「どうしたの細川さん」
黒板にみみずの這ったような文字の羅列を書き続けていた教師が、チョークを持った手をとめて言う。
細川…そう、可南子さんだ。祐巳さまの妹候補で、いつもはひとりで女生徒達の中心にいない女の子だ。
「うふ、うふふ。あは、あははははははは…」
くすくす笑いが、本当の笑いになり、可南子さんは、首から上を窓の外に向けたまま、愉快そうに笑い続けた。
クラス中が薄気味悪そうに彼女を見つめた。
「ちょっと、なにあれ?可南子さんどうしちゃったの」
「気持ち悪い…」
可南子さんの笑い声に混じって、生徒達がひそひそと声を交わす。
そのとき、可南子さんが両手でおもいきりバーンと机を叩いた。一斉にシーンとなる教室。
目を丸くして見つめる生徒達の視線のなかで、彼女は低い声でひとこと、「祐巳さま」と言った。
一拍おいて、教室はどっと爆笑の渦につつまれた。
「キャハハハハハハ!やだ可南子さん、それ、すごくおもしろくてよ!」
「ウフフフフフ、なんですの、可南子さん!たまっていらして?」
教師が必死に制するのも聞かず、生徒達の弾けるような笑い声が教室を突き抜けて響きわたった。
「うふ、うふふ。ちょうだい、ねぇ、ちょうだいよ。ゆみさま、頂戴。わたしもう我慢できないの。ねぇ、いいでしょ?
ほしいのよ。ゆみさまが。ゆみさま!ゆみさまがほしいの!
直して、ねぇ、直してよぉ!ゆるくてて、ぐちゃぐちゃになったわたしのタイを、ゆみさま直してよー!
欲しい、ほしい、ほしいの!ほしいのぉぉぉ!
祐巳さまが欲しいのよおぉぉ!!祐巳さま祐巳さま祐巳さま祐巳さま祐巳さま祐巳さまゆみさまゆみさま
ゆみさまゆみさまゆみさまゆみさまゆみさまゆみさまゆみさまゆみさま…」
生徒の笑い声が、徐々にたち消えていく。
可南子さんは、まるで壊れたCDプレイヤーのように
「ゆみさま」という単語を連発し続けていた。笑っている生徒は、もう一人もいなかった。
今や誰の目にも、可南子さんが尋常でないのは明らかだった。