小野不由美&十二国記その5

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「もっと憐れんでやらなければいけないものがあるような気がした」
と蓬来での泰麒がときどき感じてる、ってのが鍵なんじゃないかな。

たしかに無辜の人を結果的に死にいたらしめその怨嗟に病む、というのは問題あるけれど
それは「高里要」という人が生かされる上で生じた罪であり衰弱したこと自体で報いを受けている。

しかし泰麒が責任を持つべきなのは蓬来の民ではなく泰国の民で、
使令が人を殺したことの責任よりも、泰国への責任のほうが重い。
だから泰麒は迷わず「帰って」きたし、
何もできないかもしれなくても泰国へ戻ろうとする。
「血に穢れていない王朝はない」と延王だかがいっていたけど
陽子や延王がそうした犠牲の上になりたつシステムを体現しているんだとすれば、
泰麒は、より根源的な「他の存在の犠牲の上になりたっている生」を
象徴してるんじゃないかと思う。まさに原罪。

でも「天」はある種機械的なシステムだから、そうした問いには
答えないんだろうね。
なにより、使令を無断で他国にいれたら覿面の罪だけど、
蓬来はそういう意味での国じゃないから、たぶん蓬来でのことは
「麒麟」としては罪をうんぬんされることじゃないんだと思う。

なので今後作中でこの話が正面で語られることはないんじゃないかと
いう気がうっすらとしますです……