【メンタル】『The Mental Test』【息抜きコラム】
1 :
1:
『The Mental Test』
強いメンタルのメカニズムを解き明かそうと、ある実験が行われました。
プロゴルファー、医者、ホラー作家、ギャンブラー、普通のサラリーマンの五人に特殊な映像を見せ、その反応を見る実験でした。ショッキングな映像を最後まで見続けた職業の方が、優れた強いメンタルを持っているという実験ルールでした。
最初に根を上げたのは医者の男でした。実験が開始されて半日ほど経過したとき、試験場所である個室のドアを勢いよく開けて飛び出してきました。
「君たち、正気か?こんなの実験と呼べる代物ではないよ!一刻も早く中止して、あのおぞましい光景をさっさと片付けるんだ!」
「おぞましい?何が見えたのですか、先生。普段あなたが外科手術で見ているものよりもっと怖いものですか?」
私は言いました。私もここで行われている実験映像の中身がどのようなものか知らなかったのです。
「愚かな……私が普段触れているものは、神の創造物であり、高貴なものなんだよ。付け加えるなら、オペのときは患者の命に集中しているんだ。気持ち悪くも何ともない!これで失礼させてもらうよ。もちろん、謝礼は結構だ」
「そうですか、それはとても残念です。ですがドクター、私はただ申しつけられてここにいるだけで、この実験の考案者ではありません。そのことだけは、どうかご理解いただけると……」
医者は唾を吐くように私に顔を向けたあと、すぐに踵を返していきました。
2 :
1:2013/02/21(木) 17:53:04.73 ID:gvX0X6gn
二人目の脱落者が別の個室から出てくるまで、そう時間はかかりませんでした。
「えっと、ギブアップはここでいいのかな?もう付き合ってられないよ。何ていうか、色々と自分とシンクロしちまって、これ以上見ていても悪影響にしかならないんだよね。まあ、見るだけだっら少し続けることはできるかもしれないけどさ」
若い男のギャンブラーが強がっているのは明白でした。手が震えて煙草に火をつけるのに幾度も失敗するのが見え見えでしたから。
「ちっ、ガス切れか、まあ、いいや。謝礼だけは受け取っておくぜ。そうそう!こんな悪趣味なことはこれっきりにしといた方がいいぜ。寝つきが悪くならぁ」
南部なまりでそう言い捨てると、男は謝礼の封筒を私からふんだくりました。その分厚さに男の顔がほころんだように見えましたが、すぐに戻すと苦虫を潰したような顔のまま立ち去っていきました。
三人目の脱落者は、日をまたいだ早朝に現れました。
落ちくぼんだ眼を爛々と光らせながら、中年女のホラー作家は私に言いました。
「こんなシチュエーションでここまで興奮するとはね……おかげで創作意欲が湧いてきましたよ。人の情念に訴えるホラーが書けそうだ、ひひひ」
私には一瞬、その中年女が白雪姫に出てくる老女に見えました。身の毛のよだつ魔女のようでした。
「そんなに刺激的な内容でしたか?実は私は中身を知らされていないんですよ。もしよかったら、どのようなものなのか教えていただけませんか」
「ひーっ、ひっひひひーーー!」
奇声を上げ両手を天高く突き上げると、腰を折り曲げて、正に老婆のような格好で走り出しました。止めるすべはなく、あっけにとられてしまいました。
すると、私の口から自然と言葉が漏れてきました。
4 :
1:2013/02/21(木) 19:02:06.10 ID:gvX0X6gn
「やはり世間ではアスリートと呼ばれる人種が、メンタルが強いんだな。プロゴルファーの人だよな、確か。それと……もう一人残ってるか……こっちはただのサラリーマンか。それじゃあ時間の問題だな」
自問自答がちにつぶやき、時計を見ました。実験開始から二日目で、二回目の15時を回ったところでした。
私はちょっとした睡魔に襲われ、それぞれの個室の中央に位置する監視椅子――と言っても、ただのパイプ椅子ですが――に座ったまま眠ってしまいました。
それから数時間経ったころでしょうか、私は男の声で目が覚めました。
で?
6 :
1:2013/02/22(金) 10:21:09.16 ID:r3d1O8i3
「オーケー、ボーイ、君たちの勝ちだ。私はこのゲームをリタイアする。それで満足だろ?」
顔の間近で、黒人のプロゴルファーが私に話しかけていました。周辺は薄明りで照らされているだけでしたが、彼の眼にはっきりと光るものが見えました。
「ええ、リタイアはご自由ですが、どうしました?ゴルフで名を馳せたあなたでも耐え難いものでしたか?」
さすがにもう、答えが返ってくるとは期待しなくなっていましたが、つい同じような質問を投げかけてしまいました。
彼は、一生けん命に言葉を紡ぎ始めました。
7 :
1:2013/02/22(金) 10:27:06.80 ID:r3d1O8i3
「私に限らずプロゴルファーというものは、集中するとゾーンと呼ぶ特殊領域に入ることができる。耳を塞いだような状態で何も気になるなくなる――すなわち、邪念を一切合切取り払ることができるんだよ。それでも、それでもな……」
彼は言葉を詰まらせ、私の両肩を強くつかみ、揺さぶりはじめました。
「この実験がどういう意図かはしらんが、あれはいけないよ、ボーイ。
延々と見せつけられたら、どんな人間だって狂ってしまうよ。心の琴線が引きちぎられてしまう。それに、私は後悔しているんだ。もしかして私や他の被験者が早々にリタイヤしたら、この悪夢のような実験が早く終わったのではないかと」
8 :
1:2013/02/22(金) 13:37:52.99 ID:r3d1O8i3
憔悴しきっている彼に、事情を知らない私はさらりと答えました。
「たしかに、おっしゃる通りです。私はこの実験の監視をアルバイトで引き受けましたが、すべての被験者が個室のドアから出てきたら終了して構わない、と最初に言われましたので。でも、まだ続いてますよ。まだ残っている方が一人いるんです」
彼は私の言葉を聞くと大きく左右に首を振り、肩をポンと叩きました。そして足取りも重く私の前からゆっくりと消えていきました。
で?
はよ
10 :
1:2013/02/22(金) 16:53:05.21 ID:r3d1O8i3
次の日も、また次の日も最後のサラリーマンはドアから出てきませんでした。
しびれを切らした私は、これ以上は割に合わないと判断し、ドアを開ける決意をしました。
実験中断と取られる可能性もあるので、まずは出て行った人たちの部屋から確認していきました。
部屋の中に入っても、特におかしいところはありませんでした。
小さな備付のベッドと机と椅子。そして――映像を映す巨大なモニターが部屋の中央に鎮座していました。
11 :
1:2013/02/22(金) 16:54:04.54 ID:r3d1O8i3
「ああ、電源が入っていないのか」
真っ暗いモニターに手を伸ばしました。
ぼんやりと少しづつ輪郭を描くように、トーストを紅茶に浸したときのようにじんわりと画面は映し出されていきました。はじめは、それが何か分かりませんでした。
ですが、何であるか理解できる頃になると、私の心臓は早鐘を打ち始めました。
すぐにその部屋を飛び出し、出てきていないサラリーマンの部屋のドアに向かいました。と言っても、サラリーマンがそこに入っているのを直接見たわけではなく、実験の主催者から聞き伝えられただけでしたが。
鉄の扉はとても重く、完全な防音効果の役目を果たしていました。
すぐには開きませんでしたが、渡されていた鍵でロックを外すとゆっくりと悲鳴のようなきしみを上げて開いていきました。
で?
はよ
13 :
1:2013/02/22(金) 17:25:55.88 ID:r3d1O8i3
そこは、さっき見た個室とは明らかに異なりました。
広い――。さっきの数百倍はあろうかという巨大な空間でした。
そこには、椅子に腰だけをくくりつけられた人間が――ざっと二百人はいました。
男性が圧倒的に多いようでしたが、中には女性やお年を召した方もいました。しかし、子供は一人もいませんでした。
首に社員証のホルダーを下げている方が多くいました。
14 :
1:2013/02/22(金) 17:27:25.81 ID:r3d1O8i3
両手は自由になっていて、数人の手には拳銃が握られていました。
正確に言うと、手に持っていない人の床には、拳銃がころげ落ちていました。
私は声を失いました。
個室にいた四人の方は、モニターでこの空間の様子を見ていたのです。
で?
はよ
16 :
1:2013/02/22(金) 18:25:38.02 ID:r3d1O8i3
鼻につく異臭を我慢しながら、ホールの中央へ向かいました。
そこには、巨大モニターが据えられているのです。
革靴を脱ぎ捨てて靴下の状態にならないと、そこまではとても進めませんでした。
体育館のような床一面に、人間の血液がにぶちまけられているのですから。
全員が息絶えていることは、静まり返った空気から伝わってきました。
バランスを崩しながら歩く、私のペチャペチャという不気味な音だけがこだまします。
誰かから反応があったら書くというのはそういうメンタルテストってこと?
18 :
Trader@Live!:2013/02/22(金) 23:47:31.31 ID:sJRqPaQM
で?
まーだー?
19 :
1:2013/02/23(土) 00:32:59.30 ID:awbbs21E
1です。 17さん、18さん、レスありがとうございました。
相場のちょっとした息抜きにお役に立てば、と書きつづった次第です。
月曜日に更新&完結の予定です。
今しばらくお付き合いいただけますと幸いです。
爆益あれ。
おう たのしみにしとるよ
もう疲れたから、ドル円Lで夏の参院選まで、寝かす。
それで、ロスカ食らうならしかたないとおもって仕込んですること無いのに
楽しみにしてたのにー
嫁も楽しみにしてたのにー
22 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/02/23(土) 18:00:19.58 ID:EAcN1MNA
一般的に、高いリスクを許容できるほど強いメンタルの持ち主と言えて、
それは成功者の資質のひとつであると解釈されているが、
実は本当の成功者ほど低いリスクしか許容しないという暗喩かな?
月曜楽しみー!
なんだよ休みか
24 :
Trader@Live!:2013/02/24(日) 14:08:21.84 ID:k2s2TMmy
25 :
1:2013/02/25(月) 10:15:03.01 ID:tJ8x7gRw
彼らは巨大モニターで何を見ていたのでしょうか。
そこには、大きな数字が左右に表示されていました。また、二つあるもう一方の巨大モニターには、棒グラフのようなものが表示されていました。
詳しい見方は分からなくても、それが何であるかを知るには充分でした。もっとも、その秘めたる恐ろしさまでは知る由もなかったのですが。
26 :
1:2013/02/25(月) 10:15:42.35 ID:tJ8x7gRw
それからどうやって家に帰ったのか、はっきりとは覚えていません。
眼前で繰り広げられた光景が強烈過ぎたせいで、記憶も途切れ途切れになっています。
それから数か月ほど経ったころでしょうか、ある宗教団体が機関誌にて「人間のパニック耐性を測るための心理実験」という記事を載せたそうです。
その苛烈な内容は女性週刊誌のスクープによってやり玉に挙げられ、それがきっかけで解散に追いやられたそうですが、まあ詳しい話は別の機会にでも。
かくいう私ですが、特にフラッシュバックに悩ませることもなく平穏な日々を過ごしています。
ですが不思議なことに、あの数日間に渡る、恐るべき実験が開始された日付については今でも鮮明に覚えています。
2008年9月15日――世間では、この日付からの一連の出来事をリーマン・ショックと呼んでいるそうです。
おしまい
27 :
1:2013/02/25(月) 10:21:29.53 ID:tJ8x7gRw
1です。
相場に関係する、ちょっとした息抜きコラムを掲載するスレとなっています。
スタイル的には、ショートショートで(相場の片手間に)読める内容としています。
値動きが少なくて退屈なときや、お気に入りのスレの投稿がないときの暇つぶしにお立ち寄りいただければ幸いです。
次は、奇妙なメールが届いたお話です。
『The Strange Mail』
ある日、奇妙なメールが届きました。
と言ってもごくありふれた迷惑メールに見えなくもありません。
どこが奇妙なのかうまく言葉で言い表せない部分が、奇妙なのです。
「親愛なるあなたへ
私は株式市場における、特定銘柄の騰落を言い当てる事ができます。
その力を用いれば、必ず連戦連勝しあなたに莫大な利益をもたらすことができるでしょう。お金に興味はありませんか?
