つまらない小説を無理矢理褒めちぎるスレ 2

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「電蜂 DENPACHI」(著:石踏一榮/イラスト:結賀さとる/富士見ファンタジア文庫)

ゲームを愛好する者ならば、時間を忘れ、ゲームの世界に没入した経験は一度ならずあるだろう。
ひととき現実を離れ、架空の世界で「ロールプレイング」する快感は、時ならず人を虜にする。
――だが、もし「ゲームのような世界」が、現実を浸蝕しだしたとしたら?
第17回ファンタジア長編小説大賞〈特別賞〉を受賞した本作は、
「ゲームのような戦い」に放り込まれた少年少女たちのサバイバルを描いた物語である。

作者が本作で一貫して描き続けるのは、「現実」と「ゲーム」の相克である。
ベルトを剣とし、炎や雷を操り、ゲームのように現実の世界で戦う少年少女たち。
それらを媒介するのが、ケータイという至極「現実的な」アイテムである。
そして、ケータイを破壊された者は「死ぬ」――死体を残さず消滅し、
周囲の人間の記憶からも抹消されるという「非現実的な」ルール。この設定が実に秀逸だ。
最初、彼らを「ゲームのような戦い」へと導いたのは、他ならぬケータイであった。
だが、「ケータイの破壊=死亡(消滅)」というギミックは、「非現実的な」世界への導入であった
はずのケータイが、いつの間にか彼らと「現実」を繋ぐ唯一の架け橋となっているかのようである。
死体も残さず消滅する彼らは、まさにゲームの登場人物の如く、そこに「現実」の生は無い。
このような設定が、徐々に進行する「現実」への「ゲーム」の侵攻を実に象徴的に描いている。
2192/2:2006/02/17(金) 01:06:07 ID:mvoq8Aur
だがしかし、並の作家ならば、前述のようなギミックで現実感の崩壊を描いただけで満足するだろうが、
本作の作者は、その文章技巧によって、さらなる現実感の崩壊を、読者の前に現出させてのけた。
その酩酊感に溢れた文体は、それを読む読者の現実感すらをも喪失させるかのごとくである。
本文から、象徴的な一文を抜粋しよう。

「結局は光也の行いがこのゲームに自分がハマっていることになることを彼は自覚していない――」

我々は日本語であらゆるものを認識し、理解する。我々の「現実」は、日本語の上に成り立っているものだ。
作者が挑んだのは、まさにそれを土台から崩壊させることであった。
この幻惑の文体は、我々読者の言語感覚を麻痺させ、我々の認識する「現実」をも揺るがしかねない。
新人にして、言語というものを魔術的に操るこの才能に、我々は感嘆するしかないだろう。
まっこと、恐るべき新人である。