ときおり自分が辿ってきた軌跡について考える。
交差しあい、幾重にも絡みあっては、やがて解けてゆく空白の歳月。そのあいだで自分が通り抜けてきたいくつもの事象。
そこで出会った奇妙な人びとそれに関わるささやかな出来事。
大抵は夕方だ。部屋の隅が少しずつブルーに染まり次第に淡い闇に満たされてゆくそんな時刻。僕は床に腰を下ろし腕を
組んだまま空中をじっと見つめる。そこには何もない。机も、額縁に納められた絵も、あるいは家具すらない。あるのは床
と天井と壁だけだ。だがやがて一枚、また一枚と柔らかな布を重ねるように部屋は薄闇で包まれる。あたりはまるで結び目
がほどけてゆくように物事の境目がはっきりと見えなくなる。指さきが濃い青に染まり、ひやりとした闇と微かに混じり合う。
でもあらためて考え出すと何も思い出せなくなっていることに僕はやがて気付く。どういうわけだ?と僕は思う。それらは
ついこないだまでは確かに思い出せた筈のものばかりなのだ。一体どういうわけなのだ?理由はわからない。理由はまるでわ
からない。ただ単にそれらは消えてしまっただけなのだ。夕立のあとの地面のくぼみにたまった水たまりみたいに、あっけな
く。もちろん僕にとってのその空白をリスト・アップするだけなら出来る。だがそれらの細部や起こった出来事の順番につい
ては全く思い出せない。なんとか思いだそうと僕は試みる。でも駄目だ。そのときかかっていた音楽や風の匂いや誰かの言っ
た言葉の切れ端やそういった断片的なものはわりあいきちんと思い出せるのだけれど、それ以上は無理だ。そればかりか、
そういった努力をすればするほどまるで嫌がらせをしてるみたいに記憶はいくつも重なり合う。砂をまだらにふりかけたよう
にみるみるうちに記憶は鮮明さを失い、あるべき筈の順序が前後にばらばらと入れ替わってしまう。ちょうど年代ごとにきち
んとファイリングされたカードが詰まった引き出しを勢いよく床にぶちまけてしまったように。そのたびに僕は床にかがみ膝
をついて散らばったカードをかき集める。あたりはひどく静かで、それに寒い。たぶん僕のどこかにある時間の座標軸がほん
のちょっとずつずれてしまっているのだろう。
そういうことなのだ。
3 :
戯子を愛そうと思う ◆GVzLWFf6 :02/01/22 01:10
戒めだ
☆
どこかで電話が鳴っているのが聞こえる。りんりんりん。ベルは部屋のドアを隔てた遠い彼方で繰り返し繰り返し微かに
鳴っている。誰かが足を引きずりながらそれでも長い階段を一段一段ゆっくりと下りているみたいに。待ってくれ、とその誰
かは階段を下りながら言っている。 頼 む か ら 電 話 を 切 る の は 待 っ て く れ 。
僕は立ち上がろうとする。早く出なければならない。電話に出て何かを言わなければならない。それは僕へあててかかって
きた電話なのだ。僕にはそれがわかる。ただわかるのだ。この都市の地下を果てしなく長く伸びる回線の端で、受話器を握り
しめる相手の姿を、おそろしいほどリアルに思い描くことが出来る。もしもしという呼びかけを求めて息を殺しベルを鳴らし
続けるその姿を。相手の持つ密やかなうねりと、その激しいたかまりを。
だが、僕はその部屋から出ることが出来ない。いつのまにか部屋には夜の闇がとばりを下ろし、沼から汲み上げた泥でそこ
かしこを厚く塗り固めたようにドアも窓も壁もまるで区別がつかなくなっているからだ。闇は深くそして濃い。僕は大きく息
を吐きだす。そして地図も持たずに銀河の端っこにひとり取り残されたかのような気分になる。
5 :
ちんぷる('∀`)@ちんぷる ★:02/01/22 01:11
村上春樹臭い
長文。
DAT逝きのスローボート
やがてふいに冷ややかな闇に混じって聞こえてきたその電話のベルは突然何の予告もなくぷつんと途絶える。まるで僕が立
ち上がってそちらへと歩き出すのを予想していたように。僕はあたりを見廻す。でもあたりには何もない。手がかりもヒント
も指示も 何 も そこには存在しない。部屋は、もはやすっぽりと闇に覆われている。空中にはベルの微かな余韻がしばら
くのあいだ漂っている。まるで誰も蓋を閉めないオルゴールのようにあてもなく。だがやがてそれも消え、あとには夜更け過
ぎの台所の片隅に放り出された中華鍋のごとくちりちりと微細な音を立てる、沈黙だけが残る。
でも僕は、ちょっとした具合で六年間の空白を少しずつ埋めてゆくことが出来る。正確には一九九四年の春から昨日までの
空白について。僕がいまこの部屋にいる理由から、それまでの経緯について。何かの拍子にもつれかかっていた糸がすうっと
ほどけてゆくみたいに本当にふっと思い出すことがあるのだ。
彼女が去っていったその年の春から僕は高校にゆくのをやめた。ロッカーを整理して持ち帰るべきものは持ち帰り、借りて
いた何冊もの本を図書室に返し、それまで務めていた生徒会とテニス部を辞める届けを出した。なんていうか、他者と関わる
ことがほとんどもうどうでもよくなったのだ。
それからは誰とも口をきかずに過ごした。だからといって別にずっと家に籠もりきりだったというわけではない。朝早くと
夕方と青山墓地や赤坂御所で八キロずつのジョギングもしたし、昼間は学校に行く代わりに近所の図書館に行った。帰りがけ
に夕食の材料を揃えるため青山通り沿いにあるスーパー・マーケットで買い物もしたし、そのあと読みたい本があればブック・
センターにも寄った。週末には千駄ヶ谷にある体育館のプールに泳ぎに出かけた。要するに、高校へ顔を見せないことを除け
