第87回全国高校野球3日目

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867公共放送名無しさん
 岡本投手は三重県保々出身。中学時代は主将兼本格派右腕として鳴らし、県内外の強豪から誘われた。母順子さんは
「三重にも四日市工とか海星とか強いチームがあるのに、何も菰野へ行かなくても」と当初は甲子園未出場校の公立へ行くことに反対。
息子の夢をしってるからこその反対だった。しかし、「たとえ、甲子園にでられなくても地元のみんなと3年間頑張るから」という息子の熱意に折れた。
 だが、希望に燃える少年に試練が訪れた。母を病魔が襲う。その年の秋、床に伏した。「見舞いにいきたい」と電話口で何度も駄々をこねたが、母は
「好きな野球に打ち込みなさい」と息子を突き放した。今年四月、容体が急変した。「早く親元に帰れ」。戸田直光監督(43)に促され、病床へ駆けつけた。
ベッドの母はやせこけ、生気がなかった。「甲子園に行きたかった…」「絶対連れていく。元気を出して」。これが、母と息子が最後の会話となった。
1週間後、47歳の生涯を閉じた。それでも、最愛の息子に会えたのが、うれしかったのだろう。「息を引き取ったとき、ほほ笑んでいた」
 母との約束をかなえることを誓った。中学時代は毎試合、見に来てくれた母。が、高校時代の試合は1試合も見ることなくこの世を去った。
三重大会で岡本選手は帽子のつばに「最高の親孝行を」と書き記し、ポケットには、高校入学前に母が作ってくれたユニホーム形のお守りを忍ばせた。
不安だった制球が最後の夏にさえた。44イニングスでわずか6与四死球。エースとして大車輪の活躍で甲子園初出場に貢献、夢はかなった。
 盛夏、青空に入道雲が映えた。息子の甲子園での活躍を誰よりも楽しみにしていた母。「ここがおれたちが夢見た甲子園だよ。母さん。天国から見守
ってくれ」岡本選手は形見のお守りをぎゅっと握りしめた。