1 :
特上名無しさん:
後で使います。
2 :
特上名無しさん:01/10/14 03:10
嵐発見
3 :
特上名無しさん:01/10/14 03:11
待機しておきます。
くるみを割ることは、けっして芸術ではない、だから、みんなを呼び集めて、
くるみを割ってみせ、みんなを楽しませる、そんな真似をする者はないであろう。
にもかかわらず、これを実行して成功すれば、それはもうただのくるみ割りでは
なくなってくる。なるほどくるみ割りにはちがいないのだが、われわれはこの技術
を完全に会得してかくべつ技術を意識しなくなっていたところへ、新しく現れた
くるみ割りが、はじめてこの技術独自の本質をあきらかにするわけであり、今の
場合、われわれの大多数にくらべてくるみの割り方が拙劣であるとしても、それは
かえって効果を大ならしめることが多いのである。
「断食芸人」中の「ヨゼフィーネという歌手、または、ねずみ族物語」より
「とっくに死んじゃったわ。あんなもの、人間ですからね。」
「それじゃ、おまえさんは。」
「あたくしは女よ」
「明快だね。なるほど、人間と女はとははっきりちがう。」
「おとしばなし」中「李白」より
酒の相手は車屋の黄安である。車はそばにおいてある。賀知章が酔って正体を
うしなったおりには、この車の上で夜をあかすことがめずらしくない。その礼に、
車屋にも車にも酒をのませてやる。というのは、この車じつは亀だからである。
すでに亀とすればのろいのは当然だろう。坂道にかかったときには、おりてあるい
て下さいなんぞという。
同上
つまり、グラマン、P51やコルセアなど、零戦をしのぐ戦闘機が、よたよたとんでる
「赤とんぼ」を発見、餌食にしてやろうと襲いかかると、あっというまに通り過ぎて
しまう。何倍もスピードが早いから、かえって狙いにくく、「日本は、空中に停止する
飛行機をつくり出した」と、びっくりしたらしい。また「赤とんぼ」ではないけど、やは
り旧い飛行機が出撃した時、アメリカの飛行士はこれと空中戦に入る前、しきりに
「脚が出ている」とジェスチュアで教えたといいます。
脚を収納し忘れている相手と闘ったのでは、フェアじゃないと考えたのでしょうが、
これは、もともと固定脚で、ひっこめようがなかったのです。
↑「戦争童話集」収録「赤とんぼと、あぶら虫」より
精子には高い知能があり、予知能力まで備えています。彼らは卵子に辿り着く
までの長い旅路の中で、生を受けたその後の人生を全て悟り、そのために多く
の者が脱落していきます。最後まで残った精子達は予知能力を持てなかった
出来損ないか、予知はしたものの、人となる前に消滅するよりはと妥協して生を
選ぶ常人、あとは全てを受け入れて後、予知も妥協も関係ないと振り捨て、
自らの本能に従い、ただこれからの道をまっすぐ行くだけと誓った傑物であり、
それらの数の比率は見事に二番目がもっとも多い。
「精子はなんでも知っている」より
「チンコンマン」あらすじ
〜プロローグ〜
数百年後の未来、二人の博士が不老不死の薬を開発した。肉体的不死は結局
不可能であり、彼らが作ったのは「魂の不死」の薬であった。魂が死なないことが
引き起こす厄災を危惧した博士Aと、金儲けの道具にしたいBとの間に諍いが起こ
り、数十人の富豪にBが薬を売った後、AはBを殺し、Aは不死になった者達を鎮
める研究を始める。
〜第一部〜
プロローグから数百年後、政府の指導する「チンコンマン養成センター」を卒業した
ばかりの少年が主人公。世界はB博士が薬を売って以来、不死の魂を持った数
十人の不死魂人に弄ばれていた。彼らは破壊や世界征服などが望みではなく、
ただ長すぎる生の為に退屈しのぎに日々を過ごし、人々はその犠牲となって暮ら
していた。A博士が彼らの魂を鎮める方法を発見したことが分かったのは第一部
の始まりから数年前のことで、「鎮魂法」と名付けられたそれを習得した主人公達
は、世界各地の不死の者達を鎮めていき、仲間が死んだりヒロインと恋したり、
何度も主人公が窮地に陥って死にかけたり、いろいろある。
主人公達は不死の連中と戦ううちに、彼らは本当に倒すべき者共なのか?虚無に
疲れ切った彼らは、喜んで倒される者もいれば、やはり退屈しのぎにダラダラと
戦い続けるのもいる。
〜いろいろあって〜
チンコンマンっ子(チンコンマンとチンコンマンウーマンの子供)を残して最後の戦い
に旅立つチンコンマン。しかしその最後の敵とはなんとA博士。彼はB博士を殺した
後、鎮魂の研究を続ける為に、自らも不死魂人と化し、研究を続けていたのだ。
こっそり研究成果を政府に発見させた後、チンコンマンと不死魂人との戦いを
彼は見ていた。当初、チンコンマン達が無事成果をあげたら、自分も適当なところ
で鎮魂される予定だったのだが、次第に探求心旺盛な学者魂に火が付き、「何故
不死魂人が居てはいけないのか」の疑問を持ち始める。時間が経つと邪悪になる
という不死魂人の性質も影響して。
お互い疑問を持ちつつ戦いが始まる。が、博士はチンコンマンの中にもはや正義
が残っていないことを知り、真実を打ち開ける。チンコンマンは実は博士の分身の
ようなもので、魂を分割して、人間という入れ物に入れただけのものだと。
嘘だと叫ぶチンコンマンだが、心臓を貫かれても死なず、真実に気付く。
そして主人公と悪の親玉は結託し、全世界不死魂人化を計画し、手始めにチンコン
隊を全滅させ、後、世界中の人々を不死魂人に変える。第一部完。
〜第二部〜
廃墟になったわけではないが、人の影が見当たらない世界。人々は不死魂人と
なり、魂だけがゆらゆら揺れていて、彼らは一様に何らかの退屈しのぎをしている。
建設的なことは全くしなくなり、ある意味真の平等が訪れていた。
しかしチンコンマンッコは人間として生きていた。病床にあるチンコンマンウーマン
を守りながら。不死魂人とチンコンマンのハーフであるチンコンマンッコは不死魂
人から身を隠すことの出来る他、多くの能力を持っており、生き延びてきた。しかし
チンコンマンウーマンがついに死の淵に陥り、夫のチンコンマンに会いたさにチン
コンマンッコが食料集めに出かけている時に外に出てしまう。不死魂人にすぐ
見つかったチンコンマンウーマンはすぐに餌食になり、全不死魂人に弄ばれた後
すぐに妊娠し、死ぬ一瞬前に新たなチンコンマンッコを産み落とす。
不死魂人がひしめく世界での、聖チンコンマンッコ対邪チンコンマンッコの戦いが
第二部。
「最近の若者の無知ぶりはひどい。わたしはせんだってある女子大生の知力を
はかってみましたところ、わたしの二万七千分の一しかありませんでした。そして
最近になって、もう一度はかってみましたら、さらに、そのときの三十分の一に
なっていました。これはじつに、合計百万分の一ということです」
「岡潔先生と議論する」中の岡先生の談話。
「怖がらせろ、意気地なしにしたかったら」多分イギリスの諺
個人的な執着がきわまれば、普遍に至るという〜以下略
「好事家志願」より
「そんなに引っ張らんでくれ」
「狂人の悪戯だ」彼は落ち着かないようすで言った。「フローレンス・フラナリー
という名の女が、この世に一人しかいないと思っているのか」
「二人いるとお思いなの、あなたは」妻は抑揚のない声で問い返した。
「フローレンス・フラナリー」より
牢獄で性的妄想にふけり、その後殺人を繰返したデュッセルドルフの殺人鬼、
ペーター・キュルテンと同質のサディズムの指摘であり、やむにやまれぬ妄想は
現実の裏付けがないかぎり心満たされることはなく、この事情は作中の老人に
明瞭にうかがえるだろう。
無為の時間をどれだけ過ごし続けたら、それが無駄なこと、馬鹿らしいこと、
一片の価値もない人生の無駄遣いだということに気付くのかと、昼寝に入る前に
考えていたら、そう考えること自体が無駄な行為に思えてきて、また、思考は途中
で既に夢に入っており、夢の中で無意味でない行為をするのもおかしいと思い、
真剣に、どう過ごせばそれは意義ある時間の使い方となるかを考えようとしたが、
夢の中では真剣に考えるという行為を続けることが出来ず、混沌に流されて冒険
活劇が始まり、起きて後も夢を反芻しながら、これは楽しいことだから無駄では
ないと、次に寝に入る時まで人生の無駄について考えることを止した。
堪能させていただきました。
やばいかなあ・・・また赤かった。途中からのはまた白だったから、滓が溜ってた
だけかもしれんが。しかし赤ってことはやっぱ血だろうし。特に強打したとか変な
ことした覚えもないのに。気にすれば疼痛がある気にもなるし。しばらくしないで
おくか。どうしよ。
「車輪 その断片」 田村隆一
そこで顫えているものはなにか
地の上に顔をふせて
耳を掩っているものはなにか
*
一羽の小鳥が寒冷の時のなかにとまり
地上にもちいさな影を落とした
日没の時
人は黙って歩いた
人は黙って歩いた
叫ぶことがあまりにも多かったから
どこまで行くんだね
ああ ああ と眼のない男が吐息をもらした
どこから来たんだね
ああ ああ と耳のない女が鳴いた
痩せ犬のメリイがこどもを産んだ
七匹の皮膚の下に また
ちいさな闇が生れた
枯草のなかでみつけたものは
枯草のなかでみつけたものは
水死人があがった
人が集ってきた
鐘が鳴った
もう 死は
誰のものなのかわからなかった
「夏の光り」田村隆一
おれは
ヨット乗りの絵描きと
上野駅の殺風景な構内で
神が到着するのを待っていた
午後六時三分の上野着で
神は千三百米の公言から
ワラビとシイタケを両手にぶらさげて
汽車からおりてくるはずだった
おれとヨット乗りは罐詰ビールをやたらに飲み
七時十五分まで待った
大西洋を十九日で横断したのは一瞬の出来事だったが
神が汽車に乗りおくれた一時間は
ちょっとながすぎるぞ
とヨット乗りはぼやいた
「西武園所感──ある日 ぼくは多摩湖の遊園地に行った」田村隆一
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
みみっちく淋しい日本の資本主義者
ぼくらに倒すべきグラン・ブルジョアがないものか
そうだとも ぼくらが戦うべきものは 独占である
生涯手段の独占 私有生産手段である
独占には大も小もない すでに
西部は独占されているのだ
君がもし
詩を書きたいのなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから書きたまえ
詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと思うな 血統書づきの
ライカ犬を飼おうと思うな
詩で 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思おうな 詩で 人間造りが出来ると
思うな
詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
詩が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質 必敗の歴史なのだ
いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな。
こちらから向こうが見えても、向こうからこちらが見えないらしい。そういうことが
頻繁にあるということを当時のわたしはまだ知らなかった。
人の身体などというものはうつろいやすいもので、昔の話をする時には、その当時
の自分や他人が、別の肉体を生きていたことを念頭に置かなければいけない。
昨日書いたことと今日書いたことの間には、必ず矛盾があった。「淵の前に立って
も落ちない」を暗唱したすぐ後に「淵は落ちる者がいるから淵なのだ」とあり、その
すぐ後に、「淵というものはない」、そして「淵がなくても落ちることはある」とある。
「飛魂」より
小さな青いサンダルがゴミ捨て場の塀の上に置かれているのを見て、少年が
ゴミの中に身を投げたのだと思った。公園の隅に置かれたまだ新しいバスケット
シューズを見た時、力を入れすぎて持ち主は空まで飛んで行ったのだと思った。
後一つ靴の片割れを見つけられれば、話が終わると思ったが、それはいつまで
探しても見つからなかった。
つまり中原昌也は、短編小説だけ書いとけってこった。
頑張る
別スレに書き込もうと思ったのに書き込みウインドウがこのスレのままだった。
かちゅーしゃのせい。
顔が赤い。
31 :
(゚∀゚)@ちんぷる ★:01/10/15 01:18
道 程
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、 自然よ 父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のために
この遠い道程のために
32 :
特上名無しさん:01/10/15 01:19
島崎藤村 処女作「童貞」
もう一編の詩 金子光晴
恋人よ。
たうとう僕は
あなたのうんこになりました。
そして狭い糞壺のなかで
ほかのうんこといっしょに
蠅がうみつけた幼虫どもに
くすぐられてゐる。
あなたにのこりなく消化され、
あなたの滓になって
あなたからおし出されたことに
つゆほどの怨みもありません。
うきながら、しづみながら
あなたをみあげてよびかけても
恋人よ。あなたは、もはや
うんことなった僕に気づくよしなく
ぎい、ぱたんと出ていってしまった。
スレッドがたてられん
ちんぷるが道程貼る→私がウンコ貼る 三回目。
36 :
特止名無しさん:01/10/15 01:22
37 :
(゚∀゚)@ちんぷる ★:01/10/15 01:22
そんなに!?
むろおさいせいの詩でちんぽこぶらぶらさせるのがありませんでしたか。
チンコぶらぶらさせる詩なんてみんな書いてます。
五十六歳だけどまだまだ現役だと、自分では思うのだが、こちらの意思とは関係
なく、動かないものも増えてきて、無理に動かそうとするとその為に別の場所に
負担が起こり、では動かなければいいのかというとそうではなく、ゆっくりと退化し、
仕舞いには溶けてなくなることになる。
畳をどけて木の板を敷いたが、溶けた身体を受け止めるにはまだまだ頼りなく、
風呂桶を鎮めるか、いっそ棺桶に寝るかと思案していたところ、嫁がテレビを担い
で玄関から出ていくのが見えた。普段は窓から出入りする奴なのに。それに嫁は
結婚以前とても非力で、財布には札しか入れず、ネックレスやイヤリングなどの
装飾品を身に付けるとそこの部分だけ身体がへこんだ。子供を育てるようになって
からは、息子の成長とともに彼女が支えることの出来る重量も増えていったのだ
が、それも息子は12kg以上成長することが出来なくなったので止まった。
佐伯が窓からやって来て君の奥さんがテレビを、と言い出したので耳を塞いだ。
煙草が切れていたのだが佐伯は持っていなかったし、もう窓もない。
sageが機能してないのか?
イザベルの目に映っているのは、ボロを纏い、無精髭を伸ばし、フケだらけの長
髪を愚かな弟子共と同様にぶら下げているだけの小汚い浮浪者でしかなかった。
街は支配されるべき存在であり、支配するのは腕力や知力などではなく、巨大
な子宮で覆うしかないことを彼女は心得ていたし、事実そうしてもいた。野太い腕
に比べて貧弱なものを腰にぶら下げる者や、何枚にも分かれた舌を自在にこなし、
そのせいで窒息死してしまいそうな若造などが、彼女の支配に対抗して暴れ
回っても、それは子宮の壁を僅かに撫でるだけに過ぎず、むしろ彼女を喜ばせる
結果となった。
子宮の外側から「門を開けろ」と喚くキチガイを相手にする理由はなく、彼女は
拒むと、狂人は、自分を拒むものは地獄に落ちるであろうなどど、意外とまとも
なことを言い出した。「あんたはまだ落ちてないのかい?」と問い返すと、狂人の
後ろに群がる能無し共は彼女を打ち殺さんばかりの勢いで猛り始めた。しかし
彼女はそんな連中だって少しばかり柔肌を触らせてやればすぐに転ぶことを
知っている。子宮の中で何も考えず何も信仰せず無意味に生きることの楽しさを
すぐに分からせてやることが出来ることも知っている。なぜなら彼女は女であり、
訪問者達は男であったから。狂人は躊躇うことなく入り口の門に向かって歩き始め
た。その目は、本当は何も信じてはいないのだ。ただ行動の後に意味が加わり、
彼を信じる者達が歴史を作る。必敗者の歴史は永遠に残るのだ。
イザベルは背後に暗殺者が迫って来ていることを知っている。その男は彼女の
子宮内にいる連中が抜け出たものではないし、狂人の先鋒でもない。彼女がここ
で突き落とされて、狂人の目の前で無惨な死に様を見せることを義務付ける一種の
必然性という名の暴力であり、神と呼ばれるものでは決して、ない。
そこで彼女は暗殺者の手が背中に触れる直前に自ら地面に飛び込む。下に待ち
受ける、残飯で出来上がり、後ろ脚を生涯引きずり続けている、暗殺者と同様の
歴史からの刺客である四匹の犬を彼女はその強すぎる意志を持つ瞳で睨みつけ
る。彼女はこの犬どもに跡形もなく喰い殺されるなどという事実に我慢出来ず、
死ぬ前に土となることを念じ事実その通りになり、以降彼女の上を通る者を呪い
続ける存在となる。彼女の子宮内に閉じこめられた男達はつかの間解放されるが、
数瞬後歴史の波に揉まれ、気の狂った闖入者の軍門に降ることになる。しかし
それは敗北ではなく、ただ住む場所を変えただけのことだ。
そうしてイエス・キリストは遊女イザベルの土を踏み、十字架に至る死への道を
笑顔浮かべて歩みだした。
文章がバラバラだあ
「なんてこった、おまえわしを殺したのか」
「Xのアーチ」より
つまり「なんじゃこらああああ」か。
さて。
一つ歳を
とってしまいました。
いや、一日一日人は老いていくのだから、年齢という数字などあまり意味はなく、
だから何も特別身体が成長したのか、頭がのうなったとか、じゃないのは分かって
はいるけれど、やはり強烈なのは数字の持つイメージで。
9歳から10歳になった時のことは覚えていないけれど、14から15、17から18、19
から20、20から21、23から24、29から30、39から40、そして45となった瞬間のこと
は、よく覚えている。
それぞれの通過地点で「なる前なら出来たこと」が出来なくなり、もう二度と過去に
戻れないことを否応なく実感することになる。だがそれはあくまで気のせいであり、
58で鬼ごっこをしている途中に膝を擦り剥いても誰も咎めはしまい。
ただ数字のイメージに縛られて、
だから今年はパンクス気取る。
気合いが抜けてる
四千の日と夜 田村隆一
一遍の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺されなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ
見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の逆行線を
われわれは射殺した
聴け、
雨のふるあらゆる都市、溶鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の夜の憐みを
われわれは暗殺した
記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した
一遍の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺されなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない
かえって若返った気もする。
若さゆえの勢いを恥ずかしく思うのではなく、楽しく認めるような。
じゃあやっぱり歳とったのか。
「飛魂」は割と楽しめたが、「ペルソナ」は40ページ読んでも面白い部分が一つも
なかったのでやめた。だから「犬婿狩り」も面倒だ。多和田葉子はもういい。
幻を見る人 田村隆一
空から小鳥が墜ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある
窓から叫びが聴えてくる
誰もいない部屋で射殺されひとつの叫びのために
世界はある
空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない
窓は叫びのためにあり 叫びは窓からしか聴えてこない
どうしてそうなのかわたしには分らない
ただどうしてそうなのかをわたしは感じる
小鳥が墜ちてくるからには高さがあるわけだ 閉されたものがあるわけだ
叫びが聴えてくるからには
野のなかに小鳥の屍骸があるように わたしの頭の中は死でいっぱいだ
わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という窓には誰もいない
「暴走族って自分の族の名前を壁とかに書くの好きだよねえ」
「何度も書いておかないと忘れるからよ」
多分「陽炎日記」
いつも逢ふ電車の中の小男の
稜ある眼(かどあるまなこ)
少し氣になる
啄木
吐き気がするほどロマンチストだぜbyスターリン
珍しく真剣だ。
耳から草が生えてきて、仕方ないから水をやってるのだけれど、耳の穴に水が
入ってしまうから、頭を傾けて耳の裏をとんと叩くのだけれど、どうやら草は根を
張っているらしく、出るのは水だけなのだ。
花が咲くなら名前も分かるかと期待したが、一向にその気配はなく、ついに草は
背丈と同じくらいに育ち、足で踏んでしまうと、不思議と頭は痛くはないのだが
身体が転倒してしまうので、人混みの中は歩けなくなった。
草の先を土に植えたら、人間から草が生えているのか、草から人間が生えている
のかの区別は、どうつけたら良いのだろう。
どうも太陽ばかり見つめるのが癖になり、目が焼けてきた。いつのまにメガネを
なくしたのだろう。確か先週直したばかりなのに。
ああ、空気が美味い。
何かを忘れているような気がして鍵の場所を確かめると、今までどこに座って
いたかが分からなくなった。
ウンコチンコマンコ
AJICO版「悲しみジョニー」DLしたら、今の気分に合いすぎの曲調で、なんだか
嫌だ。
ブランキー聴ける歳でもなくなったな。
ここ一年ほど全然聴いてないが。
どうも音楽がないと気持ちが暗い方に向く。
しかし聴けばそちらに頭を持ってかれる。
焦ってないから今更即興ライブなんだろうか。
焦る歳でまだないからかもしれんが。
それにしても身近な人間のデビューは
ただやっぱり、まだ若くて
形になるには
そもそも材料が集まってないような
急いでも割れるか。
のんびりしてたら朽ちるし。
中島敦 約4,130件
