邪馬台国の候補地といわれる奈良県の纒向遺跡で、3世紀前半では
最も大きな建物の跡が見つかり、邪馬台国近畿説をとる専門家は、
女王、卑弥呼が政を行った宮殿だった可能性があるとして注目しています。
奈良県桜井市にある纒向遺跡は、3世紀から4世紀にかけての巨大な
集落跡で、栄えた時代が重なることから、中国の歴史書に記された
「邪馬台国」の候補地といわれています。桜井市教育委員会が9月から
行った発掘調査で、直径が30センチから15センチ程度の柱が
東西南北に規則正しく並ぶ建物の跡が見つかりました。建物は、
出土した土器の年代などから3世紀前半のものとみられ、大きさは、
柱の数や間隔から、推定で南北19メートル、東西12メートル余りと、
これまで見つかった当時の建物の中で最も大きいということです。
ことし春までの調査では、一定の方向にそろえられた、別の3棟の
建物やさくの跡が見つかっていることから、専門家は、この一帯が、
大型の建物を中心に計画的に施設を配置した、宮殿のような区画
だったのではないかとみています。これについて、邪馬台国が近畿に
あったと考える兵庫県立考古博物館の石野博信館長は「建物の大きさや
計画性は予測以上で、卑弥呼が政を行った場所という可能性が高い」
と話しています。一方、邪馬台国が九州にあったと考える佐賀女子短期
大学の高島忠平学長は「広い範囲で調査を行い、結果が明らかに
なった段階で、吉野ヶ里遺跡といった九州の遺跡と比較、検討すべきだ。
今回の建物を“卑弥呼の館”とするのは早計だ」と指摘しています。
今回の調査成果については、今月14日と15日に現地で説明会が
開かれます。NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013692871000.html
2 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:05:20 ID:E+h0eshQ0
元祖 都市伝説
3 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:12:04 ID:HpT0r9B90
九州ざまあ
4 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:12:42 ID:QCyrdu7w0
ちくしょうやまたいこくはきゅうしゅうなんだいっ(´;ω;`)
5 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:16:02 ID:HpT0r9B90
6 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:16:04 ID:SUaiVhHb0
邪馬台国はどこですか
7 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:16:19 ID:SdrLlDEc0
読みにくい
8 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:17:27 ID:qawk2H7+0
卑弥呼の邪馬台国は北九州の豪族で
近畿の大和朝廷の権力に対抗するため
魏に朝貢して後ろ盾を得ようとした
9 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:20:44 ID:SUaiVhHb0
関裕二降臨
10 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:24:51 ID:2/seqYuO0
とっくに結論出てるんだけど
おらがムラの観光の目玉を横取りさせねえべみたいな
土人のエゴでまだ論争の決着ついてないことになってるんだろw
11 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:29:13 ID:qawk2H7+0
倭人伝中の距離の表示は筆者が
確認できる(魏の権力地域内)
より外は遠く誇張して
遠くの蛮人も朝貢するほど魏は偉大だと
しているだけであまり意味はない
12 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:33:14 ID:LgaACGnt0
13 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:39:34 ID:EhrwXY5v0
14 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:40:32 ID:bSlvJXTM0
表札でも出てきたのか。
15 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:40:45 ID:qawk2H7+0
大和朝廷側が邪馬台国を占領したあと
鏡や剣、銅鐸を没収したが
穢れを嫌い出雲に封印した
だから剣や銅鐸の発見された近くにまだ
鏡が大量に埋まっているだろう
16 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:43:40 ID:CMzO3kp80
みんなの心の中に
17 :
Ψ:2009/11/11(水) 08:45:23 ID:G2HG9w2I0
邪馬台国は福島県耶麻郡だろ
あの一帯からは最近まで人の住んでいた形跡が発見されているじゃないか
18 :
Ψ:2009/11/11(水) 09:19:12 ID:Xdsy0/z30
邪馬台国を日本語の読みで やまたいこく と読むのは間違い。
古代中国の読み方で、ヤマト(日本語のやまとに近い中国音)と読むのが正しい。
19 :
Ψ:2009/11/11(水) 09:24:58 ID:E68zngaV0
民主党は、財源が少ないくせに、
外国人優遇はそのままにしておく事が問題。
例えば、「高校無償化」は朝鮮学校も対象になるし、
外国人留学生に対し
1人当たり1年間に200万円程の補助をしている等・・・
国民よりも外国人にお気遣いの民主党。
日本国民にとって百害あって一利無しである
外国人参政権をも認めようとする(これに関しては、公明党・共産党・社民党も)等、
民主党に任せておいたら
間違った方向に進みそうで怖い。
(因みに、「署名TV」の政治・政策カテゴリーで、
外国人参政権を阻止する署名活動展開中)
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1249178084/ 在日チョンは無税ってホント?
在日韓国人の「外国人参政権」を欲しがる理由の一つ↓
169 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2009/10/19(月) 10:01:24 ID:5ozHTHPl0
2012年在日韓国人に徴兵義務強制、拒否すれば財産没収(正式決定済み事項)
すべての原因はこれだったみたい
2012年にこれが成立すれば在日は兵役こなすか、大金納めるかしかなくなる
しかもそれをしたら日本での永住資格は消えてなくなる
その前に日本を自分達のものにして法律を捻じ曲げて
永住資格を無理矢理維持する必要があったんだね。それが民主ageの正体
20 :
Ψ:2009/11/11(水) 09:28:11 ID:fpq2rA7m0
吉野ヶ里しょぼいんだよねぇ
21 :
Ψ:2009/11/11(水) 10:09:09 ID:mT+VIaBe0
お前らは地上ばかり見すぎだろ
空中庭園だと仮定すれば全てが闇の中
22 :
Ψ:2009/11/11(水) 10:29:55 ID:1q7E3IvI0
南を東に読み替え
邪馬台国は大和
馬鹿ですか
23 :
Ψ:2009/11/11(水) 12:27:12 ID:S21IwMUD0
24 :
Ψ:2009/11/11(水) 14:34:29 ID:sdozPyz50
混ざりたい奴は、最低でも三国志読んで内容理解してからな
25 :
Ψ:2009/11/11(水) 15:13:57 ID:BfT3azGE0
三輪山も近いことだしここでいいだろ
26 :
Ψ:2009/11/11(水) 16:10:50 ID:LHVDfPvS0
魏志倭人伝の行程は、途中までは国の位置が比定されてて、それらは九州近辺に
あるわけでしょ?
魏の使いは、九州近辺から近畿まで、どういうふうに行ったんだろ?
陸路で中国地方を通過して近畿に至るのは、あまりにも大変すぎると思うし、
海路で行くにしても、日本海側からだと、上陸した後に畿内まで行くのは大変だし、
瀬戸内海を通過したのなら、四国や淡路島などに関する記載があってもよさそうなものだが。
27 :
Ψ:2009/11/11(水) 16:31:19 ID:P/iTFTR+0
>>26 記述にある国がどこにあるか分かっていないのがあり、更に行程通りに進むと
南の海に出てしまいます。
九州説を唱える人は、お国自慢丸だしでかっこわるいな
29 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:25:53 ID:v2Cyj2lk0
>>23 九州説でも矛盾しないと思うけどな。
魏志倭人伝の卑弥呼、台与に関する記述を読むと、明らかに天皇家の皇位継承を
巡る騒動だ。
つまり、畿内の男系が断絶したということだろ。
そこで誰を天皇にするかで倭国が騒乱状態になった。足利将軍家を巡る戦国時代や
南北朝時代とかと同じことだ。
それで、最終的に九州にいた卑弥呼を暫定女帝とすることで擁立で国中がまとまった。
ところが、連合政権に過ぎない纒向は、邪馬台国の勢力が主導権を握ることに
警戒心を抱き、なかなか受け入れてくれなかった。
この点は、継体天皇が即位しても大和に入れず、高槻に拠点を構えたのと同じこと。
つまり、ヤマト政権の本部は纒向だが、女帝卑弥呼は九州で実権を振るった。
山口組の本部は神戸だが、現在の組長は名古屋の弘道会だというようなものだ。
やがて、台与が即位し、その息子が即位し、男性天皇が復活すると、いよいよ、纒向
の連合政権の実権を完全制圧するべく、東征を開始したが、纒向は抵抗し、かなりの
苦戦を強いられた。それが、神武東征の原型だろう。
つまり、「ヤマト」の呼称はもともと九州の地名であって、邪馬台国東遷によって、
今の奈良地域が新たにヤマトと呼ばれるようになったわけ。
30 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:30:22 ID:FE8thf3k0
これで邪馬台国の位置がほぼ確定したな。
31 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:30:54 ID:v2Cyj2lk0
>>29 ちなみに継体天皇は、ヤマトの男系が断続したので、福井にいた応神天皇の5代前の
皇族を擁立することになったんだよな。それで一騒動あったようだ。
32 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:34:44 ID:9E6xLGkoi
九州の方が良いなあ
33 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:38:13 ID:VKkqUjjO0
確定すると九州や各地の町おこしにこまるから
トドメはさしてやるな
34 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:38:16 ID:wlgfpfDsO
九州は中国にやる。
朝鮮でもいいや。
35 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:38:31 ID:v2Cyj2lk0
>>29 自レスだが、この考え方だと、神武東征のとき、ヤマトに神武と同じ天孫族のニギハヤヒがいて、
長髄彦が頑強に抵抗したという日本神話と合致する。
36 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:42:29 ID:ga+uWYrZ0
邪馬台国九州説が生き残っているのはそうじゃないと日本に朝鮮半島より先に
大規模な国家が存在したことになるから
新羅成立より後に大和朝廷が出来たことにしたい親朝派歴史、考古学者が
誤魔化しているから
37 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:50:32 ID:wlgfpfDsO
>>36 なんだその日本語はw
親日朝鮮人だろ、おまえwww
38 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:51:39 ID:zLYqGXAO0
シャボーンの癖に遺跡のことでスレ立てんな
もっと皮肉たっぷりのスレタイを期待してるのに
39 :
Ψ:2009/11/11(水) 18:53:14 ID:gJpXLE3o0
九州の村おこしネタがなくなるなこりゃ
40 :
Ψ:2009/11/11(水) 19:11:09 ID:/6MyXds50
鹿男あをによしでも邪馬台国は奈良だったな
41 :
Ψ:2009/11/11(水) 19:17:43 ID:9tOOdjew0
あ、おなにしお
42 :
Ψ:2009/11/11(水) 19:35:40 ID:nCXxPB0o0
卑弥呼って崇神天皇の時代の人でしょ?
43 :
Ψ:2009/11/11(水) 19:42:15 ID:nCXxPB0o0
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛
卑弥弓呼=武埴安彦
男弟=崇神天皇
台与=豊鍬入姫
ですね。なぜか記紀の編者はそれに気付かずに
卑弥呼=神功皇后に無理やりしてしまった。
44 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:10:49 ID:fdod1Ssx0
遷都祭 反対!!!!!!!!!!!!
荒いは仕事しろ
なら駅前のパチ屋潰せ!!!!!!!!!!!!!!!!!
せんとくん ( ゚Д゚)<氏ね!
45 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:22:36 ID:v2Cyj2lk0
>>29 >>31 >>35 自レスをさらに補強すると、なぜ九州の邪馬台国が、明らかに強大な纒向を制圧できた
かというと、纒向はあくまでも各地の連合政権に過ぎないから、正当天皇となった邪馬台国
の東征を手引きする勢力が畿内にいたからだ。
実際、神武東征のときも、そうだった。
46 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:30:06 ID:3uNBQkEX0
でかい屋敷が見つかった→卑弥呼が政を行った場所という可能性が高い
親魏倭王を下されたとして、日本の最大勢力でない可能性もあると思うが・・・
47 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:31:56 ID:v2Cyj2lk0
>>46 国内基盤が脆弱だったから、シナ王朝の権威を利用したと考えられるよな。
そして、もらった鏡を畿内にばらまいたと。
48 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:52:43 ID:ga+uWYrZ0
なんか古臭い話ばかりだな
纒向が重要なのはあの頃から農業の生産技術が向上して人口が爆発的に増加した証拠になることだよ
その増えた人間の処理に困って朝鮮半島に進出して高句麗と戦争をすることになるんだろ
人口増加が戦争の引き金になるのは最近の歴史の常識だよ
49 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:56:39 ID:wlgfpfDsO
>>48 なんだその日本語はw
親日朝鮮人だろ、おまえwww
50 :
Ψ:2009/11/11(水) 20:57:24 ID:jw+pLdyD0
これで九州説が決定的になったな
51 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:05:04 ID:MUy5VU4A0
ちんぼを振ってみせる
見つかる
52 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:17:37 ID:4/UaY0GE0
九州説はどうしても当時の日本の国力を過小評価せざるを得ない。
邪馬台国を九州の小さな村国家的な勢力にしてしまうからね。
その点、畿内説だと邪馬台国を少なくとも西日本全域を支配した勢力と見ることができる。
魏志倭人伝に登場する以前から倭国は公孫氏の燕国とかなり結びついていた可能性が高い。
そして魏国が邪馬台国に対して最高位の金印を下賜していることを鑑みてもかなりの勢力だと考察できる。
倭の五王の時代には強大な遊牧民族国家である高句麗と対等以上に戦争をする実力は九州だけの村国家とは到底思えない。
ただ九州説にもひとつだけ有力な根拠がある。
日食だ。
邪馬台国の時代に日本では九州で2年連続皆既日食が観測された。
これは神話の天照大神の岩隠れと一致する。
卑弥呼=天照大神ならばこの日食が観測されたのが九州のみという科学的事実が根拠となりえる。
53 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:28:01 ID:ga+uWYrZ0
軍事力と政治的力の大小は必ずしも一致しないと思うけど
戦国時代でも徳島県民の三好勢がずっと畿内で有力だったわけだし
54 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:33:54 ID:cl7bhcPR0
しかしこの論争にはなっかなか決定打が出ないなあw
55 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:34:14 ID:VQMod8+g0
畿内説だと天孫降臨・神武東征の解釈がヘンになる
出雲国譲りも浜辺での交渉だし畿内より九州の方が自然
56 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:34:44 ID:g+EoMoM3O
三好は細川の勢力をほぼそのまま保持してたんだろ
57 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:43:04 ID:4/UaY0GE0
応仁の乱の主役である細川管領家=三好三人衆みたいなものですからね〜。
天孫降臨・神武東征も説明はつくと思いますよ。
足利尊氏が京を追われて九州で勢力を盛り返し京を奪還したように、邪馬台国を追われた皇族の一派が九州で力を蓄え神武帝の時に畿内へ攻め上り政権を取ったとも容易に想像できます。
出雲国譲りもキャスティングボートを握っていた出雲勢が神武帝側に味方したという暗示ではないでしょうか?
証拠に出雲だけは律令制が制定されても別格扱いでしたからね。
この特別扱いはかなりの功績があったという証拠だと思います。
58 :
Ψ:2009/11/11(水) 21:54:11 ID:ga+uWYrZ0
そもそも神武の話が実話だとして一体いつ頃の話なの
そう考える理由は
59 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:03:13 ID:6/s9JMxY0
卑弥呼と同じ時代に畿内にも別の国が栄えていたってことだ。
まあ、邪馬台国の文化を考える上で参考にはなるので、頑張って発掘すれば?
60 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:08:11 ID:VQMod8+g0
>>57 誰に追い出されて九州へ行ったという事にするの?
九州こそ強敵・熊襲の本拠地なわけだけど
61 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:08:20 ID:vgWUiClb0
何で卑弥呼ってワカル?
62 :
ヨイサーζ('A`)ζ ◆nxvmZVzPDU :2009/11/11(水) 22:11:49 ID:XKimmqek0
それはひみこだ
63 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:14:51 ID:ga+uWYrZ0
そういえばひみこって名前のAV女優がいたな
けっこう美人だったような気がする
64 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:35:11 ID:VQMod8+g0
まあシナ人の当て字はわかるとして
ヤマト=大和
と当て字するのがわからない
山戸か山門だろ普通に考えて
65 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:42:08 ID:4/UaY0GE0
>>60 神話から考えればスサノオの高天原追放がそれを暗示しているのではないでしょうか?
神話は勝者の視点から描かれています。
スサノオ勢に機内を追われた卑弥呼の卑属は鉄器生産の先進地域である九州で勢力を蓄え出雲を味方にひきいれ畿内に侵攻したと。
一度は手痛い反撃に遭い損害を受けますがこれまた吉野など畿内奥地の豪族を味方に引き入れ最終的に勝利します。
仮に神武帝が畿内勢と縁もゆかりもない人物ならばなぜ吉野など畿内奥地の豪族は神武帝に味方したのかが説明できません。
神武帝が元々は畿内邪馬台国の縁者だという仮説なれば吉野など畿内奥地の豪族が神武帝の下にはせ参じたのも説明がつきますね。
66 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:55:47 ID:ga+uWYrZ0
ちなみに中国語の和と倭の読みは全く違う
67 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:56:02 ID:VQMod8+g0
>>65 卑弥呼がスサノオに追われた?
じゃあスサノオは大和朝廷の敵って事になるの?
畿内奥地はシャンカやツチグモの土地
豪族というよりは蛮族に近い
正当性なんてあんまり気にしないんじゃない?
カムヤマトイワレヒコの人格や取引で味方になっても不思議はない
68 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:56:44 ID:Eqr4Jjj60
卑弥呼って、なんかエロいな
69 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:57:18 ID:xrpqjutn0
処女王だったのか
70 :
Ψ:2009/11/11(水) 22:57:20 ID:rAZ711+E0
畿内は九州の支店みたいなものだからな
所詮は九州にあったということだ
71 :
のろま大佐 ◆UmooQG8asU :2009/11/11(水) 22:59:18 ID:RUlRG9jJ0
風俗店?
72 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:06:46 ID:ga+uWYrZ0
神武の話をずいぶん後世の話にしてるけどホントに古い話の可能性も結構あるよ
無文字の世界でも天皇家みたいな神主の家系は10代、20代の先祖の話を記憶しているのは
当たり前なんだけど
73 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:07:45 ID:4/UaY0GE0
>>67 後醍醐天皇と足利尊氏の南北朝と似た状況と想像してみてください。
正統である卑弥呼(天照大神)系勢力が機内を追われたと神話に書くのは勝者側として都合が悪い。
だから機内を追われた正統系勢力は「スサノオは高天原から追放された者。我らこそ正統。」と神話では描いたのでしょう。
ですのでスサノオ系勢力は大和朝廷の敵となりますね。
そしてスサノオ系勢力と婚姻関係を結び同盟関係だった出雲勢を九州の神武帝が味方に取り込んだことが東征の大きなターニングポイントになったのでしょう。
それは律令制において唯一国造が出雲だけは世襲だったという特別扱いにみられます。
74 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:11:14 ID:VQMod8+g0
支店かどうかはわからんけど
出雲
大国主→スサノオの娘婿
東の国
ニギハヤヒ→ニニギと同じく天から遣わされた
日向
イワレヒコ→ニニギの子孫
全部高天ヶ原関連、という事にはなっている
出雲は高天ヶ原の使者タケミカヅチに降り
大国主は出雲大社に祭られた=伊勢神宮、アマテラスと同格
高天ヶ原=神話化された邪馬台国
熊襲などに圧され日向まで縮小、新天地を求めて畿内へ
と考えると一番しっくり来るんだよね
75 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:12:14 ID:YG/ugojGO
古墳を直接発掘すれば早いのにしない(できない?)のは日本にとって都合の悪い
証拠がたくさん出てくる可能性があるからと聞いたことがある。
76 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:14:24 ID:O6vUu7sE0
陰謀論はやめとけ
77 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:15:26 ID:xrpqjutn0
邪馬台国があったと思われる場所で正しいものを選びなさい。
1.九州
2.四国
3.関東
4.東北
小学校辺りで出そうな問題だけど
答えが不確かだったり新発見や発明で
答えが変わるような問題って出すべきじゃないよな。
78 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:17:11 ID:VQMod8+g0
>>73 じゃあ追い払った畿内の勢力は誰?
その話からすると大和朝廷の内紛って事?
79 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:19:04 ID:ga+uWYrZ0
別に今まででも天皇の墓と知らないで掘っちゃったこととかあるよ
京都の某大学は昔勝手に、掘っちゃったこともあったらしいし
80 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:19:35 ID:4/UaY0GE0
>>78 私は内紛だと考えます。
魏志倭人伝でも邪馬台国の勢力基盤はまだまだ脆弱だと描かれていますしね。
おそらく南北朝のような大乱があったものと思われます。
81 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:23:01 ID:YG/ugojGO
>>79 それ聞きたかったんだけど法規制とかどこまであるのかな?
82 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:23:16 ID:UXlCC/2V0
邪馬台国が滅ぼされた国なら
卑弥呼の墓が残ってなくてもおかしくない
どうも卑弥呼の墓が欲しい人たちがいるらしい
畿内説→卑弥呼の墓存在→あらたな観光の目玉
83 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:26:48 ID:v2Cyj2lk0
>>78 追い払ったとか、わけのわからん議論をするな。
九州説の場合、卑弥呼は全国各地にいた皇族の一人で、畿内の男系天皇が断続したので、
やむをえず、地方にいる皇族からリストアップされ、擁立されたと考えるべき。
継体天皇擁立と同じことだろう。→
>>29>>31>>35>>47 これが、おいらの説得力ある仮説だ。
84 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:27:52 ID:ga+uWYrZ0
宮内庁が江戸時代の研究を元にしてここが何とか天皇の墓とか決めているらしい
そこは基本的に掘れない。最近はやや規制が緩くなって、遺体の近くじゃなきゃ
ちょこっと掘らせてもらえるらしいけど
85 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:31:06 ID:VQMod8+g0
魏志倭人伝読んでて思ったんだけどさ
卑弥呼=日or火or霊(ヒ) 巫女・御子・皇子 姫みこだとすると
明らかに名前ではなく号だよね
すると
和国大乱7、80年余、女を立てて王とする、の卑弥呼と
親魏倭王の称号を与えられた卑弥呼が、同一人物ではない可能性はない?
倭人伝自体が魏略のコピ改で、魏略のソースが伝聞という
86 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:31:16 ID:v2Cyj2lk0
87 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:33:22 ID:SQ+YUxUY0
88 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:33:31 ID:YG/ugojGO
ものすごく初歩的な質問するけど、邪馬台国の時代の日本列島、朝鮮半島は
現在の形をしていたのか?
89 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:39:19 ID:VQMod8+g0
>>83 お家騒動で女帝を立てるっておかしくない?
第一2〜3世紀に2代続けて女帝ってはないだろ
90 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:41:37 ID:ga+uWYrZ0
魏略が魏志の元である根拠が分からん
普通に公文書をもとにしたと考えていいじゃない
陳寿の「三国志」は結構実証主義的な歴史書だよ
史料が散逸していたとも思えないし
>>88 朝鮮半島は知らないけど日本の平地は少なかった
現在の平野部の半分だか三分の一だかは海だったらしい
古代の覇権はそこをどうやって干拓をめぐって争われたと推測される
91 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:42:36 ID:4/UaY0GE0
>>88 ほぼ同じ形をしてましたよ。
>>89 大和朝廷でも女帝は珍しいケースではありません。
やはり天照大神の存在が朝廷の基盤になっていることが大きいと思いますね。
そしてちょうど卑弥呼の時代に日本では九州で二年連続という珍しい皆既日食が観測されています。
科学が未発達な時代にこれは大事件だったと思います。
シャーマンが国のトップになるのもなんとなくうなずけます。
92 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:49:25 ID:vgWUiClb0
>>1 俺はインチキ臭いと思ってる
そのうち
キムチの化石でも発見されるんじゃねーの
93 :
のろま大佐 ◆UmooQG8asU :2009/11/11(水) 23:50:24 ID:RUlRG9jJ0
吹けば飛ぶようなちっぽけな豪族集団にそんなに躍起になるなよ
インドのオーパーツとか
夏殷周の伝説のほうが凄い
94 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:51:23 ID:YG/ugojGO
>>90-91 なるほど。決して現在の朝鮮位置と地続きってわけではなかったんだな。
95 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:54:56 ID:pXWnbZlw0
卑弥呼とズッコンバッコンしたい
96 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:55:08 ID:ga+uWYrZ0
でも氷河期には地続きだったよサハリンとかも
97 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:57:50 ID:UXlCC/2V0
魏志倭人伝って信用できるの?
98 :
Ψ:2009/11/11(水) 23:59:15 ID:Kf4O/26K0
日本史は好きだけど、
当時の中国やローマ帝国と比べたら土人も良いところだよな・・。
99 :
Ψ:2009/11/12(木) 00:00:15 ID:Xhcf5jfy0
>>90 比較するとそっくりだかららしい
前漢書
魏略云、倭在東南大海中、依山鳥為国。
倭人伝
倭人在帯方東南大海中、依山鳥為国邑。
>>91 女帝は珍しくないけど、皇位の正当性争いに女帝を立てて事態を収拾した、って考えは不自然
100 :
のろま大佐 ◆UmooQG8asU :2009/11/12(木) 00:00:52 ID:RUlRG9jJ0
>>98 でも人数が少ない戦や
小さな地域の合従の醍醐味もあると思うんだよね
信長の野望シリーズとかは全くその辺りを理解してないけど
101 :
Ψ:2009/11/12(木) 00:03:55 ID:YZdXfIh20
>>93 周の伝説がすごいとおっしゃるなら日本の皇室は周王朝の血縁ですよ。
周王朝初代武王の曾祖父である古公亶父には3人の優秀な息子がいました。
中でも末子の季歴が誉れ高く長子・太伯(泰伯)と次子・虞仲(仲雍)はその末子に跡継ぎの座を譲り国を出ました。
そして建国したのが呉です。
季歴は2人の兄を呼び戻そうと使者を送りましたが2人は体に刺青をし帰還を断わりました。
当時の中華世界では刺青は蛮族の証とされていたのです。
魏志倭人伝にも邪馬台国の因習として刺青が描かれていますね。
さて、この呉が越に滅ぼされた紀元前500年頃に日本では様々な中国南部渡来の遺物が発掘されています。
漆椀や鉄器や弩で惨殺された縄文人の遺骨などが出土し環濠集落なる戦乱を思わせる集落も出現しています。
要するに国を負われた呉の人々が日本列島に移住してきた痕跡なのです。
日本から出土する青銅器はなぜか世界でも殷周時代にしか使われていない特殊な鉛成分が同じく含まれているのです。
呉の人々は大切な青銅の宝物を日本列島に移住する際に持ち込んだのでしょうね。
出土する日本の青銅器はそれらの青銅を再利用したので特殊な鉛成分によって由来が明らかとなったわけです。
周は姫姓ですし皇室も同じく姫姓ですしね。
102 :
Ψ:2009/11/12(木) 00:12:26 ID:509fRCYt0
かつては現在の中国南部には今で言うタイ人が住んでいた
北方から来た東夷に追われていろんなとこに落ち延びたんだ
>>99 もとの史料が同じなら当たり前
103 :
Ψ:2009/11/12(木) 00:28:16 ID:Xhcf5jfy0
>>102 つまりいずれにしろ著者が直接渡航したわけではない
104 :
Ψ:2009/11/12(木) 00:29:54 ID:PDAeB4qd0
>>103 直接やった奴より指示した奴、つまり大倉理沙が
一番法律的には罪が重い
大倉理沙受刑者w
刑務所に入る時ってアナルまで調べられるらしいよw
がんばってねーんw
105 :
Ψ:2009/11/12(木) 00:35:29 ID:mUVA3EBUO
>>101 中国の歴史書にも書かれてるもんねえ
倭人自ら名乗ったらしいし
106 :
Ψ:2009/11/12(木) 02:40:40 ID:53p7glJL0
>>31 訂正
応神天皇の5代前の皇族 → 5代後の皇族
>>89 >>99 皇位の正当性争いに女帝を立てたのは、当面、適当な男系が見当たらないため、
暫定擁立したということ。この場合、卑弥呼の夫(倭人伝で夫はいないといっても
死別した可能性がある。また、天照=卑弥呼の場合、天照には息子がいた)が
皇統であったが、歴代天皇の血筋から離れすぎていたため、纒向で難色が示された。
また、卑弥呼自身も皇族であったと思われる。
その後、男系皇族ということで、卑弥呼の息子が即位したが、血筋が離れ過ぎていたため、
また倭国が収まらず乱れたため、別の皇族の女性、台与が女帝として即位。
台与は纒向の歴代天皇の近い皇族と思われる。つまり、神話の高木神は纒向直系。
卑弥呼の息子はこの台与と結婚し、その息子が後の天皇家へと繋がるということ。
血筋が離れていた継体天皇も、仁賢天皇ら、歴代天皇に連なる妃を迎えることで、
その子孫は後の天皇家へと繋がった。
なお、おいらの考えでは、「台与=神功」、「台与の息子=神武=崇神=応神」である。
初代天皇は応神であるが、功績の大きい応神〜武烈の系統が絶えたために
継体の相続に難色が示され、紛争が起きたため、継体への相続に正当性を与えるため、
応神〜武烈の業績を、架空の天皇・崇神をでっち上げることで、崇神〜応神に移した。
すると、辛酉なんたら説のために神武〜崇神を新たにでっち上げる必要が生じた。
だから、崇神〜応神はリアルだが、神武〜崇神は、神武以外に中身がないわけ。
107 :
Ψ:2009/11/12(木) 02:48:25 ID:53p7glJL0
>>106 応神〜武烈が悪く書かれているのはそのためと思われる。
108 :
Ψ:2009/11/12(木) 02:52:54 ID:9gAmOe8I0
>>106 つまり、百済と新羅まで打ち破って支配下に置いた(好太王碑文)のはトヨってことですか。
109 :
Ψ:2009/11/12(木) 02:52:57 ID:53p7glJL0
>>106 当面、適当な男系が見当たらず、暫定的に女帝を立てる場合、決定者らは、その血統に
皇位が完全に移らないようにしたいはず。
ちょうど、ドイツ分断後、西ドイツ政府が、将来の統一ドイツの首都を再びベルリンにするため、
発展性のない辺鄙なボンを暫定首都にしたようなもの。
ところが、邪馬台国はあなどりがたく、その女帝・卑弥呼の血統が結局、朝廷を掌握すること
になってしまった。
それが神武東征での長髄彦らとの激闘に発展したわけ。
110 :
Ψ:2009/11/12(木) 03:04:12 ID:zqmp9h1K0
青森の遺跡見に行った事あるが再現された集会所がヤノマミの家みたいで面白かったな。
土偶とか見ると刺青デフォだったみたいだし日本もあんな感じだったんだろな。
111 :
Ψ:2009/11/12(木) 03:17:45 ID:53p7glJL0
112 :
Ψ:2009/11/12(木) 13:32:51 ID:Sdd0w2S20
>>106 それだと東征の話につながらない
神功以前に九州に流されていたことになる
113 :
:2009/11/12(木) 13:34:26 ID:VKZXqt/A0
卑弥呼の部屋
今日のお客様は
藤原鎌足さんでございます
114 :
Ψ:2009/11/12(木) 13:36:40 ID:Wg/MpiKG0
中国人が蔑称で名付けた倭という言葉を嬉々として使う日本の学者連中は何なのか
115 :
Ψ:2009/11/12(木) 16:17:16 ID:Fu/RN0K70
この前、淡路島で発掘された製鉄工房遺跡は同じ時代だったかな。
160年くらい、延々と製鉄をし続けてたそうだけど、大したもんだね。
製鉄は原料である砂鉄と炭が大量にいる。
淡路島は瀬戸内海航路の途中にあるから、物流面では有利だったのだろうなあ。
出来た鉄製品を運ぶにも船は便利だ。
116 :
Ψ:2009/11/12(木) 18:05:07 ID:r6ND3k7z0
>>112 「ID:v2Cyj2lk0」「ID:53p7glJL0」の話を併せて読め。
117 :
Ψ:2009/11/12(木) 18:19:22 ID:Sdd0w2S20
畿内説の論調は最近ウリナラっぽい
118 :
Ψ:2009/11/12(木) 18:31:55 ID:Sdd0w2S20
>>116 大筋をまとめると皇位継承争いがあり
九州へ落ち延びた皇族が畿内へ逆侵攻した
という仮説になってる
けど神武がトヨ・イヨの息子だとすると
正統なのに九州へ落ち延びてる事になって変
国が治まったはずなのに東征?
119 :
Ψ:2009/11/12(木) 18:33:47 ID:r6ND3k7z0
>>118 落ち延びたというのではなく、もともと九州に住んでいた皇族だという仮説だ。
120 :
Ψ:2009/11/12(木) 18:39:08 ID:YOpijzDH0
やっぱり、優れた朝鮮の文化を取り入れたんだね。
121 :
Ψ:2009/11/12(木) 18:45:10 ID:Sdd0w2S20
>>119 ああそうか混乱してた
でも、卑弥呼が九州に居たってなってるぞ
東征した神武・応神と、その前の帝である母の神功・トヨも九州から?
重要な天皇はみんな九州から来たの?
まあ全部仮説だけど
122 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:12:18 ID:r6ND3k7z0
>>121 おまえ、なんか変な奴だなw
あくまでも邪馬台国九州説に立った仮説だと言ってるだろ
>>29
123 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:13:47 ID:xgpO2MNj0
卑弥呼のうんちが見つかったのかね
124 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:23:03 ID:YPvEH8840
出雲や諏訪なんかの神社の神主たちは、
往時の支配者一族の末裔という理解でいいのか?
125 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:24:09 ID:Sdd0w2S20
>>122 ヤマトの中枢が畿内って書いてるけど…
邪馬台とヤマトは同政権の地域別時代による差で
魏志にある邪馬台国の時は九州っていいたいの?
126 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:30:54 ID:LW80ekms0
昔の都とかより、巻向駅をどうにかしろ
せめて複式ホームにするとかしないとどうにもならんわ、便所も臭すぎ
127 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:31:14 ID:r6ND3k7z0
128 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:37:55 ID:UF7qNcpj0
正直どっちでもいいよ
129 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:45:14 ID:Sdd0w2S20
どっちでもいいが最近妙に畿内説に断定しようとするニュースが多い
でかい館が出た。邪馬台国は畿内に決まったな。
アホかと
130 :
Ψ:2009/11/12(木) 19:46:36 ID:xgpO2MNj0
とんこつでも食ってろ
131 :
Ψ:2009/11/12(木) 21:38:10 ID:+0qMGEyt0
そもそも、邪馬台国は、中国に朝貢してた中国の属国だから、今の日本のルーツである大和政権に近い存在だと都合が悪い。
だから、邪馬台国を、出来るだけ大和政権から遠い存在にしたいというネトウヨ的思想で、本居宣長がでっち上げたのが九州説。
132 :
Ψ:2009/11/12(木) 21:52:45 ID:bcJ2u10b0
卑弥呼ってのは
日本の歴史って言うより
遺跡に過ぎないワケね
133 :
Ψ:2009/11/13(金) 00:37:40 ID:Fi+PYz2O0
邪馬台国にはフェラチオはあったのだろうか?
134 :
Ψ:2009/11/13(金) 00:43:32 ID:FzedQ98A0
これだけのものを作れるのは列島に昔から居た人々(ヤマトからウリナラによって島根へ追われイズモと名付けられるようになった人々)だろ。
大昔から三内丸山のような大遺跡も作ってきたのだから。
135 :
Ψ:2009/11/13(金) 00:44:06 ID:jB8rQ+Ub0
倭国の女たちは、海を渡ってきた朝鮮の立派な男たちに憧れ、進んで身を捧げたのだと思うよ。
136 :
Ψ:2009/11/13(金) 00:45:10 ID:eNZWdhJg0
>>101 倭の五王が周王室の姫姓を名乗ってないのは何故?
実際は周王室と全く無関係の東夷族じゃないの
東夷族の倭漢氏みたいに系譜の詐称してるだけじゃん
137 :
Ψ:2009/11/13(金) 00:53:04 ID:qr+5oPMu0
卑弥呼ちゃ〜ん!きゃっきゃっ!!!!
138 :
Ψ:2009/11/13(金) 00:56:40 ID:eNZWdhJg0
刺青の習慣はやくざ屋さんが受け継いで、淫司の習慣は宗教団体が受け継いでマス
139 :
Ψ:2009/11/13(金) 01:02:43 ID:reavf5k20
230年に三国時代の呉の孫権は倭に遠征してます。
目的は人狩り。
漢末期から三国時代の長引く戦乱で中華世界の人口は極端に減少していました。
孫権としては魏を攻めたくても兵も生産能力も人口減によって深刻な不足状態に陥ってました。
そんな時にとある豪商から「東の海の果てに昔海を渡った呉の人々が迎えの船を待つ国がある」と聞かされました。
孫権はその話に飛びつきました。
「何百年も迎えの船を待つとは哀れなり。余が迎えの船を出してやろう。」と大義名分をかかげ人狩りの船団を組織しました。
呉の大船団が九州にたどり着いた時に戦乱の呉に帰りたくない勢力が反乱を起こしすでに魏と同盟を結んだ邪馬台国軍ともに船団を追い返してしまい遠征は失敗に終わりました。
このように三国時代でも呉から日本へ移住した人々の記憶が残っていたのです。
倭の五王がなぜ姫姓で記録されていないのかはわかりません。
蛮族として倭を描きたかった中華側の思惑で姫姓が史書から削られたのか、はたまた大和朝廷自身が姫姓を封印したのか。
現在の皇室に姓が無いのはもしかしたらそのあたりにヒントが隠されているのかもしれませんね。
140 :
Ψ:2009/11/13(金) 01:23:57 ID:eNZWdhJg0
曹丕は淫祠の取り締まりで社会問題を収拾したのに、
卑弥呼ちゃ〜んは淫祠おkでちゅ〜
141 :
Ψ:2009/11/13(金) 01:39:30 ID:Fi+PYz2O0
何か凄い妄想を膨らましている人がいるね
おんなじ人?
142 :
Ψ:2009/11/13(金) 19:20:22 ID:hL6eycxU0
卑弥呼の館って風俗店があってもいいな
143 :
Ψ:2009/11/14(土) 13:45:49 ID:NGr0K2cA0
144 :
Ψ:2009/11/14(土) 13:50:33 ID:RDhGrHwY0
>>129 九州だと邪馬台国は日本の数ある小国の一つに過ぎないことになってしまう
近畿だと日本政府の起源になるからな・・
邪馬台国自体の価値も九州と近畿とで大きく変わるんじゃないかな?
145 :
Ψ:2009/11/15(日) 18:01:51 ID:fRD8p/Y/0
>>8 古墳ってどの辺にあんのよ?
いいかげんあの辺は全部掘りつくされてるでしょ
貫山とか?
146 :
Ψ:2009/11/15(日) 18:08:22 ID:fRD8p/Y/0
そういや俺の地元は福岡県なのに何故か京都って名前なんだよな?
あと近くに2〜3世紀くらいの防壁みたいな遺跡もあるらしいし
普通に考えたらあの時代に石切り出して何キロも防壁作れないしな
卑弥呼がいたなら可能性あるかも
147 :
患者さん:2009/11/15(日) 18:11:04 ID:2d2VHPxN0
神話=実話ではない
三輪には崇神の代(紀元前100年頃)から現代を超越する文化が存在する
オレはこれでチェックメイト
148 :
Ψ:
なんかおもしろそうな話してんな
あとでゆっくり読もう