第壱話 「睡眠不足と花火の関係」
壱
その時、八指多薫は眠かった。
「所属不明機、依然として接近中! 予想到達時間まで、あと18分!」
西暦二千五十六年、九月十八日、夕刻。(株)尽星有する第三カタパルトビル発着場は、常ならぬ
喧騒に満ちていた。低いサイレンに混じり、オペレータの声が飛び交っている。
非常事態である。が、やはりヤシダは眠かった。パイロットスーツ姿の彼女は愛機に背をもたれ
ながら、重いまぶたを持ち上げるために辺りを観察し続けなければならなかった。カタパルトの四角い
射出口から吹き込む風が、彼女の黒いショートヘアを揺らしている。
ヤシダが隊長を務めるJDFこと防衛二課に非常召集が発動してから、はや17分。その間ヤシダは
眠気と戦いながら、作業員たちの狂騒をぼうっと観察していた。そして観察から得た収穫といえば、
作業員を眺めていても眠気は一向に去らないという事実だけで、結果、彼女は少し不機嫌になっていた。
「『紫電』のパイロット、到着しました!」
空気圧の音と共にエレベータが開き、若い男が姿を現した。ヤシダは軽く息をはきながら身を起こし、
男に視線を向けた。
「きたか、リョウタ」
朏良太はヤシダと目が合うと、ひどく恨めしげな顔をした。良く見ればミカヅキの目は充血しており、
後頭部の頭髪は寝癖で逆立っていた。殺気立った彼の様子を見た一人の作業員は、飛びすさるように
道を開けた。
ヤシダの目前で停止したミカヅキは、不平不満の塊のような声色を使った。
「ヤシダさん、俺、今日の昼で勤務明けなんですけど」
「仕方ないだろう、みんな出払ってて、人手が足りないんだ」
19歳の若者は、そんな理由では納得しなかった。跳ね上がった眉の下、妙に据わった赤い目を
上目遣いにヤシダに向けてくる。
「なんで俺なんですか、武見のオッサンがいるじゃあないすか」
タケミというのもJDFの隊員である。ただ、今年43歳になるタケミは、せんだって15も歳下の
相手と結婚したばかりなのだ。
睡眠不足からくる疲労感を押し殺し、ヤシダは気力を奮い起こして説得を再開した。
「あっちは新婚だろう。短い新婚生活をぶち壊して恨まれるのは御免だからね」
「俺が、恨んでやる」
ミカヅキは頭をばりばりとかきむしった。相当にストレスが溜まっているようだ。無理もない。
このところ尽星グループを狙ったテロが頻繁に起こっており、JDFはその対応で激務が続いている。
ヤシダにしても家に帰る暇さえなく、ペットのハムスターも人に預けているぐらいだ。
「まあ、辛抱してくれ。あんたには期待してるんだからさ」
最後の手段だ。ヤシダはミカヅキの両肩に手を置くと、じっと相手の瞳をのぞきこんだ。
「ああそうですか。それはそれは」
美女に至近距離から見つめられているというのに、なぜコイツは不満げなのだ。ヤシダは少し
不愉快に思い、山猫のような懐柔の笑みを浮かべたまま言葉をついだ。
「入社一年の若造は文句いわずに働け、といわれて喜ぶ奴はいないだろ?」
ミカヅキは諦めたように首を横にふった。
「そんなこったろうと思った。ま、しょうがない、やりますよ。俺もプロですから」
「よくいった。じゃ、いこうか」
ヤシダはあっさりと身をひるがえすと、ミカヅキの気が変わらないうちに愛機『屠竜』の赤い装甲に
手をかけ、身軽な動作で操縦席に乗りこんだ。
ミカヅキはため息をついた。その背を押し出すように、オペレータの声が響く。
「屠竜及び紫電の発進準備、完了」
弐
宇宙空間に溶けこむような黒い機影を最初に発見したのは、常時成層圏付近を航行し、地上と
軌道上の橋渡しを役割とする高高度プラットフォーム『慶絡』だった。航行予定のない空域を飛行する
その機体は慶絡からの呼びかけを無視し、尽星本社ビルのある東京府大田区へと直線的なコースで
大気圏突入を開始した。慶絡は即座に本社へ報告し、緊急の迎撃命令が発動、そこでヤシダ率いる
防衛二課の出番となったわけだ。
「作戦はシンプルだ。所属不明機を迎撃し、これ以上の本社への接近を防ぐ。以上」
「りょおかい!」
前を行く屠竜に続き、紫電の高度を上げながらミカヅキは怒鳴った。なかばヤケだった。怒りの
興奮が彼の脳を刺激し、眠気は失せてしまった。もう今日は眠れないと考えて間違いない。貴重な