芥川龍之介 約14,900件
ボルヘス 約3,230件
酒見賢一 約2,140件
田村隆一 約2,230件
金子光晴 約2,180件
萩原朔太郎 約5,200件
野坂昭如 約5,510件
阿佐田哲也 約2,070件
色川武大 約1,260件
ブコウスキー 約1,910件
他人には何一つ有用でないスレを目指しています。
黴の生えた食パンを小さく千切ってご飯の上にかけて、ソースを垂らす。野菜
ドレッシングでも可。箸は塗り箸が理想。冷蔵庫を少なくても二時間は開け放して
おいた状態の冷凍マグロをテーブルに置き、ゴツゴツと左手で殴る。柔らかくなって
いるので感触が気持ち悪いが、死んでるからあまり心配することはない。それ
でも気になるなら線香を焚きながらでもいい。どうせ後で必要になる。
鉢植えの土は湿っている方が味を引き締めるのに好都合なので、食パンを千切る
前に水をやっておこう。ボールペンのキャップを埋めておくのも良し。
関係ないけれど、輪ゴムの上に気安く物を置いてはいけない。何ヶ月か後に、ゴム
は溶けて上にあるものに付着し、ベタベタと汚らしい、削るとるのに疲れる状態に
変化する。本が一冊台無しになった。
次に輪ゴムを三本ほどテーブルの足の下に敷いてください。これは上に置かれ
る物の鮮度を保つためと、床ズレを防ぐためです。最後に鏡、出来れば大きい
物がいいのですが、すぐに壊すことになるのであまり高価なものは避けた方が
いいでしょう。小さくても大きくても効果は全く変わりません。
そうして香ばしく出来上がったご飯を窓から投げ捨てれば、この事業は半分完成
です。後の半分は既に食パンを千切った時点で完了しています。
予定調和すぎる
大方の予想通り「トトの世界」見逃した。覚えてろってのが無茶だ。さそうあきらの
原作の方も最初の頃は知らない。
昨日夢に入る前にした経験。
二段組のハードカヴァーの本を寝ながら読んでいるのだが、左端がふやけて
折り曲がっていて、213と次の頁の数字が見えている。では隠れて見えないのは
当然211と記してあり、その前、つまり今開いている右側の頁の数字はその一つ
前に決まっているのだが、どうもそこに記されているのは207のような気がして
仕方がない。少し目を横に向ければ目に入るはずなのに、いくら努力してもそちら
が見えない。何故だと悩むうちに、ふと、それは今目を閉じているからだと気付く。
そこで覚醒。
夢の中で目を開き物を見ようとするのに見えないその理由は今自分が目を閉じて
寝ているからだ。
起きたもののもう目の前に本がないことは分かっているから、目を開けて数字を
確かめる必要もないので、その後は普通に眠る。夢に入る。そこでさっきは夢の
中で見たいものが上手く見えない理由は現実で目を閉じていたからだと考えた
ことを思い出し、では今は夢の中であるが現実では目を閉じていることを知っている
のに、夢の中でそれなりの世界が目の前に開け風景はしっかり見えている、と
思ううちにやはり景色は曖昧に変わり、だがそれでも目は閉じてはいないように
思える。そこで覚醒を妨げる為に夢の中でも目を閉じると今度は自分が目を閉じて
いるのを別の場所から眺めている自分に視線が移り、ではそれを見ない為に
するには目をどこに動かせばいいのか。
どうも今日は外の雰囲気が暗いと思ったら近所で老人が死んだらしい。この町は
老人が多すぎる。バイク事故で死ぬ若者がいないのに、家の台所で死ぬ老人は
週に二人居る。少し人間が弱いのだ。
煙草の煙が晴れた中に一人の男が浮き上がり、見知らぬ顔の気がする。私の
部屋であることはどうやら間違いなさそうだ。何もないから。「すいません」私は
男の言葉を無視して窓を開ける。そこには先月破られた紺色の安物Vネックセー
ターがぶら下がっている。ライターを出して四度石を鳴らし火を付けて、ゆっくり
燃えるのを眺める。男は近付いてきて私の様子を、自分の見たことのない料理を
作るシェフの手つきを見るような目で見つめている。セーターの右袖をつかみ
部屋の中へ投げ入れると、部屋はまた煙臭くなった。
「働き口ありませんか」
私は「ないよ」と即答し、また寝転がった。
張学良も死んだことだし
土の中は思ったよりも暗く感じない。光が入ってこないのだから暗くないわけは
ないのだが、目が慣れると暗い明るいの基準が曖昧になり、暗いとは一体何の
ことであったか、思い出せなくなってくる。おそらくこれが本当の闇なのだ。
月が道を照らしている場所には光が生きていて、扁平な死体の広がりである影
の中にそれまでの人生で忘れていた分の記憶がいじけてうずくまっていたのを、
私はわざと気付かない振りをし続けてきた。杖を転がせばそこに昔の私が泣き出
しそうな顔をして立っているのが見えたであろうに、私は杖を持っていなかった。
その結果送り込まれた地底には、像を結べる程の力のある思い出はなく、あって
もミミズに発見されてすぐに喰われてしまうのだろうと思うのだが、それでも必死に
なって探していると、時折下の方に何か蠢く気配を感じることがある。
声を出すことも耳で聞くことも出来ず、ただ身体で感じるだけなのだが、向こうに
はこちらの振動が伝わっているかは疑問である。私がいくら暴れても地上の人達が
何一つ気にすることのないのと同じく。いや違う。
「そこの学生さんこの近くのコンビニてどこがあるかないやタクシーに忘れてね、
財布、今電話したけど繋がらんし、あっちは駅でそれは知ってるんやけどこっち
はまだ行ったことないからようわからんで、いや、うん、学生さんはやっぱお金
あまりないやろし、いや、駅はええねん、新大阪まで一端出て、ほなこっちの、
ああマクドナルドらへんのとこから、ああそう、んじゃごめん、ありがとね、こっち
やね、電話したんやけどなあ」
エリクソンは童貞だな。
慌てて手で前を隠したらバランスを崩して落ちてしまい死んでしまった。
(最近歳のせいか便所が近くなり、部屋のドアを開けたらすぐに便器があるくらい
までは良かったのだが、部屋に居座り糞便の匂いに日常生活を脅かされるに
至りようやくなんとかしなければと思っているうちに、窓を突き破りベランダへ出て
くれたのでこれでゆっくり眠れると安堵したところ、柵を乗り越えて落下し、すさま
じい音を立てて粉々に砕けてしまった。やはり歩きはしても所詮は陶器。だが
便器がなくなったからといって小便は出るので仕方なくベランダの柵の上に立ち、
七階であるから怖くはあるのだがようやく元気を振り絞って尿意を催したので
便器の残骸に向けて気持ちよく虹の素を放出したところ、早起きの老人がこちら
を指差して喚いていた。奴ら遠くはよく見える。慌てて)
で、なんで、プロバイダとヤフーBB申し込みと、メルマガ二つと、幾つかの友達
との分にしか利用していないメアドに、チェーンメイルがやって来たのですかね。
職探し最後の希望と叔父の佐伯に紹介された家へ勇気起こして訪ねた結果は、
セーターの燃えかすを掴まされて熱い思いをしただけであった。おまけに帰る時は
窓から出て行けと強い調子で言われ、その通りにするとやはりひさしに頭をぶつ
けた。初めて訪ねる家では常にこの調子である。背が高いのは私にとっては
はっきりと短所である。
長らく煙たい部屋に居た為か外の光は無駄に多くの希望を込めて私を撃った。
太陽は無職を救うことが出来ない。
この町の土は時折上に歩く者に何かを訴えてくることがある。しかし人口の殆どが
老人のこの町では気付かれることが少ない。気付いたところで、地面に耳を付け
てもそれはすぐに移動していき、何を言いたかったかさっぱり分からない始末なの
でどうすることも出来ない。いや、以前須藤が穴を掘り、そのまま消えたことがある。
穴の場所を私は知っていて、彼が掘るところも見たはずなのに、後日それがどこ
だったか思い出すことは出来なかった。警察の捜査も葬式も行われず、町の平均
年齢が僅かに上がった、結果はそれだけだった。
窓、土、光、煙草、落下
なんでこうなるのか分かりやすすぎて
やっぱ影響が
ひょっとして
勘違いでした。
音楽が邪魔だ
兄貴の部屋に転がっていた「デビルマン」読み返してみる。
ジンメン編がやはり良い。
全て仕組まれていたのだ。騙されたのだ。俺を皆で笑い者にする為の祭だったの
だ。そうでなければあいつはキチガイだ。俺はキチガイの妻を娶るのだ。笑い者
かキチガイか、どちらにしろ俺は生涯みじめに生きていかなければならんのだ。
俺を受け入れる前に既に孕んでいた言い訳が「神さまが」などと、信じられる訳が
ないのだ。誰かとやったのだ。何度も何度もやったに違いないのだ。俺はまだ
やってないというのに。あいつは何度もやったのだ。
やはりあいつは誰かに何度もやられた上の妊娠で気が違っていたのだ。しかし
俺は承知で妻にしてやり、キチガイを治してやったのだ。俺は誰にも笑い者には
なりたくなかったのだ。俺の手で妻を正常にしてやったのだ。最初のキチガイ息子
以外は皆いい子供なのだ。正常に戻った妻と俺の子供は皆いい子供達なのだ。
最初の息子だけがキチガイなのだ。しかしそれは仕方ないのだ。あいつだけは
いまだに「神が、神の」などと言うが、キチガイの戯言以外には付き合ってられない
のだ。しかし近在の連中はあいつを囃し立てて祭り上げ、俺が結婚する時に失敗
した計画をあいつに託しているのだ。だけどあいつは俺の息子ではないので放って
おくのだ。そして連中を俺が反対に馬鹿にする為に、本当の聖者様を呼んである
のだ。
俺に文句を言われても困るのだ。連中の息子がうちのキチガイに連れてかれた
のは俺のせいではないのだ。俺が呼んだ信用の置ける聖者があいつを本物の
神の使いだなどと言ったのはきっとあいつに脅されてやったことに違いないのだ。
あいつはひどいやつだから、キチガイの時の母から産まれた奴だから、悪いこと
はなんでもやるのだ。人をキチガイにさせるくらいきっとなんでもないのだ。だから
働き盛りの若者を攫ってどこか旅に出ていったことも、俺が悪いのではないのだ。
俺は止めはしなかったが、そもそも俺だってそんなこと知らなかったのだ。俺は
あいつの親ではないし、あいつも俺のことを親だとは思ってないのだ。あいつの
父親もきっとキチガイだったのだ。
俺は会いたくはなかったのだ。あいつはキチガイだから出ていったから、俺はもう
忘れていたのだ。あいつが余所で偉くなったのを聞いたからといって俺はどうする
気持ちもなかったのだ。しかし妻と俺の本当の子供達はあいつにしきりに会いたが
るから、俺は仕方なくついていったのだ。俺は妻と子供達を愛しているのだ。あいつ
以外の子供は皆常識的で、平凡で、取り立てていい所もないが、だからこそはっき
りと俺の子供ということが分かるから、俺は大好きなのだ。あいつに何かされて
キチガイにされてはたまらないからついていったのだ。しかしあいつは俺達は特別
な家族ではないからと言って会わなかったのだ。あいつは全ての人間が家族だと
言ったのだ。やはりキチガイは治ってなかったのだ。俺は会えなくて却ってせいせい
しているのに、妻と子供は悲しそうにしているのだ。あいつは自分の母と兄弟より
も他の人間が大切だと言うのだ。そんな馬鹿なことを考える奴はやっぱりキチガイ
なのだ。
あいつが死んだのだ。処刑されたのだ。キチガイだから処刑されたのだ。あいつ
はやっぱり悪い奴だったのだ。キチガイでしかも悪い奴だったから処刑されたのだ。
あいつに騙された奴がたくさん泣いているのを見たのだ。あいつらは馬鹿だ。
あいつの巻き添えになって捕まった奴もいるのだ。でもそいつらもあいつの手伝い
をしていっぱい人を騙したから、やっぱり捕まって当然なのだ。妻が泣いている
のだ。子供達が泣いているのだ。これは子供と兄弟が死ぬから悲しくて泣くのだ。
キチガイでも悪者でもやっぱり息子だし兄弟だったから死ぬと悲しいのだ。妻と
子供にとってはあいつは一人の家族だったのだ。他の人間と一緒くたにしたあいつ
に怒りもせずずっと家族と思い続けていたから泣くのだ。だけどあいつは死ぬ時に
俺達のことなんかこれっぽっちも考えなかったに違いないのだ。これから取り巻き
連中によって語り継がれていくだろう、自分の作ってきた伝説に酔いしれて死んで
いったに違いないのだ。あいつのペテンを見破れなかった連中を笑いながら死んで
いったに違いないのだ。あいつは自分の死を泣く連中も笑う連中もみんな一緒
くたにして馬鹿にして死んでいったに違いないのだ。俺はずっと気付いていたのだ。
あいつがただのキチガイでひどい悪者でペテン師だってことに気付いていたのだ。
だからあいつは死んで当然なのだ。だけど涙が止まらないのだ。俺の眼から涙が
出て止まらないのだ。俺は妻を見て子供達を見て彼らの涙を見てやはり自分も
泣いていることに気付いたのだ。俺は顔を殴って涙を止めようとしたのだ。しかし
止められず、膝が折れて地面に倒れてしまったのだ。俺は顔を隠す為に地面に
顔を伏せて涙を土に染みこませ続けたのだ。これもきっとあいつのペテンに違い
ないのだ。俺はキチガイが一人死んだからといって泣くような男ではないのだ。
俺は自分の妻や子供達が死んだ時にはきっと泣くには違いないが、今は全然
違うのだ。しかし涙が止まらないのだ。俺はずっと地面に倒れ続けるのだ。俺は
あいつのことで泣いているのではないのだ。俺は今ただ泣いているのだ。俺は
今ただ泣きたいから泣いているのだ。俺は泣くのが気持ちいいから泣いている
のだ。俺は、俺は、ただ泣いているのだ。
おっさんかなあ・・・
おっさん・・・
おっさん?
六巻までしか持っていないが、「天才柳沢教授の生活」をなんとなく読み返してみた。
話の中で設定が矛盾しているのが多い、多すぎる。とりあえず4巻で三話連続
突っ込み。
題36話「気高さの秘密」
冒頭、世津子が猫を拾って来たのを母親が叱る。
「駄目って言ったら駄目ですよ 私が猫嫌いなのはあんたが一番よく知っている
でしょう」
「そんな一時の同情心で飼ったって結局は私が世話するんじゃないのよ」
中盤、教授が時々エサをやっている、前の空地に住む野良猫親子の子供達が
行方不明になり、母猫が鳴いている。教授は子猫を探すが、猫嫌いなはずの
母親も涙を流して一緒に探す。猫達にダンボールの家を作ってやったのは母
だったのだ。母は冒頭の猫を飼うことを許す。
・猫嫌いだけど同情心から家を作ってやった
・本当は猫が嫌いじゃなく、娘がちゃんと世話をしないからそう言ってるだけ
・猫は遠巻きに眺めているのが良い
いろいろ推測は出来るが、そもそも猫の行動が「教授に感心されやすく」都合良く
気高く描写され、どうもしっくりこない。
第37話「子猫のおくりもの」
前の話で飼い始めた猫のしつけの話。冒頭、世津子が書いた猫についての注意
書きの文の曖昧さを突っ込む教授。だけど話の方は・・・
エサを与えた後便所に座らせるが猫はウンコせず、教授は外に出た後スリッパ
にウンコ。スリッパを見せながら教授は怒るのだが、猫は眼病で、はっきりと目が
開いていない。これは最後に開く。なのに、しばらくして眠りから覚めた猫は何も
言われずとも便所でウンコ。日本語を解する天才猫と思われる。
教授の膝の上で眠りこむ子猫。教授は本棚まで手が届かず、「これでは勉強が
出来ない」と嘆くのだが、、椅子はキャスター付きであり、ちょっと移動したからと
いって猫は起きないと思われるし、勉強が出来ないから「何もしない」というのも
たまにはいいかもしれないと悟るのだって、沈思黙考という、ある意味「勉強」行為
を考えに入れなさすぎだ。
第39〜40話「探索者たち」
面倒になってきた。一冊の本の為に遠方の大学に問い合わせて確認し、わざ
わざ訪ねていったのにも関わらず、その本を探す為に図書室で大量の時間を
割いている。何故用意しておかない。
どうも少女漫画系の人達は、設定をあまり堅く考えずに書く人が多い気がする。
いや、好きなんだけど。
そして柳沢教授から少し離れて自由奔放に筆が暴れている「不思議な少年」
確かもうすぐ発売。なんで原作:マーク・トゥエインと書かないのか疑問なとこも
あるけれど。良質。
よく考えたら「不思議な少年」の主人公をメフィストフェレスとすれば、柳沢教授は
ファウスト、そのうち共演させる気だな。
あかまむしさんが
まず、イブニング第三号。
で、偶然にも柳沢教授有り。は、ともかく。
サトラレ。ラストは消化不良気味だが、白木の内と外との独白がほとんど占める
話なので、良くも悪くも強く響く。白木は作者を成長させるキャラである。
所十三ウンコ
木場功一
「ドイツ軍の戦闘機のパイロットが大笑いしながら特攻する」絵を描こうと思った
ので、他は一切構わないといった話。確かにもうこの人はこれでいい。
空で飛行機の上に立つ主人公、どこかで似た世界観を見た気がすると思ったら
黒田硫黄「大日本天狗党絵詞」しかし探そうにも貸していた。
で、本屋へ行くと黒田硫黄短編集「黒船」。
白眉は「自転車フランケン」これはもう題名思いついただけで勝ちなのに、話も
面白い。風呂入りながら思い出したところ、長い割に「鋼鉄クラーケン」はそれ
ほど心に残っていない。以外に「わたしのせんせい」がポイント高い。これは
初出時にも読んでるけど。表紙の「ねじ式の産婦人科の座敷風(バックにやる
気のない黒船ってとこが)不倫風浴衣女性、開くと海賊風のかっこいい女性、
話が始まると摘んできた花を教師に捧げる女子高生、と女、女、女、で始まる
短編集、これは不意をつかれた。
ダラダラしてんなあ
この世界は空が低くて上手く歩けない。何故他の連中はせこせことああも細かく
動けるのだ。私は彼らに似ている気もするが、似ていない気もする。彼らは私を
一度見て目を逸らす。私は確かにここにあるのに、彼らはそれをうち消すのだ。
彼らにとっては自分と少し違うけど、少し似ている者など、在ってはならない、異物
なのだ。彼らは空を近いとは感じなく、太古からの死者が全て埋められている土
の呪いで足を縛られることもないのだろう。しかし私は私である限り、異形の業と
歩みの遅さから逃れることが出来ない。
女は私を見た。女は小さな馬を引っ張りながら、私を恐怖を伴わない目で真っ直ぐ
に射た。私は話をしたかったが、長い間、多くの者に囲まれていながらも一人きり
だったので、声の出し方を忘れてしまっていた。
私は小さな馬を駆って、足を地面から解き放ち、狭い世界を走り回りたかった。
かつて通り過ぎて行った者達がそうしていたように、小さな馬を駆る動作をして
みたが、女は断りの表情を見せ小さな馬を引っ張って去っていった。
元服スレで捏造ネタやろうと思っててボツにした分、せっかくだから
職場の後輩のNさん、結婚。式は内輪で済ませるとのこと。旦那のことははっきり
言わないが、噂では外国人だという。仕事は続けるらしい。とにかくおめでとう。
休日だけど何もすることがないので「磯野家の謎」を読み返してみると、自分もい
ささかサザエさんの変なところに気が付いた。サザエとマスオの子供はタラであ
る。ノリスケとタイコの子供はイクラである。波平とと舟の子供はカツオ、ワカメで
ある。よく考えるとどこか変だ。適当に名前を付けられているように見えて、ふに
落ちないところがある。
波と舟が結ばれ、カツオとワカメが産まれる、これは漁師が舟に乗って波に揉ま
れ、カツオとワカメを獲ったということで、解説が出来てしまう。
で、これは謎本でも触れられていたことだが、漫画中でタラが出てくるのは突然
なのである。サザエがしばらく腹が大きかったりとか、妊娠の報せを受け取るマ
スオなどの描写は全くなく、降って湧いたようにタラは登場する。実際のサザエと
マスオが交尾してもタラは生まれるはずはない。
ノリスケとタイコ、これもノリとタイではイクラは無理。
だが、ここで、である。マスとタイなら、生物的には実際は無理だとしても、漫画的
には、二つの間から子供が産まれても不思議ではないのではいだろうか。イクラ
は魚の卵であり、しごく真っ当な出来事に見える。
つまり、タラは本当はどこからかの貰い物で、イクラはマスオとタイコの不倫愛の
結晶と考えられはしないだろうか。
イクラは誰に対しても「チャーン」としか呼ばない。ご存じ「チャーン」は「お父さん」
のこと。イクラはノリスケが本当の父親ではないと本能で感じ、本当の父を捜す為
に日々「チャーン」と連呼し続けている、そんな気がしてきて、何十年もの間かかさ
ず見てきたサザエさんだが、今日は観ることが出来なかった。
そんなことを一日中考えていたら日曜が終わってしまった。
娘が帰ってこない。
娘が帰ってきた。
バスでお婆さんが転ぶのを見た。お婆さんはバスが止まる直前に席を立ち、停ま
るショックで転んだのだから、特に運転手が悪いわけではなく、ちゃんと止まるまで
待つか、しっかりどこかに掴まっていれば良かったのにと僕は思ったのだが、お婆
さんは運転手にすごい剣幕で怒っていた。「あんたがしっかりとちゃんととまらん
からや」って言われても困るだろうに。
企画:「1987年の黄金ロックパート2」の更新が遅れに遅れている。申し訳ないと
しか言いようがない。パート1があそこまで反響があるなんて思ってなかったから。
今日会社の前に変な男がいて、乞食かと思ったら色の黒い外人だった。ずっと
入り口を睨み付けていて不気味だったので、警備員を呼んで追っ払ってもらった。
外人だからといって差別するわけではないが、やはり何を考えているか分からな
い人というのは怖い。
「この間までしがない地方公務員とか言ってて、それでなんなの、そんな簡単に
宇宙の手先になれんの? んなのわかんない」
「教師も宇宙の手先もそんなに違わんよ」
「全然違うよ」
「地球の高校生とつきあうと職業論理に反する」
「ざぶとん取るよ!」
「あたしのせんせい」より
13 名前:特上名無しさん 投稿日:01/10/20 02:01
>>11おおむね同意
14 名前:特上名無しさん 投稿日:01/10/20 02:02
おおむね=巨乳
「赤色エレジー」
あがた森魚作詞・八洲秀章作曲
愛は愛とて 何になる
男(おとこ)一郎 まこととて
幸子の幸(さち)は どこにある
男一郎 ままよとて
昭和余年は 春も宵
桜(さくら)吹雪(ふぶ)けば 蝶も舞う
寂(さみ)しかったわ どうしたの
ああ 母さまの 夢見たね
おふとん もひとつ ほしいよね
いえいえこうして いられたら
あなたの口から さようならは
言えないことと 思ってた
はだか電球 舞踏会
踊りし日々は 走馬燈(そうまとう)
幸子の幸は どこにある
愛は愛とて 何になる
男一郎 まこととて
幸子の幸は どこにある
男一郎 ままよとて
幸子と一郎の 物語
お泪(なみだ)頂戴 ありがとう
「魔王」 昔のドイツのおっさん
あらしの夜半(よわ)に馬を駆るはたれぞ?
