で、仏教の場合は・・・と続きを語る前に釈迦がついた嘘(方便)を説明しなきゃならないんだよ。
これが面倒。
意思統一のためにいくつか釈迦が残した言葉を書くと
「私の言った事を宗教にしてはならない」「私のために組織を作ってはならない」
これは、当時のインドのカースト制度に反しない(新たな苦しみを生まない為に)慮っていった事。
それで、釈迦が死亡してから400年以上も一字一句文字では残されていない。文字通り口伝だ。
文献が残ってれば、インドの王様よりも上のバラモン宗に迫害されるからね。
だから、釈迦の哲学は学問として伝わっている。中国にもって行かれた時ですら「学問」として移動した
※中国では宗教と学問は区別されてなく同一のものだった)
ただ、サンスクリット語を当時の中国語に翻訳する時にどうしても訳せない所があったり、政治的に不味い所は改変
捏造されている。(当時の中国の政権を持つ個人にとって都合のよいように、作文されている箇所が散見する)
それを日本が輸入したわけだが、一度に全部持ってきたわけじゃなく、ちびちびと持ってきたために解釈の誤差が時代によって変わってしまってる
聖徳太子が、国民の意思統一や国に都合のよいように知識を与える為に利用してた節があるが、この聖徳太子も架空の人物だと
現在では言われている。(聖徳太子がいた時代に「太子」というさ制度が存在していない事から、後の人が作り上げた架空の人物とされている)
だから、今の人たちが持っている宗教観ってのはどうしても妨げになるんだよね。・・・意思統一だけでも大変なんだよ