しかし最後に
>>97の問いに私なりの答えを出しておこう。
先に私の理想ではなく、私の目から見た一般の恋愛について語ってみよう。
彼女の居る、或いは居たことのある人ならばお解りいただけるかと思うが、
恋愛は少なからずお互いに影響しあう。
例えるなら味の好みであったり、服装の趣味、音楽の好み、
果ては言葉遣いや、人生観までも、であるが、
それは言わば互いの足りない部分を補う行為であると信じている。
一言で言えば補完である。
良いことではないか。
正しい知識を持ち、互いを思っていればそれは必ず正しく補い合う。
しかしながら、現代はそうではない場合が存在する。
このことについて語ると話が脱線する故に省略させて頂くが。
さて、私の言う理想。それは、
前述ではあるが、
「正しい知識を持ち、互いを想い、正しく補完し合える関係」
が必須である。
人は人であるが故に欠陥を持つ。
しかし同時に価値も持つのだ。
言うまでも無く、その欠陥・価値は人それぞれである。
欠陥を価値で埋めて欲しいと願う。
同時に価値で欠陥を埋めてあげたいと願う。
(余談ではあるが、男であるが故の最大の欠陥は女ではないことであり、
男であるが故の最大の価値は男である、ということである。
逆もまた然りである。つまり補完したい補完されたいと願う関係であれば、
恋人に異性を求めるのは至極当然なのである)
補完は互いを知るところから始まる。
セクースにせよ、お互いをよりよく知りたいから、ではないのか?
少なくとも私は
「やりたい」から「彼女が欲しい」という思考で動いて欲しくは無い。
この思考で動く男を、私は「生物の雄」としても最も下賎であると嫌悪する、
とは先にも語ったが。
生物における性交は雄が雌を守ると言う意思を示す
儀式的なものであると言っても過言ではないほどに、
「生物の雄」は雄々しく、雌を、我が子を守るだろう?
その意思すら持たず、己の快楽のみを求めるセクースのどこに
人間の尊厳が在る?