いとし子とその父なり。
父は子を腕にかかえ
あたたかくしかとかばえり。
「わが子よ、何とておびえ、顔を隠すぞ」──
「父上よ、かの魔王を見たまわずや?
かむりを頂、すそをながく引けるを」──
「わが子よ、そは霧のたなぎけるなり」
「うまし児よ、来たれ。共に行かん!
たのしき戯れ、共に遊ばん。
岸べには色とりどりの花咲き、
わが母は黄金の衣もてり」──
「父上よ父上よ。聞きたまわずや?
魔王のささやき誘うを」──
「心しずめよ、心しずかに、わが子よ、
枯葉に風邪のさわげるなり」──
「美しきわらべよ、共に行かん!
わが娘も楽しくそなたをもてなさん。
わが娘ら夜の踊りを舞めぐりて、
そなたを揺すり歌い眠らせん」──
「父上よ父上よ、かしこの気味悪き所に
魔王の娘らを見たまわずや?」──
「わが子よわが子よ、さやかに見たり、
そは古き柳の灰色に見ゆるなり」──
「愛らしくも心ひくそなたの美しき姿よ。
進みて来ずば、力もて引き行かん」──
「父上よ父上よ、魔王はわれを捕らえたり!
魔王はわれをさいなめり!」──
父はおぞけ立ち、馬をせかしぬ。
うめく子を腕にかかえ、
からくも屋敷に着きけるが、
腕の中のいとし子は死にてありき。
古い訳だなあ。
しっかしこのおっさんの詩はほとんど恋だ愛だので、クズばっかだな。
われわれを最もきびしくこきおろすのはだれか。
自分自身に見切りをつけたディレッタントだ。
同上のおっさん
いつの時代も、対し方も、まあ変わってないってことで
またおっさん。
歌ったり、語ったりする者がこんなに多ぜいいるのは
すこぶる私の気に食わんと知れ!
詩をこの世から追払っているのはだれだ!
詩人たちだ!
宮武外骨かい
「踏み潰された野球帽」
濡れた地面に寝転がる
踏み潰された野球帽
子供の声は 近くになく
ただ鳥だけが 細く泣く
暮れた空見て寝転がる
朽ち枯れ果てた修行僧
公園にはもう ひとけなく
置かれた鉢には 何もなく
最後の煙草を吸いながら
ベンチに腰掛け僧を見る
身動き一つせぬ僧に
野良犬一匹傍に寄る
鼻を近付け脚を舐め
それでも動かぬ生き物に
愛想を尽かした野良犬は
地面の帽子を踏みしだき
私を見もせず立ち去った
死んでいるのは
自分か僧か
生きているのは
犬か帽子か
空にあるのは
雲か煙か
分からなくなり
歩いてみた
灯りないまま 暗い中
出口はどこかと探したが
見つからないので 引き返す
元の場所には 僧はなく
踏み潰された 野球帽
二つ三つと 増えている
八ヶ月前ね・・・若いというか、どうもリズムに囚われすぎてる。
家内がだんだん猫になってきて
猫も化け猫になると
なかなか可愛いものだ
「くもの糸は走り──老醜賛歌」より
名前:元服太郎@中小企業社長の方 PPP940.osaka-ip.dti.ne.jp 投稿日:01/10/21 03:41
>゚≫≫∈ {Iamマグロ
ヽ(´ー`)ノ=ノ フリフリ
ネタフリ
東大の国文科で「安来節」を研究したという青年が遊びにやってきて
就職試験の面接で卒論を問われ「安来節」と答えると
どこの社からも低調に断られたと云って笑った
「安来節」より
振られた腹いせに
まだ名前を付けていない犬を
追い出してしまった
冷めた後捜しに外へ出たが
「いぬー、いぬー」と呼ぶ声に
答えるものはいなかった
あ、えーと、いや、
だな。そのほがましだ。
やっぱりあれはオナニーだな。いや、最後は面白かったが。
「俺ベースやけどどうしたらええのん?」
高1に戻ってた。
検索してたのが頭の隅にあったおかげで、あっさりと見つかったが、内容はベタ
だった。やっぱ翻訳されてるのが少ないのは、それなりの理由があるからか。
あれ一編でも充分だけど。
「小説は?」
「あれ、ロワイアル?」
「あれは家ある」
「あれ読むんはやばいて」
「俺は読んだで」
「てか映画観たらええ話やし」
通りすがりの二人の、いや、そういう認識なんだろな、もう今は。
気分転換になったのはいいが、ベクトルが
統計学者によれば、どの一日をとっても、この地球上のどこかで、猫を抱いた
子供の絵を誰かが描いていない瞬間はないという。
「上の部屋の男」より
俺はインド人が虎におもちゃにされて、ただ恐怖だけで死ぬのを見たことがある
んだ。
「船路の果て」
しかしあれやね、エゲレス物ってのは、どうも剣客渋井柿之介になりすぎて(ニヒル
になりすぎて)、こう、ぐわっと、好きには、なれんね。一冊読まんうちに何を偉そう
に、と、しかしまあ、だな。
で、まあ、だけど、つまり、「火の鳥」太陽編、読み返してみたんだけど、これって
あれやね、もののけ姫、あれは嫌いなんだけど、そんな感じに、似てて、でも、
パンチ弱い。今日読んだはずなのに、あんま覚えてない。
で、だ。
結局、「〜でない」ものなんか、ないのであって、
整合性、リアリティ、いや、もう、基本的にクソクラエ精神、つまり、
パンク、
だな。
今年一年。
本当に紹介されるとは思ってなかったが、やっぱりいいスレはいいスレだ。
大体全員人殺しですから。
やりたいことだけやってても、やりたくないことばっかりやってても、結局死ぬから
なあ。
で、だ。
キーがCだと何も考えずに済む。
大人しそうな顔。
大人としそうな顔。
大人が死にそうな顔。
大人思想顔。
大人シーソーガール。
大人歯槽膿漏顔。
音無しだそうだ。
オットーが死んだそうだ。
お父さんの顔。
お父さんの顔が死相。
おっと、顔が失踪。
落とした顔が実行。
お、お。
やっぱロビーポエマースレはいいな。よく叫ぶ。
オナニ臭いけど自分で書いた分転載。
いやもうポエムもクソスレも全部オナニだし。
いや、もうね、ちょっと昔二週間ほどポエム板に居た頃の過去ログ捜して読んで
みたらさ、もう、リズムに縛られてて、青くて、顔赤くなって、それでも一つ、今
読んでもいいと思えるのあったけど。
んで、居たのが一年くらい前、ほんの僅かしか居なかったのに、今年三月くらい
に立ってた、懐かしの固定とかいうスレで名前あがってんの。もう嬉しいより先に
恥ずかししが先に来てね。それにさ、ほらあの板って、そりゃいいの書く人も居る
んだろうけどさ、ほら、ポエムって誰でも書けるじゃん、ほんと、言葉は全て詩に
なりうるからさ、未熟でも変でも「それは詩じゃない」ってことは俺云わない主義
なの、でもだから、書く人いっぱい集まって来るから、必然的に、うっすい、つま
らない、どーでもいいのがいっぱい集まって、僅かな玉を捜すのがすぐ面倒に
なるんだよね。ま、つまり、ロビーポエマーにぐわーっと書いてもらったものの方が、
面白くて、生で、好きなんだ。ただ、ロブロフ斉藤氏、ちょっと自分の型にはまって
しまった感じで、冒険が少ない。残念。
連絡帳を破いて田んぼにばらまいて帰りは寄り道して家に着くと手を洗わなかった
母「パンクロッカーを産んだ覚えはありません!」
そうだ、旅に出るのだ
:ロブロフ山下 投稿日:01/10/26 03:07
山が飛んで逃げた
腰が取れて落ちた
忍者なれなかった
俺は まだ子供だった
それは昔の事
みんなおまえのせい
俺は空を飛べた
だけど 今は 溺れ死に
あーよいしょっ
せ 洗濯物が
あ 洗ったはずが
い 命を懸けて
ま 守ったはずが
だ 駄目だそんなこと
そ そこは空だ
た たちつてと
み みんな逃げろ!
彼女は出ていった
「私はあんなカタワじゃないわ!」
「君はミロのヴィーナスのように美しい」
私は彼女の裸を見て
明日太陽が落ちてくるらしいので
コンビニに傘を買いに行ったのだが
もう綺麗なお姉さんはレジに居なくて
街中で男だけが裸になって
ビッグウェーブを待っている
ここはあした 燃えてなくなるというのに
仕方なく僕は
アイスを買い込んで
今日中に食べきるのだ
これは私のではないが、素晴らしかったので。
部屋の窓をふと見ると
影が通り去って
あれは天ぷらマンだったにちがいない
みろよ
ぶちまけられたミルクにアリの列
偏屈爺さんの「一千一秒物語」より
と、適当に引用しようとしたら、どこを開いても引用したくなってしまい、キリがなく
なったので、月に逃げた。
「火の鳥」乱世編読み返す。
冒頭が、もう、カムイ伝意識しすぎ。それほど成功はしてないし。
ラスト近くの義経と弁太の表情を描きたかっただけなんだろうな、多分。
ある大学教授がその最終講義でしずかに語ったそうだ
「私の夢は
煙草屋のおやじになって
ウツラウツラしていることだったのに
自動販売機ができてしまっては
もうどうしようもありません」
田村隆一「川」より
八十歳ではじめて結婚したんですってね
それから百二十二歳で再婚
その間 村の美女と恋愛して赤ん坊までもうけたそうじゃありませんか
いま どんな詩集をお読みなんです?
百五十二歳の老詩人は呟いた──
「生まれたときから読み書きができんのでな」
田村隆一「小径」より
ゆき
ゆき
もつと ふりなさい
岸田衿子の童謡から。
若いときは 負傷した雨が白い繃帯をして町角を曲つて行つたのも見えたくせに
田村隆一「光りと痛み」より
吾妻―でも俺は描く前にもうひとつ考えるよ。マンガとは何かと。
とり―と言いますと。
吾―マンガはこれでいいんだろうかということを1時間ぐらい考えて、それで明日締切りだからとりあえず描き始めるわけ。
と―自分のマンガはこれでいいんだろうかということですか、それとも……。
吾―マンガという表現がこれでいいんだろうか、まだ何かやれることがあるんじゃないか、というのを。
で、結局プラネテス二巻買ってるので。
「サキノハカといふ黒い花といっしょに」 某固定と同姓同名の詩人
サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやってくる
ブルジョアジーでもプロレタリアートでも
おほよそ卑怯(ひけふ)な下等なやつらは
みんなひとりで日向へ出た茸のやうに
潰れて流れるその日が来る
やってしまへやってしまへ
酒を呑みたいために尤もらしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ
それらをみんな魚や豚につかませてしまへ
はがねを鍛へるやうに新らしい時代は新らしい人間を鍛へる
紺いろした山地の稜をも砕け
銀河をつかって発電所もつくれ
確かに1巻よりずっと青臭さいっぱいで、いや、もう自分の中では昨日完結してる
感想だからわざわざ書かずとも、ま、とにかく、今年はパンク。
「その日の記憶」 サーカスの詩人
昼、寒い風の中で雀を手にとつて愛してゐた子供が、
夜になつて、急に死んだ。
次の朝は霜が降つた。
その子の兄が電報打ちに行つた。
夜になつても、母親は泣いた。
父親は、遠洋航海していた。
雀はどうなつたか、誰も知らなかった。
北風は往還を白くしてゐた。
つるべの音が偶々した時、
父親からの返電が来た。
毎日々々霜が降つた。
遠洋航海からはまだ帰れまい。
その後母親がどうしてゐるか・・・・・・
電報打つた兄は、今日学校で叱られた。
夜になつても、母親は泣いた。
「春と赤ん坊」 同上
菜の花畑で眠つてゐるのは・・・・・・
菜の花畑で吹かれているのは・・・・・・
赤ん坊ではないでせうか?
いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑で眠つてゐるのは、赤ん坊ですけど
走つてゆくのは、自転車々々々
向ふの道を、走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて・・・・・・
薄桃色の、風を切つて・・・・・・
走つてゆくのは菜の花畑や空や白雲
──赤ん坊を畑に置いて
「雲雀」 同上
ひねもす空で鳴りますは
あゝ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ
碧(あーを)い 碧い空の中
ぐるぐるぐると、潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ
歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下
眠つてゐるのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠つてゐるのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠つているのは赤ん坊だ?
スレ立て規制が緩いと、名クソスレが生まれやすい。いいことだ。
ついでにもうひとつ、便所に入るたびに感動を新たにするのは、手の長さが
ちょうど肛門を紙でふくのにぴったりの長さに作られていることである。これは神
が手の長さを肛門に届く範囲の長さに決めたもうたというしるしである。
しげる「トイレ談義」より
wildという英語をやっと七十歳すぎて分った
wildとは純粋な「自然」そのもの
氷河と砂漠で人は力をつくしものを創造した
自然とは「物」である
田村隆一「白昼の悪魔」より
美女はどこにいる?
「すべての道は老婆に通じる」
という岩田宏の言葉だけが頼りで
ぼくは生きてきたのに
田村隆一「人間はバカだね」より
「正午 丸ビル風景」 サーカス詩人
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぶらりぶらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな目付で見上げても、眼を落としても・・・・・・
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きいビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
流れ追加
藤枝静男「田紳有楽」→色川武大「復活」→笙野頼子「二百回忌」→筒井康隆「邪眼鳥」
というより、「田紳有楽」だけは別の場所に置いて、
藤枝静男「一家団欒」→色川武大「復活」→筒井康隆「ぐれ健が戻った」→笙野頼子
「二百回忌」か。
「田紳有楽」に対してはむしろ笙野頼子「母の発達」「宣教師カニバットと百人の美女」
あたりで。
若いアジア人はいまではもう阿片を用いない。なぜかというに、「彼らの祖父たち
がそれを用いたから」。若いヨーロッパは阿片を用いる。なぜかというに、「彼らの
祖父たちがそれを用いなかったから」。ところが、折角だが! 若いアジアは、
常に若いヨーロッパを模倣するのだから、やがて阿片がわれらヨーロッパ人を
通じてその出発点に戻ることいなりそうだ。
ジュネじゃない方のジャンの「阿片」より
警句じみているが、ありきたりでやや陳腐。だからまともなのだが、それ以外の
文章のまともでなさが激しいので、まともであるがために、ただそれだけの理由で
際立っている。つまりは浮いている。
俺は金持ちじゃないから 明日はパンツを換えない
逃げたくなった時の為 いつでも靴は履いたまま
A-D-E-Aそれだけ 他のコードは知らない
まだまだ生きていたいから 死ぬほど努力も出来ない
あなたの乳が揉みたくて 今日も働きに出るけど
稼いだ金をなくすから 僕はいつでも金がない
古代ラテン語で広辞苑 全部訳してみせるから
そいつを僕の耳元で ずっとささやいておくれよ
「明日保健所が来たら 捨てられちゃうよね僕たち」
そんな歌が好きだから 野良猫今日も捜してる
一から十まで忘れて 百から千まで覚えて
意味ないってこと知りながら とにかく本だけ読んでる
「もうやめようぜつらいんだ」 ドラムの叫びが聞こえた
間奏挟んで四時間 ずっと歌っていたけれど
そろそろ眠気が強くて 明日の仕事はつらくて
明日は乳が揉めるかな 今夜は明日じゃないから
あまりにも完成され、あまりにも便利になりすぎると、生命力は却って希薄になる。
トーキーの音のない部分に聞える、あの甲高い、熱のこもった、豊かな雑音を
なくしてしまったり、画面は平面的に現れているのに、音響だけが立体的に現れた
りするあの矛盾を無くしたりすることは、なんと惜しむべきことでしょうか!
