冀東保安隊第1、第2総隊の計画的行動で
あることが中国側史料によって明らかとなった。
 例えば、張慶余(当時冀東保安隊第1総隊長)の「冀東保安隊通県決起始末記」
(元国民党将領抗日戦争体験記叢書「七七事変」所載)や「戦火蔓延、平津陥落」
及び「冀東保安隊の決起について」(武月星他「盧溝橋事変風雲偏」)等である。
 詳細は割愛するが、要はこうである。
 昭和10(1935)年11月に冀東防共自治委員会が成立して河北保安隊が冀東保
安隊と改称されるや、第1総隊長・張慶余は河北省主席・商震に指示を仰いだ
ところ、暫(しばら)く表面を糊塗(こと)すべしと言われた。
374文責:名無しさん:02/04/04 03:30 ID:7lSleaTr
 12月、冀東政務委員会が発足して宋哲元が委員長に就任すると、張慶余は第
2総隊長・張硯田と共に哥老会(かろうかい、明代からの秘密結社)の首領・張
樹声を通じて宋哲元と面会した(張慶余・張硯田ともに哥老会会員)。
 宗哲元は両名の抗日決意を「政府を代表して」歓迎すると述べ、軍事訓練を
強化して準備工作をしっかりやれと命じ、各々に1万元を贈った。
 2人が「委員長に従って国家に忠誠を尽くす」旨(むね)を述べると、宋哲
元は「素晴らしい、素晴らしい」と言った。
 通州での決起はこの会見と関係がある―――こう張慶余は告白しているのだ。
 翌昭和11(1936)年春には、張硯田の第2総隊内にすでに中共支部が結成され
ていた。
 宋哲元との会見以後、冀東保安隊は29軍(宋哲元軍長)と秘密裡(ひみつり)
に連携を保ったが、昭和12(1937)年7月盧溝橋事件が発生すると、張慶余は河
北省主席・馮治安(ひょうちあん)に指示を仰いだ(宋哲元は北京に不在)。
 馮は第29軍の開戦に呼応して通州で決起し、同時に一部保安隊で豊台を側面
攻撃して狭撃の効果を挙げようと指示すると共に第29軍参謀長・張越亭と連絡
せしめ、張越亭は直ちに冀東保安隊第1、第2総隊を戦闘序列に編入した。
375文責:名無しさん:02/04/04 03:31 ID:7lSleaTr
 他方、張慶余、張硯田両総隊長は、通州特務機関長細木中佐が、第29軍の通
州攻撃を防ぐために開いた軍事会議の席上、密かに示し合わせて細木機関長を
欺(あざむ)き、分散していた配下の保安隊を通州に集結させるよう提案した。
 両名を信頼していた細木中佐はこれに賛成、かつ散在していた日本居留民を
保護するため通州に集合させたのであった。
 欺して準備が整うや、7月28日夜12時を期して通州城門を閉鎖し、一切の交通、
通信を遮断して決起に移ったのである。
 中国側の最新史料によれば通州反乱に至る事情は大要先の通りである「誤爆」
などどこにも出てこない。
 通州事件は2年間にわたる秘密裡の計画に基づく日本人襲撃事件だったのであり
、日本機に兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となって保安隊が起こした事件などでは全
然ない。
 事件は先のごとく計画に基づく反日蜂起であったが、保安隊がその計画の実行
に踏み切ったについては、誤爆のような突発事件によってではなく、別の、もっ
と打算的な原理によって動かされたと見るべきであろう。
 既述のごとく、南京政府は「日本軍敗走」というデマを流していた。
 「日本軍を破った」宋哲元の29軍が冀東に攻め込んできたら自分達の運命は
どうなるのか。
376文責:名無しさん:02/04/04 03:31 ID:7lSleaTr
 この際、冀東政府についているのは甚(はなは)だ危険である。
 機先を制して殷汝耕を生け捕りにし、これを宋哲元と蒋介石に献上するなら、
必ず恩賞に与(あずか)ることが出来るに違いない。
 これが南京のデマ放送を信じた反乱者の思惑だったのである。
 そして、昨日まで友軍であった日本守備隊に対し、その兵力の最も手薄な
時を見計らって蜂起、襲撃を敢(あえ)てしたのであった。

殺のために殺を好む

 保安隊のこのような動機は、信義を踏みにじっても強者につくという、
権謀述数渦巻く戦乱に明け暮れてきた支那民族特有の叛服なき性格に根
ざすものであり、信義を重大なものと考える我が国民の到底理解し難い
ところである。
377文責:名無しさん:02/04/04 03:32 ID:7lSleaTr
(注)通州人の特性 通州人は由来、軽佻浮華、計較の術に長じ、打算
的で義侠心が無いと言われる。
金、元、明、清各朝の興亡史に「通州陥る」「通州降る」などの文字が見
えるのもこのためだと言う。
通州に昔「渡橋降伏」という言葉があった。
敵が八里橋(通州城西門から八華里にある橋で通州八景の1つ)を渡ってし
まえば降伏するに如かず、の意味である。
このように鼓騒城外に迫れば闘わずして通州人の心胆は氷のごとく冷たく
なり、忽(たちま)ちにして腰を抜かしてしまう性向があると論ずる向き
もあるが(中野江漢「事変と北支の風物」、「文藝春秋」昭和12(1937)
年9月号)、通州事件を考える上で参考になるかも知れない。

 斯(か)かる背信行為そのものが許し得ないことであるが、仮に百歩を
譲って、日本守備隊に対する攻撃は、保安隊がすでに共産思想に染まって
いたことからして理解出来る面があるにしても、無辜(むこ)の日本人居
留民260余名の惨殺は全く殺のために殺を好む鬼畜の所業であり、天人共に
許さざる蛮行である。
378文責:名無しさん:02/04/04 03:32 ID:7lSleaTr
 罪なく、抵抗力もなき幼児・婦人に対してさえ、一片の憐れみの情を示
す事もなく、ただ日本人であるからという理由で白昼平然と犯し、掠
(かす)め、凌辱し、惨殺して行った彼等支那保安隊は、人身を装う悪鬼
悪獣と言わずして何と呼ぶべきであろうか。

(中村粲著「大東亜戦争への道」展転社刊より
379文責:名無しさん:02/04/04 05:05 ID:7lSleaTr
>>279
若槻を出すなら、以下のようなものも出せばどうですか?

「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 89 原書房
現在の在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行と無関係
さらにここで指摘しておきたいことは、在日韓国・朝鮮人(その父祖を含め)と、
強制連行との関係である。
朝鮮大学校編「朝鮮に関する研究資料(第四集)」によ れば、「日本に住んでい
る大きな部分を占める朝鮮人は太平洋戦争中に日本の官憲 によって強制徴用され……」
とあり、在日韓国・朝鮮人は口を開けば必ずのよう に、「われわれは日本政府によって
強制連行されてきたものだ」と主張する。
だが この表現は正確ではなく、むしろ事実に反するというべきだと思われる。

1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸は
日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた昭和10年までに 渡来したものが全体の
53.7%と、半分以上になる。昭和11〜15年はまだ民 間の自由募集の期間だし、
次の16〜19年の中でも、国民徴用令による徴集は19年の9月以降のわずか4ヵ月間
であるから、単純に計算すると、この期間に徴用されたものは16〜19年間の1万4514人
の12分の1、つまり1210人(全体 の1.46%)にすぎないことになる。
これに、次項「昭和20年9月1日以前」 の679名(0.8%)を加えた概算1889人
(2.3%)ほどが、真に強制連行の名に値する在日朝鮮人だということになる。
かりに「官あっせん」を強制徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭
和17年2月〜19年8月来日者の推計数を全部加えても、約1万1300人余(14%)にすぎない。
この推定は、昭和16〜19年間の月間 来日数を均等として考えたものであるが、実際には、
関釜連絡船の運航は終戦が近 くなるにつれ次第に困難になりつつあったから、19年後半
の来日徴用者も減少し ているはずである。
380文責:名無しさん:02/04/04 05:06 ID:7lSleaTr
すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても10%を大 きく超えることはまず
あるまい。

民団も韓国青年会も自認
この数字は在日韓国人自体の調査によっても裏付けられている。
1988年2月に 発刊された「”我々の歴史を取り戻す運動”報告書」(在日本大韓民
国青年会中央 本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録
されてい る。
これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は13.3%にすぎず、経済 的理由
(39.6%)、「結婚・親族との同居」(17.3%)に次いで3番目で ある。
この13.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということになる。
しかし、「渡日年度別に見た渡日理由」によると、徴用は1926〜30年に6 人、1931〜
35年に9人、1936〜40年に51人とある。国民徴用令が公布されたのは1939年7月であって、
これが朝鮮に適用されたのは前述のように 1949年9月であるから、この「徴用による
渡日という」回答は思い違いによる ものと考えられる。
従ってこの人数はのぞかねばならない。 1941〜45年の徴兵、徴用と答えた76人も、
その大部分は記憶違いというよ りほかはない。
徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの一年分だけを 前期の方法で算出すれ
ば16人、すなわち全体の1.5%にしかならない。また、 法務省の数字のアンケート
調査の場合と同様、官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降)59人=5.4%
となり、徴兵を加えて5.9%である。  
381文責:名無しさん:02/04/04 05:07 ID:7lSleaTr
民団発行の「法的地位に関する論文集」(1987)にも「1世の大半が1930年代初期に
渡航して永住するに至った経緯からすると……」と、みずから、徴用による渡来が
僅少であることを認めている。

このことは理屈の上から考えても当然のことであろう。
着のみ着のまま徴集され、人里離れた炭坑や鉱山で虐待酷使されていた者が、日本
に残ろうと考えることは想像しがたいことである。
彼らは日本の一般社会とほとんど関係なく生活してきたのであって、言葉もろくに
出来ず、日本で生活していく基盤ももっていない。
彼らは日本に来て、一番長い者でも (官斡旋を徴用とみなしても) 5年そこそこな
のであるから、故郷とのつながりは十分持続しているはずである。
特に彼らは、妻子を置いて一人だけで徴用されており、その移動はきわめて容易で
あった。
これら徴用された人々の大部分は終戦直後早々に、この、"恨みの島"から故郷へと
飛ぶようにして帰ったものとみられる。

在日青年会の調査を分析すると本当の強制連行者といえるは1.5%に過ぎないようだ。
広く解釈しても5.9%である。
382文責:名無しさん:02/04/04 05:08 ID:7lSleaTr
>>279
それと、あいまいに若槻云々を言ってますが、若槻は
市民虐殺をやった、とか言ってるんですか?
383どいたかっこ:02/04/04 09:15 ID:65Pcnv91
日本軍、従軍慰安婦として中国人女性20万人を強制連行

日本軍による「従軍慰安婦」問題の研究家である上海師範大学の蘇智良教授
はこのほど、日本軍により強制的に連行された中国人「慰安婦」は20万人を超
えることを明らかにした。

15日開催された「南京大虐殺史2000年度学術研究成果交流会」の席上、蘇教
授は以上のように述べ、「これまでの調査によると、中国国内22の省や市に日
本軍従軍慰安所が設けられていた」と語った。

蘇教授によると、中国人学者による日本軍従軍慰安婦問題の研究では、従軍
慰安所跡地数ケ所が新たに発見されたほか、日本軍による性的虐待を受けた生
存者が沈黙を破り、勇気をもって中国侵略日本軍による性犯罪について証言す
るなど、ここ数年大きな進展が見られる。

また蘇教授は、「日本軍により強制的に連行された中国人『従軍慰安婦』の
生存者はいずれも高齢で、その多くは身寄りもなく、厳しい生活を送っている
」と述べた。

蘇教授は、「従軍慰安婦」問題は、日本軍による組織的犯罪であり、また日
本政府による組織的犯罪であるとの認識を示し、「日本政府は歴史的事実を直
視し、歴史的責任を認め、被害者に対して賠償すべきだ」と話した。


384どいたかっこ:02/04/04 09:18 ID:65Pcnv91
日本軍が南京で犯した暴行、更なる新しい証拠を発見

1937年12月、南京城が日本軍に攻略された時、米、英などの27人の外
国人が城内に残っており、日本軍の残忍非道な暴行を目撃し、地獄のよ
うな大災害をその身をもって経験した。

この27人の中には新聞記者が5人含まれており、その他は教授、医者
、看護婦、商人、宗教界の人々である。目に触れるもの全てが心を痛ま
しめる惨状は、彼らの記憶の中に深く刻まれた。彼らのうち数人は既に
他界したが、ニュース、書簡、文書、日記など各種の形式で、大量の文
字資料が残っている。

アメリカで暮らす華人・陸東屏氏はこれらの資料を集め、整理、翻訳
を経て、編集された「南京大虐殺――英米人士の目撃報道」がこのほど
正式に出版、発行された。同書は、第三者の立場から、南京大虐殺は抹
殺できない歴史的事実であり、中国人民および全世界の人々に、日本の
侵略者が犯した大罪は忘れてはいけないものであると伝えている。
385どいたかっこ:02/04/04 09:19 ID:65Pcnv91
日本の官房長官、「日本軍が南京で犯した暴行は否認できない」

日本の青木干雄新官房長官は27日、中国政府は、日本の右翼団体が大
阪で南京大虐殺否定集会を行なったことに反対すると述べたことについ
て、次のようの立場を表わした。

日本軍が当時南京で行なった殺戮や略奪などの行為は否認できない事
実である。

当時、日本軍が南京に侵入し、非戦闘人員に対する殺害・略奪行為は
、否認で きない歴史的事実である。

日本の村山富市前首相が1995年に表明した、植民地の被害者に向け反
省を表明し、謝罪するという態度が変わることは有り得ない。
386どいたかっこ:02/04/04 09:21 ID:65Pcnv91
「旧日本軍による南京大虐殺展」 まもなく米国で開催
「旧日本軍による南京大虐殺展」が12月中旬、米サンフランシスコで
開催される。中国を侵略した旧日本軍による南京大虐殺に関する大規模
な展覧会が米国で開催されるのは、今回が初めて。

展覧会に先立って、旧日本軍南京大虐殺被害者記念館の資料を主とし
た同様の展覧会がアジアや欧州各地で行なわれ、大きな反響を呼んでい
た。

サンフランシスコで行われる今回の展覧会は、南京にある大虐殺被害
者同胞記念館の主催によるもの。展示会ではパネル38点、写真600点が
展示される。うち文化財や文献資料は30数点。

387文責:名無しさん:02/04/04 09:23 ID:MpZQ7H/j
>>384
あの、南京いた外国人は大虐殺なんてだれ一人見てないんですけど(笑
388文責:名無しさん:02/04/04 09:25 ID:MpZQ7H/j
>>383
◆慰安婦総数は1万数千人 日大教授が調査

(10/3の産経新聞からの引用です)

定説「5万−20万」否定
朝鮮半島出身者は2割


 先の大戦中に日本軍の慰安所で働いていた慰安婦の総数は定説
だった「5万−20万人」を大きく下回る1万数千人で、これまで
大多数を占めるとされていた朝鮮半島出身者も全体の2割程度に
とどまり、内地人女性の方が多かった可能性の高いことが2日、秦
郁彦日大教授(現代史)の調査で分かった。当時の公文書などの分析
から結論づけたもので、慰安婦をめぐる歴史論争に一石を投じそうだ。
(教科書問題取材班)

 慰安婦の総数をめぐっては、吉見義明中央大教授の著書が「五万−
二十万人」、平凡社大百科事典が「八万−二十万人」と記述していた。
また、国際的には国連人権委員会のクマラスワミ報告やマクドガル報告
の「二十万人」という根拠のない数字が独り歩きしていた。
389文責:名無しさん:02/04/04 09:26 ID:MpZQ7H/j
 秦教授によると、陸軍省医事課長だった金原節三氏が陸軍省の課長会
議の要点を日記に残しており、昭和十七年九月の会議で恩賞課長が「将校
以下の慰安施設」の設置数について「北支一〇〇、中支一四〇、南支四〇、
南方一〇〇、南海一〇、樺太一〇、計四〇〇個所」と報告したとの記述がある。

 一カ所当たりの慰安婦数が十−二十人だったことを考えると、総数は
六千人ぐらいで、その後、倍増したとしても一万数千人程度だった、と結
論づけている。

 慰安婦の出身地については朝鮮半島が大多数を占めるとされてきたが、
外務省の領事館警察の統計などの分析から、出身地別のおおよその割合は、
日本内地から渡った人が四割▽中国、インドネシア、フィリピンなど現地で
リクルートされた人が三割▽朝鮮半島出身者が二割▽その他(台湾人など)が
一割−であることが分かった。

 秦教授はこれまで「慰安婦総数は六万−九万人で、七、八割は朝鮮人」
と推計していたが、今回の調査で自説を訂正した。
390文責:名無しさん:02/04/04 09:27 ID:MpZQ7H/j
週刊ダイヤモンド2001年12月8日号 櫻井よしこ
オピニオン縦横無尽 424
「誇大報告・水増し“南京事件”の証拠の信憑性は非常に乏しい」
再び南京事件について。
私が南京での日本軍による民間人虐殺があったと考えていた理由のひ
とつが、紅卍会(こうまんじかい)および崇善堂(すうぜんどう)に
よる遺体埋葬数だった。
前者は4万3000体を、後者は11万体強を埋葬したと報告、これが、東京
裁判で南京大虐殺を事実として認める根拠ともなった。

北村稔氏の『「南京事件」の探究』によると、紅卍会は1922年設立の
新興宗教団体で日本の大本教とも提携した慈善団体で満鉄特務班への
紅卍会の報告では、埋葬数は南京城内で1793体、城外で2万9998体だった。

しかし戦後、城外での数が3万5097人と報告され、5099人分増えていた。
東京裁判に出廷した紅卍会の許伝音は、「埋葬当時は日本軍の圧迫で
公表できなかった」と証言したが、北村氏は紅卍会と日本軍は「近し
い関係」にあったと指摘し、当時の満鉄上海事務所南京特務班報告な
どには、同会が自治委員会や日本側とも協力したと記されていることから
「日本軍が紅卍会に圧力をかけた事実はない」と判じている。
つまり、紅卍会の報告は水増しされていたというのだ。

さらに驚いたのは、崇善堂である。崇善堂も慈善団体で1938年1月から
3月までに7549体を、4月にはその14倍の10万4718体を埋葬したと報告した。

北村氏は1月から3月までの合計が7千500余体であるのに、4月に10万4700
余体に急増したのはなぜかと考え、調べた。
埋葬に従事したのは四部隊で変化はない。埋葬場所は「城根」(城壁の際)
「付近の荒れ地や菜園」などと記されすべて、地名が特定できないことも
突きとめた。
391文責:名無しさん:02/04/04 09:28 ID:MpZQ7H/j
崇善堂の主張は根拠を欠くのではという疑問が出され、中華人民共和国政
府が対抗して出した資料がある。
資料は、崇善堂がクルマを一台所有していたこと、そのクルマは1924年製造
の古いクルマでバッテリー、ピストン肖(銷)子、クラッチが故障していた
ことを記している。

中国側が、崇善堂は実在し、しかも活動していたと示すために出した資料
によって、皮肉にも崇善堂の規模の零細さが浮彫りにされたのだ。
古い故障車一台で、四グループの少人数で38年4月のひと月間で10万を超える
遺体を埋葬したとの報告の信憑性(しんぴょうせい)はにわかに怪しくなった。

北村氏の著書を読んだのと同じ時期、阿羅健一氏の『聞き書 南京事件』
(図書出版社)を読んだ。
南京攻略当時、南京に行った軍人、報道マンらの証言を集めたもので、貴重
な第一次資料である。
そのなかに上海派遣軍参謀として南京入りし、38年2月以降は南京特務機関長
として南京にとどまった大西一氏の証言がある。
37年、38年当時の南京事情を最もよく知る人物だ。
392文責:名無しさん:02/04/04 09:29 ID:MpZQ7H/j
大西氏は阿羅氏の崇善堂についての問いに「当時、全然名前を聞いたことは
なかったし、知らなかった」と答えている。
「それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたと言っている。当時は全然知らない」
と述べている。
南京事件を知ったのは戦後とも答えている。

上の著書は87年の出版で取材は10数年前だ。崇善堂を特に意識した取材ではない。
大西氏は単に南京での日本軍の責任者のひとりとして、崇善堂についてまった
く知らないというのだ。

今年になって学者の北村氏が調査し公表した結果と、10数年前の元軍人の証言
がぴったり一致したのだ。
崇善堂の報告は疑わざるをえない。

大西氏は、朝日新聞の本多勝一記者の事実と異なる中国での日本軍の報告に
立腹し、本多氏を詰問したという。
自分こそが真実を書くべきだと考えたが、身内から反対されてやめたそうだ。
ちなみに阿羅氏の著書は、小学館から『南京事件 日本人48人の証言』として
12月に再出版の予定である。
393文責:名無しさん:02/04/04 09:30 ID:tOjI1L+6
<マギー牧師の“南京虐殺”フィルム>

 大半は病院の風景。 東京裁判、証拠として提出されず。
 今月4日、「幻のフィルム、米で発見」という見出しで、大々
的に報道されたジョン・マギー牧師の“南京虐殺”を撮った16
ミリフィルムは、実は1938年5月16日付けの『LIFE』
誌ですでに公表されていたことが、7月9日、東京・丸の内の日
本倶楽部で行った本紙座談会(2面で詳報)の中で明らかになった。
また『LIFE』に掲載されていた10枚の写真の大半は中国人が
病院で治療を受けている写真で“大虐殺”を裏付けるものは何もな
く、さらに撮影したマギー牧師は、東京裁判で証言台に立っているが
、同フィルムは証拠としてすら提出されておらず、今回の“幻のフ
ィルム”騒ぎはマスコミの一方的な早とちりの疑いが深まっている。
 マギー牧師(米聖公会)は、当時、南京国際赤十字委員会委員長と
して、日本軍の南京入城後も同市内にとどまった数少ない外国人と
されている。
394文責:名無しさん:02/04/04 09:31 ID:Y4wZwrgR
どいたかっこは叩き台を買って出てるわけか?
395文責:名無しさん:02/04/04 09:31 ID:tOjI1L+6
 今回発見されたのは、マギー牧師の同僚ジョージ・フィッチ牧師(
長老派教会)が事件直後にキリスト教青年会(YMCA)の宣教用に
編集した映画で、30分間のフィルムのうち後半の約10分がマギー
牧師の撮ったフィルムと確認された、という。
 このフィルムに対して藤原彰・元一橋大学教授は「虐殺の事実を裏
付けるのに、これだけでも十分」(ニューヨーク3日共同)と手放し
の評価を与えている。
 ところが、同フィルムの1部は、「幻」どころか、1938年5月
16日号の米誌『LIFE』ですでに紹介されていた。
しかもその大半は病院で治療を受ける中国人の姿で、戦争の一場面を
示す当時どこにでもある写真であった。
 また、マギー牧師は、極東軍事裁判(東京裁判)の際、連合国側の
証人として出廷。
2日間にわたって日本軍の中国戦(特に南京事件)について陳述したが、
同牧師が直接体験した殺人場面は逃亡する中国人を射殺する1件だけ
で、その他の証言は、すべて人から伝え聞いた話であった。
 さらに、今回のフィルムの確認の決め手となったと報道されたドイ
ツの外交文書「ローゼン報告」は、日本兵が南京に入城した1週間も
前に上海に脱出したローゼン政務書記官(ドイツ大使館南京駐在)が
まとめたもの。
そのため同書記官の「3万人の死体を見た」という証言は根も葉もな
いことで、こうした虚構がひとり歩きしている。
396文責:名無しさん:02/04/04 09:32 ID:tOjI1L+6
<ラーべとは?>
12日20時、唐生智逃亡の頃、龍大佐と周大佐がラーベを再
訪する。そして「ここに避難させてもらえないか」と頼んだ。ラ
ーベは良心の呵責(かしゃく)を覚えることなく、敵兵をかくまう。
その2日前、重傷兵が安全地帯に入って来たのは「協定違反」
(94貢)だと息巻いていたラーベ、その姿は今やない。安全地
帯における負傷兵の存在が協定違反であったのであれば、安全地
帯における五体満足な高級将校の存在は、一層重大な協定違反だ
ったのではないか。そのことに何の痛痒(つうよう)も感じない
ラーベ、その理性は麻痺していたのである。
それだけではなかった。彼は、更に、陥落以来、羅福祥(本名
は汪漢萬)をかくまっていたことを、翌年2月22日の日記に、
71日ぶりに記す。その日の忠実な記録を日記と考えるならば、
ラーベの日記は必ずしもその種の日記ではない。
後で、自己の体験を、ある観点から注意深く取拾し、再構成し
ながら書いた、目的志向的な日記であった。
397文責:名無しさん:02/04/04 09:32 ID:tOjI1L+6
ラーベはドイツに帰国する際、汪漢萬を使用人といつわ
って汽船に同乗させ、香港への逃亡を援助した。高級将校の潜伏
と逃亡を幇助(ほうじょ)し、自己を凱旋兵と同一視するラーベ、
それはまた中立地帯委員長の理性の倒錯を示す。
昭和13年2月15日「昨晩、龍と周の二人が我が家を去った」
とラーベは記す。64日間の不法滞在であった。日本軍の支那兵
摘発は「徹底した包囲殲滅戦」(笠原十九司)からは程遠かった。
龍大佐が「私と周の2人が負傷者の面倒をみるために残されま
した」と語っているように、彼らは上官の唐生智の指示により計
画的に残されたのである。しかしそれならば、彼らは赤十字病院
の置かれた外交部に直行すべきであった。
それが、ラーベの自宅に直行したのである。その目的は何であ
ったのか。そのことを考えるうえで『ニューヨーク・タイムズ』
の昭和13年1月4日の記事は有力な手掛りとなる。
398文責:名無しさん:02/04/04 09:33 ID:tOjI1L+6
ラーベの日記には『局部に竹を突っ込まれた女の人の死体を
そこら中で見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を越え
た人さえ何度も暴行されているのだ』とあるが、強姦のあと
「局部に竹を突っ込む」などという風習は、支那にあっても、
日本には絶対ない。また、ラーベは『日本兵はモーゼル拳銃を
もっていた』というが当時日本軍にはモーゼル拳銃など一丁も
ない。支那兵の間違いである。

