ネット中毒は人間をダメにする。
この5年間で学んだことはこれだけ。
振り返ることで生まれ変わりたい…
もっとも、変われるならとっくに変わってるが…(´・ω・`)
<1999年春>
めでたく地方の某駅弁大学入学。
ここまでは一浪してるものの順風満帆の人生だった。
これからもそれは続くと信じていた。
そんな希望を胸に始まった一人暮らしの学生生活。
このころはサークルに入って友達もでき、大学生活を満喫していた。
授業も真面目に出席して順調そのものである。
このころの楽しみは学校のパソコンで昼休みにするインターネット。
はじめて触れるパソコン含め、ネットの世界は魅力的だった。
まさかネットで、人生の限られた時間を無駄に費やすことになるとは思わなかった…
<1999年夏>
突如、体に異変が起こる。
1ヶ月ほど入院。
退院するも気分が滅入って(運動系だったから)サークルをやめてしまう。
ちょくちょくと授業をサボってネットをするようにもなる。
思えば、このころからネット中毒の症状が出ていたのかもしれない…
それでも、楽しんでゲームで遊んだりと気楽なものだった。
<1999年秋>
このころはゲームばっかり。
サークルをやめて友達がいなかったが、それはそれで身軽である。
ひたすらゲームを楽しむ。素直にゲームがいっぱいできるのが楽しかった。
後期の前半は比較的真面目に授業に出た。
「これで入院の分はカバーできるだろう」
しかし、パソコンを購入することで何もかもが狂ってしまうことに気付くよしもなかった…
<1999年冬>
念願のパソコンを購入!
自宅でネットができることに興奮しきりだ。
さっそく俺はテレホーダイ(※)とタイムプラス(※)に加入。ネット体制は万全だ。
最初の頃は規則正しく1時間くらいで切り上げていたが
だんだんと夜更かしをするようになる。
IRCで友達とチャットするのが楽しくて、なかなか回線が切れない。
孤独が気楽だと言いつつ、仲間との連帯感が妙に心地よかった。
長い孤独の期間が余計にそうさせたのかもしれない…
このころからサボりが目立つようになる。
なぜかパソオタの友人ができたりもした。類は友を呼ぶ…
(※)
テレホーダイとは指定の市内局番を23〜8時に限って通話代無料にするサービス。
タイムプラスは市内局番が割安になるサービス。
ダイアルアップが主流の時代、ネットをする人の多くがこれらを利用していた。
<2000年1月〜3月>
今までの健全(?)なネット生活が悪友によって崩れてしまう。
俺「これ欲しいんだよなぁ、でも高いし…」
「あぁ、そのソフトなら落としたよ。」
俺「落とす?なんだそりゃ」
「アプリはネットのそういうサイトにいきゃ、タダで手に入るんだよ?」
俺「へぇ…」
ここまでなら、「へぇ」で終わっていた。欲しいといっても、それほどではなかったし…
その後、彼の家で見たものがマズかった。
なんとファミコンやスーファミがパソコンで動いている!!
それから「エミュレータ」なるものに、俺の心は完全に奪われてしまった。
アングラ系のサイトに足を踏み入れ、その怪しい雰囲気にも酔いつつ
サイトを回っていく。「街の灯」や「カルトブックマーク」だったか、
リンク集から色々と飛んでいくも肝心のROMはなかなか拾えない。
見つけた!と思ってもクリックしたらブラウザに「×」の表示。
単なる偽装拡張子なのだが、パソコン初心者の俺には何が何やら
さっぱり分からない。でも執念で、右クリックで対象に保存して拡張子を
変更することに成功!朝日がさす中、はじめて自分のパソコン上で起動した
スーパーマリオを見た感動は忘れないだろう…
後期の成績。おそらく10単位も取れてなかった。
来期から頑張ればカバーできる!と盲信していた。
<2000年4月〜9月>
振り返るのも嫌な時期。
このころはアングラに一番入り浸っていた。
とにかくROMを集めることに熱中していて、昼に繋ぐことなんて日常茶飯事。
当時は全盛だったリク&アップ掲示板を総チェックしてIriaにURLを
登録する作業を延々と繰り返していた。
しかし、それだけでは限界を感じた俺はとんでもない行動に出る…
それはOFF交換…
詳しくは書けないが、これでCD10枚分くらいのROMを入手したのだ。
今思えば、本当に恐ろしいことをした…
それだけでは集めきることはできなかったものがある。
それはスーパーファミコンの一部のイメージだ。
「禁止物」と聞いてピンと来る人もいるのかもしれない。
