匿名での批判が卑怯であるというのは「常識」である。
新聞の投書欄でも、本人のプライヴァシーにかかわるもの以外は、実名になっている。
他人を批判するからには、もし実名でするのは嫌だ、というのであれば、公共の場で発言するのを控えるべきである。
こういうのは「なぜいじめをしてはいけないのか」というくらいの愚論である。
もちろん、世の中には、イスラム教を信奉しない者、ムハンマドを冒涜する者は殺害する、という者らがいる。
だから「匿名で批判して何が悪い」というのは、それと同じなのである。
国立大学教授は、かつて国家公務員であった。
国家に対する批判は、匿名でも許される。
何でそれが理解できないのであろうか。
また、大学教員は、大学から給料をもらい身分を保護されているから、匿名で批判されても黙殺すればよろしい。
フリーの文筆家は、そうはいかない。
簡単なことなのに、なんで理解できないのか、頭が悪いのではないか。
「反論すればいい」というのは、では乙川が林道義を罵った件はどうなるのであろうか。
私は当事者ではないわけだし。
この人には、他人が他人に暴力を加えているのを黙過できない、という感覚がないのであろうか。
現にあそこに書いた後輩の某君にしても、私を罵っていたわけではない。
もう少し頭のいいやつ、出てこいや。
川上未映子の小説『ヘヴン』に、いじめをして何が悪いか、と開き直る少年が出てくるが、深沢が言っているのはそれと同じだ。
もし批判される人に、匿名がいいか実名がいいかと訊いたら、普通は実名のほうがいい、と言うだろう。
不快なのだよ。