『原日記』文春も新潮も完全無視 ざまーみろっ!

このエントリーをはてなブックマークに追加
16710/20産経朝刊1
先月アメリカで同時多発テロが起きたとき、社民党のある若い女性代議士
が、自分のホームページに、「これはアメリカ外交の失敗だ、世界にはざま
ー見ろと思っている国だってあるだろう」と記して物議を醸し、あわてて取り
消したと伝えられた。

 ハイジャックした航空機をそのまま高層ビルに激突させ、瞬時に数千人も
殺害するような凶行を前にしては、ここまでのことをする者たちへの驚きと
怒りで、思わず言葉を失うというのが、通常の道徳的感性を備えた人々の
反応であろう。ところが、この女性代議士の場合、こうした普通の人々の心
に起きる反応にまさって、「ざまー見ろ」と思う人々がいるということの方に
心を牽(ひ)かれたのである。ある意味では、この人の言う通りではあろう。
168:01/10/20 13:09 ID:58D/3yhd
実際、事件の直後、中東のどこかの街で小躍りしている人々の姿がテレビに
映されていた。この女性代議士は、こうした人々の側に直ちに共感できるよ
うな体験をしたのかもしれないが、仮にそうだとすれば、その発言には、そ
れなりの信念が伴うはずである。にもかかわらず、非難されると取り消した
のだから、それほど確信的な共感があったわけでもなさそうである。《特定
の観念・理屈を優先》

 確かに、日本を含め世界各地の反米感情にそれなりの根拠があることは
事実である。しかし、通常の日本人は、同胞も二十数人以上が犠牲者にな
った今回のような未曾有のテロを前にして、これに対する素朴な憤りを覚え
るより、むしろアメリカ側の欠陥を指摘したくなるほどに実感的根拠を備えた
反米感情を抱いているだろうか。

 おそらく、この女性代議士の場合も、彼女が所属する政党の人々に共通
する「強国アメリカがアラブの弱者をいじめている」という程度の反米感情、
というより観念ないし理屈が頭にあって、もっぱらそれに感性が支配されて
、先程のような言葉を口走ったのではなかろうか。
1693:01/10/20 13:10 ID:58D/3yhd
要するに思慮のない無神経な発言ということだが、しかし、ここには、この代
議士に留まらず、今日の一部の日本人の心性に潜むある傾向が浮かび上
がっているように思われる。すなわち、ある特定の観念や理屈に心が奪わ
れて、眼前の事実に対して自然に反応すべき道徳的感性が鈍磨してしまう
という傾向である。

 こうした例は枚挙に遑(いとま)がない。たとえば、多数の日本人が北朝鮮に
よって拉致(らち)されているにもかかわらず、政府は「友好」の見地からコメ援
助を重ねているし、昨年の南北首脳会談に際して、一部マスメディアは、北
朝鮮の行動を「平和」への動きとしてひたすら歓迎ムードで報道した。罪も
ない人々が拉致されたままという厳然たる事実よりも、「友好」や「平和」とい
うイメージの方が大事らしいのである。《培われる「偽の道徳意識」》

 あるいは、中学生が読む歴史教科書に、戦地という異常な状況下での性
に関わる事項である「従軍」慰安婦の記述があることに対しては、歴史観を
云々(うんぬん)する前に、教育的見地さらには道徳的見地からの違和感が
抱かれて当然ではなかろうか。にもかかわらず、一部の人々においては、
日本の「戦争責任」を追及することがすべてに優先するらしいのである。
1704:01/10/20 13:11 ID:58D/3yhd
また、行きずりの母子を理由もなく刺殺した少年について実名報道したルポ
ライターや出版社に対して、加害者の「人権」を侵したとして大規模な弁護団
が組織されて訴訟が提起されたりする。要するに、事件全体の印象やそれ
への直接的な評価よりも、「人権」という観念に立つことが何よりも大切なの
である。

 興味深いのは、これらの「友好」、「平和」、「戦争責任」、「人権」といった
観念は、「戦後平和主義」とでも称しうる思想を構成し、上に引いたそれぞれ
の例で登場する人々や集団は重なり合っていて、この思想を共有している
ことである。むろん、右に挙げた観念自体には重要な意義を持つものが多
い。しかし、問題なのは、こうした観念に立ちさえすれば道徳的であるといっ
た「偽の道徳意識」が培われ、通常人の素朴な道徳的反応が抑圧されてし
まうことである。

 今回のテロ事件に関しても、その凶行への評価は曖昧なまま、ひたすら軍
事行動に反対していれば、「平和」を願う善意の証(あかし)になるという自己欺
瞞が生じている。むろん、通常人の道徳的感性だけですべてが解決するわ
けではないが、そもそもはじめから率直な道徳的反応を伴わない言動はや
はり人間性の荒廃のあらわれなのである。