【裁判】 過労で寝たきりに、会社側に1億9500万円賠償命令 鹿児島地裁 [02/16]
77 :
Ψ:
「ほら、息して、息」
横たわる松元洋人さん(32)に、母紀子さん(57)がほおずりするように顔を寄せた。強くやさしく、肩をたたく。洋人さんの体が、こわばりがとけるように、震えた。
鹿児島県鹿屋市。04年11月10日午前4時過ぎ、洋人さんのうめき声に紀子さんが気づいた。就寝中に心臓に異変が起き、病院に運ばれた時は心肺停止状態だった。命はとりとめたが意識は戻らず、寝たきりに。
03年9月、29歳でレストランチェーンの支配人になり、すしや和食を出す店を切り盛りしていた。別の飲食店を経て、01年にパートで入社し、半年足らずで正社員になった。
午前9時ごろ出勤し、食材の搬入。午後10時の閉店後も売り上げを電話で上司に報告。午前1時を過ぎる帰宅もざらだった。倒れるまで半年間、時間外労働は月平均200時間を超えた。
6人いた社員が転勤などで3人となり、売り上げを打つパソコンが扱えたのは洋人さんだけだったという。パートらは約30人。入れ替わりの激しいパートの面接や、シフト表つくりもこなした。
「お前は休むな」。上司にそう言われたと、前にいた店の同僚(57)にこぼしていた。同僚も、日々の目標に届かなくて上司に「店閉めろ」と怒鳴られたことがあり、胃薬が手放せなかった。
「こんな働き方おかしい」と言う紀子さんに、「自分だけ逃げられない」と、仕事を続けた。
「泣きながら仕事する松元さんを見た」。30代の元パートの女性は害う。別のパートは午後11時過ぎに店に給料明細を取りに来て、洋人さんに会った。片道約1時間半かけて会議に出ていたのに戻ってきていた。「ほかに人がいないから」と笑った。
倒れたのは、それから5時間ほどあとだ。同じ日付で振り込まれた給料は18万7057円。通帳に、毎月17万〜20万円の数字が並んでいた。
会社側は「ちゃんとパート等を補充していた。対応はできたはずだと考えており、判断は裁判所に任せたい」としている。
07年6月18日・朝日新聞朝刊