立体感、色彩、音響等、映画のテクニックが全部完備する時代になったら、
やがてその時代の新人は、こうまで完成された虚偽の演劇を見捨て、かつて
贅沢と、商品化と、必然的な科学的便利により敗北した昔のテクニックの欠陥の
よい処を賢くも拾い出して用いることになろう。(小さなホテルの持ち主が、ようや
く少し儲かり出したので、理想に近いものに改造し、これならおおいに人気を呼ぶ
だろうと期待していると、あにはからんや、客はさっぱり来ない。持ち主にはその
理由が了解出来ない。
二つ上に同じ。源一郎落ち。
僕たちピクミンあなただけについてゆく
今日も 運ぶ 戦う 増える そして食べられる
いろんな命が生きている この星で
今日も 運ぶ 戦う 増える そして食べられる
引っこ抜かれて 戦って 食べられて
でも私たち愛してくれとは言わないよ
引っこ抜かれて 戦って 食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします
いや、156の、これも今見ればありきたりで語りつくされて、単純な話なんだけど、
映像と、文字との、あれ、媒体の、進化と、飽和と、あれを、でもめんどくなって、
んで今日、と昨日、源一郎繋がりで「もっとも危険な読書」より↓
私はコンピュータ・ディスプレイで読む本を、いまはまだ本と感じていない。しかし、
すでに私は映画館という出口で見る映画(フィルム)のほかに、自宅のテレビと
いうもう一つの出口で見る映画(ビデオやDVD)をも映画と感じるようになっている。
映画には二つの出口が存在するという現実を承諾している。この変化をよろこんで
受けいれるまでに、私の場合でいえば、わずか十五年の時間しかかからなかった。
(津野海太郎)
名前かっけえな。
今のところ小説がいまいちディスプレイで読むのに適していないと思われてるのは、
ただ、手にとらず、ページをめくらない形態に慣れていないだけであって、「本は
永遠なり」なる思想は幻想(いや、もうそんなのないかもしんないけど)で、実際、
掲示板でも日記でも、インターネット上を駆け巡ってるのは本と同じテキストなんだし。
「違う」と言い切る壁はもう薄く、本来音楽なんかよりずっとコピーの容易い媒体
なんだから、出版社の今後の未来は、それはほんとうにもう。
でもやっぱり長時間かかるしな。付箋とか書き込みとか、手に取る感触とか。
映画よりかは長くかかる、か。
ただ、詩に関してはなあ・・・
枕元のノートに
「宇宙空間で礫死体」
「小泉八雲の口調で書く」
それぞれに書いた理由を覚えているのが悔しい。もっt、朝起きた途端「なんじゃ
こりゃああああ」って言うようなのを残したい。んで。
「わたし LANカード 買いました。しかしLANカード要りません。ヤフーから搬送
されたモデムの説明書 LANカード必要ありました。でも真実要ったのはLANボー
ド。わたしのパソコンノートありません。カード差込み口ないからです。私怒りませ
ん。友達 兄 LANカード使う人きっとあるからです。LANボード買いました。LAN
ボード刺しました。画面変わりません。インストールないです。設定頑張りました。
やりましたいろいろ。ありません。前進みません。もう一度開けました蓋。差込み
甘く見えました。刺しました。なるはずです。ならないはないです。でもなりません。
設定見ました。分かりません。も一度刺すあります。刺すには開けるあるです。
わたし疲れました。わたしスキルないです。奥さん力くれません。見ませんです。
明日には繋がりましょう。待つです。それは ただ わたしの夢です」
八雲ってといまだに続いてたんで驚いた漫画の人みたいでなんか嫌なんでハーン。
ったらなんかハハーンみたいなんで、ラフカディオ。なんかタクティクスオウガ
みたいなんで、もういい。
まず水があり、そこを下ると何もありません。
だけど短い機関車は列をなして何千も街を走り周りそれをよけるため
だけに生きている住民達は壁に押しつけられたりマンホールに潜り込んだ
りしてなかなか充実した毎日を送っているので不満分子は育ちません。
線路には鯉が泳いでいます。レールの間には水が溜められ、そこは魚
達のために拓かれた通路なのです。しかし鯉が他の魚を全部食べてしま
ったので鯉しかいません。
平野では常にビルが建設されているのですが、あまり高くしても巨大化
した鳥たちにぶつかられ倒壊してしまうので、3〜5階立てばかりで、住ん
でいるのは建設作業員だけですが、彼らは次の現場に行くために永住
する気配はありません。
こんなの見つけた↓
ウンコ売りの憂鬱
「ウンコ〜、え〜、ウンコは要りませんか〜、ひりたてのウンコ、出来たてほやほ
やのウンコ〜」
売れるはずがないのは知っている。木下はそれでもリヤカーを今日も押し続け
る。荷台には蓋をした、いかにも糞か味噌しか入れようがないという風な、黄茶け
た外面に思春期の少年のニキビが噴き出したような壺が十個あり、そのどの蓋
もきつく紐で縛られ、漏れ出る心配はないと思われるが、地面に転げ落ちた場合
どうなるかは容易に想像出来る。しかし木下は委細構わず乱暴に進む為壺と壺
が触れ合い時には転倒し音を立てる。自身の乱雑な行進のせいとはまるで思い
当たらぬように、不平不満を壺にぶつけながら、荷台の上を壺が三つ以上転がり
出した時にようやく木下は歩みを止めて壺を置き直す。近くを通る者はまさか本
当にウンコが入ってるわけではないだろうと楽観視しつつ、目の前で壺が崩壊し
突如ウンコの海と変貌した道に滑り倒れ伏す自らの姿を一瞬想像し、足を速める。
ああ、俺はウンコ売りだ。
木下がウンコを売り始めたのは戦争終結後祖国に帰り着いてから二年後であ
る。木下を木下であると木下に証明してくれる人間は全て死んでいた。居るはず
の妻子がいない、居るはずの親がいない、居るはずの友人がいない、戦友以外
と連絡がつかない、知り合いがいない、使っている言葉が同じだというだけで、
他に自分と同じ国の人間だという証拠が、そこらを歩く連中の中に見つからない、
むしろ戦地で見かけ、殺し殺されの関係だった米兵達に共感を覚えた木下は、
確かに以前戦友だった者の家を訪ねても、別人が座っているとしか見えなかった。
縁故が無事だったというだけで
だったというだけで、どうするつもりだったんだろう。
てか、肥料としてならウンコ売れるんじゃねえかな。
あなたは、誰かを思い出させるのではなく、ただ「我らの時代の詩人」でした。
ぼくは、あなたの書いたものすべてが大好きでした。さようなら、田村さん。
「もっとも危険な読書」より
僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。
人間もいくらか老人になったらしい、人間としては少し老人になりすぎたらしい。
いくらか賢くもなったかも知れないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の
人間としてはいくらか賢くなったのも事実かもしれない。本当のことはわからない。
しかし人間はいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でも
あるようだが、事実と一緒に利口になったと童子に少し頭も鈍くなったかも知れ
ない。まだ少しは頭も利口になったかも知れない。然し少しは進歩したつもりなの
かも知れない」
「文革なんかこわくない」にも引用してた気もするけど、同上。
いや、私も年賀状で使ったことあるけど、いいなあ、素ボケ。実篤。
その間も、あの手は他人の迷惑など少しも顧みず、筋力をつけようと躍起に
なって身体を鍛えたので、みるからに逞しくなった。
アルフォンソ・レイエス「アランダ司令官の手」より
切り落とされた右手が勝手に動き回る話。手が身体を鍛える、身体=手、手は
独立してそれのみで全体としてあれば、やはり身体であるのか。ややしこ。
オクタビオ・パス「波と暮らして」の冒頭
あの海から帰ろうとしたとき、無数の波をかき分けるようにして、ひとつの波が
近づいてきた。軽やかですらりとした波だった。ほかの波がひらひらした衣装の
すそをつかんで、行くなと叫ぶのを振り切るようにして、ぼくの腕にとりすがると、
ぴょんぴょん跳ねながらついてきた。なにも言う気はしなかった。仲間の波の前
で恥をかかせるのはかわいそうな気がしたし、大きな波に睨みつけられたので、
身体がすくんでしまったのだ。町に着くと、彼女はにやはりいっしょに暮らすのは
むりだ、都会生活は、きみみたいな海しか知らない世間知らずの波には考えも
つかないほど厳しいものだよと言ってきかせた。けれども彼女は思い詰めたよう
な目で僕を見つけた。『だめだ、彼女はもう心を決めている。帰れと言っても、帰り
はしないだろう』ぼくはやさしい態度をとったり、冷たく突き放したり、皮肉たっぷり
に言ってきかせたりした。けれども彼女は泣いたり、わめいたり、ぼくを愛撫したり、
脅しめいたことを言ったので、けっきょくぼくのほうから謝る羽目になってしまった。
「あの海」から「ああ、これは絶対俺好みの文だ」と直感したのは何故だか知らんが、
しかし、いい。
ホセ・エミリオ・パチェーコ「遊園地」より
6
ある家族──父、母、二人の子供──が遊園地の林にやってきて、草の上に
マットを広げる。この日曜日こそ待ちに待ったピクニック。子供の一人は風船を
買いに行かせてもらえることになり、小道の枯れ葉を踏みながら遠ざかる。あの
子を待たずに食事にしよう、と夫は妻にいう、妻はバスケットからパン、バター、
肉、マスタードを取りだす。すぐに犬が何匹か寄ってくる、そして、おきまりのように
蟻の一隊がパン屑めざして進んでくる。夫婦そろって大の動物好き。子供たちも
動物を愛するように躾ている。だから三人は犬たちにパンの耳や肉の切れ端を
分けあたえはじめる。蟻たちがプリンやキャラメルの入っているバスケットに近
寄ってもかまわずにいる。またたくまに三人は七十匹の犬とおよそ一兆匹の蟻に
囲まれてしまう。犬たちはもっと食い物をくれとせがむ。うなり声を上げ、牙をむく。
そのためその夫婦と小さな子は自分の食べているものを犬の鼻先に投げてやら
ねばならない。そうこうするうちに、三人の身体には蟻が群がり、ものすごい速さ
でガツガツと肉を食いちぎりはじめる。犬たちは分が悪いと見てとると、手遅れに
ならないうちに蟻たちと妥協しようとする。風船を買いにいった子が林にもどり、
家族を捜すが、目にするのは分配された戦利品、長いながい(それぞれが目に
見えないほどの肉片を運んでいる)蟻の行列、そして、お祭り騒ぎをしている犬
の群。その犬たちは頸骨や頭蓋骨を競って埋めたり、小さな骸骨の関節を外そう
としたりしている。やがてそれも外れ、あっというまに砕け散る。
しんどい。一から自分で考え書く方がなんぼ楽か。青空文庫のボランティアの
人達って偉いなあ。
「陽水の証明」頑張ってみる。
「世界は井上陽水で出来ている」と言い張る者に、「世界は井上陽水で出来ていない」
と証明することは可能か。
当然のことながら、世界中の誰に聞いたって、「世界は井上陽水で出来ている
なんてありえない」と答えるだろう。
しかし、仮にAとすると、Aはあくまでも「世界は井上陽水で出来ている」と言い張る。
「これこれこうだから、世界が井上陽水で出来ていることなんてあり得ないんですよ」
と諭しても、聞き入れることはない。
井上陽水本人を連れてき「私で世界は出来ていませんよ」と言わせたところで、
「この井上陽水も世界の一部であり、つまり井上陽水の一部である。一部に否定
されたところで全体に否定されたことにはならないし、仮に全体から否定された
としても、それが『世界は井上陽水で出来ていない』という証明にはならない」と
言われると、どうしようもない。
理屈が通じないのだ。
世界を破壊してみる。
「見ろ、世界はなくなった。井上陽水本人もなくなったし、私もお前もなくなった。
つまり・・・」
続かない。
「では、そこの石も、草も、それにおまえ自身も、井上陽水である、そういう訳だな?」
「ああ」
「石が『少年時代』を歌うのか? 草の学名が『アンドレ・カンドレ』なのか? おまえ
は井上陽水と同姓同名なのか?」
「石が歌うわけないでしょうが。草の学名ももっとちゃんとしたものだろうし、俺は
村上慎一です」
「じゃあ・・・」
どうせいと。
手強い。
「君の認識している世界は井上陽水で出来ているかもしれないが、私の認識して
いるそれとは違う。一人一人独自の世界観を持つのは何も悪いことではないし、
想像力豊かな、一つの個性だ。だがしかし君の言い張ることを証明する手立ては
何もない。だから、君が一人そう思うのは構わないが、他の人間に無理やり認め
させるようなことはやめてくれないか?」
「あなたはそう思っている。しかしあなたも井上陽水の一部でしかない。だから
井上陽水の一部であるあなたの世界観が『世界は井上陽水では出来ていない』
であったとしても、それは一部としての個々の個性だから、勿論自由に想像して
もらって構わない。俺は強制などしていない、ただ真実を言っているだけだ。だが
それが真実かどうかあなたには分からない。俺にだって分かってはいない。何故
なら俺にも『世界は井上陽水で出来ている』ことを証明するのは不可能だからだ」
「不可能、その通り! あなた自身『証明は不可能だ』とついに言いましたね。
証明出来ない事柄を真実と言い張っても、誰も信用出来ないのは当然のこと
です。私はあなたの全てを否定しているのではなく、非論理的な部分を糾弾して
いるのに過ぎないのです」
「では聞くがね、あなたは『世界は井上陽水で出来ていない』ということを証明
出来たかね?」
「それは・・・」
逆転裁判みたくなってきた。
ちょっと待て。なんで今あがる。
ログ整理時間と被ったか。その時に書き込んでいれば、さげてても上に来る。
例によってポエムスレより転載
名前:お魚さん 投稿日:01/11/03 02:09
三時間
俺は
街頭で裸演説
「野良! 野良! 野良!」
聴衆を扇動し宇宙へ
空気がないなんて知らなかったんだ嘘じゃない殺す気なんてなかったんだ本当です
勘弁してください僕はただ裸で街頭で演説で僕はただ
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/03 02:17
「では、入水」と一言残して彼は死んだが
彼の机の上には水はなかった
歳を取り友人の死に慣れた頃
妻が消えた
「では、入水」の彼と共に消えた妻を
僕は 探しはしなかった
僕の側には水がない
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/03 02:22
どうやらドアの外に警官がいるらしい
その警官は既に誰かを殺して来たらしい
殺された人は僕の友人らしい
その友人は僕を愛していたらしい
僕は愛を理解出来ないらしい
この世に出来ないものなどないらしい
どうやら僕の人生は間違っていたらしい
僕は警官に撃たれたらしい
どうやら僕は死ぬらしい
涙を流す警官は実に犬らしい
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/03 02:26
171号線の、とある場所には、財布マニアの走り屋のボスが事故死した場所が
あって、その命日には彼を慕う人々が供養の為に何百もの財布を持ち寄り供え、
一帯は隠しカメラを探す人々と遠慮なく財布を拾って中身を見てがっかりするも、
とりあえず財布だけ貰っておけばそのうち使うかもなと思う人の二派に分かれる。
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/03 02:59
「面倒」が口癖の親父が働き手を募集しています。
食事は出ません。
1日7000円です。寝泊まりはウチにです。
ガラ
客が来ました。
客のあしらいはお任せします。
保険証は持ってますよね?
救急箱はあそこです。
それではお願いします。
困りますよ今更嫌と言われたって、
「カラダを」
妹が泣いているじゃないですか。
明日からもお願いします。
食事は付きません。
4 名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/03 03:09
サイを投げられた!
土人達が
猿達が
他のツアー客も
みんないっせいに俺に向かって
サイを何匹も何十匹も
見ろ 角を掴まれ投げ出される前のサイのなんと哀しい目
俺を中心に投擲競技の輪が生まれ
その脇ではシマウマ達がいっせいに交尾を始める
避け続けるのももう限界だ
俺は一匹のサイを受け止めると背に跨り
どうにか輪を抜け出した
するとどうだ
俺はたちまち救世主のサイを掴み上げ
投げ出してしまったではないか!
銅メダルだとさ
田村は田村で個性出そうとしたのだが。最後のは山下だな。。
斉藤にも書いてほしかったのだが。
1日書かないだけで危ないな。
岡崎京子「危険な二人」
2ページ読んで嫌になった。桜沢エリカ「エンジェル・ブレス」と同じ。
「リバーズ・エッジ」は好きなはずなんだが。
というわけで銀河伝説WEED良いです。
ややこしい夢
私はサイボーグ。主人か、友人かは知らず、その人と二人、ちゃちな宇宙船で
宇宙に投げ出され、大気圏突入間近。
宇宙船にしては貧弱なベルトを締めながら「でも上手く海に不時着出来た時、これ
が引っ掛かって溺れたりしないだろうか。いや、これは簡単な構造だから足を抜く
のも楽に違いない」と。
宇宙船というより、椅子二つ背中合わせにくっついているような物。
それに座り、生身で大気圏突入。絶対に助からない、はず。
ちょっと熱い気がしたが、なんということもなく無事突破。
「俺達運がいいなあ!」「ああ!」てな会話。
軌道が海をはずれる。
「海じゃないとやばいんじゃないか?」「あ、でも森だ」
森の木の上に引っ掛かった後、側の川に着水。
「とにかく、逃げなければ」
何故。
とにかく逃げる。19世紀末の映画館のような場所に逃げ込むと、19世紀末を舞台
にした映画に出てくるような人達の中に、現代アメリカ風警官が二人。便所に逃げ
こもうとするが、その便所らしきものが本当に便所なのかが疑わしい。
外に逃げる。
二手に分かれるのだが、もう一人はどうも私を敵の手に渡したかったような節が
ある。この時の私は黒人の大男。
外をBSマンガ夜話のレギュラー達がかなり汗を垂らしながら走っているので、その
列に加わり、ファミリーレストランの駐車場のようなところに入ると、一番前の誰か
が上着を脱ぎ(多分暑さのため)、それが後ろにいる人にぶつかる前にその人も
上着を脱ぎ、と、順々に上着が後ろに廻されていき、私は上手い具合に着替えを
手に入れる。
あといろいろあるのだが。意味不明すぎてまとめられず。
ベルセルク劇場版、ロン=ベルク作らしき武器達、ドブ川を追手をぎりぎりかわし
ながら流れてゆく、ウンコの破片から誕生した子犬達、生類憐れみの令の為に
逃げるはめに。
とにかく、「逃げる」が多いな。
今に始まったことじゃない。
「ただいまこのソルボンヌにおいてジュール・シュペルヴィエールによって紹介され
たのでありますが、自分ではなにがどうなっているのか訳の分からない状態に
あります。彼がわたしの短編について語っているのを聞きながら、ふとここにはな
にかとんでもない混乱があるのではないか、いつか思いもよらない誤りが発見され
るのではあるまいかと考えておりました。なにしろあの方は大詩人でありますから、
わたしと同姓同名の人物を創造して、その人物の業績を、でっち上げるくらいの
ことはいともやすやすとやってのけられます。ひょっとすると自分は彼の創造した
人物ではないだろうか、そう考えますと、なんと申しますか、背筋に冷たいものが
走る思いでありますが・・・・・・」
フェリスベルト・エルナンデスがジュール・シュペルヴィエールの招きによって
ソルボンヌ大学に来た時の弁。ちなみに彼は作家としてはほとんど成功していず、
幾つかの短編が残されていたのみ。
と思ったらそのすぐ後に、死後かなり再評価されたと書いてある。
大量の筆箱は誰にも中身を確認されることなく海に舞い落ちていくのだが
どうも空っぽではなかったらしく一つも浮いてこない
「明日から漁はもう駄目だ」
そう嘆くものはまだ引っ越しの準備の整っていない数人だけだ
明日から始まる新学期を前に今日ほとんどの村人はここを去る
やがて残された漁師は気が狂い
空き家に網を投げるのだが
今は関係ない
翌日大量のボールペンが刺さったクジラが打ち上げられて
人々は一週間食い繋ぐ
口内はホッチキスの針にしこたまやられ
血は黒くなり 次第に影が消えて行く
次第に人々は魚と文房具の区別がつかなくなり
二年後に絶滅する
痩せた猫はどのような隙間でも通ることが出来ることを、木下は鼻のむず痒さの
後知った。耳の中にざらざらした毛が触れるのは気持ちのいいものではなかった
が、やがて慣れた。シャープペンシルの芯ほど細くなり、自由に身体を曲げること
が出来るのだが、所詮猫で飼い主の言うことは聞かず、細かい用事を頼みたい時
は毎日5回はあるのだが、一切役に立たない。徘徊時、ドアの隙間から出て行ける
ので、そこは楽になった。普通の状態でいる時の鳴き声は「ニャア」だが、細くなる
と「ウニャオウン」としか泣かなくなり、少し可哀想である。例外は髪の毛と間違えて
掃除機で吸い込んだ時で、放送終了後のテレビのノイズを拡大したような、声とは
思えない音を出した。故障かと思って蓋を開けた時飛び出して来たのでそれと分
かったが、危ないところだった。
昨日「BROTHER」観たはずなんだが。
感想書こうとかは全く思わなかったらしい。
「アルマゲドン」観た時もそうだが。
あっちは充分楽しめて、そして純粋に忘れた。
こっちはどうも、予想通りに期待はずれで、
どうでもよかったのらしい。
岡崎京子「危険な二人」結局読んだが。
が、ラスト、多分ページが切れてて、やるせない。図書館本だから贅沢は言えん
けれど。どっちみち未完っぽいからいいのだけれど。感想も途切れてうまく浮か
ばん。心にはあまり残っていない様子。
諸星大二郎「マッドメン 完全版」
再読。良し。
後藤明生があれほど評価されてる訳は、あの、「核心に触れそうになるとすぐ脇に
走ってそっちでもまた脇に走って過去と現在をいっしょくたにしたモゴモゴ」なところ
がいいってことか。
でも結局「首塚の上のアドバルーン」は3/4ほどまで行ってながらやめたし。
「挟み撃ち」は割とすいすいいけてるけど、どうか。
それにしても「美しい水死人」ラテンアメリカ文学アンソロジー
は実り多い一冊であった。
少し前に読んだ
「20世紀イギリス短編選(上)」
に比べれば
「他の作品読みたい」作者のなんと多いことか。
マルケスとコルタサル以外は全然知らんかったし。
肝心のマルケスのが「エレンディラ」からの再録なのがあれだが。
やっぱ好きなのだけ読んだ方が楽しい。
絵は下手だよ。
「挟み撃ち」読了。
喩えるなら、眠り際の思考で、発端から連鎖して出てきた発想に、「何故こんなこと
を」と疑問を感じ、一つずつ戻っていくうちに、始点も終点も分からなくなりながら
眠ってしまうような、そんな雰囲気。
だが傑作だとか素晴らしいとかはどうも感じないな。悪くない。
それより作中に度々引用されてるゴーゴリ作品はほとんど途中で読むの止めてい
ることに気付く。
でも今は百闢ヌんでたいし。
古井由吉もそうだし、なんだこの流れは。もう少し歳をとってからか。
でも「旅順入場式」の幾つか、明らかにつまんないと思えるものも。
嗜好は変わる。
入城ね。
(==)
(・∀・)オメコ!!オメコ!!
