まじれす豆知識(しかもこぴぺ)
カノッサの屈辱は結構シビアな政治事件である。
教皇権拡大のなかで、ローマ教皇グレゴリウスと神聖ローマ皇帝の間の
利害が衝突。教皇はひそかにノルマン人などの神聖ローマ皇帝敵対勢力
と手を結び、じわじわと『対皇帝包囲網』を仕上げていく。
一方諸侯が権力を持つバラバラ状態の神聖ローマ帝国を統一するという
野望を持った若き皇帝ハインリヒ4世は、検地などを行って状況の掌握
につとめた。その過程で、半独立状態にあったローマ教会の回復に乗り
出したわけである。
ハインリヒは独断で司教を次々任免、それを知ったグレゴリウスが
「やめないとゆるさんもんね」
と脅しの手紙を出す。それを見て今度はハインリヒが激怒し、グレゴリ
ウス7世廃位宣言。逆にグレゴリウスはハインリヒ4世を破門・廃位を
宣言。
両者一歩も譲らずというにらみ合いの中、神聖ローマ帝国内の貴族諸侯
が「こりゃチャンス」とばかりに動き出した。会議を開いて話し合いで
決着しようと言い出したのである。
会議に出席するのは、教皇と帝国内諸侯、つまり全部ハインリヒの敵で
ある。そんなもんが開かれたら廃位決定だ。
ハインリヒが迷っている内に、教皇は会議に出席するためにローマを出
立。
悩んだ末、ハインリヒは1077年1月、アペニン山中のカノッサに宿泊中
のグレゴリウス7世を訪ね、自分の非を認めて詫び、嘆願の末ようやく
破門をといてもらったのである。
以上の経過をカッコヨク『聖職叙任権闘争』なんて呼ぶ。
要約すると、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、教皇グレゴリウス7世
に謝罪するために雪の中で3日間裸足で立ちつくし、屈辱に甘んじて、
哀願したという珍事件なむなむ。
ではまた会う日まで、さらばじゃ。