日本政府が日本兵や日本市民に対して残虐の限りを尽くしたアメリカ軍の元兵士に対して公式謝罪
1 :
Ψ:
岡田克也外相は13日、太平洋戦争時に日本軍の捕虜となった元大学教授のレスター・テニーさんら元米兵6人やその家族と外務省で面会し
「皆さんは非人道的な扱いを受け、ご苦労された。日本政府を代表して心からおわび申し上げる」と謝罪した。
これに対しテニーさんは「私たちが求めているのは日本が国としておわびを言ってくれることだ」と指摘。
「強制労働させた企業は65年間、沈黙を守っている」と述べ、企業側も謝罪するよう求めた。こ
れまで日本政府が英国人やオランダ人の元捕虜を招待したことはあったが、米国人を招いたのは初めてという。
テニーさんは1942年に起きた「バターン死の行進」を生き残り、福岡県・三池炭鉱で強制労働させられた。
この事件はフィリピン・ルソン島バターン半島で、米軍捕虜らが、100キロ余り離れた収容所に連行される過程で、
日本軍に虐待されるなどして約2万人が死亡したとされる。
昨年5月、藤崎一郎駐米大使が日本軍捕虜となった元米兵らの組織の年次総会に出席し、おわびを表明している。
一行は東京や京都のほか地方都市も訪問し、19日に帰国する。
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010091301000252.html
2 :
Ψ:2010/09/13(月) 18:29:49 ID:biAySxPe0
・・・・・・・・・・・・・リンドバーグ日記の抜粋・・・・・・・・・・
*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に
出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。
*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残り
の連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。
*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。
*将校連は尋問の為捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に
持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。
*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。
*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。あ
る日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。
*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に
誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。
捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。
*爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後でトラック1台分の残飯や廃
物を投げ込む。
*捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm
集団自決って正しかったじゃん
4 :
Ψ:2010/09/13(月) 18:39:18 ID:lTTZjQsy0
おままごと民主党は戦争というものを分かっていない。
戦争なんてお互い様、米軍がどれだけの残虐行為を日本軍に戦後日本人にやったと思っているんだ。
今でも誤射と称してイラク・アフガン民間人を虐殺し、沖縄少女を陵辱し、イラク・アフガン捕虜を虐待しているだろ。
謝罪どころか文句のひとつでも言ってみろ、売国奴!
5 :
Ψ:2010/09/13(月) 18:50:17 ID:MsleTuqw0
はいはい土下座土下座
6 :
Ψ:2010/09/13(月) 18:50:33 ID:bxOEL2290
民主党はキ●ガイの玉手箱や〜〜
7 :
Ψ:2010/09/13(月) 19:07:31 ID:Sd/mA4n10
民主党は日本人を不当に貶めている
こんな党を支持する馬鹿どもは日本から出て行け
8 :
Ψ:2010/09/13(月) 19:11:53 ID:SVvq9BWV0
正統史観年表 アメリカ軍の蛮行
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-162.html 以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家)
「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」
ハーパースプレス社、ロンドンからの引用
―――
一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。
とくに沖縄戦がそうだった。
クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。
地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。
全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、
やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。
仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、
何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、
丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、
「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」
と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。
女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、
手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。
9 :
Ψ:2010/09/13(月) 19:24:09 ID:1Q3Emi7s0
論理、論点が何が問題で、何が謝罪なのか?
誰に対しての宣伝なのか?まったく理解不能な
相変わらずのルーピー政権
10 :
天皇:2010/09/13(月) 19:48:43 ID:NUimq4Ob0
我が臣民たちよ、アメリカ人どもを皆殺しにせよ
11 :
Ψ:2010/09/13(月) 20:00:11 ID:fW+fD+wd0
259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 11:57:20 ID:ef1paAE4
「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、
ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。
これは日本でもほとんど知らされていないことですが、
戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、
死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』
(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。
そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、
私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、
成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡すると
その臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。
その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として
扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、
アメリカはそれら調査、記録を独占するために、
外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、
一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。
こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず
放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。
しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです
260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 12:44:34 ID:398ZZmQO
終戦直後GHQはいち早く報道管制を敷いて広島長崎を封鎖しましたね。
封鎖時の声明「死ぬべき者は全て死んだ。もう苦しんでいるものはいない」
12 :
Ψ:2010/09/13(月) 20:17:37 ID:5JUn4GEZ0
許せんな、マジで
13 :
Ψ:2010/09/13(月) 20:32:13 ID:9+ha3B7D0
殖民国へも被殖民国へも謝罪とかもう、相手も考えずどこまで謝りたいのか
バターン死の行進ってただ歩いてただけでしょ
15 :
Ψ:2010/09/13(月) 20:50:32 ID:gHEq2E3L0
軍人だろ、相手は
民間人を大量虐殺したアメリカの謝罪はないのかよ
16 :
Ψ:2010/09/13(月) 20:50:48 ID:Ocx292eI0
戦争に負けるってこういうことだ
今度やるときは死ぬ気で勝ちをとろうぜ
17 :
Ψ:
残念ながら今の日本は中国にも勝てない。。。