実体験として、教育の問題。
僕が小学生だった10年ほど前には、社会科で学期期間中ひたすら四日市喘息の問題を取り扱ったことがありました。カリキュラム違反でしょう。
道徳の時間は部落差別か朝鮮人の強制連行の問題です。気息奄々の半裸になった労働者の、薄気味悪い絵を見せられたことを覚えています。これらは、僕の性的嗜好の原体験ともなっています。
中学校ではひたすら被差別部落の問題。月毎に全校集会がありまして、その筋の方たちの公演を聞かされました。講師は以下のような面々。
ttp://www.iga.ed.jp/oyamada-j/humantime/index.htm こういう教え方は問題はないのかもしれないけれど、フェアじゃないですね。中学生が教師に意見できるわけもないでしょう。
大ホールで「みんな仲良く〜しよお〜」と歌わされたときは、近所で行われていた学会の集会を想起しました。
小中学校の恩師のおかげで、大学に入学して学生自治会のアジを耳にしたとき、不思議な既視感を覚えました。
こんな僕も今や立派な革命戦士です。みんな、団結して権力なんてブッ飛ばそう。