始まりは一瞬だった。
突如、校舎から飛び出してきたワナビ達が燃え上がり灰すら残らず消滅した。
川上が最後に見たワナビ達の顔に戦意はなくただ燃え尽きることへの恐怖のみだった。
「なっ!?」
川上の表情に驚きが浮かんだが直後緊張に変わる。
――川上・心理技能・自動発動・気配感知・成功。
「…さとやす君、私の後ろについてくれ」
「う、うん。わかった」
さとやすは怪訝な顔をしたものの川上の表情に気付き後ろに下がる。
川上はワナビ達が飛び出してきた方向に体を向け一言。
「隠れていないで出てきたらどうかね?」
わずかな沈黙の後、
――川上・視覚技能・発動・目標発見・成功。
それは現れた。
それは人であった。
そして火でもあった。
赤く白く橙色の炎だった。
『燃やす』という概念の言葉全てが具現化し人の形を取っている、そういう印象を受けるほどの圧倒的な熱量を持っていた。
その存在感に川上達は息を飲む。
「あれってもしかして…」
さとやすがやや震える声で言う。
「知っているのかね?」
「…イラスト校に噂があるんだ。その人の関わった作品の挿絵はすべて炎上してしまう。そして燃えた後そこには作品の描写とはまったく違う、変わり果てた挿絵が残る」
「…その人物の名は?」
さとやすは躊躇いながらも一つの名を告げる。
「緒方剛志。もう一つの名前を“バーニング緒方”…」
☆
轟。
さとやすの声に応えるように緒方の全身を覆う炎――“炎上”――が大きくなる。
緒方の右手が上がりその先に“炎上”が集まり川上達に向かって放たれた。
「くっ!」
――川上・体術/腕術技能・重複発動・抱きかかえ・成功。
――川上・体術/回避技能・対抗重複発動・跳躍回避・成功!
川上はさとやすを抱えあげ左後方に跳躍、すぐ右を“炎上”が通り過ぎていくのを感じつつ、さとやすの尻を触り、着地する。
さとやすが頬を朱に染めつつ問う。
「…………今、お尻触らなかった?」
「しかしなぜ緒方君がここにいるのかね?」
川上はさとやすの問いを潔く無視。やや強引に話を進める。
さとやすは、やっぱり触ったんだ…、とつぶやきながら話しに戻る。
「やっぱりこれも音楽が関係あると思う」
「なぜだね? あの音楽は売れていない者を狂わせるものだ。しかし緒方君は売れっ子の描写師だと思うのだが」
推論だけど、と前置きしてさとやすは言う。
「多分、緒方さんも最初から挿絵を炎上させるつもりはなかったんだと思う。たまたま上手く描けなかったとか、いろんな理由があったと思うんだ。でも読者はそんなことはわからずに叩いてしまった。
そして緒方さんの挿絵も乱れていった。読者はさらに叩く。その繰り返しだったんだ。結局最後には“緒方炎上”なんてネタにされて、今回の事件であんな姿なってしまったんだと思う」
川上はしばらく黙っていたが、緒方に方に向き直り一言。
「しかし読者を責めることは出来ない」
何か言おうとするさとやすを制し川上は言う。
「職人という者はどんな状況でもファンと己を納得させるものを作らなくてはならない、違うかね?」
「それはわかってい――きゃっ! か、川上君!?」
再び抱えあげられ後ろに下げられたさとやすは驚きの声をあげるが川上の視線の先に戦闘態勢に入った緒方がいるのに気付く。
「話は終わり、らしいね」
川上も両の拳を挙げ構える。
「存分に行こう。私は全ての者に等しく寛大だよ? 容赦はしないが」
言葉と同時に両腕に炎神が宿る。その炎の力は川上の持つ武器の中でもトップクラスの力を誇る。
「さあ、……理解し合おうではないか!」
☆
――川上・脚術技能・発動・疾駆・成功!
先に動いたのは川上だった。
だが機先を制したのは緒方だ。接近する川上に対して“炎上”を放つ。
しかし、その程度の動きは川上の予測の内だ。
――川上・回避技能・発動・回避・成功!
避けた。
「今度はこちらの番だ」
――川上・炎神/腕術技能・重複発動・炎神打撃・成功!
技能は成功した。川上の炎神打撃は緒方の顎に触れた。しかし、
「!?」
炎神が喰われた。
四年前に書かれたOSAKAのレポートにおいては水神すら圧倒した炎神が何の抵抗もなく“炎上”に飲み込まれた。
川上の顔に驚愕の色が宿る。
その隙を狙って緒方が再び“炎上”を放つ。
――川上・回避技能・発動・回避・失敗!