ラーベの12月13日(陥落初日)の日記は随分と
考えさせられる内容である。
「我々はメインストリートを非常に用心しながら進んでいった。
手榴弾を轢いてしまったが最後、ふっとんでしまう。上海路へ
と曲がると、そこにもたくさんの市民の死体が転がっていた。
 ふと前方を見ると、ちょうど日本軍がむこうからやってくる
ところだった。
なかにドイツ語を話す軍医がいて、我々に、日本人司令官は
2日後に来ると言った。」(109貢)
 多くの死体が有ったというが、紅卍字会の埋葬記録が正しけ
れば上海路では20体の埋葬であったから、死体は20体しか
なかったことになる。では、ラーベの言うように「市民」の死
体であったのか?
 支那軍正規兵は、敗戦の際は常に軍服を脱ぎ捨て便衣(平服
をまとっていた上、逃げようとする友軍兵士を督戦隊が背後から
撃っていた。支那兵に武装解除を勧めるラーベの近くで、支那
軍将校がカービン銃を撃っていた。死体は、撃たれて死んだ兵
士の死体だったのではないか。
399文責:名無しさん:02/04/04 09:34 ID:tOjI1L+6
国際委員長であるジョン・ラーベは委員会を代表して次のような
感謝の書簡を日本軍司令官におくっている。(12月14日)
「拝啓、私どもは貴下の砲兵隊が安全区を攻撃されなかったと
いう美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対す
る将来の計画につき、貴下(松井軍司令官)と連絡を取り得るよ
うになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」
(速記録210号)
ラーベの日記には、この自分が書いた日本軍に対する「感謝の
書簡」について一行もふれていないということは、一体どうした
ことか?
400文責:名無しさん:02/04/04 09:35 ID:tOjI1L+6
ラーベの日記には、この自分が書いた日本軍に対する「感謝の
書簡」について一行もふれていない。
一体どうしたことか?
反対に日本軍は暴虐の限りを尽くしたと言い、編者ビッケルトは
これを補足して『便衣兵狩りが一般市民を多く巻き込み、大虐殺
を生んだとの見方がある。ともかく、日本兵は安全区まで入り込み
、殺戮を繰り返したのである』と書いている。
ところが残留せる住民には、日本軍来たれば待望の秩序と統制
との回復あるべしとの意味にて、日本人を歓迎する気分さえあり
たることは想像せらるるところなり。(速記録210)
また金陵大学病院医師マッカラム氏は、「(安全区に入ってき
た日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれ
ました。
若干のたいへん愉快な日本兵がいました。/私は時々日本兵が若
干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上
げているのを目撃しました」と、東京裁判に提出した日記の中に
書いている。(速記録210)
401文責:名無しさん:02/04/04 09:35 ID:tOjI1L+6
日本人を憎悪していたマギー牧師でさえ「安全区は難民の“天国”
だったかも知れない」とさえ述べているのである。
安全区国際委員会の書記長スマイス博士(米)も、その調査報告書
の中で「住民のほとんどはここに集まっていた。・・・
難民区内は一件の火災もなく平穏であった」と述べている。
(速記録210)
ところがラーベ日記には、安全区内に毎日のように火事と強姦が
続いたという“地獄絵”が描かれている。一体どちらが本当なのか?
402文責:名無しさん:02/04/04 09:36 ID:tOjI1L+6
ラーベの上申書は更に主張する。
「元兵士の疑いをかけられ(略)何千人もの人が、機関銃あ
るいは手榴弾で殺されました」
「ガソリンをかけられ、生きながら火をつけられた」
「8才から70才を越える女性が暴行され(略)局部にビール瓶
や竹が突き刺されている女性の死体もありました。これらの犠牲者
を私はこの目で見た」
「住民の半数がペストにかかって死んだのではないでしょうか」
ラーベは12月24日の日記に、いつの日か目撃者として語るこ
とができるよう、是非この眼で確かめておきたいと胸を張ったもの
である。
『南京の真実』の解説者は、それを検証もせずに、「ラーベの目
確認され・・・た超一級の資料」と絶賛する。ところが、強調箇所
は、その目撃記録が、日記にないのである。その日の忠実な記録
(日記)を基に、上申書が書かれたのならばまだしも、日記にもな
い事が上申書には書かれた。これを一般にねつ造と言うのではある
まいか。
403文責:名無しさん:02/04/04 09:37 ID:tOjI1L+6
「十一時にクレーガーとハッツが本部に来て、たまたま目に
するはめになった『小規模』の死刑について報告した。日本人
将校一人に兵士が二人、山西路にある池の中に中国人(民間人)
を追い込んだ。その男が腰まで水につかったとき、兵士のひとり
が近くにある砂嚢のかげにごろりと寝ころび、男が水中に沈むま
で発砲し続けたという」これと同じ記述が他の本にも有る。
そこで、見落としがないように完全に並べて立ててみると、次
の三冊に同じ記録が出てくる。
@H.Timperley,The Japanese Terror in China,Case No.
185, 1938, 1969, p.159f. (ティンパーリー編『支那におけ
る日本軍の恐怖』1938年)
AShuhsi Hsu(ed), Documents of the Nanking Safety Zone,
Case No. 185, 1939, p.78.(徐淑希〔前外交部顧問〕編『南京
安全地帯の記録』1939年。本書はラーベの署名する国際委
員会の抗議文書を徐教授が「重慶の国際問題委員会の主宰の下
に作成」したもの)
404文責:名無しさん:02/04/04 09:38 ID:JOywwZ3S
B洞富雄編『日中戦争南京大残虐事件資料集第二巻英文資
料編』に所収されたティンパーリー編『戦争とは何か――中国
における日本軍の暴虐』(上の@の訳本)
この三冊の中にクレーガーとハッツの目撃が事例185とし
て記録されている。では上の三冊とラーベの日記は全く同じ内
容であったかと言えば、そうではない。
上の三冊の注には、南京安全地帯国際委員会の行った調査結
果が注記され、ラーベの言う「死刑」は「日本軍の行う合法的
な処刑」であると明記された。ところが、その肝腎な調査結果
を、ラーベは日記に記さなかった。つまり日記から削除するこ
とにより、ラーベは合法的な処刑を非合法的な虐殺と暗示した
のである。
405文責:名無しさん:02/04/04 09:38 ID:JOywwZ3S
12月8日、唐生智の安全地帯避難命令が出て、市民
は安全地帯の外での移動を禁じられた。日米双方の記録にある
上の事実がラーベの日記にはない。
ところがラーベの署名する国際委員会9号文書は次のように
記録する。
「13日、貴軍が城内に入った時、我々はほぼ全ての非戦闘
員の住民に安全地帯へ集まってもらっていた」
つまり市民はほぼ全員が安全地帯に集まっていた。中山北路
と上海路の交差する戦場にいるはずもなかったのである。ラー
ベが目撃したのは「市民」ではなく兵士の死体であったことになる。
もし日本軍が市民を撃ったのであれば、南京在住アメリカ人
14人がアメリカ大使館のエスピイに訴えた事の記録、「エス
ピイ報告」に、その非難が出て来るはずであった。しかしそれ
もない。
406どいたかっこ:02/04/04 09:47 ID:65Pcnv91
国際安全委員会関係の資料・陥落当時南京にいた外国人の証言
 *マンチェスターガーディンのティンパリー「戦争とはなにか」から
 *米国務省文書から
下記の文書は、当時のアメリカ大使館員の電信の文書や、南京の国際安
全委員会が日本大使館や他の国の大使館に宛てた公式文書。当時の国際
安全委員会の委員長だったジョン・ラーベの日記からの南京の人口が出
ている箇所の引用である。これは、現段階で確認できる資料のうちかな
り客観性の高いものだと考えられる。
私が考えるに、当時の日本側の資料はあまり、客観性に乏しいと思う。
当時の中支那方面軍の軍人の日記に出てくる人口に関しては、日本軍の
軍人の数に関しては信頼性が高いと思うが、中国側の人口などの数字は
、信頼性は低い。何故なら、敵国であるから、中国側はなるべく日本側
に正確な数字は知られたくないからである。 よって、日本軍の数字は
、その当時の軍人たちの推測でしかない。中国の都市の人口に関しては
、中国側の資料が一番信頼性が高いのではないかと思われる。このよう
に思われるなどという書き方をすると虐殺否定側は、何の根拠もない推
測に過ぎないと断定するだろう。しかし、そのような断定的な表現が学
問的でない態度なのである。どんなに根拠の高い資料があったとしても
100%正確とは言えない。真実に近づけば近づくほど、断定的な表現
ができなくなるのではないかと思われる。
407どいたかっこ:02/04/04 09:49 ID:65Pcnv91
虐殺否定側は、何故、陥落当時の南京の人口を問題にするのか? 
それは、彼らの論理に、20万人しかいない人間を30万に殺すことは
できないという論を主張したいためだからだ。つまり、虐殺肯定側の論
理は矛盾していると指摘したいのだ。また、数を問題にすることによっ
て、虐殺の真相がぼかされてしまうということがある。
 しかし、上記の論証により、陥落当時の南京の人口を20万人と限定
することはできない。特に、南京事件が終わった後、国際安全委員会の
メンバーによる調査によれば、20万人以上は確実である。
 また、これだけは、はっきりしています。論理の問題として、20万
人しかいなかったから、虐殺はなかったというのは、変な論理のです。
確かに、20万人しかいなかったら、30万人の虐殺はないかもしれな
い。しかし、30万人を虐殺しなければ、大虐殺ではないのか? これ
は、詭弁にしか聞こえない。日本人の私が、本当に知らなければならな
いことは、詭弁ではなく、1937年12月の南京で、日本軍が一体何
をしたのかなのです。一体、何のために、南京で日本軍はどんなことを
したのかなのです。そして、何故、日本軍がそのような行為をしたのか
のです。これをはずしてはならないのです。このような日本軍を生んで
しまった背景は何なのかを探求する姿勢を常に求め続け、このようなこ
とが2度と起こらないようにするためにはどうすればいいのかを求める
ことが大切なのだと思います。
408文責:名無しさん:02/04/04 09:53 ID:JOywwZ3S
ダーディンやスティールなどの歪曲記事が明らかになった。
 支那軍正規兵は、敗戦の際は常に軍服を脱ぎ捨て便衣(平服
 をまとっていた上、逃げようとする友軍兵士を督戦隊が背後から
 撃っていた。支那兵に武装解除を勧めるラーベの近くで、支那
 軍将校がカービン銃を撃っていた。
 支那兵は脱出時、一つの門に殺到したため、圧死した死体の山が出来た。
 これらを、まるで日本軍に殺されたものであるかのように報道。
 また、13日の「背中から撃たれた市民の死体」に関するラーべの証言に
 「日本兵に撃たれたのは明らか」と付け加える。
 ところがラーべは日記に「日本兵に撃たれた」と明記することが出来ず、
 日本側に抗議もしていない。当然、公式記録にも載せていない。
 南京在住外国人14名がアメリカ大使館エスピーを訪問し、南京の出来事
 を語っているが、それを記述した「エスピー報告」でも、この件に触れて
 いない。

ちなみに、ダーディンもスティールも、後年、圧死した死体を
日本軍に虐殺されたかのように報道したことを認めている。
409文責:名無しさん:02/04/04 09:54 ID:Y4wZwrgR
1937年12月の南京で、日本軍が一体「何を」したのかなのです。
一体、何のために、南京で日本軍は「どんなことを」したのかなのです。
↑正しい

そして、何故、日本軍が「そのような」行為をしたのか(な)のです。これをはずしてはならないのです。
「このような」日本軍を生んでしまった背景は何なのかを探求する姿勢を常に求め続け、「このような」こ
とが2度と起こらないようにするためにはどうすればいいのかを求めることが大切なのだと思います。
↑一転、正しくない。
「そのような」「このような」は「何を」「どんなことを」がハッキリしないうちは分からないはずなのに・・・。
410文責:名無しさん:02/04/04 09:56 ID:JOywwZ3S
>>406
勉強もしないでカキコするから恥をかくんですよ(笑
ティンパーリが国民党中央宣伝部顧問であった、という
ことや、彼の著書も国民党から金が出ていた、ということ、
スマイス教授も国民党中央政府顧問で、彼の活動も国民党
が金をだしてさせていたものだ、ということなんて、いまや
誰でも知ってますよ?
「「南京事件」の探求」北村稔/くらい読んどきましょうね(笑
411文責:名無しさん:02/04/04 09:57 ID:JOywwZ3S
406訂正。
スマイスは国民党に金は出してもらってたけど、中央政府顧問、
というのはベイツだった。
412文責:名無しさん:02/04/04 09:59 ID:JOywwZ3S
>>406
それと、ここで述べられている数字、は、中国よりの人間が多かった
安全委員会の公式資料のものですから。
あしからず(笑
413文責:名無しさん:02/04/04 10:01 ID:JOywwZ3S
>>609
これのことですか?(笑

南京陥落前の市民の人口
 1.「フランクフルター・ツァイトゥンク」リリー・アベック記者=「せいぜい15万人」
 2.王固磐警察庁長がラーベに語った数字=20万人

南京陥落直後の市民人口
 1.南京安全地帯国際委員会、9号文書(12月17日付)=20万人
  九号文書には「流れ弾による破壊は実にわずかしかなかった」とも記されている。

安全地帯以外に市民がいなかったことを示すもの
 1.南京安全地帯国際委員会、9号文書=「貴軍(日本軍)が入城するときには
  すべての市民を安全地帯に収容し終わっていた」ことが記されている。
 2.ラーべの日記1月15日収録の「南京の状況」12月13日付
  「13日、貴軍が城内に入った時、我々はほぼ全ての非戦闘
  員の住民に安全地帯へ集まってもらっていた」
 3.第十六師団歩兵第三八連隊の「戦闘詳報」第十二号
 4.第九師団歩兵第十九連隊第四中隊長、土屋正治中尉、支那派遣第三艦隊の
  従軍画家、住谷盤根の証言等々からも、日本軍入城時には安全地帯以外
  人がいなかったことが明らかになっている。
 5.安全区国際委員会の書記長スマイス博士(米)も、その調査報告書
  の中で「住民のほとんどはここに集まっていた。・・・
  難民区内は一件の火災もなく平穏であった」と述べている。
414文責:名無しさん:02/04/04 10:01 ID:JOywwZ3S
 6.同盟の特派員であった故前田雄二氏(元日本プレスセンタ
  ー専務理事)は、内外のニュース社発行の『世界と日本』の中で
  こう述べている。「いわゆる“南京大虐殺”というのは、2〜30
  万という数は別としても、主として住民婦女子を虐殺したというも
  のだ、ところが殺されなければならない住民婦女子は、当時全部
  “難民区”内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。

日本軍が安全地帯を攻撃しなかったことを示すもの
 1.南京安全地帯国際委員会、1号文書(十二月十四日付)=「貴軍の砲兵隊
  が安全地帯を砲撃しなかった見事なやり方に感謝するため、我々は筆を
  とっております」という書きだしになっている。

翌年の市民人口を示すもの
 1.南京安全地帯国際委員会、第41号文書(1月18日付)=25万人
 2.ラーべの日記1月17日=「安全地帯の住民の数はいまやもう、約25万人
  と推定される。この約5万の増加は城内の廃虚から来ている」
415文責:名無しさん:02/04/04 10:02 ID:JOywwZ3S
* 南京警備司令部は、12月24日から正月にかけて、安全区に潜入
 している便衣兵と常民を分離するため、中国人立ち会いのもとに「良
 民証」を給付した。その給付された「良民証」の数は16万に達した。
 しかしこれは「10才未満の子供と60才以上の老人を除外した数字
 である。従って総数は25万から27万とみてよかろう」と金陵大学
 教授で委員会の書記長ルイス・スマイス博士の推測である。この時摘
 出された約2千の便衣兵は、全員捕虜収容所に送られている。
 松井軍司令官の『陣中日誌』にも12月21日「人民モ既ニ多少
 宛帰来セルヲ見ル」とある。占領から1週間目である。
416文責:名無しさん:02/04/04 10:03 ID:JOywwZ3S
中国の嘘、プロパガンダなんて今ではその虚構性がだいぶ明らか
になってるのに、まだ、「中国の証拠の方が」なんて寝とぼけた
ことを言ってる人がいるんですねぇ(苦笑
417文責:名無しさん:02/04/04 10:05 ID:JOywwZ3S
>>407
まず、あなたがすべきことは、中国が数について明らかな
嘘をついている、という事実を認めることです。
そこから始めてください。
418文責:名無しさん:02/04/04 10:07 ID:JOywwZ3S
>>407
平均的な知能を持った人間がこれまで私のあげた根拠を
冷静に見れば、誰でも「日本軍は虐殺をした」なんて
いう妄想からは醒めるはずなんですが・・・。
思考停止の恐さ、といったところでしょうか。
419文責:名無しさん:02/04/04 10:09 ID:JOywwZ3S
プロパガンダ写真研究所
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/index.htm
これでも見て、少し中国の手口、というものを知ってください。
420文責:名無しさん:02/04/04 10:09 ID:Ew3AL9Jo
コピペしかできないどいたかっこは、果たして日本人なのだろうか?
421文責:名無しさん:02/04/04 10:15 ID:JOywwZ3S
 南京戦当時の実情・実態を記録したというH・J・ティンパーリー
編『戦争とはなにか―中国における日本軍の暴虐』と、L・S・C・
スミス(スマイス)編『南京地区における戦争被害』(共に、昭和六
十年十一月、青木書店刊。
洞編『日中戦争南京大残虐事件資料集第2巻』所収)は高い評価を受けていた。
時にスマイスの戦争被害調査は、南京事件派より南京大虐殺批判の好材料
とされていた。
しかし、筆者(上杉)は、城内の被害の「死亡 二、四〇〇人」
「拉致 四、二〇〇人は過大と批判し続けてきた。
 大阪学院大学教授丹羽春喜著『「スマイス調査」が内包する真実を探る』
(自由社刊「自由」平成十三年四月号)によると、日本軍による「市民殺害
 六〇六から七二〇人」「市民拉致 八八〇から一、三二〇人」と分析されている。
これでも筆者(上杉)はなお過大と推測していた。
 この過大な拉致実態が誕生した理由が、立命館大学教授北村稔著『「南京
事件」の探求』(文春新書、平成十三年十一月刊)より判明した。
 それは、中国国民党中央宣伝部顧問でもあったティンパーリーを通じての
〈要請と資金提供のもとで書かれた〉のがこの『スマイス報告』であること
が判明したからである。
422文責:名無しさん:02/04/04 10:16 ID:JOywwZ3S
>>420
これは賭けてもいいけど、多分どいたかっこ、は、アイリス・チャン
も信じてますよ。
423文責:名無しさん:02/04/04 10:32 ID:UYcsv6rR
>>420
風前の灯の土井の現在の状況を知らないから、
恥ずかしげも無く「どいたかっこ」なんてHN使っているんだろ。
大陸から書き込んでるんじゃないか?
424文責:名無しさん:02/04/04 10:43 ID:giUWrhlF
 鈴木明著「新・南京大虐殺のまぼろし」(飛鳥新社)は、南京
事件、田中上奏文、東京裁判、中国共産党とそのシンパの動向な
どについて、重要な発見に満ちています。

◆「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見!」

 本書の帯には、「『虐殺論争』に終止符を打つ、衝撃の発見
!」とあり、鈴木氏の言葉として、次のような言葉が掲げられて
います。

「…僕が今回書いたことは、戦後半世紀以上を通して、世界中の
誰もが書かなかったことであり、気づかなかったことでもあり、
『南京大虐殺』の、本当の意味での核心にふれたものであるとい
う点だけは、強い自信を持っている…」と。

 鈴木氏は巻頭に、「日本、中国、アメリカという、東アジアだ
けではなく、21世紀の世界に最も大きな影響を与えるかもしれ
ない重要な三つの国で、いまでも喉元に突き刺さったままでいる
ような大きな歴史的課題が、まだ未解決のままである。いわゆる
南京大虐殺論争である。この不可解な事件の鍵を握っていた人物
は一体誰なのか」と書いています。それが、エドガー・スノーな
のでした。
425文責:名無しさん:02/04/04 10:45 ID:giUWrhlF
スノーについてコピぺしようと思ったけど、異様に長い
からやめ(笑
426文責:名無しさん:02/04/04 10:46 ID:Ew3AL9Jo
なんだそりゃ(w
427文責:名無しさん:02/04/04 10:46 ID:giUWrhlF
昭和五十九年八月四日付け夕刊(大阪本社版)
「南京大虐殺」でっちあげ報道
 朝日は、生首のごろごろ転がる写真を「南京大虐殺の証拠
写真」とし、南京に入城した元歩兵二十三連隊の上等兵が記し
たという「日記」を併記して掲載した。
それに対して、なんと元歩兵二十三連隊の有志からなる「都
城二十三連隊会」が立ち上がった。
覚えのないでっちあげ記事をネタに、孫から非難される御老人
もいらしたという。
とにかく、命を捨てて祖国のために戦った戦友の汚名を晴らし
たいという一心からだったに違いない。
 元兵士の懸命の調査により、一年四カ月後になって、この写
真が全く別の場所の写真であることが判明する。
428文責:名無しさん:02/04/04 10:47 ID:giUWrhlF
「南京大虐殺」についてのおわび記事を掲載
 写真の嘘が明らかになったことをうけ、「都城二十三連隊会」
は記事取り消しや謝罪文掲載の要求を朝日につきつけた。
それに対して朝日は、このような数行のおわび文を掲載した。
「(前略)日記は現存しますが、記事で触れられている写真三枚
は南京事件当時のものでないことが解りました。(後略)」
 全く、元歩兵二十三連隊が南京大虐殺をしていないという記述
はどこにもない。
これに、都城二十三連隊会が更に朝日に対して不信感をつのらせ
るのは当然というものだ。
写真の嘘が明らかになったのなら、あとは日記の真偽が焦点となる。
やはり例によって朝日は、取材情報源の秘匿を主張し、さんざゴネ
た上に朗読まではしぶしぶ行ったが、筆跡鑑定のための開示をこばんだ。

昭和六十一年十二月二十七日
「南京大虐殺」の日記開示を命令する判決が下る
都城二十三連隊会は、日記の開示を求め昭和六十一年八月二十二日
小倉簡易裁判所に日記保全の申し立てをした。
429文責:名無しさん:02/04/04 10:48 ID:giUWrhlF
やがて全て開示し写真に取らせよという判決が、十二月二十七日におりる。
これで、長い闘いが終了し全てが解決するかと思えば、そうはならなか
った。
朝日は、取材情報源の秘匿を理由に、福岡地裁小倉支部に抗告したのだ。
朝日は生い先短い老人を相手に、裁判引き伸ばし戦術に出たのだ。
豊富な資金を持つ朝日にとり裁判などどうということはないが、資金
の乏しい側にはたまったものではない。
430文責:名無しさん:02/04/04 10:48 ID:giUWrhlF
>>426
もうしわけなか(笑
431文責:名無しさん:02/04/04 10:51 ID:giUWrhlF
昭和五十九年十月三十一日付け
毒ガス戦でっちあげ報道
朝日は、煙がもうもうと立ち上る写真を一面三段抜きに掲載し、
「これが毒ガス作戦。と元将校。当時の日本軍内部写真を公表」
と報道する。
ほどなく、これが写真も取材源もデッチあげであることが、朝日
の稲垣武氏や各種報道機関によりあばかれる。