ばまあごく普通に生活していたわけだ。やってみてわかったのだけれど便宜的に東京と呼ばれているこの都市においては、例
えひとことも喋らなくても結構まともに暮らせてゆけるものなのだ。
そのかわり家に帰るとおそろしいほど濃密な不在感が張りつめていた。耳が痛くなるほどしんとしたまじりけのない空気。
トランプのカードのように何もかもを細長く引き延ばした薄っぺらい時間。僕は買ってきた本を棚の上に置き、スーパーの袋
から食材を取り出し簡単に夕食の支度をした。そして出来上がった料理をキチンのテーブルに並べるとひとりで食べた。皿を
洗い終えると居間のソファに腰を下ろし本を広げて読んだ。本を読むのにもあきるとときおり僕はテーブルの上に置かれた電
話機を眺めた。大きな液晶盤を備えたいかにも育ちの良さそうな電話機は机の上でうずくまったままなにかをじっと待ちかま
えているみたいに見えた。 待 ち か ま え る っ て 何 を ? そのたびに僕は本を閉じしばらくのあいだ電話
機を睨んでいた。電話は一度も鳴らなかった。やがて時計の針が十時を示すと両親が帰ってくるまえに自分の部屋に引き上げ
寝た。
結局のところそんな生活を僕は三年間続けた。三年間そういった同じ生活を続けてくるとそれなりの生活様式が出来上がっ
てくるものだ。さまざまなパターンが編み出され、いくつか軌道修正がおこなわれ、そのたびにささやかな哲学が浮かび上が
ってくる。そういうものだ。そのあいだ僕はほんの何回かを除けばほとんど映画も見なかったし音楽も聴かなかった。「ホッ
ト・ドック・プレス」も「ブルータス」も「アンアン」も「財界」も読まなかった。だって読む必要なんてまるでないのだ。べ
つにそういった情報を一切シャット・アウトしようとしてたわけではない。ただ単に僕自身興味が持てなかったというだけだ
った。東京でいまどんな音楽が流行っていてどんな服を着ればいいのか、あるいはどこに行けばどんなものが食えるかなんて
特に知りたいとも思わなかった。ラジオさえ聴かなかった。春がやってきて夏になり、やがて秋が深まっていった。事態は変
わらなかった。まるで重たい雪の混じった泥濘を足をあげて一歩一歩歩いているような気分だった。いや、年が経つにつれ状
況はもっとひどくなっていったのかもしれない。僕はしだいにひとりで食事をすることに馴れ、ひとりで走ったり泳いだりす
ることに馴れた。そして誰とも話さないことに馴れた。どこからも電話は来なかったし僕も誰にもかけなかった。
もっとも僕の通う高校の担任からは、時どきだが僕へ宛てて電話が何本か掛かってきた。
改行なんとかならんか
学校を休み始めて間もない頃、それこそ毎日のように電話はあった。それしかやることがないのかと思うくらいだった。や
あイトウ、と彼は最初決まって親しげに僕に呼びかけた。新しく彼のクラスになってまだ一回も直接口をきいたことがなかっ
たのにだ。まるで入学以来ずっと僕を知っていると言わんばかりの口ぶりだった。それからもうすぐ行われるクラスぐるみで
の遠足やら提出しなければならない書類やらについて話した。そして「今日はどうしていたんだ」だとか「何故学校に来ない
んだ」などと電話越しに僕に質問した。そのたびに僕はいい加減な返事をしておいた。まともに説明したところで分かってく
れるようなタイプではないのだ。こう言ってはなんだが自分の基準に当てはまらない生徒を見つけだし、しつこくつつくのに
喜びを見いだす救いがたい男だったのだ。放っておいてくれ、とそのたびに僕は思った。遠足も書類も僕にはもう関係ない。
僕にとって、もはや違う世界の違う話なのだ。そしてこう思った、頼むから放っておいてくれ。だがもちろん彼らは放ってお
いてなんてくれなかった。
あらゆるものが死にかけていた。
よく僕はそれらが起こり得なかった場合について考えてみた。そして僕の周りで起きた出来事の前後を入れ替えてみたり、
ひとつひとつの可能性をあげてみたり、もう一度それらを改めて検証し直してみたりした。全てを把握することが必要だった。
それほど事態は圧倒的なまで巨大で、複雑な回廊がいくつも入り組んでいた。僕は逐一それらを余すところなくばらばらに分
解したりビュジュア・ライズしてもういちど立体的に組み立てたりした。僕は飽きることなくそういったことを毎日毎日繰り
返した。
別に僕がそんな風に過ごしていたのはそのとき受けた傷のせいではない。もちろんそれら出来事を通り抜けたことによって
僕の体にはいくつもの深い裂け目が出来、傷はぱっくりと口を開けた。あるいはあとになってもっと深いダメージがやってき
た。それまでのものとは殆ど較べものにならないくらい激しい無音の圧力に僕は何度も押しつぶされそうになった。それでも
僕は自閉的になったり全てを排除しようとしていたわけではない。むしろそうすることが決して救いにならないということも
分かっていた。ただ単にそういったインターヴァルが必要なだけだった。自分自身を立て直し、確立し、再生する時間。
再生。
ときどき気が向くと片道一時間近くかけて、電車に乗り継いでは学校まで出かけた。授業は退屈だった。クラス・メイトも
決まりきった話しかしなかった。ゲームとバイクとダイエットと昨日見たTVの話。同じ話しか聞こえてこない中で僕はうん
ざりしていた。おいもうよせよ、と僕は思った。そんな話をして一体何の意味があるというのだ? も う よ せ 。
けれど彼らは口を動かすことをやめずクマアカゲラの群のように、ぺちゃくちゃとその手の話をいつまでも続けていた。
僕は彼らに多くのものを求め過ぎていたのだろうか?
