574 名前: 33 [sage] 投稿日: 2005/12/04(日) 12:02:02 ID:pljR3E7d
昨日まではコテハンの33で名乗っていましたが、
あまり目立ちたくない存在でいたいので、今日のこのレス以降は
名無しの「山師さん」で通させて頂きます、御容赦下さい!
でも、本文の冒頭で「33です」と書いて、皆様に判る様にしておきます。
先ず、
543で、あのバブルのA級戦犯が当時の澄田総裁とのレスがありましたが、
確かにバブル真っ只中の当時の総裁は澄田氏でしたが・・・・
正確に言えば、あのバブルに繋がる「内需拡大策」「円高政策」のベースになったのは
澄田総裁の前任24代総裁前川氏が退任後政府への諮問資料として提出した所謂「前川レポート」です。
前川春夫氏がまとめた膨大な「前川レポート」が、あの株価押し上げのベースになったのです。
そして、澄田氏の後任の26代総裁三重野氏による
短期金利の高め誘導、何度もの公定歩合の引き上げ、資金の総量規制が
徐々に市場に効いて来て、それがバブル崩壊後の長い不況をもたらしたのです。
三重野氏は、「バブル退治の鬼平」として当時の多くの庶民から喝采を受け
当時はその手腕も高く評価されていたのです。
当然ですね。多くの庶民にとっては不動産の気の遠くなる様な高騰によって
自分の持ち家の夢も奪われていたのですから。
その彼等の絶大な支持が三重野氏の金融引き締め政策を後押したのです。
当時は”バブルの崩壊”自体も、バブルに取り残された多くの庶民によって、絶大な支持を受たのです。