昭和五十九年十月三十一日付け
毒ガス戦でっちあげ報道へのいい加減な釈明記事掲載
その後、各種報道機関が行った調べにより、これは単なる煙幕
の写真であることが判明する。
嘘をあばかれた朝日は、「化学戦の写真は南昌でなく、新ショ河
における化学戦の写真と判明。」などと小さく報じる。
唐突に「化学戦」などと言い換え、毒ガスでなかったことには一
切触れず、あたかも位置の誤認であったかのような記事を掲載する。
432文責:名無しさん:02/04/04 10:52 ID:giUWrhlF
アサヒイブニングニュース平成十一年二月十九日付け
「レイプ・オブ・南京」の発売延期の原因を右翼からの脅迫と謀略報道
アメリカで発売された「南京大虐殺」本、「レイプ・オブ・南京」。
これが捏造写真展覧会であり、ホラ話の集大成であることは既に知られ
ている。
アメリカで50万部も売れ、日本人差別意識の熟成に大貢献した人種差
別本だ。
これの日本語訳が日本で発売されようとしたが、著者であるアイリス・
チャン氏からの要望により発売中止となった。
あまりにひどい嘘記述の嵐に手を焼いた同本の出版社である柏書房が、
発売するにあたり解説書を同時に出版することにしたのだ。
著者であるチャン氏にしてみれば頭に来て当然だろう。
自分の本を出版するにあたり、どこが嘘なのかを解説した本が同じ出版社
から発売されるのだから。
ところがこの一件についてアサヒイブニングニュース(朝日の英語版)が
以下のような報道をする。
433文責:名無しさん:02/04/04 10:53 ID:giUWrhlF
 「消息筋が木曜日[二月十八日]に語ったところによれば、東京の出
 版社が電話や手紙による脅迫を受けて、『ザ・レイプ・オブ・南京』の
 日本語版の出版を延期した。(筆者補足:この後、右翼からの脅迫が
 あった旨の文章が続く。)」

 
出た出た。朝日お得意の謀略&捏造報道。海外での対日偏見熟成に大忙しだ。
月刊誌『創』四月号では、同社の芳賀啓編集長が「右翼よりも一般の人から
間違いのまま出版していいのかという電話が多かった。
しかし、困ったのはその後、出版延期が右翼の脅しがあったからだと報道
されたこと。
実際は著者による出版妨害だったのです」と語っているという。
外国人を相手に進んで日本人偏見熟成嘘宣伝をする朝日。
アサヒイブニングニュースの記者は再度日系人収容所に日本人を送り込みた
がっているのか。
434文責:名無しさん:02/04/04 10:55 ID:vCd8qZvE
>>429
ひどい話だな。
朝日は悪だね。完全な悪。
「悪を見抜く使命」って一体・・・。
435文責:名無しさん:02/04/04 10:56 ID:giUWrhlF
いわく付きの、あの教材が、ついに教科書から消えました。
「乳房切り残虐壁画」のことです。

その壁画は、本当に見るに耐えないものです。
中国人の女性を半裸にし、後ろ手にして柱に結わえ付けている。
日本軍の兵士とおぼしき人物が、右手に持った短刀で、その女性
の左の乳房を、今まさにえぐり取ったところです。
血がどくどくと流れている。
兵士の左足下には、この女性の子どもと思われる赤ん坊が転がっている。
その赤ん坊を兵士は足蹴にしているのです。まさに鬼のような所業です。

一九九六年春から使用開始された大阪書籍の小学校社会科教科書と、
一九九七年春から使用開始された日本文教出版の中学校歴史教科書
には、それぞれ、「日本軍の残虐さを批判する壁画」、「日本軍の
残虐行為を伝える中国の壁画」というキャプション付きで、華北地
方の民家の壁を塗りつぶして大きく描かれた右の壁画の写真が掲載
されていました。
大阪書籍『小学社会6年上』より

1998年発行版 � 1999年発行版
436文責:名無しさん:02/04/04 10:57 ID:giUWrhlF
教科書の本文には、「一九三七年、ペキン(北京)の近くで日本軍
と中国軍のしょうとつがおこり、これがきっかけとなって、日中の
全面戦争となりました。
日本軍は、中国各地に侵攻し、多くの生命をうばうなど、中国の人々
に大きな被害をあたえました」(大阪書籍・小学校)などと書かれて
いました。
教科書は、日本軍がこの壁画のような残虐な行為をはたらいたと子
どもに信じ込ませていたのです。

このむごたらしい壁画の写真のおおもとは、『私の従軍中国戦線
〈村瀬守保写真集〉一兵士が写した戦場の記録』(一九八七年、機関
誌出版)の一二四ページにあるものです。
それを『週刊朝日百科 日本の歴史』(朝日新聞社)が転載、右記の
教科書二社が採用していました。

しかし、この壁画には「廣西学生軍」の署名が入っています。
廣西省といえば、華北からはるか南、何百キロもの遠方です。
そういう遠方から来た外地部隊が、華北地方の町の家の壁に絵を描いて、
住民に抗日を呼びかける宣伝をしたのです。
つまり、この壁画は、敵を悪魔のように描き出して敵意を煽る
「戦時プロパガンダ」の一種なのです。
437文責:名無しさん:02/04/04 10:58 ID:giUWrhlF
私は、従軍体験のある何人かの年輩者にこの壁画を示し感想を求
めました。
ある方は、日本軍とおぼしき兵士の服装のおかしさを指摘しました。
特に、日の丸の腕章をしているのが誠にこっけいです。日の丸の腕章
を着けて戦場で戦った日本兵はいないからです。
この絵を描いた学生は、日本兵というものを見たことがないに違いない、
というのがその方の感想でした。
また、別の方は、女性の乳房をえぐり取るなどという行為を日本人は
思いつかない、とおっしゃいました。
なるほど、こんな話は日本では聞いたことがありません。
なぜわざわざ、女性を柱に縛りつける必要があるのかという疑問も
出されました。

私は、ひょっとしたらこの行為は他ならぬ中国人のもっている
残虐行為のレパートリーの一つなのではないかと思いつきました。
調べてみたら、まさにそのとおりでした。
人を柱に縛りつけて乳房をえぐり取るという行為は、中国の元朝以来、
歴代の王朝が受け継いできた正規の刑罰の一つなのです。
438文責:名無しさん:02/04/04 10:58 ID:giUWrhlF
それは「陵遅の刑」とよばれるものです。
そこには、元の王朝を立てたモンゴル民族の習慣が投影しています。
例えば、次の説明を読んでいただきたい。

「いかにも、遊牧肉食の蒙古民族なればこそできた、残酷な処刑で、
まず受刑者を柱にしばりつけ、鋭利な刃物で、まず左の腿肉をおもむ
ろにそぎとり、ついで右の乳房をえぐりとり、つぎに右の腿肉をそぎ
とり、ついで左の乳房をえぐりとる。
ついで両手、両足を切りおとし、最後に首を切りおとす」(池田正之輔
『シナ民族性の解明』一九七一年、内外情報研究所)

動物の皮を剥いだり、肉を切ったりすることを日常的に行ってきた民族
に特有の発想であることがよくわかります。
農耕民族の日本人には思いつかないのも道理です。
このような残虐な刑罰は、中国の残虐文化の一つとして定着し、中国人
なら誰でも知っている常識となりました。
だからこそ、廣西学生軍の学生は「日本軍の残虐さ」を住民に宣伝するのに、
この刑罰を利用すればより効果的だと考えたのでしょう。
壁画の絵は、乳房を切り落とすという点ばかりでなく、柱にしばりつける
という点でも、「陵遅の刑」の知識をもとにしていることは明らかです。
439文責:名無しさん:02/04/04 10:59 ID:hM/I64TC
日本の歴史教科書は、旧敵国の戦時プロパガンダまで探し出してきて、
それを史実として扱うまでに偏向していたのです。
これを税金を使って、子どもたちに配っていたのです。まさに犯罪的です。

「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二会長と私は、機会あるごと
にこの壁画を、教科書が反日マインドコントロールの手段となっている
ことを示す事例としてとりあげてきました。
それが次第に国民の間に浸透し、二つの教科書会社は、このままではかえ
って自分たちに不利になると判断したのでしょう。
二社は今年の一月に、文部省に対して写真をそれぞれ右のように差し替え
る申請を行いました。
検定合格後に、統計数字の変更や誤字の訂正が申請される例は今までもあ
りますが、歴史認識をめぐって問題となった記述や写真が修正されたのは、
これが初めてです。

産経新聞四月二十二日付によれば、大阪書籍は「資料性や六年生の発達段階
などを再検討した」と言い、日本文教出版は「扱いにくいという指摘が学校
からあり、差し替えた」と説明しているとのことです。
二社に対しては、今までの無責任な編集姿勢を追及しなければなりません。
440文責:名無しさん:02/04/04 11:00 ID:hM/I64TC
しかし、これは歴史教科書改善運動の極めて大きな成果です。
繰り返し批判を続けていけば、必ず一定の成果が上がることを示すものです。
勇気百倍、「新しい歴史教科書」をつくり、ひろめる活動を、さらに精力的
に進めたいと思います。

【文献紹介】藤岡信勝『「自虐史観」の病理』(文藝春秋)及び、
西尾幹二責任編集『地球日本史・3』(扶桑社)所収、藤岡信勝執筆
「朝鮮人の自己誤解」に関連記述があります。
441文責:名無しさん:02/04/04 11:04 ID:hM/I64TC
因みに、大勢の中国人に囲まれた縛り首になった男の胸や太ももの肉をナイフ
切り取ってるところの写真が私のPCには入ってる。
ネットで入手したもので、真偽のほどは何ともあれだけど。
442文責:名無しさん:02/04/04 11:05 ID:hM/I64TC
もちろん切り取ってるのは中国服のおやじ。
443文責:名無しさん:02/04/04 11:09 ID:hM/I64TC
あ、それと、さっき貼ったプロパガンダ写真研究所には、
済南事件であそこにクイを打ち込まれて殺された日本人女性の
検死解剖があって、それは「731部隊の生体実験の証拠写真」として
中国が宣伝し、利用した写真でもある。
444文責:名無しさん:02/04/04 11:21 ID:Onnn7FxM
なんかこういうの見てると暗澹たる気分にさせられますね。日本の名誉が回復される
日は本当に来るのでしょうか。このまま永久に汚名を着せられたままになるのでは
ないかと思ってしまいます。
445文責:名無しさん:02/04/04 11:28 ID:hM/I64TC
>>444
パル判事の
「時が、熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその
仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に
保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するで
あろう」
という言葉を信じてがんばりましょう。
446文責:名無しさん:02/04/04 11:32 ID:hM/I64TC
がんばるのはいいんですが、とりあえず、疲れたので落ちます(笑
447文責:名無しさん:02/04/04 11:37 ID:hM/I64TC
あ、もう一つだけ補足。
>>437の教科書に載っていた中国のプロパガンダ壁画の写真は、
本来壁画の下の方に、国民党の宣伝部隊ということがわかる
ように文字が入ってるんだけど、教科書ではトリミング、と
いうのかな?その字が、他の写真とか文字で見えないように
工夫されていた。
つまり、確信犯。
448文責:名無しさん:02/04/04 11:38 ID:Ew3AL9Jo
逆珊瑚ですか。
449文責:名無しさん:02/04/04 11:41 ID:9OX3LH8C
最悪だ・・・日本の教育界・・・。
450文責:名無しさん:02/04/05 00:21 ID:NX9XlRCH
南京事件犠牲者数の定量的検証

〜南港中学理科クラブの挑戦〜

登場人物

花子:南港中学三年、理科クラブ部長

太郎:同三年、副部長

先生:社会科教師(学生時代は左翼活動家)

南港中学理科クラブ、南京事件に挑む


花子 先生、私たち先週の授業の事で、質問があるんですけど、
   今いいですか?

先生 理科クラブの君たちが私に質問とはめずらしいね。何かね。

太郎 僕たち、理科クラブは統計的なデータ分析を自由研究でやろ
   うとしているんです。
   それで先週教わった「南京大虐殺」を取り上げてみようかと
   思ったんです。

先生 しかし君たち教科書をちゃんと読んだのだろう。
   日本が中国を侵略して、三十万人もの民衆を虐殺したって
   、はっきり書いてあるじゃないか。
451文責:名無しさん:02/04/05 00:22 ID:NX9XlRCH
花子 ええ、確かに教科書ではこう書いてあります。

「日本軍はシャンハイや首都ナンキンを占領し、多数の中国民衆の生命を
うばい、生活を破壊した。ナンキン占領のさい、日本軍は、捕虜や武器
を捨てた兵士、子ども、女性などをふくむ住民を大量に殺害し、略奪や
暴行を行った。(ナンキン虐殺事件)。(注)この事件の犠牲者は二十
万人といわれているが、中国では戦死者と合わせて三十万人以上として
いる。」(中学校歴史教科書、教育出版、二五〇頁)

先生 それですべて明白じゃないのかね。一体どこを分析しようと言うんだ。

太郎 僕たちの理科クラブの先生は、自分で実際に事実を調べることが、
   科学の、いや、すべての学問の基本だって、いつも言ってるんです。
   それで教科書に書いてあることだからと言って、そのまま信じて丸暗記
   しているだけでは、本当の勉強じゃない。それで何でも良いから、ひと
   つテーマを取り上げて、自分たちで事実を調べて、納得するまで検討し
   てみなさい、と言われたんです。

先生 それは理科のような自然科学についてはそうだろうが、歴史のような社
   会科学では、いちいち原典に当たっていたら、大変だよ。
   それに何も南京大虐殺というようなテーマをわざわざ選ばなくともいい
   じゃないか。
   東京裁判ではっきり判決も出ているんだし、第一、大虐殺について疑う
   ような態度を示すこと自体が犠牲者となった中国の人民に対して、申し
   訳ないこととは思わないのかね。
452文責:名無しさん:02/04/05 00:23 ID:NX9XlRCH
太郎 事実を調べるのに、どうしてそんな遠慮がいるのか、僕には良く分かり
   ません。
   それに、実は僕の田舎のおじいさんは若い頃、中国に出征して、南京に
   も行っていたのです。
   この間、亡くなりましたが、曲がった事が大嫌いで、僕も小学生の頃、
   いじめに加わったので、ものすごく怒られた事があります。
   そういう人が、いくら戦争中とはいえ、何十万人もの虐殺に加わったな
   んてとても信じられないんです。
   もしこれが事実だとしたら、僕は大虐殺をした人の孫になるんです。
   そうだったら、中国の人たちにどうやって謝ったらいいのか、分からない。
   口先で謝ったり、お金で済む問題じゃないでしょう。
   でも、もし事実でないとしたら、濡れ衣で何十万人もの虐殺をしたなんて、
   言われるのはたまりません。
   この写真はおじいちゃんが残した新聞の切り抜き帳にあったものです。
   当時の朝日新聞に載っていた写真で、日本軍の兵隊さんが中国人の子供と
   遊んでいる所です。
   僕も小さい頃、よくおじいちゃんにこうして遊んでもらったんで、こうい
   う光景の裏で、同じ兵隊さんたちが悪魔のように何十万人も殺し回るなん
   て、想像もできないのです。

注:写真は「朝日新聞が報道『平和蘇る南京』の写真特集」、田中正明著、
教科書を正す親子の会発行、より。
453文責:名無しさん:02/04/05 00:23 ID:NX9XlRCH
花子 私も、この教科書の記述はなんだか、変に思うんです。
   だって、犠牲者数が二十万人とか、三十万人とか、何故こんな大きな食
   い違いが出てくるんでしょう。
   それに「戦死者を含む」なんて書いてありますけど、戦闘中の戦死者を
   被害者に含めるのはどうかと思います。
   戦争なんだから戦死者は両方で出るはずでしょう。
   何で、中国軍だけ被害者扱いするんですか。
   本当に虐殺された市民は、一体何人なんですか?

先生 二十万人だろうが、三十万人だろうが、とにかく大変な人数なんだから、
   大虐殺に変わりはないのじゃないかね。
   少ない人数だったら、虐殺してもいいってことにはならないだろう。

花子 いえ、私、なんとなく、そういうことで、本当の事実が覆い隠されてい
   るんじゃないかって、気がするんです。
   それに日本軍は上海と南京を占領したといっていますが、上海では何も
   起こらなかったのでしょうか。
   南京でだけ虐殺が起こっていたら、それは何か別の理由とか、事情が
   あったんじゃないかって、思うんです。
   もし、日本軍の残虐さが原因なら占領した場所ではどこでもこういう
   事件が起こっているはずです。

先生 いや、そんな自然現象のように単純なものではないよ。
   でも、いいだろう。やってみるといい。調べるならこの本がいい。
   南京大虐殺の研究では第一人者である洞富雄先生という方がまとめられた
   「決定版・南京大虐殺」だ。これを読めば、日本軍がどんなひどい事をし
   たかよく納得できるよ。
454文責:名無しさん:02/04/05 00:24 ID:NX9XlRCH
太郎 でも、先生。「決定版」って、結論だけ押しつけているような感じですが、
   僕たちは、あくまでも自分で事実を調べたいんですから。

先生 それならちょっと大変だが、同じ洞先生の「日中戦争南京大虐殺事件資料
   集」(青木書店)がいいだろう。
   東京裁判の記録や当時の新聞記事など細大もらさず収集した大変価値ある
   資料集だ。これに挑戦してみてごらん。

花子 分かりました。しばらくお借りして研究してみます。


犠牲者数の検証


花子 先生、いろいろ分析してきました。ちょっと見てもらえますか。

先生 どれどれ、だいぶいろいろ表とかグラフをまとめてきたね。

太郎 まず問題となった二十万人なのか、三十万人なのか、という犠牲者
   数の検証をしてみました。
   犠牲者数の根拠とされているのは、東京裁判で検察側から提出され
   たこの資料一です。
455文責:名無しさん:02/04/05 00:25 ID:NX9XlRCH
(資料一)南京慈善団体及ビ人民魯甦ノ報告ニ依ル
      敵人大虐殺概況統計表


証人或ハ慈善団体名 死亡人数

* 南京市崇善堂 一一二、二六六
* 紅卍字会 四三、〇七一
* 下関区 二六、一〇〇
* 伍長徳  二、〇〇〇余
* 魯甦 五七、〇〇〇余
* 内芳縁・張鴻儒・揚広才 七、〇〇〇余
* 無縁仏  三、〇〇〇余


総計 死亡人員 約廿(二十)六万余


太郎 最初の南京崇善堂と紅卍字会については、明細が資料集に出てい
   ました。まず十一万と最も多い崇善堂のデータが資料二です。

(資料二)崇善堂埋葬隊埋葬死体数統計表

年月日 自昭和十二年十二月廿六日至昭和十二年十二月廿八日
取扱隊 「崇字埋葬隊第一隊」
死体発見場所 「沐府西門ヨリ估依廊ニ至ル」
埋葬場所 「五台山」
 男「九六」女「二二」子供「六」計「一二四」
456文責:名無しさん:02/04/05 00:25 ID:gYTnr0q1
年月日 自昭和十二年十二月廿六日至昭和十二年十二月廿八日
取扱隊 「崇字埋葬隊第二隊」
死体発見場所 「(てへんに)邑」江門東」
埋葬場所 「城根」
 男「三四二」女「三八」子供「一二」計「三九二」

(中略)

年月日 自昭和十三年四月九日至昭和十三年五月一日
取扱隊 「通済門外ヨリ方山ニ至ル」
 男「二四,八三九」女「四七五」子供「一七六」
 計「二五、四九〇」

計 男「一〇九、三六二」女「二,〇九一」子供「八一三」
総計 「一一二、二六六」

       南京市崇善堂々長
             責任者 周一漁(印)(官印)


太郎 見にくいので、表にまとめたのが、資料三です。
   これを見ると、始めの方は、三日間で九六とか、三四二とかの埋葬
   数だけど、最後の方だけ三週間で数万というようになっていますね。
   最後の方だけ、大きすぎるように気がするでしょう。
   それで、一日あたりの埋葬数のグラフにしてみました。それが資料四です。
457文責:名無しさん:02/04/05 00:26 ID:gYTnr0q1
(資料三)崇善堂・埋葬者数データ

(資料四) 崇善堂・日当たり埋葬者数


太郎 十二月二十六日からの三日間は日当たり百体以上埋葬している隊もあ
   りますが、あとはずっと十〜三十体程度です。
   四月の分だけ、「城外」と別扱いになり、いきなり千から三千近くに
   もなっています。
   また記載の方法も、城内の部分では、隊名と埋葬場所がちゃんとありま
   すが、最後の城外の方は、それがなくて、書き方が変わっています。
   日本軍が南京を攻撃したのが十二月だから、この埋葬隊は事件後四ヶ月
   は日当たり数十体を埋葬し、五ヶ月目に城外に出て、突然毎日数千とい
   う遺体処理をしたことになります。

花子 なんだか、ここだけ後から無理矢理追加したような感じですね。
   同じ埋葬隊でこんなに処理能力が違うということがありうるのかしら?

太郎 弁護側の指摘でも、これらの地域では日中両軍とも戦死者が続出したので、
   死体は虐殺とは言えない事、それに日本軍がすでに清掃をした後、さらに
   五ヶ月経って、こんなに多数の死体が残されているはずがない、との事です。

先生 …

花子 先生、私は紅卍字会の方を分析しました。資料五がその詳細データです。
   まず感じたのは、こちらの方は女子や子供がほとんどいないのに、先ほど
   の崇善堂の方ははるかに多かったということです。
   それで、同じ城内だけで、女性や子供の比率を比べてみました。
   この資料六です。
458文責:名無しさん:02/04/05 00:27 ID:gYTnr0q1
(資料五) 紅卍字会・埋葬者数データ

(資料六) 城内・女子供比率の比較


花子 紅卍字会の方は、ずいぶんバラツキがあるのに、崇善堂の方は女性と子
   供の比率がきれいに揃っている事が分かります。
   同じ城内で団体が違うというだけで、なぜこんなにパターンが違うの
   でしょう。

太郎 理科クラブの先生に聞いたら、統計学の常識では、人間が頭の中ででっち上
   げた数字では、無意識のうちにこのような一定の規則性が出てしまうそうです。
   だから、崇善堂の数値はまず城内の埋葬数を適当にでっち上げたけど、三月
   までやっても、合計七千三百程度にしかならないので、四月分としてエイヤ
   ーと一ヶ月で十万以上も付け加えたというのが、僕たちと理科の先生の結論です。
   理科の先生は、さすがに中国人は豪傑だ、とびっくりしていました。


注:阿羅健一氏の調査によれば、昭和十年(事件の二年前)に発行された
「南京市政府行政統計報告」では、崇善堂は、衣料給与、寡婦救済、保育な
どを行う慈善団体であり、死体埋葬は行っていない。事件直後に発行された
「南京市概況」でも紅卍字会は死体埋葬作業を行っている事が記載されてい
るが、崇善堂の事業内容にはその記載がない。そのうえ「工作進行範囲狭小」
(活動は続いているが、規模は小さい)と特に注記してある。(サンケイ新聞
昭和六十年八月十日付け)
459文責:名無しさん:02/04/05 00:27 ID:gYTnr0q1
(資料七) 全地域・女子供比率の比較


花子 資料七の合計では、崇善堂は二・五七%、紅卍字会は〇・三%で、一桁
   違いますね。
   特に崇善堂の城内の比率は一〇%以上と、異常に高くなっています。
   紅卍字会の方が真実に近いとすれば、被害者の中に女性や子供はほとんど
   いなかった事になります。
   教科書に書いてあった「子ども、女性などをふくむ住民を大量に殺害し」
   という文章では、数十%も女性や子供が含まれていたという印象を与えて
   いますが、事実は違います。
   大半が戦死者だという弁護側の主張の方が正しいと思います。

花子 紅卍字会の方は、崇善堂より信頼できそうですが、これも百体以下の日が
   多いのに、突然六千四百とか、中にはきっちり五千なんていうのもあって、
   日当たりで見るとバラツキが多すぎるように思いました。
   それで、資料八のようなグラフにしてみました。


  (資料八) 紅卍字会・日当たり埋葬者数


花子 五百単位で区切って、グラフを描いて見ると、四、五千以上の所に離れ
   子島が見えます。
   これも理科の先生に見せた所、統計学では、こういう離れ子島は異常値
   で、通常のデータとは別の所から出てきた疑いが強いと見なすそうです
460文責:名無しさん:02/04/05 00:28 ID:gYTnr0q1
先生 別の所って?