睡眠時間が、これで台無しだ。
「アホッたれのテロリストめ。スクラップにしちゃる」
操縦桿を握りしめ巻き舌気味に毒づくと、ヤシダから苦笑混じりの通信が入った。
「まだテロリストと決まったわけじゃない。それに下は居住区ってことを忘れんじゃないよ。
解ったね、リョウタ」
「りょおかい!」
応えたものの、ミカヅキにとっては相手がなんであろうと大した問題ではなかった。
ただ、睡眠を妨害されたからには、ドンパチでもやらかさないと気が済まないだけのことだ。
そして、花火はでかい方がよい。
二機は茜色の雲を切り裂きながら急速に高度を上げていった。ミカヅキはセンサに集中しつつ、
肉眼で敵機を確認しようと全方位モニタに視線を滑らせた。その時、ピンとセンサに反応があり、
ほぼ同時に前方の雲の中から黒い機体が姿を現した。雲をまとった黒いブーメランのような機体は、
ふてぶてしいほど堂々とした様子で尽星本社ビルを目指し、直進していた。
「目標を肉眼で確認、先に行きます」
つぶやき、ミカヅキは紫電の出力を上げた。JDF機の中で最も軽量な紫電は、それゆえに最高の
機動力を誇る。すぐに屠竜を大きく引き離し、所属不明機に迫っていた。
「リョウタ、手順を踏めよ!」
追いかけるようにヤシダがいったが、ミカヅキは応えなかった。代わりに外部スピーカーのスイッチを
入れ、絶叫した。
「おいこら、そこの奴! こちらは『Jinsei Deffence Force』だ。引き返さないとテメー、後悔するぞ!」
怒鳴りながらもミカヅキの目は、モニタに表示された対象の識別データを冷静に見つめていた。
本社のデータバンクから送信された情報によると、対象は62%の確率で合衆国空軍仮採用機『YF.152』
とのことだった。この高くはないパーセンテージが意味するものは、対象機が正規の機体をベースに
特化された機体だということだ。おそらくは都市制圧用に改造されているのだろう。機体の不法改造は
テロリストの十八番だ。
『これ以降、対象機を『黒瞥』と呼称します』
オペレータの声が所属不明機の仮称を告げた。仮称をつけるのは外交上の配慮だ。外見が似ている
からといって、『YF.152』と呼ぶわけにはいかない。
黒瞥はミカヅキの恫喝にも速度を緩めようとはしなかった。それどころか紫電めがけ、二発のミサイルを
続けざまに射出してきた。
「そうこなくっちゃな!」
最低限の動きで軽々とミサイルを回避しながら、ミカヅキは思わずほくそ笑んでいた。
「避けてどうする! 下は居住区だといったろ。それと、外部スピーカーを切れ!」
声と同時に、紫電をかすめたミサイルが空中で四散した。ヤシダが屠竜のパルスビームで
撃ち落としたのだ。
「ウェブを展開します! 隊長、援護の方、頼みますよ」
ミカヅキは手馴れた動作で紫電の『N.A.L.S』を起動させた。『N.A.L.S』とは尽星グループが独自に
開発した照準システムで、機体の周囲にウェブと呼ばれる力場を展開し、力場内の敵機に対し
自動的に照準、レーザー誘導を行うというものだ。このシステムの有効さゆえに、JDFは他社の
追随を許さない強力な防衛集団となっている。そしてその強力すぎる戦闘能力ゆえに、JDFは
『蒼穹紅蓮隊』の通称で呼ばれることが多い。その名の由来は明白だ。蒼穹の空を、紅蓮に染める
戦闘部隊。
「後悔させてやる。たっぷりと」
ウェブが展開する独特の振動を感じながら、ミカヅキは映画の悪役のように笑った。
参
かくして彼らの「活躍」により、本社襲撃の脅威は去った。ヤシダ、ミカヅキ両隊員の出動から
きっかり3分後、製造元が割り出せないほど粉々に破壊された黒瞥は、空に大輪の紅蓮の花を
咲かせた後、無数の火の粉となって住宅地に降り注いだ。その日、尽星本社には百件に及ぶ
苦情の電話が殺到したが、これはいつもの些事に過ぎない。
本社襲撃未遂事件より一時間後、『中小企業解放戦線』を名乗るテロ集団から犯行声明が
出されたが、これも問題のごく表層に過ぎなかった。尽星にとって本当の問題は、発生当初きわめて
地味なアウトプットをとった。
表面化した問題の発端――それは一人の発着場オペレータの気絶、である。