宗教というものは、客観的に証明不能な領域であるがゆえに
雰囲気というものがとても大事になるのですよ
これについては深夜にも書きましたが
つまり、その国に定着してもいないような行事や物事というものは
日本人にとっては、やる必要のないもの、馬鹿馬鹿しいものなのだという事です
そして、もちろん、我々日本のクリスチャンも、単なる日本人にしかすぎないのです
そういう意味では
単純に言うと、いるのかいないのか判らない存在を信じる場合
皆が皆、そんな存在を信じていないと
やっぱりいないのかなあ? なんか信じるのは馬鹿馬鹿しいなあ
という風になるわけです
行事に関してもそれと同じです
昔の田舎では、神道や仏教の行事はやっていたと思うのですが、今は田舎でも
それはすたれています
何か特別の信仰心があったわけではなく、周りの雰囲気から行事や暦をやっていた
のにすぎないのです
これについてもうちょっと掘り下げてみましょう