花子 たとえば架空の数値を付け加えたとかいう場合です。

先生 しかし、偶然でそういう数値になることも、ないとは言えないのだろう。

花子 どの程度の偶然かを調べるために、理科の先生が統計的な分析をしてく
   れました。
   ある都市での日当たりの交通事故数など、ぽつぽつと起こるような現象の
   件数は、ポアソン分布という理論式であてはめる事ができるそうです。
   その式によって計算した理論値をグラフに付け加えています。実際の値と
   比べると、日当たり五百人以下が三一件、五百人から千人が十件と、ぴた
   りと一致していますが、理論値では二千人以上の頻度はほとんどゼロです。
   さらに、五千人近くというのは、理論値では十億回に一回位の確率です。
   これは一日数百人程度の埋葬を行っている隊が、三百万年ほどずっと作業
   を続けていると、そのうち一日位は偶然が積み重なって、五千人近くを処理
   する事がある、といった程度の確率だそうです。そういう日が、数ヶ月の間
   に三日も起こっているのは、これはどう考えても偶然とは言えません。


注 六、四六六体と最大の処理をした一二月二八日は大雪であったという事実が
複数の記録に残されている(「南京事件の総括」田中正明、一九七頁)


先生 しかし逆に一日数百人程度のデータは、その理論では疑えないだろう。
   それに数千人と言ったって、前後数日分をまとめて一日分として記録
   しているのかもしれないじゃないか。
461文責:名無しさん:02/04/05 00:28 ID:gYTnr0q1
太郎 確かにそうです。しかし先生、裁判で被告の有罪を証明するために出され
   た証拠ですから、証拠の一部にでもでっち上げを含んでいるという十分
   な疑いがあれば、その疑いをはらす責任は原告側にあるはずです。
   たとえば、前後数日分まとめたと推測するなら、それを証明する何か別の
   資料を提出すべきです。
   たとえば何月何日に、何人の埋葬隊がどこで何体分の作業をしたという作業
   記録や、その時の賃金の支払記録などを提出すべきです。
   それが出来ないなら、この資料は疑わしいとして、裁判では採用できない
   はずです。
   弁護側が言うように、事件が起こったのは、一九三七年で、これらの資料は
   一九四六年に調査されたそうですが、事件後九年もたって詳細データもなく、
   こういう矛盾だらけの数値表をポンと見せられて、これを信じろという方が、
   無理だと思います。

先生 しかし、具体的に体験者の証言に基づいた証拠もあるんじゃないか。

花子 崇善堂と紅卍字会以外の数値は、検察側の証人の証言をもとにしています。
   その中で最も大きいのが魯甦という人の五七、〇〇〇余という数字ですが、
   この証言は次のようなものです。



敵軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難民男女老若合計五万七千四十八人
を幕府山付近の四、五ヶ村に閉じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者すこぶる多し。
一九三七年十二月十六日の夜間に至り、生き残れる者は鉄線をもって二人を一つに
縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。
しかる後、機銃をもってことごとく掃射し、さらにまた、銃剣にて乱刺し、最後には
石油をかけて焼けり。
焼却後の残屍はことごとく揚子江中に投入せり。
462文責:名無しさん:02/04/05 00:29 ID:gYTnr0q1
先生 まったく地獄のような光景じゃないか。

花子 でも先生、よく読めばこれだけの短い証言でいくつもおかしい所が見つ
   かるんです。
   まず定量的な面での最も単純な誤りは、こうして殺されたという人の数
   を、紅卍字会などの埋葬された数に足している事です。
   同じ人が殺されて、埋葬されたら、二人となります。これって完全なダ
   ブルカウントですよね。
   証言の内容も、だいたい、村の数さえ四、五ヶ村とはっきり数えられな
   いのに、なぜ五万七千四十八人と一人の位まで正確な人数を言えるので
   しょう。
   飢えさせ、凍えさせ、鉄線で縛り、機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけ
   て殺すなんて、まるで映画を見ているようですが、どうして証言者だけカ
   メラマンのようにずっと客観的に光景を眺めていられたのでしょうか。
   まさか透明人間だった訳ではないでしょう。
   それに日本軍もいちいち鉄線で縛ったり、石油をかけたりと、何のため
   にそんな手間ひまをかけるのか分かりません。

太郎 さらに弁護側は、これらは陳述書のみで、法廷でこういう疑わしい証言
   をする人を呼び出し、反対尋問をする機会が与えられなかった、と言っ
   ています。
   アメリカ人の弁護人も、「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、
   (英語を話す国民においては)常識である」と批判しています。
   それが出来なければ「見たこともない、聞いたこともない、またどこにい
   るかも分からない人間の証言を使って審理することになる」というのです。
   東京裁判とはまさにこういう非常識な証言を非常識な方法で積み上げて、
   判決を下したものだと、僕は知りました。残りの数値もすべて同様で、
   単にどこにいるかも分からない人が、何人埋葬した、と言っている証言だ
   けです。
463文責:名無しさん:02/04/05 00:29 ID:gYTnr0q1
学問の基本は事実の検証


花子 とにかく崇善堂や紅卍字会の埋葬数にしろ、その他の証言にしろ、
   私たち中学生が研究してもたちまちぼろが出てしまうような証拠を
   もとにして、二十万とか、三十万とか言われていることが良く分か
   りました。

太郎 こういう教科書を書いた人は本当に歴史の学者なんでしょうか。
   僕たちが調査したような事を知っていて三十万と書いたのなら嘘つきだし、
   知らずに書いているなら専門家の資格はないんじゃないかと思います。
   僕は将来科学者になるのが夢なんですが、こんな学者にならないように気を
   つけなくては。そのためには、やはり理科の先生が常々言われているよう
   に、事実を自分で追い求めるというのが、学問の基本なんですね。

花子 そういう点で、今回の研究でとても感動したのは、アメリカ人の弁護人
   達の姿でした。
   自分の国が間違った裁判をしようとしている、その真実を明らかにする
   ためには、昨日の敵国でも弁護するという姿は、立派だと思います。
   アメリカもこんな独りよがりの裁判をして、ひどい国だと思いましたが、
   でもこういう人達が何人かは、いたという事で、やはりアメリカの学問の
   力というのはすごいなあ、と感じました。
   それに比べると、今でも平気で三十万虐殺などと教科書に書いている日本
   の歴史学者はずいぶんレベルが低いのではないでしょうか。

先生 君たちずいぶん生意気な事ばかり言っているが、歴史というのはもっと大
   局的に見なければ分からないものだ。
   南京大虐殺の犠牲者数なんて、ごく一部の所だけをちょっと研究したからと
   いって、日本の中国侵略という大きな流れを見失ってはいかん。
   もっと謙虚にならなくては。
464文責:名無しさん:02/04/05 00:30 ID:gYTnr0q1
花子 事実を見る前にそういう風な先入観にとらわれている事こそ、真実に
   対して謙虚でない姿勢だと思います。だから、こんな明らかな事実も
   目に入らないんじゃないでしょうか。
   歴史の大きな流れを先に考えて、それに合った事実を拾っていけば、
   どんな都合の良い見方でもできるでしょう。
   理科の先生は、天動説が正しいと信じ込んで、それを証明する事実だけ
   を集めれば、地動説を唱えたガリレオを裁判で負かす事もできる、と言っ
   ていました。
   私は理科の先生の言ったように、無心に一つ一つの事実を自分で確かめ
   ていきたい、と思います。
   それが積み重なって、その結果として、先生の言うような歴史の流れが
   見えてくるのでしょう。
   それをせずに、教科書や授業から歴史の流れだけ教わって、暗記する、
   それで日本の歴史は分かったと思いこむような、そういういいかげんな
   勉強はしたくないんです。

太郎 先生は授業でよく基本的人権という事を話してくれました。
   その中で思想や報道の自由なんて、僕らは経験したこともなかったので
   ピンときませんでしたが、今回の研究でちょっと分かったような気がし
   たんです。
   教科書に三十万人虐殺と書いてあって、僕たちがそのまま信じていたら、
   僕たちはそれが大変な嘘だと知らずにいたはずです。
   自分のおじいさんを殺人鬼のように思いこんでしまったかもしれません。
465文責:名無しさん:02/04/05 00:31 ID:gYTnr0q1
   僕らには真実を追求する自由があるのに、教科書で嘘を真実だとして教
   え込まれるというのは、僕たちの思想の自由、つまり基本的人権の侵害
   じゃないでしょうか。
   南京事件の犠牲者数というたった一つの事実を究明しようとした研究でし
   たが、僕たちの国の歴史が、何か大きな嘘で塗り固められているような気
   がしてきました。
   僕の死んだおじいさんに虐殺者の濡れ衣を着せるような嘘は、絶対に許せ
   ないんです。

花子 今度は先生のいう日本の中国侵略を自分たちで確かめてみたいと思います。
   またご指導よろしくお願いします。それから今度の資料は、私たち理科ク
   ラブのインターネットのホームページに掲示しておきますので、みんなに
   見てもらいたいと思います。



以上
466親中親韓:02/04/05 00:31 ID:s6NohB1I
ここは南京スレじゃありませんので、
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1016936576/
こちらへお願いします。
467前スレ813のシンガポール在住だが:02/04/05 00:36 ID:DNZkpYL5
遅レス(!?)ですが、

>>289 名前: 投稿日:02/04/03 16:23 ID:W4TMsWDa
> あ〜あ、良スレで応援していたのに、最近は戦争ガラミばっかり。
> ややウヨの俺もひく。もう、ここ来んのは最後だな。

ややウヨさんと同感ですな。ウヨでもサヨでもない(右翼か左翼か
といわれるのであれば、やや左翼ですかねぇ)前スレ813ですが。
なんかもお、どいたかっこ、文責:名無しの両名の体力勝負を見守る
スレと化した観があり、僕ももう、さしたる興味は持てませんですな

戦争を賛美する(それも限定されたソースからの)コピペなど、
百万個積み重ねても、戦争が無かった事になど出来ないし、また、
それに対抗して、殊更に戦争が悲惨だったという同様なコピペを
連ねる事も意味のある事ではないと思うんだが...。


    ウヨもサヨも、こんな事続けてても、日本も、日本とアジアの
    関係も、ちっとも良くならない事に早く気づきなさいな。


と。言ってみても、自分と異なる意見は耳に届かないんだろうなぁ。

最後に、>>85 の==さん。プロファイルごっこは、チトやり過ぎ
でした。悪のりだったなぁ。と反省しております。ご容赦あれ。

では、みなさん。ネット上のどこかで、またお会いしましょう。
                         アディオス。
468親中親韓:02/04/05 00:44 ID:s6NohB1I
スレの趣旨を戻すために既出ネタこぴぺー。でも迷惑かも・・・;;
前すれとか今dat落ちしてるんで、ダイジェストってことでご容赦・・・。

ウズベキスタン
 ウズベキスタンでは(日本人)抑留者の方々のうち約千人が、ナボイ劇場という国立劇場の建設に従事させられた。
 しかし、その日本の抑留者たちは、実に勤勉で、ていねいな仕事をするため、ウズベク人を驚かせたのだ。
 当時の建設状況を記録映画にしていたカユモフ監督は、
「捕虜なのに何故あんなに真面目に働くのだろう。しかも、高い危険な場所に登って亡くなった人もいたんです」といまもその感銘は忘れないという。
 その後、タシケントでは2度の大地震に見舞われ、多くの建物が崩壊したが、ナボイ劇場だけはビクともしなかった。
 このため一層、日本人の仕事ぶりに感心し、そんなこともあってタシケントの人々は、
 その地で亡くなった抑留者のお墓を作って霊を慰めたのである。
469親中親韓:02/04/05 00:45 ID:s6NohB1I
 2月末に戦争が終わると、アメリカはペルシャ湾の機雷の掃海艇の派遣を正式に
  日本に要求してきた。ペルシャ湾に出入りする船は日本船か、日本が借りた船の
  数が圧倒的に多く、また自衛隊の掃海技術は国際的な定評があった。本来なら
  日本側が進んで掃海艇派遣を買って出てもおかしくない所である。しかし、社会、
  公明両党など野党側は「自衛隊の海外派兵につながる」と強く反対した。掃海艇
  派遣の決定をするのに1ヶ月以上を要し、さらに掃海作業に最も威力のあるヘリ
  コプターを積んでいく事を禁止された。

  第一掃海艇群6隻が出発したのは4月26日。わずか400トンの掃海艇群は、
  速度が遅く、35日から40日もかけてインド洋を渡った。しかしドバイの人々は
  日の丸を振って、掃海艇群を歓迎し、現地の日本企業の売り上げは倍増したという。

  その後、酷暑のペルシャ湾で、掃海艇群は一触即発の機雷に接近して、死と隣り
  合わせの処分作業を続け、計34発の機雷を爆破処理した。航路の安全を確保した
  後、呉市の基地に無事帰還したのは10月30日だった。広島県クウェートのアル
  シャリク駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。

『機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。初めて日本が海外に自衛隊
   を送ったことの意味は、湾岸各国だけでなく全世界が高く評価すると思います。』

 130億ドルの拠出と在日米軍基地の提供とで、わが国は湾岸戦争の最大の貢献国
  だったのに、"too little, too late(少なすぎ、遅すぎ)と酷評され、罵倒された。
  しかし130億ドルの千分の1の費用で行われたこの掃海作業への感謝は心のこもった
  ものだった。
470文責:名無しさん:02/04/05 00:47 ID:gYTnr0q1
>>467
>戦争を賛美する(それも限定されたソースからの)コピペなど、
>百万個積み重ねても、戦争が無かった事になど出来ないし、また、
>それに対抗して、殊更に戦争が悲惨だったという同様なコピペを

虐殺論の矛盾をつくことが戦争を賛美することになるんですか?
471文責:名無しさん:02/04/05 00:49 ID:gYTnr0q1
相手の主張を曲解して、それを前提に意見を述べられてもねぇ。
472文責:名無しさん:02/04/05 00:50 ID:cYhW51N8
一緒に体液(血と汗と唾液と胆汁)を流してくれるものこそが仲間ってことですか。

473文責:名無しさん:02/04/05 00:50 ID:gYTnr0q1
虐殺論の矛盾点を指摘すると途端に「戦争賛美だ!」などという
馬鹿がいる。
なんとかしてほしい。
474親中親韓:02/04/05 00:52 ID:s6NohB1I
すいません、ここは南京スレじゃないんで・・・・。
南京反省しろを大量にコピペされた方は「荒らし」なので、放置されるようご配慮お願いいたします
475文責:名無しさん:02/04/05 00:52 ID:D9+OLdu+
>>470

467さんはそういう妄想を抱くタイプの人間なんでしょ。
自分でも左よりだって断ってるのでいいんじゃない。

476文責:名無しさん:02/04/05 00:52 ID:gYTnr0q1
>>474
わかりました。
477親中親韓:02/04/05 00:52 ID:s6NohB1I
自衛隊PKOの活躍は続く。ルアンダでは内戦を機に大量の
難民がザイールなど周辺国に流出し、コレラ、赤痢などの蔓延
により多数の死者が出る悲惨な情況にあった。国連難民高等弁
務官事務所(UNHCR)の要請を受け、医療、防疫、給水、
空輸などの分野で救援活動を行うため、1994年(平成6
年)9月から12月までの間、ザイール共和国のゴマなどに自
衛隊の部隊が派遣された。

 医療活動では自衛隊の医官が2ヶ月間に延べ2100人の治
療と、約70件の手術を行った。治療を受けた住民は次のよう
に語っている。

 日本人は患者を親切に迎え、丁寧に治療してくれます。
医薬品についての知識も豊富で、とても効果的な医療品や
設備を持っていて信頼できます。

 ゴマ市長は、以下のように自衛隊の仕事ぶりを絶賛した。

 自衛隊は合理性、規律、秩序といった多くの模範を示し
てくれました。そのことで、すべての仕事が非常にスムー
ズに進みました。何よりも私たちの模範となったのは、熱
心に働く姿です。民間人にも兵士にも、彼らは誠実な態度
で接してくれました。私とゴマ市民は、このことに非常に
感謝しています。
478親中親韓:02/04/05 00:55 ID:s6NohB1I
平成8(1996)年には自衛隊の輸送業務隊がアラブとイスラエ
ル両軍が睨みあうゴラン高原に送り込まれた。選抜された45
人の自衛隊員は、国連兵力分離監視軍のポーランドやオースト
リアの歩兵大隊のために、物資輸送や道路の補修を始めた。

 酷暑、酷寒、乾燥の砂漠気候の中で、毒蛇やサソリと戦いな
がら、同時にイスラエル・シリア両軍に挟まれ、ハマスやヒズ
ボラのゲリラ活動に脅かされながら任務を遂行するのは、よほ
ど強靱な体力と精神力がないと一週間しかもたない。

 こんな厳しい任務を行う自衛隊員を現地の人々は心から歓迎
した。第2次ゴラン高原派遣部隊に参加した陸上自衛隊米子駐
屯地の藤田一曹は、こう述べている。

 シリアの人たちは、われわれに好意的で、よく挨拶をし
てくれ、道端で車を止めては、シャイというお茶をふるま
ってくれました。一日も早く紛争が平和的に解決されるこ
とを望む、住民の気持ちの現われだと思います。この人た
ちのためにも、われわれが全力で任務を遂行して、シリ
ア・イスラエルの両国間に、武力衝突のない環境を作らね
ば、とあらためて感じたものです。

 また太田明三等陸曹は、たよりにこう書いている。

 シリアやイスラエルの人々は、日本人に対して大変友好
的で、町を歩いていると、よく「ヤパーニ、ヤパーニ(日
本人、日本人)」と声を掛けてきて握手を求め、親愛の情
を示そうとする。
479親中親韓:02/04/05 00:56 ID:s6NohB1I
1992年のカンボジアへの最初のPKO派遣から、2000年2月
の東チモール避難民救援まで、派遣された陸海空自衛隊員はの
べ1767名。高い技術と士気、規律に支えられ、住民の中に
入り込んで支援を行う我が自衛隊員たちの活躍は、世界各地で
感謝と称賛の声を巻き起こしている。わが国が平和国家として
世界に貢献しようとするなら、これほどふさわしい活動は他に
ないであろう。
480親中親韓:02/04/05 00:59 ID:s6NohB1I
さらに朝日は「探る『派遣』にさめた目」と題して、ゴラン
高原でのPKO活動のコステルス総司令官が「私は現状に満足
している。それでも日本が来たいということなら、受け入れ
る」と語ったと報道した。

 コステルス総司令官は、この報道に「内容が不正確だ」と激
怒したそうで、実際は「武器・弾薬の輸送はできない」などと
相変わらず日本国内でしか通用しない理屈を並べ立てる日本政
府の対応にうんざりしていたようだ。

 そのコステルス総司令官は、派遣された自衛隊の活動を見て、
「素晴らしい隊員を派遣してくれたことを感謝している」「非
常にプロフェッショナルで、よく訓練できている」「規律正し
く、能力が高い」「他国部隊のよい刺激になっている」などと
激賞した。

PKO協力法審議の際には、社会党が投票引き延ばしのため
に、全員が議員辞職願いを出したり、議席から投票箱まで二晩
もかけるという「牛歩戦術」で抵抗したが、カンボジアPKO
は成功と評価された。酷暑と危険の中で本当の汗をかいた自衛
隊員たちが帰国した時、社会党議員たちは辞職願いを忘れたか
のように、細川内閣のもとで6人も大臣になっていた。
481文責:名無しさん:02/04/05 01:10 ID:b1ViISoO
「モンゴルの人が一番頼りに思っているのが日本人です」

                  「明日への選択」から


「日本はアジアの誇りであり、世界に対して大きな役割を果た
しています。モンゴル国民に対する援助は世界一、モンゴルの
人が一番頼りに思っているのが日本です」

 こんなふうに日本を評価するのは、司馬遼太郎の小説『草
原の記』のモデルになったモンゴル人女性、パルダンギン・
ツェべクマさん。ソ連の十月革命、日本の敗戦、中国の政治
動乱からの脱出など、激動東アジアの歴史そのままに波乱万
丈の人生を送ってきた。そんな彼女が「先生との出会いが、
その後の私の生き方を方向づけ、また心の支えになりました。
先生との出会いがなければ、私の人主は全く違ったものにな
ったと思います」という一人の日本人がいる。戦前、満州の
ハイラルでモンゴルの女子のために教鞭を執った高塚繁さん
だ。高塚さんとはどんな人物だつたのか〈毎日新聞11月12
日〉。

 ツェべクマさんはこう振り返る。「お行儀と勉強はとても
厳しいものでした。特に日本語の敬語とアクセントをやかま
しく注意されました…『です、ではぞんぎいです。ございま
す、と言いなさい』と直されました。…『世の中で笑われな
い人になりなさい』『勉強するのは日本のためでも、日本人
になるためでもありません。モンゴルのために、あなたたち
は勉強しているのです』というのが、先生の口癖でした。
『小さいことの積み重ねが大切なのです。そして祖国の発展
に尽くす人間になるように』とおっしゃいました」
482文責:名無しさん:02/04/05 01:10 ID:b1ViISoO
 ツェべクマさんはその後、職に就き、高塚さんと別れたが、
日本の敗戦後、高塚さんの消息を尋ね回って聞いたのはこんな
話だった。

「先生は『あなた方はモンゴル人ですから、ここに残りなさい。
私は日本人ですから、日本軍について行きます』と言われ、生
徒たちに指輪や時計、パッグなどを形見として分け与え、退却
する日本軍と共にハイラルを去ったそうです。ずっと後になっ
て、祖国に帰り着くことなく途中で悲惨な最後を遂げたことを
知りました」。

 かくのごとき先人の献身が、今日の親日感惰を作っているこ
とを忘れてはならない。
483文責:名無しさん:02/04/05 09:38 ID:DPgVJZyV
かくのごとき先人の悪行が、今日の近隣諸国の反日感惰を作っているこ
とを忘れてはならない。そしてそれを美化するウヨどもが存在する限り
日本は永遠に謝罪を求められる。
484文責:名無しさん:02/04/05 09:52 ID:PI7eRM3b
>>483
> 反日感"惰"
485文責:名無しさん:02/04/05 10:05 ID:vD6vTEVN
>>484
はんにちかんだ!
486文責:名無しさん:02/04/05 10:09 ID:j/dbw+tb
>>484
482が>親日感”惰”になってる。
スキャナーで取り込んだのかな。
487文責:名無しさん:02/04/05 10:29 ID:CIwyvF+2
かくのごとき先人の行為を歪曲する馬鹿サヨがアジアに反日を煽り
にいっているかぎり、日本は永久に叩頭外交をする嵌めになる。
488文責:名無しさん:02/04/05 10:31 ID:CIwyvF+2
>>483
君には善行が悪行に見えるのか?
脳に到達するまでに話が転換しちゃうとか?
489バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 10:36 ID:ZScPBzmC
どうやったら感情を感惰に間違えれるんだ?(笑)

490文責:名無しさん:02/04/05 10:39 ID:CIwyvF+2
>>489
スキャナーの読み取りミスでは?
491バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 10:43 ID:ZScPBzmC
>>490

この程度の文章を?
自虐バカってそんなに自力で文章を考える能力無いの?(笑)
492文責:名無しさん:02/04/05 10:57 ID:zXnqDjK5
>>483
悪行を美化するやつは見たこと無いが。
善行もあった、というのと悪行を美化というのを混同するのが最近の流行か?
493486:02/04/05 10:58 ID:j/dbw+tb
482さんが何かの本からスキャナーで取り込み、読み取りソフトでテキストに変換したときの
誤字を修正し損ねたと思います。で、483さんがその誤字が含まれた部分をコピペし、
内容を書き換えた、と推察いたします。
494バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 11:04 ID:ZScPBzmC
>>493

つまるとこ、この程度の文章もコピペしなければ語れないほどボキャブラリーの無い
人間が自虐バカになるということだね。
惨め惨め
495文責:名無しさん:02/04/05 11:21 ID:DPgVJZyV
虐殺論の否定の矛盾点を指摘すると途端に「捏造だ、自虐バカ!」などという
馬鹿がいる。
なんとかしてほしい。

>>488 君には悪行が善行に見えるのか?
脳に到達するまでに話が転換しちゃうとか?




