お前ら舌が肥えてきたな
舌なのか?
腹だろ
むしろ最近は一般小説の方が褒めちぎり素材として優秀なものが多いような
amaのヘビーオブジェクト二巻の褒めちぎり凄いな
☆5じゃねーか
ヘビーオブジェクトだけでなく禁書でお馴染みのかまちーは無知な俺がつい納得してしまうほどに設定を作り込む作者だからな
しかし真に優秀な点は別にある
状況・心情・信念をキャラに語らせる
例えによる詳細な補足
設定が陳腐になろうともシンプルにハッピーエンドを目指す
上記その他諸々を余さずぶち込むことで誰でも理解できるように物語を紡ぐ姿勢こそが素晴らしい
他所で話せば聞いてもらえるよ
ヘヴィーオブジェクトは前回も素のレビューが混ざっててたいへん困惑したが、
これも正直どっちなのかよくわからない
>設定を作り込む作者
こーゆーでたらめを書いているところを見る限り、ちぎりではなく信者だろう。
その信者認定の基準がわからない
542がアンチであることは分かった
褒め殺しって知ってるか?
「ライトノベルの楽しい書き方」 著者;本田透
この名著は映画化が決まっており今年の12月4日
池田テアトルダイヤから全国に順次公開されることになっている。
しかも、実写である。
そこで、映画化に先立ててPRを行いたいと思う。
この本の魅力をシリーズ全部通して語るのは本著に対する冒涜だと考えるので一巻のみについて語ることにする。
それほど内容の濃いものなのだ。
さて、本著は王道的なラブコメ物である。
主人公の通う学校随一の美少女で、おっかないと評判の流鏑馬剣なる少女が、
実はライトノベル作家で、スランプ脱出のために主人公と恋愛ごっこをする羽目になるというものだ。
ひょっとするとタイトルからライトノベルのhow to本的な側面があるのではないか、
と期待した人たちはガッカリしたのかもしれない。
特に専門書を読むほど興味はないが、知識としては知っておきたい、なんていうミーハーな人たちには
「これ(登場人物は)ライトノベル作家じゃなくても別によくね?」
という感想を抱いたのかもしれない。
大いなる間違いである。
この本はまさにライトノベル書きを目指す者たちのために描かれたものである。圧倒的な権力を持つ編集の言論統制を潜り抜け、それでも君たちに熱い言葉を届けんとする、本田透氏渾身の作品なのだ。
その深遠なる意図を読み解くには、物語に登場する編集者にスポットをあてる必要がある。
心夏(ココナツ)という、なんだかもうそれだけで涼しいのか熱いのかよく分からなくなる名前を持つ彼女は、
流鏑馬剣の担当編集にして、主人公の従姉である。
剣のスランプを見かねた作者想いの編集者は、主人公が偶然剣の秘密(ライトノベル作家という職業)を知ってしまったことをこれ幸いと、
剣に経験のための恋愛ごっこをするように提案する。
一見、作品を描く為なら何でもしろ、と強制している様にも感じられるが、
不器用な性格の剣にある種の恨みを買うことも承知で厳しくあたる、本当の意味で優しい人物である。
はて、それがどうした―――そう思った方もいるであろう。
しかしここに、『ロリ美人』という属性を付加することによって、様相はまるで違った側面を見せ始める。
そう、与心夏はロリッ娘なのだ。しかも可愛いのである。齢二十を超える女性が炉利で美人なのである。
こんなことは現実には有り得ない。チビでありながら均整の取れている可愛い大人など、
この世のどこにもありはしない。そう、心夏という人物は我々のような夢見がちな人間が懐く妄想――虚像の象徴なのだ。
こんなもの(編集)は有り得ない。
理想と現実の狭間で血を吐くような思いで描いた本田透氏の苦悩がそこにはひっそりと、しかし克明に描かれている。
それは、従弟である主人公に現実の厳しさを教えてやろうとライトノベル書きの少女と付き合え、
そして真実を見て来い、と暗に強要する場面からも見て取れる。
