【無料】日本文化チャンネル桜536【Ch.217】

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103いちのへ ◆haQzfX4rp2
南京市街戦/戦闘中/戦闘後に捕虜を殺したことが『虐殺』なのか『屠殺(支那では)』、あるいは『処刑』なのか、
これは異なる単語を用いることにより、その殺しが如何に残虐非道でインモラルなものかと強調する為の
感情的コンペティションのようなもの、たいして意義は無いとトウチャンは思っていますね。
皮相的な意味で意義があるとすれば、どこからが虐殺であるかどうかという定義の曖昧性な要素の検証に
終始して仕舞う、つまり泥沼水掛論という迷宮に迷い込むだけという事でしょう。
つまり捕虜殺しがカチンの森と同じで虐殺である、或は捕虜殺しはカチンの森と同じ処刑である、という
定義づけに誰が結論を出せるのか?様々な国際紛争における虐殺定義がその都度確定はしていない現状がそれを
示しているだろうということですね。
104いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 10:21:43.49 ID:ThUIEHY8
次に、『南京城内で30万の民間人を日本軍が計画的・組織的に虐殺したナンテこたぁない』という
ことを何故当方が諄くいうか説明すると、双方の専門家やこのケースを一通り齧った素人はそんなことは
先刻御承知なのはこっちも承知。然し乍ら、世間の、それこそチャン・イーモウの映画を観て熱くなってる
ような世界の一般大衆連中はそんなデフォルトの知識なんて知らない、『日本兵=強姦魔』くらいの
ステレオタイプの先入観を持ってる。だからチャン・イーモウの映画にも『13歳の少女だかを日本兵が強姦し』
そんでもって『クリスマス・パーティには支那人娼婦を呼んで宴会乱交パーティ?』だかをエンジョイする、
そういう日本兵に支那人観衆が憎悪の視線を向けているという、実に愚劣なレベルが世界を席巻してる。
先ずはこのフェナミナ=現象を潰していかなくちゃならんのでしょう?と云ってるわけですね。
105いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 10:22:02.36 ID:ThUIEHY8
で、捕虜の処刑を日本軍がした←コレが確定出来るなら大いに結構と当方は云ってるわけですが、何故か?
それを確定出来るということは、トレードとして、『30万に及ぶ一般民間人虐殺なんて無かったわけでしょ?』
というコンディションを確定出来るわけです。コレを確定すれば、たとえ捕虜殺しが1万だとしても、共産支那が
プロパガンダで屠殺館の壁にも彫り込んでいる数の96%が一挙に霧散するわけです。
これを世界的に確定するってことは、実に大きいことですよ。
106いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 10:22:24.01 ID:ThUIEHY8
その後に、確定した捕虜殺しのそれぞれのケースについて、戦時国際法に照らして、それがいかに違法で
インモラルで非道な虐殺なのか、あるいは戦闘中においては許容できる処刑なのか、精査/評価すればいい。
しかし、その精査/評価自体にはそれぞれの評価者の主観が大きく影響せざるを得ないから、この精査/評価
という行為自体が巨大な迷路に迷い込むようなものなのですよ。
その迷路を抜け出すにどれだけの年月と労力が必要かは誰も判らない、しかし仮にその迷路を抜け出すことが
出来た後に、その精査/評価をあたかも陪審員評決の結果のごとく公的に採用し判決を執行する機関など
この世界に存在などしない事は誰もが知っているわけです。畢竟、これらの精査/評価というものは、未来永劫に
それぞれの国家/民族があらゆる対立において相手を窮地に追い込むための道具として使われるシロモノにしか
ならない、なかんづく、支那人という存在はそういう民度の民族なんでしょ?ということですね。
107いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 10:49:14.14 ID:ThUIEHY8
>>>102 が云ってることは、いみじくもトウチャンが>>106 で云ってることそのもの。
つまり、『虐殺』や『処刑」などという装飾的定義は、それぞれの側が、自分が有利になるように
使いたがる側面があるし、それを避けることはできない。歴史における他民族/他国民の殺しは
どの国だって、どの軍隊だって、叩けば埃も出るし、疾しいところもある、それを突いても
藪蛇になることもある。しかして日本としては、『それは日本だけが未来永劫に非難されねばならぬ
罪なのか? ならばその理由は?』と主張すべきだし、そう云うしかないのである。
108いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 11:07:27.86 ID:ThUIEHY8
いづれ、このケースを『捕虜殺しは、どのようにして行われたか?』というディティルを
詰めるステージに誘導するということは、大迷宮に誘い込むことと道義だ、ということ。
そして、それが支那の研究者も参加する共同作業ならおおいに結構、すきなだけ迷宮の中で
紛糾させればいい、しかし彼等がいかに紛糾しようが、『一般民間人30万人屠殺』の96〜97%は
この捕虜殺しを精査する前段階の条件で霧散して仕舞っている。この『迷宮』に迷い込むことは
日本にとってはまことに利が大きいのである。
109いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 11:14:22.23 ID:ThUIEHY8
それから、野辺地さんの示した映画のガイドラインですがトウチャンのコメントは以下の通り。
@中国国民党と南京にいた外国人はグルで、虐殺事件は仕組まれたプロパガンダだった ←賛成/OK
A写真は偽物だらけ←賛成/OK
B便衣兵の裁判なき処刑は虐殺に当たらない←便衣兵の存在を示し、処刑数の不確定な想定範囲を示す。
C南京にいた元兵士による「見たことも聞いたこともない」証言←賛成/OK
110いちのへ ◆haQzfX4rp2 :2012/02/11(土) 11:22:46.46 ID:ThUIEHY8
あとですね、『虐殺』の定義だけど、トウチャンの個人的印象ですが、
→腹を割いて内蔵を露出させる。
→性器切断などの陵辱。
→目玉くり抜き/鼻を削ぐ。
『相手を死亡させる』という直接目的に不要な上記のような行為を殺す前にやったら『虐殺』だと思う。
これは捕縛された日本兵に対して支那の兵隊が普通にやっていたことは記録に多い。
逆に日本兵は『南京において』支那兵にはやっていないし。支那兵捕虜のエクスキューションは
日本軍という組織がシステムの中で命令による統率内で行ったことだから『処刑』という言葉は
あながち的外れではないだろう、とトウチャンは思っている。