非処女は中古 独男版 Part2

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898Mr.名無しさん
恋愛とは一口に言うけれど、恋と愛とでは月とお日様くらいの違いがある。
恋は自己中心的だし、相手は相手としておいて、自分がそれによって満たされたい、
幸せになりたい、という感情。
ルックスなどの外的な部分で自分をしびれさせてくれれば人は誰でも恋にはおちるものだが、
それがすなわち愛ということにはならない。
異性としてカタログ的に魅力のあるタイプをちやほやする感情だし、
相手に垢抜けしない欠点があったりすると急に熱が冷めたりする。

恋は妥協しないし許すことも少ない感情で、トラブルの元になることだって少なくない。
それに対して愛は、もちろん相手に魅了される部分から入るし、
「最初はルックスにしびれていたけどいまは相手のすべてが好きだし許せちゃうし、
一緒にいたい。振られても好き」みたいな愛の状況にいるパターンもあるだろうけれど、
激しく相手の異性的側面を求める部分が強すぎる想いはほとんどの場合愛とは違う。

恋にも似て幸せになりたい的な部分はあるにしても、
相手に何か眩惑的で人並み外れた部分を求めるようなところはなく
現実的だし意地悪でもなく、奉仕的、自己献身的である。
899Mr.名無しさん:02/02/12 22:11
長いのは中古のせい。
900Mr.名無しさん:02/02/12 22:11
恋は異性に対してさまざまなプレッシャーをかけたり求めていったりする感情だが、
愛は異性に対してそういうアプローチをかけることを好まない。
相手にいまいちな欠点や短所があるのに気づけば、
逆にそういう部分がいとおしくなったりしてしまう。

愛は不滅の受け入れ的献身的な好意だから、
たとえば実際の交際が「若すぎた」とかの理由でうまくいかなくても、
何年たっても特定の相手のことがとても好きな状態が変わっていなかったりする。

基本的に求める気持ちに流される状態の弱い精神状態の人には本当に誰かを愛するということはできないし、
愛の想いであれば相手の幸せを願うことは当然としても
基本的に相手に求めすぎたり過度な期待をしたりというようなことはしない、
ごくごく何気なくて地味で落ち着いた感情だ。
何かにつけて相手のことを真剣に心配したり無愛想な顔をしながらでも
いつのまにか尽くしていたりするのが愛の本質だから、
愛は自分自身で最高に輝いているお日様みたいだ。