そこに気付いてしまうと、流鏑馬剣や隣のクラスのイラストレーターが皆一様に美人であることも、
単なるお約束以上の意味を持つことに疑問の余地はない。
これは「ライトノベルの『楽しい』書き方」なのだ。
たとえ現実がどれほど厳しかろうと楽しく書いてもらわなければならない。そのためには書いたものが売れなければならない。
そのための『美少女高校生』である。
この最強ステータスを武器にすればライトノベル書きでも楽しくやっていけるのではないか、という作者最高の皮肉である。
残念ながら映画は、心夏を小学生に演じさせなかった時点で、作者の意図を無視している。
編集が彼の隠れた意図に気付いていない証左でもあるので、そこだけは救いである。
キャッキャウフフのリア充でありながらラノベ書きを目指そうとする者たちへの、密かなる警鐘――
この隠密公然とした名著を、諸兄らも是非とも手に取っていただきたい。
苛酷な環境を生き抜く彼らを偲ぼうではないか。共に。友と書いて共に。
乙乙。論旨がはっきりしてていいな。
しかしばけらのとかと同じで、そっちが正真正銘、本流の読み方なのかもしれない。
乙
これは力作・・・
本じゃないが、上地のミツバチの尼レビューのちぎり凄いわ
哲学とかいうタイトルの思わず納得しかけた
正直、あれが売れた方がマシだと思えるほどの絶望を今のJPOPに感じている。
>>549 ワロタwwww
うますぎw
ココナツの段階でもうすでに腹がいてぇ
「猫物語(黒)」 著:西尾維新
本作は国民的人気アニメである「化物語」をノベライズ化した小説である。
著者である西尾維新氏はこれまで「DEATH NOTE」や「XXXHOLiC」といった漫画を小説化し、ノベライズ作家としての人気を高めてきた。
そんな氏が今作で新たに挑むのは、旧作のような漫画ではなく、アニメのノベライズである。
前述の二作のノベライズにおいて私は「映像を文章に落とし込むという魔法は、もはや文学の域と言っても差し支え無いであろう氏の絶対的な筆力があってこそ可能なのだ」と評したが、それはいささか的を外れた意見だったようである。
当然この作品では氏特有の文体が遺憾なく発揮されている。
執拗なまでの繰り返し、言葉遊び、そして改行。日本独特の感性である「間」というものを意図的に組み込んだ文体は、もはや様式美と言っても過言ではない。
もちろん会話文も秀逸である。
水が流れるどころかまるで呼吸をするかのように自然であり(もはや会話など空気と同義である)、序盤において主人公と妹との二人だけの会話に80ページ近く費やしていることからも氏の傾注ぶりと、この作品の完成度を伺わせる。
作品の四分の一以上を占める妹キャラとの心温まる掛け合い、それはもはや氏の技能だけで成立する事ではなかったのだ。
氏の中でかの妹キャラは確かに動いて、いや、生きている。
言い切ろう。
この小説には原作であるアニメ「化物語」に対する氏の愛が詰まっている。
作中において異様なまでに挿入されるメタ視点、アニメネタ、声優ネタは原作「化物語」を愛する貴君達にとってこれ以上ないほどの喜び――世界が繋がる感覚――を与えてくれるだろう。
それはもはや「内輪ネタ」のレベルですらなく、「メディアミックス」を体言した姿を新鮮な驚きと共に我々に示してくれる。
また、愛とは一方的に与えるものではなく、本来相互的に補い合うということを氏は本能的に理解している。
本作では一部原作とは異なった設定で話が展開していく。
キャラの呼び方、細かな時系列、時には非常に重要な伏線すらも「幻聴」として(ある意味では小説のルールを破ってまで)変更を加え、昇華している。
相手に従属するだけが愛ではない。つまり、氏は原作すらも踏み越え、更なる進化を促しているのである。
教科書通りに書くのは非常に簡単であろう。原作の設定を厳守するのも容易いことだ。
しかし氏はそのような安易な手段を選択しない。