女の子はみんな明るくて素直な子ばかりだったけれど、それだけだった。僕は彼女たちと話をしていてしばしば砂を噛むよ
うな空虚な気持ちにさせられた。彼女たちと会話するのは例えば底なし井戸に石を投げ込むのと同じことだった。井戸がある。
僕は小石を投げ入れる。ひゅうううううううっ、石が風を切る音がする。それで終わり。なにも聞こえないしなにも起こらな
い。いつまでやったところで無駄だ。おそらく素直すぎるのだ。素直すぎて全てを吸収するだけで返ってくる反応というもの
が、まるでないのだ。それに第一そんなの会話とは呼べない。彼女たちと話せば話すほど、僕のなかで空虚な部分はどんどん
広がっていった。
それでも僕はやはり彼らに多くのものを求め過ぎているのだろうか?
あらゆるものが死んでいった。
ときおり僕は顔を上げてあたりを見廻してはひどく不思議な気分になったものだった。あるいはもしも二年前の僕をここへ
連れてきて取りまく今の現状を見せたら、中学生である彼は一体なんて言うのだろう?
彼は信じないだろう。たぶん何を見せたところで到底信じないだろう。なあ答えろよ、と僕は思った。一体俺はここから果
たしてどこへゆこうとしているというのだ?
僕はアーネスト・ヘミングェイを読み、リチャード・ブローティガンを読み、スコット・フィツジェラルドを読み、ジュノ・
ディアスを読んだが、もちろん何の役にも立たなかった。救いはなかった。彼らとの間に築かれた目には見えない溝をより深
めたに過ぎなかった。
そんな風にして時は過ぎていった。
ぁゃιぃかと思った。
17 :
ちんぷる('∀`)@ちんぷる ★:02/01/22 01:22
村上春樹臭い
4月のある晴れた日に100%の女の子と出会うこと/パン屋強盗
のDVDを買ったのだが、あんまり良くなかった。
19 :
ちんぷる('∀`)@ちんぷる ★:02/01/22 01:28
うん、最近DVDで出たんだよ。
山川なんとかって人が80年代初期に作った短編映画の二枚組で。
で、肝心の内容は小説に比べるのが失礼なほどお粗末だと思ったんだが、
当時は海外でかなり評判が良かったみたい。ちなみに100%の
女の子役には室井滋。
三平です
22 :
ちんぷる('∀`)@ちんぷる ★:02/01/22 01:32
室井滋が100%か(笑
「パン屋襲撃」は映像化可能だと思うが、「4月の〜」なんて
よく映像化できたなぁ、、、
でも室井みたいな微妙なコこそあの小説の100%の女の子向きだと
思う。現代でやるとしたら田畑智子とかがぴったしな気がする。個人的に。
誰か1の文を読んだ人いる?
3行ぐらいに要約して
2行
ときおり自分が辿ってきた軌跡について考える。
そんな風にして時は過ぎていった。
馬鹿は言葉を飾りたがるって誰かが言ってたね。
これ、悪くないですよ。村上春樹というか前半は後藤明生っぽい。
いうほど言葉も飾ってないですし。改行があれですが。
全部で 5170文字、行数123、だそうです
タイトルのフェイリャはfailureでいいのか?
立て逃げかよ!!
