です
貴方は仕事ができませんね。なにゆえに重複させてしまったのでしょうか?
冷やかしばかりではなくもう少し落ち着いて、しっかりと地面を踏みしめて生きたほうがいいと思います。
スレッドの重複で済んだからいいものの、刺身舟盛りの重複となれば経営にあたえるダメージになりかねません。
今回は初めてのことなので仕方ないですが、このようなミスは極力なくしていくべきです。
仕事もしないで家で箱の前で冷やかしてばかりいるのも大概にすべきですし、オーダーミスも今回限りにしていただきたいものです。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 15:14:38.45 ID:XgSZXnaU0
はあ
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以上、終了。
「強欲」、過度に求める貪の心、だがこれも「なるべく多く確保しておき安心を得たい」という「恐怖」を根底に意識して生まれるもの
「強欲」のみならず、「傲慢」「嫉妬」「憤怒」は自らを「社会的」に守る為、
「色欲」「暴食」は自ら(の遺伝子)を「身体的」に守る為(色欲については庇護者や安心感を得る為一部社会的)の「防衛機構」であり、
七つの大罪の内これら六つ(とついでに仏教の三毒の内の貪と瞋の二つ)は、その根底にあるのは「恐怖」である。
「怠惰」のみ、唯一「能動」から離れた感情である
しかし、これも睡眠に近く過度に身体を稼働させる事を防ぎ身体の劣化を防ぐ為の防衛機構であるのだが、
どうにも能動で無い為か、自分の中では「恐怖」が根底にあるようには感じられない
元々七つの大罪も聖書には記述の無い後付けであり、人の原罪も帰依させる為に後にできた「こじつけ」に過ぎない為、
この分類を当てにする事はないのだが
しかし、さして激しく無い代わりに「しつこさ」と「重さ」とでも言うべき鈍く深い感情と思考の占有力は、強さのベクトルが違うが嫉妬心並みに強く、
また、他の能動的感情を抑える際に使う事のある感情である故に「怠惰」自体を抑える事が難しい為、
最も私の人生を翻弄し続け、今後も翻弄され続けるだろう感情である
ある意味、自分にとっての道標的な感情とも言えるのだが
そして他の感情よりも強く、「喜び」ではなく「安心」に強く依存する感情である
「怠惰」は「飽き」と密接に関係があるが、
「飽き」は、「欲望の暴走」を助長させる効果がある
「欲による充足」が「飽き」によりこれまでの手段では達成できなくなった時、
欲は別の手段を求めて変化したり、更に過激になったりする
「怠惰」は欲が「飽きた」手段に付与されるものである。
飽きっぽければ飽きっぽいほど、人は欲を達する手段を変え過激さを増し、
「怠惰」を感じる領域が増えていく
欲の対象と手段がめまぐるしく変化すれば人は多くを消費し、それにより支えられた大量消費の資本主義経済である
「資本主義」を止める手段として「欲の暴走」を止める事がよく言われるが、
それよりむしろその裏の「怠惰」をなんとかした方が、「怠惰の領域」を「欲の領域」に取り戻す方が成果があるんじゃないだろうかと考えたのだが、
その具体的手法も思いつかなければ、今の自分の感覚的に探っても途方が無かった
生活様式を変えて、昔の人のように限られた生活でも満足できる生活や心を、ぐらいだろうか
自らの思考形態について考えたのだが、私は根がクズなせいなのか、
厳密に正確にするよりも、適当に調べ考えた方がよく物事を理解、吸収でき、閃きが湧く。
それもより適当であればあるほどその傾向は強く、逆に、厳密さや正確さを自分の中で求めれば求めるほど、
自分の記憶力も理解力も思考も回転しなくなり、遂にはゲシュタルト崩壊に近いような意味を為さない単純な思考のループに陥ってしまう
このせいで自分の知性はかなり偏ったものになっているのだが、これも一種の「怠惰」なのだろうか
厳密さ、正確さ以上に私の思考を鈍らせるのは「必要性」である
「必要性」の前に、私は思考を走らせる事がし難い
例えそれを考えなければ自分が大恥をかき人の怒りを買い痛い目を見る事になったとしてもである。
これが、私が「怠惰」が恐怖が根元にあるとは思えない自分の中の感覚の根拠の一つであったのだろう
これだけではないが
改めて考え直すと確かに恐怖、というより強いストレス下では多くの欲望や本能の働きが顕著になる傾向があるが、
しかし平時湧くこれら欲望や情動が恐怖を根底に出現しているかというとそうでもないな
「恐怖」は、恐怖に飲み込まれる事を防ぐ為にこれら感情を過剰にして「暴走」する事を助長するが、
これら感情「そのもの」自体は、「恐怖」が根元とは言いきれないか
そもそもこれ等感情が元は何か別の感情「根元的感情」から変換されて発現したものだとしても、
もはやそれを認識できない、又はし難い程度には「独立」した感情として脳に「固定」されているのだから、根源感情を感覚から探る事は上手いやり方ではないか
そして、よくよく考え直せば上記の理屈では人の行動とそれを起こす為の感情や本能は全て自己の保存と拡大の為の行動と解釈出来るから、
「自己の保存と拡大」を根底に置いているならば全てそれを達成できない事を防ぐ為の「恐怖」から来たもので説明出来てしまうではないか
「怠惰」にしても、恐怖があるのにそれに構わず出現すると書いたが、
自分の場合、恐怖に苛まれたり焦っている場面程「怠惰」が強くあらわれるという事は、
逆に恐怖の克服の選択手段として「怠惰」が強く出ているとも解釈できる訳で、
「怠惰」もまた恐怖を意識して生まれた恐怖を根源とした感情と解釈出来てしまうではないか
まあ、どういう解釈だろうとも、もはやギリギリまで追い込まれても底力を出して乗り切る事さえままならなくなったほど、
恥や苦痛や恐怖を受け入れざるを得ないほど私の中で強力になった「怠惰」をどうにか出来る訳でもないが
平和な時に強力に作用し、人が乱れて堕ちる遠因となる「陰の原因」とも言える「怠惰」と「飽き」をどう処理すればよいかという事は、
かなり重要な課題であるだろう
何でもかんでも恐怖根源の感情と解釈出来る為、
>>5のような根源感情による分類や議論は意味をなさない
何が恐怖根源で何がそうじゃないのかは、どの様にでも取れるという訳でもないが、かなり恣意的に自由に解釈を操作出来る曖昧なものであり、
その議論が正解であるかどうかの判定が出来ない、またはし難いものである。
10 :
島本町で凄惨なイジメを受けて廃人になった方へ:
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>島本町って町は暴力とイジメと口裏合わせと口封じと泣き寝入りの町なんだなあ
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
暴力とイジメの町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・ いじめっ子・殺人鬼・ダニ・
ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