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|・-・|<例えば、光を見たことのない盲人に、光を見るのがどんな感じなのかを
伝えることは難しい。光を見るという体験を、その他の感覚、聴覚や触覚、味覚、嗅覚で
説明することはできない。神秘とは、そのようなものだといわれる。それをマトモに付き
合う必要はないが重要なのはそういう思想的考古学により一種の哲学が宿る情況が現れる。
そういった意味でニーチェなどもギリシャ悲劇を原点に重要な現代の弱点を指摘し続けている。
また、体験することも知ることもできない神秘が、最終的に残るとする考え方もある。
神秘を知る
神秘を直接知るための技法や、神秘の周辺にある知識の体系は、多くの場合、呪術的世界観や、
あるいは過去の宗教の一部となって知られている。
例えば、仏典によれば、仏教において「悟り」を直接体験によって得た神秘家もいたと解釈できる。
あるいはキリスト教においては、「神との合一」や「キリスト体験」などを直接体験した聖者もいた
という。また、「自分は何なのか?」という哲学的問いに、神秘体験によって答えを得た者もいる
とされている。
このように、宗教は神秘と結びついているため、神秘を直接知った人物(神秘家)によって宗教が
興されることもある。また、神秘家によって与えられた技法や体系から宗教が作られることもある。
神秘は協力者なしでも知ることができるが、神秘家の協力があるとより容易になるといわれる。
但し、他者が協力できるのは、あくまでその準備だけであり、準備が整った後は、神秘を知る機会が
偶然に訪れるのを待つしかないともいわれる。神秘を知るのは、その準備が役立ったことによる場合が
多いが、準備なく偶然に機会が訪れ、神秘を知るに至った人々もある。