つぎはぎを感じるのは良いとして、
主役が読み手に嘘ついてていいのかよ。
それとも本人自身気づいてないのか。
32 :
臭人番号687:02/01/22 19:40
あやしいはことごとくバブリーである。
ちゃんと読んでないけど
彼女とはよく電話で話した。
だいたい回数にして、週に二回かそれくらいだったと思う。電話はだいたいこちらからかけた。けれどたまに向こうからか
かってくることもあった。夕方5時過ぎに居間の電話が鳴ると、それは大抵、彼女から僕へかかってきた電話だった。高校は
お互い別べつのところだった。僕は中野にある都立高校、彼女は世田谷のミッション系の女子高に通っていた。けれど、むこ
うは広尾に住み、こちらは西麻布に住んでいたから、距離的に見れば特に遠いというわけでもない。
十分も歩けば二人とも直に会える距離なのに、何故電話で話していたのか。
そう訊かれれば僕にはわからないと答えるしかない。彼女は時間を割いてまで特に会いたいとは思っていなかったようだし、
それに関しては僕も同じだった。実際のところ本当にそうだったのだ。むこうだって恐らく忙しかったし、こちらだってやる
べきことは一杯あった。同じ学校ならともかく、そうでないと試験や授業の日程もまるで違うし、休みの長さまで実に違う。
それにだいたい、会って特に何かをするというわけでもないのだ。
彼女とは中学からのつきあいだった。三年間ずっと同じクラスだったのだ。それでも、僕と彼女が実は仲が良かったと知っ
たら、クラス・メートはたぶんみんな驚いたんじゃないかと思う。
僕と彼女は学校で話すことは殆どなかった。廊下で会っても声を掛け合うこともなかった。目さえ合わさなかった。お互い
まるで知らない人間であるかのようなフリをしていた。それは一種の暗黙のものだった。いわば二人のあいだにおける不文律だった。
でも、その頃僕はそうした一連のルールに対して不愉快だとも特に不思議だとも思っていなかった。まあそういうものだろう
という気がしただけだった。恐らく彼女にしても別に深い考えもなくごくごく自然な流れとして、そう振る舞っていただけじゃ
ないかと思う。実を言えば今になってさえ、僕にはそれらの日々がどこか歪んでいたとかはどうしても思えないのだ。
「ねえ、私についてあなたが知ってることは何も百パーセントの私じゃないのよ」
ある日の夕方、いつもと同じように居間の電話で話をしていてふと彼女は僕にそう言った。
「どういうことだ?」と僕は訊きかえした。
「あなたの目に映ってる私のこと。その私はあくまでもあなたから見た私であって、本当の私ではないのよ」彼女は一瞬黙り、
そして言葉を続けた。「例えばあなたと電話で話してる以外の私について、この電話を切ったあとの私について、あなた知って
る?」
「晩御飯を食べる」僕は答えた「たぶん」
「そういうことじゃないの」彼女はまじめな声でそう言った。
「じゃあパパと別れる前の私については?」
十年前、彼女の両親は離婚していた。彼女が五つのときだ。彼女は母親に引き取られた。
「いや」僕は首を振った。「何も知らない」知るわけがない。だいたい十年前僕はまだ小学校にも入っていなかったのだ。
「そういうことなの」彼女は言った。
「私だって、私の目から見たあなたについては知ってるけど、それ以前のあなたについては何も知らない。知り合う前のあ
なたについては何もね」
「そりゃそうだ。でもね」僕は受話器を持ち直した。「でも知り合うことは出来る」
「知り合う?」
「そう。お互い話をしたりして、そうした欠落を埋めることは出来る、……そうは思わない?」
僕の言葉を聞くと長いこと彼女は黙っていた。まるで窓の外に降る雨に耳を澄ましているみたいな沈黙だった。
「……どうでしょうね」しばらくして彼女は口を開いた。その声はついさっきまでとは違う驚くほど暗いものに変わってい
た。「あなたは埋めることが出来る、そう思うのね?」
「うん」
「世の中には埋めることの出来るものと出来ない欠落があると思うの」やがて彼女は受話器の向こうから静かな声で僕に
そう言った。「一度過起こってしまうともう二度と取り返しのつかない事象みたいにね。そう決まってるのよたぶんね」
そのとき彼女が何を言おうとしていたのかは僕には分からなかった。でも今になって分かる。おそらくは彼女が何かを──
たとえそれが時が経ちさえすれば、あっけなく消えてしまうようなものであれ──求めていたのだということが。そしてある
いはその何かを、できるなら他の誰かと一緒にささやかであれ共有したかったのだろう。
彼女は僕と同じ歳にしては、もはや随分と大人びていたように思う。顔立ちや雰囲気といったことではなく、それとはまた
別に、僕たちと同じ歳の人間とは全く違う観点から物事を見ることが出来た。あるいは僕が何かを質問すると──もちろんた
まには少し考え込むときもあったにせよ──即座に答えが返ってきた。まるで最新型のコンピューターみたいだった。その答え
は常に確信に満ち、公正なものだった。あらゆる示唆に満ち、啓示が含まれていた。そしてそれらは実際正しかった。彼女が
「イエス」と言えばそれはイエスだったし、「ノオ」と言えば物事は大抵ノオになった。
