645 :
朝まで名無しさん:
徐勝について
【徐兄弟事件概要】
1971年4月、韓国で政府転覆のために暗躍していた北朝鮮スパイが
逮捕された。逮捕者には在日留学生が4人含まれており、そのなかに、
ソウル大法学部に留学中の徐勝と、弟の徐俊植がいた。
韓国保安司令部によると、スパイらは金日成が主唱した「対南工作」の
「民衆蜂起を造成、武装暴力に転換し、武力浸透戦争を誘発」させる任
務を帯び、暗躍中だったという。
暗号解読乱数表、金日成の肉声テープ、工作資金350万ウォン、爆弾
製造マニュアルなど50点が押収された。
韓国・国家保安法により徐勝には死刑が求刑された。
徐勝の母校・東京教育大学では助命嘆願運動が開始され、7月の第一審
に徐勝がドロドロに焼けただれた顔で登場するや、当時北朝鮮を賞賛、
一方、韓国を警察国家と誹謗していた日本のマスコミは、当局の拷問と
騒ぎたて、日本での徐勝への同情が高まる。(のちに、この火傷は、徐
勝自身が作ったモノと判明)
10月になり、徐勝に死刑判決が下ると、日本で「徐君兄弟を救う会」
が結成される。井上ひさし、新藤兼人、羽仁五郎、米倉斉加年、渡辺美
佐子らが賛同。朝日新聞や岩波書店「世界」なども、徐擁護の論調を強
める。
徐勝は獄中から世界のマスコミを通じて批判を続け、日本の「救う会」
も次々に運動を拡大。日本の国会でもこのことは問題化され、結局、徐
勝は90年に特赦される。