【お土産】全国観光物産新聞社【記事満載】

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9つまらないものですが名無しです
当時、東京・京橋にあった全酷観光と物産新聞斜(斜長・稲田俊飽)は03年に
業績不振を理由に事業を閉鎖。全社員を解雇した。
不振に陥った理由は明々白々だ。
長年に及ぶ放漫経営によって回収不可能な代金が3000万円近くにまで膨らんでいった。
その内訳は、広告掲載費と購読料金であり、広告主・購読者との意思疎通不足等の不手際によって
回収不能へと発展して行ったのである。
資本金1000万円、社員数10数名、発行実部数1100部(内実売数300部程度/公称発行部数30.000部)であった「全酷観光物産新聞」。
鯱用の稲田は常々、不良債権を証して「宝の山がある」と嘯いていた。
全額回収できた場合の夢物語であったわけだ。

自ら招いた経営の危機を社員に転嫁して、己はのうのうと社内に引きこもりを続けていたのだ。
実際、鯱洋画外出する姿を見た者は少なく、時おり出かけていく先は融資を求める目的での銀行だけであった。
03年当時、銀行融資は途絶えてしまっていたのである。
新聞社の鯱用ならば、業界の会合等々で焼成を受けたり自ら出向いたりで、多忙を極めるのが常であるのだが、
朝のラッシュアワーがいやで出社は11時頃。20時頃に退社するまで、昼食時間以外は粗末な社長室に引きこもりっきりであったのだ。
残業代など一切支給されずサービス残業の日々であった。

優秀な先輩社員は在職1年程度でみな自ら辞表を出し退職していった。
唯一の長老社員・不治胃営業部長はこの状況を数年前から見越していて、長躯の出張では会社に内緒で私利私欲に走っていたのである。
我々は、不当に突然と解雇されてしまったのであった。
我々は、稲駄俊飽を断固糾弾する。