モスク建設反対論の薄っぺらな本音

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1マンニィφ ★
モスク建設反対論の薄っぺらな本音
Sensitive Conservatism
「思いやり」を旗印にしてグラウンド・ゼロ付近のモスク建設に反対する議論は、理不尽な感情論でしかない
ttp://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2010/08/post-1547.php
ウィリアム・サレタン
ttp://www.newsweekjapan.jp/stories/2010/08/24/save/da_060810.jpg
感情の対立 8月22日、グラウンド・ゼロ周辺はモスク建設反対派と賛成派のデモ隊で埋め尽くされた
Jessica Rinaldi-Reuters

 9・11テロの現場となったグラウンド・ゼロ(ニューヨークの世界貿易センタービル跡地)の近くにイスラム教の
モスク(礼拝所)を建設する計画をめぐって激しい論争が続いているが、反対派の主張はことごとく論破されつつある。

 13階建てのモスクが建つ? いや、そんな計画はない。グラウンド・ゼロの真上に建設される? 何度も言っているように、
2ブロック離れた場所だ。建設計画の中心人物であるイスラム指導者、ファイサル・アブドゥル・ラウフは過激な
思想にとらわれている? 単なる迷信だ。

 ラウフの背後に正体不明のスポンサーがいるという説も憶測にすぎない。ラウフが論争を煽っているって? バカらしい。
彼は取材の電話を折り返そうとさえしない。怒りを爆発させているのは建設反対派のほうだ。
 
 反対派の論拠が揺らぐにつれて、彼らの主張は「思いやり」という最後の砦に集約されつつある。

 「思いやりに欠ける動きだ」とサラ・ペイリンが言えば、「いま問題なのは思いやりであり、人々の感情だ」と、
前ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニも語る。「無神経なだけでなく挑発的」だと指摘するコラムを
ワシントン・ポスト紙に載せたのは、保守派の論客チャールズ・クラウトハマー。ナショナル・レビュー誌の
リチャード・ラウリー編集長も、「モスク計画反対派が求めているのは、心から『特別な思いやり』を示す姿勢だ」と論じた。
(続く)
2マンニィφ ★:2010/08/24(火) 21:39:18 ID:???0
(続き)
 ネオコンの重鎮ウィリアム・クリストルは、この建設計画にはテロ犠牲者への「敬意」がないと語り、ブッシュ政権で
国務次官を務めたカレン・ヒューズは、アメリカ人の多くがこの計画を「非礼」と感じており、別の場所を探すべきだと
主張している。

◇不快感を感じる自分の内面を振り返れ

 9・11テロをめぐる感情は生々しい。愛する家族を失った遺族をはじめとする多くの人々が、グラウンド・ゼロ周辺に
モスクが建設されるというニュースに動揺している。私の家族も似たような反応を示した。
 
 だが、感情と理性は別物だ。自分の気持ちが落ち着かないからといって、礼拝所を建てないよう他人に強制することはできない。
自分はなぜ動揺するのか。不快感の根底にあるのは何か。なぜ他人が、あなたの不快感に配慮しなければならないのか。
「思いやり」を連呼する議論には、自分の内面を振り返る作業が抜け落ちている。

 ペイリンは、モスク論争には「人々の知性」が反映されていると語ったが、どのように反映されているのかは説明していない。
ジュリアーニは9・11テロの遺族が「泣いている」と訴えたが、涙の裏にあるイスラム教徒への認識については言及していない。

 ユダヤ人虐殺の舞台となったアウシュビッツ強制収容所の近くにあったキリスト教修道院を別の場所に移設させた
前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世を、クラウトハマーは「20世紀を代表する道徳的偉人」と称えた。
だが、そもそもなぜ修道院やモスクを移設させる必要があるのかについては、何も語っていない。

◇イスラム教徒に連帯責任を押し付けるな

 なかでも感情的な議論を繰り広げているのはクリストルだ。彼は、反対派の態度は「ヒステリック」な「過剰反応」だから
「まともに取り合う必要はない」とバラク・オバマ大統領が評したことを批判している。では、クリストルはどういう根拠で
モスク建設に反対しているのか。
(続く)
3 ◆Man.YifbSU :2010/08/24(火) 21:39:50 ID:SFP5UQd60
(続き)
 「まじめな人々はこの問題について真剣に考えている」と彼は言うが、真剣に考えた結論は? 「グラウンド・ゼロの隣に
13階建てのモスクやイスラム教のコミュニティセンターを作るべきではない」と言うが、なぜダメなのか。
反対派の仲間と同じく、彼もモスク建設に反対することこそ「賢明で健全な反応」と繰り返すだけだ。