それでも僕はときおり彼女のなかに哀しみを感じた。何かの拍子にふっと伝わってくるのだ。電話の回線を通し繰り返しう
ち寄せる波となって。あるいは淡い種類の重ねられる哀しみとして。それらは激しく僕の心をうずかせ、震わせた。そのたび
に僕はこう思った。できるならなんとかしたいと。もはや傷つかずに済むように彼女をかばい、守ってあげたいと。例えば暗
い夜、彼女がもう二度とひとりで涙を流すことがないように。
今になって思うのだけれど、その哀しみはたぶん彼女の中にあったのだと思う。彼女自身の中にあるなにかがそれを引きつけ、
揺り動かしてしまうのだ。哀しみを生み出し、あるいは彼女を傷つけていたのはある意味まぎれもない彼女自身だったのだ。
それをうまく統御できれば彼女だって誰かになにかを求めなくてもよかったのだ。
だが結局のところ、僕は彼女に何も与えることは出来なかった。彼女が求め、希求しているものを僕は最後まで与えてあげる
ことは出来なかった。もちろん彼女は僕とはいろいろと話した。あるいは僕が何かを相談したり訊いたりすればちゃんとそれを
答えてくれた。だが、それとは別に、本質的なものとして僕は彼女から必要とされていなかった。彼女にとっては僕という人間
は何ものでもなかった。何ものでもなかったし、どこへも行けなかった。
あるいは彼女もそれを知っていた。彼女がそう感じているのも僕は分かっていた。分かっていたけれど口に出さなかっただけ
だった。哀しいけれどそれが事実だった。
だが、それを考えるといまでもひどく哀しい気持ちになる。閉園まぎわの人影の絶えた遊園地に腰を下ろし何かをあてもなく
待ち続けているような、そんな気分になる。
やがて春になり新しい季節がやってきた。
その年の春に僕は初めて女の子と寝た。ひとつ下の学年の女の子だった。
彼女とは高校の図書室で知り合った。僕が借りていた本を返しにゆくたびに彼女がそこで受付をしていた。カウンター越し
にぽつぽつと言葉を交わすたびにささやかだけどそれでも共通の話題がいくつかあることがわかった。そして今度渋谷に映画
を見にゆこうということになった。最初誰かが自分に興味を持つなんて僕にはほとんど信じられなかった。ありていに言って
僕はそれほど興味深い人間ではない。それでもそれからも何度か会ってどこかで食事することになった。そして何度目か同じ
ように食事したあと彼女から寝ましょうと言いそして僕らは寝た。綺麗な髪をした頭の良いさっぱりとした女の子だった。
もちろんそこに至るまでには様々ないくつかの微妙な過程が存在する筈なのだけれど煎じ詰めればまあそういうことだ。
彼女にも父親はいなかった。三歳のとき、彼女の母親が彼女を連れて家を出たのだ。そこに付随した理由もきいたはずだけ
れど、今ではもう、すっかり忘れてしまった。
僕たちはときおり会っては食事をしたり一緒に買い物に行ったり、あるいはただあてもなく街を歩いたりした。外苑前、
表参道、フロム・ファースト、青山墓地、霞町、ホブソンズのアイスクリーム・ショップ。彼女と一緒にいると僕は半ば忘
れかけていた温かい気持ちを思い出すことが出来た。同時にそれまでどれだけ僕が孤独でどれほど大切なものを失ってきた
かをひしひしと感じることとなった。
お互い一緒にいる時間が増えれば増えるほどしだいに、僕は彼女に質問されなくても自分のことを少しずつ話すようになって
いった。自分という人間について。図書室で彼女に会うまでどんなことを考え、どんな日々を送っていたのか。去っていった女
の子について。彼女がいなくなって物事が次第にうまくゆかなくなっていったこと。やがて僕自身混乱しまたバランスのような
ものをひどく崩してしまったこと。図書室の女の子はそのときまだ十七歳だったけれど、それでも聞ける限りきちんと僕の話に
耳を傾けてくれた。例え完全な形ではないにせよ──あるいは十七歳の女の子にどれくらい完全な形が期待できるというのだろ
う?──ちゃんと考えたうえでの答えをくれた。つまり彼女なりの誠実さを持って僕に惜しげもなく最大限それを与えてくれた
ということだ。それは驚くほど無垢で掛け値なしの丸ごとだった。殆ど手放しの保留条項なしのものだった。でも今になって思
い返すたびに僕はほとんど泣き出してしまいそうなくらいの気持ちになる。誰がなんと言おうと彼女のそんな部分を傷つける権
利なんて誰にもなかったのだ。それらは本当に本当に大切にすべきものの筈だったのだ。でもそのときの僕はそんなことはほと
んど気付きもしなかった。そして結局のところ彼女を傷つけ、最後には取り返しがつかないくらい無茶苦茶にしたのはまぎれも
ない僕自身だったのだ。今になればそれがわかる。
彼女は歩いていてよく僕の名前を呼んだ。軽く首を傾げ、区切ることをせずさらりと続けて呼ぶのだ。季節は春でそのとき僕
たちは手をつないで根津美術館の脇の坂を下っていた。彼女は長い髪を後ろに流し、赤と白の格子縞のネルにブルージーンとス
ニーカーといったラフな格好をしていた。あたりはしんとして人気はなく、既に夕暮れ特有の薄闇が音もなく忍び寄ってきてい
た。
「ねえ」と彼女は言って僕の手にしっかりと自分の手を重ね前後に何度か振る。「今日はとても楽しかったわ」
