1 :
Ψ:
米国人の友人と食事をした際、一つの質問を受けた。
「中国人はずっと、日本人は南京大虐殺で中国人を大量に殺害したと言っている。
この大虐殺は2―3カ月もの間続いたと言っているが、その間中国の軍人はどこにいたのか?
2カ月も続いていたとすれば、どこにいても駆けつけることができたはずだ。
日本軍人はわずかに5000人だったそうだが、中国軍はなぜ南京の市民を守らなかったのか?」
以上が、米国人の友人から受けた質問だ。私はこの質問を聞いて唖然としてしまった
。私はこれまでこのような問題について考えたことが無かったし、私の周りの人間も考えたことが無かっただろう。
米国人の友人は私に「当時、共産党や国民党は一体何をしていたのか?」と尋ねてきたが
、外国人たちは、これについて、「彼らは旨いものを食っていたに違いない」と言っていた。
私はこれに対して、それはあまりにも誇張された考え方だと反論したが、確かに良い質問だと感じ、
帰って調べ、後でメールすると答えた。
資料を調べて分かったのは、当時南京に侵攻した日本軍は5000人ではなく6万人であったことと
、南京にいたのは多くの売国奴であったということだった。友人からの質問は私を大いに混乱させることとなった。
また、私はGoogleで検索したのだが、何の資料も見つけることができなかった。
当時、中国軍が何処で何をしていたのか、一切の記述が無いのである。
私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?(編集担当:畠山栄)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0522&f=national_0522_003.shtml
2 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:23:53 ID:79tgbvb70
蒋介石と毛沢東の軍同士が戦ってたんだろ
3 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:24:04 ID:VSxXrLx20
>>1だけど 南京大虐殺はありませんでした。ただの戦闘があっただけ。
4 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:24:58 ID:RQdIv1mN0
>>1 だから、それは日本軍のふりした・・・・・
・・・・グフッ・・・・
5 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:26:35 ID:ZWxQx55S0
単純に日米欧にボコボコにされて、まとまった指揮系統が当時はなかったんじゃねーの?
そもそも日本軍がそこまで進軍できる時点で・・・・
6 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:26:47 ID:FLUw60CY0
蒋介石は当時、南京の何処で、戦闘の指揮を行っていたの?
7 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:28:30 ID:VSxXrLx20
それに事件?とよばれる戦闘後、南京市の人口が増加してましたw
これは、中国軍を恐れた中国人が
「日本軍が治安を回復したぞ」と歓喜して南京市に終結してきたからw
8 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:29:02 ID:pXVHSwZ+0
便衣兵の存在には気付けないし、気付かない、気付かないふりをせざるを得ないだろ
中国人と対立関係にあるイスラムの連中と同じ穴の狢である事をあいつらが認める訳がない
9 :
名無しさん@恐縮:2010/01/07(木) 09:29:14 ID:Djbyw5Tx0
中国の軍隊は後方に隠れて、一般市民を前衛に配置して、日本軍に対応した。一般の市民を犠牲にしたのは中国国民党あるいは共産党の責任が多い。いずれにしても、南京大虐殺は広島長崎の原爆投下や中国の内乱をカモフラージュするための捏造事件である。
10 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:29:55 ID:o11pqt8eO
100人だろうが数十万人だろうが、大虐殺に変わり無いがな。
11 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:30:39 ID:50WbX5v20
隠れてたんだろ
今のアルカイダみたいにな
そして時々日本軍を急襲していた
12 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:32:25 ID:q08id/gG0
大虐殺の後の方が、その地域に移住した人口が増えてるんだってね。
本当に大虐殺があったら、そんな所へ恐くて行けない。
*要するに、反日工作!
13 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:33:01 ID:2n04xNIJ0
虐殺に荷担した兵士の大半は朝鮮で徴兵された朝鮮族だったんですね
14 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:33:18 ID:G6QXiLtz0
元帝国軍人の話によると
クサリにつながれた中国民間人が鉄砲持たされて最前線の塹壕の中に置かれてて
中国軍人はその後方にいて発砲の命令してたんだそうな
日本軍はそうやって民間人と闘うことになり
捕まえた女子供も含めて中国民間人をロープで数珠繋ぎにして
川中に引きずり込んで殺害していって死体だらけになったとか
15 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:33:25 ID:VSxXrLx20
16 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:34:18 ID:ZWxQx55S0
>>12 日本軍が邪魔な中国人を一掃した後に、自分達の息が掛かった人たちを移住させたからじゃないか?