で、話は79年前に遡るが、
>>173-182で頑張ってる「陽水の証明」と似たような
ことを既に百鬼園先生書いてらっしゃる。というか、似たようなこと書いた人は
1億人くらいいるだろうけど。
「白子」冒頭
私は誰とも議論をしたのではないのに、独(ひとり)で腹を立てていた。神がいる
と云う者と、いないと云う者との間には、そのいるとかいないとか云う言葉が、食い
違っているんだ。自分が神はいないと云ったからって、それは神がいると云う者の
つかったいると云う言葉を、否定にしたのではない。それが解らないのだから駄目
だ、と思って一人でむしゃくしゃしながら、懐手をして道を歩いていた。それなら神
を連れて来て見せるがいいと私は腹の中で叫んだ。よしんば連れて来て見せた
ところで、それは神がいると思っている者の神に過ぎないじゃないか、それが神は
いないと思う者の目に神と見えるかどうだか受け合わされたもんじゃない。それじゃ
しかし、こう考えたらどうする。それじゃ神はいないと云う者も、その否定する前に、
一先ず自分の神を認めた事になってしまう。彼は否定する為の神を祀ってるじゃ
ないか、どうだと私は独で駄目を押して、益(ますます)むしゃくしゃして来た。
「冥途・旅順入城式」だが、幾つかは確かに読んだはずなのに、それがどれだか
ははっきりしないので、結局確信出来る唯一の「山高帽子」を除いて全部読んで
しまった。読んだと思う話もあるが、また読んでみてもどうもはっきりしない。
掌編ばかりだから以前適当に拾い読みしたのがいけなかったのか。後ろの作品
から読んでみると、次の話が確かに見覚えがあるので分かりやすくなったので、
全部読んだことがはっきりした。
「数年前、アメリカのキャンパスでは、『ケヴィン・ベーコン』の六次』という遊びが
はやった。可能なかぎり少ない共通の映画と共演者を介して、俳優のケヴィン・
ベーコンと誰か他の俳優を結びつけるのを競うゲームだ」
つまりある俳優がケヴィン・ベーコンと競演していればベーコン数1、ベーコン数
1の俳優と競演した俳優はベーコン数2とする、以下同様。いったい、それが数学
になんの関係があるかというと、このゲームは「六次の隔たり」の考え方に基づい
ている。では「六次の隔たり」とはなにか? 二人の人間に一人の共通の知り合い
がいる時、それを「一次の隔たり」と呼ぶ。つまり「友達の友達」は「一次の隔たり」
だ。
そうやって、世界中の人間をざっと十億として、そのひとりひとりが百人の他人を
知っていると仮定すると、「六次の隔たり」ですべての人間が結びついてしまうの
である。
「もっとも危険な読書」中「理系なやつにはかなわない」中の『知の創造』についての
彼女は人気のない庭園から出て行き
雨の降る街路を通って一軒の家に着く。
呼び鈴を鳴らすが誰も応答しない。
彼女は通り抜けて行くが、
どのドアのなかにも誰もいなくて
誰もいない所から別のドアの所まで行き
そして遂に最後のドア、壁で塞がれたドアの所に着くと、
彼女は鍵を探すが紛失しており、
ドアをノックし、引っ掻き、ノックを繰り返し、
何世紀にもわたってノックし、
そして一世紀ごとにそのドアは高くなり、
ノックをするたびにドアはますます閉まる。
彼女はもはや諦めて椅子に腰かけて
誰かが開けてくれるのを待つだけである──
オクタビオ・パス「処女」より一部抜粋
あれをそれにして それをこれにして これのここだけかえて
それでどうなるわけでもないけれど
夢をみるならでかい夢 でも みえないから目をとじて
心の中にある三つの扉を開くのさ
一つは 二つめに続く 二つめのは 三つめに続く
三つめのは 最初のに戻る
ただそれだけだった 同じだった わらっちゃった
別にどこへも行きたくないけど
別に 行きたくないけど
ゆらゆら帝国「3x3x3」より一部抜粋
底
近頃夢が長い。
長屋というか、文化住宅というか、商店街というか、そんな感じの、小さい家の集合
体のような場所。中学時代の友人の家を訪ねるが誰もおらず、勝手にあがる。
というか、そこに至るまでも数々の家の廊下や台所を勝手に通って来ている。
しばらくして友人が現れるが、どうも責められているらしい。仕方ないから帰ろう
とすると、頭も入りそうにない窓の隙間を示し、そこから帰れという。足からいくが、
当然金玉が引っ掛かり、危ない。友人はコップの水を窓枠の下の壁にかける。
MSNメッセンジャーでHから「『パルプ』見たで。ようわからんかった」と。
なんであいつがブコウスキーなんか、と思ったら、映画「パルプ・フィクション」の
方らしく、「ブルース・ウィルスの顔は見すぎて吐き気がする」と言っていたくせに
今まで見てなかったのかと不思議に思う。「トラボルタパートはおもろいやん」と
レスしようとし、トラボルタを英語で書こうと思い綴りを確かめるためにビデオを
出すも、名前が見つからない。。そういやこないだ見た時はテレビ放映の時だった
からもう一度観てみようと、
始まる。
飛行機が飛んでいる。多分飛行場。例の音楽は流れない。妙にちゃちで適当で
ぶっきらぼうな日本家屋のセットを上空から撮影するシーンを観た後、線路脇の
道を歩くと、さっき観たばかりのセットが線路と道との間の空地にあり、「ああ、
サービスがいい」と感心する。しばらく歩くと警官二人。トンネル近くで父に会い
「晩飯までには」と軽く言い、さきほどと同じような家屋集合体に着く。
糸を売っている店。天井から何百本も糸が垂れ、店の中では主婦らしき人達が
立ちながら編み物。私はそのような店だとは思わず入ったものだから出ていこうと
すると、「あんた大会(競技? だったかも)に出るんでしょ、遠慮しないで」と言わ
れ、答えようもなくしどろもどろしながら「怪しく見られると危ないぞ」と思う。
ここから浅野忠信と小泉今日子(「風花」だな。あれはひどい出来だった。キョン
キョンは可愛い)。視点はまちまち。
大家とその息子に見つかり海岸まで逃げると、岩場で息子に捕まるが、体を捻り
下に落として殺す。おかみを取り押さえ顔の皮を剥ぎ取るとキョンキョンの顔に
貼り付ける。合わないかもと思ったが、若い顔に貼り付けると顔も若返り、貼り付け
た部分の皮膚が軽いできもののようで違和感があるが、時間が経てば消えるらしい。
家屋集合体に戻り、今度は必死に外へ出ようとするのだが、ところどころ隙間から
確かに外の光が見えているのに、どのドアをあけてもまた別の住居ばかりでどう
しても外に出られない。
外に出ている。
どこまで続いているかはっきりしない踏み切りの列。電車が通り過ぎた後タイミ
ングを見計らい遮断機をくぐり、またぎ、二人で逃げて行く。
家々から主婦達が大勢出てきて、「踏み切りをおまえらがきちんと渡らないから
地震が頻発するのだ」と叫ぶ。確かにそんな気がした瞬間地面が揺れ体が浮き
上がる。
「戻ってくれば一部屋用意して一生住まわせてやる」に浅野は心が傾き、振り向く
が、キョンキョンは頑なに否定し、断固として踏み切りを
「君はものにならないだろう。いくら頑張っても、ものにならないだろう。君は最高
の詩人、もっとも深遠な散文家を理解する。人から、理解するというのはその人と
同等のところにいるということだよと言われても、所詮これ以上はないほど小さな
男が自分を巨人になぞらえるのと同じことなのだ・・・・・・。君はものにならないだろ
う。泣き、叫び、両手で頭を抱え、持ち、絶望し、ふたたびペンを持ち、岩を動かす
がいい。しかし、君はものにならないだろう」
エンリーケ・ビラ=マタス「バートルビーと仲間たち」木村榮一訳 より
ジュールロマンが日記に記した「書かない言い訳」
ここでもフェリスベルト・エルナンデスが出てくる。
今回のドラマティックな出来事には一行しか割かないことにしよう、日記に書くに
してもそれくらいの価値しかないんだと考えた。笑いをこらえながらこう書いた。
「失業したというばかばかしい出来事のことはもう考えないようにしよう、ロンカッリ
枢機卿のようにしよう。彼はカトリック教会の長に任命された日の午後、日記に
簡潔に「今日は法王に任命された」とだけ書いた。あるいは、とくに明敏でもなかっ
たルイ十六世のように書いてもいい。バスティーユが占拠された日、彼は日記に
「何もない」と書いた」
同上
これも(が?)筆耕か。
見ず知らずの女性に対して突発的な恋に墜ちる一方で、サリンジャーがたま
たま同じバスに乗り合わせていること──こういう経験はめったにない──
同同上
「新潮」面白いじゃん。
いろんなところでニアミスしつつ、なんとなく触れるとこまでいかなかった、シャ
ミッソー「影をなくした男(池内紀訳)」。まあまあ。靴手に入れてからの急展開、
悪魔のくせに隠れ蓑奪われた後号泣するとこ(どうもここに矛盾が生じるのだが、
後の台詞が嘘で、盗まれたのは赤の他人なのだろうか?)は良し。
「上がり坂と下り坂の数は、どっちが多い?」
いや、考えこみました。
原文で読んでるわけがないのだから訳者はちゃんと書いといた方がいいなしかし。
めんどいことは後だなしかし。
「洗面器」 金子光晴
(僕は長年のあいだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに
湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが、爪哇(ジャワ)人たちは、
それに羊(カンビン)や、魚(イカン)や、鶏や果實などを煮込んだカレー汁
をなみなみとたたへて、花咲く合歡木の木陰でお客を待つてゐるし、その
同じ洗面器にまたがつて廣東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ、
しやぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿をする。)
洗面器のなかの
さびしい音よ。
くれてゆく岬(タンジヨン)の
雨の碇泊(とまり)。
ゆれて、
傾いて、
疲れたこころに
いつまでもはなれぬひびきよ。
人の生のつづくかぎり
耳よ。おぬしは聴くべし。
洗面器のなかの
音のさびしさを。
私がカナック人の人たちの前で、堂々と大便をすることができるようになったの
は、半月もたってからのことである。その頃になると、カナックの娘たちも話しなが
ら尻をまくり、小便をするようになって、私との間にはなんのこだわりもなくなって
いた。娘たちのなかには、どこの都会でも見られるようなパンタロンやジーパンを
はいている者もいる。みな一様に髪を肩の下までのばしており、顔つきもまったく
日本人と変らない。そんな彼女たちが私の目の前で尻を丸出しにし、音をたてて
小便をするのだから、まことに奇妙な光景である。
夏目房之介編「トイレの穴」中の 植村直己「犬に尻を狙われる」より
こっちはエスキモー。
,, , ∧ ∧ ___
/(*・∀・) ./\
,,, , , ,/| ̄∪∪ ̄|\/,,
|______|/
∧ ∧ ___
/(・∀・*) ./\
/| ̄∪∪ ̄|\/
|______|/
(・∀・)オメコ? オメコ・・・・・・?
一日中ヤフーBBと繋がったかどうか確認する作業をし続けている夢を見た。
二、三日前の新聞に、学童が工場を見学に行き、アセチレン溶接の現場で、何人
かが眼を痛めたという記事があった、きっと引率の教師は、「しっかり見なさい」
なんてことをいったのだろうと思うと、おかしくなり、学童から連想が働いて、遠足の
字が浮かび、あれは本当はエンソクじゃなくて、エンクソが正しい、つまり遠くへ
行って糞をすることなのだ、いや、あらゆるソクは糞でいい、「充糞」「約糞」「催糞」
「民糞」「糞女」「糞物」「糞々として胸に迫る」「衣冠糞帯」「頭寒糞熱」「糞売り場」
「糞縛」「糞面」「糞量」いずれも意味が通らぬでもない。
野坂「既に黄昏」より
新藤兼人「生きたい」
「楢山節考」を意識しなかったはずはないんだから、だからなお、何故、わざわざ
そっくりに、姨捨山パートを、あれしきの作り込み弱さで、
現代パートの二人は別にいいんじゃないかと思ったが、舞台劇調のセリフ回し
とか。父は「三國はあんなわざとらしかったかなあ、大竹しのぶも、いかにも演技
らしい演技やし」と。
音楽も弱い。
リアルバートルビー達の話は、どうも、身体に悪い。露医者劇作家の「退屈な話」も。
いや、マタスの書くバートルビー達の方がリアルなのであって、野坂のは幾らか
は事実混じりの虚構、でも、身体に悪いのは、で、
現実=他人事
一人称で語られる事実調の物語=自分事
そらまあ、見知らぬ外人の事故映像よりドラエもんが未来に帰る話の方が泣ける
わけで。
そこにはひとりのインディオが住んでいた。お慈悲だから水を少し飲ませてくださ
いと言うと、年取ったそのインディオはキリスト教徒のあんたに頼まれたら、いやと
は言えんよと言って、水の入った赤い壺を渡してくれた。水はとても冷たかったけ
れど、首がなかったので飲むことができなかった。インディオは、お嬢ちゃん、何
もそんなに悲しまなくていい、首なら、ちゃんと予備があるよと言ってくれた。入り口
のそばに背負い籠が置いてあり、その中に首が沢山入っていたので、そこから
次々に取り出してきた。けれども、大きすぎたり、小さすぎたりしてどれも合わな
かったし、老人や大人の男女のものはみんな気に入らなかった。いろいろ試して
いるうちにだんだん腹が立ってきて、首を蹴飛ばすと、インディオはそんなに腹を
立てるもんじゃない、町まで一緒に行って、あんたにぴったりのを切ってこようと
行ったので、すっかりうれしくなった。
オクタビオ・パス「『流砂』より」中「天使の首」より
そもそも、アンソロジー「遠い女」の中
転載くらいしか。
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/04 02:58
シルバーシートに猿がいる
向かいの子供はエサをやろうとするのだが
彼のポシェットにはバナナがない
猿の歳を見分けることの出来る者は車内になく
猿を放逐する理由を探せない
そこに勇気のある車掌が「切符を拝見」と来た
猿は尻以外を全て真っ赤にさせ寝た振りを決め込むが
車掌もプロだ 鼻に噛みつき猿を起こした
車内に広がる「勘弁してやろよ」の空気
それでも車掌は切符を確かめねばならぬのだ
ここが電車である限り猿でも噛まなければならぬのだ
車掌は逃げない引くことを知らない
彼も家では良い父だ
しかし猿には
その夜猿は老衰で死ぬことになるのだが
もちろん警察に突き出され
言葉通じぬのに悩み刑事が一人不眠症になることを
その時予感していたのは向かいの子供一人
「流れ」に逃げてる。
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/06 00:33
スーパーに忍び込んで鯖の缶詰とぽん酢の間に上手い具合に隠れて閉店を
迎えてさあこれで食べ放題となったのはいいんですが、暗闇に目が慣れてくるに
連れ分かったのは全部牛肉。
そもそも常連というのがいるらしく極細の棒状になった猫や、娼館の二階から飛び
降りて下に着く前に土になった聖女の集団、時計の短針などが、私が躊躇って
しまうにもかかわらず、我先にと牛肉にありついて、二階の売り場から持ってきた
鍋や固形燃料なども使ってパーティーを始めるのです。
食欲をなくした私は翌日店員達が驚くことのないように後片付けだけはしておこう
と気を使うのですが時間が経つのが遅いどころか、時計を見ると何時間も戻って
いるらしく、それは食い物にありつけなかった長針達の嫉妬だと分かりました。
夕飯を終えた後に夕飯のおかずを買うためにやってきた主婦の集団と牛肉パー
ティー集団との間に立って私は一人長い言い訳を始めるのですが、肝心の警備員
はいつまで経っても戻ってこないのです。
途中で「怪談 人間時計」を思い出しつつ強引に走ってしまっている。細部が足りない。
名前:ロブロフ山下 投稿日:01/11/06 01:00
ピックがないからギターが弾けないと嘆くお前に
必要なのは今すぐの自慰
俺はド♭とミ♯の黒鍵のないピアノで
パンクを鳴らし続けているのに
ステージと客席の間に立てられた巨大鏡
客は全員俺だ
これが俺のパンクだが
おまえはいつになればギターに弦を張れるんだ?
パンク風スタイルに寄りかかりすぎ。キー名はC、Eの方が良い。
名前:お魚さん 投稿日:01/11/06 01:25
空には無数の
平凡パンチ
追いかける僕は
コミックビーム
笑うあのこは
月刊「碁」
母さん
母さんはどうしていつもこっそり
こっそり買ってくるのさ
「
」
言えないよ
空には無数の/平凡パンチ
がお気に入り。
名前:ロブロフ田村 投稿日:01/11/07 03:43
死に際の友人の見舞いに訪ねた病院内で
三ヶ月迷い
あげく車椅子の老人に轢かれ
入院の運び
見舞いに来てくれと妻に手紙を出すつもりが
書き出しの文章が決まらない
「来てくれ」「来るな」
私は妻を愛していたか?
小一時間、下地に50行費やした割に、後から、安部公房「密会」に似ていた
ことに気付く。もう何百時間かかけた方がいい。
267 名前:お魚さん 投稿日:01/11/10 00:52
自分がからっぽなのに気付いて
幾重にも回りを固めるのですが
やはり奥深くの自分を晒け出したい時もありまして
自分の奥を覗くのですが
やはりからっぽしかないのです
つまりはこれだな。どれだけ見つめても、何も見つからん。
かなり機嫌が悪い。
YAHOO BB! 開通しました!(かなりご機嫌)
散漫になるのだから、それならばとにかく。
鞄の中の陰、幾重ものポケットの中には持ち主の人生においてこれまで知り合った
全ての人間の人形が潜んでいる。持ち主はそのことを知らず、人形らが立てる
ごそごそとした物音をたしかに聴きはするのだけれど、それが鞄の中のことだとは
気付かない。街ですれ違う程度では新しく人形は出来ないが、一言でも話すと
途端に鞄の内壁から人形は出現する。重要度によって大きさが変化することは
ないが、一度しか会わなかったりした者の人形は顔形がいい加減であり、古い
物だと全身のっぺらぼうに近い。それでも消えることはなく、死んだ者でもそれは
同じである。
持ち主が鞄に物を入れる時には人形達は底に身を横たえ、ただ鞄の底の振りを
する。鞄の底に折り重なる人形達は少しもその存在を持ち主に知られることなく
荷物を受け取る。鞄の中に入ったものは何であれ彼らの食料となる。文房具、
ハンコ、傘、書類、全てを食い尽くしても持ち主が気付くことはない。なぜなら、持ち
主がそれらを取り出そうとする瞬間、食べた物を吐き戻し元の形に戻してしまう
からだ。その時に何人かが巻き込まれることもあるが、鞄の淵に辿り着くまでに
全て脱出する。墜ちた時の衝撃は激しいが、壊れることはなく、ただ次から注意
深くなるだけだ。記憶力は悪いので、巻き込まれる人数はほぼ一定である。
陰には必ず何かが潜んでいて、行間にもそれはいる。こうして書いているうちに
もそいつらは静かに繁殖し始めている。魑魅魍魎の類とは少し違い、ただそこに
「ある」だけなので、害はないように思えるのだが、産みの親は見知らぬ我が子
の成長に生涯脅かされることになる。親はそいつらに干渉することが出来ない。
他者に観察された時にのみそいつらは姿形を整え、壊し、踊り狂う。予防も駆除も
不可能である。時には産みの親を喰い殺すこともやってのける。親はなくとも子は
どうにでも成長する。そいつらの栄養分に金は要らず、悪意のみでもすくすく育つ。
誉め言葉だけで育つと弱くなるが、誉めることを貶す輩が現れるのであまり心配
する必要もない。
ならば行間などない、全一行の文章だけで闘えばいいではないか、しかし隙は
なく、言葉の間にそれは潜む。愛という言葉には既にあといの間にそれはいる。
もしかしたらあ一文字の中にさえ跋扈しているかもしれない、もしかしたら何かを
書き出す前に既にそいつらは場を占拠していて、一歩を踏み出すこちらが異物
なのかもしれない。それならば迫害も仕方ないこととも思えるが、ではこちらは
どこに動き出せばいいかが分からない。書かなかった場所に居るやつさえ、もう
こちらを犯し始めていて、逃げることは出来ない。
裸の雨が降る中を窮屈なセーターを着せられたシェイトランドシープドッグが
愚痴をこぼしながら歩く。
「元々この世の中にある俺達の居場所という奴は奴隷愛玩子供の友、そのような
生物としては失格といえる、恥曝しの出来損ないでしかないのだ」
飼い主は何も気付かない。彼女が持つ引き綱が古く見窄らしくなったことにのみ
気をやり、彼女の母の勘違い愛情を纏っている飼い犬には糞の時に心を向ける
のみ、散歩という行為は彼女にはただ義務でしかなく、弟の代理でこうして歩いて
いるだけである。
「弟は知らずや、我が胸の内を、我が苦しみ続けているこの理由を。否、知ること
は出来たはずを、無関心を決め込み、見ないようにしているのだ。この身体に宿る
子種、我が男の種、弟の部活の先輩、知らぬはずはない、先日とて弟の部屋に
来、勉強机に向かう弟の横で、何するとなく寝転んでいた、我が帰り来ると飛び
起きたるあの姿、まるで、犬」
彼女は引き綱から手を離し立ち止まった。因果関係繋げる気はなく、母を恨む
気もない。今浮かんだ犬という言葉と眼の前に居る生き物との間に出来た関係に
急に我慢がならなくなったのだ。突然自由になった犬は不審げに彼女を振り返る。
「俺を自由にしてどうするというのだ。俺は外で生きてける強さを持っていない。
男の象徴は既になく、子孫を残すという生物としての純粋な願いを果たすことも
もはや叶わぬ。残飯を漁り今まで以上に惨めに生き続けていくしかないなどと、
そんな醜態をおまえは今からこの俺に課すつもりか。俺は男を失ったが女の心が
分かるようになったわけではない。ましてや人の心などと。早く綱を拾え。今なら
不注意で済む。衣服を纏い野良であり続けることなど出来るはずがなかろう。
どうせ戻されるのだ。独りで生きることなど出来ぬという証拠をはっきりと突きつけ
られてから全ての芽を摘み取られることになってはかなわぬ。自由に憧れるのが
楽しいのは飼い犬であり続けることが条件なのだ。真の自由に立ち向かうことの
出来るものなど、そうはいない」
彼女は再び引き綱を握り歩き出すが、考えるのはもはや犬のことではない。
知ってる山田風太郎のつもりまでやります。
目が
昨日、年老いた庄司薫がウィスキーのCMに出てるのを見るを見た。
嘘。
山田風太郎先生が小説家だったというのは知らなかったらしい。知ってるつもり
制作スタッフ。
最後にジェネシス流れた。
なんか危ない
「年老いたサングラス」
サングラスはとても年老いていたので、午前四時、タクシーの中で死んでしまいました。
終わり。
「ポルノギター」
終わり。
例えば、現実同様のトイレに行って用を済ませて、現実そのものの水道の蛇口を
ひねって手を洗おうとする。と、蛇口から水の代わりに鬼太郎のおやじが何百人
もぞろぞろと出てきてふと見ると天井一面にオカヒジキが生じていてそれでやっと
目が夢を見ている事を知らされるといったような夢の場合。どこからが夢でどこか
らが現実か迷うしかない。目を覚ましたつもりでそうかトイレに行く夢を見たのか
と錯覚をしていても、実はトイレに行った事だけは事実であり、蛇口をひねった
あたりから布団に戻って見た夢かもしれないのだ。或いはまたそこはディスコ
のトイレか何かであり、奇衒うために蛇口から鬼太郎のおやじを出しているだけ
で、つまり最初から全部、本当に起こった事かもしれないのだった。
同上
あら。書き込めてる。
上にするつもりだったもの。
思い上がった対等な殺し合いなど彼らは絶対しない。お互いの譲り合いに基づき
誰も絶対に傷付かないいい関係の殺人。──男が女を殺し女は男に殺され相互
に関わり合う。多人数の女が慎ましくたったひとりの女を分け合って殺す。女が
慈しみの心で差し出した子供を老人が殺す。男は男同士絶対殺し合わないよう
に等分に斬り合う。女は殺されて笑う。ゾンビ達の基準で、ユーモアの判るいい
女程笑う。
言わずもがなの人の「レストレス・ドリーム」より
「フェミニズム小説だ」と言われると「切り口だけじゃないか、言語国家と私の
戦争じゃないか」と思うんですけど、それでも反動的な男の人が「これはフェミ
ニズムですか」と、反感むき出しで訊いてきたら、「そうだよ、フェミニズムだよ、
ばーか」と答えてやります(笑)。
『オカルとお毒味定食』
解説で自分で引用しておきながらも、フェミニズムフェミニズムとばかり言うのは、
一度自分が口に出したことは通し続けねばならぬとの批評家の業か、って、この
人誰だ。解説いらんよ。
河童は道の端を走る僅かな溝の中で溺れてみせた。しかし犇めく群衆共は河童
の存在にたしかに気付いていながら、誰も見ようとはしなかった。たとえ顔を向け
たとしても、それはたまたま河童の後ろにある壁を見ているのだ、いや、蠅が飛んだ
のだと、必死に別の理由を見つけ、全力をかけて河童の存在を否定した。
「私はここにいるのだが」
溺れられるはずもなく、済ました顔で立ち上がった河童が太い声で自分以外の
生き物たちに呼びかけた。
「私ははっきりとここに存在しているのだが、君らには見えていないのか」
群衆の足が速まる。彼らは今はもう顔を上げることはない。
人間と関係のない低い地面で、一匹犬が這っており、電柱の陰から飛び出した
犬は、怖がることなく河童に近付いた。
「おまえは、犬か」
犬は舌を垂らしただ、ハッハッと息を吐き出すだけだ。
「私は、河童だ」
遠くから人間の卑小な声が響いた。
「自分のおる場所へおったらええんじゃ」
犬の背を撫でながら河童は悲しそうな顔を声の方向に向けた。足の裏から緑色
の汁が湧き出て来るのを感じた。
犬が電柱に小便を始めると、河童はその僅かな飛沫の中に身を投じ、自らの
居場所を帰って行った。最後に犬の足を掴み共に行くか少し迷ったが、すぐに
止した。
ばらばら。
「バンパイヤ」再読。
後にデビルマンへと繋がるテーマだけど、ロックの存在を大きくしすぎて、結局
未完に。これが66年、MWが76年。ピカネスクロマンの代表作二つのこの隔たりは
何。ついでに七色いんこは81年。バンパイヤでのロックの果たした役割は大きい。
来たるべき世界(51年)だったか、あれが萌芽か。いや、調べるのは年代だけで
いっぱいいっぱい。
三造の考えは再び「存在の不確かさ」に戻って行く。
彼が最初に斯ういう不安を感じ出したのは、まだ中学生の時分だった。丁度、
字というものは、ヘンだと思い始めると、──その字を一部分一部分に分解しな
がら、一体此の字はこれで正しいのかと考え出すと、次第にそれが怪しくなって
来て、段々と、其の必然性が失われて行くと感じられるように、彼の周囲のものは
気を付けて見れば見る程、不確かな存在に思われてならなかった。それが今ある
如くあらねばならぬ理由が何処にあるか? もっと遙かに違ったものであっていい
筈だ。おまけに、今ある通りのものは可能の中での最も醜悪なものではないのか?