「僕もだよ」と僕は答えた。その日僕たちは久しぶりに遠くまで出かけその帰り道だったのだ。
「ほんとう?」
「うん」
彼女は僕の顔を見上げ微笑む。まるで長いこと探していた夜空の星をやっとのことで見付けたときのように。素敵な微笑み
だ。薄闇を通してそれがわかる。どこかから微かに魚を焼く匂いがする。
「あなたのことはとても好きよ」しばらく歩いたあとで彼女は言う。そしてつないでいた手を離し何かを確かめるように再び
握りしめる「例えばこうやって話したり一緒に歩いたり、あなたと寝たりするのもね」
僕は何も言わずに頷く。
「ただね、なんていうのかな、ときどきあなたがふっと遠くにいるような気分になるの。すぐそばにこうやっていつもすぐそば
にいる筈なのに、実際はすごく遠い場所に立っているような感じがするの。何光年も離れた手の届かないくらい遠いところにね」
ナンコウネン、と彼女はチョークによって黒板に書かれた文字を読み上げるかのようにはっきりと発音する。
「そんなつもりはまるでないけどな」僕は笑いながら答える。
「でもそうなのよ」
彼女は笑わず生真面目な顔をして首を何度かゆっくりと振る「私はそう感じるの」そして十五秒ほどの間を置く。
「もちろんほんのたまにだけれど」と彼女は言う、「でもそのたびにたまらなく哀しくなるの、ああ、やっぱりこの人は私のそ
ばにいてくれないんだなあって」
「済まないと思うよ」
どこかの家の開け放した窓から電話が鳴る音が聞こえてくる。電話は深い海の底のような春の空気を震わせてしばらく鳴り響
き、それから誰かが窓を閉めたかのごとく不意に途切れて聞こえなくなる。
「……教えて欲しいことがあるの、だから正直に答えて。知りたいから」
「何?」
「あなた彼女のことまだ考えるの?��去っていった女の子のこと」
僕は少し迷う。彼女はじっと僕を見ている。
僕は口を開く。それから大きく息を吸い込んで吐きだす。
「考えるよ」
彼女は歩くのをやめる。僕も立ち止まって彼女の方を、振り返る。
「いつも?」
「・・・ときどきさ」
ぼんやりとした明かりの中に照らされた彼女の姿を僕は見ることが出来る。けれど彼女のすぐ後ろ、坂の途中にある街灯の
シルエットとなってその顔は黒く塗りつぶされ、表情を知ることはまるで出来ない。
「どうしてその人のこと考えるの?」彼女は立ったまま静かな声で僕にそう訊ねる。すごくすごく静かな声だ。まるで誰も
いない美術館で目の前にかけられた絵の説明を僕に求めるみたいに。「まだ忘れられずにいるの?」
「いや。そういうんじゃないと思う」僕は首を振る。そういうのではない。
「忘れられないわけじゃないんだ」
「じゃあどうして?だって、もうずっとまえにそれは終わったことなんでしょう?」
「そうだよ」僕は答える。「彼女についてはね。少なくとも彼女についてはたぶん終わったんだと思う」それからシャツの
カフの部分を折り返し、手のひらとひらとを何度かこすり合わせる。そして言葉を捜す。
「彼女についてそれは終わっている」と僕は言う。
「そのことについてはね。まぎれもなく完結している。終了事項だ。行き止まり。それはどこにも繋がってないし事実どこ
にもゆけないんだ。彼女は二度と現れないしそのことを求めてもいない。終わったというのはそういうことだよ。でも僕につい
てはまだ何も終わっていない」彼女が聞いていることを確認してから僕は言葉を続ける。「ときどきこう考えるんだ。状況はこ
のままだといずれ想像もつかないくらいひどくなるだろうってね。これから先今よりももっと混乱し沢山のものが失われてゆく
のだろうと思う。彼女がいなくなって僕は混乱している。失い失われている。混乱したまま何かを求めている。でもその手がか
りはどこにもない。求めているものが何かすら分からない。見失っているんだ。だけど僕はそこから抜け出さなくてはならない。
混乱から自分自身をもう一度確立し、僕という人間を取り戻さなくてはならないんだ。それが終わってないということだよ。そ
して彼女はたぶんその中でキー・ポイントを握っている。そこに彼女が関わってくるんだ」
「キー・ポイントって?」と彼女が訊ねる。
「手がかりだよ」僕は彼女に言う「僕にとっての手がかりだよ。混乱から抜け出し新しい軌道に乗せるためのね。それがキー・
ポイントなんだ。たとえあとに残っているのが彼女がいなくなったからのデータであったとしてもね。あるいは僕はそこからを
なんとしてでもその手がかりを見付けださなければならない。混乱はそこから始まったんだ。そこが出発点だ。だから今でも彼女
のことを考えるんだと思う」
墓地を越えて湿り気を含んだ風が吹き頬をうつ。話を終え僕は口をつぐむ。いつのまにか日没は終わり墨色の闇が音のない川
のように流れている。僕たちのあいだに短い沈黙が訪れる。
「じゃあ、私は何?」やがて彼女が硬い声で沈黙を破る。その声はこれまでに僕が聞いたことがないほど硬く凍り付いている。
はっとするくらい奇妙に乾き、平板で奥行きに欠けている。
「私は何のためいるの?あなたと一緒にいる意味は殆どないわけ?気が向いたとき御飯を食べに行ったりどこかへ遊びに行った