とにかく、どうしても欲しかった俺はまたまたとんでもない行動に…
なんとアングラ系のサイトを海外のフリースペースに開設したのだ。
これによって他のサイトの管理人との繋がりを得て、
晴れて目標を達成したのだった。
学校にはほとんど行ってなかった。いわゆるヒキコモリ。
下らない数メガのデータのために掛替えの無い時間を失ってしまった…
<2000年10月〜2001年3月>
ある程度アングラにも満足してネット中毒(自覚0)も落ち着くかと見られた。
しかし、とんでも無いサイトに出会ってしまった。
「2ちゃんねる」
匿名の書き込みが延々と続くその雰囲気、そしてその内容の赤裸々さに
心を奪われ…気付けば学校にも行かずに読みふけっていた…
このころから徐々にネット中毒に気付き始める。
しかし、「明日から徐々に治していけばいいや、だから今日はサボろう。眠いし」
そんな毎日だった。
単位はほとんど取れなかった。
<2001年4月〜9月>
ついにブロードバンドが開通することになった。
テレホがネット中毒の元凶と思っていた俺は思った。
「これで夜更かしすることもないだろう…」
甘かった。むしろ事態は悪いほうへ向かう…
なぜか昼も夜もネットに夢中になる自分がいた。
「なんでずっとネットやってるんだ?常時接続だからといって
俺が常時ネットやる必要ないだろ?授業いけよ俺?」
と自問しつつ「かちゅ〜しゃ」でスレを読みふけり、そして書き込む。
そんな日々が続いた。1日の平均書き込み数は100を軽く超えていた。
当然のごとく単位は取れなかった。
<2001年11月〜2002年3月>
ネット中毒に気付きつつもネットをしてしまう…
そんな日々は変わらない。
もうどうしようもない自分から目を逸らす為にモニタに向かっていた。
現実では友達でも本音じゃ話せやしない。でも、ここはそうじゃない。
現実では俺なんて蔑まされるだけの存在。でも、ここはそうじゃない。
現実では逃げ出すことなんてゆるされない。でも、ここはそうじゃない。
現実では…
ネットをしている時間だけが、俺の生きている時間なのだと思っていた。
相変わらず単位は取れなかった。
授業には出たいが、大学に足を運ぶだけで吐き気がする。
周りが進級していく中、自分だけが取り残された。
<2002年4月〜9月>
ひたすら苦悩する。
なんで?なんでネットするの?
どうしてパソコンの電源を切ることができないの?
8時回ってるよ?どうして登校しないの俺?
このころから2chでも「煽り」をするようになった。
俺の心は極度な自己嫌悪で病んでいた。
楽しそうに振舞われるのが苦痛で仕方なかった。
自己嫌悪によって煽る。
煽って自己嫌悪に陥る。
人間として最低の無限ループ。
<2002年10月〜2003年3月>
俺なりになんとかしようと思って、始めた接客のアルバイト。
不特定多数の人と触れ合うことによって、長い間、眠ってた感情が蘇った。
「ありがとう」と言われる嬉しさ。
「すいません」と謝れる素直さ。
仲間と談笑する楽しさ。
仲間と交わす杯(さかずき)の美味しさ(下戸だけど)
給料以上に大きなものを得たような気がした。
学校にも徐々に登校して、それなりに単位も取った。
パソコンに向かう事もめっきり少なくなった。
<2003年4月〜9月>
やっとのことでネットから遠ざかって資格の勉強をしていた。
「これで将来も見えてきたかな…」
そう安心しつつ、久しぶりに少しだけ繋ぐつもりで2chを覗いてみた。
「お。俺のやりこんでたゲームのスレが盛り上がってるじゃん」
素直に懐かしく思って、当時の点稼の思い出とか少しカキコ。
・・・これがいけなかった。
気付けば、ダラダラと勉強もせずにネットに興じる自分。
最低だと分かっている。しかしモニタの前から動けない。
洗濯しなきゃ…このスレを読んでから…
皿洗わなきゃ…このスレを読んでから…
バイトいかなきゃ…もういいや…
資格の勉強… …
<2003年10月〜>
現在はプー… 親に合わす顔が無い…
この書き込みを最後に、本気でネットをやめようと思う。
これを書いたらネットを解約して、パソコンを友達に譲ることにしました。
ウザい書き込みすいませんでした。
ネット中毒は本当に怖いです。わかってても辞められません。
単純な行為で現実から逃避しようとする様は
ギャンブル中毒に通ずるものがあるかもしれません。
ネットは確かに圧倒的な情報量等の有益さもあります。
しかし一歩間違えれば、人生を台無しにする麻薬に豹変することもお忘れなく…