南京市政府、河村名古屋市長・父親の南京従軍当時の戦争犯罪を調査、国際戦犯として裁判にかける方針

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 いつ誰が『南京事件』『南京大虐殺』を創作(捏造)したのか?
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@1937年〜1938年
■国民党

支那事変当時は国民党がプロパガンダとして日本軍の残虐行為を嘘宣伝していた。
支那が宣伝工作を本格化させたのは1937年11月頃からだった(『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著)。
よって、最初に宣伝したのは支那国民党で、具体的には宣伝工作員のベイツが、日本軍による市民殺害の嘘レポートをダーディン等の新聞記者たちに渡したりティンパーリの『戦争とは何か』に
そのレポート等を所収させたりした。

A1945年〜1948年
■GHQ

プロパガンダを東京裁判で創作し直したGHQ。

南京事件は、東京裁判のネタとして創作された。
戦後、GHQは、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に基づき『南京大虐殺』を捏造し、東京裁判や、NHKのラジオ番組
『真相はかうだ』や『真相箱』などで宣伝した。
目的は主に2つで、一つは原爆投下など連合軍側の戦争犯罪を誤魔化すこと、もう一つは日本人に贖罪意識を植え付けて二度と戦争を出来ない腑抜け・腰抜け民族にすること。

東京裁判で証拠とされたのは主に3つ。

1.南京など各所の裁判所で裁かれ断罪された無実の者の長い表
2.埋葬記録
3.証言

これらは全てでっち上げの嘘っぱちだったことが判明している。
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全文 ⇒ http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4561.html