ルールを守れないのは三流、ルールを守れてやっと二流、自らの意思でルールを作り出すことでようやく一流……そのこだわりは、原作ファンに新たな「化物語ワールド」を魅せてくれるに違いない。
氏の旺盛な創作意欲は本作だけに留まらず、今後も「猫物語(白)」「傾物語」「花物語」「囮物語」「鬼物語」「恋物語」という6作の発表が予定されている。
一冊三ヶ月という殺人的と言ってもいい刊行ペース、それにも関わらず限界まで推敲された緻密な文章、そして一冊1300円という非常に良心的な値段設定は、氏の原作に対する深い「愛」あっての賜物であろう。
「多摩湖さんと黄鶏くん」 著:入間人間
このライトノベルは主人公の黄鶏くんが先輩にして後輩の美人彼女多摩湖さんと密室でエロイゲームをしつつキャッキャウフフイチャイチャベタベタちゅっちゅらびゅらびゅするお話である。それ以外の要素は一切含まれていない。
エロイゲームと言っても某インワンダーランドソフトや某寝間着ソフトの作るアレではなく、「脱衣ポーカー」や「キスババ抜き」といった、既存のカードゲームにスプーン一杯のエロスを加えたオリジナルゲームである。
「ゲーム」を題材にするからには某賭博黙示録や某嘘つきゲームや某ライアー喰いのような駆け引き、ハッタリ、虚実交えた高度な心理戦などを期待する向きもあろうが、本書にそういった要素は一切ない。
ぶっちゃけてしまえば、この本の内容は「お姉さんといちゃいちゃする」ただそれだけでありゲームとかなんとかは単なるオマケ、物語を物語たらしめるちょっとしたガジェットに過ぎない。
この本を読んだ諸兄がまず得る感想は「中身がない」であろう。実際200数十ページ使って書いている事柄が主人公とその彼女のイチャラブのみなのだから、それ以外の感想は読者の誰も得られない、と言っても過言ではない。
カードゲームを題材に採ってはいるが、プレイヤーの二人が恋人同士であり、かつ賭けるものが金銭ではなく行動、即ち「恋人の足を舐める」といった罰(という名のご褒美)ゲームである以上、プレイヤーは勝つ必要がない。
実際作中でも主人公の黄鶏くんは積極的に負けようとしている局面があった。もはやこれはゲームでも勝負でもない単なる惚気だ。プレイヤーに勝つ気のないゲームほど見ていて無意味なものはないだろう。
だが、ここで私は皆さんに問いかけたい。果たして人間の為す行動のうち、「中身のある」「有意義な」物が果たしてどれだけあるのだろうかと。
幼い頃からコツコツ夢に向かって努力していた人間が、「不況」の一言で夢への道を永久に絶たれる。
堅実な就職活動をしていたはずなのに、理不尽に内定を取り消され二度と正社員にはなれなくなる。
家庭を持ち、ようやく人生が安定してきたと思った矢先に会社が潰れ一家まとめて路頭に迷う。
散々助手としてこき使われた挙句教授どころか助教授にすらなれず非業の死を迎える。
高度成長期の日本ならいざ知らず、今の日本社会において「生きる」ということは「ギャンブル」とほとんど同化している。
「真面目に勉強する」」「真面目に働く」ということの意義は、諸外国ならばいざしらず現代の日本ではもはや完全に失われて久しい。
如何に真面目に堅実に生きていようと政府や企業の決定に逆らえる道理はないし、逆に適当極まりない人生を送っていながら生活保護やら戦後補償やらで何不自由なく過ごしている在日三国人の例も枚挙に暇がない。
嘗て日本で、いやさ世界中で信じられていた「遊んでばかりいるといずれ困窮する羽目になるが、真面目に働いていればずっと安泰さ」という概念は、こと現代日本では全く成り立たないと言っていい。
努力も情熱も評価されず、ただ才能と運に恵まれた者のみがすいすい上へ上がっていき、そうでない者はただ搾取されるそんな国家に対する一つの提案として、「多摩湖さんと黄鶏くん」は執筆されたのだろう。