りするだけの相手で、私はあなたにとって本当に必要とされてないわけ?」
僕は黙ったまま彼女の言葉を聞いている。
「じゃあどうして?だって、もうずっとまえにそ黷ヘ終わったことなんでしょう?」
44 :
しえくん 212.219.59.206:02/01/23 00:45
BGMはrocket or chiritoriとかがぴったし
中目黒で友人と会った。友人といってもある店で知り合いになっただけの関係だが、僕は敢えて友人と思っている。
ある店の待合室でラークとまずいコーヒーをボーイから受け取り手持ち無沙汰な場を
目の前の虚ろなサッカーの親善試合でも見てごまかしているときだった。
「ねえ、そんなの忘れられないよりひどいじゃない。少なくともいま私はこうやってあなたのそばにいるわけよね。あなたと
知り合ってあなたを求めているわけよね。ねえ、もちろん私だってどうにかしてあげたいと思うわよ。でもあなたはその混乱から
抜け出すのに私を求めていない。あなたにとって何が必要か知りながら私はそれを与えることは決して出来ない。そういうことで
しょう?じゃあ私はどうすればいいのよ?あなたは私に対して一体何を求めてるというのよ?」
正論だった。
僕は上着のポケットに両手を突っ込み空を見上げる。意味もなく息を吐きだしそれから地面に目を落とす。頭の上で音を立てて
木々が揺れる。道路には四五日前に散ったばかりの桜の花がいたるところにうずたかく積もっている。まるでまだらに溶けかけた
雪道みたいだ。坂の途中にあるバーの看板の黄色の明かりが静かに灯るのが見えた。木が影を作りあたりは奇妙な具合に暗い。
「──ごめんなさい」
やがて彼女は小さな声で言う。そして一歩一歩こちらへ歩み寄り、僕の手をゆっくりと取る。「私ちょっと言い過ぎたかもしれ
ないし、もしそのことで傷ついたとすれば謝るわ。本当に悪かったと思う。いま口にしたことであなたが嫌な思いしてなければい
いんだけど」
僕は黙って首を横に振る。彼女の言い分がもっともなのだ。彼女の手は僕の手にすっぽりと収まる。まるで長いことどこかに置
き忘れ去られていた夢の続きであるかのようなあたたかな温もりがある。彼女は僕の手をとったまま何度か軽く握りしめる。
「あなたはたぶんいろいろなことを抱えこみすぎるんだと思う。だからそうやって物事を一度に複雑に絡めてしまうんじゃない
かしら。オーディオの裏から何本も伸びているコードみたいにね」彼女は伸び上がって僕の目をじっとのぞき込む。「違う?」
「わからないな」
すぐそばにある彼女の目はこれまでにないほど透きとおっている。そしてその表面にいくつもの波紋を湛え、それらがゆるや
かな震動と共に広がっては消えてゆくのが見える。説明しようがないほど漠然とした哀しみを突然僕は覚える。それはちょうど春
の宵が持つ透明なゆきばのない哀しみとどこか種類が似ている。
「早くそこから抜け出しなさい。そして忘れなさい、なにもかも」彼女は言う。「あなたにとっても、彼女にとってもそれらは
もう終わったことなんだから」
「忘れられないよ」と僕は言う。
「どうして?」
「どうしてもだよ」忘れられるわけがない。忘れられる筈がないのだ。「もう少し時間が必要なんだ」
「もう少し」
「そう」僕は頷く。「僕だって混乱してる。僕だって自分を立て直したり整理をするのに時間がかかる。だからもうちょっと
待って。いろいろなことが終わるまで」
「可哀想な人」
僕の顔をまじまじと眺めたあと彼女は言う。そしてゆっくりと手を伸ばし指先で僕の頬を何度かなぞる。輪郭だけでなく僕の存
在そのものまでを確かめようとするかのように。あまりにも顔を近くに寄せたせいで僕の頬が彼女の息で温かく湿る。
そのままの姿勢で彼女はしばらく動かずにいる。そして囁く。「いいわ。たとえいまは私を求めていなかったとしても、それでも何もかも終わるまで私があなたのそばにいてあげる。あなたがそれ以上色いろな出来事に巻き込まれないように、それ以上何も失わないように」
それから彼女はまるで小さな子供でも抱くみたいに両腕で僕を抱え、自分の胸に押しつける。
「いい?だから忘れなさい、なにもかも──あなたにとってもその彼女にとっても、もう全部終わったことなんだから。約束し
てくれる?」
僕は顔を彼女の胸にぴったりと押しつけられ何も言えずにいる。そればかりかほとんど息をすることさえ出来ない。闇は一層濃
く、深くその色を変える。坂を下りてきた一台の車がかすめるようにしてすぐ脇を通り過ぎてゆく。闇を切り裂くヘッド・ライト
鮮やかな軌跡を残してカーヴの向こうへ消える。
「ねえ」とやがて彼女が言う。「誰だって救済というものを求めているのよ。どんな形であれ誰だって多かれ少なかれムム私は
そう思うわ」
彼女の胸はゆっくりと波打ち呼吸を繰り返している。それに合わすかのように柔らかなリズムで心臓が鼓動を続けているのが聞
こえる。風が吹き木々がざわめく。僕は何かを言おうとする。けれど言葉をうまく押し出すことが出来ない。僕は何も言えないまま
彼女の匂いを吸い込む。
彼女は僕に訊く。「きちんと、約束してくれる?」
「約束するよ」
それ以外に一体何と言えばよかったというのだろう?