つまるとこ、人の文章の揚げ足を取ることでしか反論できない
人間がバカウヨになるということだね。
惨め惨め
496バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 11:26 ID:ZScPBzmC
>>495

お、やっと出てきた、しかし見事なオウム返しだね、自分の言葉がないの?
あわれなやっちゃ。
497942:02/04/05 11:28 ID:zXnqDjK5
>>495
おまえばかだなあ・・。
それ言っちゃったら俺に反論できなくなるじゃん・・。
498文責:名無しさん:02/04/05 11:28 ID:oxG+H6+u
ID:DPgVJZyVは、最近ご無沙汰の「あの方」の生まれ変わりじゃないの?
499492:02/04/05 11:32 ID:zXnqDjK5
492だったよ。スマソ
500文責:名無しさん:02/04/05 11:34 ID:CIwyvF+2
>>491
誤爆してませんか?
私が言ってるのは>>481->>482のことですよ?
自虐じゃないですよ?
501文責:名無しさん:02/04/05 11:36 ID:CIwyvF+2
>>495
頭湧いてませんか?
このスレにあるのはほとんど善行の話。
その流れの中で、悪行云々と言ってる馬鹿は誰ですか?
502文責:名無しさん:02/04/05 11:37 ID:kDw8ihxQ
>>495
>虐殺論の否定の矛盾点を指摘すると途端に「捏造だ、自虐バカ!」などという
>馬鹿がいる。

虐殺論を否定する資料の中に、矛盾点ってありました?そしてそれを、誰かが指摘しましたか?
少なくとも、戦時中の資料を元に、南京大虐殺は無かったのではないかと言っただけで、
「戦争を美化している」なんて言うやつは馬鹿でしょう。
あんたは本当に事実を知りたいのか。本当はそんなことどうでもいいのではないかって。
503文責:名無しさん:02/04/05 11:38 ID:zXnqDjK5
>>502
それ以前に>>495のその部分は完全なスレ違いだよね。
504文責:名無しさん:02/04/05 11:40 ID:+S/NOA37
>>495
揚げ足?
大丈夫か君(w
君らがいつ、「否定の矛盾(なんじゃそりゃ)を指摘」したんだよ(w
妄想かい?
505バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 11:41 ID:ZScPBzmC
>>501

ああなるほど、>>482ですでに惰になってたのか。
それをボキャブラリーの無い>>483がコピペしてわけのわからん文章にしてたんだ。

506文責:名無しさん:02/04/05 11:42 ID:+S/NOA37
>>495
っていうか、さすがに人の文章を改竄するのは得意だね(w
507文責:名無しさん:02/04/05 11:51 ID:kDw8ihxQ
495は逃げたん?
508文責:名無しさん:02/04/05 13:05 ID:DPgVJZyV
虐殺論を否定する資料の中に、信憑性のあるものありました?少なくとも、
戦時中の被害者、加害者の証言、裁判を元に、南京大虐殺は実在したと==氏
どいたっかっこ氏は言っただけで、「幻だ、捏造だ」なんて言うやつは馬鹿
でしょう。
あんたは本当に事実を知りたいのか。本当は戦争を美化したいだけ。
509文責:名無しさん:02/04/05 13:06 ID:0vlZTxZB
南京の人口
510文責:名無しさん:02/04/05 13:06 ID:zXnqDjK5
>>508
証言はともかく、裁判って・・・。
よっぽど虐殺肯定の資料が無いんだな…。
511文責:名無しさん:02/04/05 13:08 ID:DPgVJZyV
>>501
頭湧いてませんか?
このスレにあるのはほとんど戦争を美化する話。
その流れの中で、捏造、でっちあげと言ってる馬鹿は誰ですか?

512文責:名無しさん:02/04/05 13:11 ID:8kawXlQx
戦争を美化して何が悪いんだ?

513文責:名無しさん:02/04/05 13:12 ID:8kawXlQx
人類に長足の進化をもたらしたのは常に戦争だった。
人類の歴史は戦争の歴史。

F15はかっこいいねえ。

最近の戦争は比較的人が死ななくなった。これはいい傾向だ。
514神戸人:02/04/05 13:16 ID:K+B3GvLG
上海人氏ね
515文責:名無しさん:02/04/05 13:19 ID:kDw8ihxQ
>>508
具体的にどの部分に信憑性が感じられないのか?
また、==は個人的な体験談を述べただけであり、信憑性は皆無。
どいたかっこは一応新聞記事に載せられた内容を示しているようだけど。

>>511
事実を述べる=戦争を美化している事になるんですか?
あんた達の頭の中では、反日を煽るための情報操作は常識なんですか?
516文責:名無しさん:02/04/05 13:22 ID:Aca3FHC0
>>508
虚心坦懐にな。バカならバカなりに
分をわきまえることだよ。まともに本も読めないらしい。
517文責:名無しさん:02/04/05 13:30 ID:+jB14tfi
イ族と日本人
 寧浪の町外れの集落でイ族の家庭,サモラマさん宅を訪問したところ,
 山羊をご馳走するので明日も来いという。
 イ族は雲南省の人口の約1割を占める,少数民族の中では多数派である。
 翌日,白酒を手みやげに訪れると,親戚中が集まったような賑やかさである。
 まずは庭先で山羊をつぶす。
 前日の残りや,病気で死んだものではないことを示す,「領牲」という最高の
 もてなし。ブツギリにして囲炉裏に架けた大鍋にほうり込む。
 鍋を囲んで車座になり,白酒を酌み交わし,タバコを勧めあう。
 大歓迎してくれているようだ。
 イ族の伝説によると,3千人の男性と3千人の女性が経典を携えて日本に渡った
 ことになっているらしい。イ族の人たちにとって日本人は昔から兄弟のような親
 しい関係だ。遠くから来た兄弟のために乾杯しようと,ひとりが立ち上がった。

地球の遊び方 中国・雲南アルバム
518文責:名無しさん:02/04/05 13:33 ID:+jB14tfi
【マニラ井田純】

 「私たちは旧日本軍からサムライ精神を学んだ」。
 日本の経済団体役員が最近、ミャンマー軍事政権のタンシュエ首相に対して、
 日本の戦争への道を引き合いに出し、民主化や国際社会との協調を促したところ、
 そう切り返されて返答に詰まったという。

 第二次大戦で当時のビルマに侵攻した日本軍は独立軍を編成。
 それが国軍創設につながった。日本が経済支援に前向きなこともあり「8・15」
 の存在感はほとんどない。

 日本軍と交戦した経験のあるタイでも、市民に「8・15」への反応はない。
 タイ陸軍幹部は「タイや周辺地域では、日本軍はさほどひどいことをしなかった。
 逆に欧州の植民地支配を終わらせる契機となった、と見る人も多いのがこの地域の
 特徴だ」と語る。

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200108/16/20010816k0000m030122000c.html
519文責:名無しさん:02/04/05 13:47 ID:DPgVJZyV
>>518
日本が、当時イギリスの植民地だったビルマへ進攻したのは、ビルマをイギリス
から独立させ、大東亜共栄圏を構築するというのが大義名分でした。しかし、
実際は、中国国民党重慶政府への連合軍物資補給路であるレド公路を遮断する
というのが主目的です。
 1941年、日本軍はアウンサン将軍やネウィン(戦後のビルマ独裁者)
ら三十人の青年を軍事訓練し、ビルマ独立義勇軍を結成しました。1942年
、日本軍とビルマ独立義勇軍はイギリス植民地政府を追い出しビルマはビルマ
人の国になりました。が、独立とは名ばかりで、終戦まで日本軍の支配は続き
ました。戦後、ビルマは再びイギリスの植民地となりました。1947年、ア
ウンサン将軍はアトリー英国首相と独立協定に調印しましたが、政敵に暗殺さ
れてしまいました。
1948年、ビルマは1月4日にようやく独立を果たしビルマ連邦が誕生し
ました。

ビデオ ビルマに消えた慰安婦たち

           1997年5月〜1998年9月現地調査の記録
                    【 取材・解説  森川万智子 (福岡) 】


 第二次世界大戦中、日本はビルマまでを大東亜共栄圏としていました。35
万人の将兵を送って英印軍と戦争し、1942年3月から45年初頭まで全土
を支配しました。インドにまで攻め入ったインパール作戦は有名ですが、この
地では18万人が戦死しています。「慰安婦」については、米軍の捕虜尋問調
書で一度に703人の朝鮮人女性が送られたことなど、わずかにわかっている
だけです。この作品は、米軍資料、韓国人被害者の文玉珠さんの証言、戦友会
誌や戦記などを手掛かりとして14ヶ月間、現地を調査した記録です。「慰安
所をつくろうじゃないか、ということになって、私が女性を募集した」「私が
将校に世話したカレン女性は、あとからきた(日本軍の)部隊に殺された」と
いう残留日本兵や、「オトメ(慰安所名)の女たちはマダヤにも、アキャブに
も、プロームにもいた」という元日本軍通訳が登場します。文玉珠さん(96
年に死去)の「プロームの慰安所はオトメという名前だった」との証言が証明
されました。ヨウちゃんと名づけられた、
日本軍将校とビルマ人女性との子どもは、「父
にあいたい。父が生きているのか、死んでいる
かわからない」と語っています。
                     
520文責:名無しさん:02/04/05 13:49 ID:zXnqDjK5
>>519
で、現地の反応が↓と。

 日本軍と交戦した経験のあるタイでも、市民に「8・15」への反応はない。
 タイ陸軍幹部は「タイや周辺地域では、日本軍はさほどひどいことをしなかった。
 逆に欧州の植民地支配を終わらせる契機となった、と見る人も多いのがこの地域の
 特徴だ」と語る。

現実を直視しろよ。
521文責:名無しさん:02/04/05 13:54 ID:zXnqDjK5
しまった、タイだった。
こっちね。

 日本が経済支援に前向きなこともあり「8・15」
 の存在感はほとんどない。
522文責:名無しさん:02/04/05 13:55 ID:DPgVJZyV
南京大虐殺加害者の証言 その1

船生退助さん(関東軍第9独立守備歩兵17大隊)

 私の部隊は、河北省の山岳地帯に毎日のように入って、谷間に残る家
を焼き払い、山野に隠された、ナベカマ類まで破壊し尽し、無住地帯か
らの立ちのきに遅れた人々をてあたりしだいに射殺していました。
 1941年、秋も深まったうすら寒い日でした。中隊がいた白馬関か
ら10キロのところにある西白蓮峪でのことでした。付近は村落のあと
かたもなく破壊しつくされているのに意外にも谷間に一軒家がありました。
 私は部下をつれてその家に近づきました。中にはやせ細って重病らし
い老人がボロを着てオンドルの上に寝ていました。小さな男の子2人も
日本鬼子(リーベンクイズ)が来たのを身ぶるいして見ていました。
 私が「出て行け」といっても子供は出ていきません。私はすぐ部下に
放火させました。
 部下はコーリャンの先に火をつけて屋根を燃やしました。家の中には
みるみる煙が充満し、子供たちは出口から入ったり、出たりして、大声で
泣きました。このままにしておいては八路軍にバレると思い、すぐ「あれ
を撃て」と命じました。5才ぐらいの子が出口のしきいにまたがるよう
にして倒れ、次にその下の子を射殺しました。老人は子供たちの最後を
見届けるかのように半身をのり出しましたが、焼け落ちる梁の火玉の中
で焼け死にました。
■どうみてもこの戦争の犯罪性は消せない
 1985年、私は意を決し謝罪のため一人で白馬関を訪れました。荒
山は緑におおわれ、村人は温かく迎えてくれました。しかし40年たっ
ても日本軍によるキズあと…崩れた家のレンガ等…は手もつかず、残っ
ているところもありました。
 日本では戦争は終わったとかいってますが、どういう立場からみても
この戦争の犯罪性は消せないと思いました。
523文責:名無しさん:02/04/05 13:59 ID:zXnqDjK5
>>522
どこが「南京大虐殺加害者の証言」なんだ・・・。
524文責:名無しさん:02/04/05 14:00 ID:zXnqDjK5
>>522
いや、そういう事実があったかもしれない。
だけど、そうじゃない事実があることも認めろよ。
525文責:名無しさん:02/04/05 14:02 ID:kDw8ihxQ
>>522
なんか嘘くせえな・・・。この人の詳しい経歴が知りたいな。当時の任務内容とかも。
だいたい戦略的に見て、一般人の虐殺には一体何のメリットがあるんだ?ゲリラ掃討とか?
一般市民の中にゲリラを紛れ込ませていたのであれば、中国側にも責任があるんだけどね。
526文責:名無しさん:02/04/05 14:04 ID:zXnqDjK5
>>525
とりあえず例のプロパガンダ映画「日本鬼子」の協力者に名を連ねてる人ですが。
527バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 14:06 ID:qlBmULT0
>>522
リーベンクイズ(日本鬼子)の出演者の一人だな、
ここからのコピペだろ
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/nankin2.htm

いい加減スレ違いなんだが・・・なにいっても聞かないんだろうな、こいつらは・・・
528文責:名無しさん:02/04/05 14:07 ID:+jB14tfi
平成9年1月、駐日トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏が産経新聞にトルコ国民の
対日心情を述べています。

「1887年に皇族がオスマン帝国(現トルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルト
ゥールル号は初のトルコ使節団を乗せ、横浜港に入港した。3ヵ月後、両国の友好を
深めたあと、エルトゥールル号は日本を離れたが、台風に遭い和歌山県の串本沖で
沈没してしまった。
この時、乗組員中600人近くが死亡した。しかし、約70人は地元民に救助された。
手厚い看護を受け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日本国内では
犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近の岬と地中海に面するトルコ南岸の
双方に慰霊碑が建てられた。
トルコの歴史教科書にも掲載され、子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な
出来事だ。」

http://www.mainichi.co.jp/eye/debate/48-2/667.html
529文責:名無しさん:02/04/05 14:09 ID:+jB14tfi
既出でしたでしょうか?沢山あるのでどれがどうだったか・・・。
530文責:名無しさん:02/04/05 14:10 ID:DPgVJZyV
南京大虐殺加害者の証言 その2

鈴木良雄さん(59師団110大隊)

 私が初めて討伐に出たのは、昭和16年(1941)9月、山東省莱
無県でした。我が部隊はその村を包囲しました。世が明けるころ、部落
から朝飯の白い煙がスーと立ちのぼり、平和な光景でした。部隊長の命
令で2個小隊が部落の中に入り、手当たりしだいに家々に火をつけまし
た。いっぺんにして地獄です。
女子供の泣き叫ぶ声、子供や老人はいちもくさんに裏山へ逃げる、逃げ
る部落民に待
ちかまえていた重機関銃が一斉射撃。
 部落に残った人には、もう火をつけると同時に撃ち殺しますから、
抵抗する人もしない人も、もう兵士は気がたっていますから、手あ
たりしだい殺してしまいます。刺し殺す兵が
いる、撃ち殺す兵がいる、火の燃えるコーリャンガラのパチパチと
いう音でいっぱいになって、みるみるうちにその部落は血の海にな
ってしまいました。
 部落の中はころがっている死体でいっぱいでした。
 華北の家はカヤの屋根で火をつけるとたちまち燃え出します。この
間1時間半ほど阿鼻叫喚は怒りとなって周りの山々を震わせたのです。
 人間の焼ける異様な臭いがあたりにたちこめました。
 私は初めてあの光景をみて、ものすごいことをやるのだなあと思い
ました。
 しばらく行くとまだ燃えていない家が4,5軒ありました。大隊長
の「誰か焼いてこい」の命令を聞くと、私は「鈴木をやらせて下さい」
と真っ先に飛び出しました…


531文責:名無しさん:02/04/05 14:15 ID:zXnqDjK5
>>530
あの・・・、そのひとモロに中帰連なんですが・・・。
532文責:名無しさん:02/04/05 14:20 ID:zXnqDjK5
このひとにゃ付き合いきれんよ。
とりあえず↓こっちでやって


国粋マスコミが伝えない反日の話
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1015487511/
533文責:名無しさん:02/04/05 14:28 ID:kDw8ihxQ
>中帰連=中国帰還者連絡会とは:
>中国侵略の一端を担った元兵士たちが、
>対中国戦犯容疑者として撫順(969名)と太源(140名)の戦犯管理所に収容され、
>そこで自らの過ちを反省し、許されて帰国。帰国後1957年に組織を結成し、
>戦争加害の証言活動を続けている。

googleで引っかかったサイトから引用
日本に対して不利な証言をすることと引き換えに、日本への帰国をゆるされたとか。
あと洗脳とか。考えすぎかな?
534文責:名無しさん:02/04/05 14:30 ID:0vlZTxZB
考えすぎじゃなくて、常識です。(洗脳の方ね)
535バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 14:31 ID:qlBmULT0
>>533
考えすぎじゃない
中帰連はもろ洗脳された人達

その洗脳の手口を自らサイトで語ってるよ。
人格改造とか言って。
でも本人は当然洗脳とは思ってない、オウムに洗脳された連中だって
覚めるまでは洗脳とは言わないから当然なんだが、
俺としてはその人達を利用してるバカクズのほうが無茶苦茶むかつくね。
536文責:名無しさん:02/04/05 14:31 ID:1uQ/kD01
親日の話っていうスレッドなのになんで「そんなの危険だやめろ、やめろ」
みたいな書き込みやコピペする人がいるのでしょうか?
素朴に理解できないのですが?
親日の話が人の目に触れることに何か不都合があるのでしょうか?
日本人として大変喜ばしいことだと思うのですが。
537文責:名無しさん:02/04/05 14:34 ID:kDw8ihxQ
>>534
>>535
なるほど。この手の証言をする人のほとんどが中帰連所属ってのも納得。
538文責:名無しさん:02/04/05 14:34 ID:XxdG/Ti+
>そこで自らの過ちを反省し、許されて帰国。

「労働改造」ってやつですか?
539バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 14:42 ID:qlBmULT0
中帰連の人達が受けた洗脳はここで自らが語ってる
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/sawada_kikokumade.htm

中国側の姿勢は、初めから一貫していた。学習のための用紙、筆記用具、本と資料の提供。我々がその渦中にあった日本軍国主義思想の批判、歴史を振り返り反省を行うための、学習、思想改造の勧め。

管理所の生活が始まった。とにかく我々にとっては、ソ連に比べると、生活の激変を意味していた。それは衣食住その他、すべてにわたって言えることであった。
建物・・・レンガ造りで冬はスチーム暖房。先ず、あのシベリアの寒さからは解放された。
食事・・・ソ連では、生かさず殺さず程度の食事だったのに比べ、中国は食べ放題であった。最初はそれが信じられず、飯が桶に余ったら、桶を返す時に、飯だけコッソリ隠したりしたものである。
労働・・・何もなし。この肉体労働からの全面的解放は、最初は戸惑うほどであった。

そして激変の最大のもの、それは有り余る「時間」であった。我々の軍隊入営以来の生活を振り返ってみれば分かる。
常に生命の危険にさらされた戦争中の前線の生活。零下30度の寒さの中で、重労働と慢性的な空腹感に脅かされ、追い回されたシベリアの5年間の生活。
それがここではどうだ。労働はない。腹の減る心配はない。規則正しい日課。バランスのとれた睡眠。午前と午後はそれぞれの布団を重ねて作った机を前に、新聞書籍を読み、筆記用具を使って「学習」をする。
今までの人生で、こんなに時間をタップリと貰って、考えたことはなかった。

「思想改造」は先ず生活の余裕と、有り余る時間を貰うことから始まった。時間の余裕があるとどうなるか? 
人間とは「考える動物」なのである。この次に来るものは、自分の過ごしてきた過去を振り返ること、世界の変化を知ること。


540文責:名無しさん:02/04/05 14:46 ID:kDw8ihxQ
>>536
事実を捻じ曲げてでも「当時の日本は完全なる悪」って事にしたい人が居るんだろうね。
普通、歴史ってのは事実を元に考察していくものなのにね。

>>538
そうそう。中帰連怪しい・・・

>>539
確信犯じゃん>中国
541バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 14:54 ID:qlBmULT0
ちょっと長いがまだ続きがある

ほとんどの者は心の片隅で考えていた。
「これだけ認識を深めたのだから、もういいだろう。認罪書も書き上げて提出したし、これで何時帰してくれるのだろうか」。

この頃日課が変わり、午後の運動の時間とは別に、夕食後再び外に出て、中庭を散策する時間があった。皆は三々五々談笑しながら、狭い中庭を何回も回る。
庭の片隅には我々が作った花壇があり、各種の草花・・・百日草、ほうせんか、松葉牡丹、コスモスなどが咲いている。どれも皆、昔日本で慣れ親しんだ花ばかりである。
花を見ていると、どうしても10年前に離れた日本のことを思い出してしまう。
しかしこれで学習が終了したわけではなかった。本当の思想改造に到達するには、もっと大きな「激震」が必要であった。
あの、精神の上に襲いかかる台風のような体験が。

「あなたを処刑するために、『認罪せよ』と言っているのではありません。あなたの思想を改造する機会は、これしかないから、あなたのために、言っているのです」曹長にとって最も苦しい約半年ほどの、
迷いの時代が続いた後、彼はついに皆の前に、彼のすべての罪行を発表する決意を固めた。この発表の場面は、彼自身にとっても、またこれを聞いた我々にとっても、何と言う凄まじい体験であったことか。
40年たった今でも、この文章を書いていて、興奮してくる。
「私は中国人の娘を、その母親の前で強姦しました」
「私は初年兵に見せつけるために、柱に縛りつけた中国人の腹に刀を刺し、そのまま下に切り裂いて殺しました」
「私は中国人の女性を私の部屋に監禁し、数日間なぶり物にした揚げ句に、これを殺し、その上、当時食糧不足であったので、中隊の者に食肉であると嘘をついて、これを切り刻んで食べさせました」

日本人に対してさえ恥ずかしくて言えないこんなことを、どうして中国人の前で発表できるか。
どんな顔で、どんな声で言えというのか。中国人の怒りと怒声の前ではどんな顔もヒン曲がる。どんな声も押しつぶされてしまう。
しかし彼はやったのである。それだけではない。「小麦掠奪作戦」で小隊を率いてある村を襲った時、老婆を含む村民30名を小さな池の中に追いつめ、
全員を機関銃で惨殺し、池を血の海にしたいきさつについても彼は大声で生々しく暴露した。それは、真っ赤に燃えさかる熔鉱炉の中に、自らを投げ込んで行く、捨て身の姿であった。最後に彼はこう叫んだ。
 「ああ、私は大罪を犯しました。どうか私を八つ裂きにしてください」
彼の身体は、あたかも、この煉獄のなかで溶けて分解し、その残骸の中から黄金無垢の様なもう一人の人間が、スックと立ち上がり絶叫したかのように見えた。
我々はただ息をつめて、この凄烈な姿を見守った。これは他人事ではない。皆も似たような罪を犯しているのである。聞いていた1000人の者も、一様にこの煉獄に投げこまれ、一枚の板のように溶接されていた。
曹長の認罪発表は、ひとつの突破口となった。これに刺激され、純粋に共鳴して、一斉に叫び出すような、認罪発表が後を追い、皆の異様な興奮は頂上に上りつめ、ついに管理所全体が鳴動した。

542バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 14:55 ID:qlBmULT0
この異様な興奮状態は二〜三ヶ月も続いたであろうか。

この認罪運動の、台風一過した後の我々の姿、そこには、官位も肩書もハギとられた素の人間、もう日本人でも中国人でもない、「人間そのもの」が残されていた。
その位置から、初めて振り返って見る昔の自分の姿は、残酷で哀れなものであった。

この時から又、半年〜一年を経過した後では、我々の感動のあり方は、もう少し鎮静した形になっていた。
我々は、自分がまったく違う人間になったような、不思議な感覚で回りを見回していた。精神と身体中の組織が、すっかり生まれ変わったような気がした。
これは驚くべき展開であった。「認罪」ということが、こんな新しい世界への入口であるとは、誰一人予期しなかったことであった。

543バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 14:59 ID:qlBmULT0
読めばわかるが、6年も閉じ込められて、飴と鞭とでこうやって自らまでもが
思想改造と語るような行為を受けてきた人達の証言が当てになるとでも思ってんのかね・・・

この人達は被害者だが、それを利用してる連中が一番許せんよ。
544文責:名無しさん:02/04/05 15:03 ID:d3Nye8U2
やっぱ中国は恐ろしいね。
何十年も先を見たんでしょ?
ロシアは目先の使い捨て労働力としか考えてなかったのにね。
おっと、瀬島某氏ってのがいたなw
545文責:名無しさん:02/04/05 15:43 ID:2kpckS1k
戦後のスパイ事件の中にはソ連からの帰国者が関係したものもあった。
収容所で見込みがある(工作員として)とソ連側が見込んだ日本人捕虜
を事前に工作する。そして帰国後に、収容所で決められた言葉(暗号)
で電話したり、事前に決めた人物が会いに行ったりして、ソ連の情報機関
の支配下に置いたのだった。


546文責:名無しさん:02/04/05 19:13 ID:+jB14tfi
祝辞(会報第1号より)


山口洋一(元駐マダガスカル大使、本会発起人代表)

マダガスカル研究懇談会の発足を心からお慶び申し上げます。発足に向けての準備に
携わってこられた関係各位の熱意に敬意を表するとともに、そのご努力を多とします。

かつては日本から遠く離れたこの島国に関心を向ける人は殆どおらず、日本にとって
マダガスカルは疎遠な国でしたが、その後交通の便もよくなり、マスコミでも紹介され
るようになるにつれ、この国を手がける研究者も増えて参り、我が国との関係が徐々に
緊密になってきたのは喜ばしい限りです。

