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マキゾエホリック(東亮太)
第十回スニーカー大賞<奨励賞>のこの作品は、ライトノベルの縮図、
否、アニメやマンガ、ゲームまで含んだ娯楽メディアの集大成と呼べるかもしれない。
まずタイトルが『マキゾエホリック』である。
これは語感といい字面といい、明らかに西尾維新『戯言シリーズ』を意識している。
なんと本編を読むまでもなく、『良いものはパク、……インスパイアする』という
現代らしいシステムを、作者が利用していると分かってしまうのだ。
『使えるものは使い尽くす』という、作者の新人らしからぬ貪欲さが伺えるではないか。
そして内容だが、これはサブタイトルにもある『記号』という単語に集約される。
作者は、娯楽メディアで頻繁に使われるキャラクターの特徴を『記号』と称することで、
なんとも大胆な構成の話を書くことに成功したのだ。
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2/2:2006/02/06(月) 23:19:34 ID:E0WO1hd4
具体的には、主人公の高浪藍子は「転校生」で、転校初日に同じ学校の男子と衝突する。
ここまでなら凡庸なラブコメかと思われそうだが、ここからが一味違うのだ。
藍子は登校ルートの公園で怪人と「改造人間」の戦いに巻き込まれ、
そこに「勇者」が乱入し、さらには「巨大ロボット」までもが現れ、怪人は逃げ去る。
さらにその後学校へ行けば、「魔法少女」が巨大ナマズを退治いてして、
……とまあ、クラスメイト30名全員が、『記号』という名の特徴を有していたのだ。
例を追加すると、「超能力少女」や「マッドサイエンティスト少女」や「アサシン少女」もいる。
何故そんな人外ばかりが一つのクラスに集まっていたのか?
答えは、それが『記号』だからだ。
記号には野暮な解説など不必要。存在するから記号なのだと、
作者はキャラの口を使い、舞台説明として語っている。
なんとも合理的な話ではないか。文中でキャラの名前が分からなくなっても、
記号を把握していれば、問題なく物語を読み進めることが出来るのだ!
作者は『記号』化により、ライトノベルに新たな境地を見せてくれた。
たとえキャラの書き分けが出来なくても、主人公の一人称語り口に魅力が無くても、
『記号』化すればライトノベルとして成立するのだ、と。
月花の志村イズム、いわゆる『ベタ』の正当なる継承者を、私は見てしまった。
いや、継承し、さらには極限まで無駄を削ぎ落とし洗練させている。
キャラクターに魂など不要! と言わんばかりの作者の挑戦を、今後生暖かく見守っていきたい。