伊勢名物 御福餅

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72つまらないものですが名無しです
【御福じゃ勝てない。赤福のトリビア】

1.由来
「赤福」の名は「赤心慶福(せきしんけいふく)」という言葉から名づけられた。
「赤心(まごころ)をもって慶福(めでたき事、福多き事)願う」という意味である。
この言葉は現在も赤福の社是となっている。
 江戸時代の伊勢参り盛んな頃、京都からきたお茶の師匠が、店で食べたあんころ餅を大層喜んで『赤心慶福』の言葉を与えたことから、
あるじの治兵衛が、「これこそこの餅の名前にふさわしい」と、二字をとって「赤福」と名付けたという。
 また、「赤福」のかたちにも由来がある。あんこにつけられた線は三本と決まっている。指ですじを付けるのだが、
この形は五十鈴川の清流をあらわしている。また、白いお餅は川底のお白石(しらいし)をあらわしている。
 ちなみに、餅とあんことどちらが重いか?赤福1個は37.5g。そのうちあんこは22.5g、もちは15g。あんの方が重い。

2. 赤福の歴史
赤福の創業は江戸時代中期の宝永4年(1707年)。将軍は徳川綱吉の晩年。300年の歴史をほこる老舗。
お伊勢参りの旅人向けの餅屋であった。当時、参宮街道沿いにたくさんあった餅屋の一つが赤福の始まり。 
 戦後の混乱期は原料の品質を保つことができず、そのため昭和24年まで店は閉じられたこともあった。
その間に14種類もの粗悪な類似品が出回った。
 その後、赤福の再開を待ちわびる社員たちによって再びお店が開かれた。
赤福の圧倒的な品質の良さと伝統がもたらす名声によって、短期間のうちに類似品は姿を消していった。

3.赤福のこだわり
赤福の包み紙をよくみると「赤福」の横に「ほまれの」の文字がある。
これは明治44年に赤福の餡(あん)に使用されている砂糖が、黒砂糖から白砂糖に変わったことと関係がある。
 明治44年に明治天皇の皇太后である昭憲皇太后より赤福の御用命を賜り、
その際に原料を黒砂糖から当時は貴重品であった白砂糖に変更した。(現在も赤福専用の特注品の砂糖を使用。)
この甲斐もあって皇太后よりお褒めの言葉をいただいた。それゆえ、包み紙にも「ほまれの」の文字を入れている。
現在も赤福では毎年5月19日を「ほまれの日」として社内で赤福を配り気持ちを新たにするという。

そのほかの原料にもこだわりをもつ。
小豆…北海道は十勝平野の音更(おとふけ)産のものを100%使用。
  この地の小豆は皮が薄く実が多いのでこしあんを使う赤福に適している。また赤色の発色も良い。
もち米…北海道の名寄(なよろ)産のもの(90%)と佐賀県のもの(10%)で、良質のものを検査して使用。
     もち米にうるち米が混ざっているとコシのある粘りが出せない。またザラザラして舌触りも悪い。
     ふつう、もち米の近くでうるち米を栽培すると花粉が混ざり、どうしてももち米にうるち米が混ざってしまう。
     上記の産地は大規模にもち米を栽培し、地形も盆地であるため、うるち米の花粉が混ざりにくいのである。
水…五十鈴川の地下水を利用している。姥目(うばめ・いまめ)の木を薪として使用して沸かしている。
お茶…度会(わたらい)のお茶をほうじて使用。本店で飲める。
無添加…すべての原料は無添加。赤福は自然食品である。ただし、そのため日持ちがしない。
      赤福はその日作った商品はその日だけしか販売しない。もちろん駅の売店でも同様。
      冬場は製造日を入れて3日間、夏場は同じく2日間しか日持ちしない。
包み紙…夏用と冬用の2種類がある。見分け方は、通気性。
      夏用は息を吹きかけると通るが、冬用はビニールでコーティングされているので息が通らない。
伊勢だより…中に入っている伊勢だよりの絵は京都の版画家、徳力富吉郎が約20数年という歳月を費やして作った
       約500を超える作品を使用。毎日違う絵が使われていてコレクターも多い。