そうした気持ちが絶えず中学生の彼につき纏うのであった。自分の父に就いて
考えて見ても、あの眼とあの口と、(その眼や口や鼻を他を切離して一つ一つ熟視
する時、特に奇異の感に撃たれるのだったが)その他、あの通りの凡てを備えた
一人の男が、何故自分の父であり、自分と此の男との間に近い関係がなければ
ならなかったのか、と愕然として、父の顔を見直すことが其の頃屡々であった。
何故あの通りでなければならなかったのか。他の男ではいけなかったのだろう
か?・・・・・・周囲の凡てに対し、三造は事毎にこの不信を感じていた。自分を取り
囲んでいる・あらゆるものは、何と必然性に欠けていることだろう。世界は、まあ
何という偶然的な仮象の集まりなのだろう! 彼はイライラして何時もこのこと
ばかり考えていた。時として何だか凡てが解りかけて来そうな気がすることもない
ではなかった。それは、つまり其の場合その偶然が──何から何迄偶然だという
ことが結局唯一つの必然なのではないか、という・少年らしい曖昧な考え方で
あった。それで簡単に解答が与えられたような気がすることもあった。そうでない
時もあった。そうでない時の方が遙かに多かった。幼い思索はいらいらしたはが
ゆさを感じながら、必然という言葉の周囲をどうどう廻りしては再び引き返して行った。
淳「狼疾記」より
↑敦の間違い。
里見じゃない方の敦デー。
ところが、だ。以前の時と同じく、いざ書き写してみようとなると、その青さがいやに
目に付いて、少し気恥ずかしくなるのだ。
今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が
ついてみたら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしい
ことだ。
「山月記」より
狼疾記はきつい。かめれおん日記ではまだそんなに感じなかったのだが。
メモにはこうある。
「メリーゴーランドに乗ってる時に役立つんじゃない?」
「そんなにしょっちゅう乗るものじゃないよ」
下痢が賢くなる。
イスはイノシシ、サルは
ペン先にライト
どうしろと。
違うな・・・
音楽がなかったからか。
だが踊っているのは死人たちではない
それだけは断言できる
死人たちはうっとりとして 自分の手をむさぼり喰っている
仮面やそのギターで踊っているのは他の連中だ
他の連中だ 銀に酔った連中だ 冷たい男たちだ
太腿と激しい炎の交差点で育っていく者たち
階段のある風景のなかでみみずを探す者たち
死んだ女の子の涙のベンチでそれを飲む者たち
或いは 街角で小さな夜明けのピラミッドを齧る者たちだ
ロルカ「死の舞踏」より
美しく、若く、輝かしい貴女の姿は、死刑執行人の目に
あたかも結婚式の車に乗ってきた女人のように見えた。
アンドレ・シェニエがシャルロット・コルデーを歌ったもの らしい。
「女のエピソード」より
あるとき、教育上の目的のために女弟子のお尻をたたいているうちに、つい肉
の誘惑に負け、この大学者先生が、彼女と道ならぬ関係をむすんでしまったので
ある。
同上「エロイーズ」より
そら、そんな教育してたら、そら、
しげる「神秘家列伝」其の参
一人の人物に割く頁が増えて、それがあまり興味を惹かない人達だったので、
ちょっと印象薄い。
芸術について語ってる人達がいる。若々しい。
その夜もハーレムの王様は
ひどく硬い一本のスプーンで
鰐の目をえぐり
猿の尻をぶっていた
一本のスプーンで
黒人たちはこうもり傘と黄金の太陽に
挟まれておろおろ泣き
混血児たちは白い胴体に近づこうと 必死にゴムを引っぱり
風は鏡をくもらせ
ダンサーの静脈をひびいらせていた
ロルカ「ハーレムの王様に捧げるオード」より
図書館の自転車置き場にてすれ違った少女二人の会話
「ここの図書館来たことある?」
「何回もあるよ!」
「うち100回くらい」
「うちなんか2000回ぐらい(怒り気味で)」
すごいな。
戦争でなくした息子のことを書いた詩の最後をロルカはこう書いたが。
あの男にも息子がいたと
息子が! 息子が! 彼の
息子だったがゆえに、まさに彼のものだった息子が!
彼の息子が! 彼の息子が! 彼の息子が!
私は偉大なる詩人ではないし、私の息子も戦場に赴いたわけではないのだが。
それでもやはり。それでもやはり死んだ息子のことでは、息子が死んだと、息子
は死んでしまったと、私の、私の息子は私の息子であったが、私が死ぬ前に死んで
しまったと、私の息子の死の前に私は為す術がないと、私が語れることは何も
ないと、白旗をあげるしか、ただ嘆くしか、泣き伏すしか、「息子が! 息子が!」
と繰り返すしか、出来ないと、私は、息子の死を、死んだ息子の、死を、ちっぽけな
砂利にタイヤを滑らされて、トラックのタイヤの前に転がった時の息子の死を、
生ある、若い、逞しい一つの人間が、ただの物になった瞬間の死を、そのことを、
砂利に滑った瞬間に運悪くトラックが目の前にあった息子の不運な死を、私は、
私は、どうすることも、頭蓋の壊れる音とブレーキの音の中何も出来なかった私
の息子の死を、私は、どうすれば、何を、何故息子が死に、私が、私はここで、
死を、息子の死を。
劇場版パトレイバー1&2
てか、ヤフーBBいろいろ繋がらん。
人狼。
祖父、容態悪化。
常時接続になったせいか、集中力がおかしくなってしまっている。
どの本を手にとっても放り出したままだ。しかもまた明日増える。
「なにに賭ける。」
「この河原にころがっている亡者ども、いくつあるか、かぞえて見よ。おれは丁。」
「よし、おれは半。」
日は落ちて、闇の這いよる中に、四つ、五つ、二十、三十と死骸をかぞえて行っ
て、年かさの男はからからと笑った。
「おれの勝ちじゃ。五十九と出た。
「いや、もう一つあろう。」
「いつわりをいうな。」
「おれも淀の大九郎ときこえた男だ。博奕にいつわりはいわぬ。たしかに丁と出た。」
「ばかな。何度かぞえても、五十九は五十九じゃ。きのどくだが、六十には一つ
たらぬぞ。」
「その一つに、うぬが死ぬ。」
みじかい白刃の光がはしって、年かさの男は死骸のあいだに吸いこまれるよう
にたおれた。その太刀はすでにわかものの手にわたっていた。
漢字の方「修羅」より ひらがな多いな。
とにかく書く 日記らしき代物は今まで何冊か書いたが気恥ずかしくなつてその
其の度に捨ててしまつた 其の理由は文字が下手 気分一新の気になつて と
つまらぬ事で 等々 1987年正月 72才になり再び書き始める 後30年余書く予定
となると100才を越へる 其の時は革新政府が出来て老人が暮しよくなる 今の
私の希望でもあり 日本人民の希望と書きたいが 現在の日本人 古い皇国史観
による教育の根が未だ枯れていないから 後は書かない 否書く力がない 私と
しては革新政府の出現まで生きる予定
祖父の日記より 1987年元旦
俺は女優になります。
国際的大スターになります。
そして、
世界初生中継映画で、
チンコ出します。
嘘。
リサイクルブックフェアの一光景
一人十冊まで貰える。文庫本は二冊で一冊と勘定。
メガネ、髪型、ファッションに気を使わず、脂っこい髪にフケが浮いている、いかにも
な男が、ボストンバッグにめいいっぱい本を詰め込む詰め込む、手当たり次第で、
ゆうに300冊は入れていたか。係の人に一応報せようとも思ったが、あまりにばれ
ばれで、既に目を付けられていた。何より心中で爆笑。
隅に引っぱって行かれた彼、
「いや、入る時にそんなことは」
「一人十冊まで、と」
「でもね、私が持ってきた分は」
「だからもうそれは」
ちらほら聞こえる会話から推測するに、何冊でも持っていっていいと思った→
とったものは返す→しかし元々鞄の中には73冊入っていたのだ(この数字、なん
だか「2000回の図書館」に通じるな)。その分は返してもらわないと→もう全部
戻した? それじゃあ私の元々持っていた分はどうなるんです?
という流れらしい。証拠はないなあ。まあ後でどう折り合いつけたかは知らん。
こっちも忙しい。
家族総動員するつもりが、都合ついたのは父のみ。それでも、文庫二冊で一冊
なんて扱いでは手に余り、勿論不正することなくほくほく顔で帰り道。
「取り替え子」だけが悔やまれる。
新聞の一面、右上半分に飛行機三機炎上の写真。墜落原因はそれぞれバラ
バラで、隕石追突、乱気流に巻き込まれ、もう一つはよく確認出来ないが、多分
テロ。
左上半分にアフガン関係の記事。
右下、ヤナギダイゲンさんの帰国写真。日本人離れというより、人間離れした顔。
垢らしきもので覆われた顔に、アサハラショウコウに似た目鼻が、垢の上に付いて
いる。「これでは捕まっても詮無いことだ」と納得。
左下、「『今まさに歴史の舞台にいるのだと』と公式発表を差し控え」と、小泉首相
がどうのうこうの。
新聞だけの夢も珍しい。
「便所にタンを吐くと、便所の神さんが汚いといって怒りますねえ、こりゃ当たり前
のことですよ」
野坂昭如が聞いた深沢七郎の言葉。
まくらおとし=「極楽まくらおとし図」の中に出てくる、死にかけの老人の頭に枕を
押しつけて殺す、安楽死っぽい儀式。
以下 色川武大「深沢さんと自然の理」(『ばれてもともと』収録)より
数年前に雑誌の対談でお目にかかった折りに、『極楽まくらおとし図』の話に
なって、"まくらおとし"って言葉は実際にあるんですか、という私の質問に対する
お答えが、印象的だった。今その一節を写しとってみる。
深沢 ええ。場小夜言っちゃ悪いけど、山梨にね、中学生の頃かな、「死にや
した、まくらおとしでごえすよ」っておふくろがいうからね、「まくらおとしって何でえ」
って聞いたら、「なかなか息を引き取らないときに、枕を外せば息を引き取る」って
おっかさんが言うの。だけどそれをしてくれた人が、垣根なんか結ってくれる人
でね、「そんなこんじゃ死にやせんよ」って言うから、「じゃ、枕をポーンと蹴とばす
んですか」って聞いたら、「いや、そんなことで死ぬもんですか」それでその人が
垣根んとこで、「七郎さん、まくらおとしってのはね、こうだよ」って教えてくれてね。
同上
深沢七郎さんは、私にとって、なんというのか、小説家というものを身近に思え
た最初の人だった。こういう書き方があるのならば、私だって虚仮の一念に徹す
れば何か書けるかもしれないと思えた。同時にまた頼りなく遠い存在でもあって、
どうあがいたってこの人に近づき追い越すのは無理だと思えた。『楢山節考』と
いう作品はそれほどまばゆく見えた。深沢さんと々新人賞が取りたくて、それから
何年か後に、はじめてその懸賞に応募した。それが幸運に恵まれて受賞しなかっ
たら、つまり深沢さんの存在がなかったら、私はまだ他のことをあれこれやって
いただろう。
1987.8.5 渋澤龍彦死去 享年56歳
1987.8.18 深沢七郎死去 享年73歳
1989.4.3 色川武大死去 享年60歳
澁澤龍彦の享年は59歳の間違い。
875 :艦載陣 :01/11/17 20:28
私:「今って毎日何してんの?」
A:「研究室休んでこれやってる。」
私:「いつから?」
A:「テロ事件が起こった次の日にお告げを聞いて、教会に行ってきて〜」
私:「お告げってのはあんたの意志やろ?」
A:「いや、お告げが聞こえんねん。」
私:「自分の意見にしたくないからお告げのせいにしてんねん。
頭の中で喋ってんのは全部あんたの意志や。
二つの意見が喧嘩してて、その間で迷ってるやつがいたとしたら
それは3人ともあんた自身や。行けって言うのも行くなって言うのも
実際に行くのも全部あんたや。そんなところで誤魔化すな。」
A:「行くのは俺の意志やけど、何かに突き動かされてんねん。」
私:「突き動かしてんのは自分の意志や。心理学に“投影”っていう
言葉があんの知ってるか?」
A:「いや、知らん。」
私:「この言葉好きやねんけどな。自分の嫌いな人がいたら、
『あいつは俺のこと嫌いなんや』って思い込むことで、自分は相手のことが
嫌いっていうのを誤魔化すってやつや。
そうやって全部他人のせいにして誤魔化していくんや。」
A:「人間っていうのはそういうもんかもしれんな。」
私:「“人間”じゃなくて、あんた自身がそうなんや。」
私:「これから先は?」
A:「今年一杯はこれやって、来年から研究室に戻ろかなと。」
私:「なんで今もどらへんねん?」
A:「なんでって、今はこれをしたいし。」
私:「一生続けるつもりある?」
A:「いや、ないけど。」
私:「ないんやったら今、研究室に戻れ。」
A:「でも今はこれをしたいねん。」
私:「ゎιな、いつも自分のしたいことしかせえへんねん。」
A:「じゃぁええやん。」
私:「でも、一生続けてもええっていうものしかやらんようにしてんねん。」
A:「そんなあほな。」
私:「前、絵を描くのが好きやってん。コンピュータグラフィックってやつな。
それで飯喰っていこうって思ったこともあったんや。
けど、ほんまにそれで飯喰って行くのは自分には無理やって分かってん。
っていうか、ただ単に現実から逃げてるだけやってん。
それが分かってからサックリやめたよ。」
A:「・・・。」
私:「アメリカかどっかの小説家が言うとったらしいねんけどな
文章書きたいと思ったらとりあえずペンを机の上に置くねんて。
『今、ペンを捨てたら生きていかれへん』って思ったら一生書くねん。
『ペン捨てても生きていける』って思ったら捨てるねんて。」
クサい、クサすぎる。。。
艦載陣氏スレより無断転載。
たまたま通りかかったバザーにて、鞄二つ、タートルネックのシャツ、ジャンパー、
書く100円にて購入。どれも新品同様に見えて、おかしいところはない。大きめの
サイズが少ないのは仕方ない。しかしまともに買えば全部で25000円以上しそうな
ものだが、何故100円か。嬉しいけどね。
「猫はあなたに文学の素材を提供するために死んだのです」と言った鬼畜生が
いたので交際を断った。「前向き」に生きて「傷をばねにして」、「輝く」だと、いらん
よそんなもん。輝くために生きとらんよ「自分の身の上に発生した」、「ありがちだ
が切実な失望と折り合いをつけて」、「景色を見ながらちゃんと老けていくため」
に暮らしとるんだよ。そんなブンガクだから小市民で幻想小説で観念的で市井の
風景で「東京」で「国家」で「神話」で「土地問題」だよ「おおんなのるさんちまんの
ほんかふふふんふふん」だよ。そうかそうか死に対してなら前向きになっとるのか。
言わずもがなの人「生きているのかでででのでんでん虫よ」より
猫がいなくなって髪の何分の一かが白髪になった。父親は私が二浪していた
時に半白髪になった。老化の始まりだ。「猫と子供を比べるな」だと、猫と比べな
かったらうるさい餓鬼なんか死ね、と思うだろうよ。前の猫が私に人を殺しては
いかん、と教え、人間はアワレなもんだと教えたのだ。ネコのキャトと一緒に歩く
だけで世界は前に進んで、キャトに添っている私は「選ばれた信者」だった。「猫を
書けないから文学は負けた」か「キビシイ現実の前に文章は無力だ」さようですか、
「いくらブンガクでも実際には親も殺せないし幼女殺せないし、ドストエフスキーと
志賀直哉とスティーブン・キング読んでいる時に頭に飛行機が落ちてきて死んじゃっ
たら文学は無力」ですか「ガンの特効薬で治った患者が自殺しちゃったから」ガン
の特効薬は無力ですか。「オウムM崎の前にブンガクは無力」って「オウムM崎は
ブンガクがなかったから無力」という意味ではないんですよね。「ためになっておも
しろい物語」の分厚い本が頭に落ちてきてそれで死んだら「おもしろくってために
なる」もきっと無力なんだろうな。今年のゴールディンウィークも新宿二丁目は地方
からの客でいっぱいだったと聞いたぞ。十億円のサツタバが頭に落ちて来て脳
主要で死んだら「お金では何も買えない」という「教訓」が得られるのだな、「無力
な赤ん坊の前では無力は無力です」だってさ。そしたら「無力なのはお前だよ」
だって。そうだよ。私別にブンガクやありませんものただの「ブンガクのツマ」です
もん。でも別に「結婚出来た」からって威張ったりしない。
同上。
昨日も0時過ぎにうまく繋がらなくなったな。
いつの間にか、「ならなくに」がどんどん迫って来た。半透明の、薄緑がかった
刺身のようなその体の中で海老の背綿のようにくろずんだ細かい、「ならなくに」
のエッセンスがぞろりんぞろりんと動いていた。その中で「別に」がどんどん調子
づいた。私は少しうろたえた。私の回りをぐるぐる回る、「別に」にていねいに言った。
同じ人「虎の襖を、ってはならなに」より
「・・・・・・ええか・・・・・・よく聞け・・・・・・軍医の学問の第一として教えられることは自傷
(ゼルウー)の鑑別方法(みわけかた)である。戦場から退却(しりぞ)きたさに、
自分自身で作る卑怯な傷の診察し方である。吾儕(われわれ)軍医はこれを自傷
(セルプスト・ウンデ)略してS・W(ゼル・ウー)と名付けている。すなわちS・Wの特徴
は生命に別状のない手や足に多いことである。そんなところを戦友に射撃しても
らったり、自分で射撃したりして作った傷は、距離が近いために貫通創の付近に
火傷ができる。火薬の燃え粕が黒いポツポツとなって沁み込んでいることもある。
・・・・・・さもなくとも仏軍の弾丸とわが軍の弾丸は尖頭の形が違うために傷口の
状況が、一目でわかるほど違っている。口径の違うピストルの傷はなおさら、明瞭
である。塹壕の外に故意(わざ)と足を投げ出したり、手を突出したりして受けた
負傷と、銃身を構えて前進しながら受けた傷とは三歳児でも区別できることを汝等
は知らんのか。それくらいの自傷がわからなくて軍医がつとまると思うのか、そんな
卑怯な、横着な傷に吾儕軍医が欺かれて、いちいち鉄十字勲章と年金を支給され
るようにわれわれが取り計らっていったならば、国家の前進ははたしてドウなると
思っているのか。常識で考えてもわかることだ・・・・・・仮病。詐病。佯狂。そのほか
何でも兵隊が自分自身で作り出した肉体の故障なれば、一目でわかるように
看護卒の端々までも仕込まれているのだぞ・・・・・・おれたちは・・・・・・」
久作「戦場」より
「梨の木」 田村隆一
第一次世界大戦後
新潟小千谷(おぢや)の超自然主義者が呟いた
「梨の木が曲がりくねっている」
第二次世界大戦後
痩せた青年が叫んだ
「梨の木が裂けた」
白い花も咲かせず
果実もみのらせず
世界は内戦と動乱の蟻の塔になり
死者だけが飢えと血を栄養にして
蟻の群れだけが
聖なる秩序のなかで走りつづけている
老マアレイはドアの飢えの釘のように死にきっていた。
よく聞いていただきたい。私は何も自分の知識をひけらかして、ドアの釘を死んだ
ものの見本として出しているのではない。私一個人の考としては、商品として店に
出ている金物のうちでは棺桶の釘こそは一番完全に死んでいるものだと言いたい
ところである。然し、元来この比喩は我々の祖先の崎の智慧から生れ出たもので
ある異常、私の不浄の手でこれを変えるべきではない。そんなことをしたら、この
国の秩序が乱れてしまう。それゆえに、みなさんも、私が語気を強めて、マアレイ
は戸の釘の如くに死に切っていると繰返すのをお許し願いたい。
モビー「クリスマス・カロル」(村岡花子訳)より
サボリすぎ。
というか、誰も立ててくれんね。
加藤鷹が人類を滅ぼす
名前: チンポコ
E-mail:
内容:
AV撮影中の事故で中出ししてしまい、女優が妊娠、「産むわ」と言い張り
引退、これはよくあることです。
ある時加藤鷹でこれが起こり、そこでAV界を牛耳る大物が閃きました。
「加藤鷹とAV女優の子供なら、すごい奴がきっと生まれる」
そうして次世代性交超人を量産するために、加藤鷹とAV女優が生で交わっ
て大勢の女優が引退します。
同時期に各国のその手の産業で同じことが行われます。
しかしその子供達が成人に達する頃には、世界は超管理社会となり、AV
などというものは不埒とされて消滅しています。
性交超人たちはゲリラ性交を展開し、持っていきどころのない力をあり
余していた人類に活力を与え、シンパを増やし、政府が転覆します。
ところが、性交超人達の性交があまりにすごいために、一般人に求め
られすぎて、性交超人達はその多忙さが嫌になり、一般人を全て虚勢、
性交超人のみによる社会を作ろうとします。が、同族結婚が重なり弱く
なってしまったところへ巨大隕石が降ってきて地球が壊れて人類が滅び
ます。
パンチョマンが・・・ブレイクしてしまいそうだ(大半は自分のせいだけど)。
──ぼくの家は猫屋敷になってしまった。縁側を、三匹五匹、猫たちが思い思い
に歩いている。竈(かまど)の火の廻りには時に蝟集していて、彼等は火に関心を
押さえることができない。
ブチのような、はしこそうな顔をした奴が居て、冒険心を発揮して竈の中に入って
いく。彼は煙りのように烈しく息を吐き散らしながら火の中にうずくまる。お尻のあた
りが、練炭のように点火して赤くなっている。それを見て我れも我れもと猫たちは
入っていった。
ブチが腹のあたりまで赤く焼けただれて出てくる。彼は昂奮したようにあたりを
眺め、流しのタイルの所にうずくまった。彼の身体から蒸気が立ち昇った。
──竈のまわりに猫たちが頭だけになって重なり合っている。彼等は総じて、
暖かく、睦じそうにしている。
──布団のへりに猿が二匹腰かけていて、パーティに誘ってくれる。で、とりあえ
ず、ぼくは彼等と一緒に押入れに入っていった。が、パーティでどんなことをしたか
記憶にない。
──猿はぼくに、押入れを勝手にあけるなという。ここは彼等の土地なのだそうな。
