【学歴詐称】新田ヒカル70【セミナー失敗でスレアラシ】

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57名無しさん@お金いっぱい。
私はアンチの誹謗中傷に心を痛め、ファンとして本当に悲しい思いをしています。
もうやめてください。新田さんは正義を貫き、私たちに光をもたらしてくださる方です。
聖書にもそれを暗示するこんな記述がありました。

新田を耕し正義の種を蒔け

ホセア10章 

1〜15節 イスラエルに対する審判

1節「イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい。
実を結ぶにつれて、祭壇を増し、国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた」。
この歴史的背景として列王記下14章にあるヤラベアム二世の治世(紀元前787〜747年)が示される。
国は繁栄し領土は拡大したが政治的不正と偶像礼拝は一層甚だしくなった。
「伸び放題のぶどうの木」とはそのことである。

  
2節「彼らの偽る心は、今や罰せられる。主は彼らの祭壇を打ち砕き、聖なる柱を倒される」。過去を回顧し、それを遠因として神の審判が示される。 
神はべト・アベン(ベテルのこと)の高台にある偶像の祭壇を破壊される(5〜6節)。
  
9節「イスラエルよ、ギブアの日々以来お前は罪を犯し続けている」。
再度ギブアの罪が取り上げられる(9章9節=士師記19章 cf)。

10節「いや、わたしは必ず彼らを懲らしめる。…二つの悪のゆえに彼らを捕える」。
二つの罪とは、ギブアでの不義と、ベテルの偶像礼拝である。

11節「イスラエルは飼い馴らされた雌の子牛…エフライムに働く支度をさせよう。ユダは耕し、ヤコブは鋤を引く」。
これは理想的なイスラエルがイメージされている。

12節「恵みの業(ツェダカー)をもたらす種を蒔け、愛(ヘセド)の実りを刈り入れよ。
新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて、恵みの雨を注いでくださるように」。
口語訳「あなたがたは自分のために正義をまき、慈しみの実を刈り取り、あなたがたの新田を耕せ。
今は主を求むべき時である。主は来て救いを雨のように、あなたがたに降りそそがれる」。
悔改めを促す招きの言葉である。正義(ツェダカー)と慈しみ(ヘセド)は、繰り返し預言者が語り告げる神の聖意である。

13節「ところがお前たちは悪を耕し、不正を刈り入れ、欺きの実を食べた。
自分の力と勇士の数を頼りにしたのだ」。
然し、民はこれに応えないで、悪を耕し、不正を刈りいれているので、神の審判が下るという(14〜15節)。
 
エレミヤ4章3節にも「新田を耕せ、いばらの中に種をまくな」とある。
新田とは荒地であり、雑草を抜きとり石を取り除いて耕すことは容易ではない。
しかしそこから新しい種を蒔き、豊かな収穫を期待する。
そのような状景が浮かんでくる。

正義の種を蒔き、恵みの雨が注がれ、慈愛の稔りが与えられるのである。