僕にしては大変珍しいことに、来週にテストが控えている古典の勉強をしようと思い立った。
机の上に筆記用具とテキストを広げ、参考書を傍らに置く。
テスト範囲の最初のページを開く。
目に飛び込んでくるページの余白をびっしりと埋めた落書き。
当然のように本文の意味は綺麗さっぱり記憶にございません。
すかさず参考書を開く。
開いた参考書のコラムを読む。
余計な知識? これもまた立派な勉強ですよ!
索引を開き、次のコラムのページを探す。開く。読む。探す。開く。読む。探す……
不思議な事に参考書から目を上げた僕の目に映る時計の針は既に就寝時刻を示していた。
「間違って勉強をしようとしただけでも十分すごい事だ」
腕組みをして鹿爪らしい顔。誰に聞かせるわけでもない言い訳。
切り替えの早さだけは僕が誇れる唯一の美点だ。ほら、現に……
鹿爪らしい顔は大欠伸に一瞬で切り替わり、僕は手早く勉強道具を片付けると、迷いのない足取りで洗面所に直行する。歯を磨いて戻ってきたら素早く服を脱いでパジャマに着替えた。
パソコンデスクの前に座り、就寝前のメールチェック。ぴこん、と言う電子音が新着メールの存在を告げる。
「えーと……なになに……」
《リベンジなのデス!》
フハハハハ、デス!
クンプー香る5月、兄チャマくんはいかがお過ごしデスか?
私はご存知、怪盗クローバー!
この前は見事、このクローバーの暗号を解き明かしてくれマシタね!
やっぱり兄チャマはスゴイの……♥
コホン、と、とにかく、あれしきの暗号を解いたぐらいで調子に乗られては困るのデス!
クローバーの華麗なるリベンジの始まりよ!
今回もクローバーは、可愛い四葉ちゃんからの伝言を預かっていマス!
それをこのクローバーの灰色の脳細胞が見事に暗号化しマシタ!
はぁ……今回はさすがに苦労したデス……
はっ!? な、なんでもないデス!
それでは今回も兄チャマくんの推理力に挑戦よ!
――真実に近づきたいのなら、
虹の輝きに思いを馳せよ。
――真相を突き止めたいのなら、
虹の彩りに願いをかけよ。
――真理を極めようとするなら、
その想い、虹を越えてゆけ。
罪と罰を重ねつつ、猶も人の世は終わりを見せず、
悲しみ知る迄もなく、情けと愛で何を救うのか?
空には嘘ばかり逆巻く、禍々しき呪詛と迷い。
貴方は生きている、例えまもなく日も翳り冬が来て、
その怒れる猛吹雪を身に受けて雄々しく立っている。
伸ばした手に掴まり、涙して、でも君は諦めない。
やがて朝は来る。手に抱く温もり、笑いたい鐘の音。
クフフフフゥ! どうデスか!?
クローバー入魂の今回の暗号はなかなか手強いデショウ?
兄チャマくんの健闘を祈っているよ!
それでは、さらば、デス!
……送信者“四葉”
ふふっ、と僕の口から微苦笑が漏れる。
だが笑ってばかりもいられない。今度の暗号は確かにこの前よりも手強そうだ。
ふと、気がつくとメールには添付ファイルが添えられていた。
……またパソコンがフリーズしたりしないだろうな……。
ともあれ、何かのヒントになるかもしれない。多少警戒しながらも、それを開いてみる。どうやら圧縮ファイルらしい。
解凍するとMP3ファイルが出てきた。なんだ……?
恐る恐るクリック。
「Somewhere Over the Rainbow way up high〜
There's a land that I heard of once in a lullaby〜♪」
……立ちあがったメディアプレーヤーから四葉の舌っ足らずな可愛い歌声が流れ出し、僕の部屋に満ちる。ああもう、可愛いなあ、四葉。
ともあれ、なんとなく分かってきた。僕は先程仕舞った筆記用具を再び取り出す。勉強よりずっと真剣な面持ちで紙に鉛筆を走らせる。
どうやら今回の暗号文は、前段の文章をヒント=キーとして後半の暗号文本体を解く必要があるようだ。
キーワードは“虹”
前段でくどいほど繰り返される言葉、さらには駄目押しのようについてきた四葉の歌声からもそれは間違いが無いだろう。
問題は……それをどう当てはめるか……。
僕の視線は暗号文の本体に移る。
この前とは違って見た感じ各行の文字数にそんなに差はなさそうだ。取りあえず、ひらがなに分解して句読点を除いてみようか……
おや……ははん、そうか! だとしたら……成程……