というか、そういうやり方は普通に中国全土で行われてたんだが・・・・・って俺は何で基礎から教えてんだorz
17 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:35:57 ID:DwEbiChp0
万人坑てのもあるな
18 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:38:36 ID:kmWC/NPPO
>>16 侵軍した先に既に自分達の息のかかった住民が20万人いたのか
日本すげーな
侵軍する必要なくね?
既に支配終わってね?
19 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:38:41 ID:cQBHBR7i0
南京に日本軍が6万人?
それは無理だ、当時の日本軍が進駐していた中国の南京に6万人もいたとすれば
田の地域はがら空きになってしまう。
軍隊の配分からして多くて5000人だろ。
それに南京で虐殺があったとして、残っている写真から推測すると
朝鮮人がかかわっているようだ。
日本軍の軍刀は江戸時代に湾曲していた日本刀が戦がなくなりまっすぐになっていった。
そのなごりから軍刀もまっすぐであるのに対し写真に残っている白黒写真に写っている軍刀は
湾曲しており、朝鮮で造られた軍刀であるという記事を見た。
興味深い記実である。
20 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:43:43 ID:ZWxQx55S0
>>18 全員に息が掛かってる必要はないよな
日本人も完全に統一されてないのに
極論好きって何かの病気なんだっけ(´・ω・`)?
21 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:46:34 ID:fy5jXfDA0
>>17 昔はそんなことも言ってたけど、さすがに誰も信じないんで最近は言わなく
なったなw
22 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:46:56 ID:kmWC/NPPO
>>20 日本軍が邪魔な中国人を一掃とか極論言い出したのお前だろ
23 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:47:05 ID:wBbkqsn3O
100人と数十万人じゃ全く違うな
24 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:48:56 ID:ZWxQx55S0
>>22 それ極論か(´・ω・`)?
戦争においては普通じゃねぇか?
災害に乗じて、少数民族や同和を一掃する国だってあるんだぞ(;^ω^)
25 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:49:45 ID:ZWxQx55S0
すべての人間に息が掛かってる→数万人もマインドコントロールする
ってのはどう考えても不可能なんだが、バカチョンにはそれが理解できないみたいだ
26 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:51:02 ID:kmWC/NPPO
27 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:54:30 ID:kmWC/NPPO
>>25 邪魔な中国人を一掃して自分達の息のかかった連中を住まわせたって言ったのお前だろΣ(´Д`;)
28 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:54:40 ID:xNRPlI8M0
中国人は攻め込まれると分ると、我先に逃げる習性がある。
日本軍が南京に入る前には中国兵は逃走した後だった。
逃走した中国兵が民間人を襲い、ある者は民間人になりすました。
南京周辺での戦闘はあったが、南京では戦闘すらほとんど無かった。
29 :
Ψ:2010/01/07(木) 09:59:23 ID:55H5O5Qu0
アカピ新聞でさえ将来に禍根を残すことを恐れてか
最近は南京事件を扱わなくなってきたし
大虐殺があったなんて言ってる奴は自分で調べたことも無く
マスゴミに踊らされる情弱
30 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:02:11 ID:HZ6oe6m30
あれほど反日熱気にあふれていた国際連盟で、
一笑に付されたんだよ、「南京大虐殺」なんてね
31 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:05:08 ID:ZWxQx55S0
>>26 お前馬鹿の壁読んだことないだろwwwwwwww
さすがバカチョンwwwwwwwwww
>>27 息が掛かってるのは上の方だけで良いんだよ普通は(;^ω^)
それをお前が極論を言い出すからだろwwwwww
会社とかだって、下の方は生活のためだけで、思想までは統一されないだろ
32 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:05:53 ID:ZWxQx55S0
>>30 アメリカで、南京事件について、日本に謝罪させる
決定がされそうになったのに(´・ω・`)?
33 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:05:55 ID:04roAfF00
>>1南京にいたのは多くの売国奴であったということだった
中国人は売国奴を虐殺されたことで怒ってるのか?
