沖縄人が抱く根深い対日不信感   

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1嘉手苅、伊志嶺、根路銘、手登根、目取間、阿波根、与那嶺、真栄城
沖縄は1879年まで日本ではなかったが、この129年の間に、第二次世界大戦が繰り広げられ、その戦争で沖縄は地上戦に巻き込まれたが、あろうことか旧日本軍から沖縄住民が集団自決を強要されるという忌まわしい事件まで起きた。
戦後の1952年4月28日には吉田茂内閣の下、「サンフランシスコ講和条約」が締結され、日本政府は1879年以降、ずっと「沖縄は日本」と言い続きたにもかかわらず、まるで手のひらを返すかのように、沖縄をアメリカの里子に出すという裏切り行為を行った。
戦後、日米両政府の狭間に揺れ、今なお、国土の0・6%の沖縄に在日米軍基地の約75%が集中しているという現状があるが、沖縄と日本(本土)の間には未だに複雑な諸問題が山積している。