「作者の求めるもの」を追求するのが一般小説
「読者の求めるもの」を追求するのがラノベ
俺はこう考えてる。
純文学とか読むと分るけどさ、腐敗しきってんだよ。一般小説は。
独りよがりなオナニーをタラタラ垂れ流してるだけ。
今の純文学は漱石の文学を基盤に書かれてるわけだし、基本的に明治の文学と言っていいわけだよ。
その証拠に成熟しきっちゃたから進化を止めて保守的になってるじゃん。「純文学とはこういうもの」ってのが確立されてるじゃん。
だからどんどん前に進んでる「日本語」から取り残された。
漱石の文章とかもう読めたもんじゃない。古文書。化石。
「文章は劣化しない」とか言っちゃう馬鹿がいるけどさ、言葉は風化するんだよ。
言葉が風化すれば自ずと文章も風化してくる。
風化した文章って古典と同じだからさ、文章を書いた人がアタマヨサゲに見えるわけ。「それを読んでる俺カッコイイ!」なわけ。
それを美文だのなんだのとまつりあげるんだから失笑モノだよ。
熟れ過ぎた果物をそれと気づかずに食べてる。それが今の一般小説厨のオメデタイところ。
一方、ラノベはまだまだ発展途上だ。
「コレはラノベ」とは言えるけどさ、定義なんて文章の上では見つからない。
漢字が少ない? 文章が稚拙? 高橋弥七郎とかあてはまらない。
ファンタジー? SF? 半月はどうなんだ。
「絵がある」という共通点はあるけどさ、言ってしまえばそれだけ。
文章の上での共通点なんてないし、まだ模索してる最中。
読者の求めてるものがまだわからないから多様化してる。
まだ若い果実なんだよね。みずみずしいとは言わないけどさ。
下がり続けてるものと上がり続けてるものを比べてどっちが優れてるなんて言ってるのは意味がないと思う。
少なくとも俺はそう思う。
いつかは追い抜かされる日が来るからね。
終了
そこら辺の定義からすっとだな、三国志演義、水滸伝、
南総里見八犬伝、立川文庫なんてのもラノベだな。
芝居の原作になっていたのが、アニメの原作に変わっただけだし。
昔からそういった流れはあるんだよ。
つーか、一般小説=純文ってのも見当違いだし。
まぁ、ラノベが時を経て読まれるようなもんだとは思わんが。
南総里見八犬伝をマジで読んでみたんだが、「はまじ」て名前がヒロインでな、
ちびまるこちゃんの「はまじ」を連想するんだけど、萌えるんだよ、いちおう。
だがな。
主人公の信乃は結局、はまじとも、はまじのそっくりさんともできないし。
バッド展開すぎる。もっと信乃とはまじをくっつけてくれていれば、名作だった。
ちなみに、「村雨」て名前の刀は、南総里見八犬伝に出てくる刀の名前だった。
刀の名前は、超有名だな。
村正と勘違いしてね?
むしろ青海波とかのが有名。つーても競馬界だが
村雨であってるだろ。
読んだことないけど、けっこう妖刀が出てくるみたいね。
ちなみに村正は現実の刀工。
徳川家に祟るといわれた。
10 :
イラストに騙された名無しさん:2008/05/28(水) 18:01:55 ID:7G2qdAsx
age
定金伸治
定全伸冶
12 :
イラストに騙された名無しさん:2008/06/08(日) 08:18:25 ID:fMYvQjP7
13 :
イラストに騙された名無しさん:
>>1 「一般小説をも楽しんで読んでいる者がいる」という事実のみで反論できるのが悲しいところだな。