34 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:09:33 ID:HZ6oe6m30
>>32 じゃ、国際連盟でも、大問題になったろうよ。
35 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:19:28 ID:eHNCVeZZ0
つーか南京で虐殺してたのって蒋介石の国民党軍だろ
36 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:21:46 ID:bdpkSKmC0
南京大屠殺、南京大虐殺、南京事件、南京日和。
さてきみらにとって適正な名称はどれでしょう。
37 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:22:29 ID:ZWxQx55S0
>>34 (´・ω・`)知らんがな
お前はいちいち国連の情報をチェックしてるのか?
その前に仕事しろよカス
38 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:23:53 ID:kmWC/NPPO
>>31 民間人の上の方って誰だよΣ(´Д`;)
南京の住民20万人(中国の主張では30万人)一掃してどっから息のかかった新しい住民20万人連れてきたんだよΣ(´Д`;)
39 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:24:39 ID:foMtWvhG0
良書紹介
中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか (ハードカバー)
石 平 (著)今更述べるまでもなく、中華人民共和国は自国民を最も多く虐殺した国である。
天安門の虐殺を含め、共産党政権が歴史上、どれほどの大虐殺を行なってきたか、共産党による虐殺の歴史を中心に、秦の始皇帝以来の「中国大虐殺史」を綿密に調べてまとめたものである。
今まで無視されてきた歴史の闇に光を当てる、「虐殺」に的を絞った、もう一つの中国史演義。
書の夥しい虐殺例うち、すさまじい一例を紹介しよう。
17世紀半ば、反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度だという。
大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動するため、張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。成都の街全体が「人肉加工場」に化したと云う。
石平氏によると、この張献中と毛沢東とは、その時代やイデオロギーは全く異なるとしても、人民に対する残虐性や心の深層において酷似するという。そして、そのキーワードが社会から排斥された「遊民」であり、
主流社会にたいする恨みと報復心なのだと。本書は日本人にわかりにくい、かの国の社会構造の一端を知る手がかりともなるだろう。
40 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:26:18 ID:foMtWvhG0
中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか
「中国」の歴史とは、侵略・大虐殺史であり、今後も続く!,
石 平 (著) を読んで
かつてアメリカのキッシンジャーは中国共産党を「殺人集団」と呼び、ギネスブックにも最も多くの人間を殺戮した集団と認定されている(らしい)。
本書前半では、「殺人集団」中国共産党の大虐殺の歴史(の一部)が綴られる。紅軍大粛清、大躍進運動、文化大革命、天安門事件…。もちろん、
この他にも現在進行形のチベットやウイグル人地区や法輪功に対する蛮行がある。
後半は秦、漢、明、清王朝などが行った大虐殺を記し、ついでに「中国」史の大観も学ぶことが出来ます。
明末の張献忠の名を覚えておいて損はないだろう。
フーバー元大統領は自身が1900年の義和団事件(北進事変)を体験した故に、中国と国交を結ぼうとしたニクソン大統領にかつて「中国人ほど残忍で信用できない民族はいない。
あんな国と国交を結ぶ必要はない」と言ったそうである。
中国は「万人杭」「三光作戦」「南京大屠殺」など日本軍がやった蛮行と宣伝するが、我々日本人はそれがどういったものか想像できない。
しかし、中国大虐殺史からすれば、彼らには容易に創造(想像)できるものなのである。
おそらく、「南京大屠殺」のモデルとなったのは、1864年、曾国藩率いる湘軍が洪秀全の「太平天国」南京を陥落させた時のものだろう。
我々日本人はこういった隣国を持つことを肝に銘じておかなければならない。
41 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:27:42 ID:foMtWvhG0
1947年 人民解放軍 南京へ侵攻 ”南京大殺戮”起こる。国民党台湾へ退避
朝日新聞昭和二十六年五月六日記事「マッカーサー元帥は四日の合同委員会で、次のように言明した。」
「台湾の法的地位についていえば、日本の多くの部分はまだ正式に帰属が決定されていない。ヤルタ協定、その他の協定による取り決めはあるが、
法的には台湾はなお日本帝国の一部である。連合国は日本の管理を米国に移管したと同時に、台湾を中国の信託統治下においたということができる」
(引用終わり)
そうです。マッカーサーは台湾がまだ日本領土であることをきちんと理解していたのです。中華民国軍はただ単に占領軍として進駐しただけです。
そうであるならば、昭和22年2月28日に始まった、三万人が虐殺されたといわれる2.28事件は、台湾人であっても純然たる日本国民が大量虐殺されたということになります。
スケールは通州事件どころではありません。
当時の朝日新聞でもきちんと見ていますと、台湾で異常な事態が起こっていることを報じ続けています。
また台湾にはまだ多くの日本人が帰国を待っていました。帰国する彼らと上海で同船した辻政信は、彼らから2.28事件の残虐さを知らされます。
多くの日本人は恐ろしい台湾アトロシティーを知っていたのです。
昭和27年に日華平和条約が結ばれます。日本は台湾は中華民国の領土だとは認めず、「放棄」したとあります。またその11条には
「日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は、サン・フランシスコ条約の相当規定に従つて解決するものとする」となっており、
そうすればあの2.28事件は両国の戦争状態において起こったものと理解できるでしょう。
42 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:29:18 ID:foMtWvhG0
43 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:30:45 ID:H8V2jVH+0
中国軍は、日本軍のお手伝いをしていたのです。
44 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:31:12 ID:foMtWvhG0
大東亜戦争終結により日本軍が「降伏」したあと、国共内戦が起きて毛沢東と蒋介石軍が争ったことは周知の事実である。
蒋介石が負けた大きな原因が、印度方面に駐留していて、米国から最新式の武器を与えられ訓練されていた精強?な「新1軍」と「新6軍」の60万の将兵が、旧満州での国共決戦に参入せず、怒った蒋介石がこれを「解雇」したことにある。
解雇された両軍はそのまま毛沢東に「寝返った」のだが、朝鮮戦争が始まると、毛沢東はこれをうまく利用して、北朝鮮に「恩を売り」、ソ連からの援助を引き出し、同時にこの「信用出来ない寝返り軍」を、
米軍と戦わせて「始末する」ことを考える。毛沢東は、米軍がどのくらい強いか全く知らなかったが、米軍式装備を誇る彼らに戦わせ、共産軍の温存を図るのだが、その時旧蒋介石軍の軍長に言った言葉が面白い。
「貴軍は降伏して私に忠誠を誓った。その忠誠心を発揮する時が来た」というのである
こうなれば両軍長とも朝鮮の戦場で戦うしかない。そこで「義勇軍」と称して北朝鮮に侵入して米軍と戦うことになるのだが、
一時的に有利な展開をしたものの結局は全滅する。こうして毛沢東は、金日成に恩を売り、スターリンから援助を獲得し
、何時自分に刃向うかもしれない60万の旧蒋介石軍を始末したのである。
45 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:32:57 ID:l6pkPEIE0
通州大虐殺
46 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:37:14 ID:foMtWvhG0
■人民解放軍は共産党の軍隊
知らない人がいるかもしれないが、人民解放軍は「中華人民共和“国”の軍隊」ではない。あくまでも、「中国共産“党”の軍隊」でしかない。
だからこそ、『中華人民と共産党が対立すれば、人民よりも、共産党の側に立つ』ことになるのは自明。
その一例が、民主化を求める学生を武力弾圧した「天安門事件」。
■小沢一郎は「民主党を人民解放軍」「2010年参院選を(共産主義革命の)解放の戦い」に例えた
「小沢幹事長が自らを『中国人民解放軍の野戦軍司令官』に例えた」ことには、恐怖を感じる。
なぜなら、「人民解放軍(共産党)は人民より上位」の説明で解るように、この発言の意味は『民主党を、国民よりも、上位に位置付けている』ということだから。
あまりにもスムーズに事が進み上機嫌で、思わず「本音」を言ってしまったのだろうか?
なぜなら、政治歴の長い小沢幹事長なら、「人民解放軍が、どのような性格の軍なのか」は承知の上の発言なのだろうから。
そして「解放の戦い」からは、「共産主義革命」をどうしても連想してしう。
小沢幹事長と民主党は、「2010年07月の参院選後に共産主義革命を日本で実行しよう」としているのだろうか?
日本人支那人は朝鮮人が嫌い>小沢の父親は支那人を満州で虐待した高麗棒子だった。
◆【主張】小沢氏訪中 違和感残した「解放」発言[産経新聞 2009/12/13]
47 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:38:12 ID:LFalJR0B0
便意兵
48 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:38:16 ID:foMtWvhG0
民主・小沢氏
もう二度と、こうした闇政治家とメディアに騙されてはならない。また、民主党の中にあっても、闇法案に反対しておられる心ある議員諸氏におかれては、このままでは、
小沢氏がいよいよ失脚する暁(あかつき)には、一蓮托生となるであろう。それでも良ければ話は別だが、しかし、意識がお持ちであれば、そろそろ、この、先が無い小沢一郎氏には見切りを付けられた方が良い。
そして、心ある議員諸氏による国思う政策グループを形成し、たとえば、闇法案への「是」「否」を基軸にした政策論議を選挙で問うべきだ。
-----------
地検捜査の★完遂と、小沢氏への公正な★法の裁可を
地検捜査の完遂と、小沢一郎氏への公正な法の裁可を願い、国民良識から激励メッセージを東京地検へ。
■ 郵便宛先:
〒100-8903 千代田区霞が関1丁目1番1号
中央合同庁舎第6号館 東京地検特捜部 殿
49 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:40:53 ID:K2aJnVHdO
共産党軍と国民党軍が
戦争のどさくさに紛れて自国民殺しまくったんだろ
50 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:41:18 ID:fy5jXfDA0
>>39 石平さんの本を読むと、日本人と中国人が仲良くなるなんてことはまず無理
だってことが判るよね。
多くの人に読んでいただきたい。
51 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:41:44 ID:foMtWvhG0
中国共産党の歴史は、人民にとっては災難の連続だった。むろん、それは単なる自然災害ではない。共産党による何千万という同胞殺害と、
誤った政策による何千万という悲惨な人災の連続だったのである。
まず一九四八年から五五年という初期の段階―。元公安相の羅瑞卿によれば、革命の敵として処刑された中国人の数は四〇〇万に上るという。
これはまだ毛沢東が博愛的だったといわれる時代だ。
五七年の反右派闘争の時には、五〇万を超える愛国者が右派分子として当局から弾劾され、そのうち数万人が労働収容所で死んだとされる。
そして、五八年には有名な大躍進が始まるが、この時の犠牲者は諸説あるものの、恐らく三〇〇〇万人は下らないという。
それだけではない。その後にやってきたのはあの文化大革命だが、ここでも少なく見積もっても二〇〇〇万人の中国人が殺されたとするのが研究者の定説である。
むろん、こんな数字は中国人自身が知らない数字である。あの天安門事件もそうだが、彼らは未だにその真相を知らされず、それを正当に知り、批判する自由すら与えられていない。
もし彼らに、いつの日か歴史研究の自由が与えられたとするなら、果たしてその結果はどのようになるか。クリストフはそう問いつつ書いている。
《問題は、中国の歴史家が押し入れを開く度、人の骸骨(犠牲者たち)が転げ出てくることなのだ。いつの日にかすべての押し入れが音を立てて開かれた時、
共産党の神話は崩壊し、社会は大きなショックに直面するだろう》(同書)>>
52 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:45:11 ID:ZWxQx55S0
>>38 どんな組織にも上の人間はいるやろ(;^ω^)
企業だろうと組織だろうとサークルだろうと
それすらも分からないのバカチョンは(´・ω・`)?
53 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:57:05 ID:nEo1gG7fO
>>1 マジレスすると、「当時の中国は、日本軍がすでに幅広く占拠しており、本当の意味での『自国』の軍と呼べるものを持てない状態だった。また、それを機能させる中国政府の中枢も日本が握っていた」、
なんて日中戦争までの数十年間の日本の中国に対する占領(植民地)政策を考えれば、中学程度で習う歴史の知識でも推測が付きそうだが・・・。
(某小林は、ここの部分を意図的に無視して書いてるんだねw)
今の日本を米軍が侵略していくイメージを10倍くらいにしたようなもの?
54 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:57:39 ID:ROr7D4abO
カブルが俺なら、
2ヶ月もの間善良な市民が虐殺され続けたにもかかわらず何の抵抗も対処もしなかった軍や政府を責めるけどな。
まぁ自国民を何千万も殺せる奴等にそれを求めるのは無駄か。
55 :
Ψ:2010/01/07(木) 10:58:53 ID:46KXm7bQ0
ベトナム戦争でも実際に村を焼き討ちしたり略奪強姦してたのは韓国軍だけどな。
56 :
Ψ: