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「本当に言いたいこと」は、言った後に「その言葉では掴みきれない」という否定形で現れる、奇妙な消失点である。それはすべての事象の先に存在する。
物事が終わった後の否定形でしか、人は生きられない。
コズ・グランデン 「幻想の非線形」 皇暦三七七年
E―4に入りD―4に行こうとする途中で放送が流れ出した。
放送が流れ、名前に線を引いてゆく。ガユス・レウ゛ィナ・ソレル━━━━━━相棒にも。24人の中にアイツは入っていた。
悲しみは無い。なのに、何故、こんなにも空虚なのだろう……。
仲間が死ぬことは馴れるものではないとギギナは思った。
放送は終わった。
それと同時に自分の『何か』の終わりを感じた。
そしてまた歩き出す。
頼みごとを済ませねばならない。
真に強き者との死合いもまだまだ足りない。
自分が感じていたほど精神的ダメージはないみたいだ。眼鏡は立派に戦い、そして気高く逝ったのであろう。悲しみは一切、無い。
剣を握る力が入りすぎだとかは気のせいであろう。唇から血がでているのもまた………
悲しみなど、悲しみなど……
あるのは、苛立ち。何故、死んだのかッ………!!
胸の中に怒りが静かに湧いてくる。
ここでギギナは自分でも驚く程の冷静な思考を始める。普通の者ならギギナを異常な思考を持つ戦闘狂だと思いがちだが、実際には違う。咒式師、最高の13階梯を持つということは正常な判断力をもつ戦闘狂だということなのだ。
ガユスを殺したのはクエロ・ラディーン!?いや、違う。クエロはこんな状況下でガユスを殺しはしない。不思議な感覚だがそれだけは確信できた。では、誰が!?
「少し情報を集める必要があるようだな。丁度いい、日が落ちる。…………………ガユスを………弔ってやるか………」
自分で口にするとしっかり感じられた。相棒がもういないことを。
数分後、E―4北西に位置する倉庫を目指していた。
先程、眩い光りが倉庫から発していたのを目撃したからだ。森の中を枝から枝へと疾走している内に倉庫から出ようとしている二人組を発見。眼前に降り立つ。そして、自分には一生、縁の無い言葉を。相棒が得意とした交渉の言葉で問掛けた。
「我が名はギギナ・ジャーディ・ドルク・メレイオス・アシュレイ・ブフ。情報交換を所望するッ!」
自分でも似合わないと苦笑した
【E―4/倉庫入口前/1日目・18:33】
【ギギナ】
[状態]:冷静・静かなる怒り
[装備]:屠竜刀ネレトー、魂砕き
[道具]:デイパック1(支給品一式・パン4食分・水1000ml)
デイパック2(ヒルルカ、咒弾(生体強化系5発分、生体変化系5発分))
[思考]:クエロとガユスとクリーオウの情報収集。ガユスを弔ってやるか。ガユスの仇を………!?。強き者と戦うのを少し控える(望まればする)。クエロを警戒。
坂井悠二、鳥羽茉理と名も知らぬ青年の埋葬を終え、マンションに戻った後で。
藤堂志摩子は考えていた。
由乃が言い残そうとした事を。
それは私達に向けた言葉だろうか。
それともこのゲームには連れられていない由乃最愛の義姉、支倉令に遺した言葉だろうか。
たとえそれがどんな内容でも間違いない事は一つ。
彼女はそれほど切に何かを言い残そうとしたのだ。
もしそれがたった一言の言葉だったとしても、それは大切な意味を持つ事になる。
……そこまで考えて、ふと思った。
彼の方を見ると、たまたまこちらを見ていた目が合った。
「保胤さん、少し構いませんか?」
「なんでしょうか?」
志摩子は保胤に問い掛ける。
「先ほど埋葬された方々は、何か言い残していましたか?」
保胤に一瞬の動揺が走る。
「なぜ、そんな事を?」
その様子に尋ねた志摩子の方が少し戸惑い、答える。
「ただ、気になっただけです。
彼らも由乃さんのように何か大切な事を言い残そうとしたのでしょうか。
もしそうなら……その言葉を知って、出来る事をしたい。そう思います」
「…………そうですか。では、話せる事だけでも話しましょう」
保胤は頷き、語り始めた。
「坂井悠二くんについては以前に……いえ、あなたは居ませんでしたね。
彼はただ、このゲームに必死に抗する事と、それとシャナさんの事を考えていました。
自らの死を無念に思いながらも、心のどこかでそれを覚悟し、受け入れていました。
そして不幸にも……皮肉な幸いにも、彼はシャナさんの苦境は知りません。
骸は包まれ、埋葬の時にシャナさんはもう居なかったからです」
志摩子は神妙に頷く。
遺体は『状態が悪いため』包まれたまま埋葬されたが、彼は志摩子よりも若い少年だという。
彼女のように平和な世界に居たのではないだろう。
それでも自らに当てはめて考えると、自分の覚悟がそこまで貫けるか自信が無かった。
(それでも、そうしなければならない)
生を諦めず、しかし死をも覚悟する、二律背反の決意。
それさえも出来ないようでは、無力な自分は他の足を引っ張る事しか出来ないだろう。
「鳥羽茉理さんについては……」
話そうとし、保胤の視線が別室のドアへと泳ぐ。
竜堂終は今、別室でメフィストの治療を受けている。
「…………藤堂さん。あなたは、竜堂終くんの事をどう思いますか?」
これはきっと、少年の心に関する事だろう。
志摩子は少し考え、答える。
「……とても真っ直ぐで、元気で、強い男の子だと思います。
こんなにもひどい殺し合いの中で、たくさん失って、たくさん泣いただろうに、
それでもまだ笑う事ができる……強い男の子です」
でも、と付け加える。
「あんなにも真っ直ぐだから、とても辛いはずなのに」
保胤は頷いた。
きっとそれが彼の望んだ返答だったのだろう。
「では、お話しします。
……鳥羽茉理さんは、大きな未練を残して死にました」
その言葉は、話すと決めてもなお躊躇いに満ちていた。
「大切な人……終くんの兄の竜堂始さんを失った事。
殺し合いに抵抗しようとして叶わなかった事。
そして逃れようもなく殺される恐怖と絶望に」
志摩子はあの“放送”を思い出す。
響きわたる恐怖に満ちた悲鳴、悲しくも恐ろしいあの“放送”を。
「この事は彼には話していません。
ですが……あの“放送”を聞き、死体を見たからには想像もできる事でしょう」
志摩子は保胤の言葉の意図を理解した。それはつまり。
「保胤さんは、私に彼を守れというのですか」
「頼めませんか?」
「……………………」
志摩子は言葉に詰まる。
しかし沈黙はそう長い物ではなかった。
死者の言葉を知って、出来ることをしたいと言ったのは志摩子自身だ。
「…………私にそこまでを背負えるかは自信がありません」
その内の想い――それでも良ければ。
それを見て取って、保胤は静かに言った。
「それでも、為そうとすれば為る事は有ります」
「……はい」
志摩子は頷いた。
為せるならば、為そう。
そして志摩子は再び問い掛けた。
「では……あの男の人の死体は、霊は、何を言い残したのですか?」
「…………共にいた鳥羽茉理さんを護れなかった事。
それとこのゲームへの憤りを含んだ、無念です。
あとは自らの名前を……シズ、と」
志摩子は少し待ち、問い直した。
「それだけですか?」
「…………え?」
これだけでは意味が伝わらない。少し改めて訊きなおす。
「同じ世界から連れてこられた友人の方などは居ないのでしょうか」
「……居たのかもしれません。けれど目の前の一人に構う事で精一杯だったのでしょう」
「そうですか、それならいいんです」
志摩子の方から聞く事は、他にはなかった。
* * *
坂井悠二、鳥羽茉理と共に居た青年の埋葬を終え、マンションに戻った後で。
慶滋保胤は考えていた。
青年の遺した言葉を。
埋葬の時、彼はひっそりと語りかけた保胤に、言った。
『私は、君の後ろに居る少女と同じ服を着た少女を殺してしまった』
現世に注意を引いた死者の魄は、保胤の背後の少女、志摩子の姿を捉えていた。
保胤は彼にだけ届くように小さな声で、言った。
「それはまさか、島の北西端の事ですか」
『そうです』
短い肯定。
『彼女は恐怖に錯乱していた。だけど私が殺した事には変わりない。
もしあの少女が彼女の友であるなら、赦されるとは思わない。
だけどもし良ければ、せめて謝らしてほしい。すまないと』
青年との会話は本当に短い物だった。
『それと屋上で殺された彼女とその友人にも謝らせてほしい。守れなくて、すまない』
「判りました。……あなたの、名前は?」
『…………シズ』
それだけの会話だった。
彼が鳥羽茉理を守ろうとした事は竜堂終に伝えても良いだろう。
彼はその遺志も自らの意志として前に歩く力にするだろう。
しかし志摩子に対する謝罪はどうするのか。
(憐れみ埋葬した青年が親友を殺した仇だったと知れば、彼女はどうするでしょうか)
道を外れた事はしないと信じたい。
彼女の心には強く優しい仏が住まうのだから。
だが人は誰しもが仏であり、鬼なのだ。
どんな悪鬼の心にもささやかな仏が住まい、そしてその逆もまた真である。
それは逃れえぬ人の業だ。
ましてや業深き殺し合いの島ともなれば、安らかに生きてきたか弱き者には辛かろう。
そこまで考えて、何か違和感を感じた。
志摩子を見つめた。
何かを見落としている、そんな気がする。
志摩子が顔を上げ、保胤に問い掛けた。
「保胤さん、少し構いませんか?」
「なんでしょうか?」
「先ほど埋葬された方々は、何か言い残していましたか?」
丁度その事について考えていただけに動揺してしまう。
(まさか……魄と交わした会話に、気づいていたのですか?)
動揺を極力抑えて訊き返す。
「なぜ、そんな事を?」
聞き返された志摩子も僅かに動揺を見せて返答する。
「ただ、気になっただけです。
彼らも由乃さんのように何か大切な事を言い残そうとしたのでしょうか。
もしそうなら……その言葉を知って、出来る事をしたい。そう思います」
(……そうか。由乃さんの言葉を伝えたから)
他の死者の話も聞いているかもしれない。
純粋にそう思った……だけ?
「…………そうですか。では、話せる事だけでも話しましょう」
戸惑いつつも保胤は語り始めた。
坂井悠二については隠すことも無い。僅かな事を出来るだけ教えた。
次に鳥羽茉理について。
そこでふと思いつき、竜堂終の居る別室を見る。
藤堂志摩子は保胤より竜堂終の方が、僅かに古くから居た仲間だ。
そして竜堂終は鳥羽茉理の親友で、シズ青年は鳥羽茉理の事を守ろうとした仲間。
「…………藤堂さん。あなたは、竜堂終くんの事をどう思いますか?」
言ってからこの言い方では語弊を招くかと思ったが、志摩子は真面目に返答する。
「……とても真っ直ぐで、元気で、強い男の子だと思います。
こんなにもひどい殺し合いの中で、たくさん失って、たくさん泣いただろうに、
それでもまだ笑う事ができる……強い男の子です」
一度言葉を切り。
「でも、あんなにも真っ直ぐだから、とても辛いはずなのに」
その言葉を聞いて、保胤は彼自身の基準からすれば醜い打算を働かせた。
躊躇いながらも、鳥羽茉理の無念を志摩子に伝えた。
どれほど恐怖と絶望に殺されたのかを伝え、そして言った。
「この事は彼には話していません。
ですが……あの“放送”を聞き、死体を見たからには想像もできる事でしょう」
藤堂志摩子は少し考え、すぐにその意味を理解した。
「保胤さんは、私に彼を護れというのですか」
「頼めませんか?」
もし、何かの拍子にシズ青年が由乃を殺したという事を知ったとしても、
竜堂終の心が彼女にとって護る対象で、シズ青年が鳥羽茉理を守ろうとしていたならば、
彼女の強すぎる責任感は事を荒立てようとはしないだろう。
そしてもちろん額面通り、竜堂終も傷付いているであろう心を護って欲しい頼みでもあった。
人の死すらも打算に使っている事に軽い自己嫌悪を覚える。
(それでも、私は一人でも傷付かない事を望みます)
「……………………」
志摩子はしばらくの沈黙の末に答える。
「…………私にそこまでを背負えるかは自信がありません」
それは一見すると否定にも聞こえる。心が弱いから出来ないと。
けれどその想いが有るならば、彼女ならそれを果たすだろう。
そう思い安堵し、静かに言った。
「それでも、為そうとすれば為る事は有ります」
「……はい」
志摩子は頷いた。
息を吐く。
そんな彼に、志摩子は再び問い掛けた。
「では……あの男の人の死体は、霊は、何を言い残したのですか?」
「…………共にいた鳥羽茉理さんを護れなかった事。
それとこのゲームへの憤りを含んだ、無念です。
あとは自らの名前を……シズ、と」
保胤はシズが由乃を殺した事を隠す事にした。
彼の謝罪までも包み隠してしまう事はすまないと思うが、
そもそも志摩子がこの事に気づかなければ様々な打算を生んだ不安は全て杞憂となるのだ。
保胤が言わなければ、少なくともこの集団の中にそれを知る者は誰も居ない。
「それだけですか?」
「…………え?」
完全に虚を突かれ、呆とした声が出てしまう。
志摩子はすぐに言い直した。
「同じ世界から連れてこられた友人の方などは居ないのでしょうか」
「……居たのかもしれません。けれど目の前の一人に構う事で精一杯だったのでしょう」
「そうですか、それならいいんです」
志摩子はすぐに引き下がった。
保胤は違和感の正体に気づいた。
(まさか、彼女も死者の声が聞こえていたのでは?)
そう勘ぐってしまう。
気のせいだとは思う。
彼女は確かにただの一般人にしても心が強い。
しかし死者の声を聞ける者は、この島で出会った超常の者達を含めても保胤だけだ。
彼らは世界法則と技術体系がまるで違う複数の世界よりこの島に呼び込まれた。
同じ技術を知る者など……
『私が彼女に遭ったのは、既に殺されてしまった後です。
彼女の魄は強い未練に引かれて地に縛られていました。
あ、魄とは……』
『白骨に宿り地へと還る人の意志ですね。どうぞ続きを』
(あっ…………!)
彼女は保胤が居た世界の死生観を知っていた。
それはつまり……“そういう事”なのだろうか?
もしそうだとすれば、彼女は何を想うだろう。そう、例えば……
(…………私を、恨むかもしれませんね)
親友を殺した仇が目の前の死体である事を知っていながらそれを隠そうとした。
自らの手で親友の仇の埋葬に伴ったという皮肉を止めようとしなかった。
『それだけですか?』
訊ねてきたのは、保胤に正直に話す最後のチャンスを与えたのではないか?
『そうですか、それならいいんです』
それを断った保胤に対して、それならいいと言ったのは……
貴方を許さない、そんな意味なのではないだろうか。
(…………考えすぎです)
そう自らに言い聞かせる。
疑心を杞憂だと拭い去ろうとする。
しかし一度芽生えた疑心は、既に保胤の心に根を張っていた。
【C-6/マンション/1日目・19:50】
【大集団】
【慶滋保胤】
[状態]:不死化(不完全ver)、疲労は大分回復
[装備]:ボロボロの着物を包帯のように巻きつけている
[道具]:デイパック(支給品一式(パン6食分・水2000ml))、「不死の酒(未完成)」(残りは約半分くらい)
[思考]:静雄の捜索及び味方になる者の捜索。 シャナの吸血鬼化の進行が気になる。
藤堂志摩子に対して『死者の声を聞ける?』『恨まれた?』という疑心を抱いた。
【藤堂志摩子】
[状態]:健康
[装備]:なし/衣服は石油製品
[道具]:デイパック(支給品入り・一日分の食料・水2000ml)
[思考]:争いを止める/聖を止める/祐巳を助ける/由乃の遺言について考える
出来るならば竜堂終の心も心配
h
保守
第三回放送が終わり、湖跡地の丘の上には、居心地の悪い静寂が訪れた。
名簿と地図と筆記用具を収納しつつ、EDは嘆息する。
(状況が変わった。悪い方へ、想像以上の早さで)
たった6時間で、24名もの犠牲者が亡くなった。
まだ初日すら終わらぬうちから、参加者は半数以下にまで減った。
それだけでも厄介だというのに、その上、聞き覚えのある名前が数多く呼ばれた。
EDの協力者、李麗芳は死んでいた。
(彼女には、死ななければいけない理由などなかった)
金色の力強いまなざしを思い出し、彼は静かに目を伏せる。
麗芳と別行動すると決めた過去を、悔やんでいるわけではなかった。
EDが麗芳に同行していても、死体が一つ増えていただけだった可能性の方が高い。
彼にできることはそう多くない。そして、己を知らぬ者に戦地調停士は務まらない。
麗芳の仲間、袁鳳月と趙緑麗も死んでいた。
(さぞかし無念だったろう)
守るべき友を守れず、倒すべき敵を倒せず、神将たちは命を落とした。
EDが個人的に関心を持っていた相手、霧間凪も死んだ。
(一度、会って話したかった)
言いたかったことも、訊きたかったことも、諦めるしかなくなった。
懐中電灯を取り出しながら、さらにEDは思索する。
ヒースロゥ・クリストフが健在なのは幸いだ。
(だが、あいつは殺人者を――手駒にできるかもしれない参加者をきっと殺していく)
仲間を一気に失った李淑芳は、もはや正気でいるかどうかすら怪しい。
(自殺するかもしれない。最悪の場合、無差別に他者を襲うようになるかもしれない)
宮下藤花の生存は、喜ぶべきことなのか判断しかねる。
(目的は、優勝でも脱出でも復讐でも私闘でもなさそうな気がする。得体が知れない)
ED以外の三名にとっては縁の薄い面々だが、その生死は島全体に影響する。
影響の大小には差があるものの、どれ一つとして無視はできない。
他にも様々なことを考えながら、EDは周囲に視線を向けた。
蒼い自動歩兵は、霧の中で、無言のまま天を仰いでいた。
赤い血文字は、ただ【…………】と沈黙を表現している。
彼らから得た情報と第三回放送の内容を頭の中で並べ、EDは決断する。
「灯台へ向かう前に、やるべきことが増えました」
眠り続ける風見を起こさない程度の声で、仮面の男が言い放つ。
○
EDから用事を頼まれて、子爵は地下通路へ戻ろうとしていた。