「努力しても報われない。努力しなくても生活していける奴らがいる」
「ならば、汗水たらしてあくせく働くよりも年上お姉さんとずっとエロイゲームで遊んでいたほうが楽しいじゃないか」という誰もが心の奥底に持っていながらなかなか表に出す機会は与えられない概念を、本書は提起している。
「多摩湖さんと黄鶏くん」は、「どうせ何もかも奪われる人生なら、苦しんで終わるよりエッチなお姉さんとエッチなゲームをして過ごそうよ」という、新世代快楽主義の啓蒙書なのである。
自殺寸前のワーカホリックに「そんなあくせく働いたってどうせ誰にも評価されないし、可愛い女の一人でも捕まえて楽しく生きてみないか?」という提案が本書の真髄である。
もしあなたに彼女がいないもしくは彼女を作る能力がないとしても、電撃文庫には無数の二次元ガールフレンドが在席しており全く問題にはならない。
いわゆるリア充などは知った風な顔をして「その女は現実のものではない」などとほざくであろうが、その女が現実のものではないと我々が気づく前に我々が死んだとしたら、その女が現実のものではなかったと証明できる人間はこの世には一人として居なくなるのだ。
仮に我々が現実のガールフレンドを入手したとして、そのガールフレンドを認識しうる存在が自分以外にいなければ、それは二次元の妄想嫁と何ら変わることはないのだ。現実に存在するかしないかなどという問題は、最早とるに足らないものである。
所詮、権力も財力もない一般人が如何に足掻こうと、思い描いたような理想的な幸福を得ることはできないし襲い来る不幸から逃れることも出来ない。いずれにしても搾取されるだけの人生ならば、目を閉ざし幻想の理想に遊んだとして誰がそれを責められよう。
ただただ苦しむだけの人生より、年上彼女とエッチなゲームをして過ごす人生のほうが誰だっていいに決まっている。「多摩湖さんと黄鶏くん」が私たちに提案するのは、酩酊のままに死することを是とする、新世代の功利主義である。
この考え方を逃避と呼ぶことは簡単であろうが、賢明なる諸兄には、無辜の庶民を逃避せざるを得なくしたものの存在についても、思考を巡らせていただきたいと切望する。
おれもそれが分からなかった。
化物語って元々ラノベだよな?
アニメのオリジナルネタを使ってるってことなのかな
アニメ>>>原作ってことだろ
言わせんな恥ずかしい///
猫物語なら、もともとあった裏設定を、
アニメの人気に後押しされて本にしたって感じでしょ。
黒すぎるようなので、自分は買ったまま読んでないけど。w
>562
ちょっとアニメ見てくる
「くるくるクロッキー2」 著者;…………
意味が融ける瞬間――かの名作の始まりを読んだ方々はその感動を噛み締めた。
『理解する』という行為を放棄することの喜びを、
我々に与えてくれた彼はまさしく本記者にとってメシアに等しい存在だった。
しかし、本記者は『絵買い』なる下賎な心を以って禁断の園に足を踏み入れる。
名著の名著たる所以は唯一無二、絶対性にこそあるというのに、
本記者はその真理に目を背けてしまったのだ。
往く道は蛇に唆されてしまったアダムとイブが堕ちた先――
本記者は、その果実を口に含んだ。
芳醇なかをりが胸いっぱいに広がった!
嗚呼、おれはなんという勘違いをしていたのだろう。
物語信仰の崩壊、脱構築の到達点。
それらは全てこの「くるくるクロッキー2」を完成させるための土台でしかなかったのだ。
あまりの感動にうちのめされた本記者に語れる言葉はそう多くはない。
しかしこの偉大なる二部作によって生まれた新たな新天地を、畏れをもってこう呼ぼう。
――『原初ミステリー』、と。
(記事:
>>453>>454 リスペクト)
くるくるクロッキーはL・O・V・E!が感じられるから大好き
お姉さんとゲームするぐらいなら
俺は妹、もしくは血の繋がらない妹、もしくは幼女とちょっとエッチなゲームさせてもらうね!