だが本当のところ、言うことなんて何もないのだ。
本当にそうなのだ。
あらゆる人間は救済を求めている。
あのとき彼女が言った言葉だ。実際のところそのとおりだと僕も思う。
でも僕にはいまになってわかる。それでも僕は彼女と付き合うべきではなかったのだ。結局のところ僕は彼女を求めてなどい
なかったのだ。彼女という女の子がそばにいながら、僕の求めているのは全く別のものであり最後までそれは変わることなかっ
た。それが事実だった。
結局その女の子とは僕がその高校での高校生活を終えてすぐしてから別れることとなった。
ひどい別れ方だった。
別れるとき僕は彼女を傷つけた。何度も何度も繰り返し傷つけた。あるいはそれはわざとだった。どうすれば彼女が傷つくか
を考えたうえで実行した。どうすれば彼女が傷つき、悩み、哀しむかというのをちゃんと理解していながらもそれをおこなった
のだ。
彼女と別れてしばらくしてから僕は自分が彼女に対して振る舞ったそれらのことをひとつひとつ思い返してみた。そして言いよ
うのないくらい惨めな気持ちになった。そこには一切の言い訳は用意されていなかった。釈明も仮定ももはや存在しなかった。あ
るのは事実だけだった。
カランコロンとなったドアのおくから入ってきたのは汗をだくだくとかいた太っちょの男。
見たところ背丈は僕より小さい。体重は90キロはありそうだ。なにしろ溶けかかったイボガエルのような
顔をしているのが一際目をひく。
僕はそこからいくつもの教訓を学んだと思った。あるいは真理なり定理なりをきちんと導き出した筈だった。けれどそれから僕
が得たものは結局は揺り動かすの出来ないひとつの真実でしかなかった。どんな事情があれ僕という人間は、誰かを傷つけること
しか為し得ぬ人間だということだった。僕という人間は結局のところ驚くほど身勝手で傲慢だった。自分勝手に振る舞い、場合に
よっては誰かに対し信じられないほど残酷になることも出来た。それが僕だった。
同時に──奇妙といえば奇妙な話だけれど──僕も傷ついた。恐らくそのとき感じていたよりもずっと深く傷つくことになっ
たのだ。そして僕にはまるで分かっていなかった。自分を通して相手を傷つけることが、あとになって再びどれほど自分自身を
損ねることになるかということが。
そしてそれから何年か経ち、再び同じようなことが起こったとき、僕はもはや自分の人生に対して殆ど何の希望や期待も抱か
なくなっていた。混乱を解決する糸口や手がかりはもう何も残されていないことを感じていた。あるいはそれを捜すこともほと
んどあきらめた。全てがマイナスかそれとも全くのゼロのところから、一体何を得ればいいというのだろう?僕はしだいに自分
の人生はここで終わったのだと考えるようになった。あるいは自分は既に終わった人間でありこれから始まるものは何もないの
だと。終着点。終わり人。言うなればそれが僕の人生における第二の死だった。僕はよく壁にもたれて部屋が暮れてゆく様子を
じっと眺めたものだった。少しずつ部屋がプールの底のような淡い透明なブルーに満たされる様子を始めから終わりまで見てい
た。そして昔知り合った仲間の名前を一人ひとり声に出してあげてみた。部屋はおそろしいほど無音が漂いそのたびに声は虚ろ
な具合に歪んで響いた。空気には彼らの残した影のような名残が音もなく浮かんでいた。会話の断片や彼らが僕に残そうとして
くれたもののかけら。彼らはどこへ行ってしまったのだろう?あるいは僕はその糸をいつ切ってしまったのだろう?いずれにせ
よ僕はもうどこにも行けなかった。出てゆく出口も語るべき言葉も何も残されてなかった。〈世の中には埋めることの出来るも
のと出来ない欠落があると思うの。〉かかってはこない遠い回線の端、過去の受話器の向こうから彼女は静かな声でそう僕に告
げていた、〈一度起こってしまうともう二度と取り返しのつかない事象みたいにね。〉
決まってるんだ、とときどき僕は思った。大抵は賑やかな場所で一人で食事をしたり、休日の街を歩いたりするときだった。
あるいは自分の部屋で椅子に腰かけ本を読んでいたり、かかってこない電話をじっと睨んでいるときにもそれを感じた。孤独は
鋭い爪となって僕の胸をえぐり無音の杭を打ち込むように何度も刺した。
初めからお前の人生はそう決まってるんだ、と僕は思った。失い失われるものだと。何もかも取り返しのつかないくらい損なわ
れてゆくと。それしか残されていない、それがお前の人生なんだ。だからあきらめろ、もう。
【『フェイリャ』 1999年】
53 :
しえくん 212.219.59.206:02/01/23 00:53
age
55 :
のこりもの人生:02/01/23 02:18
(´o`)ノエビフェリヤ
56 :
パンチョマン:02/01/23 02:18
スリジャヤ・ワルダナ・プラコッテ
スリジャヤ・ワルダナ・プラコッテ
スリジャヤ・ワルダナ・プラコッテ
朝age(ギコ
俺小説大好きでさ、ほとんどジャンル関係なく何でも読むんだよ。
もしかしたらこれも面白いかもしれない。
でも何で読む気がしないんだろ?
59 :
しえくん 212.219.59.206:02/01/23 08:09
自分の作品について語ってよ
まともな感想書いてるの二人ぐらい
61 :
はりま ◆9XzptD3A :02/01/23 08:28
なんかネットの小説って読むの疲れる。
本みたいに縦書きじゃないしページめくれないし
それに目が疲れる。
全部で、
15486文字
行数351
400字詰め原稿用紙38枚分
読んだ。
読んだ。
えー