日本には世界の主要な国との間に「日本・○○協会」といった友好団体と「日本○○学会」
といった学術団体がありますが、マダガスカルについては最近まで「協会」も「学会」
も存在しない淋しい状況にありました。私がマダガスカル駐在の任にありました頃には、
マダガスカル側には「マダガスカル・日本友好協会」があり、活発な活動をしているのに、
日本サイドにはそれに見合った受け皿が存在しないという恥ずかしい状態でした。
両国友好促進の体制造りでは、マダガスカルの方が先んじていた訳です。日本ではあまり
知られておりませんが、実はこの国は隠れた親日国であり、こんなに遠く離れた国であり
ながら、日本に熱いまなざしを注いでいるマダガスカルの人たちが少なくないのです。
言ってみれば、マダガスカル人の「片思い」といえる程の日本への思い入れが、このような
体制づくりの差に現れていたのです。

こんなことではいけない、日本でも相応の体制をなんとか早急に整備すべきだということで、
その後関係者が尽力し、1990年になってやっと日本にも「日本・マダガスカル協会」が設立
されました。そして今般、研究懇談会が発足したことにより、行く行くは「学会」設立に繋
がる足がかりができた訳でして、日本側の体制もようやく整って参りました。 
この研究懇談会の発足が我が国におけるマダガスカル研究の一層の促進に繋がるとともに、
両国間の友好親善及び学術交流・協力関係の一層の増進に寄与して行くことを願ってやみません。


547文責:名無しさん:02/04/05 19:25 ID:+jB14tfi
http://www.japan-arab.org/arab_night/01.html

  親日感情の沿源と日本への求愛の言葉 筆者は1956年頃、東大教授の小掘巌氏から
「アラブ諸国にみなぎるのは明治維新以後の日本への憧れは『まだ見ぬフィアンセ』の
思慕にも似た感情だった」という言葉や、アラブに関心を寄せ始めていた小生に深い刻み
込まれたが、アラブ連盟駐日代表部副所長であったス−ダンの外交官のアブデル・ラ−マ
ン・マ−リ氏の「アラブは親日感情の沁みとおった肥沃な大地だ。
ここに種を撒き育てることは、われわれの義務ではないか」と言う言葉も忘れがたい。

また、アラブの代表的ジャーナリストのモハッメド・ヘイカル氏も「日本とアラブ世界の
間にはプラトニック・ラブとも言うべき感情がある」と言葉があった。
548バーチャバカ一代 ◆0U22RBfA :02/04/05 19:57 ID:lFXRzmuJ
>>544
今も中共は何十年先を見て行動していると思われる。僅かな反乱の芽も摘み取るつもりだろう
2ちゃんもできれば何とかしたいと思ってじゃないかな。
549[email protected]:02/04/05 19:59 ID:I848D+gK
http://uo.net/i/nomoneycom
ここを荒らしてくれ
550文責:名無しさん:02/04/05 21:59 ID:16hCFJf/
講談社が昔朝鮮半島で過酷な労働を強いていたという話はないのでしょうか
551親中親韓:02/04/05 23:51 ID:s6NohB1I
中共はすごいなあ・・・。
バーチャさんの書き込みではじめて具体的に知ったけど、
まんま今の自己啓発セミナーとか新興宗教のマインドコントロールのやりかたじゃん。
今でこそマニュアル本まであるけど、当時すでにそこまで組織的に
完成された方式で実践することができたのはさすがとしかいいようがない。
しかもあの広大な大地、アメリカに5倍する人口、雑多な民族を(汚職とか腐敗にまみれてはいても)
一党支配で統治するなんてハンパじゃない。中共には勝てる気がしない。
552親中親韓:02/04/05 23:58 ID:s6NohB1I
LA暴動の時、白人と黒人の対立のように報道されていたが、黒人達のターゲットにさ
れたのは、多くの場合、白人ではなくて韓国系の商店だった。黒人の韓国系住民に対
する憎悪は凄まじいものがある。韓国街とリトル東京は隣接していたが、黒人達は、
日系人達はいい奴だから、appearanceが同じでも絶対に間違うな、俺達のターゲット
は韓国系だ、と区別していたから、あれだけの暴動が起きたにも関わらず日系は全く
と言っていいほど被害に遭わなかった。
553親中親韓:02/04/06 00:00 ID:9FHVnn+g
テレビで日系人のことを取り上げていたとき、日系人には
本物と偽者がいるらしい。
偽者ってとなると、ここに来る人はまぁ隣のあの国の人と
考えがちだが、答えは違った。
なんと、ネイティブアメリカン(インディアン)なのである。
彼らは、特定の居住区に押し込められて国からの補助金で一生
生ぬるいくびきの中で暮らしていかなければならない。
だが、そんな中で補助金はいらない、居住区を出て普通にアメリカ
市民として生きたいんだという人間がでてくる。
しかし、現実は厳しい。
彼らは、黒人以上に就労機会がないのだ。
頼るべきコミュニティも無く、かといってこのままスゴスゴと引き返す
というわけにもいかない。
そんなとき、彼らに手を差し伸べるアメリカ人、それが日系人なのだ。
顔立ちも近く、それでいて韓国・中国系のように同族で排他的な暮らしを
せず「困ったときはお互い様」という精神、つくづく日本人はそれで損を
していると思うのだが、日本人だからこそそうやって手を差し伸べたのではないか。
こうして、日系人に迎え入れられたインディアンはやがて、養子となり法的に
「日系人」となるのである。
今では、居留区をでたらまず日系人コミュニティを目指せというのが当たり前に
なっているんだそうだ。

・・・以上、
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/korea/1014411211/
からいただきました。前々スレで紹介されてたこのスレ、オススメです。
554文責:名無しさん:02/04/06 00:11 ID:Tcns09vo
>>508
ネタなんでしょうか?それとも理解力が皆無なんでしょうか?
裁判に提出されたものが捏造されたものだ、ということは
馬鹿でもわかるように論証されたし、「証言」なるものが、
戦後しばらくして作り上げられたものであるとともに、当時の
客観資料と矛盾するものである、ということははっきりした
じゃない。
もっと頭を使おうよ。
555文責:名無しさん:02/04/06 00:13 ID:Tcns09vo
>>511
反論もできないなら、無理してカキコせんでもいいよ?(w
っていうか、戦争を美化しているカキコってどれのことですかぁ〜?(笑
556文責:名無しさん:02/04/06 00:19 ID:Tcns09vo
>>519
過去のカキコを踏まえて発言しましょう。


 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
を裏付けている。

 支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。

 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]

 ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
たことになる。
557あえて511を煽ってみる。:02/04/06 00:19 ID:kg8P13O0
そもそも

戦 争 を 美 化 し て 何 故 悪 い 。

戦争の美化がいかんのなら端午の節句も戦国モノの時代小説も却下だな。
558文責:名無しさん:02/04/06 00:19 ID:Tcns09vo
 韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
出版した。

 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
とは述べていない。

 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
というのが実態である。
559文責:名無しさん:02/04/06 00:20 ID:Tcns09vo
 韓国のソウル大学の安垂直教授は、彼がコンタクト出来た4
0人以上の女性の証言を検討した所、半数以上の証言は矛盾し
ていたり、時代背景と違っていたり、事実を歪められていたと
言っています。彼はそのうち19人の証言をまとめて発表して
いますが、そのうち日本軍に強制されて慰安婦にさせられたと
言っているのは、僅か4人に過ぎません。しかもその内の一人
は釜山で働いたと言い、他の一人は富山で働いた、と言ってい
ますが、釜山にも富山にも軍の慰安所はなかったのです。
 残る2人の内一人は前述の金学順であり、今一人は文玉珠で
す。文玉珠は日本政府に対する訴訟で、当初は娼婦として売ら
れたと言っています。日本政府はこの問題について厳密な調査
や適切な裏付け捜査を行わず、日本の伝統的な手法と「NO」
と言えない性格により、「政治的」に丸く収めようとし、恥ず
べき河野声明を出したのです。それは軍に責任をかぶせる、信
じられない程の官僚的な、無責任なものでした。
560文責:名無しさん:02/04/06 00:32 ID:Tcns09vo
>>522
ネタですか?(笑
表題と中身が違うし、だいたい、南京では国民党の工作員が反日宣伝
をやっていたから、悪評も多少あったけど、それ以前の段階では
日本軍はすこぶる評判がよかったんだぞ?

 リリー・アベックは「支那の革新」で、南京での日本兵の非行に関する
 悪評を、初めてのこと、という意味のことを記している。
 「これまで、日本陸軍がこれほどの暴力行為を働いたことなど、一度も
 なかっただけに、南京で犯された無規律ぶりは強い印象となった。南京
 に残留した少数の外国人たちが支那軍撤退の際の掠奪と強奪を恐れる
 ことはあっても、日本軍を恐れることはなかった。そのときまでは、
 支那の至る所で日本軍の入城が歓迎されていた。政治的に日本をよく思わな
 い人ですら、そうであった。

それと、裏付けになる資料にあるのかい?
また、ソースは?
撫順戦犯管理所出身では?
561文責:名無しさん:02/04/06 00:39 ID:Tcns09vo
>>522
やっぱり中帰連でしょ?(笑

「朝日新聞 天声人語」 昭和31年8月1日
“洗脳”という言葉がある。英語では、ブレーン・ウォッシングという。
中国で造られた言葉だ。
むろん古い中国語ではない。革命後の中共に
生まれた新語で、変脳ともいう。
英語には“ターン・コート”というのがある。服の裏返しから転じて
裏切り者、変節者の意味に使う。洗脳はこれとは違う。
頭脳をすっかり洗い張りして別の思想に仕立て直す。思想改造であり
人間改造である。
中共は革命後、この“洗脳運動”によって国民の“人間改造”をやっ
たといわれる。
いわゆる“学習”や“自己批判会”で国民の思想の入れ替えをやった
といわれる。

こんどの興安丸帰国者のうち328人の“釈放戦犯”は、判で押し
たように同じことを言うと報ぜられる。
十余年の苦しい抑留にも少しも不平をいわず、ひたすら過去の罪を総
ざんげしているそうだ。
それが撫順組も太原組も、元軍人も元憲兵も満鉄社員も医者も技術者
も作家も、十人が十人とも申し合わせたように同じで、面会に行った
妻と二人きりになっても、中国の土を離れた船上でも言うことは変わ
らず、それでいて驚くほど明るい顔をしているという。
侵略の罪を個人としてもざんげするのに不思議はないが、一般帰国者
が各自めいめいの考えをもっているのとくらべて、“戦犯”たちはや
はり“洗脳”の洗礼を受けたのかと思わせられる。
十年も社会から隔離されて朝から晩まで繰り返し“学習”させられたら
、たいがいの人間は同じ鋳型にはめこまれるだろう。
562文責:名無しさん:02/04/06 00:41 ID:Tcns09vo
撫順組というのは、中国の撫順戦犯管理所に抑留され、中国の対日
政治目的を忠実に実行するよう洗脳された人達のことで、日本へ
帰国したのち中帰連(中国帰還者連絡会)を結成する。
中国の手先となって、戦時中の日本軍の残虐行為を嘘証言も交えて
宣伝して回り、反戦反日活動を積極的に行なっている。
現在も左翼系マスコミに好意的に取り上げられることがあるが、
彼らの言動の異常さは帰国時にすでに指摘されていたのだ。
洗脳の恐ろしさは帰国後45年たっても解けないことである。
563文責:名無しさん:02/04/06 00:47 ID:Tcns09vo
「拷問を技術から芸術の域にまで高めたのは、ロシア人と、その
弟子にあたる中国人であった。彼等によって開発されたテクニック
は--一般には「洗脳」として知られているが--(略)自白を引き出す
方法を検討してみよう。自白させるには、通例十二週間を要し、厳密
なスケジュールに従って行われるた。(略)窓のない、幅六フィート、
奥行き十フィートの独房に放り込まれる。看守以外には誰とも会うこと
を許されず、明かりはずっと点けっぱなしにされる。明かりをのぞけば
、これは異端審問所が用いて成功したテクニックとまったく同じである。
囚人は一定の時間しか眠らされず、眠るときはいつも両手を毛布の外に
出してあおむけに寝なければならない。独房内を歩くことは許されない。
座る場合は、背中を椅子の背につけて不動の姿勢をとっていなければな
らない。立つ場合には、直立不動の姿勢をとることを求められる。看守
は命令をくだすとき以外はけっして囚人に話し掛けない。反抗すれば
罰せられるが、罰は服従を強要する程度のものである。この状態が三週間
続く。その間に囚人は、はじめは恐怖を、ついで狼狽を、やがて憂鬱を、
そして体の拘束と監禁のために足が腫れ始めると、ついに苦痛を体験する。
七週間目に入ると、ますます多くの圧力をかけられるようになる。この
段階で拷問が行われることがあるかもしれないが、それは苦痛を与える
ためというよりは、むしろ無力さと完全な孤独を思い知らせるためである。
564文責:名無しさん:02/04/06 00:47 ID:Tcns09vo
もっとも多く用いられる方法は、トイレの設備を取り去ってしまうことで
あって、囚人はおのれの排泄物にまみれて起居せざるをえなくなる。よく
用いられるもう一つの方法は、極端な寒暑の変化にさらすことである--
汗だくになり息苦しくなるほど独房内を暑くしてから、熱をすっかり遮断
し、零下四十度に下げる。囚人はまた、米兵のいわゆる「マットとジェフ
の日課」なるものを与えられる。まず、攻撃的で残忍な尋問係が一週間
あるいはそれ以上を費やして、むりやり自白を引き出そうとする。その
期間の終わりに、「友人」なるものが現れる。この「友人」というのは、
二十代の若者で、感じがよくて思いやりがあり、しかも権威ある男である。
「友人」は尋問係を叱り飛ばし、出ていけと命ずる。そして、はるかに
居心地のよい別の独房へ囚人を移してやり、酒や煙草をすすめ、相手の
言い分を聞いてやろうとする。そのころには囚人は、自分の置かれている
立場を誰かに説明したくて気も狂わんばかりになっている。「友人」は
囚人に、話してくれと促す。「友人」は囚人に関する資料すべてをあらかじ
め渡されているので、相手のことはよく知っており、話を聞きだすすべを
心得ている。これが二週間あるいはそれ以上続くのである。それから
「友人」は急にきびしくなる。
565文責:名無しさん:02/04/06 00:48 ID:Tcns09vo
囚人の話の矛盾した点を指摘するようにな
る。メモもなく周到な準備もせずに記憶だけを頼りに話をする場合には、
そのような食い違いが必ず生ずるものであるが、囚人がそれらの矛盾を
弁明したりつじつまを合わせようとすると、「友人」は不満の色を見せる。
「これまで話してくれたことは、本当のことじゃないんだね」と、彼は
悲しげにいう。「もしこのように嘘をつくのなら、力になってあげるわけ
にはいかない」もうそのころには、囚人はすっかり「友人」に頼りきって
いるので、必死になって「友人」を満足させようとする。だが、「友人」を
満足させることなどできはしない。「友人」はけっして満足することが
ないのだ。「友人」はますます多くの情報を引き出そうとして、ますます
多くの矛盾を見いだし、ついには出ていってしまう。かくして囚人は、
もとの独房--今は凍りつくほど寒い独房--へ戻され、そこに数日放置される
のだ。それから、ふたたび「友人」がやってくる。許してやる気になった
のだ、という。そして、ふたたび温かくて居心地のよい部屋へ連れて行き、
酒や煙草をすすめる。これは「懇談期」として知られているものであり、
通例十一週間目に行われる。「友人」は囚人に対して、筋の通った説明を
する(その囚人が聖職者の場合には、告白書に署名すれば釈放されて魂を
救済する仕事を続けられるのだが、署名をこばめば、己のプライドのために
教区民を犠牲にすることになる、などという)。
566文責:名無しさん:02/04/06 00:48 ID:Tcns09vo
囚人は心身ともに参って
いるので、「友人」の話がだんだん本当のように思えてくる。たとえば、そ
の囚人が妻に対して嫉妬深いとわかると、早く家に帰らないと奥さんがあ
なたを裏切るようになるだろうから、告白書に署名したらどうだ、などと
いう。あるいは、これらの告白書がでっち上げであることは誰でも知って
おり、誰も真に受けやしないから署名したらどうか、などという。あるいは
、ある個人や集団に対して男がいだいている恨みにつけこんで、あなたに
着せられている罪をそれらの人々に転嫁するように告白書を細工してあげよ
う、ともちかける。これでうまくいかない場合には、「友人」を交代させ、
このようなことをもう一度はじめからくりかえす。囚人が重要人物である
場合には、これが無期限に続けられる。ある牧師は四年間これに耐え、つい
に屈したといわれている。七年間もちこたえた者もいる。だが、最後には
この方法は成功している。(略)捕虜に対する洗脳技術も、これまで述べた
のと同じパターンに従って行われる」

「人間はどこまで残虐になれるか/D・P・マニックス」
567文責:名無しさん:02/04/06 00:49 ID:Tcns09vo
その狂熱の赴くところは、四十九年春から始まった。「スターリン大元帥
に対する感謝文署名運動」として結実する。
国際法に反して長期抑留されて過酷な労働に喘ぎ、非人道的扱いのため
多数の犠牲者を出した捕虜が、その加害者の頭目に対して感謝するという
古今未曾有の現象は、民主運動に伴う日本人同士の相克とともに、日本民族
の資質について深刻な反省を導かずにはおられないだろう。
この民主運動の「成果」は、引き揚げ者の異常な行動となって現れた。
その端緒は既に四十八年末の引き揚げ者から現れていたが、民主運動
が主導権を握った四十九年の六月に再開されたシベリアからの引き揚げ者
は、国民を驚かせた。
彼等は乗船しても船員との会話を避け、赤十字看護婦のねぎらいの言葉
にもソッポを向いたままだった。
船内では些細なことで船長をつるし上げ、要求が容れられないとして上陸
を拒否した例すらあった。
舞鶴に上陸すると、氏名、収容所名、その所在地など引き揚げ業務に伴う
係官の質問に一切答えようとせず、支給された鉛筆も折って捨ててしまう。
568文責:名無しさん:02/04/06 00:50 ID:Tcns09vo
引き揚げ列車の中でもインターナショナルを高唱し、アクチヴが演説、停車駅
では円陣を組んで歌や踊りを延々と続け、合間に「天皇制打倒」などの
スローガンを絶叫する。
私も中学生のころ、大阪駅でこの一団を目撃したことがあったが、酔った
ように踊る兵士たちのなかには引きつった顔もあったが、多くは見守る人
たちの視線に照れたような薄笑いを浮かべていた。
憑き物が落ちる寸前だったのだろう。(略)
憑き物が落ちた引き揚げ者たちが、徐々に「民主運動」や抑留生活の実相
について語り始めると、それは個人的体験だとか、ソ連の便所を見たにすぎ
ないから、ソ連の全容を伝えるものではないといった論法で「民主運動」を
何とか擁護しようとする動きが進歩的文化人の間に強まった。

「悪魔祓いの戦後史/稲垣武」
569文責:名無しさん:02/04/06 00:51 ID:Tcns09vo
「サイエンス・サイトーク ウソの科学 騙しの技術」日垣隆
(記憶は嘘をつく)筑波大学教授、医学博士、精神病理学者 中谷陽二

ジャーナリズムの世界でも、裏付けの無い聴き取りだけで書いてしまう記者
が掃いて捨てるほどいます。
たとえば、ある証言者が八歳のときに父親に犯されて、みたいな話をし、
ところが周囲に聞いてみたら、そうではない。
母親も否定する。
「本人が心に傷を負ったことは事実だ」みたいな折衷解釈はありうるでしょうが、
これが新聞記事レベルならまだしも、刑事公判でやられたらたまらない。

(略)「戦後45年」とか、さらに「戦後50年企画」というわけで多くの
地方紙や全国紙やテレビが満州からの逃避行や残留婦人、孤児の証言を、
わあっと取り上げるようになり、かつて私が取材させてもらった方々も
大勢、沢山のメディアに出て話すようになりました。
そこまではいいのですが、新聞記事だけでなく、あるいは手記を書いたと
送っていただいて読んだり、またテレビに出演して話されるのを聞いたり
していると、いちばん最初に話された内容とずいぶん違うのです。
明らかな矛盾も少なからずあり、悲劇が誇張されたり、ぎこちなさも
消えた反面、「物語が進歩した」としかいいようのない現象が、たくさん
見受けられました。
570文責:名無しさん:02/04/06 00:52 ID:Tcns09vo
戦争を語り継ぐ会というような集いや学校などに呼ばれて、何度も何度も
語り部として講演し自ら涙してるうちに、物語が進化してしまう。
こういう現象は戦争体験にかぎらず、ぼくら取材者にとってはごく日常的に
遭遇する現象だといってもいいくらいです。
これは決して嘘という次元ではなく、自分自身もそう思い込んでいる、と
感じます。
571文責:名無しさん:02/04/06 00:54 ID:Tcns09vo
撫順戦犯管理所
>http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo7.html
昭和11年(1936)日本が建設。当時は「撫順典獄」といった。
昭和20年8月、ソ連軍が11月まで撫順に進駐、しばらく中共系
が制圧した。
昭和21年3月、国民党軍が進攻、中共党員や反国民党分子が投
獄された。名称は「遼寧第四監獄」
1948年11月、国共内戦で中共党軍が撫順を制圧した。
「遼寧省第三監獄」
1950年2月以降、日本軍や満洲国そして国民党軍の戦争犯罪人、
約1300人を収容、「旅順戦犯管理所」と改称。昭和61年
(1986)、一般に開放。
昭和20年8月9日、いきなり満洲国になだれ込んだソ連軍は
約60万の日本人をシベリアに強制連行したのだが、その捕虜
は24年までに90%が日本に送還された。
しかし、中共建国の翌年の昭和25年、日ソ友好条約の締結時、
一部の捕虜はスターリンから中共にプレゼントされ、撫順に
収容された。
572文責:名無しさん:02/04/06 00:55 ID:Tcns09vo
捕虜から戦犯に
撫順に収監された日本人は969名で軍人・軍属が約800名、
官僚・警察官が約200名であった。
軍人の大部分は関東軍以外で、中支・北支で支那と戦った普
通科部隊の将兵で、残りは関東軍・満州国の憲兵や法務、情
報、治安関係の将兵だった。
(将官・高級官僚20、佐官級120、尉官級160、下士官・兵
・軍属660)中共に移監された途端に、彼らは「戦犯」とい
う身分に位置づけられた。
調べもしないで「戦犯」にしたのは、捕虜のままだと国際法上
よろしくないからである。
いよいよ、後日、彼ら自身に「鬼から人間に戻った」と言わ
しめる洗脳が始まったわけである。
戦犯の処置は新中国の重要な国家政策として周恩来が直接
指揮をとり、管理は司法部ではなく公安部が担当した。
公安部長の羅瑞卿は、延安で多数の日本兵捕虜を洗脳して、
日本軍の正面に送り出してきた捕虜政策のエキスパートで
あった。
573文責:名無しさん:02/04/06 00:56 ID:6MhHbzNz
昭和25年10月、朝鮮戦争が激化し、撫順の戦犯は哈爾浜の
監獄に移動、佐官級以上と尉官級以下のグループに分けられ
、別々の監獄に収監された。
朝鮮戦争が停戦に向かいつつあった昭和26年下士官兵の669
名が撫順に戻された。
彼らに入ってくる情報といえば、監獄内の放送と人民日報、
日本共産党編纂の書籍だけという環境の中で、管理所当局は
「学習による思想改造」を本格化させた。
昭和27年、日本は講和を果たし独立。
撫順監獄では怒濤の「学習」が活発化する一方、末梢神経患
者が急増していた。
昭和28年になると、多くの下級兵士の脳味噌はすっかり中共
色に染まっていた。
574文責:名無しさん:02/04/06 00:56 ID:6MhHbzNz
哈爾浜
一方ハルピンの尉官級以上の人たちも「学習」が続けられ
「総括書」を書かされた。
これは、学習して得た共産主義の認識に基づき、過去の自
分を自己批判しろということである。
罪は重くても完全に共産主義思想になったものは許す。
逆に軽微な罪行でも思想を改造できないものは重く処罰する、
としつこく繰り返された。
中共側は共産主義思想に転向してこそ初めて過去の旧思想
時代の犯罪を自供できる、と主張していた。
つまり「思想改造」と「認罪」の同時工作であり、中共国
内の反革命分子に行使した方法と同じであった。
尉官以上の人が取り調べを受けたのに対し、下士官・兵は
坦白大会の方法がとられ、自分たちで自ら洗脳していった。
ソ連のラーゲリに居た頃も下級兵士ほどアクチブになり易か
ったのだ。
575文責:名無しさん:02/04/06 00:57 ID:6MhHbzNz
「認罪運動」
昭和28年末、哈爾浜組も撫順に移ったのだが、反共組と坦
白組は隔離された。
この頃、反共組は毛沢東に直訴状を書いている。
昭和29年、周恩来から日本人戦犯に対する罪行調査命令が
出され、調査のための「工作団」700名が編成された。
起訴に向けて、工作員が地方まで出かけ証人や証拠が集め
られ、管理所には被害者からの告発書が続々と集まってき
ていた。
戦犯の供述書に、日時・場所・人名・数量や人数が妙に詳
しいのはこのためである。
そして本格的な取り調べが開始された。
「坦白するものには軽く、逆らい拒むものには重く」という
取り調べの方針が告知され、そのスローガンは所内の至る所
に掲示された。
これをきっかけに「認罪運動」というものも始まった。
「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する
発表会がもたれた。
576文責:名無しさん:02/04/06 00:57 ID:6MhHbzNz
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の
洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分
が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられ
ていった。
認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何
回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。
「なんだそれぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、
それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていっ
たのだった。
577文責:名無しさん:02/04/06 01:01 ID:6MhHbzNz
12月26日、24号文書は日本大使館に次のように言う。
「そこで我々は事件が減少しつつあり、状況がかなり改善されていると
報告することを喜んでいます」
南京陥落から二週間にして、事態はほとんど沈静化したことになる。
では、何が、事態の沈静化をもたらしたのか。
それは12月22日に布告され、24日から一斉に開始された住民登録である。
これにより市民は、日本軍の指定する登記所に「各自」出頭を要請された。
代理申請は不可能であった。
このときに、安全地帯に潜伏する便衣兵の摘発が、南京住民立ち会いの
もとに始まったのである。
この作業を担当したのが「佐々木到一少将私記」にある通り、歩兵第三十旅団
の佐々木少将であった。
第十六師団司令部の内田義直通訳官は「南京戦史」でこう回想している。
「自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民
を狩り立てるようなことはなかった。上衣だけが民服で、下着が兵隊服のものが
多く、すぐ見分けがついた」
約二千人の便衣兵が摘発されたが、彼らは解放された。
これにより便衣兵の撹乱工作が減少した。
便衣兵が摘発後、良民登録され、あるいは摘発を免れて良民登録された便衣兵
が加わったことによって、人口数が20万人から25万人に増加した。
578文責:名無しさん:02/04/06 01:18 ID:6MhHbzNz
蒋介石軍などは日本軍の追跡を阻止するために、わざわざ黄河を決壊
させ、流域住民を多く溺死させているのである。
それは1938年6月のことだった。
河南の開封城を落した日本軍は鄭州に向かった。
追われた国民党軍は鄭州東北郊外の花園口にある黄河の堤防を爆破し、洪水
を起こさせて日本軍の行く手を遮ったのである。
それは中国史によくみられる伝統戦術である。
しかし河の水は河南はもとより、安徽、江蘇の3省44県・市に氾濫した。
このとき、溺死者89万人、被災者1150万人を出し、洪水の後遺症は
50年代にまで続いた。