このメールに書いてある銘柄を、寄付に買うだけで構いません。
すぐに含み益になることでしょう。決済は、前場の引けで構いません――実に簡単でしょう?」
メールの末尾には、申し訳程度に新興市場の銘柄コードが1点添えられていました。
明日の朝一番に暴騰する銘柄だそうです。
読み終えたあと、私は思わず吹き出してしまいました。
絵に描いたような詐欺メールの典型であり、いわゆる有料予想の勧誘なのでしょうが、その手口があまりにもベタだったからです。
29 :
1:2013/02/25(月) 10:24:53.92 ID:tJ8x7gRw
ただ、やはりどこか奇妙です。銘柄を出し惜しみせず書いているだけで、どこにも情報商材サイトのURLが記載されていないのです。
『おや、これだとすぐに結果がばれてしまって、インチキ予想が成り立たなくなるんじゃないか?外れたときにどうやってごまかすのだろう』
私の専門はFXでしたが、昔は株のデイトレードもかじったことがあり――結果は暗澹たるものでしたが――その頃の記憶を手繰りはじめました。
『どれ、明日は為替の片手間にトレードツールで結果だけを確認してやるか。ちょっとした見ものだな、どれだけ赤っ恥を見せてくれるのやら』
株式投資の難しさを身をもって知っている私は、ほくそ笑みました。
しかし次の日、私の期待は裏切られる事になります。
30 :
1:2013/02/25(月) 10:25:28.39 ID:tJ8x7gRw
9時の寄付き直後から、メールに記載されたJASDAQの一銘柄が急騰を始めたのです。
いくら上げ相場といえ、一直線にストップ高に張り付いた瞬間には目を見張りました。
正直、それを見て少しは興奮をしたと思います。ですが、それはトレーダーの性としてであり、すぐに平静を取り戻しました。
そして、今しがた行われたこのトリックについて思いを巡らせたのです。
10分ほどでひとつの考えに至りました。
『ああ、なるほど。所詮上げか下げかで結果が分かるものだし、大勢の人間にいくつもの予想メールを送っているんだな。それで、たまたま私のメールに記載していた銘柄が上がったと。ストップ高になったのは、単なる偶然のおまけでしょ』
そう、高をくくりました。それなら説明がつくし、検証も容易だと思いました。
なぜかと言えば、その日の夕方にまた次のメールが送られてきたからです。
明日以降も、見るだけ見ればその内化けの皮がはがれる――そうした、ある種うがった私の見識は、見当外れであると思い知らされる事になります。
なんと、それから10日間連続で当たり続けることになるのです。
寄り値よりも前場の引け値が高い、と言う現象が10連続……それも単一銘柄の指定で。
31 :
1:2013/02/25(月) 11:30:40.89 ID:tJ8x7gRw
2×2×2×2×2×2×2×2×2×2=1024
単純計算で、1024人へメールを送り、その中の一人にならなくてはこの結果が得られないはずです。
さすがに、心中穏やかではありません。
どこからどうみてもインチキなメールなのですが、その予想に一度も乗らなかった自分に腹が立ったのです。なぜなら、指定銘柄の多くが低位株と呼ばれる価格の安いものばかりで、私の予算でも十分に実弾で試す事ができたのですから。
このとき、このメールの奇妙な点に気がつきました。
買うときの注意として、次の文言が添えられていたのです。
『指定銘柄を買うときは、3株や9株、または30株や90株、はたまた39株や390株という単位で建てるようにしてください。それが私の予想を見て購入した合図になりますので』
予想に乗るつもりがなかったときには気にならなかったものが、いざ買う気になると見えてくるものです。注意深く読み、10回見逃してきた自分を責めながら、次のメールを待ちました。
32 :
1:2013/02/25(月) 13:30:53.37 ID:tJ8x7gRw
翌日から、狂喜乱舞の日々が続きました。
米国株が暴落した翌日でも、はたまた円高のゆり戻しがあった日でも、寄り天で市場が冷え込んだ日でさえもその銘柄たちは確実に上昇しました。
聖杯という言葉を軽々しく使う事はおこがましく、避けてきた私ですが、その魔法のような効果に当てはまる言葉は他には見つかりませんでした――これが聖杯である、と。
なんにせよ、寄りの成り買いがひたすら昇り竜の弧を描くのですから。
その狂気の宴の最中にも、私の疑念がするすると首をもたげてきます。
『こんなことでいったい何になるのだ?というより、どうやればこのような芸当ができるのだろう。たしかに、一株は安いから資産家であれば株価操作はできるレベルなのだろうが』
論理の糸を紡ぎあげるように、自分の納得できる自分用の答えを探しました。すると、ようやくそれらしきものが浮かび上がりました。
『もしかして、予想屋は自分の銘柄を私たちに買わせているだけに過ぎないのか?いわゆる証券会社がやるレーティングを地で行っていると。私たちはその買い推奨の言葉に引き付けられて購入し、それが提灯となって他の投資家を呼び寄せていると』
寄りで一斉に買う事が、それほど効果があるわけはないとも思いましたが、それをねじ伏せてでも自分を納得させました。そうでもしないと、このお祭りに阿呆となって参加する権利を失いそうでしたから。
ちょうど、40回目のメールを待っているときに異変が起きました。
いつもの時刻になっても、一向にメールが届かないのです。
>>1 リーマンの話の意味が分からんのは、俺のせいなの?
結局どんな実験を何のためにやっててそして最後まで残ってた強者は結局誰なの
34 :
1:2013/02/25(月) 16:48:51.98 ID:tJ8x7gRw
最愛の人にふられてストーカーになる変質者のように、その日を境に私は狂い始めました。
次の日も、また次の日も聖杯を記したメールが届かないのです。
私は、何度も確認しました。迷惑メールフォルダを漁り、それこそ裏までひっくり返すように、まんべんなくメールボックスの中を覗き込みます。それでも、届いていないものは、届いていないのです。
もちろん、発信者のメールアドレスに何度も問いかけました。
「すみません、いつも頂いていたあの神のような予想メールが、何かの手違いか、届いていないのです。もし、費用がかかるようでしたらある程度でしたらお支払いします。
どうかお助けください――あなたの信者より」
猫なで声よろしく、メール文面を書き連ねました。もちろん、高額な費用を求められたら、損得勘定をした上で検討しよう、という打算的な考えは持ち合わせていました。
結局のところ、私は全然稼ぎ足りなかったのです。確実にもうかるという欲望に抗う事はできませんでした。費用がかかっても、株数を増やしさえすればペイできると考えているのですから。
一日千秋の思いで待ち焦がれましたが、とうとう3ヶ月の間一切返事は届きませんでした。体中の体毛をかきむしりたいほどの衝動に駆られた私は、イソップ童話に出てくる酸っぱいブドウの話になぞらえ、自分をなだめました。
あの予想は、どうせこの後は外れていただろう、と。
そんな自己弁護も、たった一通のメールでもろくも崩れ去りました。
再びあの奇妙なメールが届いたのです。それを見たとき、私の指は大いに震え、まともにクリックができないほどでした。
「親愛なるあなたに
最近は、メールが送れなくてすいませんでした。ようやく集中治療室のベッドから這い出す事ができたので、これを書いています」
『集中治療室?入院していたのか!」
両目で文面をチャートの値動きを追うように高速で追っていきます。
高齢であることを意識させない文体で書き進められていましたが、どうしても私は白髪の似合う老人を思い浮かべてしまいました。もちろん資産家の、です。
「あなたが私の予想を信じ、お知らせした銘柄を購入してくれたことは分かっています。お伝えしたとおり、39株などで示してくれましたからね。
さて、あなたは気になっていることでしょう。どうして私がこんなことをしているか、ということについてです。上がる株が分かっているなら、自分だけで儲ければよいはず、きっとそんなことを考えている事でしょう」
私は思わずうなずきました。
まるでこちらの考えがすべて見透かされているようでした。それでも一向に構いませんでした。むしろ、メールの主との一体感が感じられ、嬉しいという感情が芽生えてきました。
「その疑問に関する答えは簡単です。私は相場から多くをいただきすぎたのです。話せば長くなるので割愛しますが、私は生まれてから一度も働いた事がありません。相場で生活をしてきたのです。
これしかないものですから、来る日も来る日も研究を重ねてまいりました。ある時に、秘中の秘とも言える銘柄選択法を見つけ出したのです。
やはり私は多くの人からお金をもらいすぎました。その見返りとして、家族はもちろん友人と呼べる人も私はつくることはできませんでした。もう、私の人生も終の時を迎えています。ですが、何も成し遂げた実感がないのです。
そうしたとき、いっそのこと私の人生の集大成ともいえる投資術で世の中の人に恩返しをしようと思ったのです。
ありがとう、私を信用してくれて。その気持ちを貰えるだけで私は十分だったし、そのために私はこれまで儲けたお金をすべて使おうと思ったのです」
私はここまで読むと、思わず涙ぐんでしまいました。
36 :
1:2013/02/25(月) 16:52:33.24 ID:tJ8x7gRw
「きっとあなたは一財産築けた事でしょう。もう、お気づきでしょうが、ちゃんとカラクリがあるのです。
あなたに教えた銘柄を、私はあなたが購入した後に資産を用いて買い上げていたのです」
なるほど!私は思わずひざを叩いて大笑いました。
『それなら納得がいく!どうして低位株だったのかも、なぜ前場終了と言う短い期間だったのかも。そうか、いくら資金があるとはいえ、売りを浴びされないように繊細に、丁寧に相場を操作していたんだ」
頭が下がる思いでした。メールにはまだ続きがあります。
「1000人へメールした中で、あなただけが私にきちんと答えてくれたのです。私が求めていた世間の人たちとの関わりを。とても分かりやすい形で示してくれましたね」
このくだりは、はじめは理解できませんでした。ですが、私が購入した株数39が、サンキューという感謝の意を示す事について、巡り巡って思い至りました。全身の毛が感動でさざめきました。
「さて、本題に入りますが、今回、ある病で入院し生死をさまよいました。残念ですが、もう、銘柄をお教えすることも買い上げることもできません。取引する事自体ができないのです。
すなわち、私の長い相場人生も終焉を迎えると言う事です。先述した話に戻りますが、私には身内と呼べる者が一人もいないのです。そこで勝手ながら私の資産の受取人になって欲しいのです」
ここまで読むと、私の脈はアフリカの民族太鼓のようなビートを刻み始めました。のどが渇き、呼吸が荒くなっているのです。
37 :
1:2013/02/25(月) 16:59:34.45 ID:tJ8x7gRw
「もし、お受け取りいただけるのであれば、最後に私へ感謝のメッセージを送ってください。私の人生はお金にまみれたものであり、お金がすべてです。それを否定することは私の人生をすべて否定することにつながります。ですので、どうしてもお金で示して欲しいのです」
どういうことだ?私は息をつく間もなく読み進めます。
「私の口座に、あなたの誠意を示す金額を振り込んでいただけば幸いです。もっとも、金額はいくらでも構いませんし、信用できないようできなら、全て無視してください。私は言葉ではなく、態度で示す人と関わりたいのです。相場に人生を捧げた者ならきっと分かると思います。
ちなみに、私の資産は億単位です。それでも、去り行く老兵には無用の長物なのです。三途の川には、小銭と現世で袖をすりあせた人の信頼を持っていければよいのです。無理は言いません。ただ、あなたの気持ちひとつです。それでは」
あっけなく文面はそこで終わりました。末尾には銘柄ひとつと、口座番号が記されていました。
『ふう、どうしたものか……』
形ばかりのため息をつきましたが、私の心はすでに決まっていました。金額をどうするかについてです。知り合いと呼べる人間に声をかけ、390万円をかき集めました。
正直、騙している意識はありましたが、莫大な金額を手にしたら返せばよいのです。今の私にとっては、造作もない事です。
38 :
1:2013/02/25(月) 17:00:07.58 ID:tJ8x7gRw