「彼女(アイドル)はつっこまれるのが好き!」
(作・サイトーマサト/画・魚/電撃文庫)
実は密かに声優を目指しているという方は少なくないのではないだろうか?
人気アニメのキャラクターやハリウッドスターに命を吹き込み、現実と物語の架け橋となる表現者。
それが声優。
姿なき職業といわれたのはもはや過去の話。
今や歌えば紅白出場、喋ればグータン出撃、声優専門のグラビア雑誌まで登場するなど、声以外にも役者としての人となりまで注目されるようになった、まさに花形職業といえるだろう。
本作「彼女はつっこまれるのが好き!」に登場するヒロイン音無まどかも、そんな声優業界で活躍する16歳の超人気アイドル声優であり、
これはその少女と、少女と出会ったことで声優業界に深く関わっていくことになってしまった少年の物語である。
さて、それにしても扇情的なタイトルである。
「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」
「僕は友達が少ない」
など、最近人気の作品に共通しているストレートなタイプのタイトルだが、上記の作品と比べて本作のそれは中身が見えにくい。
ヒロインの父が大御所俳優なせいで周囲の人間は皆、必要以上に彼女に気をつかっていた。彼女はそんな環境に嫌気がさしていた。
そんな中ではじまった新作アニメの番組宣伝ラジオの収録。
原作者と間違われてブースに押し込まれた、ただのオタク高校生で主人公の常村良人(通称・村人)は、なし崩し的に憧れのアイドル声優とラジオをするはめに。
人違いだとわかって混乱する現場だったが自分を特別視することなく、どしどし会話に突っ込んでくる主人公を気に入ったヒロインは彼と一緒にラジオを続けていくことを希望した。
そう、彼女は突っ込まれるのが好きなのです。
と、タイトルの由来はそんなところである。
さてさて
「こえでおしごと!」
「声優かっ!」
「スイート☆ライン」
など、確実にブームの兆しを見せている声優ものではあるが、
基本的にそれらの作品がアニメやゲームのアフレコを仕事の軸においていることに対して、
本作はアニメの番宣ラジオ、いわゆるアニラジにテーマを絞っていることが独自性といえるかもしれない。
が、それについては後述させていただきたい。
ところで皆さんは優秀なストーリーの条件をご存知だろうか?
キャラクターの魅力?
物語の意外性?
世界観?
どれも間違いではないが、決定的でもない。
正解は「引き」である。
これからどうなるの?
あの謎は解けるのか?
読者の意識を掴んで離さない強い引きの数こそが優秀な作品の条件といっても過言ではない。
本作にはファンの間で「タコ問題」と呼ばれている案件が存在する。
それがどんなものかと言ってしまうとネタバレになるので割愛するが
ミステリーで例えるなら、最初の殺人が放置されたまま話が進んでいくような感じだとイメージして頂けるとわかりやすいかもしれない。
多くの書評サイトや通販サイトのレビューにて「結局あのタコは何だったの?」「タコの意味がわからなかった」といった疑問が並び、読者の関心を引きとめることに成功している。
他にもこの物語には主人公とヒロイン以外に、主人公の妹、妹の友達、ヒロインのマネージャー、ヒロインのライバルであるアイドル声優、
謎の多い美少女新聞部部長、主人公の悪友三人組といった実にバラエティー豊かな面々がカラーイラスト付きで紹介されているのだが、本当に紹介されているだけで、基本的に彼らは話にからんでこない。
今後これらの人物がどんな活躍を見せてくれるのか、二巻以降の展開に期待せざるを得なくするという心憎い演出だ。
さてさて一般的な声優ものの作品がアニメやゲームのアフレコを中心に話が進んでいくことに対して、
本作はアニラジにテーマを絞っていることが特徴的だとお伝えしたが、最後はそこに焦点をあててみよう。
漫画や小説で声優を題材にするのは冒険である。