麗芳に宛てた置き手紙を処分してくること、それが用件だった。
気持ちの整理をするための時間を、大義名分つきで与えられた形だ。
【……こうなった場合も考えて用意した置き手紙か】
このまま子爵が誰かの仇討ちに向かい、戻ってこなくなる可能性も承知の上だろう。
しかし、そうはならないとEDは見越しているはずだ。
故郷にいた頃からの知人は早々に死んだこと、次の夜明けまでは活力を補充できない
こと、それに、自分は紳士であるということ――それらを子爵はEDに伝えていた。
我を忘れて暴走したくなるほど特別な誰かはこの島におらず、自身の弱体化具合を
正確に理解しており、約束を破る不名誉を嫌っている、と告げたようなものだ。
どことなく様子がおかしくなった自動歩兵と対話するなら一対一の方がやりやすい、
という思惑もEDにはあっただろう。
彼が子爵を遠ざければ、それは“蒼い殺戮者に対する脅迫”という手段を捨てた証と
なる。実行する気はなくても、子爵の能力をもってすれば風見を人質として使うことが
可能ではあった。その選択肢をあえて潰してみせることで、誠意を示したわけだ。
また、冷徹なまでに感情を封じる自制心こそが、あの丘の上では必要とされていた。
辛く苦しい役割を、EDは一人で引き受けようとしている。
【……今は、彼の厚意に甘え、任された仕事をしよう】
移動しながら、多少なりとも関わった参加者たちのことを、子爵は回想する。
EDたちと合流するまでに、悲嘆も憂慮も済ませておくべきだった。
凛々しく毅然としていた赤ずくめの美女、哀川潤は死んだ。
【おそらくは、誰かを守るために戦って死んだのだろう】
最後に守ろうとした相手が誰だったのかは判らないが、それだけは確信できる。
福沢祐巳は死んでいないが、それは祐巳自身の意思と力によってではない。
【あの子に、再び会わねばなるまい。何があったのか確かめる必要がある】
紳士としての矜持と、力を与えた者としての責任感が、決意の源だった。
【それに、カーラとやらの目的も気になるところだ】
一筋縄ではいかない存在なのだろう、と子爵はカーラを評する。
キーリという少女は死に、彼女を探していた青年、ハーヴェイは生きている。
【彼は彼女に会えたのだろうか? 今、どこで何をしているのだろうか?】
どんな想いで彼が放送を聞いたのか想像して、子爵はまた少し悲しくなった。
ハーヴェイに教えてもらった危険人物、ウルペンは生きている。
【天敵、ということになるのだろうな】
彼が使うという“乾かす力”は、子爵に致命傷を与えられる能力だと思われる。
また、彼が持ち去ったという炭化銃は、すさまじい殺傷力を備えているそうだ。
リナ・インバースも生きているが、その傍らに支え合う仲間がいるかは判らない。
【孤独と不安と憎悪に負けて、自暴自棄になっていてもおかしくはないか】
会えたとしても、アメリアの最期を伝える前に、襲いかかってくるかもしれない。
佐藤聖と十叶詠子の名前も、案の定、放送では呼ばれていない。
【どうにか上手く協力できればいいのだが】
あの二人の在り方は、それぞれ他者と共存しづらい面がある。できることなら敵対は
避けたいところだが、皆が納得できそうな妥協点はなかなか見つかりそうにない。
彼女たちと情報交換したときのことを思い出し、子爵の移動速度が鈍くなる。
EDや麗芳をできるだけ襲わないでほしい、と子爵は頼んだが、EDや麗芳の知人に
関しては言及していない。麗芳のことも信じていなかったが、彼女を疑っていなかった
EDの判断を子爵は信じた。EDが最後に麗芳と会ってから長い時間が経っていたわけ
ではなく、その時点で麗芳が敵である可能性は低かった。だから盟友として認めた。
【……見知らぬ盟友候補者を、無条件に信じることはできない】
子爵にとっては、信用できない盟友候補者たちよりも、聖と詠子の方が大切だった。
こんな状況下では、温和だった人物が他者を襲ったとしても、驚愕には値しない。
【誰か一人への好意は、それ以外の全員に対する悪意と表裏一体であるが故に】
誰か一人を救うため、それ以外の全員を殺す――そんな決着を望む者もいるだろう。
【盟友候補者の誰かが血塗られた道を選んでいたとしても、不思議ではない】
異常な早さで命が奪われているこの島で、敵かもしれない相手を信じるのは難しい。
詠子の語った、佐山御言とダナティア・アリール・アンクルージュは存命中だ。
【さて、その二人は本当に先導者なのか、それともただの煽動者なのか】
伝聞のみを根拠にした憶測ではどちらとも断定できないが、会えば判ることだろう。
祐巳や聖の友人だという藤堂志摩子も、生き残っている。
話を聞いた限りでは、じっと隠れているよりも友人を助けに行くことを選ぶ性格の
少女らしいが、最弱に近い程度の力しかないそうだ。ならば独力での生存は難しい。
【十中八九、かなりの実力者と一緒にいるのだろう。いや、実力者“たち”か?】
だが、彼女の庇護者が必ずしも善良であるとは限らない。他者を油断させるために
利用されているのかもしれないし、24時間以内に誰も死ななそうなとき殺せるように
保護されているだけなのかもしれない。
また、善良なのか判らないという点では、志摩子も同じだ。
今の彼女が普段と同じ彼女であるという保証は、どこにもない。
他者を利用しているのは彼女の方なのかもしれない。ひょっとしたら、騙し討ちで
幾人か殺していたりするのかもしれない。疑うことは、とても簡単だった。
地下通路に到着した子爵は、手紙を念力で運び、水中に沈めて引き裂いた。
休まず作業をこなしながら、子爵は追憶し続ける。
ついさっきまで手紙だった物が、解読不能なほど細かく分割され、流されていく。
○
蒼い殺戮者は、『ゲーム』が開始された直後の記憶を思い出していた。
天を目指してどんなに飛んでも、一定以上の高度からは上昇が不可能になる。
試さなくても、水平方向への飛翔にも限界が設定されていると想像はつく。
視線を上げた先にあるのは、空の紛い物でしかなかった。
(あの空の彼方には、何者も飛んで行けない。ならば、この島で体を失った魂は、この
箱庭じみた世界から決して出られないのではないか?)
しずくを探しに行きたいという衝動が、培養脳の中で暴れている。
(せっかく得た協力者たちを置いて去り、この同盟から脱退してまで、しずくの捜索は
今すぐにやるべきことか?)
同時に頭の片隅では、行動方針の変更を拒絶する思考が延々と繰り返されている。
結果として、一歩も動かず、一言も語らず、蒼い殺戮者は数分間を無為に過ごした。
「…………」
放送でしずくの名前を聞いた瞬間に、蒼い殺戮者の中で、何かが変わった。
その変化を、まだ彼は処理しきれていない。
蓄積してきた記憶にはない、初めての感覚を、蒼い殺戮者は持て余していた。
培養脳が軋んでいるかのようなその錯覚が何なのか、彼には判らなかった。
「念のために訊いておきますが」
子爵を見送り、振り返ったEDの仮面が、蒼い殺戮者に向けられる。
「しずくさんという方は、あなたの大事な方なんですよね」
質問ではなく確認だった。
それくらいは、放送を聞きながら周囲を観察してさえいれば、誰にでも判ることだ。
蒼い殺戮者の視線がEDの視線と交錯し、それだけでEDは事実を把握した。
「では、この島に間違いなくしずくさん本人がいたという確信はありますか?」
こつこつと指先で仮面を叩きながら、EDが言葉を継ぎ足す。今度は質問している。
「……いや、同名の別人だったという可能性も一応はある」
蒼い殺戮者の答えに、仮面を叩く指先が止まった。
興味深げな口調で、EDは問う。
「最初の、管理者たちと対面した場所では、しずくさんを見なかったんですか?」
そんなことを訊いてどうするのかよく判らないまま、それでも自動歩兵は答えた。
「そうだ。あの場所では今以上に機能が制限されていて、ろくに行動できなかった」
反抗を警戒して念入りに施された処置だと仮定すれば、つじつまは合う。
指先が、また仮面を叩き始めた。
「しずくさんからはあなたの巨体が見えていたとしても、あの場所で勝手な真似をして
殺されるくらいなら動かずにいたい、という心理は当然でしょうね。しずくさんが
本当にいたとすれば、ですが」
「何が言いたい?」
「おかしいんですよ。たった18時間のうちに60名が死に、さっきの放送では24名も
死んだと言っていましたけれど、いくらなんでも死にすぎているとは思いませんか?