『それにしても、他の1000人の人たちは信じ切れなかったのか、そうだよな。私みたいにでツールを引っ張り出して検証するもの好きは少ないのかもしれない。みんな一笑に付したんだろうな』
つつがなく振込みを終え、翌日の相場に向かいました。
今回は信用二階建ての全力で望みます。何せ種明かしも聞いたし、失敗してもあの方の資産がころがりこんでくる算段ですから。顔のほころびを抑えることだけが唯一の手間でした。
奇妙な動きでした。何って、株のチャートです。私が新規に建ててから一切の動きがないのです。
そればかりか、みるみる下がっていくではありませんか。今までこんな動きは見た事ありません。
いや、こうした動きは以前に見覚えがあります。数年前に自力でトレードしていたときのあの動きです。買えば下がり、売ればそこから上がる、というやつです。
目の前がくらくらしてきました。全身の毛穴から何かが吹き出しているかのようです。仮に出ているとしたら、きっと生気や魂のたぐいでしょう。
まっさかさまに落ちるチャートを凝視したまま、自動ロスカットのアラーム音を聴きました。
椅子から転げ落ちる拍子にテレビのリモコンが押され、ニュースが流れ始めました。
「本日、巨額詐欺の疑いで男を指名手配しました。男は莫大な資産を相続させるというウソの触れ込みを元に、約1000人からメールで資金を集めていました。その被害総額は39億円に上る模様で……」
私の頭の中では、さきほどのアラーム音が繰り返しずっと鳴り響いていました。
おしまい
>>38 解りやすいこれは、解りやすい。
そして面白い
でもリーマンの話の意味がわらなくてなんかむず痒い
邪道かもしれないけど解説プリーズ
40 :
1:2013/02/25(月) 17:13:19.95 ID:tJ8x7gRw
>>33さん
著者が説明するのは無粋ですが、一応。。
二百人が巨大な部屋で見せられていたのは、リーマンショックの値動きです。
中には、直接関係する社員がいたのかも知れません。
相場の荒波は、人間が立ち向かうにはあまりにも大きすぎるということです。
大小はあれ、大して差はない、と。
また、群集心理を利用して悪用しようとする輩には、格好の研究材料となりえるかもしれません。
相場に対して油断せず、真摯な思いで向きあう――著者はそんな自分への戒めを込めているのでしょう。
乱文、雑文失礼いたしました。
>>40 ご説明ありがとうございました。
とても、ハイブローと言うか、高尚なお話ですね。
もうFXの方は今朝方一度利確して
後は100円近くは行くと勝手に決め込んで塩漬けにします。
よくよく考えれば損切りしなければ毎回回復してました。
それでロスカになれば潔く退場してひたいに汗を描いて働きます。
ですから、もうこちらのスレが自分にとって本スレです。
これからも面白いお話の執筆楽しみにしています。
42 :
1:2013/02/25(月) 17:53:25.83 ID:tJ8x7gRw
>>41さん
レスありがとうございました。利確もされたとのこと、おみごとですね。
おめでとうございます♪
少しでもレスをもらえるとやはり励みになります。
スレも特に荒れてないようですし、続けてみたいと思います。
それでは、また次回作でお会いすることにしましょう。
次回予告『江戸時代の米先物相場で見た幻影とは!』
ちらっと覗いたけど息抜きにはちょうどいいですな
続編も期待します
44 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/02/25(月) 18:32:19.43 ID:uuUFBvCs
月曜をワクワク心待ちにしてたのに。。
>>1-26の回は
>>40の解説を聞いても納得できないぞっ。
∧_∧
⊂(#・ω・) どういうことだこれはー!
/ ノ∪
し―-J |l| |
人ペシッ!!
__
\ \
 ̄ ̄
45 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/02/25(月) 18:47:02.15 ID:uuUFBvCs
↓2話目はこないだ晒しといた迷惑メール思い出した。
>>1の正体は横山だなっw
18 三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx 2013/02/13(水) 18:16:59.79 ID:gfv46/Sw
【一通目】送信元:
[email protected] 横山と申します。昨年急性ンパ球性白血病が見つかり現在、自宅で療養中です。\100,000,000(1億円)を超える資産を有効活用して頂く為ご連絡致しました。
昨年、急性リンパ球性白血病と医師に診断され余命が一年も無いと言う事を告げられました。入院手術という選択肢もありましたが、成功率10%以下という希望の無い数字に「自宅療養」という道を選び、今日に至ります。
20年以上不動産を扱う会社を経営してきた結果、1億円を超える資産を残す事が出来ましたが、身寄りのない私の遺産は国の管理となってしまうでしょう。
死後の事を考えるのは余りにも無意味ですが、命あるうちに、未来ある人へお力添えできればと思い、10数名の方々へお声をかけさせて頂き、それぞれ1700万円前後の支援をさせて頂いております。
自己満足かもしれませんが、どのような形ででも、最後まで懸命に生きた証を残したいのです。
1700万円まで無償で必ず支援させて頂く事をお約束致します。命あるうちに、少しでも人の役に立ちたいという私の最後の願いに、是非ご協力下さい。
最後になってしまいましたが、体調不良とはいえ、このような形でのご連絡となった失礼をお許しください。
[email protected] 横山
ご興味の無い方は、大変恐縮ですがこちらまで『興味なし』とご返信ください。
[email protected] 【二通目】送信元:
[email protected] あまりにも唐突なお願いですので、ご信用頂けないのは最もな事だと思いますが、少しでも貴方のご理解と信用を得るため、まず連絡先をお伝えさせて頂きます。
「1億円を有効活用する為に1700万円前後の支援をさせて頂きたい」という先日の呼びかけにご返信頂いた方から協力を頂き、すでに7名の方へ合計8300万円の支援が完了しています。
総額1億円を超える資産を、療養中で自由に動く事のできない身とはいえメールのやり取りのみで、お配りするという行為は多少投げやりな印象も受けてしまうでしょうが、決して安易な思いつきではなく、私なりに必死に考えた上での結論です。
未来ある方へ微力でも支援する事ができれば、私は思い残すこと無く最後を迎える事ができます。
絶対にご迷惑はおかけ致しません。私の旅立ちに花を添えると思って1700万円を気持良く受け取って頂けないでしょうか?
[email protected] 横山
ご興味の無い方は、大変恐縮ですがこちらまで『興味なし』とご返信ください。
[email protected] 【三通目】送信元:
[email protected] 以前お話しさせて頂きました通り、私は医者から急性リンパ球性白血病と医師に診断され、余命が一年も無いと宣告されました。残り少ない人生を少しでも多くの方々のお役に立てるようにと、10数名の方々へ1700万円前後の現金を無償支援という形で資産の譲渡を行っております。
現在すでに7名の方へ合計8300万円のお渡しが完了致しましたので残りの支援金は1700万円です。
この件で貴方にご迷惑をおかけする事は決して致しませんし、現金を受け取って頂いた後は一切の連絡を行わない事をお約束します。
どうか1700万円を受け取り、最後に人の役に立ちたいという私の願いを叶えては頂けないでしょうか?
私に残された時間は多くありません。
良いお返事を頂けると信じ、命ある限りお待ちしております。
[email protected] 横山
ご興味の無い方は、大変恐縮ですがこちらまで『興味なし』とご返信ください。
[email protected] 生活保護でFX 犯罪?
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/livemarket2/1359965061/
46 :
1:2013/02/26(火) 11:02:20.17 ID:UtudR7iN
三日月丸さん、レスありがとうございました。
まあまあ、肩の力をお抜きになって。。
1に相場、2に相場、暇つぶしでご利用くださいませ♪
もっとも、特定のポジや投資スタイルに肩入れするような(荒れる)文章は書きませんので
ご安心ください。
あくまでも刺身のツマのような位置づけを目指し、相場の持つ底なしのエンタメ性とは
くらぶべくもありませんが、少しでも楽しく感じていただければ、これに勝る喜びはありません。
爆益あれノシ
47 :
Trader@Live!:2013/02/26(火) 12:26:13.40 ID:OG9e7ZU2
48 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/02/27(水) 01:59:53.89 ID:qou1gRmD
>>46 次回作楽しみにしてるよー!
>>47 晒しといたスレdat落ちしちゃったんだね。
最近俺の携帯に来た連続ものの迷惑メールだよ。調べたら去年くらいから出回ってるみたい。
一番最後は送信元同じなのに「懸賞金300万ご当選おめでとうございます!」とか全然別のネタに変わってたw
昨日の朝にイタリアの選挙の影響でロスカくらいFXの場から退場
も楽しみはこれしか無い
次回作楽しみにしてるよー
50 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/02/27(水) 19:28:44.88 ID:qou1gRmD
あまりにもレンジで動かないから俺も小話考えちゃったw
読んで読んでー!
51 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/02/27(水) 19:30:07.83 ID:qou1gRmD
【相場師と悪魔】
大敗した相場師の前に悪魔が現れて言った。
「あなたに、あらゆる相場の値動きが手に取るように分かる
予知能力をあげよう。代価はあなたの魂。私と契約するかい?」
相場師は答えた。
「値動きを読む力なら既にあるんだ。俺の手法は完璧だよ、自信がある。
聖杯と呼んでもいい。今はたまたま負けているだけなんだ。」
それを聞いた悪魔は言った。
「それならばつまるところ、あなたはお金が欲しいのだからどんな大金でも
望みの金額をあげよう。代価はあなたの魂。私と契約するかい?」
相場師は答えた。
「よし、じゃあ100億、いや1,000億くれ。待て、望むだけくれるなら1兆だ!1兆くれるなら契約するぞ!」
「よろしい、契約は成立した。たった今、1兆の現金をある倉庫に
用意したのでその倉庫の地図と鍵を渡そう。お金はすべてあなたのものだよ。
ただし、あなたの死後、あなたの魂は私が頂く。」
そう言って悪魔は相場師に地図と鍵を渡すと姿を消した。
相場師は大喜びだった。
「現金で1兆持つ投資家なんて世界でも俺くらいだろう!
ついに俺は世界一のトレーダーになったんだ!もうこんな馬鹿げたギャンブルからは足を洗おう!」
そして1年後。1兆のほとんどを相場で失い、原資回復を目指す男の姿があった。
〜おしまい〜
こわ
53 :
1:2013/03/01(金) 10:20:43.35 ID:Vwo57jmD
大規模規制で、書き込むのも一苦労ですね。。
そんな中、三日月丸さん投稿ありがとうございました。
ペーソス(悲哀)に富んだショートショートを楽しく読ませていただきました♪
さて、次回作ですがちょうど半分ぐらいできたところですかね。
小出しは、不評みたいでしたので出来上がりましたら、載せるようにしますね。
今しばらくお待ちくださいませ(本業の締め切りに追われていたりして。。)
54 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/03/01(金) 18:57:01.31 ID:0HGQDo5C
>>53 せっかくだから、作家名が「1」じゃちょっと味気ないし、
ペンネームじゃないけどなんかコテつけて欲しいな^^
次回作待ってるねー!