どれだけ立派な絵や文章を並べたところで、声を表現することなど不可能だからだ。
多くの作家たちは頭を悩ませた結果、声を出すことで高揚する主人公の姿や、音楽を聴いて涙する観客を印象的に描くことによって、読者に聴こえるはずのない音を聴かせることに成功した。
これはつまり内面描写と情景描写の強化ということである。
もはや完成したスタイルといえるこの演出方法を、なんと本作の著者であるサイトーマサト氏は画期的に進化させてしまったのだ。
物語のメインであるラジオのトークシーンにおいて、サイトー氏は可能な限りの内面描写と情景描写を排除して、セリフのみで進行させるという手段を試みた。
こんな書き方をすると、皆さんの中にこんなことを思う人が出てくるかもしれない。
ただの手抜きじゃないか、と。
572 :
イラストに騙された名無しさん:2010/08/21(土) 00:25:05 ID:Vb0mLWUR
実は私はとある人気アニメの最終回でヒロイン役の声優さんが実際に使用した台本を持っている。
なぜそんなものがあるのかといえば、DVD全巻購入者のみが参加できる抽選会にて当選したのだ。
無論、家宝である。
その最終回でのクライマックスシーン。ヒロインは泣いたり叫んだり怒ったりして、まさに声優力が試される場面となっている。
ところがこのシーン、台本で見ると淡々とセリフが並んであるだけで、細かい演技の指示などは書かれていないのだ。
いや、厳密にいうと書かれてはいるのだが、それは脚本家の手によってではなく、役者本人の手書きによってである。
「あえて感情をころして」「ここは怒りレベル☆☆くらいで」という具合に自分のセリフの隣にト書きをしているのだ。
他にも「お腹へった〜」といったツイートや「オナカヘッダー」と名付けられた謎のメカが描かれていたりする。
皆さんも、もうお気づきだろう。
そう、台本とは読むものではなく、書き込むものなのだ。
この常識を踏まえたうえで本文に戻ってみると、あら不思議。ただの手抜きにしか見えなかったページが、一流の台本に見えてくるではないか。
ここで読者は気づく。
ここに沸き上がった感情を思う存分書き込みなさいという作者の配慮に気がつくのだ。
大丈夫。余白はしっかりと用意されている。
それにしても本作はなんと万能な一冊だろうか。
強力な「引き」を多数配置することで、物語として読者の関心をつかみつつ、
プロの声優が使っているものと同様の台本まで作中に組み込んでいるのだから、万能かつ贅沢だ。
これだけのものが詰め込まれているのに価格もその他の文庫本と変わらないというから驚きだ。
正直、欠点らしきものが見つからない。
進路希望のプリントには書けなかったけど将来は声優を志しているという方には、ぜひ本作を読んで頂きたい。
発声練習や筋トレより大切なことがこの中にある。
おしまい。
長いよ!
長いのは確かだが…
だが悪くない!けっして悪くないぞ!
個人的にはむしろ「オナカヘッダー」に笑った
お茶目ね、声優さん
物凄い今更だけど
>>555は原作とは思えないほどアレな出来だった、と書きたかったけど規制食らってました
初ちぎりだったので分かりづらかたね
>>569 タコとやらの為に買ってくる
このスレで褒めちぎってる奴はすごいよな
つまらない小説を一冊どころか複数読んで、内容をまとめてるんだぜ?
俺は読み飛ばしたり、話を覚えてなかったりでとても書けないよ
タコ問題はたまに見掛ける「作者は回収したつもりになっている伏線」ですらなかった
あの放置っぷりは清々しさすら覚える
>>546 >「ライトノベルの楽しい書き方」 著者;本田透
作品ラストでラノベを読んで終わりって習作だろ?
結末を開放的に終わらせる事で未来に無限の可能性を残すって斬新だった
映画ではあのラストをどう繕うのか見てみたいな
本田透は凄いよな
どの作品を見てもストーリーが成り立ってないのは驚愕せざるを得ない
>>557多摩湖さんと黄鶏くんって、電波女と青春男のスピンオフだろ?