いや、ここは誰の土地でもないんだ、とぼくはいった。だからお互いに規制するこ
とはないよ。でたらめにやろう。
じゃ、戦争ですな、と猿はいう。
それより、お互いにうまくでたらめをしたり、我慢したり、すればいい。
じゃ、きまった、戦争だ、と猿。
──布団の端に猿たちが居て、てんでに土器(かわらけ)のようなものをぼくに
投げつけてくる。彼等はとても楽しそうだ。巨きな猿が出てきて彼等をたしなめ、
非常に正確な投球で投げ始める。土器がぼくの鼻柱に続けざまに当る。
──ぼくは路上で猫を一匹叩き殺した。棒切でぶん殴ったら、四肢をすぼめて
ひっくり返ったのだ。ぼくはその猫を溝の中に落しこんだ。けれども他の猫たちは
知らん顔。
色川武大「ぼくの猫 ぼくの猿」より
あと、言わずもがなの人が「幽界森娘異聞」で泉鏡花賞受賞。当然獲るもので
あった賞では、ある。
「なんでもないのよ、おじいちゃん」
「そっちへ行くよ」
私は父親の肩を軽く支えながら、隣り棟に戻った。
父親は、彼の定座に倒れるように座った。
「隣りの夫婦を呼べ」
「もう寝るだろう。あっちは朝が早いからね」
「つべこべいわずに、呼べ」
私は仕方なく、弟たちを呼んできた。
父親は方針したようにテレビを眺めていた。私たちがそれぞれの座についても、
何もいわない。
「皆集まったよ」
「そうか──と父親は打ってかわった弱い声でいった。「熊がな、庭に入ってきて
いる。皆で探せ」
「熊、か──」
私たちはむしろ望んだように立ちあがり、三人連れだって庭に出た。そうして冷
たい夜空を眺めた。
色川武大「百」より
いや、手強いのでパス。
「南半球からの手紙」 田村隆一
詩人の吉増剛造君から
絵はがきがきた
ラテン・アメリカの人工都市
まわりが砂漠で
海水浴には飛行機で行きます
ブラジル人のツマは一日に牛肉を四キロ喰べ
カーニバルには
そのエネルギーで一晩中サンバを踊りまくります
子どもが四人
ダリとピカソとミロとクレーという名前で
妻は毎年産むのです
ぼくたちは貧乏なのでアパートの南側にしか住めません
日本は秋ですか 秋風がなつかしい
サンバよりサンマが恋しい
こちらはやっと春めいてきました
ではお元気で
P・S じつは妻は猫でして。
壁が崩壊し、その向こうに自由の裸の姿が立ちはだかったとき、東側の人々は
その裸体のなまめかしさに耐えられず、西側の人々はその顔の人間らしさに
耐えられなかった。
エリクソン「Xのアーチ」より
読み始めれば早いね。
刺さったナイフは心臓をあっさりと貫き、女は死に、「私は殺されたのね」と弱々
しく呟いた。
「早く白状しないから悪いんだ」私はナイフを引き抜き血を女のスカートの裾で拭い、
何だか煩わしくなったのでスカートを破り裂いてベッドに寝ころび、胸に付いた返り
血も落としながら、女の方は見ずに耳だけ傾けていた。
「知らないことは答えられないし、仮に知ってたとしても、私がそれを口に出す前に
あなたはやっぱり私を殺していたと思うわ」女の下着は赤く染まり、床に垂れた血
はその上にある死体を朧に映し、滴に揺れる水面では口先だけが軽く動いていた。
「俺はあんたを知っちゃいないし、あんたも俺のことを、俺の両親や親友の名前、
俺の出身校、昔思い描いていた夢、他いろいろ、何も知っちゃいない。殺された
から相手のことは手に取るように分かる、みたいな、処女捨てたてのガキみたいな
ことを言うのはやめてくれ。あんたが死んで残されたのは俺の掃除の労苦だけだ」
「死んでしまったからね。何を言っても、もうこれ以上殺されることはないと分かって
いるから、いくら責められても、怖くはないわ」
「じゃあ今すぐあんたを捨てに行くよ」
アパート管理人は、大量に血を垂らし、色も青黒くなり、明らかに死体と分かる
女を私が担いで通る時に、いつも通り何も言えず、いつも通り慌てた素振りも見せ
なかった。「あの人は建物だけを」「そうさ」海に捨てるのはもう誰かがやっている。
バス亭の灰皿の横の小さなゴミ箱に女の片足を入れ、後は放り出すと、女は申し
訳なさそうにバスを待つ老婆に頭を下げたが、ゴミに挨拶を返す理由もないのだろ
う、少ししてバスが来ると、乗り込んで行ってしまった。
ベランダから見えるバス亭で女が来る人来る人に頭を下げているのをしばらく
眺めていたが、死体にそれ以上のことは出来ないし、ゴミを助け上げる奇特な人も
町内にはいなかった。翌日、清掃業者に持っていかれたのか、女はいなくなって
おり、乾いた血は思ったより拭き取るが楽だったがそれでも昼までかかり、バイト
に遅れた理由を思い付くことが出来ず、昼飯は諦めることになってしまった。
昨日になるけど、親父の誕生日。
ギャラリーフェイク23巻
「説教臭さ」か。あるいはLOVE、人情。どれも求めてるものとは違うのだけれど。
こう、「興味を持つような取り上げ方」だから、惰性も認めるし。でも後で結構役に
立つし(考証とか知識とかではなくて、好奇心の対象範囲拡大時に)。
バカとゴッホ二巻
連載時に感じたパワーは落ちてなかった。青臭くとも、良いものは良い。(それに
してはコッミクス購入までにえらく間が開いたけれど)。
同時収録の読み切りも、画家、漫画家志望者には、熱くさせるものが(しかしへぼ
やんは今死に体である)。
「その手で君は発明をするんだな」
「おれのう。街を歩いていると、石に躓いてぶっ倒れたんです。そしたら横を通って
いた電車の下っ腹から、火の噴いてるのが見えたんですよ。それから、家へ帰って、
ラジオを点けようと思って、スイッチをひねったところが、ぼっと鳴って、そのまま
何の音も聞えないんです。それで、電車の火と、ラジオのぼっといっただけの音
とを結びつけてみて、考え出したのですよ。それが僕の光線です」
横光利一「微笑」より
この話の本当にいいところはこんな部分じゃないのだが。すごく眠い。
これは眠い。すごく眠い。頭がボーっとしすぎてる。ほんとに眠気か? 何もして
ないのに半ラリだ。窓開けた。顎殴った。頭痛い。ちょっと治った。
激怒した所長は、彼の土牢のドアのまえに見張所を設け、罰としてパンと水だけ
しか与えなかった。正午頃、囚人は刑務所の隣りのレストランへ昼食を食べに出
かけ、コーヒーを飲みおわってから、所長へ電話をかけた。
「もしもし! 所長さん、おそれいりますけどね、つい先ほど外へ出がけに、あなた
の財布を持ってくるのを忘れたんですよ。だからいまレストランで足どめをくらって
るんです。すみませんけど、だれか人をよこして勘定のほうを片づけてくれませ
んか?」
マルセル・エーメ「壁抜け男」中村真一郎訳 より
ほら浮いてる。
何が未発表バージョンだ! てめえの下手なカラオケじゃねえか!
しかし、残念なことに梶はこのとき、続いた汽車旅で疲労が激しかった。それに
来てみたものの、一人の知人さえいるわけではなく、どこに何があるかも分らず、
言葉も知らなければこの地の歴史さえ不案内だった。蒙古のことをモンゴロワと
いい、モンゴロワをフォンゴロワと読み、フォンゴロワをフォンガラワ、それをまた
転じてハンガリヤと化して来ている唇の作用から考えると、あるいはここもまた、
十二世紀以来東洋の草原の英雄が、黄旗を押し立てて流れ襲って来たところかも
しれなかった、見たところ、通って来た街のここかしこの人人の様子も、どこも西洋
と変らなかった。
横光利一「罌粟の中」より
アメフラシ→アナルフェチ より無茶です。
こう云ってからヨハンは、橋の袂に蹲っている大きな獅子の彫刻を指差し、この
口を開けた獅子に舌のないことを云ってから、橋の開通式に見物が押しかけたとき、
「みなのものはこの獅子には舌がないと云って、笑いました。そうしますと、その
彫刻家は自殺しました」
と話した。ヨハンの口調は童話じみた明るい単純な響きをもっていたので、梶も
思わず笑い出した。が、その明るさの下に抱いた底知れぬ話の淵を覗くと、何か
あるぞっとした恐怖を覚え、
「どうして自殺したのです」
と愚かな質問をしてしまった。
「どうしてでありましょうか」
とヨハンはでっぷりとした腹部を揺りつつ、赧顔をなおからからと笑わせて一人
先に橋を渡っていくのだった。
そのヨハンの謎めく豪快な笑い声と、舌を落した間のぬけた感じの獅子との対象
が、何となく梶には痛快な人間諷刺の絵を見ている思いで、幾度も振り向き獅子
の傍から去りがたかった。
同上。
「大九郎」とやら、おもいは叶ったか。」
「この世に人間とうまれた身のしあわせを、今はじめてあじわった。みちたりて、
いうことはない。
「さらば・・・・・・」
「何という。」
「死ね。」
かの懐剣、抜きはなって、ただ一突き。地にたおれた大九郎の胸に白刃を刺し
のこしたまま、胡麻は立ちあがって、ひややかに見下しながら、
「これが恋というものか。」
漢字の方「修羅」より
昭如は自分が生き過ぎていることに気付いていた。自分が生き過ぎるべき人間
ではなかったことにも気付いていた。しかし自分は生き過ぎる程度でしか自分を
生き長らえることが出来ないということも知っていたし、事実それ以外には自分が
生き続けている理由が思い浮かばなかった。
「あなたはもっと生きているべきだった。いや、もっと書くべきだった。たとえ人が
何人死のうとも、あなたは書き続けるべきだったし。やはり、死ぬのも早すぎた」
対面の深沢七郎に、いささか不躾ではあるとは思いながらも、こう云わずには
おれなかった。深沢は驚く風もなく、にこやかに笑みをたたえながら4ピンを切った。
「誰であれ、死んだ人はやっぱ人間だったからねえ。まあそれにともかく、私は
皆さんと違って、ほら、教養とか、こう、いろいろ足りなかったから、書け書けと
云われたって、元々そんなに書ける人間じゃあなかったのさ」
それは自嘲でもなく、素直な気持ちの現れであり、昭如に対する嫌味な気持ちも
全く含まれてはいないことがはっきりと感じられた。だから、だからこそ昭如には、
「だから」
声が出た。
「だから、そんなあなただからこそ」
後はうまく続けることが出来なかった。よく見ずに切った3ソウで色川武大が
あがった。ダマテンタンヤオ三色であった。
「嫌嫌っつたってなあ、死んじまうもんだから。人間ってのは」
点棒を受け取りつつ今日は調子の良い色川は答えた。
「今日はあなた眠りませんね。病気治ったのかな?」
深沢はやはり無邪気に尋ねる。
「あちゃあ、忘れてたのにねえ、今ので思い出しちゃった」
「悪いことをしたかな」
「でもそのうち思い出すことだから。気にしないでください」
あなたもだ。あなたもあんなに早く死ぬべき人では、なのにあなたは、と昭如は
いつしか自分を恥ずかしく思い始め、もう何を口に出しても自分の卑小さが露わに
なってしまうだけだと悟り口を閉ざした。その後色川が何度か眠りに落ちたので
彼の勝っていた分も減っていき、結局勝ったのは終始無口の谷崎潤一郎であった。
「そういや今日のメンバーは稲垣さんて聞いてたんだけど」
「あの人、谷崎さんが居るってんで『そいつは嫌だ』ってんで来ないんですよ」
アハハ、と深沢と色川が笑い合い、次に谷崎が昭如に始めて口をきいた。
「もがきつつ生き残ることは悪いことでも何でもないですよ、野坂さん。忘れられる
ことも悲しいですが、忘れ去られることはなくとも、ただ名が在る、在ったというだけ
というのでは、生きた甲斐もなくなってしまうんじゃないでしょうか」
「貴方にはそんな心配は」
と言いかけて昭如は止まってしまった。谷崎の目が自分に似ているように見えた。
それは自分には何もないという、いや、空洞だけが「在る」というような、虚飾の虚し
さと自己偏愛露出狂の結果、削ぎ落とされた本質の偽物臭さが見えたような、だが
それは谷崎の瞳に映った昭如の顔に刻まれた烙印である。
「貴方はそんなことはない」
それは本心だ。
谷崎は、実際に童心に還っているのであろう、子供のような寝顔を浮かべて楽し
そうに寝入っている深沢と色川に目を向けた。
「私たちは彼等のようにはなりようがないんだ」
なれようが
ERROR:スレッド立てすぎです。。。
セロハンテープについて七時間語れる彼女
名前: 超激裏名無しさん
E-mail:
内容:
欲しい。いや欲しくない。でもやっぱり彼女は欲しい。でもセロハン
テープは欲しくない。でも彼女はセロハンテープの事しか語れない。
でもセロハンテープについてこっちは無知。だから語られるのも結構
楽しいのかもしれない。でも毎日七時間はつらくないだろうか。でも
彼女が好きならその時間だって苦にはならないかもしれない。でもセロ
ハンテープについてこっちも勉強したらどうだろう。「〜のメーカーは
くっつきが悪いよねえ」「そうそうあそこは戦前は『消費者が望む粘着
性を』がモットーだったんだけど、戦中の物資不足の中で妥協した部分
を残したまんま社長が代替わりしたもんだから」とか話が弾むかもしれ
ないし。でもあまりこっちのセロハンテープについての思想は彼女に
打ち明けない方が、きっといいと思う。思想的対立で別れる二人は多い
し、触れられないで済むことには触れない方が楽なのだ。臆病かもしれ
ないが、そんなことは気にならないほど失いたくない彼女なのだから。
ならばやっぱり最初からセロハンテープについて知識を得ることはやめ
た方が良いのだろうか。そもそもそんな人はどこにもいないのだ。
ええい
なれるはずが
なることが
違う人間なんだ
かなり自分に腹を立てていたのだけれど、元服スレでうんこうんこちんぽーんの
ことを書いていたら気が紛れた。
文革経ても生きてるぜ 儒〜
家まであと五百メートルほどの距離から坂道が始まり、それは自転車に乗りな
がら登ると少し疲れるという程度のものなのだが、帰宅間際に少し汗をかくという
のも嫌なので、いつも自転車から降りて歩くことにしている。
坂の始点近くにある空地はどこぞの誰かが所有しているものと思われるのは、
子供なら隠れられるくらいに伸びた雑草群が偶に刈り取られているからだ。だが、
雑草が茂っていようとそうでなかろうと、この空地にはいつも、横の道を通る人々の
投げ捨てたゴミが散乱し、この地の性格と小さな歴史を垣間見せる。
こんな句がある。
──空き地にて アダルトビデオの 空箱が 「俺が俺が」と自己を 喚いて──
中学生くらいの男がアダルトビデオを購入した場合、その派手に女優の裸体を
アピールする箱のために置き場所に戸惑い、中身を抜き取りあとを捨てるという、
よくある行為の結果、空地に投げ捨てられた空箱が喚く姿を詠んだものである。
だが所詮はアダルトビデオの空箱ゆえ、「俺が」「俺が」ということ以外術を知らぬ、
そもそも「俺が」という言葉自体理解して喋っているのか疑わしい。大体奴等に口
はない。
読解の正誤は知らず。そもそも空地にこの句が記されていた紙が無数に落ちて
おり、翌日には綺麗さっぱりなくなっていた事実こそが、アダルトビデオの空箱の
自己主張、「俺が」「俺が」の実態であったかもしれない。
アダルトビデオの空箱はこの空地に限らず、駅前バス亭脇の花壇の植え込み、
産業道路脇の林の入り口、公園のベンチの下などでよく見かけることがある。コン
クリートの歩道の真ん中にでんと居座っているのは見たことがない。どうやら自然
相性が良いらしい。商品化された性交映像記録という重要な中身を失った空箱は、
たまたま手にとった男子小学生に不可解な興奮を覚えさせる以外には何の役にも
立たない代物である。自らの無意味さを悟った空箱共は死に場所を求めて、結果
土や草木のある場所へと逃れるのであろう。
空地からしばらく行くと割と大きな平屋の一軒家があり、家と歩道を隔てている
のは壁ではなく植木であり、泥棒など容易く侵入出来てしまうのではないかと他人
の私が心配してしまうのだが、玄関とパーキング周辺の警備は非常に厳重に逞し
く備えてあり、入り口やや高めに置かれてある赤外線センサーには、もし私がその
家に用事があり正規に尋ねた場合であっても、私の身長に引っ掛かって警備会社
を呼ぶかと思われた。しかしここで重要なのはこの家のことではない。
歩道、溝、植木と並び、歩道を歩く私が脇を見ると、家の庭の端になる植え込みの
下に、暑い時分だと犬がだらけた体で転がっている。この家の飼い犬と思われる。
綱・鎖等には繋がれていないらしく、涼しい場所を求めて這い回るのであろう。初め
て見た時は死んでいるのかと思い、小石を投げてみようと思ったがやめ、帰宅後
やはり投げておけばよかったと悔やんだが、翌日から毎日犬は寝そべっており、
時折目が合うこともあるので、心配は無用であった。
そして猫になる。犬が寝る家からまた先に進み無農薬野菜で作る健康的なメニュ
ーが売りの、いつ見ても老人仲良しグループ、主婦仲良しグループ、親族眷属ば
かりが居るように見える、若い人の姿を見かけたことはない喫茶店を斜めに見て
すぐの五階だて集合住宅の入り口周辺に広がる白いコンクリートの平面、猫の
溜まり場らしく、猫には詳しくないので他と比べてどうなのは知らないが、それでも
やはり大きめに思える、黒い猫がいつも居る。日が暮れて辺りが暗い時など、
ゴミか何かだと思っていたものが急に眼光を放ったり動いたりするので驚かされる。
付近の住民に餌を与えられている野良か、飼い猫なのかはいまだ知らない。また、
その区別は猫に関してはあまり意味もないだろうと思う。ただ無防備に寝転がる
姿などを見ると野性味は感じられず、先程の犬と同程度の、所詮はけだもので
あると思わされる。同種と見える子猫を見た時もあったが、いつのまにかいなくなった。
いや、子猫親猫と同じ大きさに成長する時間などあっというまだろうから、すると、
いつも見る黒い猫は、親子数匹が適当に散策しているところの一匹に、出会って
いるというだけのことかもしれない。何しろこちらからは、いつも見ている猫がいつも
同じ猫であると、知る術はないのだ。勿論犬についても同様で、そもそも飼われて
などいなくて、野良が滑り込みやすい場所に滑り込んで涼んでいるだけかもしれない。
それを眺める私は、私一人であると言い切ることが出来るだろうか。空地は、
いつだって一つの平凡な空地であるのだろうか。いつも通るのにもかからわず、
足を踏み入れたこともないし、犬や猫に触れたこともない(もっとも、猫には触れ
ようとしたことはあるが逃げられた)。
人間風に呼ぶなら「阿吉」でもよいがあまりにそのままなのは気乗りがせず、
ではその存在内容から名付けて「空」「空虚」「虚無」「無間」「廃地」なども思い
ついたが、どれも既に見たことのあるような気がして、かといって「ジェニファー」
「オーデーン」「フルシチョフ」なども気が進まない。大陸的な、というより陸地的な
漢字が良い。ということで「吾嬬」と自分を名付けたのは三十年前、どうしてそれ
まで名を持とうとしなかったのか、不思議に思っていたのだが近頃猫の音王に
教えられて合点がいった。どうやら我々地面という奴は成長が極端に遅い種で
ある為、自我を持つのに相当の年月を要し、その為、あのちっぽけな人間共に
いいように荒らし回られながらも復讐することが出来なかったらしい。もっとも、
最近では人間を吸い込んだり迷わせたり狂わせたりと、そういったことをやり始め
た連中もいるそうだが、俺はまだ未熟者で、せいぜいが地元の小動物達と会話を
交わす程度しか出来ない。だがそれでも悶々と苛立ったり、空に悪口雑言を喚い
たりしないのは、他の地面よりもかなり恵まれている今の環境のためである。
田紳有楽と一千一秒物語さえあればしばらく何もいらん。
最後に腹の上に家が居たのは7年前のことである。ちなみに空を向いている地面
は腹であり、マンボウの昼寝のようなものと考えてもらえばいい、いや、マンボウは
正面から見れば細いのであるし、魚類と地面とを一緒くたにしても、お互い会うこと
はなさそうなのでどうも違和感があり気持ち良くないのだが、とにかく腹の上に草
が生えビルが立つものと、そう考えてもらえばいい。
最後の一家は穏やかに死んでいく家で、老人二人には広すぎる家で喋るのは
テレビのみ。お互い耳が遠くなり、会話を交わすことのなかったので、婆が死んだ
日にも爺はそのことに三日気が付かなかった。揺り起こす者が来ないのでまだ
朝ではないと思い、寝床から動かなかったせいである。
地面である限りは、力いっぱい子供に走り廻られたり、池という臍を開けられ
くすぐったいながらも魚達の泳ぎを肌で感じるなどということもしたくないわけでは
なかったが、老家以前、出鱈目な百姓に季節感も相性も無視してやたらとごった
煮の野菜畑として日々掘り起こされていた時を思うとましだったかもしれない。しか
しその百姓にしたって、地面を嫌うためにそのようにしているのではなく、幸せに、
どうにかして裕福に、楽しく暮していきたいと願うもののその実現の仕方を知らな
かったからであり、愛すべき馬鹿者であったことは疑いようがない。
余所では虐待されるだけならまだしも、粉々に擂り潰されて、自我の持ちようの
ないまでに殺された者も多いそうだ。俺もいずれそうなるかもしれないし、隣りで
コンクリートを引っ被って年中車に轢かれている奴とは距離だけでなく運命も近
そうだ。
毎日俺を横目で見ていく人間がいる。俺の上には何もないというのに。何もない
から見ていくのか、何かを見ているつもりで見ているのか、何を見ようとしているの
か、それは知らない。俺の上では時折おかしなことが起こるのだが、その人間は
足を踏み入れようとはしないのでそれらを見ることも少ない。たとえば260年前に
この地でのたれ死にした俳人は今でも時々一句詠む。それは現代の言葉で現代
の風俗や出来事を詠ったもので、俺が感じることの出来ない底の方にいるのか、