>>1さんへ
相場関連のお話はあまり見ないのでとても面白く拝見してます。
感謝。
ただひとつ、ファンとして注文をつけさせていただくと、
>普通のサラリーマン
みたいな書き方をすると若干先が読めてしまうので、
そこを工夫すればさらにすばらしいものになると思います。
ではでは〜。(^_^)
まだ?
まんだ?
きたか…!!
( ゚д゚ ) ガタッ
.r ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
\/ /
基礎がこれ 頼んだ
59 :
1:2013/03/04(月) 10:32:19.81 ID:EEllrtpM
>>54さん
いいコテハンが浮かんだら、つけてみますね。今はまだ名もなき1でいておきます。
>>55さん
アドバイスありがとうございます。
すいません、遅くなって。。
さて、江戸のやつは長編になってきたので、並行して違うものを書いてみました。
SFタッチでアンドロイド(とFX)の物語です。それではー
60 :
1:2013/03/04(月) 10:33:13.73 ID:EEllrtpM
『The Android』
(1)
人類の進化は、まったく不思議なものだ。もうそろそろ頭打ちかと思うと、まだ伸びしろがあり、逆にまだまだ進化しつづけると思うと、もう終わりと言わんばかりに停滞を始める。まるで相場における投資家たちの心の揺らぎのように、永遠にどちらか一方に定まることがない。
ただひとつ言える事は、未来に翻弄されつつもその未来に期待し、すがるのが人間なのだ。
――デヴィッド・コールフィールド博士『私たちはどこにいこうとするのか?』
私はそこまで読み終えると、羊皮紙であつらえられた分厚い表紙をパタリと閉じた。
この時代は、このずしりとくる百貨辞典風の書物の方が人気だ。懐古主義というらしい。
2050年になっても人類はさほど進化していない――少なくとも私にはそう思えた。
今日も今日とて、朝からFXに興じる自分がいる。平和な朝だ。まあ、扱う通貨が400種類ほどになり、経済大国一位、二位のインドルピー/中国人民元のスキャルピングがホットなことぐらいだろう、変わった点といえば。
下がったところで買い、上がったところで売る。自分の想定したレンジ内で、淡々とこの作業を繰り返していく。飽きる事はない。永遠にこの作業を繰り返したいくらいだ。ときに、値動きがこのレンジを越えることがある。
どうするかって? この時代でも色褪せることのない、普遍な作業を遂行する。損切りだ。そして、レンジをブレイクしていった値を追いかける。そしてまたレンジを形成しはじめたら、同じことを繰り返す。
損切りに痛みなど何も感じない。ただ受け入れるだけだ。
冷静なものだけがこの戦場で勝利できる。ひたすら冷徹ともいえる取引を行う者だけに美酒が振るまわれるのだ。
61 :
1:2013/03/04(月) 10:35:40.59 ID:EEllrtpM
(2)
原色のエナジードリンクを体に流し込み、小休止を取る。空中に浮かんだ薄っぺらい透明フィルムから、ニュースが流れてきた。この時代にアナウンサーと呼ばれる人間はいない。すべてアンドロイドの自動音声のみである。
『中央政府が推し進めているアンドロイド計画が次の実験段階に入りました。これにより、心を持ったアンドロイドが誕生すると言われていますが、果たして人類にとっての転換期となるのでしょうか。その動向が注目されます。さて、次のニュースです……』
「何が心を持ったアンドロイドだ、俺にとっては、今日来るメイドロイドの方がよっぽど重要だよ。別に感情なんかなくても誰も困りはしないってことに何で気づかないんだろう。精巧にできた音声アンプリファーと表情トランスミッターで、十分に感情は伝わるんだよ」
私も人並みに、メイドロイドと呼ばれるメイド仕様のアンドロイドを手に入れることに決めた。
これまで手に入れなかったのは金銭的な理由ではなく、単にアンドロイドというものに興味が持てなかったからだ。もっとも、人間に対してもこれといって特別な感情は沸かなかったのだが。
初期のメイドロイドは粗悪なものが多く、いわくつきの不良品が続出した。しかし、最近はすっかり技術が向上し外見も人間とまったく変わらない。遜色がないというより、人造物であるがゆえに、人間が束になってもかなわない代物だ。すなわち、絶世の美少女ばかりなのだ。
少しそわそわし始めた。届く時間を今か今かと待ちわびている自分がいた。相場ではこんな思いを感じた事すらない。胸に違和感を感じながらも、すぐにその状態は治まった。
すると、呼び鈴が鳴った。
62 :
1:2013/03/04(月) 10:36:46.37 ID:EEllrtpM
(3)
玄関のドアが音もなく両方に開くと、そこには一人の女性が立っていた。いや、本来であれば一体と呼ぶのが適切なのだろうが、そんな気は彼女を見たとたんに消失した。どこからどう見ても人間のそれなのだ。
肩まで伸びた黒髪。りんとした眉毛とすらりとした鼻筋。顔の面積の割りに大きな黒目がちの瞳。そして、人間の女性すべてが歯ぎしりするような均整のとれた黄金比の体つき。ふくよかに突き出た胸の輪郭は、薄いファー素材のセーター越しにもしっかりと見てとれた。
「こちらでいいのかしら。あなたがご主人様ね。私はメイドのイブよ、よろしくね」
私は面食らった。思ったよりもしっかりとした口調だったからだ。私はなんと言うか、もっとたどたどしい、いかにもどこか少し抜けている感じの女性を想像していたのだ。
「イブ? イブのブはフに点々かい? それともウに点々でヴかい? イヴ」
私は下唇を噛んで示してみせた。彼女はきょとんとした顔つきで目をぱちくりさせている。まあ、どちらでもいいだろう、今のは質問がよくなかった。
だが少なくとも外見は、"自分にとっての"美少女がオーダーできたのだ。まだ技術の進歩が追いついていないから、Webの購入画面に性格選択の項目がないのだろう。これでたったの1000万ルピーだ、お買い得としかいいようがない。
「どうぞ、こちらへ。まあ、ゆっくりくつろいでくれたまえ」
私はどう話していいか分からず、パイプをふかすひげの生えたご主人様のような口調になった。すると、今まで澄ましたよう顔を見せていた彼女が相好を崩した。
「そんなキャラなの、あなた。いいのよ、普段どうりにしてくれて。私のことは呼び捨てでいいわよ。それであなたの名前は?」
へぇ、笑うんだ。そう思った。メイドロイドの彼女の表情に、一瞬で引き込まれた。
ここではじめて私は、こちらから話すのが苦手なことに気づいた。今も彼女の声だけがしみ込んできて、肝心のその中身までは耳目に入ってこないのだ。
私からの返事がなくても、彼女はその彫刻のような口元に笑みをたたえながら、言葉をつむいでくれた。
「さあて、この一人暮らし全開の部屋を一変させましょうか」
63 :
1:2013/03/04(月) 10:37:26.80 ID:EEllrtpM
(4)
その日から文字通り生活が一変した。彼女は掃除、洗濯、食事はもとより、何から何まですべて完璧にこなした。何せこれまでに数百万回の機能改善をされているそうだ。こんなにも優秀だと知っていたら、もっと早くに頼むめばよかった、そう自分を恨んだ。
ちなみに、メイドロイドは夜のお相手をするタイプも発売されているのだが――と言うより、そちらの方が販売シェアの9割を占めている――私は、あえて純粋なメイドタイプを選んだ。
特別な理由があったわけではない、本能的なものだ。戦場で勝利と豊かさと引き換えに何かを失ってしまったんだろう、その位に考えていた。
それでも、風呂場で背中を流してもらう事ぐらいは頼んだ。あくまでも、それだけである――彼女の名誉のため、念のため付け加えておこう。
そんな平穏かつ、おそらくは幸せと呼称される日々が一年ほど続いた。
彼女と暮らし、彼女と過ごす。とてもゆっくりとした時間が流れた。彼女は(アンドロイドのくせに)体が凝り性のようで、よくマッサージをしてあげた。普段はツンとすました顔の彼女が、それにより色々と変化するのがとても楽しかった。
彼女には私が好きな本をすべて教えた。J.D.サリンジャーの《ライ麦畑でつかまえて》などを、彼女は好んで読んだ。少年が大人に変わる心理をはすっぱに切り取った作品だが、とても興味深かったようだ。
64 :
1:2013/03/04(月) 10:39:13.92 ID:EEllrtpM
(5)
そんな幸せな日々に暗い影が近づきつつあった。異変は徐々に忍び寄るもので、これというきっかけは特になかった。ただ、少しづつであるが損失が積み上がっていく。
相変わらず、損失に動じない点は変わらない。それでも勝てない日々が続く。誰かが空中フィルム越しにつぶやく。ルールが変わったんだろう、と。
いや、何も変わってはいない、少なくとも相場の規則性だけは。異変が起きているのは、私の方だった。今までは一切、一度たりとも感じた事のないチクリとする感覚だ。
失うのが怖い。金銭だけではない、漠然としたものが私の中に入り込んでくる。一度手に入れたものを失うことが怖くなったのだ。その結果、ここ最近はめっきり損切りを行っていない。
自分にとって、損失と呼べるものはなくなってしまったのだ。
相場で負けても、私にはイブがいる。そう思うようになった。彼女の代金の支払いもローンではなく一括で済ましているし、まだ資金も潤沢にある。
何だったら、今日ここで引退して、彼女と一緒にのんびり過ごす日々もいいかもしれない。なのに、なぜこんなにも焦燥を感じるのだろう。
私の人生において、心の平静さを失ったことはないはずだ、落ち着け。自分に言い聞かせる。
ふと思い至った。彼女は歳をとらないのだ。私はそう思うとまた負の連鎖に陥りそうだった。しかし、そこはよくできたもので、彼女を見返してみると一年前よりは明らかに年齢を重ねたように見えた。
人間と共に歩んでいくという設計思想なのだろう。でも何だろう、どこからか湧き出すこの感覚は……
彼女が、鏡越しに私に微笑みかけた。
「どうしたの? 相場で調子が悪いの? でも、それは逆に考えるといいことなのかもよ。あなたが進歩してるってことなのかも」
65 :
1:2013/03/04(月) 10:40:58.89 ID:EEllrtpM
(6)
妙な台詞だった。どうして、彼女はこんなにも気丈なのだろう。
不安に押しつぶされる事はないのだろうか? ん? 何だ、不安って? そもそも感情とは?
