パクリこそライトノベル

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408イラストに騙された名無しさん
パクリ雑考

大岡昇平の作品に『盗作の証明』という、そのものずばりパクリを
扱ったものがある。新人賞を取ってデビューした駆け出しの小説家が
受賞作に盗作の疑いをかけられる話なのだが、この小説の元ネタは現実に
あった出来事で、その経緯が興味深い。

現実のケースでは、その新人の受賞作に既存の作家の作品と極めてよく似た
フレーズが何カ所もあったという。これは自力で創作したとは考えられず、
その新人は業界から永遠に抹殺された。
その騒ぎの際、もっとも厳罰を主張したのが当時の文芸協会の会長なのだが、
盗作する人間にはものを書く資格は無いとまで言っていた当人が後に
盗作疑惑に巻き込まれる。自作に学者の論文を引用したと思われる
箇所が見つかり、引用の断りが無かったのである。

この二度目の盗作事件そのものは、極めて曖昧な決着がついた。
事件はうやむや、ただし会長はその任期で職を退いた。以来、パクリは
当人と被害者との問題として扱われるようになり、周囲の同業者は積極的に
関わらなくなった。自分の腹を探られるのを恐れたのだ、と言えば言い過ぎ
だろうか。結果、盗作裁判を幾つも起こされ、それでいて実力を認められる
人気作家という異形も現在には存在する。
409続き:03/11/27 11:25 ID:CY6ZKHeI

さて、この一連の事件の経緯がかつて日本の文学界が通過してきた歴史である。
この中には様々な教訓が含まれる。
・例え作品全体の中のごく一部であろうと、既存の作品と極めてよく似た
 フレーズがあったらアウト。
・別ジャンル(学術文献に限らず、映像作品、音楽、外国作品もまた当てはまるだろう)
 からの無断引用はアウト。
・自分のパクリの定義に則って他人を非難すると、思わぬ逆襲を喰らう場合がある。
・現在ではパクリ元から抗議されない限りパクリ放題である。

つまりパクリ論議の際に多く見られる「話のよく似た作品」というものは
それだけで断罪は出来ないのである。
また、別ジャンルからの引用が「引用であるならよし」として認められている
ことは一種、諸刃の剣で、事実上、世界に存在するあらゆる事象が引用元に
なりうる、つまり無断で自作に使えば盗作になってしまうのである。
商業目的でない祭祀の類や奇妙な人生を歩む人の生き様もまた引用元なわけだ。
しかし、それら全てに引用の断り書きを入れることもまた、不可能である。
結果、パクリ認定をめぐる議論は極めて狭い部分に焦点を当てるか、
およそ屁理屈に近いような大雑把な物言いになりがちなのである。

ただし、以上の論をもって、「結局パクリは思い過ごしの例が多い」
という結論にはならない。現実に他者の作品を「格好いいから、面白いから、
今ウケそうだからetc」という理由で無断引用している例は枚挙にいとまがない。
同一ジャンルからパクることは自粛している者でも別ジャンルからパクる事は
むしろ好んで行うケースすらある。
具体的な例をやり玉にあげることは本稿の目的ではないので、多くは語らないが。
410最後:03/11/27 11:26 ID:CY6ZKHeI

結局の所、パクリ疑惑はそれぞれのケースで千差万別である。
したがってパクリ論議を行う者は可能な限り冷静で具体的な論証から入らねばならない。
パクリに対してどれだけ大きな憤りがあろうが、それを表に出すことは得策ではない。
当該すると思われる箇所を客観的かつ公平に引用し、元ネタと比較対照してみせるべき
である。雑音に対しては無視、冷静な異論に対しては力の限り誠実な回答を行うべきなのである。

その結果、自らと、異論を唱える相手の間に、認識の相違=パーセプションギャップ
が発見されることがある。
パーセプションギャップとは、宗教的信条の相違のように、どちらが正しいのでもなく、
ただ、相容れない価値観の溝のことである。
これを裁くことは、少なくとも当事者には出来ない。

悪質な脱税と巧みな節税が紙一重であるように、先行作品に対する引用について、
個人の意見は千差万別であるのが普通である(法律という、厳格なルールの
定められた納税に於いてすら、人の解釈は一致しないのである)。
このような場合は、無責任なようであっても、周囲全体の意見に耳を
傾けなくてはならない。自分がまさにそのパクリ疑惑の被害者であったなら、
そうもいっていられないかもしれない。しかし、自分もまた他人に基準に於いては、
パクリに抵触しているかもしれないのだ。ちょうど先に挙げた文芸協会長のように。

重ねていうが、パクリ論議を行う際に必要なものは義憤や公憤ではない。
例え、核に怒りがあったとしても、それを深く埋め、冷静で具体的で、誠実な態度で
論証するべきである。そして、そのような態度をもってしてのみ、パクリ疑惑は
検討に値する問題として、人々の耳目に触れる。
それはパクリ疑惑を提起した人間の本来の目的に最も合致した手法であるはずである。