避けきれない。
回避に失敗した川上の眼前に“炎上”が迫る。
だが、それを止める叫びが上がる。
「駄目だよ……っ!!」
声を放ち、さとやすは“白帝”を振る。
さとやすの描写により巨大な盾が現れ川上と“炎上”の間に割って入る。
“炎上”とぶつかった盾はしかし、一瞬で燃え尽きる。
「一瞬もあれば十分だっ!!」
――川上・脚術/体術・回避技能・重複発動・大回避・……成功!
今度は躱しきった。そのまま後退、さとやすの元に戻る。
「助かったよ、さとやす君。後で良い事をシテあげよう」
「いいって! それより、何だったの? 今の」
炎神がああもあっさり負けた。この事実はいくら古橋の影響下にあるとはいえ異常だ。
「おそらく、あれが緒方君、いやバーニングの能力なのだろう」
「能力?」
「そう、バーニングは挿絵を炎上させる、つまりどういう事だと思う?」
さとやすはしばし考え事実にたどり着く。
「まさか、作者の設定を無視できるって事!?」
川上は頷き、続ける。
「そう…。挿絵が変わるということは文章を読まないということ、文章とは作者の全て。ならば設定を無視することも簡単なことだろう…」
「な、何か対策はないの?」
「通常なら強い意志の力で打ち破れるだろう。しかし今はそれだけでは足りない。この状況ではもう一つの方法を取るしかないのだが…」
「どうしたの?」
「時間が必要だ。最低でも一分を稼がなければならないのだが、そんな暇は与えてくれないだろうね」
どうしたものか、とつぶやく川上の横をさとやすが抜けて行く。
慌てて声を掛けようとするが、それより早くさとやすが振り返り言う。
「一分でいいんだよね?」
「何を……」
言っている、と続けようとした川上を制し繰り返す。
「一分稼げれば川上君が何とかしてくれる。ならボクが時間を稼ぐよ、正論でしょ?」
川上は沈黙、しかしさとやすはそれを答えととり微笑む。
「ボクだってイラスト校ではベテランだよ。メカも描けるし、…えっちな絵も描ける…。
それにゲームの原画だって描いたことがある。緒方先輩には負けないよ」
さとやすの言葉に川上は何度も考え躊躇い、しかし一言。
「…頼んだ…」
それを聞いたさとやすは再び微笑み、前を見る。
眼前の緒方は既にさとやすを見ている。視線を受け止めさとやすは言葉を放つ。
「TENKY…、“描写師”さとやす」
“白帝”を構え、さらに一言。
「行きます――」
さとやすの戦いが始まった。
「動物達よ!」
さとやすは空中に絵を描く。
絵は“白帝”とさとやすの描写力によって現実となる。
「行けっ!」
さとやすの号令により現れた虎と朱雀は“炎上”を展開する緒方へ跳ぶ。
走る虎の牙は緒方の肩を、疾る朱雀のくちばしは緒方の喉を狙う。
だが、そこまでだった。二匹が緒方の纏う“炎上”に触れた途端、全身から発火し炎神と同じ運命をたどる。
さとやすの状況は不利だ。原因は『“炎上”は挿絵を燃やす』だけではない。もともとの実績も緒方の方が上、という事実があるのだ。
「これじゃ一分稼げない」
焦る心を抑え、さとやすは盾を描き走る。盾は緒方が放つ“炎上”を止めるが防ぐには至らず飲み込まれる。その間に走り“炎上”を躱す。
「あと四十秒…」
このままでは一分を稼ぐどころかさとやす自身が焼かれてしまう。
“炎上”を抑えるにはどうすればいい? さとやすは思考する。
出した答えは単純だった。だが最良でもあった。
「ボクも大技いくよっ!」
左手の空間固定具を中空のキャンバスに突き刺す。
右手の“白帝”を振り上げ、空間に呼び掛ける。掛詞外燃詞。
「水よっ!!」
変化は一瞬だった。さとやすの呼び掛けた範囲内の水が集まり一つの形を作る。
全長三百メートル超過の大水竜が現れた。古橋領域にいる為本来のものより小さいが姿形はまったく同じだ。
戦場の中、竜は全身を見せつけるようにゆっくりと旋回。その一動作で満足したのか大水竜は巨大な獣眼を緒方に向ける。
緒方の表情が緊の字に変わる。その変化を受け“炎上”が大水竜に向け連射される。
竜は動かなかった。“炎上”が大水竜の身体を捉える。
それで終わった。
大水竜はその巨体と密度、なにより水の属性。それをもって“炎上”受けきったのだ。
初めてさとやすの防御が成立した瞬間だった。
さとやすは大水竜に微笑み、振り上げた“白帝”を振り下ろし、叫ぶ。
「貫け!!」
意志に応えて竜が飛んだ。