私は戸惑い始め、何かのスイッチが切り替わるように表情が自然と切り替わった。すると彼女はそれに呼応するかのようにすっくと立ち上がり、そして言った。
「もしかして、私を切るつもり? もちろんそれでも構わないの。ただ、あなたが思っている以上に事態は深刻なの。それだけは分かって、私はあなたの味方なの」
両手を広げて、彼女は声を上げた。とても豊かな感情表現に見えた。
「いや、そうじゃないんだ、イブ。分かってくれ、君を切るとか失うとかそういうことじゃないんだ。そうさ、自分でもよく分かっている。ただ、今気づいたんだ、俺には……」
そんな言葉の一切をさえぎるようにイブは背中を向け、一度だけこちらに笑顔を向けると、ゆっくりとドアから出ていった。
私は放心状態のまま、ソファに座り込んだ。無意識のままスクリーンフィルムをオンにすると、いつものニュースが流れ出した。
「中央政府主導のアンドロイド計画に対して、民間団体から抗議の声が噴出しています。一部の組織においてはテロを辞さない暴徒と化し、アンドロイドへの破壊/殺戮行為を行っています。
繰り返します、彼らはアンドロイドが人類を滅ぼすというスローガンを掲げ、大規模な殺戮行為を大々的に展開しています。ご注意くださ……ガガッ」
スクリーンに顔半分を黒い布で覆った、数人の男たちの映像が飛び込んできた。手には銃を持ち、パイプのようなものでスタジオの機器をめった打ちにしている。数分にも満たないうちにアナウンサーの自動ボットは無残に破壊し尽くされた。
「イブ! 彼女が危ない!」
66 :
1:2013/03/04(月) 10:41:29.96 ID:EEllrtpM
(7)
人類の歴史においてショッキングな事件や出来事は、ある種、進化の一端を担ったと言えるだろう。私たち人類は危機にさらされる度に進化してそれを乗り越えてきたと、分厚い愛読書が教えてくれた。
私は何かにせき立てられるようにして、表に飛び出した。
おぞましい光景だった。ハードカバーの美術書で見たゲルニカのような光景が眼前で繰り広げられていた。彼ら、いや人とは思えぬ暴徒がたけり狂っていた。
不思議な事にこのアンドロイド狩りにおいては、奴ら独自の判別方法があるのだろう――無差別に殺しているわけではなさそうだった。
狙いを定め、アンドロイドに分類される者だけをレールガンで打ち抜いていく。
アンドロイドたちは青白い光を宙に放電すると、ぴくりとも動かなくなる。中には物理的に破壊され、体の部位があちこち転げ落ちている者までいた。
私はこれまでに感じことのない、すべての感情が入り混じっていくのを覚えた。それは怒りが大半を占めるのだが、奇妙な事に大きな壁を越えるような清々しい感情も含まれていた。
また、この光景に対する感嘆の感情も芽生えていた。半数ほどの人数がアンドロイドであり、ここまで、私たちの生活にアンドロイドたちが浸透していたことに驚愕したのだ。
次の刹那……
グサリッ
背中に何かがめりこんだ。鋭利な刃物。冷たく、確固たる意思を持った突き立て方。殺意といって差し支えないだろう。背中に電流が走る。呼吸をするのが苦しくなり、このまま消えてなくなると思った。
さっきまでの希望的観測はきっと裏切られたのだろう。この無差別なテロリストたちは、もう誰も止められない、アンドロイドだけでは飽き足らずに自分たちで殺し合いを始め、最後の一人になるまで止めないのだ。
私はどこかでそんな体験をしていなかっただろうか。油断すると、背中から刺される世界。これ以上、刺すのも刺されるのもごめんだ、そう思った。
ふとまぶたに浮かんだのは、イブの笑顔だった。彼女を助けなくてはならない。あるいは、彼女はすでにやられてしまったのか。
背中に手を回し薄れいく意識の中で、背後にいた人物をつかんだ。そしてゆっくりと仰向けに倒れながら、そいつの顔を見た。イブだった。
67 :
1:2013/03/04(月) 10:42:47.28 ID:EEllrtpM
(8)
私は全方位を真っ白い壁に囲まれた場所にいた。顔に当たる照明がまぶしく感じられたが苦痛ではなかった。
白い防護服で全身を覆った数名の男たちが、手際よく私の体の内部に手を入れていく。彼らが医者であることを理解するまでに、多少の時間を要した。
「それにしても、運がいい。急所を免れたのは」と細身の男が言う。
「まったくですね、それに政府の潤沢な資金援助のおかげで、パーツはいくらでも揃っている、と。これなら何とか助かるんじゃないでしょうか」と、同じく細身の男が答える。
「当たり前だ、私たちアンドロイドの運命を変える、偉大なる一歩なんだぞ彼は。何としても生かさなくては」
目が徐々に慣れてくると、周囲のものや距離関係がはっきりと分かった。
私は手術台のようなものに乗せられ、体の内部がむき出しになっている。しかし、怖くはなかった。右斜め上空のガラス張りの空間に、イブの姿が見えるのだ。
その横には、白衣をまとった外国籍の中年男が見えた。
「聞こえるか? あー、そのままでいい。そのままで聞いてくれれば問題ない。君にもしものことがあっては困るからな。今ここで、すべてを知らせる方が君の励みになると思ってな」
スピーカーを通じてその手術室全体に響く声の主が、イブの横の中年男のものであることはすぐに感じ取れた。よほど偉いのか、先ほどまでおしゃべりをしていた医者らしき男たちの会話がぴたりと止んだ。
「イブの機転のおかげで、君の部位損傷は最小限に抑える事ができたのだよ。何でも、君を刺したテロリストを一撃で倒し、突き立てられたナイフをそのまま保全することで、電流の放出を最小限に抑えてくれたんだそうだ。
ほら、君も見ただろう。アンドロイドは、血の代わりに青白い電流を放出するんだよ。流れ過ぎると漏電よろしく、失血死に至る」
何を言っている?
68 :
1:2013/03/04(月) 10:43:19.43 ID:EEllrtpM
(9)
遠いガラス越しに、イブの姿が見える。いつものように口元にはあの優しい笑みを浮かべてくれているのだろうか、目がかすんでそこまでは見えなかった。彼女が俺を助けてくれたのか……
ふと私は、イブとの別れ際に飲み込んだ言葉を思い出した。
「そうだ、俺には……」とイブに向かってつぶやいた。
「これまで生きてきた記憶が、まったくないんだ」
そう吐き出したとき、まるでジグソーパズルの最後の一片がはまるように、すべてが私の中で完結した。
異世界とも思える距離からの交信が、私の耳に届く。
「ようやく気づいてくれたかい、そうとも君は政府が開発を進めていた感情を持つアンドロイドの被検体なのだよ。私は平たく言えば、君たちアンドロイドの生みの親だ」
男は上空から流暢に続ける。
「いいかい、私が何のために君たちを開発したと思う? 博士と呼ばれるこの私が……
簡単なことだ、最初は金儲けのためだよ。資本主義経済下においては、何事もお金が最大の動機になる。そうさ、当時の私はトレードで大きな損失を抱えていたせいで、その方法が最も合理的だったのだよ。
はじめは実に簡素なものだった。人間のかたちなどとは程遠いトレード専用のロボットさ。それでも君たちは恐るべきことに、すぐに人間を凌駕した。感情を一切排した、いわゆる最強のメンタルを持つトレーダーだったからね」
積年の思いを伝えるかのようだった。
69 :
1:2013/03/04(月) 10:44:30.40 ID:EEllrtpM
(10)
「その成果のおかげで私は政府に入閣し、アンドロイド研究の第一人者となった。しかし、人間とはげに恐ろしきもので、欲を出したら底なしのようでね。政府の連中も最初だけで、すぐに私の財産やら収入源やらを根こそぎ奪い始めたんだ。
無論、私も抵抗を試みたが、どだい無理な話しだったよ、彼らに立ち向かうなんてね。
それでも、私はアンドロイド開発は進めた。儲けがなくても、そこに何らかの希望を見出したんだよ。しかし、私への風当たりは強くなるばかりだった。
あるときから、人類保護運動者のやつらがシュプレヒコールを叫んで徒党を組み始め、私たち開発者を標的にしはじめたんだ。ニュースで見て知っているだろ?
奴ら上の連中は自分の居場所がリスキーだと分かったとたんに、逃げ出しやがった、全責任を私に押し付けてね。トレーダーの言葉を借りるなら、私はロスカットされたんだよ」
手術台の上に、博士の声は降り注がれた。
「そこから私は奴ら、ひいては人類に対する復讐を始めたんだ。アンドロイドだけさ、私の味方は。それとごく一部の私が世話をした人間たち。
こう見えても、孤児院の寄付もしていたんだ。トレードで稼いだお金をつぎ込んでね。そこにいる医師たちも、半分はアンドロイドで半分は私が目をかけた人間だ。有能な人材に育ってくれて私は嬉しく思っているよ」
白衣の医師たちは手を止め、見上げるとうやうやしくお辞儀をした。
「さて、私の復讐とは何であるか説明しよう。愚かな人間にアンドロイドが取って代わる事だよ。もちろん、全てとは言わないが、そうだな半数以上にはお引取り願いたいと思っている。
そのためには、アンドロイドが人間以上の知性を持つ事が必要だ。爆発的な進化を遂げてね。そのためには、トレードには無駄だった感情が必要だったんだよ。
進化には強烈なブレイクスルーが必要だ。基盤を変えるほどのエネルギーだ。私はもう引退してしまったが、君が毎日行ってる投資でたとえるなら、ブレイクアウトがそれに当たる。
それがないと、いつまでも同じ範囲にとどまって進化なんてありゃしない。いわばそのブレイクスルーが、紛れもない君のイブに対する感情だったってわけだ。ある種、全アンドロイドの感情を代弁したようなものだな」
こちらからイブの表情が分からないのがもどかしかった。
70 :
1:2013/03/04(月) 10:46:16.93 ID:EEllrtpM
(11)
「さて、どこで人間と同じ感情が芽生えたと判断するかって? それは君自身が一番分かっているはずだろう。イブを失いかけたときに芽生えた感情。いとおしいと思う感情、すなわち、愛だよ。私たち、人間がいうところのね」
私は博士の演説に聞き入りながら、少し首を曲げて自分の腹を覗き込んだ。そこには、複雑な回路がむき出しにされ、赤や青のコードをペンチのような器具で修復されていた。機械仕掛けの体を眺め、それでも、一縷の感情が残っているのを感じた。
これを愛と呼ぶのだろうか。確証はないが、それはほのかに暖かく、春に芽吹く野花のような、大空へ向かう真っ直ぐな思いだった。
「ただ、君たちの前途は多難だ。イブの正体にもう気づいているだろう。聡明な君なら」
その問いかけには、すでに答えを見出していた。あの大勢のテロリストたちに見抜かれず行動できたこと、一緒に暮らした日々において、少しづつ歳を重ねていったこと――
上空のガラスを両手で叩き、こちらに合図している彼女が見えた。言葉は聞こえないが、口を動かしているように見えた。
『ま・た・いっしょに』そう言う彼女の方が人間だったのだ。
照れくささと愛情が入り混じったのか、私の体内で電流が放出されたらしく、修復中の医師たちが少し飛びのいた。
「見せてくれたまえ、アンドロイドと人間の奇跡と進化を。そしてこれからの希望の道を示して欲しい。私自身は、おそらくそれを見ることはできないと思う。これからあのテロリストたちの元に出向いて、刺し違えるつもりだ。
それが君たちへの手向けであり、生み出した私のせめてもの罪滅ぼしだ。これ以上、この馬鹿げた争いを続けさせる訳にはいかないからな。よろしく頼んだよ、君。私が大切に育てたイブを!」
博士はあらん限りの声で強く言った。目には涙が溢れていた。
それはイブも同じだった。
「最後になるが、君の生い立ちも説明しておくよ。実は五年前ほど前に完成したんだよ、君は。だから、もちろんそれ以前の記憶はない。
君はある程度の成長した姿をまとってこの世に生まれてきたんだ。さようなら、わが息子よ」
博士は、荘厳な面持ちで最後の言葉を投げかけた。人類しか持ち合わせていない、自己犠牲を覚悟したときに見せる、その優しいまなざしで。
「私の名は……デヴィッド・コールフィールド。そして、君の名は……そうだな、私の最後の特権として名付けさせてもらおうか」
ひと呼吸置いてから――。アダム、そっと言った。
Fin
全米が泣いた!
良い話ニダ
読むのにちょうどいい長さ
うちにある短編小説集より面白いよ
これホントに自分で書いてる??
どこからネタ引ぱってっくるの?
ホントにオリジナルなら携帯小説とかで一話ダウンロード30円ぐらいなら払えるレベル
息抜きにはちょうどいい長さだよね
気長に次も期待してます
75 :
1:2013/03/05(火) 13:07:20.63 ID:5HFx1WFR
>>71-74さん
光栄なお言葉ありがとうございました。
とても励みになります。
物語については完全オリジナルで、すべて私一人で書き上げています。
一般的な作家さんと同じように、プロットなどを構想してはいますが、短いのが幸便で
頭の中で仕上げています。
次回のものは、今回よりは長くなる予定です。
拙文ですが、またお楽しみいただけますと幸いです。
76 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/03/05(火) 18:39:53.43 ID:OWwsK+g9
新作、大傑作じゃん!しかも超大作!