あるいは目の前に居続けているけれど俺が未熟者だから感じることが出来ないの
かは分からないが、一句記された紙が俺の上に落ち、その数は俳人の気合いに
よって差が出るのか、一枚の時もあれば数百枚に及ぶこともある。この間景気の
良い一句が散らばった時には例の人間も手にとってみたようだ。だが俺にはその
良し悪しを判断出来るほどの教養はないし、そもそも何かを面白いとかつまらない
とか思う感覚も俺にはまだ出来上がってないと見える。俺は何歳になるのだろう。
俺の上に投げ捨てられたゴミ達が怒ったり悲しんだりしているのは分かるのだが、
何故その感情に支配されているかという部分になるとさっぱり理解出来ない。ただ、
「ああ、あるなあ」と、それだけだ。何もなければ何も思わないのだろうから、違いは
はっきりとしているが、その違いはどこがどう違うかとなると、またよく分からない。
こういうところを音王はよくからかうのだが、そのからかいに対してもどう反応すれ
ばいいかが分からない。あるいはこれは未熟なせいではなく、老人や馬鹿百姓の
影響かもしれない。
また今日も一枚落ちてきた
──コンビニの本棚の中に紛れてる 日本書紀から 雪玉を投げつけられた──
何のことだか分からない。
すぐ死ねそうな風邪だ
寿司屋のゴミ置き場でベーコンを啄む烏が実に人間臭くて自転車を乗り進め
見続けたら電柱にぶつかって五針縫った後片目失明した。
ということになると「烏の突き潰されたようなもんですわ」って言ってやるから、と
烏見ながら思った。
だから昨日までなんともなかったのにどうしてこんなに喉が痛いんだ。
あと自殺者って大抵結核とか心臓マヒとか、時代がかった病気とか身体丈夫な
やつがなりそうもない病気とかで暗に自殺ですがと匂わすんだ。
前田慶次はデブにおりんを殺され武田家への怒りに燃え上がる。雷風は原哲夫
漫画には珍しく「あれ? 雷風はこの後どうなったの?」と欄外にふざけた調子で
書かれる。以後出てくることはない。
舞台変わって戦場。慶次は武田勝頼に一刀浴びせかかるが、直江兼継の槍と
偶然重なり取り逃がす。
戦闘後の会議。中年武将連中は一様に「此処の神社が古く朽ち果てて風格が
ないから悪いのだ」と、神社再建の寄付集めが大事と結論づけたがるが、慶次は
脚注10個ほど必要な専門用語を並べ立ててそんなことは無意味だと諫言。その
変わり老兵・幼年兵を自分に預けろと言い出す。「そんな奴等が何の役に立つ」
と中年連中。「そなたたちにはちと分かりにくいかもしれぬが、我が真田家では昔
から・・・」と話しだす。
真田家の領地でイングランドの僧侶たちを招きサッカーの親善試合を行ったこと
があった。子供僧侶と真田家の子供達との試合で、途中反則から喧嘩に発展し、
すぐに双方取っ組み合いの喧嘩が始まった。テレビ中継されていたのにもかかわら
ず、双方の大人達はこれを止めることはしなかった。という。
その証明をしてみせんと、中年連中と幼年兵との間で戦争ごっこが和室内で
始まる。真ん中に線を引き、背後の壁にサッカーボールを当てると一点。ボール
以外に、石を相手の身体に投げつけ、当たった場所が致命傷になるところの場合
戦線離脱、つまり戦死となる。
このゲームで131対131と同点となり、中年側が「君たちの強さは充分に分かった。
引き分けということで終わろう」と言うのを慶次が「それはなあ、『大人ルール』と
言って、戦場じゃあ通用しないんだよ」と反駁し132点目を入れ、勝利する。
これが125ページ目まで。127ページで終わるのだが、そこまで読むと目が覚めて
しまった。
いくらかましになったものの頭と喉は、あと部屋は埃が、あとなんか身体が痩せ
細って来たことの実感が、
赤い橋 作詞 北山修/作曲 山本幸三郎
不思議な橋がこの街にある
渡った人は帰らない
昔 むかしから 橋は変わらない
水は流れない いつの日も
不思議な橋が この街にある
渡った人は 帰らない
いろんな人がこの橋を渡る
渡った人は 帰らない
赤く 赤く 塗った
橋のたもとには
赤い 赤い 花が 咲いている
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
みんな何処へ行った
橋を 渡ってから
いつか きっと私も渡るのさ
いろんな人がこの橋を渡る
渡った人は 帰らない
街と町と分けてるのは意味が
人間は馬鹿である。犬も馬鹿である。たいていの生き物は皆馬鹿である。何を
例外とするかといえばそれはやはり猫である。我が身がその種の一員であるから
そうだというのではなく、何者と比べても劣るところが見つからないのである。例え
ば猫は自らで餌も獲ることもあれば人間に献上させることもある。
あかん、しんどい
浅川マキばっかり聴いてた
テーマ:ラトゥール
ジョルジュ・デ・ラトゥールな
んで Georges De La Tour な
googleが便利すぎて疲れる
ばーかばーか
今日のテーマ:プロメテウス
大体のとこ
プロメテウスは人間を見てその愚かさと貧しさに驚き、ゼウスのおっさんに「ありゃ
ないんじゃあ、せめて火くらい」と訴えると「やつらにゃわしらを滅ぼすことの出来
る誇りちゅうやつがあるからな。その上火なんぞ与えたらごっつなるからかなわんわ」
とおっさん。
でもプロメテウスは満足せずにこっそり人間に火を与えたがおっさんは気付いて
怒り、不死のプロメテウスの肝臓をはげ鷹に永遠に啄ませるという拷問を課した。
後ヘラクレス兄さんによってプロメテウスは解放される。
アイスキュロス「縛られたプロメテウス」では、おっさんは人間をだまくらかして苦しめ
ようとしていたところプロメテウスが人間に助け船を出して火を与えてやり、以下略。
兄弟はエピメテウス(「あとで考える男」の意。プロメテウスは「先に考える男」)
母はニンフのクリュメネあるいはティターンのテミス。
土星最大の衛星の名でもある。
しかしまあネット検索で得られる情報ってどれくらい正確なんだろ。
白 ドラ9
言葉が人を支配すること
かつて詩に対する認識というものは「ただ出てくるもの」であり、それはあまり
重要な意味を持ちえず、小説で語られる物語構築のための文章と比べると遙かに
劣るという、そういうものであった。
昔詩・ポエム板に行った。書いた。誉められた。嬉しかったりもした。しかし私は
他の人の書いたものを読む気になれなかった。濾過されず未成熟なまま垂れ流
される素人たちのポエムの塊には入っていく気になれず、僅かに光るものを見つ
けるのに多量の駄作の群に対することの出来るほど、私は強くなかった。板住民
に対する自分の無責任な態度を正当化出来る理由は見つからなかったし、同時期
に詩板を荒らしが襲ったこともあり、その後活動することはしなかった。つまりは
その程度の思い入れしかなかったのであり、作る側の姿勢としては今もそれは
あまり変わってはいない。
そのように「ただの言葉の羅列」としか思っていなかった詩という表現形式の言葉
達に打ちのめされることになったのが、ちんこびんたであった。
そもそもロビーには伝統的と言っていい、ポエマーの歴史がある。瞳五郎文化
自体、短歌や俳句に匹敵するほどの強い表現形式である。もっとも、形式を縛る
鎖があまりに強く、枠からはみ出すことも難しかったため、似たネタが多くなり、
スレ立て規制が厳しくなった後にはほとんど死に体となってしまったが。ロビー
人口の減少についてはここで述べることではない。
ひげおやじは元々ポエマー固定であった。ぜんQは優れた詩人である。乙女
スターリンは傑物であったのにいつのまにかいなくなってしまった。はっつぁんは
愚にもつかない恋愛ポエムばかり書いていたクズだ。まあとにかく、ロビーには
何を書いてもよい、スレは使い捨て、という風潮があり、これがポエム系スレが
発生しやすい土壌となっていた。
次に手前味噌になるが、ここに「ウンコチンコマンコで世界を証明してやる」と
意気込んでいた人物がいた。彼の夢は挫折してしまったものの、そのウンコチンコ
マンコ系ネタに対する、また「クソスレ」の一言で片づけられるような一見無意味な
駄スレに対する愛情から、「ウンコチンコマンコ系でも、クソスレでも、それを簡単に
おろそかにはしない」という空気がロビーに、誇張はあるかもしれないが、少しは
広まった、気がする。
つまりポエム系と下品ネタクソスレ系との美しい融合の結果がちんこびんたで
あると言いたいのである。
ちんこびんたを見た翌日私はちんこびんたに支配されました。思い出すたびに薄
笑いが浮かびすれ違う人々を驚倒させ事故に巻き込まれかけ、「あれ、『そしたら
あのこ』だっけ『するとあのこは』だっけ」と幾度も悩み、たった五行六十文字に
影響され続け、言葉の持つ力の強さというものを生まれて初めてこれ以上にも
ないというほど思い知らされたのであった。そしてスレ内では「保存しました」と
ほざきながら、もっと伸びるスレだと思っていたので放っておいたら、あっという
まにdat落ちとなり、みみずん検索では7月以降のログは何故か探せず、ちんこ
びんたスレ建立の際にもスレが消えたのと同じく、「そしたら」「すると」だったかを
確かめるまもなく、見失ってしまったのでした。
その後カロビーで「ロビーで見つけた面白〜」という感じのスレでちんこびんたを
発見し、無事保存したものの、スレ全体についてはかなり後の話になるのですが、
それは置きます。
間空けてるから統一感のない文章だな。
しばらく中断
「鶯(一老人の詩)」 伊藤静雄
(私の魂)といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう
──幼かつた遠い昔 私の友が
或る深い山の縁に住んでゐた
私は稀にその家を訪うた
すると 彼は山懐に向つて
奇妙に鋭い口笛を吹き鳴らし
きつと一羽の鶯を誘つた
そして忘れ難いその美しい鳴き声で
私をもてなすのが常であつた
然し まもなく彼は医学校に入るために
市(まち)に行き
山の家は見捨てられた
それからずつと──半世紀もの後に
私共は半白の人になつて
今は町医者の彼の診療所で
再会した
私はなほも覚えてゐた
あの鶯のことを彼に問うた
彼は微笑しながら
特別にはそれを思ひ出せないと答へた
それは多分
遠く消え去つた彼の幼時が
もつと多くの七面鳥や 蛇や 雀や
地虫や いろんな種類の家畜や
数へ切れない植物・気候のなかに
過ぎたからであつた
そしてあの鶯もまた
他のすべてと同じ程度に
多分 彼の日日であつたのだらう
しかも(私の魂)は記憶する
そして私さへ信じない一篇の詩が
私の唇にのぼつて来る
私はそれを君の老年のために
書きとめた
やっぱり変態だ
なんとくわかったような気分になったけど、
わかんね―よ、バーカバーカ
(・∀・)/オメコオメコオメコ!!
昨日の夢のおおまかな内容は「人は全員死に瀕した瞬間(具体的には巨大隕石
の直撃)に過去を思い出し回想に浸る。その思い出されている過去が今自分が
生きているという現在であり、その証拠に今昔の印象深い思い出を思い出す時、
まるで昨日のことのように思えるではないか、それら思い出される過去というのは、
全てが昨日になり得る過去であるのだ。つまり昨日以前の過去は全て昨日という
一日に凝縮することが出来、それを思い出す現在というのも、死に瀕した人間の
回想の一部でしかない」ということ。
セリフ太字
「俺たちにはみんなケツの穴がある。違うか? この部屋に誰かケツの穴のない奴
はいるか? いるんだったら、すぐに名乗れ、今すぐだ、聞こえてんのか?」
ジョン・ピンショが肘で俺の脇をつついて言った。「ほら、天才だろ?」
ジャン=ポールは相変わらず足早にテーブルをグルグル回りながら叫んだ「俺たち
にはみんな体の後ろにケツの穴があるんだ。違うか? 体の後ろの下の真ん中
あたりにはケツの穴があるんだ、違うか? クソはそこから出るんだぜ、違うか?
そうでなけりゃあ、少なくともクソがそこから出てくれればありがたいと思ってるんだ!
俺たちがクソをしなくなれば、俺たちは死んじまうんだぜ! 一生のうちに俺たちが
どれだけのクソを垂れるかヨ〜ク考えてみろ! 地球は今のところクソを吸い込んで
る。だがナ、海も川も俺たちのクソを飲み込んでるうちにテメエの命までが危なく
なり、すっかり吐き気をもよおしてきてるんだ! 人間は不潔だ、不潔だ、不潔だ!
俺は人間がみんな嫌だ! 自分のケツを拭くたびに、俺は人間がみんな嫌になる!」
チナスキー「パンク、ハリウッドを行く」より
一人暮らしを始めることになり、どこか懐かしい雰囲気の木造ボロアパートに
引っ越す。どうやらこの間逃げ回った長い階段で繋がっている文化住宅群に近い
場所らしい。二部屋で、外に面した側は机を置くと一畳しかスペースが残らないが
(「まんが道」で二人が始め下宿したとこのよう)、奥の暗い和室はかなり広く、12畳
程度に見える。風呂や便所は見当たらない。
パソコンラックの位置を決めるのに迷った後、周囲を散歩する。小雨が降っている。
廃品置き場に、マイナーなので普通の書店には置いていないが、内容は良いらしい
ので金に余裕があれば買おうと思っていた漫画雑誌が二種類三冊、捨てられている。
住民が道路の向こうにいるので見られないようにこっそりと雑誌を手に取り、来た
時と反対側の階段を上り部屋に帰ると、友達(男前)が来ている。
すぐ後、隣りの部屋から若い女性が二人訪ねて来る。明るく可愛い方が友達と
語らい、私ともう一人の、背が高く痩せ気味で、顔は美形というほどではないが
悪くはなく、頭良さそうに見えるが表情は明るくない女性と外に出て、外枠にもたれ
かける。二階である。
「ここって真夏はどんな感じ? いや、今も夏だけど、もっと本格的に暑くなった
時は?」と私。
季節は夏なのにもかかわらず強い風が吹いている。
「大体今と同じ。建物の間で風が強いから。涼しいよ」と彼女。
ああ、それじゃあとてもラッキーだったんだな、と私は思う。
父や母が部屋にいる。ピアノを少し弾いてみる。すぐに奥の部屋に引っ込み、
ブレイク詩集の中から一編選んで、さっきの女に読み上げてもらう。内容は覚えて
いない。
「詩集なんてこういう、特別な時くらいしか開かないから」と私。
部屋はいつの間にか他の部屋と繋がっていて、体育館くらいの大きさの中で
家電イベント会場をしている時のように、一つのブースが一つの部屋の住人の
住居となっている。隣りの女性達との距離が近いのは嬉しいことだが、こうあけっぴ
ろげではいつ物を取られるかと物騒でかなわない。そうでなくてもこの辺は治安が
悪いのだ。
「あれが一番裕福な住人だ」と誰かが指差す場所では高級そうな家具に囲まれて
衛星放送付きのテレビがサッカー中継を流している。主人はいない。
夜になり皆眠りにつくため布団に入っている。私の隣りに例の女性二人が寝て
いて、和服姿の裾が乱れ、膝が剥きだしになっている。私は寝付けずに起き出して
机に向かい、時折女性達を見る。
祖父が起き出してきて女性達を見、「これはたまらん」と興奮し、祖母の寝床に
入っていく。いきなりで痛がる祖母だが、すぐに受け入れ、布団が揺れる。
バスケットボールの試合の為に、皆から少し遅れて体育館に入る。バスケット
シューズの紐を結ぼうとするのだが、片方の紐が短くてどうしようもならない。ビニー
ルの紐やそこらに落ちてるもので代用しようとしてもどうしても無理である。そういえ
ば、この間の試合の時に紐が切れて、その場は試合に出ない先輩から貸して
もらい、その後紐を買ってなかったことを思い出す。
学内の購買で靴紐が売っているだろうか、しかしここは他校であるし、日曜だから
購買も開いていないかもしれない。探しに行ったとして間に合うだろうか。何に間に合
うのかはよく分からない。
この夢で何が一番驚いたかっていうと、起きた後本棚を見たら、右端にあったはず
のブレイク詩集が、取り出した覚えもないのに本棚の上に移動していたことだ。
たとえばこれはただの偶然だ。
谷口ジローの描く石川啄木が最後のページで寝転がっている漫画を読む夢を
見た。漫画内で引用されていた書物の名も書かれており、そこに「伊藤静雄詩集」
もあった。
風邪で寝込んで何も読む気がしなかった時だ。積んである方じゃなく、本棚の一番
下にあった、好きな時はとことん読み、その前後は思考が全てその人の文体に
犯されるが、読まない時はとことん読みたくない、ならば嫌いかというと、その政治的
姿勢には全く共感はしないが、どうやら彼の作る世界に自分は捕らえられている
らしい、そういう作家の本を手にとって最初の一編を読んだ時だ。ある一編の詩に
ついての考察が書かれた話を読んだ時だ。その最後に「伊藤静雄詩集」の名を
発見した時だ。当然その偶然に驚いたもの、やはりそれは必然であるという気も
したのだ。
まだ読んでないと思っていたその本は読み進めるうちに確かに既読のものである
と分かった。ならばその時の記憶が──寝そべっている場所から見えるその本の背表
紙から、読もうと思いつつ枕元に放っておいた伊藤静雄詩集との影響から──、
夢を見させたのであると、書かれている詩についてどこか見覚えがあったのは、
何もおかしいことではない。
「序詩(無心)」 ブレイク
さびしい谷間を笛吹いてくだれば
たのしいよろこびの歌を笛に託してくだれば
雲の上に ひとりの幼な児が見え
笑いながら 私に言う
「子羊のこと歌ったのを 私に吹いて!」
そこでわたしは 楽しいしらべの笛を吹いた
「笛吹きおじさん そのうた もう一ぺん」
そこでわたしは笛吹いた 子供は聞いて泣いた
「その笛を その楽しい笛を下に置き
楽しいしらべの歌を おじさんが歌って」
そこでわたしは 同じ歌をくりかえし歌った
それを幼な児は 聞いてよろこび泣いた
「笛吹きおじさん 坐って書いてよ
一冊の本に みんなが読めるよう」
そう言うなり 幼な児は見えなくなった
わたしは 中うつろの芦を一本折りとり
そして ひなびたペンをつくり
そして きよらかな水にひたし
そして わたしの楽しい歌を書いた
すべての幼な児が 聞いて喜ぶように
「ゆめ語るとはすな 汝が恋を」 ブレイク
ゆめ語るとはすな 汝が恋を
語るにも 語るすべなき恋を
なよ風は 動くならずや
もの言わず 目に見えず
われは語りぬわが恋を われは語りぬわが恋を
われはかの女に語りぬ わが胸のうちすべてを
うちふるえ つめたく おろおろと──
ああ かの女は つと去りたり
かの女 われより去りて ほどなく
ひとりの旅人 きたりぬ
もの言わず 目に見えず──
おお せんすべなかりき
「土くれと小石」 ブレイク
「愛はおのれみずからを 喜ばせようとはせず
また わが身のことなど 少しもかまわず
他のために おのれの安きを捨て
天国を造り 地獄を絶望させる」
こう 小さな一片の 土くれが歌った
牛や馬の足に ふみつぶされながら──
それを聞いて 小川の底のさざれ石が
えたりかしこしと ほざき出した
「愛は おのれみずからだけを 喜ばせ
他を縛って おのれの楽しみとするのに専念し
他が安らぎを失えば よろこび
地獄を造り 天国をさげすむ」
いずれも寿岳文章訳
、だ。
奴がどんな気持ちか俺には分かった。ある男が一度俺に電話してきて、俺が
奴の女房と姦ったので、俺を殺すと言ってきたことがあった。奴は俺を名字で呼び、
今からそっちへ行くところだ、と言った。奴は来なかった。きっと、交通事故か何か
で死んだのだろう。
チナスキー「パンク・ハリウッドを行く」より
家族でどこか山の手の方に旅行に行っている。すると、山に取材に来て遭難し、
持っていたバードコールが本当の鳥の鳴き声と変わらない音で、その鳥は夜明け
に鳴くので、しかも水中銃で武装していたために、発見されても助けてもらえず
彷徨い続け発狂した男性テレビリポーターと出くわし、つきまとわれるはめになる。
駅に着き、あいつは金を持ってないから切符を買えないはずと安心していると、
父が奴に切符を買い与えている。
830円の切符で、自動改札を問題なく通った奴に、私はその切符では駄目だ、
あちらの駅員のところへ行ってやり直してこいと巧く騙し、ちょうど来た電車に
乗り込み、無事逃れる。
前の方に母が乗っている車両で坐っていると、小学生の頃の知り合いで、色白
で身体の弱い男と、その連れに絡まれる。向こうはこちらに気付いていない。一目
でこいつは弱いと分かったので、その連れを壁に押しつけ、数発殴る。母にも見ら
れている。まさか息子がこんな男だとは思ってなかっただろう。こちらもそうだ。
色白の知り合いの方はもういない。
もう終わったから、笑顔で握手ってことで、と絡んで来た相手に言うが、しつこく
ちょっかいを出してくるので、そのたびこちらも殴り返してやらなければならない。
すぐに酒が出て来た。大きな白い紙コップに入っていたが、俺はそれを残さず
飲んでしまった。ああ、うまかった。その時ふと、俺が何を考えているかなど知り
たがる奴は、誰であろうがまるでバカに思えた。作家の最も良質なところは原稿に
表れるのだ。他の面はたいてい意味のないものだった。
チナスキー「パンク・ハリウッドを行く」より
宮澤賢治「なめとこ山の熊」
引用多くてめんどいので、ほぼ全文良いとだけ。
427 :
超激裏名無しさん:01/12/11 04:09
428 :
おれもな〜:01/12/11 04:13
429 :
超激裏名無しさん:01/12/11 04:28
あれだよ、あれあれ
430 :
超激裏名無しさん:01/12/11 04:28
何これ?
431 :
sherry ◆jlUtTwCg :01/12/11 04:29
ぶ
っ
こ
ろ
し
て
や
れ
432 :
超激裏名無しさん: