【中日新聞が岡田屋イオン批判?】絵図にくっきり格差社会 「天保の大飢饉」の尾張藩

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1(たもんぶざま)@〈(`・ω・`)〉(ドッキリ失敗)φ ★
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/images/PK2007101702156993_size0.jpg
 一八三〇年代の「天保の大飢饉(ききん)」で生活に困った庶民が、
尾張藩から緊急の救済金を受け取るさまを描いた絵図が、新たに見
つかった。町奉行所に人々が殺到するそばで、後に松坂屋となる呉服
店のにぎわいも描かれ、江戸時代の“格差社会”の一端が浮かび上
がる。鑑定した名古屋市博物館(同市瑞穂区)は開催中の特別展に合
わせ、急きょ十六日から公開した。
 絵図は縦約九十センチ、横約百七十センチ。布地に絵筆で描かれた
細密な鳥観図だが、作者名はない。今月上旬、同館の特別展「大にぎ
わい 城下町名古屋」(中日新聞社主催)の来場者が持ち込んだ。愛
知県半田市の旧家に伝わる秘蔵品だという。中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007101702056842.html
2(たもんぶざま)@〈(`・ω・`)〉(ドッキリ失敗)φ ★:2007/10/17(水) 17:28:41 ID:???0
 同館で文献などと照らし合わせたところ、「新修名古屋市史」にも記
されている天保飢饉での「窮民救済」を表していることが分かった。
 市史によると、尾張藩は一八三七(天保八)年、大飢饉による混乱を
収めるため、生活苦の領民に「御救金(おすくいきん)」の支給を決定。
名古屋城下町では同年五月、町奉行所が六千二百二十一世帯に三
百文(現在の価値で約一万円)ずつの銭差し(銭の束)を配った。
 絵図では、みすぼらしい着物をまとった男女が、町奉行所とみられる
屋敷に整然と列をなし、敷地の奥で恭しく銭差しを受け取る。周囲には
端午の節句ののぼり旗が描かれており、市史の記述と合致。町奉行
所は、現在の同市中区丸の内二にあった。
 一方、奉行所の隣には、後に百貨店「松坂屋」となる「いとう呉服店」
ののれんを掲げた店があり、華やかな着物姿の客でにぎわっている。
奉行所で順番待ちする庶民とは対照的に描かれ、江戸時代の「光と
影」を強調しているかのようだ。
3(たもんぶざま)@〈(`・ω・`)〉(ドッキリ失敗)φ ★:2007/10/17(水) 17:28:48 ID:???0
 同館の鳥居和之学芸係長は「誰が何のために描いたのかは分から
ないが、大飢饉時の藩の対応を具体的に示す全国的にも珍しい史料
だ。町奉行所や呉服店の内部がこれだけ詳しく分かる絵図も今までに
なかった」と話している。
4Ψ:2007/10/17(水) 17:44:51 ID:xzDeYgUh0
絵が小さすぎてわからん
5Ψ:2007/10/17(水) 17:47:31 ID:Zp5U80N80
その松坂屋が現代の岡田イオンということだな。なるほど。
6Ψ:2007/10/17(水) 17:58:58 ID:fZBJ0svJ0
この大飢饉の時に、石見奉行の代官は領民を救ったぞ。幕府の直轄領だから、
奉行が置かれた街だよ。

時の代官井戸平左衛門正明は、官庫を開け、領民に米を与え、領内から餓死者を出さなかった。
井戸正明は、その後責任を取って切腹しているよ。幕臣でも立派な侍はいたんだよ。
7Ψ:2007/10/17(水) 18:37:28 ID:o7Cb/bcV0
「江戸時代の“格差社会”の一端が浮かび上がる」

格差大好き左巻きは、なんでもかんでもちょっとでも違いがあると、すぐ格差、格差と騒ぐ。
あらゆることに違いが無い世界が好きなら、どうぞ死んでください。

8Ψ:2007/10/17(水) 18:44:45 ID:LXGT0BWl0
んなもん中日新聞の記者の給料と配達員の給料比べてみりゃいいじゃん。
こういう格差はOKか。
9Ψ:2007/10/17(水) 20:06:08 ID:UYK8AYyr0
松坂屋と岡田屋って関係あるのか?
10Ψ:2007/10/17(水) 20:55:07 ID:Bbksl0t30
松坂屋と岡田って何も関係ないだろ
11Ψ
江戸時代後期の一人前の大工の日当が
一日600文っていうから、

この六千世帯ってものすごい貧民層なんじゃないの?