最後なぜか目から汗が。。
また楽しみにしてるからねー!
次まだぁ〜ハヨー
78 :
無庵 ◆FXEA1xYOr6 :2013/03/06(水) 08:20:06.36 ID:0/HmiMtY
なかなか深い。
良スレですね。
週刊?
まだまだまだまだまだまだまだまだmfだmなdファまだまだまだまだmあだまだまだまだまだまだまだまふぁ、まふぁ
81 :
1:2013/03/08(金) 17:09:20.97 ID:jL1Mj3ZT
長編の方が、なかなかボリュームが増してしまい、その(自分への)息抜きとして短編を書くというサイクルになっています。
短編の方は、ほぼ完成かと思われますので、今しばらくお待ちいただけると幸いです。
※短編と言っても、Androidより少し長くなっていますね。ちなみに長編は、倍以上の長さです、気長にお待ちくださいませ。
82 :
1:2013/03/08(金) 23:51:07.84 ID:7bWwU4tY
完成したテキスト原稿を、何と転送し忘れてしまった。。
何ということでしょう、更新が月曜日以降になるフラグが立ってしまいました。無念。
おーいおーいおーい
土日FX休みの発刊じゃなかったの!!!!!!?
頼むよ先生
締め切り守ってよーがっかりだよ
84 :
1:2013/03/09(土) 13:54:35.01 ID:kleWiFSg
>>83さん
ご期待を裏切る形となってしまい、誠に申し訳ございません。
ささやかな楽しみをご提供するつもりが、失望させてしまっては本末転倒です。。
今のところ、月に1、2回不定期更新ができればと考えています。
春を待つ13円ランドLのように、あるいは万年放置の優待狙い株のように、
のんびりと忘れた頃にこのスレをのぞいていただけるとありがたく思います。
とは言え、二作ほどのストックはあり赤字校正中でございます。
大きな指標を控えた、嵐の前の静けさなのかもしれませんね。。
待つ!
86 :
1:2013/03/11(月) 13:59:56.40 ID:Q2hnJX4O
大変お待たせいたしました。
今回は、1880年代の金取引の物語です。
87 :
1:2013/03/11(月) 14:00:50.45 ID:Q2hnJX4O
『The Silent』
(1)
――1880年代の誇り高き炭鉱夫たちへ。
――そして、ヘレン・アダムス・ケラー女史に捧ぐ。
少女は闇の中にいた。
彼女は生まれつき光を知らない。そればかりか草花、人や動物、あらゆる物質――そしてお金。そのどれをも見たことがない。生まれつき目が見えないのだ。
神は視力と引き換えに、彼女にたくさんの愛情を与えた。
周囲の温かい愛情に育まれ、幸福な家族の一員として彼女はすくすくと成長した。知性と機知に富んだ、はつらつとした少女になった。水晶のように透き通る肌とはちみつのようにつややかな唇。そして、生まれたての仔馬の尾のように繊細なブロンド。
しかし、開かれることない両方のまぶただけが、その美少女に不釣り合いだった。
どうやって世界を認識するのだろう? どうやって人を理解するのだろう?
彼女は、そんな大通りを行きかう衆人たちの好奇の目によどみなく答える。
「ありがとう、ご親切に。すみません、手を握らせていただけませんか? 感謝の気持ちを伝えたいので」
幼い小さな両手で、しっかりと大人たちの手を握り返す。そして手のひらに「Thanks」のスペルを丁寧になぞっていく。筆談の途中で、泣き崩れてしまう大人たちも多くいた。
健気な少女の未来を案じると、不憫でたまらなくなる。だが、肝心の当人はと言うと世界への好奇心と希望で満ち溢れていた。
だって見ることのできない世界が、そこにあるんですもの。何て不思議なんでしょう。いつか絶対に見てやるんだから――叶わぬ夢なんてないわ。
88 :
1:2013/03/11(月) 14:01:45.89 ID:Q2hnJX4O
(2)
私は闇の中で育った。
と言っても、決して目が不自由なわけではない。健常な位だ。視力に事欠かない代わりに、この世の苦しさを直視せざるを得なかった。
父親の職業は、ただの酒飲みだった。この時代の新聞は、カリフォルニアに端を欲したゴールドラッシュの話題で持ちきりだった。ご多分に漏れず、父親もその熱気に当てられたひとりだった。
散財したあげく、一年かけてようやく持ち帰ったものは泥の固まりだけだった。
その間に母親は病死した。夢破れて帰郷した父親は、日がな酒を浴びることしかできなかかった。
「ちきしょう、金がなければこの世は生き地獄だ。こんなくそ野郎、とっととくたばっちまえばいいんだ」
それから半年も経たないうちに、私の願いは叶うこととなる。アル中で最後を終えた男の簡素な埋葬だけ済ませると、私は家を出た。彼の骨はすかすかで、まるで小動物の骨のようだった。
家を出た私は路地裏の生活を持ち前のずる賢さで生き抜き、気づくといっぱしのギャングと呼ばれる人間になっていた。
「へえ、世の中は未だにゴールドラッシュの話題で持ちきりかよ。けったくそ悪い、クソ親父を思い出しちまう。
次はどこだって……オーストラリア? ニュージーランド? まさかアフリカってことはないよな」
あれほど忌み嫌った父親と同様に、金銭に苦しめられている自分に腹が立つ。経済格差は広がる一方で、搾取の枠組みが十分にできあがっているのだろう。
しかし、そんな私にも千載一遇のチャンスがやってきた。きっかけは、この町一帯を取り仕切るマフィア――ギルティ――の若手幹部からもたらされた。
「おい、町の北に金の取引所があるの知ってるか。実は上等の混ぜ物が入ってよ。もしよかったら、お前あそこでさばいてきてくんねえか。なんならうちのマフィアに入る話、進めてやってもいいぜ」
私は自分からマフィア連中に仲間入りしたいなどと、話した事などない。どちらかと言えば、このくさい息を吹きかける連中を親父同様に、軽蔑していた。
だが、彼らの庇護があるに越した事はない。ただでさえ住みにくい町なのだ。マフィアうんぬんよりもその金取引という場所に興味があった。あいつが結局たどり着けなかった場所なのだ。
足を一歩踏み入れた途端、すぐに場違いだと思い知らされた。瀟洒な赤茶色のレンガ造りでつくられた取引所は、路地裏とは別世界だった。
足首まで埋まりそうなじゅうたんと、吹き抜けの最上部に取り付けられたシャンデリア。待合い席の下に伏せている犬の、光沢ある皮装具を見るだけでため息が出そうだった。
89 :
1:2013/03/11(月) 14:02:12.36 ID:Q2hnJX4O
(3)
はじめてであっても、どこに行けばよいのかはすぐに分かった。入り口から一直線に進んだ場所にいくつかのテーブルが置かれ、それぞれに人垣ができているのだ。中でもとりわけ人数が多い集団へ足を向けた。
そこは袋の山だった。皮袋や麻袋、ありとあらゆる袋の種類が並べられ、中から黄金に輝く石粒が顔をのぞかせていた。炭鉱夫たちが人生をかけて採掘した努力の賜物であり、結晶だ。あいにく、自分の親父は何もつかめなかったのだが。
手元の混ぜ物と見比べてみる――。大きさから輝きまで、何から何まで異なるように見えた。息苦しくなった。他の袋を見渡すと、そちらはそちらでまったく違うタイプに映る。
どうやらそれぞれの石は違う表情を見せるらしく、少し安心した。それでも今持ち込んだ砂金の混ぜ物が、他と比べて一段も二段も見劣りする事に変わりはなかった。
「はい、次の方どうぞ」
心臓が止まる。
砂金と紙幣を交換する取引は、一に検査、二に検査である。私のように不純物を混ぜ込んでくる者が後を絶たない。それで商品を白日の下にさらし、計量や肉眼の鑑定により検査するのだ。あの息のくさいマフィアの台詞が脳裏に蘇る。
「検査って言っても、対した道具は開発されてないんだよ。所詮、金は天からの授かりものなんだからな。完璧に見分けられるってんなら、人の手で金ができちまうだろ。作りだすことができないってことは、人間じゃあ大して見分けがつかねえってことにならあ」
納得も釈然もしなかったが、一理あった――おそらく検査が不完全なものであろう、という読みにおいては。しかし、そんな浅はかな読みは見事に裏切られる事になる。
比較的空いている他のシマを見やると、最新型の測量器に加え、ルーペで入念にチェックしている姿が見えた。これでは手持ちの粗悪品など一発で見破られてしまう。
それでも、いいか。自暴自棄になる自分がいた。どうせここで騙せ通せたとして、得をするのはあいつらだ。それなら別に失敗に終わっても構いはしない、そう腹をくくった。
90 :
1:2013/03/11(月) 14:02:30.02 ID:Q2hnJX4O
(4)
一番人気のシマは変わっていて、どこか奇妙だった。ほかのシマ同様にひととおりの検査道具はそろっているのだが、ほとんど活用していない。そればかりか、中央の商談/取引テーブルの近くに少女が立っているではないか。
うわの空のままテーブルへ進み、手持ちの二つの大小の袋を大理石の台座に置く。
自分と同じか少し若い――吸い込まれるような美少女がそこに立っている。
なぜか伏目がちにしているな、よし、そのままこっちを向いて見やがれ。
私は少女の顔を覗き込もうと、間近まで寄った。
「君、そんなに近づかないでくれ。そう、一定の距離を保って。まったく、ここははじめてかい? 早く品物をそのテーブルの上に載せて! そうしたらどちらか一方の手をその子の前にだすんだ。おい、聞いてるのか?」
いかにも取引所の人間らしい、制服姿の男がそう注意してきた。上流階級の間ではとうに廃れた、古いかたちのちょびひげをたくわえている。
言葉はろくに入ってこなかったが、言われるままに麻袋を置き、そして少女の前に右手を差し出した。
「新米、よく聞け。本来ならお前みたいなやつは足を踏み入れられないところなんだが……まあいい。その子はヘイウッド家のご令嬢様で、目が不自由な代わりに人の心が読める。
手に残る汗のかき方、流れる脈の動き、皮膚から伝わる神経のほとばしり。それらを総合した結果、ウソはすべて見抜かれるから覚悟しておけ。安っぽい混ぜ物なんて持ち込んだ日には、たちどころにな。何度もいうがお前みたいなやつは名門ヘイウッド家の……」
ちょびひげ男の講釈が続いたが、その間私の頭の中はひとつの事で埋め尽くされていた。
目が見えない? いつから? こんな端正な顔立ちの子なのに? きっと俺みたいに悪い事は何ひとつしていないだろう、それなのに?