本当に、そんな大勢の参加者が亡くなっているんでしょうか?」
かすかに怪訝そうな声音で、蒼い殺戮者は問答を続ける。
「参加者の大半が索敵能力を備えた戦闘狂だとするならば、ありえなくはない数字だ」
蒼い殺戮者が出会った参加者のうち、彼に対して敵意を向けなかったのは、風見と
EDと子爵だけだ。それ以外の遭遇者たちは、多かれ少なかれ平和的ではなかった。
世知辛い結論に至るのも仕方ないといえば仕方ない。
だが、その意見をEDは即座に否定する。
「ありえません。まだあなたには教えていない情報を、僕は麗芳さんや子爵さんから
得ていますが、その中には他の参加者についての情報も含まれています。どう見ても
そんじょそこらの一般人でしかないような参加者もいたそうですよ。無益な争いを
厭う方々だって結構いたようです」
「何故、その情報が真実だと判る?」
誤報からは誤解しか生まれない。裏付けのない情報を鵜呑みにすることはできない。
大袈裟に肩をすくめて、戦地調停士は苦笑してみせた。
「これでも僕は交渉の専門家ですから、情報の分析は得意でして。それに、僕みたいな
口先だけが取り柄の人間まで招かれているくらいですから、荒事が苦手な参加者も
それなりにいると考えるべきですよ。まさか僕を戦士だとは思っていませんよね?」
EDの度胸は並ではないが、それは文官の強さであって、武人の強さではない。
実戦経験豊富な自動歩兵からすると、瞬殺できそうな相手にしかEDは見えない。
「…………」
蒼い殺戮者の無反応を、黙認の表現だと理解し、戦地調停士は言葉を重ねていく。
「そういう方々の多くが殺し合いに耐えかねて自殺している、とは考えにくいですね。
自殺志願者や戦闘狂を参加者として集めたというなら、どちらでもない例外ばかりが
こうやって関わり合っていることになります。明らかに不自然でしょう」
「では、どう考えれば筋が通る?」
「参加していない人物を参加者であるかのように扱い、知人と再会できないまま死んだ
ということにする。知人を殺されたと思い込んだ参加者は、復讐者となり仇を探す。
けれど、いつまで探しても仇が見つかることはない。いずれ復讐者は生き残り全員を
疑いの目で見るようになり、やがて仇でも何でもない参加者を襲い始める――あんな
連中ならば、こういう筋書きを喜んで用意しそうですよね」
目元を覆う仮面の下で、唇の端が歪められる。
「無論、生贄役に本人を用意した上で主催者側が直々に殺して回ったとしても、疑念を
育てることはできます。しかし、手間暇かけて本物を使ったところで、劇的に効果が
増すというわけではないでしょう。わざわざ本人を用意してまでそんなことをする
くらいなら、ありのままの状況で殺し合わせた方が合理的だ、とは思いませんか?
まぁ、実際は、何の作為もないとは考えにくいほど犠牲者が増え続けていますが」
これは、しずくの名前を利用して蒼い殺戮者を暴れさせようとする陰謀ではないのか
――そんな可能性をEDは提示している。しずくは今も生きているのではないか、と。
「…………」
蒼い殺戮者は、徐々にではあるが落ち着きを取り戻していった。
○
内心の緊張を、EDは少しも態度に出さない。
もっともらしく述べた仮説をED自身があまり信じていない、と気づかれるわけには
いかなかった。そんなことになれば、蒼い殺戮者が離反するおそれさえある。
騙してでも、欺いてでも、今ここで戦力の分散を許すべきではなかった。
もうすぐ子爵が戻ってくる。そうなれば出発の準備は終わる。
(まずは灯台へ向かい、先客がいれば交渉し、交渉が決裂すれば制圧を考え、勝ち目が
ないと判断すれば逃亡する。誰もいなければ、そのまま灯台に潜伏すればいい)
拠点を確保できれば、その後の活動は少しだけ楽になる。
疲弊している風見の護衛として、活力の消費を抑えたがっている子爵に留守を任せ、
EDや蒼い殺戮者は単独行動ができるようになる。
(まぁ、僕が拠点に常駐していても大して役には立たないからな。手分けして動くべき
だろう。人手も時間も無駄にしている余裕はない)
体力に自信がないEDは、しばらく拠点で休息してから探索を再開するつもりだ。
しかし、蒼い殺戮者はすぐにでも動きたがるに違いない。
(BBさんがいる間に風見さんを起こして、事情を説明しておく必要があるか。詳細な
情報交換も、できればそのときに済ませてしまいたいが)
そこから先のことは、臨機応変に決めていくしかないだろう。
目先の問題についての思考が一段落し、大局を見据えて悩む時間が始まった。
(我々の生き死にを弄ぶ、何らかの作為が見え隠れしている。それは確かだ。しかし、
その作為がいかなるものなのかは判らない。謎を探るための方法さえ判らない)
赤い血溜まりが、丘の上へと登ってきた。
(今はただ堪え忍び、力を蓄えていくしかないということか)
地面に降ろしていたデイパックを再び背負い、EDは口を開く。
「それでは、灯台へ行きましょうか」
ごくわずかにではあったが、霧は薄くなり始めていた。
○
時計の針は20:10を示している。
時刻を確認し、懐中電灯のスイッチを切って、風見は溜息をつく。ベッドの上で体を
丸めて目を閉じても、睡魔は訪れてくれなかった。
(今は、さっさと元気にならないといけないのに)
部屋の扉の向こうからは、寝ていた間に増えていた同行者の声が聞こえていた。
増えた協力者の片方は声を出せないので、電話で話しているかのように聞こえる。
どうやら、DVDが面白かったとかいう世間話をしているらしい。
(こんな状況下で雑談かぁ……現実逃避したくなってるのか、実は大物なのか、単に
頭がおかしいのか……あー、ひょっとしたら、その全部かもしれないわね)
仮面の変人やら自称吸血鬼の血溜まりやらが隣にいても、あまり風見は気にしない。
普段の環境が似たようなものだったせいだろう。
(参ったな)
風見が蒼い殺戮者に起こされて、ここがA-7の灯台であることや、二名の参加者と
遭遇した末に協力していることなど、いろいろ説明され終わったのが数十分前だ。
その後で、食事をしたり、EDから解熱沈痛薬やビタミン剤を譲られて服用したり、
四名そろって情報交換したり、そういった雑事を風見は済ませていた。
風見が作って持ち歩いていた朝食の残りは、制作者自身の胃袋へ収まった。風見は
EDにも試食を勧めたが、「第三回放送の前にパンを食べたばかりですから」と言って
彼は丁重に辞退した。子爵が【病人なのだから、遠慮なく栄養を独占したまえ!】と
書き綴り、それを読んだ風見は思わず苦笑したものだった。
今、休む時間と個室と寝床を与えられ、けれど風見は眠れないでいる。
(これから、どうなるんだろ)
灯台には何者かが潜伏していた形跡があり、しかし滞在者はおらず、死体もなく、
罠の類や怪しい仕掛けも発見できなかった。一同は、この灯台を拠点として使うことに
なったわけだが、絶対に安全だという保証は当然ない。
19:00にC-8が禁止エリアになったため、そこにいた参加者が灯台を訪れるという
事態は充分にありえる。運が悪ければ戦闘になるはずだ。
(今のうちに覚悟しとこう)
EDも子爵も悪人ではなさそうだったが、風見をどうしても助けなくてはならない
理由など彼らにはない。自分の命を危険に晒してまで風見を守らねばならないような
義務も彼らにはない。
現時点でもEDや子爵は充分に親切だ。これ以上を望むのは傲慢というものだろう。
(私を置き去りにして、彼らが敵から逃げたとしても、それを恨むのは筋違いよね)
また、襲撃者が吸血鬼だった場合、血に飢えることがどれほど苦しいのか知っている
子爵は、無意識のうちに手加減をしてしまうかもしれない。殺すつもりで襲ってくる
吸血鬼を、できるだけ殺さないつもりで倒そうとする子爵が躊躇しながら迎撃すれば、
結果的に風見やEDを守りきれなくなるかもしれない。
蒼い殺戮者は、さっき灯台を去り、探索をしに行った。再会できるのは、早くても
第四回放送が始まる頃だ。心細いと風見は思う。しかし、仲間を集めて脱出するなら、
どうしても誰かが拠点から動かねばならない。
しばらく休憩した後で周辺の様子を見に行く予定だとEDも言っていた。
蒼い殺戮者がいない間に、EDや子爵が風見を殺そうとする――そんなことが起こる
確率は今のところ低い。EDも子爵も理知的な参加者だった。比較的簡単に殺せそうな
病人を殺すつもりなら、なるべく後で殺したがるだろう。“誰も死ななかった”という
放送が三回連続するまでは、殺害を急ぐ必要がないからだ。
情報交換の際に、EDは「毒薬や睡眠薬も支給されました」と言って、付属していた
説明書を他の三名に公開していた。風見に毒を盛る気ならこんなことはしない、と皆に
確信してもらうための行動だろう。故に、風見は毒殺される心配をしていない。
けれど、風見は、EDから睡眠薬をもらう気にはなれなかった。
薬の力で眠ったら、敵が現れたときに起きられないかもしれない。
風見はEDや子爵を殺人者だとは思っていないが、いざというとき頼りになる味方だ
とも思っていない。
――“今のところ敵対していない相手”は“仲間”と同じものではない。
蒼い殺戮者から聞いた第三回放送の内容を、風見は思い出す。
(覚も佐山も、それから海野千絵も、まだ生きてる。会えるといいんだけど)
情報を大量に集めていた子爵でさえ、出雲の居場所や千絵の現状などについては何も
知らなかった。佐山についての情報はあったが、すぐに合流できるほど詳しくはない。
佐山は新庄の死をも受け止め、進撃することを選んだという。
(なんとなく、そんな気はしてた)
眉尻を下げ、風見は複雑な表情をした。
生きていてほしい相手だけでなく、死んでほしい相手も生きている。
(甲斐も、ドクロとかいう自称天使も健在か。正直、あんまり関わりたくないわね)
物部景の仇は生死不明だ。名前が判らない以上、放送では確認しようがない。
(もしも、あの銃使いと再会したら、そのとき私はどうするのかしら?)
自問に自答は返らない。
第二回放送の頃に機殻槍を持っていたという青年、ハーヴェイは死んでいない。
(G-Sp2が飛んだ理由を知ってるなら、私に対する印象は最悪でしょうね……)
緋崎正介が死に、危険人物は一人減った。
(でも、緋崎を殺した参加者は、緋崎より危険かもしれない)
蒼い殺戮者の探していた三名のうち、一人は亡くなり、二人は生きていたという。
今ここにはいない自動歩兵の横顔を、風見は思い出す。
(大丈夫……なのかな)
表面上は平然としているように見えても、苦悩を隠しているということもある。
第三回放送で告げられた死者の総数は24名に及んだ。ひどく異様な状況だった。
(参ったな)
EDの語った“主催者側による偽情報説”を信じていいのか否か、風見は迷う。
顔をしかめて、風見は寝返りをうった。
【A-7/灯台付近/1日目・20:05頃】
【蒼い殺戮者(ブルーブレイカー)】
[状態]:精神的にやや不安定/少々の弾痕はあるが、今のところ身体機能に異常はない
[装備]:梳牙
[道具]:なし(地図、名簿は記録装置にデータ保存)
[思考]:この島で死んだという“しずく”が、己の片翼たる少女だったのか確認したい
/風見・ED・子爵と協力/火乃香・パイフウの捜索/第四回放送までに灯台へ戻る予定
/脱出のために必要な行動は全て行う心積もり
【A-7/灯台/1日目・20:15頃】
『灯台組』
【エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED)】
[状態]:健康
[装備]:仮面/懐中電灯
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式(パン3食分・水1400ml)/手描きの地下地図
/飲み薬セット+α(解熱鎮痛薬とビタミン剤が1錠減少)
[思考]:同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す/この『ゲーム』の謎を解く
/しばらく休憩した後、周辺の様子を探り、第四回放送までに灯台へ戻る予定
/盟友候補者たちの捜索/風見の看護
/暇が出来たらBBを激しく問い詰めたい。小一時間問い詰めたい
[備考]:「飲み薬セット+α」
「解熱鎮痛薬」「胃薬」「花粉症の薬(抗ヒスタミン薬)」「睡眠薬」
「ビタミン剤(マルチビタミン)」「下剤」「下痢止め」「毒薬(青酸K)」以上8つ
【ゲルハルト・フォン・バルシュタイン(子爵)】
[状態]:やや疲労/戦闘や行軍が多ければ、朝までにエネルギーが不足する可能性がある
[装備]:なし
[道具]:なし(荷物はD-8の宿の隣の家に放置)
[思考]:アメリアの仲間達に彼女の最期を伝え、形見の品を渡す/祐巳のことが気になる
/盟友を護衛する/灯台に滞在する/同盟を結成してこの『ゲーム』を潰す
/いろいろ語れて嬉しいが、まだDVDの感想については語り足りない
[備考]:祐巳がアメリアを殺したことに気づいていません。
会ったことがない盟友候補者たちをあまり信じてはいません。
【風見千里】
[状態]:風邪/右足に切り傷/あちこちに打撲/表面上は問題ないが精神的に傷がある恐れあり
[装備]:懐中電灯/グロック19(残弾0・予備マガジンなし)/カプセル(ポケットに四錠)
/頑丈な腕時計/クロスのペンダント
[道具]:懐中電灯以外の支給品一式/缶詰四個/ロープ/救急箱/空のタッパー/弾薬セット
[思考]:早く体調を回復させたい/BB・ED・子爵と協力/出雲・佐山・千絵の捜索
/とりあえずシバく対象が欲しい
[備考]:濡れた服は、脱いでしぼってから再び着ています。
EDや子爵を敵だとは思っていませんが、仲間だとも思っていません。
※地下通路に残されていた麗芳宛ての置き手紙は処分されました。
今夜のミラノは雷雨の様だ。
ここミラノにある剣の館の窓にも激しい雨が叩きつけられている。
その館の執務室で二人の女性による密談は一時間を過ぎようとしていた。
「つまり私達に救援を求めると、そういうことですか、バベル議長?」
執務室の椅子に持たれかかりながら紅い法衣を纏った“世界でもっとも美しい枢機卿”━━━━カテリーナ・スフォルツァは向かいに座る山羊の角が生えた天使に情報の確認をする。
「その通りじゃ、ミラノ公」
あの忌まわしき主催者を打倒するにはルルティエでは荷が重すぎる。他の打倒者達も同じ考えであった。主催者を倒し、参加者を助けるには生半可な戦力では不可能。しかも、あちらの状況も戦力も一切不明。参加者の生死すらもわからずじまい。
会議は止まり誰もが絶望する中、眼帯をした一人の天使が一つの希望を口にした。
「主催者を打倒するためには主催者に詳しい方をここに連れて来たほうがいいのではないでしょうか」
その提案はすぐさま賛成され、ルルティエ議長は主催者と闘っているという機関のトップとコンタクトを取ることに成功したのだった。
「わかりましたバベル議長。『ガンスリンガー』、『クルースニク』彼をこの部屋に」
「肯定(ポジティブ)」
それまで二人の会話を部屋の隅で聞いていた小柄な神父は主の言葉を聞き、部屋から音も無く出ていってしまった。
「ミラノ公!話を聞いておられなかったようじゃな!わらわは『戦力』と言ったはずじゃ!一人の力で何が出来るのじゃ!?」
ドクロやその他の参加者を助けるというのに一人だけじゃと!
この麗人は何を言っているのか……
今ここに『ガンスリンガー』がいたならばバベルに銃を向けていたであろう。だが、天使の責めを止めたのは麗人の一言だった。
「はい、聞きましたよ。議長」
「では何故…」
「手元にいて、なおかつこの任務に合っているのは彼しかいません。そして今ココにくるのはAx最高の派遣執行官です。それと同時に私が一番信頼している人物。お茶でもどうです?彼がくる時間までには、一杯の紅茶を飲む時間くらいはあるでしょう。」
……それではいただくとするかの……」
麗人が『クルースニク』とやらを話す時の顔を見ていたら、何故か怒れる気持ちも治まってしまった。話しをしている時の目が全てを語っているのを聡いバベルは悟った。
ホログラム姿のおっとりとしたシスターの出した紅茶(とても美味しい)を飲んで一息ついた頃、彼は現れた。
廊下をドタドタと走りながら入って来たのは、泥だらけの格好をした長身の神父。
王冠の様な銀髪には泥がつき、冬の湖色の瞳を隠すようにかけている牛乳瓶の蓋にも見える分厚いメガネにも泥がついていた。
「す、すいませ〜んカテリーナさん。雨のせいで道がぬかるんでいたせいかコケてしまいましてね、」
「ナイトロード神父、議長に自己紹介を……。」
「ナイトロード神父、議長に自己紹介を……。」
ノッポの神父のアホ話を切ったのは頭に青筋を浮かべた麗人だ。今にも噴火寸前の気配を感じるとナイトロード神父は、ずれたメガネを直し、軽い会釈をする。
「これは、これは。トレス君から話は聞いています。Ax派遣執行官アベル・ナイトロードです。どうぞよろしくバベル議長(ハート)」
この時の感情をなんと表現すればよいのじゃろう?
不安?裏切り?落胆?失望?
否!
無気力であった……倒れそうになった…………
このままルルティエに帰るとはどうじゃろう?
一瞬そんな考えが頭によぎったが背に腹は変えられない。こう見えてこの男は何かとんでもない能力でもあるのではないじゃろうか?………そうであってくれ!
珍しく泣きそうになるのを堪えながら、差し出された手に笑顔で握手をする。握り潰したくなるのを我慢しながら。
こうして、天使は“02”に出会った
【現地時間22:05】
【ロア内時間19:05】
バベルちゃん/アベル・ナイトロードは参加者ではありません
バベルちゃんは主催者を薔薇十字騎士団だけとしか知りません
ノッポの神父のアホ話を切ったのは頭に青筋を浮かべた麗人だ。今にも噴火寸前の気配を感じるとナイトロード神父は、ずれたメガネを直し、軽い会釈をする。
「これは、これは。トレス君から話は聞いています。Ax派遣執行官アベル・ナイトロードです。どうぞよろしくバベル議長(ハート)」
この時の感情をなんと表現すればよいのじゃろう?
不安?裏切り?落胆?失望?
否!
無気力であった……倒れそうになった…………
このままルルティエに帰るとはどうじゃろう?
一瞬そんな考えが頭によぎったが背に腹は変えられない。こう見えてこの男は何かとんでもない能力でもあるのではないじゃろうか?………そうであってくれ!
珍しく泣きそうになるのを堪えながら、差し出された手に笑顔で握手をする。握り潰したくなるのを我慢しながら。
こうして、天使は“02”に出会った
【現地時間22:05】
【ロア内時間19:05】
バベルちゃん/アベル・ナイトロードは参加者ではありません
バベルちゃんは主催者を薔薇十字騎士団だけとしか知りません
341 :
イラストに騙された名無しさん:2006/09/30(土) 21:12:25 ID:61zsJncg
保守
保守
家屋の探索を終えて外へ出ると、緩やかな夜風が肌を撫でた。少し冷えるが、ざわつく思考を鎮めるにはちょうどいい。
左手の懐中電灯を闇に向け、一通り周囲を見渡した後、キノは小さく息をついた。
空を緋色に塗り潰していた太陽は既に沈み、分厚い雲が空を覆っていた。自分の足音以外の音はなく、自分以外の人影は未だ見つからない。
(すれ違ってるだけかもしれないけど……早めに情報が欲しいのに、まずいなぁ)
時計が示す時刻は十九時五分前。もうすぐ新たな禁止エリアが増える。その区域は、このC−3の可能性もある。
確実な情報である放送を聞き逃してしまった代償は、不安と焦燥となって精神を削っていく。
結局、他の参加者に直接尋ねるしかなかった。ゆえに闇に隠れることはせず、堂々と懐中電灯を使っていた。
出来る限り友好的に振る舞い、必要な情報を得る。その後は空いている右手で携行した銃器を抜くだけだ。
(でも、その出会った参加者が零崎みたいな人間だったらどうすればいい?)
胸中で自問し、同時に浮かんだ虚無の瞳をすぐさま首を振って打ち消す。
出会えば、誰であろうと殺すしかない。ここでは生き残るためには誰かの犠牲が必要なのだ。
殺せるか否かを考えるのではなく、殺さなくてはいけない。師匠の死が無駄になることだけは絶対に避けなくてはならない。
恐れの残滓を振り切ると、キノは懐中電灯の照らす先へと一歩踏み出した。
現在地であるC−3東端から、特に店舗が密集している中央へと移動。その後周囲の大規模な建造物を優先して回る。
そんな予定を立てていた。が。
「……え?」
二歩目を踏み出そうとした直後。
遠方の黒の視界に、突如銀の色が混じった。
ちょうど目的地にしていた商店街の中央辺り。そこに、白銀の塊があった。
よく見ると人の形をした、ここからでも目立つ巨大な何か。先程までは絶対に存在していなかった異物。
疑問符だけが溢れるこちらの思考を裂くように、それは泣き声ともつかない雄叫びを上げた。
●
叫びの後に叩きつけられた拳は、後方にあったはずの建造物を一瞬にして瓦礫の山にした。
家の壁一枚隔てて迫る衝撃波に、パイフウは身を伏せて耐えた。窓ガラスが一斉に割れた音が、怒号に奇妙な彩りを加える。
その音と振動が少し静まると、すぐに窓枠から身を投げた。防刃加工が施された外套がガラスの尖りを流し、硬い感触だけを肌に伝える。
痛みを訴える左脚以外の四肢を無視して立ち上がり、しかしふたたび衝撃が生まれた。
今度は少し離れていた。八百屋らしき建物が、地面に押し付けられてはぜる。
陳列されていた一部の果物が転がり落ち、しかし空気の圧迫に耐えきれず汁をまき散らして潰れる。
それをすべて見ることなく、全力で疾駆する。叫声と破壊音は途切れることなく続く。
大地が震えるたび、身体が崩れそうになる。踏み締めた先の水溜まりから泥水が跳ね、靴に入る。
髪が脂汗で頬に張り付く。身体を灼き、同時に凍えさせるような重圧が背中を蝕んだ。
(あれは、何?)
答えのでない問いを胸中で繰り返す。
店舗の列から外れた家屋に身を潜めていたときだった。突然何の兆候もなく、後方にあの巨人が現れた。
まるで最初からそこにいたかのように自然に、しかし不自然すぎる銀色の巨体を隠そうともせずにそこに存在していた。
それがつい先程自分に使われそうになった何かだと確信した直後、叫びを合図に蹂躙が始まった。
「っ──」
飛んできたコンクリートの破片を紙一重で避け、動かない右脚を引き摺って前進する。
銀の巨人はこちらなど見向きもせず、ただ目の前にある建物を手当たり次第に破壊し続けている。
鎧のような滑らかな外殻が、夜に溶けることなく存在を主張している。その闇すら裂くように機敏に動き、まだ壊れていないものを見つけると両腕を振り上げる。
その鉄槌に潰されるのが先か、あるいは建物の崩壊に巻き込まれるか。どちらも死ぬなら同じことだ。
あの少女が放った糸と同じ異質な、しかし比較にならない程の強大な気が肌を粟立たせる。
化け物としか形容できない、文字通り住む世界が違う怪物。
その重圧に肩が僅かに震えているのがわかり、パイフウは少し笑った。こんな大怪我をするのも、恐怖を覚えるのも久しぶりだ。
エンポリウムでの日常がどんなに温く甘く、そして愛おしいものだったかを知る。それを守るためにも、自分は生き残らなければならない。
商店街の終端に辿り着き、雑貨屋らしき店の壁に身を寄せ、辺りを窺う。
わざわざ探らなくとも感覚を塞ぐ気配は、先程からあまり動いていない。建ち並ぶ店舗を潰すのに没頭しているようだ。
しかしその後方に目を向け、止まる。
小柄な少女がそこにいた。自分が殺そうとして失敗し、今自分を殺そうとしている化け物の主。
その表情は復讐の憎悪にも自暴自棄な狂気にも冒されていない。ただ足下の蟻でも眺めるように、熱を持たないぼんやりとした視線を巨人に向けている。
(あの子を殺せば、あれは止まる?)
考えて、すぐに無駄な思考だと気づく。今の自分には彼女を殺傷出来る武器も力も残されていない。
あの怪物はもとより、少女の謎の糸にすら自分は対抗する術を持っていない。逃げる以外の選択肢はなかった。
と、ふいに少女の首が動いた。
何も映さない白い左眼が弧を描くように移動し、こちらの前方にある建物付近で停止する。自分に気づいた様子はない。
が。
「……っ!?」
刹那、前方が銀色で塗りつぶされた。
それなりに離れた位置から少女の視線の先へと、巨人が移動していた。音もなく、一瞬で。
そして、咆哮。
耳元を直接殴られたかのような轟音に、パイフウはただ唇を噛んで疾走した。裏口から雑貨屋内部へ滑り込み、衝撃波と飛来物を回避する。
間近に迫った怪物の叫びが、こちらを急かすように空気を震わせる。刺すような重圧が肌を嬲った。
軋む四肢を酷使して中庭に飛び込みかけ、しかしふたたび生まれた衝撃波が全身を打ち付けた。勢いのまま湿った大地に身体が突っ込む。
頭部を打ち付け、世界が歪んだ。口に入った土の味と、立ち上がることを拒絶する両腕に不快を覚える。
前方と、さらに後方に気配が近づいていたが、どうにもならない。耳に誰かの声のような反響を感じながら、銀の巨体を見上げることしか出来なかった。
脳裏に浮かんだ最愛の人の名を乗せた喘ぎは、声にならずに大気に消えた。
●
閉門式を唱え破壊を終えると、ふたたび辺りに痛いほどの沈黙が訪れた。
見通しが良くなった鈍色の大地に冷たい風が吹きつけ、フリウは無意識に肩を抱いた。壊された世界をぼんやりと見つめながら、ゆっくりと歩き出す。
(いつの間にか、真っ暗になっちゃったね)
文字通り“全部”壊してしまえば追いかける必要すらないことに気づいたのは、霧が晴れ夕陽が沈んだ後だった。
それでも、全壊までには時間が掛かりすぎている気がした。破壊精霊の動きが鈍く、力自体も弱くなっているように感じる。
実際に舗装された大地は砕けておらず、完全に破壊したはずの建造物は瓦礫──それなりに大きな塊として残っている。普段なら、それすら塵になる。
早朝男に拳が受け止められたのも、異質な剣と彼の膂力に加えて、この弱体化のせいもあるかもしれない。
(でも、これだけ壊しちゃったなら結局同じだよね)
様々な店が並んでいた、人殺しの場にはふさわしくない街は、今やただの廃墟となった。
あの女も、どこかに埋まっているだろう。四肢の大半が使い物にならない人間が、この場から逃げ切れるとは思えない。
制限されていようが、結果が期待通りならば同じことだ。どうでもいい。
破損した家具や建造物の破片が散乱している大通りを歩く。目的地はない。前方の視界すら覚束ない。
歩くしかすることがないので、ただ脚を動かしているだけだ。思考の空白を埋めるものはなく、ただ進む。
だから足下の何かに靴が滑り、身体がひび割れた地面へと落ちゆく時も、フリウがしたのは左眼をかばうことだけだった。
それすら身体が勝手に行ったことで、自分の意思ではない。そもそもイシとはどんな意味だったか。
硬い大地に肌が擦れる痛みよりも、それを包む生暖かい液体の感触に顔をしかめた。
地面に手を突こうとしてもそれがぬめり、なかなか立ち上がれない。
いっそこのまま倒れたままでいようかとも思ったとき、滑らない地面を求めて彷徨っていた手が何かに触れた。
同じく濡れていたが、堅くて掴みやすい。取っ手にと強く引っぱって掴み、ゆっくりと身体を起こす。
やっとのことで座り込んだときには、全身が濡れそぼっていた。何かを掴んだ左手には糸のようなものが絡まり、気持ち悪い。
身体の下敷きになっていたマントの内側で顔だけは拭い、小さく息をつく。
(明かりは、必要だね……)
今更そんなことを思い、デイパックを肩から下ろす。手探りで懐中電灯らしきものを取り出し、明かりを点けた。
視界に映ったのは真紅だった。
瓦礫の山の一端から染み出した赤い液体が、鈍色の地面を飲み込んでいる。
今自分の全身を濡らし、溶かすようにまとわりついているのも同じものだった。
血、という単語が浮かぶまでには、ひどく時間が掛かった。その濃厚な臭いにすら、今まで馴染みすぎていて気づかなかった。
その液体の漏れる先を見ると、瓦礫に真っ赤な塊が押し潰されているのが見えた。
先程自分が掴んだ何かが大きくはみ出している以外は、大半が瓦礫に埋もれている。
(……死体?)
それにしては赤が鮮やかすぎる気がする。全身がほぼ均一に染まっているのにも違和感と、何故か既視感を覚えた。
手を伸ばし、それに触れる。
指を滑らせ血を拭っても、それの表面は赤く滑らかなままだった。
「あ」
撫でるうちに、それが肌触りのいい赤色の布地だと気づく。
眺めるうちに、それが赤いスーツを着た長身の人間だと気づく。
動かすうちに、自分の指に絡まっているのが赤い毛髪だと気づく。
見入るうちに、自分が先程掴んだものが誰かの潰された頭部だと気づき、
「じゅん、さん?」
理解した。
この島に来て初めて出会った、自分を殺そうとしない人間。ミズー・ビアンカと似て非なる、鮮烈な赤を持った女性。
その身体は瓦礫と血に埋もれ、頭部は半分砕けていた。小さく白いものが二つ、こぼれかけている。
ふと見れば自分の左手には、頭髪と血液の他に奇妙な色の液体も付いていた。
気がつけば吐いていた。午後に彼女らと食べた野菜類が、すべて地面にぶちまけられる。
酸味しか溢れるものがなくなった後も、胃の収縮は止まらなかった。息を整え、改めて状況を把握するまでには大分時間が掛かった。
やったのは、自分だ。
(でも、潤さんは、あたしがこうする前に、もう)
死んでいたはずだ。
断末魔の咆哮を聞いた。放送で呼ばれた。自分が壊さなくとも、結果は既に決まっていた。
アイザックとミリアの死体もここにあるはずだった。
二人も家屋の瓦礫に埋もれているのだろうか。あるいは知らぬ間に破壊精霊の拳で潰したか。どちらも結果は同じだ。
そう、皆既に死んでいる。自分がこの島で関わった人間はすべて。
自分を殺そうとした人間も自分を暖かく迎えてくれた人間も、自分が希望を抱いた彼女も、すべて。
それが何故なのか、もはや問うことなどしなかった。この理不尽な世界に意味など無い。
ただ、決まっていることなのだ。何をしようが同じこと。
左眼を閉じていようと、自分の眼前に広がるのは壊された、あるいはこれから壊される世界。
ゆえに、そこには破滅しかない。
──お前は間違っていない。もし間違っていたのなら、ここまで生きられるはずは無い。だから嘆くな悔やむな謝るな。
いきさつを話した際、潤はそう言って頭を撫でてくれた。
何の根拠もなく自分を信用し、肯定し、救いを与えてくれた。とても嬉しかった。
その彼女は、何故死んだのか。断言した本人である、間違っているはずのない彼女が死んだのは何故か。
(きっと、壊さなかったからだ)
自分と違い彼女は壊すために戦ったのではなく、おそらくアイザックとミリアを助けようとして戦ったのだろう。だから死んだ。
その二人もきっと互いを守るために死んだ。要は自分をかばって死んだ。チャッピーは自分を止めようとして死んだ。
自分を殺そうとしたあの三人は、自分が壊そうと──あるいは殺そうとしたから死んだ。
ここでは何かを壊さなければ死ぬ。さらに、自分が壊すか殺そうとすると死ぬ。
つまり壊すか殺すかしか出来ない自分がいれば、皆死ぬ。
ならば、最初からすべて壊してしまえばいい。
ただ進み、壊す。それはとても簡単なことだった。
「……あは」
だからそれがわかって、フリウは笑った。
嬉しくて笑った。おかしくて笑った。いままでの自分が馬鹿らしくて笑った。
そのうち何故笑っているのかわからなくなってきて笑った。ただ笑った。
そして。
「行こっか」
滑らないようゆっくりと立ち上がった後、やはり笑んだままでフリウは呟いた。先程とは違い、確固たる意図を持った言葉で。
すべてを壊し、島を破壊で埋め尽くす。
もしそれでも、残っているものがあったならば。
それがきっと、自分を壊してくれるだろう。
●
唐突に現れた白銀の巨人は、やはり唐突にその姿を消した。
異物のなくなった黒一色の闇を窓から眺めると、キノは大きく息をついた。
遠方からでも感じる重圧に押し潰されそうになりながらも、逃亡のみに全力を注いだのが功を奏した。幸い禁止エリアも発動していない。
避難先の近場のビルには誰もいなかった。役に立ちそうなものはなく、一通り探索した後はずっと窓の外を窺っていた。
(……今度はここが壊されるかもしれない)
どちらにしろ禁止エリアの情報を得るために、人を探す必要があった。早めにこの周囲から離れるべきだろう。
動くこと自体には、もはや不安を感じていなかった。
思考は落ち着きを取り戻しており、あの巨人を見た際の恐怖も既になかった。振り切れたとも言うが。
(あんなもの、どうしようもない。……でも、だからこそどうにかなるかもしれない)
頭部を潰しても死にそうにない、そもそも各部位が人と同じ働きをしているかどうかも怪しい化け物に、キノは一種の希望を抱いていた。
あの存在ならば、零崎のような同じく“どうしようもない”存在に勝てるのではないか、と。
化け物は化け物同士で殺し合ってくれるのが一番いい。自分が直接手を下す必要はない。
このゲームの目的は“生き残る”事であって、“皆殺し”ではないのだから。
(確かに犠牲は必要だけれど、ボクが直接無理に生み出さなくたっていい)
自分の被害は最小限に。降りかかる火の粉があれば振り払い、それが火の粉ではなく火の玉だったならさっさと逃げる。
利になる機会があれば無駄にしない。猪突猛進に障害を壊すのではなく、冷静に頭を使って障害を利用する。
(なんだ、いつもと同じじゃないか)
自分の命を守るためには、その場に即した最大限の努力をすること。
昔師匠に教わったことであり、この島で彼女に遺言の形で残された言葉でもある。
つまり、いつも実践していたことだ。
常日頃の方針に、彼女の遺志という絶対的な楔が加わっただけでいつもの旅と何ら変わりない。もっと軽く考えればよかったのだ。
そんな結論に小さく頷くと、キノはビルの入口からそっと滑り出た。
再び吹いた冷たい夜風が、先の見えない暗闇が、自分を歓迎してくれている気がした。
●
「……終わったようですね」
安心してそんな呟きを漏らすことが出来たのは、地下に避難してからおよそ一時間が経過した後だった。
天井からこぼれた細かい岩の破片を払うと思いの外砂ぼこりが立ち、古泉は小さく咳き込んだ。
放送終了後に商店街に移動し周囲の探索をしていると、突然あの巨人が視界の隅に出現した。
事前にこの地下へと繋がる階段を見つけていなければ、今ごろは瓦礫の下に埋まっていただろう。
参加者の何らかの能力か、あるいは支給品か。結局あれが何だったのかまったくわからないが、無傷で切り抜けられただけで御の字と言える。
(もちろん当事者から話が聞けるのなら、大歓迎なんですが、ね)
中央に置いた懐中電灯に照らされた対面の壁。そこにもたれて座る人影に目をやると、無感動な、しかし鋭い視線が返ってきた。
巨人に追われ、衝撃波に倒れたところを助けた女性だった。
怪物が雑貨屋を標的に定める前に半ば強引に地下に引き寄せ、このD−4まで誘導した。
しかし避難してから今まで彼女は一度も喋らず、ただ何もせず周囲を──特に自分を強く警戒していた。
(まぁ、当然ですが)
彼女とはこれが初対面ではなかった。もちろん親しい間柄ではないし、かといって忘れてしまう程どうでもいい繋がりでもない。
早朝の城で、彼女は自分を含む四名を明確な殺意を持って襲撃していた。一番最初に狙われたのが自分だった。
こんな状況下で仇を恩で返すような行為などありえない。何か裏があると考えるのが普通だ。
まぁ、本当にあるのだが。
「そろそろ、何か反応をいただけるとありがたいのですが。あなたも睨み合いを続けて時間を浪費するのは本意ではないでしょう」
「…………」
「休息を取るにしても、もう少しまともな場所に移動した方が安息を得られますし」
「……この島にまともな場所なんてないわ」
「少なくとも、焼死体のない地区はそれなりに残っていると思いますよ」
初めて得られた、しかし素っ気ない返答に苦笑して言葉を返すと、彼女は目を背けて黙り込んだ。
その彼女の奥、地上への階段がある部分に闇に埋もれた死体があった。
実際に視認はしていないが、周囲に漂う強烈すぎる臭いで何があるのかは嫌と言うほどわかる。
それに一時間近く耐えることは、吐き気を通り越して目眩を覚えた。
「どちらにしろ、その怪我の応急処置は必要でしょう。東の市街地になら救急箱などが──」
「あなたは何故、外に出たの? 何故すぐに地下を通って商店街から離れなかった?」
言葉を遮り、彼女は強い視線をこちらに向ける。
いくらでも嘘がつける“助けた”動機ではなく、いきなり“助けることが出来た”理由を問う辺り容赦がない。
「あの怪物のことが少々気になったので、落ち着き次第地上に戻ってみようと思いまして。
ですがなかなか静まらないので、最後に一度様子を見たら離れようかと扉を開けましたら、そこにあなたが」
「違うわ。あなたはずっと見てた。ずっと外に出ていて、あれに追いかけられている誰かを探していたんでしょう」
首を振って顔にかかった髪を払いつつ、彼女は無表情で即答した。どこまでも愛想がない。
実際、その通りだったが。
能力の減退が施されているこの場で、あんな大規模な力を使う状況は限られる。
是が非でも殺したい誰かがいるのか、あるいは単に使用者の気が狂ったか。
前者ならば、その目を付けられた人間と協力体制が取れる可能性があった。
あまりに無差別な破壊行為のため、共通の敵として共に協力し合うという建前が容易になる。
しかしその建前すら必要ない──自分と同じ目的の、顔見知りの人間がその誰かだったのは予想外だった。
もちろん見られている気配を感じ取られる可能性は予測していたので、指摘自体は驚くに値しない。
「ええ、確かに仰るとおり、逃亡者と接触するために顔だけ外に出していました。
ですがあの怪物が気になった、というのは虚言ではありませんよ。少し懐かしさを覚えたものですから」
「…………」
あっさりと肯定し、ついでに一つ付け加えると彼女は僅かに眉をひそめた。
無差別に建造物を破壊する謎の巨人──《神人》を倒すための力があったために、自分はSOS団に引き込まれ、ここに拉致されている。
その《神人》自体も最近はあまり見ることがなくなったため、元の世界への追慕と合わせてそんな感情が浮かんでいだ。
人間が引き起こす現実的な危機には恐れが生じ、超常的な異物が暴れる惨状には驚きはするが動揺はしない。
そんな自身に胸中で苦笑しつつ、続ける。
「本題に入りましょう。互いの利害が一致する間、行動を共にしませんか? この場合の“利害”は、“生き残る”という意味で。
あなたの折れた腕の、まぁ指三本分程度にはなれると思うのですが」
媚びるわけではなく、若干冗談めいた口調で言う。それにも彼女は表情を変えず、強い疑念を抱いた目でこちらを見据えている。
実際には、それ以前に足を引っぱる可能性の方が高いだろう。
武器は一応、ナイフと雑貨屋の奥で見つけたライフルがあるが、どちらも“使える”と言うには程遠い。当然素手は論外。結局、頼れるのは頭の中身だけだ。
だが、この状況において彼女がそう判断するのは難しい。
あの巨人のように、ここには自身の世界の常識を越えた存在が多数存在している。
そのためどこからどう見ても無力な人間に対しても、警戒を抱かざるを得ない。
かつて殺されかけた相手にもかかわらず、何食わぬ顔で協力を申し出る人間などなおさらだ。胡散臭すぎるがゆえに、無下に切り捨てられない。
「……わたしは、誰であろうと殺すわ。
例えあなたの知人がいたとしても、わたしの──“知人”がいたとしても。いずれはあなたも、必ず。
わたしはさっきの化け物みたいに、壊す──殺すためにしか動かない」
「かまいませんよ。僕には幸か不幸か、捜すべき人はいませんし」
決意した以上、長門には会わない方がいい。
自分の極論行為に協力を求めることも考えたが、何となく彼女の場合、無謀であろうと最後まで抵抗を試みる気がした。
(探し人ではなく行きたい場所はあるんですが……時間をおかなければ危険でしょうね)
島の西端にある学校。
そこにハルヒの力によって生まれた空間が出現したことに、少し前から気づいていた。
能力制限のせいか、感じ取れたのは周囲の地区に近づいてからだったが、彼女関連なのは間違いない。
もちろんその事実が分かってすぐに移動を開始したが、その最中突然その建造物の一部が大爆発を起こした。
ハルヒの力が干渉したものではない、人為的な現象。殺人者が暴れた可能性が極めて高い場所には足を運べず、やむなく後回しにしていた。
「わたしの怪我が治せる何かがあるなら、それを優先するわ」
「どうぞ。怪我の治療が出来るものは、他人には渡さない方がいいでしょうし」
「戦闘になったらあなたのことは考えないから」
「ええ。自分の身くらいは自分で守りますよ。作戦が事前に決まっているのなら、ぜひ教えていただきたいものですが」
それに対する答えはなかった。
彼女はしばらく沈黙した後、わずかにふらつきながらも立ち上がる。
「……なら、行くわ。潜り込めるチームがあるなら入るから」
そして座ったままの自分を見下ろして、彼女は事実上の同盟成立を告げた。
「では、よろしくお願いします。
ああ、そう言えばまだお互い名乗っていませんでしたね。僕は古泉一樹と言います。あなたは?」
「パイフウ」
それにも彼女は短く告げ、こちらが差し出した腕を一瞥もせず踵を返す。
右脚を引きずりながら歩き出し、そのまま一言。
「最後に一つ。男はみんな嫌いなの。必要以上に馴れ合わないで」
「……了解しました」
思わず苦笑混じりに肩をすくめると、古泉は闇へと消えゆく彼女に続いた。
【C-3/商店街跡/1日目・20:00】
【フリウ・ハリスコー】
[状態]: 全身血塗れ。右腕にヒビ。正常な判断が出来ていない
[装備]: 水晶眼(眼帯なし)、右腕と胸部に包帯
[道具]: デイパック(支給品一式・パン5食分・水1500mm)、缶詰などの食糧
[思考]: 全部壊す。
※C-3全域の建物がすべて破壊されました。取り残された支給品等の状況は不明。
【C-4/ビル前/1日目・20:00】
【キノ】
[状態]:健康。色々吹っ切れた。
[装備]:折りたたみナイフ、カノン(残弾4)、森の人(残弾2)
ヘイルストーム(残弾6)、ショットガン(残弾3)、ソーコムピストル(残弾9)
[道具]:支給品一式×4(内一つはパンが無くなりました)、師匠の形見のパチンコ
[思考]:商店街から離れ、潜伏先を探す。禁止エリアの情報を得たい。
零崎などの人外の性質を持つものはなるべく避けるが、可能ならば利用する
最後まで生き残る(人殺しよりも生き残ることを優先)
[備考]:第三回放送をすべて聞き逃す。
【D-4/地底湖近辺/1日目・20:00】
【古泉一樹】
[状態]:左肩・右足に銃創(縫合し包帯が巻いてある)
[装備]:グルカナイフ、ライフル
[道具]:デイパック(支給品一式・パン10食分・水1800ml)
[思考]:ひとまずパイフウと共闘。出来れば学校に行きたい。
手段を問わず生き残り、主催者に自らの世界への不干渉と、
(参加者がコピーではなかった場合)SOS団の復活を交渉。
[備考]:学校にハルヒの力による空間があることに気づいている(中身の詳細は知らない
【パイフウ】
[状態]:不機嫌。両腕・右脚骨折。古泉を強く警戒
ヒーリングによる左腕治療中(完治にはかなりの時間を要する
[装備]:外套(ウィザーズ・ブレイン)
[道具]:なし
[思考]:ひとまず古泉と共闘。傷の治療が最優先。潜り込めるチームがあるなら入り、隙を見て殺す。
主催側の犬として火乃香を守るために殺戮を。
[備考]:外套の偏光迷彩は起動時間十分、再起動までに十分必要。
さらに高速で運動したり、水や塵をかぶると迷彩に歪みが出来ます。