 ペイリンを別にすれば、彼らはバカではない。彼らは、グラウンド・ゼロ周辺からモスクを排除することを正当化する
理屈を探し求めたが、見つけられなかった。

 彼らが代わりに見つけた切り札は、イスラム教徒全員に連帯責任を押し付けることだった。「イスラム教が9・11テロの
原因ではないが、その象徴的な意味と、ニューヨーカーやテロ犠牲者の感情は軽視できない」と、ナショナル・レビューの
ラウリーは指摘する。
 
 クラウトハマーもこう付け加える。「グラウンド・ゼロは世界的なテロ活動のなかで最大の被害を出した攻撃の舞台だ。
そうしたテロ活動はイスラム教徒がイスラムの名の下に行い、イスラム社会に深く根付いている。残念なことだが、
それが事実だ。だから、この場所にイスラム教の記念建造物を建てるのは無神経なだけでなく、挑発的なのだ」

 この言葉こそ、反対派の言う「思いやり」の裏にある本音だ。イスラム教徒が大量虐殺を行ったのだから、
この場所にイスラム教の礼拝所を作るべきではない──。

 9・11テロについてイスラム教徒に怒りを感じるのは自然なことだ。実際、キリスト教徒とイスラム教徒は何世紀にも
渡って憎しみ合い、殺しあってきた。

 その歴史に比べれば、今回のモスク論争はずっと進化している。イスラム教徒を殺したり、信教の自由を禁じるような
動きはない。「モスクを別の場所に移すことで、仲良くやっていくために必要な好意を示せる」と、ヒューズは提案する。
「そうした善意によって、より思慮深い対話が可能となり、この論争で生じた醜悪さの一部を解消できるかもしれない」
(続く)

関連
共和党「人種政治」のブーメラン
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1282011934/
4マンニィφ ★:2010/08/24(火) 21:41:43 ID:???0
(続き)
◇建設地を遠ざけても議論は進展しない

 だが、モスク建設計画への嫌悪感が理不尽で感情的なものであるなら、つまり、イスラム教徒とテロリストを
区別できないせいで嫌悪感を感じるのだとすれば、感情論を乗り越えるべきなのは私たちのほうだ。

 「思いやり」という主張の本質がイスラム教への偏見という理不尽なものであることを理解すれば、現行の予定地に
モスクを建てていけない理由はない。あの場所で以前から祈りを続けているイスラム教徒らに対して、
自分たちの本能的な嫌悪感を鎮めるために生活を変えるよう求めるのは間違っている。私たちは嫌悪感を
乗り越えることができるし、乗り越えるべきだ。

 そして何より、アメリカにおけるイスラム教の位置づけについて、思慮深い議論をすべきだ。シャリア(イスラム法)と
アメリカ合衆国憲法は矛盾していないと語った真意を、建設計画の中心人物であるラウフに尋ねよう。
イスラム聖職者が、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスを非難しない理由を直視しよう。そして、過激派が
新たな建物の建設資金を提供することがないよう、資金集めのプロセスの透明化を要求しよう。

 渦中のモスクの建設地をグラウンド・ゼロから遠ざけたところで、こうした議論は進展しない。
誤った建設反対論を唱えるのは、もう終わりにしよう。

(Slate.com特約)

関連
911「グラウンド・ゼロ」付近でモスク開設の計画_反対運動巻き起こる
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1276083608
世界貿易センタービル跡地付近のモスク建設計画に反対意見続出_NY歴史的建造物保存委員会の公聴会
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1279243794
5Ψ:2010/08/24(火) 21:53:40 ID:kYafUWwF0
どうでもいい。
6釜ケ崎餓亜瑠 ◆5kuiMAFVxQ :2010/08/24(火) 21:59:56 ID:7x1Q2biA0 BE:219226188-2BP(17)
学会の会館も建てちゃだめなの?
7Ψ:2010/08/24(火) 23:21:46 ID:f6c+c6KbO
割り切れない解を無理やり割り切ろうとしてるような気も…。

ヨーロッパでもブルカの問題なんか聞くけど、アメリカがうまくできなきゃ、世界中どこでもうまくいかんわ。
8Ψ:2010/08/24(火) 23:33:51 ID:uUmjGic0O
9Ψ:2010/08/25(水) 00:01:28 ID:IflWUNRO0
自分の家の目の前に朝鮮人レイパー教会が出来るのと同じだろ
10Ψ
結局、感情論
だけど、感情論が正当化される