「天国に涙はいらない」「LAST KISS」佐藤ケイ part2

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『何故』の詭弁とトートロジー
「何故、山に登るのか?」
 この問いに答えて、ジェームズ・マロリー卿が「そこに山があるから(Because that's there)」と言った話は有名だ。
 一見するとマロリーの同語反復的な返答では答えになっていないように見える。しかし実は、この質問にはこう答える以外にないのだ。
何故なら、この問いには、ある詭弁の論法が潜んでいるからである。
 そもそも、この場合の「何故」とはどういう意味か。登山家マロリーは、山に登ることを目的としている。
だが、山に登ることそれ自体が目的たりうるという感覚が質問者には分からない。
そこでもっと別の、自分にも理解できる目的を設定し、
登山とはその本当の目的を達成するための手段である、という論理構造の枠組みで捉えなおそうとしている。
それがこの「何故」という問いかけの意味である。だがもしこの問いかけに答えようとすれば、
その瞬間に、マロリーにとってそれ自体が目的であったはずの登山は、
目的から単なる一手段へと転落してしまう。たとえば、何故山に登るのかと問われて「達成感があるから」と答えれば、
登山は「達成感」という「本当の目的」に到達するための手段に過ぎない事になり、
同等以上の達成感を味わえるものがあれば、登山にこだわる必要はなくなってしまう。
 つまり、この「何故」という問いの使い方次第で、最終目的であったはずのものを、代替可能な単なる一手段へと貶めてしまう事が可能なのである。
そしてそれを避け、本来の目的を守るためには、マロリーのように同語反復的に答える以外に手段はない。
 つまり何が言いたいかというと、「オタクって何で二次元美少女に萌えたりするワケ?」と問われたら、
下手な理屈を捏ねたりせず、素直に「そこに二次元美少女がいるから」と答えましょうというお話でした。

by佐藤ケイ