1937年7月31日、国民党内のもう一人の雄、汪兆銘は撤退する際、大小の
都市の区別なく焼き尽くし、支那人同胞すら殺し尽くして、日本軍の手
には「一物」をも渡さぬ、との宣言を行っている。
中国伝統の「堅壁清野作戦」であり、「汪兆銘の最後の関頭演説」である。

「すでに最後の関頭に至れば、絶大の決心と勇気をもって犠牲をなすべき
である。(略)中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめねばな
らぬ。(略)一物をも得させてはならない」

これによって人々は日本軍の接近する前に逃げ出していたのである。
579文責:名無しさん:02/04/06 01:21 ID:6MhHbzNz
映画「日本鬼子 リーベンクイズ 」出演者:  土屋芳雄、篠塚良雄、
永富博道、船生退助、絵鳩穀、榎本正代、金子安次、鈴木良雄、小山一郎、
鹿田征夫、富永正三、久保田哲二、小林武司、湯浅憲
580文責:名無しさん:02/04/06 01:27 ID:DqDG1sKm
 アイルランドに滞在している日本人青年が、現地の友人とダブ
リン市のとあるパブに入った。何やら、乾杯、乾杯と騒いでいる
人々がいる。

 その友人に、何を祝っているのか、と聞いた所、連れのアイル
ランド人は、「何? 今日2月15日はシンガポール陥落記念日
なんだぜ。日本人の君が知らないなんて、おどろきだよ」と答え
た。そして、さらに次のように怒られた。

 君達戦後世代は第2次大戦に就いて何も教えられていないら
しいが、シンガポールは当時世界一難攻不落の要塞だったんだ
ぜ。(戦艦)プリンス・オブ・ウェールズやレパルスが沈めら
れた時も我々は喜んだが、シンガポールの時は格別だった。君、
相手は世界一のイギリス海軍だった事を忘れてはいかんよ。そ
れをあんなに見事に陥落させるなんて素晴らしいじゃないか。
その山下将軍の2月15日を忘れるなぞ信じられないよ。日本
人が益々分からなくなった。
「アイルランドの親日感情」、北村良和、月曜評論、H11.5.5
581文責:名無しさん:02/04/06 01:28 ID:DqDG1sKm
 平成10年1月、インド国民軍(INA)から、インド解放の
ために戦い、インパール作戦で散華した日本帝国陸軍将兵に対し
て、感謝状が贈られた。

 感謝状は、インド国民軍全国在郷軍人会代表、S.S.ヤダバ
氏の署名が添えられ、次のように書かれている。

 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に
戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝
国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。

 インド国民は大義のため生命を捧げた勇敢な日本将兵に対す
る恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇
士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。

              「日本の息吹」、H11.3

 インド独立50周年を記念して開かれた「インドの夕べ」にお
いて、インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏
は「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れ
ません」と、大戦中の日本の行動を賞賛した。
582文責:名無しさん:02/04/06 01:29 ID:DqDG1sKm
 約80年前、第一次世界大戦とロシア革命の中で、日本政府
や日赤が中心となって救出されたポーランド人元孤児の感謝の
メッセージを携え、同国の「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合
唱団」が来日した。 「二十世紀の初め、孤児が日本政府によっ
て救われました(幼時から十六歳までの計七百六十五人)。シ
べリアにいたポーランドの子供連は様々な劣悪な条件にありま
した。その恐ろしい所から日本に連れて行き祖国に送り届けて
くれました。親切にしてくれたことを忘れません」

「孤児収容所を慰問した皇后陛下(貞明皇后)に抱き締めてもら
ったことが忘れられない」と述べ、 「一番大切にしている物を
皇室に渡して」と当時の写真を託した。

(毎日新聞、H11.8.4、「情報2weeks、世界が見える日本が分
かる」H11.08.07より転載)
583文責:名無しさん:02/04/06 01:31 ID:DqDG1sKm
                 JOG読者Yさんよりの投稿

 私は今年33になります。我々の世代は、いわゆる「戦後教
育」を受けた先生が「戦後教育精神」に則り、更に濃厚な戦後
教育を施してきた、言ってみればきわめて毒性の強い時期に戦
後教育を受けた世代です。

 私も大学卒業後、社会人になるまでは、「日本の何から何ま
でが悪い」事に何の疑いも抱いていませんでした。しかし、私
の「信仰」に大きなショックを与えたのが、インド放浪中に読
んだ現地の児童向けの英文の児童書です。当時の私は、英語の
勉強のため、インドの行楽地を渡り歩いてはあちこちで入手し
た英語の文献に読みふけるということを繰り返していました。

 そのうち、インドの小学校高学年〜中学生レベルのために書
かれた「世界の戦争」という児童書で、「日露戦争の勝利はア
ジアの国々に大いなる感動(jubilation)をもたらした」という
くだりがあったことです。最初、何かの読み間違いではないか
と思い、丁寧に辞書を引き直した覚えがあり、単語もはっきり
と覚えています。本当にアジアの国々が深い傷だけを負わされ
たのであれば、たとえ日本が経済的に重要な地位を占めるよう
になったとはいえ、児童が読む本にこのような事を書くでしょ
うか。
584文責:名無しさん:02/04/06 01:31 ID:DqDG1sKm
 この後、日本に帰った後、幾多の名著を読み、ようやく蒙を
啓くことができました。マスコミや教科書で「日本は戦争中、
アジアで悪いことばかりしてきた」等と喧伝される割には、在
留日本人孤児の件、戦後賠償が次々に放棄されたり低額で決着
されたりした件など、アジアの国々が戦後も陰に陽に日本の力
になってくれている理由が、戦前・戦中から戦後の事実を正し
く理解してゆくにつれて氷が溶けてゆくように理解されます。

 このような事実を一つ一つ理解してゆく度に、誇らしい気持
ちと同時に、美しい日本の精神風土を汚したくないという崇高
な義務を感じます。また、このような美しい事実ですら、「そ
れは日本人が特に偏狭なだけで、アジア諸国の人々は特に寛大
な心を持っているからだ」等とことさら日本人を卑下する理由
として教え込まれてきた少年時代の教育を悲しく思います。
585文責:名無しさん:02/04/06 02:50 ID:DqDG1sKm
>>508
>虐殺論を否定する資料の中に、信憑性のあるものありました?
>少なくとも、

はあ?
君にとっては
--------------------------------------------------
1.徐淑希編「日本人の戦争行為」
漢口の国際問題委員会の監修のもと作成
2.徐淑希編「要約・日本人の戦争行為」
重慶の国際問題委員会の監修のもと作成
3.徐淑希編「チャイニーズ・イヤーブック」
4.徐淑希編「南京安全地帯の記録」
重慶の国際問題委員会の監修のもと作成
*徐淑希編は1938年から翌年にかけて中華民国外交部顧問を
つとめていた。
1.日本大使館宛九号文書
1937年12月17日 国際委員会が日本大使館宛に出した文書
2.日本大使館宛四十一号文書
1938年1月18日 国際委員会が日本大使館宛に出した文書
3.国際委員会委員長ジョン・ラーベの日記
王固磐丁長のラーベへの報告
4「フランクフルター・ツァイトゥンク」紙
リリー・アベック記者の南京陥落前の記事
5.南京ドイツ大使館、シャルフェンベルク事務局長の日記
「南京の状況」1月13日付
6.南京地方法院検察敵人罪行調査報告
--------------------------------------------------------
のようなものよりも、戦後に作られた怪しげな資料の方
が信憑性があるの?(笑
奇特な人だ。
586文責:名無しさん:02/04/06 12:28 ID:GHhKYnma
もう過去のネタはどうでもいいよ。いまさら南京で30万人だが20万人だが
虐殺されようが先人たちのやったこと。それを事実はともかく、いまさらそれ
をウヨがフォローしても日本が中国や朝鮮を侵略した歴史は変えられないんだ
し。
587文責:名無しさん:02/04/06 12:48 ID:hB97tkMa
>>586
日本が侵略した事実を否定している訳では無いのですが。
日本軍の民間人虐殺は事実なのかって事について話してるんだよ。今はね。
どっかのサヨがそっちに話を振ったから。
なんで都合が悪くなるとそういう風に論点をすり替えようとするんですか?
588文責:名無しさん:02/04/06 12:59 ID:jed8UnzQ
20万人?10万人も足りないじゃないか。南京大虐殺は嘘ってこったな。
589587:02/04/06 12:59 ID:hB97tkMa
あー、なんか答え方が変だ。間の2行は抜かして読んで。
590文責:名無しさん:02/04/06 13:02 ID:SsgejKla
>586
 その言い方では、過去に起きた冤罪事件にも
「事件発生から何年もたったし、今更無罪が確定しても失われた時間
は取り戻せないんだから諦めてそのまま檻の中に入っていたら?」
とかいってそうだな。
591文責:名無しさん:02/04/06 13:03 ID:GHhKYnma
>>588

君の定義だといくら殺せば大虐殺になるの?広島の原爆も日本の発表
だと当初は亡くなった方は30万人としていたけど結局20万人とか
15万人とか被害国は多めに数を発表するものだよ。
592文責:名無しさん:02/04/06 13:08 ID:jed8UnzQ
>>591

中共は日本軍による南京での30万人虐殺を南京大虐殺といった。

299999人までだったら、南京大虐殺は嘘。
30万人−実際の犠牲者数を、冤罪の迷惑料として中共は日本に払え。
593文責:名無しさん:02/04/06 13:08 ID:GHhKYnma
>>590
その言い方では、過去に起きた虐殺事件にも
「事件発生から何年もたったし、相手が数を大幅に上乗せして発表
していることばかりに着目して、今更も失われた時間 は取り戻せな
いし数も今更分からないのだからいっそ諦めてなかったことにしよう?」
とかいってそうだな。



594文責:名無しさん:02/04/06 13:10 ID:jed8UnzQ
もちろん、30万人とも、通常の戦闘行為を逸脱した残虐きわまるころし方で、だぞ。
通常の戦闘行為で死んだ人数なんか入れるなよ。
595文責:名無しさん:02/04/06 13:10 ID:hB97tkMa
>>591
いやさあ、なんで20万人とか30万人とか数字にばらつきが出るのよ?
虐殺を証明する資料が乏しい、捏造の線が考えられるって事だろ。
だから>>588は、「嘘じゃないか」って言ったんだろ。
596文責:名無しさん:02/04/06 13:12 ID:N2nVVz5K
>>593
それはそっくりそのまま自分に返って来るんじゃないの(w
597文責:名無しさん:02/04/06 13:12 ID:GHhKYnma
>>592
日本のウヨは日本軍は規律正しい軍隊なので南京でも民間人など一人
たりとも殺していないと言った。

1人でも殺せば、南京大虐殺のまぼろしは嘘。
実際の犠牲者数を、慰謝料としてウヨは被害者に払え。

598文責:名無しさん:02/04/06 13:15 ID:4CuD6QVO
>>597

犠牲者数を払うんですか?(笑

お前みたいな馬鹿の首を中国様にさしだせってこと?

599文責:名無しさん:02/04/06 13:15 ID:1D9fRIlW
>>586
だから何?世界の共通認識や世界の常識では
侵略された方が悪い。弱い自分を人の所為にして甘えるなヴォケ。
なんだけど?

ここらへんちょっとでも外国人とディベートすりゃ判る事だよ。
つーか、世界史なんて侵略の歴史。いちいち謝罪してたら
終わらないんですが。

ちなみにナチが未だに謝罪しまくりにされてるのはヨーロッパの
ユダヤ迫害の歴史を全てナチに着せてるだけ。近親憎悪みたいなもの。
(ユダヤ殺しはヨーロッパの歴史上多国家多民族で行われてきた故)
だから一緒にする事自体が別次元。
600文責:名無しさん:02/04/06 13:16 ID:hB97tkMa
>>593
>相手が数を大幅に上乗せして発表していることばかりに着目して

はあ?捏造を認めましたか?
まあ我々はその部分にのみ着目しているだけではなく、南京大虐殺の存在自体を疑問に思ってるんですが。
つーかあんたの文章前半と後半が全然繋がってないし。なんかおかしいし。
601592だけど:02/04/06 13:16 ID:jed8UnzQ

それくらい強い態度に出ないと中国にいくらむしり取られるかわからん、という事で。

どっちにせよ中国がいうような虐殺があったとは思えん。
通常の戦闘行為で5,6万人だったら虐殺じゃないだろ。
602文責:名無しさん:02/04/06 13:17 ID:hB97tkMa
>>597
「大虐殺」って言葉の意味知ってて言ってるのか?
603592 ◆T5C0sGJA :02/04/06 13:18 ID:jed8UnzQ
人数以外にも方法にムチャがあるもんな・・・。

昼休み終わりにつき落ち。夜また来ます。
もう過去のネタはどうでもいいよ。いまさらチベットで10万人だが20万人だが
虐殺されようが先人たちのやったこと。それを事実はともかく、いまさらそれを
サヨがフォローしても中国がチベットや朝鮮やベトナムやモンゴルやインドや
その他東南アジアを侵略した歴史は変えられないんだし。
605文責:名無しさん:02/04/06 13:22 ID:GHhKYnma

>>595

いやさあ、なんで犠牲者の数が正確に出るのよ?戦争での死者の数何て
皆推定でいい加減。
虐殺を否定する資料が乏しい、虐殺そのものを否定するなって事だろ。
だから>>591で、「いくら殺せば大虐殺」て言ったんだろ。

606文責:名無しさん:02/04/06 13:26 ID:hB97tkMa
>>605
普通、10万人もの誤差が生じますか?
しかも自分でいい加減って認めてるし。そんなもの信用できないな。

しかもあんたの文章本当に意味わかんない・・・。特に最後のくだりが。

>虐殺を否定する資料が乏しい、虐殺そのものを否定するなって事だろ。

虐殺があったとされる資料の数はそれ以上に乏しい上、信憑性も皆無ですが何か?
607文責:名無しさん:02/04/06 13:31 ID:GHhKYnma
>>599
だから何?世界の共通認識や世界の常識では
侵略して戦争に負けた方が悪い。侵略を正当化して甘えるなヴォケ。
なんだけど?

ここらへんちょっとでも外国人とディベートすりゃ判る事だよ。
つーか、日本史なんてアジア侵略の歴史。いちいちそれを正当化してたら
いつまでもアジアからの謝罪要求終わらないんですが。

608文責:名無しさん:02/04/06 13:37 ID:GHhKYnma


>>606
普通、あれだけの証拠があるのに虐殺の存在そのものを否定できますか?
しかもその証拠は一方的に信用していないし。
虐殺がなかったとされる資料の数はそれ以上に乏しい上、信憑性も皆無ですが何か?

609文責:名無しさん:02/04/06 13:40 ID:33+7Mq9E
いきなり他人に因縁をふっかけてあれやった、賠償しろ、
と言う時は、立証責任は一方的にふっかけた方にあるのよ。

あれだけの証拠、というヤツをまだ見たことがないんだけど。
あ、捏造写真や裏づけの無い矛盾だらけの証言は、証拠と言わないよ。
610文責:名無しさん:02/04/06 13:41 ID:33+7Mq9E
あと、ディベートっていうのは、単なる口喧嘩ゲームであって、
世界の共通認識とかを導くような議論とは、まったく違うものだよ。
611文責:名無しさん:02/04/06 13:44 ID:hB97tkMa
>>607
>だから何?世界の共通認識や世界の常識では
>侵略して戦争に負けた方が悪い。侵略を正当化して甘えるなヴォケ。
>なんだけど?

勝てば何してもいいんですか?
つまり東京裁判等日本の戦争責任を追及するための裁判などは、
勝者の論理で裁かれた不公平な裁判であったということは否定しないのですね。

>つーか、日本史なんてアジア侵略の歴史。いちいちそれを正当化してたら
>いつまでもアジアからの謝罪要求終わらないんですが。

正しい歴史認識を得る=戦争を正当化しているわけではないと思いますが。
また、普通に考えればアジア諸国(中韓朝)の謝罪要求は馬鹿げてますよ。

>>608
その「あれだけの証拠」とやらを示して欲しいのですが。
612文責:名無しさん:02/04/06 13:53 ID:hB97tkMa
ID:GHhKYnmaは今必死になって、他人の文章を改造しています。
もうそろそろネタ切れか?昨日からご苦労様。
613通りすがりの装甲巡:02/04/06 14:21 ID:aATHs4Hu
>>605
ID:GHhKYnmaよ、犠牲者30万と決定してるのは中共だぞ?
そこまで言うんなら『何故30万という数字が出るのですか?』
とでも聞いてみたら?。
まあ『党の決定事項だから』としか帰ってこないけどな(藁。
614文責:名無しさん:02/04/06 14:38 ID:hB97tkMa
ID:GHhKYnmaの出没する時間帯が、==のそれと一致するのは偶然か?
615文責:名無しさん:02/04/06 14:41 ID:13noi6FK
>>614
偶然です。
ID:GHhKYnmaが来てから==があらわれていないのも偶然です。
616文責:名無しさん:02/04/06 14:42 ID:5S+WsM19
>>614
文章の雰囲気が似てるね。
「定量制」のISDNを使って、
カナ入力で書いている、多国籍企業のエンジニア・・・かな?
617下手クソな反射するなよ:02/04/06 14:48 ID:4bW2eeq1
>ここらへんちょっとでも外国人とディベートすりゃ判る事だよ。
>つーか、日本史なんてアジア侵略の歴史。いちいちそれを正当化してたら
>いつまでもアジアからの謝罪要求終わらないんですが。

何処から何処までの日本の歴史を指してアジア侵略の歴史になるんでしょう(w
まさか近代以降とか、弥生時代前だけとか言わないよね?(ゲラ

反射はただ単に相手の文をコピして書き返りゃ良いってもんじゃないんだよ。
ちゃんと文が成立してなきゃいけないんだから。

>いつまでもアジアからの謝罪要求終わらないんですが。

アジアの謝罪要求は中韓以外はとんと聞かないですねぇ。
まさかその2国だけを指してアジア諸国?他の国は無視ですか。
傲慢さもいい加減にして欲しいです。


まぁ
つーか、中国史なんてアジア侵略の歴史。
なら話通りますが。
618文責:名無しさん:02/04/06 15:14 ID:/TKBJ6mT
特集!世界一の「盆踊り大会」

この盆踊り大会はローカルに向けて告知はするものの、日本人による、日本人の為の
催しだと思っていたが大間違い。一番楽しんでいるのは現地ローカルの若者達だ。
「東京音頭」「花笠音頭」と続くうちに輪は二重、三重と広がり、見様見真似に満面
に笑みを讚えながら踊っている。彼らには日本人特有の"照れ"などない。
スタンドや周りの芝生の上で高見の見物をしている日本人とは対照的に、知らぬもの
同士が手を取り合って、この瞬間を最大限に楽しんでいる。

http://www.junmas.com/happening/bonodori.html
619文責:名無しさん:02/04/06 15:40 ID:AjEp09qP
>>607
ヴォケはお前さんだよ。
もっと本を読め。
620文責:名無しさん:02/04/06 17:06 ID:hm38rOt2
>>607
>ここらへんちょっとでも外国人とディベートすりゃ判る事だよ。

この、すぐ「外国人とは知り合い」みたいに言いたがるところが、
誰かに似てる..........。
621==:02/04/06 18:40 ID:yPvxsbCs
しばらくぶりだが、相変わらずネタは先人たちのお話ばかりだねえ。もっと
君たちの身近な親日話期待して寄ったのだが残念です。わたしの方がよっぽ
ど親日話ありますねえ。まああれだけ私の架空のプロフィールをでっちあげ
すべて撃沈されスレも盛りさがっていると思ったら相変わらず、先人達の悪行
ネタで盛りあがっていますね。やっぱ、このスレは「先人達の悪行話」にすれば?
622文責:名無しさん:02/04/06 18:44 ID:AjEp09qP
>>621
おお!ご光臨!
>やっぱ、このスレは「先人達の悪行話」にすれば?
「親日マスコミが伝えない反日の話」ってスレがすでにありますよ。

ところでSEって何してるんですか?
僕の予想だとデータベースの最適化とかやってそうな気がするんですが。
623文責:名無しさん:02/04/06 18:51 ID:hB97tkMa
>>621
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!

