連載電波小説「ローマの体日」

このエントリーをはてなブックマークに追加
1特上名無しさん
命の灯火を燃やし尽くすというならば、それは間違いなくローマンカソリック教徒によるものだ。先カンブリア紀より放たれる僅かな駆け引きが、それを成すと言えよう。
ただ、ある種の苛立ちが俺を苛むとき、すぐにでも走り出す馬のように旅立ちを迎えた母は、最後にこう言い残して息絶えたことを忘れてはならない。

「ススム。学者にはなるな」と。

確かに、俺の家には古くから伝わる謎の腹痛がある。その時々に応じて繰り替えされる、諍いも、考えようによっては行幸といえるのかも知れない。
ただ、今の俺にとってはドチテ坊やを殴りつけることもなく頓知に没頭するシン右衛門さんのような気持ちにはなれないという事だ。

世界は震えている。それは紛れもなくローマに全ての始まりがある。神の代より続く幾つかの寄り代も。
2特上名無しさん:01/10/22 02:21
読む気はない。
3特上名無しさん
点で支えるムアツ布団を購った時、リチャードは言った。
「ポコペンポコペンポコポコペン。」
さすがに、その時の俺には全く持って理解できなかったこの言葉の意味も、今なら素直に分かるのだが、それはいわば筵の如く使い古されたハゼ用の仕掛けと同じ程度の価値しかないことにも気付くはずだ。

しらばっくれて居てばかりでは本当の意味での幸せを手にすることは出来ない。そこにお茶が有りさえすればいい。

そんな事を思うとき、ふと頭をかすめる想いに気付いた。
八甲田山の頂は今なお盛んに達振る舞っているのか否か。
それは誰にも判らない事やむなく、ただ屍ばかりが宙を舞うのかもしれない。