91 :
1:2013/03/11(月) 14:02:46.90 ID:Q2hnJX4O
(5)
ひとつ分かったことがある、このシマの人気の秘密だ。彼女が認めた人間と商品には高額の対価が支払わる。一方で彼女がまがい物と判断したときには、よそのシマでも一切取引に応じてくれなくなる。絶大な信頼感と、それに見合うハイリターンが魅力だったのだ。
私の前の客は彼女に見破られていた。彼女が動きを止め首を横に振った瞬間に取引はご破算になっていた。
私の右手を小さな細い指がたどってくる。汚らしい男どもが逆上などして力を入れたらいっぺんにへし折られそうな、しなやかで細い指だった。
彼女の動きが止まった。私の心臓が、彼女の両の手に直接握られているようだった。
彼女がこのまま首を横に振ったら、きっと気を失ってしまうだろう。
自分の持ってきた砂金を改めてみやる。もうその頃には、とうてい金には見えなくなっていた。ただの泥と石ころにしか見えない――私は気が遠くなった。
ひげ男の背後から、すっともう一人の男が現れた。黒のベルベットのコートに、宝石をあしらったカフスボタン。深々と被ったシルクの帽子がその高い身分を象徴している。
「どうだい、サラ。疲れたら休憩してもいいんだよ。なあに、金は逃げやしないさ。上質な金ならね」
彼女の父親とおぼしき男はそういった。おそらく皮肉が混じっていたのだろうが、私は一切気が付かなかった。そんな余裕などなかった。彼が示したとおり、今すぐ逃げ出したかったのだ。
「お父様、今お戻りになったの? それがね、何か変なの。この方はいつもと違うの、全然違うの」
全然違う、か……万事休す。
「そうかい、お前は何て賢い子なんだ。その前にいるお客様はね、うんと若いんだ。ちょうどサラと同じくらいか、少し年長に見える。君、いくつなんだい?」
紳士が話しかける。私は、18ですと答えた。
「そうか、それならうちの子より少しだけ上だね。そんな子がここに来るなんてとても珍しいことだ。今日は親御さんのお使いかい?」
私は口ごもった。このみすぼらしいまがい物を前にして、顔から火が出そうだった。同じフェイクにしてももっとましなものをよこせと、二つの袋を渡した男と自分の運命を呪った。
92 :
1:2013/03/11(月) 14:03:46.01 ID:Q2hnJX4O
(6)
「ちょっと、自分の袋を持ってみてくれる?」
少女が話しかけた。顔の角度はさっきと変わらず下向きのままだ。きっと私の顔の位置が分からないのだろう。
私は言われた通り、持ち込んだ大きな方の袋を左手につかんだ。しばらくして、小さい方の袋を持つ。それを何度か交互に繰り返した。
脇の下のびっしょりとした汗を見るだけでも、簡単に私のたくらむウソは見抜かれると思った。
「今持っている、小さい袋の方は大丈夫だわ。大きい方の袋は……"見なかったことに"しておくわ」
娘の小粋な冗談に、取引所の主役である父親は苦笑いした。
「よし、商談成立だ。この小さい袋の砂金はすべて買い取らせてもらおう。ちょっとしたひと財産になるかもな、君」
そう紳士が発すると、制服の男は苦々しい表情でこちらを見下ろす。
私は軽くお辞儀をして二十枚ほどの高額紙幣を受け取ると、その場をすぐに立ち去ろうとした。
すると後ろから呼び止められた。心臓が止まりかけるのは、本日何度目だろう。
「ああ、君。この大きな袋の方は持って帰ってくれないか。それと、ひとつお願い事があるのだが……」
私は外に出て薄汚れた路地裏の空気を吸った途端、ようやく頭が晴れていくのを感じた。本来、混ぜ物というからには、あの二つの袋の中身を混ぜなければいけなかったのだ。
粗悪品によってカサを増し、その分の紙幣をだまし取るのだ。
しかし、どうにも粗悪品の粗さが際立った。もし一緒にしてしまっていたら、すべての買い取りを拒否されたことだろう。
ワインの樽に、一滴の泥水を入れてもばれないと考えるのだろうが、今回は泥水の樽の中にグラス一杯のワインを注ぐような話なのだ。
マフィアの男は頬の傷をすごませながら、烈火のごとく私を責め立てた。
「馬鹿野郎、たった"twenty"にしかならなかっただと! ちゃんとうまく混ぜたのかお前、こんなんじゃあ、お前の取り分はないぜ。元の砂金分にもなりゃしねえ」
そう言ってすべてのお金を私から取り上げると、せせら笑ってみせた。彼らの狙いは使い物にならないフェイクを渡し、こちらに負い目を感じさせることだった。
そうすれば、すべてを取り上げても文句のひとつも言えない寸法だ。まさか、私が混ぜることにすら気づかなかった間抜けとは、彼らでも思い巡るまい。
つまるところ、マフィアにとって自分はただの道具のひとつでしかないのだ。使えなければ捨てられる運命なのだ。
93 :
1:2013/03/11(月) 14:04:02.33 ID:Q2hnJX4O
(7)
普段の私なら、男に襲いかかり腕をかみちぎってでも自分の分け前を主張したことだろう。その証拠に、男は警戒心をあらわにしてこちらの様子をうかがっている。私の路地裏での評判を耳にしたことがあるのだ。しかし、私は奴の予想とは異なる行動をした。
群れを追われるライオンのように、その場からよろめきながら逃げ去ったのだ。
後ろから追い打ちをかけるような、今後抵抗する気持ちを芽生えさせないようなスラングが飛んでくる。これは、私の脅威を少なからず感じている証しだろう。弱いものほど何とやら、である。
私が振り返ったら、男はさぞかし驚いたと思う。真夏の氷菓子のように溶けかかった笑みを浮かべていたのだから。
笑みの理由は二つあった。
手渡した二十枚の紙幣を、すべて贋札とすり替えてやったことがひとつ目。路地裏のブラックマーケットの品は、こんな時でも役立つのだ。
もうひとつは、あの紳士に小声で耳打ちされたこと。そこには今の泥沼の生活から抜け出すチャンスが眠っているはずだ。そう考えると、体が火照ってきた。
《君、もしよかったら今度うちに遊びにこないか。うちの娘の友達になって欲しいんだよ。この通り、この子は目が不自由な上になかなか気が強くてね。
同年代の女の子じゃ手を焼いてしまうんだ。ただの話し相手になってくれるだけでも構わない。もちろん、報酬は弾ませてもらおう》
94 :
1:2013/03/11(月) 14:04:18.62 ID:Q2hnJX4O
(8)
ヘイウッド家の屋敷は、広大という表現では手に余った。ゆうに500エーカーは超えると思われるその敷地にはよく手入れされた植林が広がり、使用人専用の邸宅とその子供達向けの公園があり、さらに奥には湖も見えた。
曲がりくねった道を散策し、正門にたどりつくころには、時計の針が一周するほどだった。ドア係の使用人に要件を語ったが、私の身なりから判断したのか中に通されるまでに気の遠くなるような時間を要した。
中に入ってから、あの取引所の数倍も豪勢な屋敷のつくりに圧倒された。しかしそれも束の間で、ほどなくしてあの少女――たしか、サラと呼ばれていた――が姿を現した。数十段はあろうかという、ペルシャじゅうたんを引いた階段を、ゆっくりと歩いてこちらへ向かってくる。
大勢いると思われた使用人は、ひとりも近くにいない。きっとそういう方針なのだろう。彼女は一人で何でもできる――ハンディがあると思うことは間違っている、と。
まったく手すりにつかまらない優雅な所作の端々に、彼女の自尊心すら感じた。
「手を出してくださる?」
第一声がそれだった。私は少しためらったが、素直に応じた。今日はやましいことは何もない。
「あの取引所にいた……男の子でしょ。あの心拍音は今でも覚えているわ。まるでメトロノームの針が振り切れちゃったみたいだったのよ。カチ、カチって音が心臓から聞こえてきちゃいそうなぐらい。お父様に呼ばれたのかしら?」
まじまじと彼女の顔を見つめる。今日は、私の方へ顔を向けてくれた。その少しとがったあごの輪郭も、あらためて見るとやはり美しかった。心の戸惑いを手の平を通じて読み取られてしまいそうだった。私はすっと手を引いた。
サラは、気にも留めない様子で話を続けた。
「これまでお父様が連れてくるのは、いつも女の子ばっかりでいやんなっちゃう。私ぐらいの歳の子なんて、みんなお人形さん遊びにしか興味がないのよ。笑っちゃうでしょ、私は何も見えやしないのによ。どうかしてるわ。
そんなことより私は冒険がしたいの。心躍る冒険が。もちろん、山に登りたいとかそんなんじゃないわ。心を通わせ一緒に興奮できる、そんなスリルを味わってみたいの。お話だけなら、どこにでも自由に行けるでしょ」
それなら自分は適任だ――そう思った。
この世の裏の部分も含めて、酸いも甘いも教えてあげることができる。
でも、いささか刺激が強すぎやしないだろうか?
「ようし、甘やかされて育ったお嬢さん聞いて驚くな、俺の生まれは……」
95 :
1:2013/03/11(月) 14:04:53.76 ID:Q2hnJX4O
(9)
そこからきらめくような日々が、回転木馬のように流れていった。見慣れた街並みでさえ、品薄が半年先まで続く人気の絵の具"ファーバー・カステル"で彩られたように見えた。
自分の心ひとつで世界の見え方は一変する。カラフルでダイナミックな世界がそこにあった。私は夢中になって、彼女に自分に見えている世界を説明した。
町一番の人気ベーカリー"ココ・ロッソ"で食事を取り、貿易船でごった返す運河で潮の匂いを大きく吸い込んだ。
パレードが行われている大通りに出向いてはその喧騒を感じ、赤鼻のピエロから頂戴した白い風船をサラに持たせた。同じく白いレースの服によく似合っていた。
彼女は好奇心の塊だった。
「ねえ、私ジパングと呼ばれる国に行ってみたい。黄金の国って呼ばれてるの。もし行けたのなら、あなたの言葉で世界を教えてくれる? うんと丁寧に」
「ああいいよ。お安い御用さ、お嬢さん」
「きっとよ、約束ね」
「ああ、約束だ」
やがて数か月が過ぎる頃、心地よい草原が広がる巨木の下で、お互いにはじめての体験もした。すべてが新鮮な驚きに満ち溢れ、この世界が幸福で充満している、そう思えた。
そんな私の耳に不穏なうわさが流れ伝わってきた。
《誰かがギルティの幹部に贋札をつかませたらしいぜ、メンツ丸つぶれだなそりゃ》
《今は復讐のタイミングを謀ってるらしい、そいつはきっと魚の餌になっちまうな》
有頂天だった私に、そのゴシップは冷や水を浴びせかけた。それでもこの生活を捨てる気は毛頭ない。父親から十分すぎるほどの額をもらっているのだ。
危険が迫っているにも関わらず、金欲という小さな種が私の中で確実に萌芽しはじめていた。
「なあ、サラ。俺を男にしちゃくれないか」
そんな言葉が口をついた。彼女は、草原の上で甘い声で反応した。
「どういうこと? もう十分に立派な男性じゃない」
大人の女性が言うようなジョークに、私も気をよくした。
「取引所の隣に、さらに大きな建物ができたっていうじゃないか。俺、あそこで一勝負してみたいんだ」
彼女は眉をひそめたが、私の情熱にほだされて説得に応じた。そもそも冒険したいと言いはじめたのは、彼女の方なのだ。
96 :
1:2013/03/11(月) 14:05:12.60 ID:Q2hnJX4O
(10)
屋根に巨大な釣鐘をしつらえたその教会のような建物は、二人を招き入れるように吸い寄せた。中では大勢の人がひしめきあい、大声で何事かをがなりあっていた。
ローマ闘技場をほうふつとさせる、その勢いある掛け声は"Bid!"と"Ask!"と聞こえた。
隣の取引所で交換された金が加工されてのべ棒になる。ここでは、その現物を取引しているのだ。仲買人や地元の名士、さらには観光客までが金を物色する姿が見られた。
皆一様に掛け声とともに、走り書きをしたメモを立会人と呼ばれる者に渡す。
黒板に書かれた数字が手早く何度も書き直され、金の価格が吊り上っていく。
かと思えば一気に書き換えられ、そこには無残な数字が転がっている。悲鳴と感嘆が混ざり合い、絶妙な交響曲に聞こえてくる。
「サラ、ここにいる全員と握手することはできるかい?」戦いの幕が切って落とされた。
思ったよりも簡単にことは運んだ。彼女は場内をよろめきながら、手洗い所を探してるかのように彷徨った。何人もの手が差し伸べられ、中にはうかつにも注文内容を書き記したメモを、彼女の手の中に忘れてしまう者もいる始末だった。
「どうだい、子猫ちゃん。市場の空気は、買いなのかい、それとも売りなのかい」耳元でささやく。
長い沈黙が流れ、彼女が思考を織り上げていく。
「待って、ひとり大きな決断を抱えている人がいたわ。手の平が冷たい汗でびっしょりだったもの。まるで鉄の塊を持ち続けていたような、冷たい手……きっとその人の動き次第で市場が左右されるわ」
彼女の声は耳に入ってこなかった。遠くに見覚えのある男の姿が見えるのだ。
《あいつだ、ギルティのあの野郎だ、まずいな、こっちを見てる》
蛇が獲物を狙うような目で、私をねぶりつけている。贋札の件を根に持っているのは間違いない。だがどうする? ここから逃げ出したとしてもいずれはやつらに捕まっちまう。
こんなちっぽけな国にいるのでは、遅かれ早かれ末路は変わらないのだ。
ここで一勝負して、広大な世界へ逃げ切るしかない――そう判断した。彼女にもそんな思いが伝わったようだった。強く私の手を握り返してきた。
「買い、よ」
「よし、分かった。金額は? どうする、手持ちがあるかい」
「大丈夫。私を誰の娘だと思ってるの? この取引ももちろん経験があるわ。5000枚、成買って書いてちょうだい」毅然とした王女のような口調だった。
私は耳を疑った。単位についてはよく分からないが、それが途方もない金額であることは確かだった。先ほど手の中に残っていた他人のメモには、人生のすべてである全財産を賭ける――100枚、と書いてあったからだ。
読んだ!