>まああれだけ私の架空のプロフィールをでっちあげ
>すべて撃沈されスレも盛りさがっていると思ったら相変わらず
>人達の悪行ネタで盛りあがっていますね。

都合の悪い事については狸寝入りを決め込んだお方が何をおっしゃる(w
しかも「盛り下がってると思ったら相変わらず盛り上がってる」って感じの文章は何ですか?
文章はきちんと推敲なさったほうが宜しいかと。
624==:02/04/06 18:52 ID:yPvxsbCs
>>622

ネットワーク関係です。だいぶプロフィールばらしてしまったのでかなり
絞られるので、これくらいにしておいてください。最近は昼間勤務に戻った
が一日16時間労働。帰宅時間がネットワーク先の人と同じ時もあった。
残業がつかないのが痛いね。まあ年棒制の外資たる宿命だよ。
625文責:名無しさん:02/04/06 18:54 ID:hB97tkMa
>>624
なんかすげー言い訳っぽいレス(w
626文責:名無しさん:02/04/06 18:59 ID:hB97tkMa
>>624
なんかあんたの話題が出た瞬間、突然現れたような気がするんだけど。
もしかしてずっと見てたの?(w

そういやあんた、有休とって一ヶ月ほど海外行くとか言ってなかったっけ?
627==:02/04/06 19:02 ID:yPvxsbCs
>>625

あなたの今日のスレ拝見しましたが、どうやら南京大虐殺そのものを否定して
らっしゃるようで。数の議論はよくありますがそのもの否定なさるのもかなり
洗脳されたかと思われますが...まあ又このネタになると不愉快になられる方
がたくさんいらっしゃいますから、あなた様の親日話でも伺えたら幸いですが。
628文責:名無しさん:02/04/06 19:04 ID:WHg6Ei0L
お前らあんまイジメんなよw
629文責:名無しさん:02/04/06 19:11 ID:hB97tkMa
>>627
何でそう話の方向を変えようとするかな?
今まで出た資料等から考えると、南京大虐殺という事実について、
幾多の疑問を抱くのは当然でしょう。それを洗脳されたですか?ひどい言い方だねえ。
そんなこと言うなら、あんたが南京大虐殺があったという確かな証拠を出してみてはいかが?
そして今までに出たソースに対し、きちんと反論なさったらどうなんです?
証拠も出さず、確かな反論もせず、南京大虐殺はあったなんて言うあんたの方が、よっぽど洗脳されてますよ。

>>628
了承
630文責:名無しさん:02/04/06 19:15 ID:OMK3DBXj
へー 外資系で一日16時間労働ですか。大変ですなぁ
631文責:名無しさん:02/04/06 19:19 ID:AjEp09qP
>>627
==さん、レスありがトン。
一日16時間はきつそうですね。睡眠時間とか足りてる?
20代なら体力が保てそうだけど・・・。

ところで南京大虐殺があったと信じるにいたる過程は
==さんの場合、どういうものでした?
学校で教えられたのが最初だったりとか、各種刊行物の
記述で知ったとか、いろいろあるとは思いますが。
632文責:名無しさん:02/04/06 19:30 ID:hB97tkMa
正直、ID:GHhKYnmaにもう一度ご降臨してもらいたい。
出てこないと==と同一人物って事にしちゃうぞ(w
633帰ってきました ◆T5C0sGJA :02/04/06 20:27 ID:J/VUQc+H
そもそもスレ違いなんだがなあ・・・。

5W1Hのうち、3W(南京で日本兵が1930年に(だったかな))は確定しているので
「何を」「どのように」「どうした」が問題になる。

中共が言うように「30万人の一般市民を中国の伝統的な方法で虐殺した」のなら確定 だけど、
「5万人の兵士やゲリラを戦闘行為で殺した」くらいじゃねえ・・。

だいたい、ここに日本語で書き込んでいる人で、南京大虐殺があって都合のいい人がいるの?
634文責:名無しさん:02/04/06 20:34 ID:yAyN8FP7
>>633
社民や共産のシンパの人達だよ。
彼等の活動資金はあの国から来ているからね。
635文責:名無しさん:02/04/06 20:45 ID:hB97tkMa
>>634
与党議員にも多いよな>中共シンパ。奴等は何がやりたいんだ?

なんか==が来ないみたいなんで落ち。例のコピペ誰か張ってくれるとありがたいです。
636文責:名無しさん:02/04/06 20:56 ID:kLLG+rZK
中国共産党のシンパなんて日本の政界には一人もいませんよ。
637文責:名無しさん:02/04/06 21:04 ID:YpeaAXyA
>>636
そーだね。いないよね。
中共利権の族議員はいるけどね。
638文責:名無しさん:02/04/06 21:20 ID:J/VUQc+H
639文責:名無しさん:02/04/06 21:28 ID:to6Uwbgd
>>635
合点だ!
-----
「読売新聞社と韓国日報社がアジア各国でおこなった共同世論調査」
               (1995年5月23日・読売新聞)

『日本と韓国に対してそれぞれ否定的な印象を持っている各国人の割合』

中国人         対日37.8%   対韓31.1%
インドネシア人     対日13.9%   対韓33.3%
マレーシア人      対日 2.9%   対韓33.3%
タイ人         対日21.6%   対韓61.2%
ベトナム人       対日 1.1%   対韓41.3%
640文責:名無しさん:02/04/06 21:29 ID:to6Uwbgd
もう一丁
-----
「戦後50周年アンケート」
(1995年読売新聞の世論調査)
『第2次世界大戦中に行なった行為は、今でも日本との関係の発展を妨げているか?』

妨げている
韓国     71%
中国     49%
タイ     36%
マレーシア  25%
ベトナム   13%
インドネシア 12%

日本に対して良いイメージを持っている
ベトナム   95%
マレーシア  94%
タイ     80%
インドネシア 72%
中国     53%
韓国     30%
641文責:名無しさん:02/04/06 21:31 ID:to6Uwbgd
>>632
当たっているようだなw
642文責:名無しさん:02/04/06 22:06 ID:4hruUjhh
>>624
>まあ年棒制の外資たる宿命だよ。

またでたな。×「年棒制(nembousei)」→○「年俸制(nempousei)」
濁点と半濁点の間違いは、カナ変換特有のタイプミス。
以前の「ど」と「と」すなわちDとTよりも、PとBは離れているからな。

もっとも、ハナっから「年俸」の字を正しく知らないとか、読み方を正しく知らない…とかいうのなら話は別だが、それはそれで酷い無教養。
643文責:名無しさん:02/04/06 22:23 ID:gkfoguWX
>>642
さぁ、==は困ったなw

ローマ字変換だと強弁すれば、漢字を知らないDQNになってしまう。
カナ変換だと認めれば、「外資系のSE」の看板を降ろさざるを得ない。

次の==の反応が楽しみだ。
644==:02/04/06 22:25 ID:7CzgIWTa
相変わらずくららない話しか出来ないようだね君達は。早く私が希望している
君達自身の親日ネタ待ってるんだけど。ないからって無理やり先人達の悪行
を美化する話か私の揚げ足とりばかりしないでさあ。よっぽど君達は日本に
引きこもっているだけで、海外と交流がないようだね。まあ、君達にそういう
こと期待した私が馬鹿だったよ。
645文責:名無しさん:02/04/06 22:27 ID:QPo7DK1V
揚げとられる足を提示したのはほかならぬ==なんだが、本人は一向に気にならぬ様子。
観察を続行する。
646文責:名無しさん:02/04/06 22:29 ID:rBBcfcRW
「私は天皇陛下の子であるという考えを常にわすれずこの聖業完遂に邁進する者
であるからして、子々孫々の栄誉を得るであろう」
                   朝鮮文芸界の第一人者 李光珠

「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人、英米をいまこそ撃滅せずには、子孫の発展
を望むことはできない」        朝鮮農民運動指導者 李晟喚

「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければならない。
一度決戦する以上、帝国行路の癌である敵性国家(英米)を粉砕し/新東亜建設に
邁進しなければならない」    ソウルでの決戦報告大講演会 申興雨

「英米の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。いまや
東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、いまやその骨で断固として
決起し、仇敵英米を打倒しなければならない」 普成専門学校教授 張徳秀

「正義人道の仮面を被り摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、
世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズペルト君。君は口を開けば
必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に人種差別撤廃文案(提唱者
日本)を挿入しようとしたとき、これに反対し削除したのはどこの国であり、
黒人と東洋人を差別待遇して同じ席につかせず、アフリカ大陸で奴隷狩を、
あたかも野獣狩をするがごとくをしたのはどこの国の者であったか。/
しかし、君たちの悪運は最早尽きた。・・・一億同胞・・なかんずく朝鮮半島
の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦の勇士とならんことを誓っている」
               戦後韓国の国会議員となった詩人 朱耀翰

「昔から、春秋に善戦はないといわれているが今度の戦争を善戦ー聖戦といわず
して何といえようか。・・・大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を
生かすための聖なる戦いに行くことはなんと快心事であることか。/日本国民
としての忠誠と朝鮮男児の意気を発揮して一人残らず出陣することを願う次第
である。」

                 催南善  満州建国大学教授

            以上名越二荒之助著「日韓2000年の真実」より

647文責:名無しさん:02/04/06 22:32 ID:gkfoguWX
>>644
基本的な読み書き能力の低さを指摘されても、
このように開き直れる神経は、ある意味尊敬に値するな。
648文責:名無しさん:02/04/06 22:39 ID:gkfoguWX
>>644の==は、時間的に見て>>643を読まずに書いたと推定される。
リロードして>>643を見たときの==の表情を想像してみる・・・w
649文責:名無しさん:02/04/06 22:40 ID:dURYfRLl
面白い玩具だなあ、先週の「かってに改蔵」そのまんまの世界だよ。
650文責:名無しさん:02/04/07 01:01 ID:xvU9kel/
>>597
サヨってほんと妄想癖が強いね。
日本兵が一人も不法殺人をしてない、なんて否定派は
言ってないよ。
だって、数件の殺人事件は公式記録にも載ってるんだから。
651文責:名無しさん:02/04/07 01:03 ID:xvU9kel/
>>605
あの、死者数、なんて、おおよその数字が現在では埋葬記録から
特定できるんだけど(苦笑
652文責:名無しさん:02/04/07 01:05 ID:xvU9kel/
>>608
あの、このスレちゃんと読んでますか?(笑
虐殺を証明する証拠など全然ないから、君ら苦労してるんでしょ?(笑
653文責:名無しさん:02/04/07 01:10 ID:xvU9kel/
>>608
都合の悪いカキコは無視する主義のようですけど、もう一度
聞きますね。
------------------------------------------------------------
1.徐淑希編「日本人の戦争行為」
漢口の国際問題委員会の監修のもと作成
2.徐淑希編「要約・日本人の戦争行為」
重慶の国際問題委員会の監修のもと作成
3.徐淑希編「チャイニーズ・イヤーブック」
4.徐淑希編「南京安全地帯の記録」
重慶の国際問題委員会の監修のもと作成
*徐淑希編は1938年から翌年にかけて中華民国外交部顧問を
つとめていた。

1.日本大使館宛九号文書
1937年12月17日 国際委員会が日本大使館宛に出した文書
2.日本大使館宛四十一号文書
1938年1月18日 国際委員会が日本大使館宛に出した文書
3.国際委員会委員長ジョン・ラーベの日記
王固磐丁長のラーベへの報告
4「フランクフルター・ツァイトゥンク」紙
リリー・アベック記者の南京陥落前の記事
5.南京ドイツ大使館、シャルフェンベルク事務局長の日記
「南京の状況」1月13日付
6.南京地方法院検察処敵人罪行調査報告
------------------------------------------------------------
というようなものよりも、戦後に作られた怪しげな資料や、
終戦直後にはいなかった、「証人」なるものの言の方が
信憑性が高い、とお思いですか?(笑
654文責:名無しさん:02/04/07 01:12 ID:xvU9kel/
>>627
読解力不足の方は黙っていたほうがいいですよ?
怪我する(笑)>==
655文責:名無しさん:02/04/07 01:14 ID:xvU9kel/
>>627
親日話は聞きあきたから、もっと君のつくり話しを聞きたい(笑>==
656文責:名無しさん:02/04/07 01:19 ID:xvU9kel/
>>644
先人の親日話を否定したい気持ちはわからなくはない(笑
同情するよ。>==
それにしても、君らのような**って、外人パブのお姉ちゃんが
言ってた、とか、そんなのばっかだね。
親日話の方は、すでに数で証明されてる(統計)し、その親日性
の理由は、先人の善行話で納得できたはず。
657文責:名無しさん:02/04/07 01:21 ID:Dl7RRWx0
●親日的な国を知らなかった非礼

ちょっとした調べもので、親日的な国を探してみたら、ざっと次のような国が検索
に引っかかった。・・・イラン/インド/インドネシア/ウズベキスタン/エチオピ
ア/エルサルヴァドル/エルサルバドル/オーストラリア/キルギス/ケニア/サモア
/シリア/スーダン/スリランカ/タイ/チリ/トルコ/ネパール/バキスタン/バハ
レーン/パラグアイ/パングラデッシュ/フィンランド/ブラジル/マレーシア/ミヤ
ンマー/モンゴル(あいうえお順/俗称で国名としては正式でないものもある)・・・。
もちろん他にも探せばあるのだろうが(実際私は、今回の検索で、ヨーロッパとアフ
リカについては調べ方が足りていない)、著名な親日国というと、だいたいこのよう
な国になるらしい。
で、私としては名前は聞いたことのあるところばかりだが、どんな国なのか理解出来
ていないところがあり、勉強不足を大いに恥じている。日本は、世界的には言われな
きバッシングしか受けていないと思っていた私にとっては、これらの国が引っかかって
くれたことに正直言って驚いている。
しかも政府関係の公式データなのだから信用してよいだろう。
こうなると知らなかった国について俄然勉強したくなってしまった。
少なくとも首都と著名な観光地(このあたりが志の低い証拠?)あたりから調べなくて
はならないのは言うまでもない。
でも、コロコロと国名を変えてしまう国があって、しかも旧国名なら判るが・・・と
いう国については、いきなり突っ込まれても、訳が分からなくなってしまうのは私だけ
なのだろうか。
社会に出て、国際情勢に鈍感で無関係な仕事に就いてしまうと、よほどの政変や大事故、
あるいは反日バッシング報道でもないかぎり外国の事はニュースに流れないのが現実である。
そうでない時はしょうもない芸能ニュースかスポーツニュース満開がおきまりコースである。
でも、それはある意味でとっても不幸な事なのかもしれない・・・と最近感じるようになった。
いや〜しかし、水爆作っていて、ODAの利子すら払わず、日本企業の製品の偽物を政府として
見て見ぬ振りし、なにかにつけて反日キャンペーンに余念のない国なんかに湯水のように
お金をバラまくんだったら、親日的で真面目な国にODA を実行したほうがいいと思うんだけ
ど、何かやっぱり裏があるのだろうか?

2001/07/11
mailto:[email protected]
658文責:名無しさん:02/04/07 01:23 ID:Dl7RRWx0
1999.6.1
「善意の架け橋・ポーランド魂とやまと心」

 兵藤長雄 著  (文藝春秋 1,762円+税)

 ポーランド。現代日本人には、お世辞にもそれほどなじみのある国とは
言えない。
ショパンやコペルニクスを生んだ国、ナチスと第二次大戦による悲劇、ワル
シャワ条約機構、「連帯」運動による共産圏民主化発祥の地。
一般 的日本人は、その程度の認識しか持ち合わせていないだろう。
しかし歴史をひもといてみると、以外にも我が国と不思議な縁があり、知ら
れざる強い絆がある。
そのため日本人が想像できないくらい、ポーランド人は親日的である。

 「ポーランド人は何故これほど親日的なのか」、本書はこのキーワード
にもとづいてその答えを探しているうちに、浮かび上がってきた数々の心温
まる話をまとめたものである。

 たとえば、日露戦争当時、ポーランドの英雄であるピウスツキ元帥が、時の
明治政府に対ロシア共同作戦を提言、明治政府はそれを受け入れなかったが、
ロシア軍人として従軍していたポーランド人捕虜に対する特別 待遇は、ポー
ランド人のための収容所を特別に設けて厚遇したほどだったとか、その後の
ポーランド人シベリア孤児を救う運動に、日本政府と日赤が大変な努力を行っ
たとか。

 当時の貧しかった日本人の、異国の民への真心からの行動は、読むものの
涙を誘う。
そして、忘れ去られた日本人の高尚な精神性を如実にあぶり出す。
しかし高尚な精神性をあぶり出せば出すほど、一方でそれがほとんどなくな
ってしまった、今の我が国の姿が見えてくる。
659文責:名無しさん:02/04/07 01:24 ID:Dl7RRWx0
 このような善意の物語がほとんど今の日本人に伝承されていないことは、誠
に残念である。教育現場の問題もあろうが、明治大正期の日本人は、こんなに
高尚な精神で国際活動をしていたということを、もっと次代を担う子供たちに
教えるべきではないのか。
明治以降戦前の日本が、決して暗い過去のみに塗りつぶされていたのではなく、
我々の祖先がこんなにすばらしい善意の活動をしていたことを、自信を持って
教えるべきではないのか。
本書は義務教育の課題図書とすべき価値がある。

 さて本書には、もう一つの重要な問題提起が含まれている。それは特にポー
ランドのような親日国に対して、今の日本は十分な役割を果 たしているのか、
ということである。
前書きにこんな一節がある。

 「私がポーランドに赴任してワレサ大統領に信任状を奉呈したとき、ワレサ
氏は信任 状を受け取るなり大変ショックなことを言われました。
「連帯」運動を始めたとき、最初の外国訪問国として自ら日本を選び初めて
見る日本に感動した。
だからこそ帰国して早速「ポーランドを第二の日本に!」と提唱し、ポーラン
ドが自由と独立を回復して自分が大統領に選ばれたとき、そのチャンスが来たと
思って日本に熱い期待を寄せた。
660文責:名無しさん:02/04/07 01:26 ID:Dl7RRWx0
マレーシア・マハティール首相「日本擁護演説」
■■

 もし、日本がなかったら、アメリカとヨーロッパが世界の工業国
を支配していただろう。競争相手がいないため、工業製品の価格は
高く維持され、また貧しい南側諸国の輸出する資源は、買い手が絞
られるので買いたたかれる。日本がなければ、開発途上国への投資
もなかった。南北格差は拡大するばかりであったろう。

(小学館、SAPIO、4/14号より、92.10.14、香港での欧州・東アジ
アフォーラムでの発言)
661文責:名無しさん:02/04/07 01:28 ID:Dl7RRWx0
平成11年4月20日

「今後の中央アジア諸国と日本との関係」
小池百合子・中央アジア研究所理事長(衆議院議員)
「中央アジアの現状−今何故中央アジアなのか」
  田中哲二・中央アジア研究所特別顧問(東芝常勤顧問)
(2) 親日的な中央アジア

 中央アジア諸国は親日的であるが,その理由は以下のとおりである。
まず,日本人と中央アジア人は外見が似ている。これはDNA鑑定によっても
類似が証明されている。
次に第二次大戦後,中央アジアに連行された日本人軍人(強制労働者)が
勤勉に働いた事を中央アジアの人達は覚えており,好感を持っている。
次に,日ロ戦争で大国ロシアを倒した日本へ共感を抱いている。
キルギスにおいては,日ロ戦争終結時に旗行列が行われたそうである。
次に,アジアの中の小さな国である日本が経済大国へなった事への憧れがある。
アカエフ・キルギス大統領は,「和魂洋才」をモットーにしているほどである。
最後に,当然,日本の経済援助を狙って親日的姿勢を示しているという部分もある。
http://cari.727.net/kouen/gai/gai110420.html
662文責:名無しさん:02/04/07 01:29 ID:Dl7RRWx0
http://www2.netwave.or.jp/~kamasuda/png12.html
ラバウルの親日感情

 ラバウルの空港からホテルまでの移動は、セラントラベルの一行と一緒の
バスに乗った。
 セラントラベルの添乗員は、新垣さんでラバウル大好き人間である。
 道端の人が手を振ったら必ず手を振ってくれと言う。ハローと声を掛けて
くれたら必ずハローと返してくれと言う。
これは親日感情の表れで、白人にはしない行動なのだそうである。
 実際道路を走っていると殆どの人が手を振り、こちらが手を振ると、手を
振っていなかった人もみんなで手を振り返してくる。
 花を手に持ち、バスが止まると窓から花を投げ込む人も居た。
 まるで凱旋将軍が歓迎を受けているような気分である。
 何故このように日本人を歓迎するのかとの問いには、白人やパプアニューギニア
政府は、ラバウルのために何もしてくれない。
日本は、ラバウルのためにとても良くしてくれる。
と、お祖父さん が言っていた。と、答えるそうである。
 実際の話、現在ある道路の殆どは、日本軍が作ったものだと言うし、戦後の
日本も空港、病院、学校などにも援助しているそうである。
663文責:名無しさん:02/04/07 01:31 ID:Dl7RRWx0
<支那人の死因区分け>

1.陥落前、支那の官憲は、掠奪に走った暴徒を見せしめに銃殺していた。
2.陥落前、支那軍は、下関の南京駅のプラットホームに、二千人の負傷者
 と、多くの戦死兵を放置していた。
3.陥落前、城門の攻防戦で、多くの支那兵が戦死していた。
 例えば、南門の前は「死屍累々」であった。
4.陥落直前、支那軍督戦隊は、例えば「李宗仁回憶録」が記す北門で、
 逃げようとする支那兵を射殺して「多数の死傷者」を出していた。
5.陥落直前、支那兵は城壁から、脱出しようとして墜落死したり、北門に
 殺到し、踏みつけあって圧死していた。
6.陥落直前、城内北部の野戦病院(外交部)に行こうとしながら、多くの
 支那兵が、外交部の前でこときれていた。
7.陥落後、反抗的な支那兵は日本軍より処刑されていた。
664通りすがりの装甲巡:02/04/07 01:40 ID:jzATTsuH
そもそもこう言う親日話聞いて『誇らしいと思う“だけ”』の人って
どの位いる?。
儂なんかはこういう話聞くと、誇らしいと思う反面
思いっきり今の日本の状況と比べてそれこそ
『ヘタレになってスンません!』とアジアに謝罪したくなるもんだが・・・。
>==とかID:GHhKYnmaとか(取り合えず分けておこう(藁 )って
そういう考えは出来んものなのか?。
665文責:名無しさん:02/04/07 01:58 ID:1IQUMvzm
しかし。。。ネットワーク関係のSEと言っただけで企業が特定できてしまう
国って。。。。


やっぱりバチカン市国か?(w
他の国じゃ、まず考えられないぞ。
666文責:名無しさん:02/04/07 02:50 ID:1jWoU5w6
==に質問。

スリッパはどこで買っている?

667地球市民@ ◆sj4EGwIQ :02/04/07 05:37 ID:N4M9yGUr
>>665
まぁまぁ>>229で書いたような、某F社関連の人間でも某F社系の課長になれます。
だから、そんなに疑っちゃ悪いですよ。

どうしているかなF○○のS木さん。
668文責:名無しさん:02/04/07 05:39 ID:vdTgWEdn
やりたい放題の中国・韓国・北朝鮮に怒り心頭の皆さん、
日本の良心、ニュース極東板に投票しませんか。 4月7日午後11時まで投票できます。
ニュース極東板有志でHPも作りました。ぜひご覧下さい。
http://gomushi.tripod.co.jp/

公式ページ・トーナメント表
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/2697/2ch.htm
投票用スレ
http://ton.2ch.net/test/read.cgi/gline/1018104926/
ニュース極東板の良スレの数々があなたを待っています。

なんとかしなければ、どういう活動をしていこうか?2
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1017132769/l50
JCA.APC.ORGを暴く
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1014037876/l50
【日馬】マレーシアと友好を深めるスレ.参【友好】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1017401563/l50
日本萌国主義
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1013235298/l50
◆■●朝鮮コピペ集●■◆
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1013278791/l50
傑作■ムルデカ1月25日レンタル開始■実話
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1010405951/l50
反日W杯サイトwww.2002japanworldcup.com怒涛の大反撃
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1006870018/l50
669噂のオナニースレは此処ですか?:02/04/07 07:40 ID:z7dH46x0

不景気になるとナショナリズムにすがりつく奴が多くて嫌だね(ワラ

大方どこかの思想団体が宣伝してるんだろうな、嫌だ嫌だ(ワラ



670文責:名無しさん:02/04/07 09:27 ID:UInJ4jA6
そうだね。
不景気になると人間、自分の身の丈というか自分自身について真摯に考えるようになるよね。
そして自分が拠って立っているものに目を向けるようになるね。
671==:02/04/07 14:46 ID:2KOU+S3x
>>665

あれだけプロフィール等書いて、バチカンとしか推定できないあなたはよっぽど
無知なようですね。あの国に企業があるなんて聞いたこともありませんよ。

自称公安警察の地球市民さん。多少はITの知識がおありのようですがこの方の
プロフィールを皆で議論したほうが面白そうですが皆さんどうですか?
672文責:名無しさん:02/04/07 14:54 ID:qkTO5Hct
>>669

そうやって問題を矮小化・単純化するやつは痛いな。

自分の国の経済的・政治的危機に面して、問題点を点検してみたら
今まで政治的に利用され続けてきた議題に真実でないものが
多数混じっていたことに気付き始めただけ。

今後日本経済が好転しても(実際好転すると思うが)、
日本人の精神的覚醒は元に戻せないぜ。

673==:02/04/07 15:02 ID:2KOU+S3x
南京大虐殺の犠牲者の数の問題において色々意見があるのは俺は
別にかまわない。しかし、一方的にソースが中共だからとかいう
理由で信憑性がないとはいわせない。

http://www.palf.co.jp/~yukio/nanking.htm

ここを見て感想を伺いたい。
674文責:名無しさん
20万人だの30万人だのという大量の人が殺されたってのに、その証拠と
なる写真・8ミリフィルムがない(東京裁判でも一つも提出されなかっ
た)とはねえ。白人ジャーナリストは余程やる気がなかったんだね。
そうそう、撮影が規制されようとも、隠し撮りはできたはずだよね。
南京市内の病院内を写した8ミリは見つかってるよ。ニュース23で放送
してたよ。