つまらない小説を無理矢理褒めちぎるスレ14

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526イラストに騙された名無しさん
『少女不十分』
著/西尾維新 イラスト/碧風羽 (講談社ノベルス)

可能な限り純粋に作品を楽しむ秘訣は、作品と作者への知識がないことだと僕は思う。
一度でもその作家の作品にふれてしまえば、よかれあしかれ二作目から公平な判断はできなくなる。
中村九郎先生の新作と聞いただけで、読んでもないのに100点満点中200点を付けてしまうこのスレの住人ならよくわかるだろう。
twitter等での発言、日常的にボランティア活動に精を出しているといった作者自身の人格を知るのも好ましくない。
僕はインフィニット・ストラトスを読んだことはないけど、いざ読む機会が訪れても、とても素直な気持ちで読める自信がない。
でも西尾維新は安心だ。
僕は西尾維新の性格も性別も性質も知らない。
作品がいくつも映像化されてる超人気作家ということくらいは知っているけど
化物語以外知ってるタイトルはないし、当然アニメも小説も見たことがない。
だから安全だ。
完全に安全な状態で西尾維新を楽しめる僕に安心して感心してほしい。

物語は今年で30歳になる主人公の小説家が、まだ普通の大学生だった10年前に起きた、ある出来事を思い出すことからはじまる。
一人の少女のある姿を目撃した主人公は、その少女に誘拐され、一週間監禁されてしまった。
両親から酷い虐待をうけていた少女は、心を壊し人間らしさを失っていた。
少女の両親は寝室で死んでいた。自殺なのか他殺なのかはわからない。
少女に同情した主人公は何か自分にできることはないかと少女にたずねた。
「お話を聞かせて」
人間らしさを失った少女からの、あまりにも人間らしい望み。
主人公は必死で物語を生み出し、それを少女に聞かせた。
わずかであっても、それが救いになればと、物語を作り続けた。
結局、今の俺が書いてる小説なんて、あのとき少女に聞かせた物語の延長でしかないんだよなぁ、とたそがれる主人公。
そんな彼のもとに新人編集者が挨拶にやってきた。
「お久しぶりです、先生」
そこには、かつて自分が物語を聞かせた少女の成長した姿が。

おしまい。
527イラストに騙された名無しさん:2011/09/17(土) 14:54:45.71 ID:aO3ukOLE
ネタバレを嫌がる方がいたら申し訳ない。
だが安心してほしい。これ以上バラすネタは残っていない。

いわゆる超展開やご都合主義に対して、僕はかなり寛大で寛容なほうだと自負している。
この所よく目にする魔法科高校の劣等生への執拗な批判にはうんざりだ。
あの作品はまぎれもない名作である。
そんな僕ですら、この少女不十分の不十分な展開には怒りに近い不快感を覚えてしまった。
まず小学四年生の少女が大学生の主人公を誘拐して自宅に監禁するまでの過程に無理がありすぎるし
監禁された主人公が携帯電話を持っているのに、それを使おうとしない理由にもまったく共感できないし
何より一番無理があると感じたのは監禁されてから三日間、主人公がずっとトイレを我慢していたことだ。
個人的に、三日トイレを我慢するくらいなら、水の上を走るほうが容易い気がする。
余談だが、人間の体は水や食事をとらないほうが胃腸の調子が良くなって便意や尿意は強くなるという。
その後もとても許容できない異様な展開が続き、なんとか最後まで読んでたどりついたのは
西尾維新はとてつもない天才だという結論だった。
528イラストに騙された名無しさん:2011/09/17(土) 14:56:21.50 ID:aO3ukOLE
西尾維新はとにかく「盛る」作家である。
例えば少女が主人公に一言だけつぶやく下りがある。
凡百の作家なら“少女は「○○○」とつぶやいた。”
と一行以内で済ませてしまうだろう。文字数にして精々40字前後。
しかし西尾は違う。
“少女はこう言った。それを聞いて僕はこんなことを思った。そういえば僕にはこんな過去がある、そのころの僕はこういう性格で、周りにはこんな人がいた。
ちなみにさっき少女はこう言ったといったけど、実はそれは僕の妄想だったのかもしれない。実際少女はこう言ったからだ。”
等々、濃密な描写が繰り広げられる。
上の要約は限界まで削ったものであり、実際は約8280字ほどの文字情報が網羅されている。
これは一般的な文庫本の12ページ分にあたる。
短編なら宮沢賢治の「注文の多い料理店」がちょうど入るサイズだ。
僕は無駄のないスッキリとした文章が好きなので、当初はこの特盛文章が不快だった。
最終的にそれを愛してしまったのは、天才西尾維新が本作に仕掛けた壮大なトリックに気づいてしまったからだ。
それでは種明かしをはじめよう。
この作品には一見重大な欠点が二つもある。
「とても許容できない超展開」と「無意味に水増しされた文章」である。
基本的にこの二つは長所になりえない。
宮崎吾朗監督のゲド戦記を三回連続で見せられたら、生まれたばかりの赤ん坊でも自殺したくなるのと同じで
理不尽なものを長々と続けられるのは苦痛でしかない。
好みの問題だと言われるかもしれないが、本作にそれはあてはまらない。
少女不十分は誰が読んでもつまらない。
当然だ。意図的にそうしてあるのだから。
529イラストに騙された名無しさん:2011/09/17(土) 14:58:00.70 ID:aO3ukOLE
この物語の構造は極めてシンプルだ。
作家志望者の青年が傷ついた少女と出会う。
少女を理解し、少女を救うことが結果的に青年の夢を叶えることにつながり、
青年に救われた少女は物語にたずさわる道を選び、そして二人は再開した。
まるでハリウッド映画のように、よくできたプロットである。
東野圭吾や宮部みゆきが同じプロットで書いたら、きっと名作になったに違いない。
無理のない展開とスッキリした文章でベストセラーとなり、映画化されたかもしれない。
でも考えてみてほしい。
全く同じことが西尾維新にも言えるのではないだろうか?
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
【この本を書くのに10年かかった】
本作のキャッチコピーである。
本文を読めば、この言葉には何通りかの解釈が可能であることがわかるのだが、僕の解釈はこうだ。
西尾維新がこの本を発表するまでに10年必要とした理由。それは技術的な問題や単純な月日の流れなどではない。
作品を発表するたびに確実に増えてきた、一人一人の読者の存在、それこそが10年かけて築き上げた西尾維新の財産なのだ。
530イラストに騙された名無しさん:2011/09/17(土) 14:59:20.68 ID:aO3ukOLE
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
10年かけて築いた信頼関係がここにある。

気づいてくれた方がいたら嬉しいのだけど、僕の文章はかなり西尾維新のそれに影響されてしまっている。
もちろん上手くいってないことくらいわかっている。
自分が維新になれるなんて微塵も思ってはいない。
西尾維新はミシンのように僕たちを物語の世界に縫い付ける。
そんな天才作家西尾維新が10年間の感謝の気持ちを存分に詰め込んだ玉手箱が本作なのだ。