続けて放たれた“炎上”が断ち切られる。
大水竜はさらに加速し緒方にぶつかり吹き飛ばす、
はずだった。
事の起こりは緒方の声だった。さとやす達と対峙し最初に出した声だった。
「…紫ジャージ……」
一言。その一言で大水竜は沸騰し、爆散した。
「きゃっ!」
爆散に巻き込まれさとやすは尻餅をつく。
“紫ジャージ”。バーニング緒方の行使した炎上技の中でも広く知られているものも一つだ。
その威力を目の当たりにしたさとやすは動けない。顔は青ざめ、脚が震え、握っているはずの“白帝”の感触すらない。
震えるさとやすを見た緒方は嘲笑し、また一言。
「…スタッカート」
「っ!」
さとやすの目に思わず涙が浮かぶ。
“スタッカート”。炎上技の中でも最強、そして多くの読者を震え上がらせた最凶の技だ。
炎がさらに増大、戦闘が始まってから最も大きくなる。
終わらせるつもりだ、さとやすは半ば麻痺した頭で考える。この一撃で後ろの川上ごと自分を炎上させるつもりだろう、
しかしそこまで考えてもさとやすは動けなかった。意志を追い抜き身体が諦めてしまっているのだ。
緒方は腕を上げそこに炎が収束する。
さとやすが出来たのは目を閉じることだけだった。
その時、目を閉じた為に鋭敏化した聴覚が一つの声を捉えた。
「一分が経過した。お疲れ様、と言わせてもらうよ」
その声に目を開いたさとやすが見たのは自分の横を駆け抜けていく川上だった。
さとやすの横を抜けた川上は緒方の展開する“スタッカート”見、己に言い聞かせる。
恐れるな、と。恐れは焦りを生み、焦りは失敗を生む。
――川上・心理技能・発動・整調化・成功。
川上の動きを見た緒方は“スタッカート”を放ち迎え撃つ。
――川上・脚術技能・発動・疾駆・成功!
己の身長を大きく超える炎を目前にしても川上は恐れず、加速。
両者の距離が一メートルを切った時、川上が新たな動きを作る。
「伊庭式の炎神技奥義を見せよう!」
炎と共に川上は唄った。
闇の中に咲く赤い花
力の中に開く無の宴
一人の兵は王を助け
一人の女が后となり
一人の賢者が追想す
他人の道を見ず走り
己の道を選びて疾走
真の道は未来にあり
炎神が発動した。
火。
炎。
焔。
それら全てに似て、それら全てとは違う赤い火焔。
揺れる炎が川上の右足の先に宿った。
炎神の火だ。
「とっておきだ。感謝したまえ」
――川上・炎神/体術/脚術技能・対抗重複発動・『ソリッドファイア』・大成功!
焼。
蹴りと共に放たれた炎は一声啼き“スタッカート”に襲い掛かる。
「ネタのつもりが本当に使うことになるとはね」
ソリッドファイア、それはかつて川上がOSAKAのレポートを書いた際に古橋のレポートタイトルをモチーフにして創られた超必殺技である。
さらに古橋の影響下にある今の状況おいてその威力は格段に上がる。
“スタッカート”を喰らい尽くすほどに。
「!」
緒方の顔に驚愕が走る。
“スタッカート”を破ったソリッドファイアは勢いを緩めることなく緒方が纏う“炎上”をかき消し緒方の後ろに抜けて行った。
緒方に決定的な隙ができた。
――川上・体術/脚術/腕術技能・重複発動・正拳・成功!
快音が響き、緒方の身体が吹き飛ぶ。
その先は全てが一瞬だった。
――川上・体術/腕術/脚術技能・重複発動・バク転・成功。
――川上・体術/腕術技能・重複発動・抱きかかえ・成功。
――川上・体術/脚術技能・重複発動・大跳躍・成功!
川上はさとやすを抱きしめたまま一気に跳躍。
三階の窓を破り、廊下に飛び出した。そしてさとやすの胸を触り、数十メートル走り、周囲を見回し、一息つく。
「何とか逃げ切れたようだね」
さとやすが頬を朱に染めつつ問う。
「…………今、胸触らなかった?」
「しかし、あれで倒せないとなるとやはりあの音楽を何とかするしかないようだ」
川上はさとやすの問いを潔く無視。また強引に話を進める。
さとやすはやっぱり…、とつぶやき何かを諦めたように首を振る。
「しかし収穫もあった、それで良しとするか…」
「え? 収穫って何?」
さとやすは予期せぬ言葉に驚き問う。
「君の表情だよ。さとやす君」
川上は当然のごとく答える。
「は?」
「そう、表情だ。大水竜を破られたとき、冷や汗が頬を伝い形のいい顎から落ちていくところ、
そして緒方君が腕を上げたとき思わず涙の浮かんだ瞳を閉じてし――、ぶぅっ!!」
快音が一つ、廊下に響き渡った。