メモ帳代わり…(⌒〜⌒ι)

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難民だって(補足)
■ネズかあさんとネズコ■

644 名前: 名無し草 [sage] 投稿日: 2007/04/25(水) 13:21:45
>>640
><ネズかあさんとネズコ>も、相手が雅子さんにとって、肩をもんだり、おつかいや
>手伝いを進んで行うほどの仲良しだった、という部分が切り取られている。
まあ北米2課にいる女性もそう多くはなかったろうから、親しくもなるだろうけれど
この上田奈生子さんがアメリカ勤務から帰って北米二課に配属されたのは1992年(日米建設交渉担当)だから
雅子さんが宮内庁から皇太子妃にと打診された頃で、ずっと長く職場が一緒だったわけでもない。
「ネズかあさん・ネズ子」のエピは本人自身が取材に答えている。

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上田奈生子さんと雅子妃との付き合いは1992年からではない。
本人が答えている。
1987年4月の入省時から友人になり、それからずっと交友を続けていた。
そして皇太子妃となったあとも友情が続いている。

「おめでとう皇太子さま雅子さま」
敬宮さま誕生記念写真集 新世紀の皇室

上田奈生子さんの寄稿(一部抜粋)
34:2007/07/08(日) 18:00:23
雅子さまへの手紙――新しい時代の皇室像(抜粋)1/2

外務省の新入省員歓迎会で初めて目が合った時から、雅子さまは私をかけがえ
のない友人として迎え入れて下さいました。(略)
入省一年後、外務省の研修のため初めてのアメリカ留学で慣れない毎日を送る
私に、イギリスで猛勉強中の雅子さまから届いた絵葉書が、元気をくれました。
冬休みには、スキー初心者の私をアルプスでのスキーに誘ってくださり、結局
行けなかったけれども、そのお誘いがむしょうに嬉しかったことを思い出しま
す。
研修後雅子さまは帰国なさり、北米二課勤務で不眠不休の毎日。どんなにか疲
れていらしたでしょうに、アメリカ出張の週末、ニューヨークの私のアパート
まで駆けつけて下さいましたね。あの時のカレーの味、そして、共に食事した
雅子さまの大学時代のルームメート、ジージーの紅潮した顔が忘れられません。
その後私も帰国し、北米二課へ。晴れて同僚となった一九九二年の春、「残業
は労働者の権利侵害」と息巻く私の横で、雅子さまは、タフな交渉力と知的集
中力を要する困難なお仕事を黙々とこなしていらっしゃいました。気がつけば
いつも午前二時過ぎ。でも、雅子さまは愚痴をこぼされませんでした。お疲れ
をおして、車で私を自宅まで送って下さったこともありました。そして朝まで
語り明かしましたね。ちらかったうちの台所で。
35:2007/07/08(日) 18:00:58
雅子さまへの手紙――新しい時代の皇室像(抜粋)2/2

あのころ、週末にご一緒した茶道、ミュージカル、コンサート、プール、テニ
ス、そして雅子さまの同窓の方々との集いなどを、懐かしく思い出します。送
り迎えはいつも雅子さまの愛車でしたね。思い出の北海道旅行も、運転は雅子
さまでした。私は助手席で歌を歌うだけ。思えば、私はいつも雅子さまから受
けるばかりでした。
冬の週末、雅子さまが作って下さった夜ご飯の味は、一生忘れられません。雅
子さまの人生の岐路に立ち会える器ではなかった私に、雅子さまはそれでも深
い友情を注いで下さいました。(略)
雅子さまは、ご公務の合間を縫って、母の日や父の日などの特別な日には、両
陛下、そしてご両親のためにお菓子を焼かれることもよくありました。一生懸
命に、心を込めて。
雅子さまがアフリカに赴任する私を励ますために優しく手を繋いで下さったと
き、一時帰国した私を元気づけるためにお袋の味のおいしいご馳走でもてなし
て下さったとき、そして、再度の一時帰国を終えてジンバブエに戻る直前の私
を勇気づけるため、別れ際にぎゅっと肩を抱きしめて下さったとき私は人の心
を動かす篤い友情とは何かを、身をもって知る思いがしました。