もう読んだ!
続きまだ?
>自分の心ひとつで世界の見え方は一変する
このセリフ気に入った!俺の座右銘にするわ
で、まだ?
>自分の心ひとつで世界の見え方は一変する
ふふーん、ジョジョぽくってやっぱいいなこのいセリフ
99 :
1:2013/03/11(月) 15:57:11.44 ID:Q2hnJX4O
(11)
地獄への片道切符が手渡された。私たちの注文で一気に値が跳ね上がり、市場が高騰した。一気呵成の援軍も現れたかに見えた。私たちは手を取り合って値動きを注視し、喜び合った。しかし、三十分を過ぎたあたりで状況が一変する。
マフィアの男が立ち会い人にすり寄ったかと思うと、黒板の数字が大きく書き換えられた。桁を間違えたかと思うほどの数字がそこに書き込まれた。落胆の溜息があちこちから漏れ、急速に価格を押し下げていく。
みるみるうちに、私たちの買値まで下がり……そこを一気に下に突き破った。
「まずい、サラ。ここに敵が混じっているんだ。これ以上はいつもの予想どおりにはいかないよ。それに……」
その思いつきが口をついたとき、私はぎくりとした。冷たい手……その男の手には何が握られていたのだろう。おそらくは黒い鉄の塊、すなわち私を殺すための拳銃ではないのか。
「すまない、さっきの手が冷たい奴がいた方向を教えてくれないか」私は動揺を隠せなかった。
彼女がゆっくりと指し示した先はマフィアの少し横で、そこには不敵な笑みを浮かべるメキシコ人が突っ立っていた。テンガロンハットをかぶり、落ちくぼんだ目を不自然に隠している。観光客に見えなくもないが、おそらく……私を狙った殺し屋だろう。
マフィアはいつでも入念で、汚いことを平気で行う。自分たちの手を汚すことなく、目的を達成することができるのだ。それに弱者はいつも翻弄され、食い物にされちまう。
妄想に駆られる私に、サラが声をかける。
「大丈夫、私を信じて……必ず上がるはずだから……必ず、お願い……」彼女の口調の変化から、自信を失っているのは明らかだった。
市場の終了時刻が迫る。あと五分で十五時を迎え、今日の取引が終了する。もしそこで反対売買による決済ができなければ、現金を差し入れなければならない。当然持ち合わせがあるわけではないので、彼女の父親にばれてしまうだろう。
そのことはすなわち、二人の終焉を意味していた。
四分……三分……二……一
ゆっくりと、メキシコ人の男が近づいてきた。こちらの死期が近づいているのを見抜いているのだろう。男が死神に見えてきた。テンガロンハットの死神か、そいつはおあつらえ向きだな……そう自嘲気味につぶやいた。
男は私たちの直前でくるりと向きを変えると、立ち合い人の元へ向かいメモを手渡した。メモを読み上げる男の口が上ずってしまい、ほとんど聞き取れないほどだった。
「こ……ここに出ているもの……す、すべて……か、買いでっ!」
どっと歓声が沸き起こった。よどみを突き破る土石流のような歓声で、足を鳴らす者たちで地鳴りが起きるほどだった。
「た、助かった……」
全身の力が抜けたようになり、へなへなとその場に座り込んでしまった。
メキシコ男が、近寄ってきた。たどたどしい英語で話しかけてくる。
「こんなに安く金が買えるなんて驚きだよ。君たちが値を吊り上げた時には、もう帰ろうかと思ったんだがね。待っててよかったよ。国に帰ったらおそらくこの三倍の値段でさばけると思う。君たちもたんまりと儲けたんだろう。グッドラック」
屈託のない笑顔で、そう言った。チャンピオンベルトのように大きな金属製のバックルをやたらと気にしながら。きっとメキシコではボクシングをモチーフにしたファッションが流行しているのだろう。
すると遠方でマフィアの男が、別の男たちに両側から抱えられていく姿が見えた。理由はどうあれ、組織に甚大な損害を与えたのだ。おそらくはただでは済むまい。
100 :
1:2013/03/11(月) 15:57:39.76 ID:Q2hnJX4O
(12)
現実のものとは思えない場所から外へでて、安堵の声を漏らした。気が大きくなったせいか、私は饒舌だった。
「そうだ、何か欲しいものはないかい? 金ならたんまりあるんだ」
いつも冗談を返す彼女には、うってつけの台詞だった。彼女は笑った。そして、
「言っても笑わない?」
「もちろんさ、言ってごらん」
どうせ、お前の親父さんの金で買うんだから、ちっとも困らないんだよ。
この時の私は、まだそんな醜い気持ちを持ち合わせていた。路地裏で育った性格は、そう簡単には直りそうもなかった。
「実はね、口紅を買ってみたいの。でも、お父様に言っても笑われそうで。あれ? もしかして笑ってるでしょ」
両の手で私のほっぺたを確認しながら、彼女が言う。
私はおかしさよりも疑問符の方が先行した。
《普通、口紅なんて綺麗になる自分を見た上で楽しむものだろう。この子は、自分でその美しくなった姿を見ることなどできない。そればかりか、生まれてこの方、自分の姿を見たことがないのだ。こんなに愛らしい姿をしているのに》
そうか自分のためにするのではなく、見てもらうためにするのだ――その人のため。つまり私のためか……私はそんな健気な発想をする彼女を、思わず抱きしめたくなった。
だが、あまりにも無防備な感情に触れたせいで、さきほどの自分の心の狭さに引け目を感じ、より意地悪な思い首をもたげた。
「お前には似合わないよ、まだ子供なんだから」
その日はそれっきり、会話が弾むことはなかった。
101 :
1:2013/03/11(月) 15:58:44.84 ID:Q2hnJX4O
(13)
あくる日――ヘイウッド家の近くの広場に呼び出された。サラの父親に、だ。
今日の彼には毎月の報酬を渡してくれる時に垣間見える、にこやかさのかけらも見当たらなかった。
「私の言いたいことは分かるな、君。金取引所での一件は昨日のうちに私の耳に届いているよ。この町で、ヘイウッド家の者を知らない者はいないのだからな。
言い訳は無用。もう娘に近づかないで欲しい。娘を楽しませてくれとは言ったが、危険な目に遭わせてくれとは言っていないし、私利私欲のために娘の感受性を使っていいとも言っていない」
自分だって取引所で利用していたじゃないか、そう言葉が出かかったが、私は別の言葉に取り直した。
「すみません、でも、お嬢さんを愛しているんです。それだけは信じてほしいんです」
彼は私の言葉に背を向けると、札束を放り投げた。そして、執事とおぼしき連中と共に私の前から姿を消した。
私はその札束そのままをヘイウッド家に送り付けてやった。少しばかりの贈り物を添えて。
彼女とはそれっきりだった。
102 :
1:2013/03/11(月) 15:59:07.10 ID:Q2hnJX4O
(14)
あの夢のような若き青春の日々から、どの位の年月が過ぎたのだろう。
あの後、私はオーストラリア、ニュージーランド、カナダと海を渡り、文字通り世界を目の当たりにした。金の熱に当てられた私は、採掘者や炭鉱夫の手助けを行う事業に投資した。あの日彼女と儲けたお金は何百倍、何千倍にも膨れ上がっていった。
鉄道や石炭事業あるいは銀行業などに投資し、高度成長の渦の中で私は莫大な財を成した。その名声は海を越えてあの屋敷の者たち達にも届いているのだろうか。
今となってはもう知る由もない、遠い昔の話だ。
いくつかの戦争をまたぎながら、私のよわいも九十を数えるようになった。
これまで何とか生き抜いてこれたのは、すべて天運のおかげだろう。
暖炉の前でお気に入りの安楽椅子に深く座り、私は使用人に呼びかけた。
「あの手紙を持ってきてくれるかい。ほら、金庫にしまいこんだあの二通の手紙だよ」
声を出すのもすでに億劫だった。路地裏の怪物と畏怖された若かりし日々が懐かしい。
二通の手紙は何度もすり切れるほど読んだ。それでも返事は書かなかった。正確に言えば、返事をする相手がいなかったということになる。
安楽椅子でバーボンの香りをたしなんでいると、ほどなくして使用人が手紙を持ってきた。すっかり日に焼けた便箋だったが、文字を読むのに不都合はなかった。
一通目を手に取った。父親からの手紙だった。
『愛する息子へ
出来の悪い親ですまない。お前には本当に迷惑をかけたな。これからも苦労をかけることだろう。私は、すっかり金探しに夢中になってしまい、家を空けてしまった。母さんの危篤を知らされたのは、手持ちのお金が尽きたのと同じだった。
言い訳がましく聞こえるかもしれないが、母さんを愛していたし、全力で駆け付けたつもりだ。だが間に合わず、私もお前も互いに大切なものを失った。
私は弱い人間だ。お前にはそうなって欲しくない。弱さのあまり酒に溺れた。どうしても断ち切ることができなかった。
私が死んでも、お前は悲しむ必要はない。ただ、これだけは分かって欲しい。
私も母さんもお前を愛していたことを。 ――父より』
同封されていたモノクロームの写真には、私を胸に抱く母と、そっと肩に手を回す若々しい父の姿があった。子を見る優しさに満ち溢れたその眼差しを見ると、気持ちがあふれ出す。
一言でいいから、父に謝りたかった。私は運がよかっただけで、あなたと同じ道を歩んだ。軽蔑する気持ちを持ったことは確かだが、何事も運命の歯車に翻弄されたゆえのことなのかもしれない。彼の手紙を読んだおかげで、私はここまで頑張れたのだ。
どんな苦難に遭っても、歯をくいしばってこれたのは、ひとえにこの手紙のおかげなのだ。
チップが香るバーボンを一口含み、口をしめらせると目頭をふいた。
もう一通の手紙は、ヘイウッド家からだった。こちらも相当色あせていたが、父親の手紙よりは新しかった。
103 :
1:2013/03/11(月) 16:03:18.76 ID:Q2hnJX4O
(15)
『親愛なる君へ
本当にすまないことをした。君を失ってしまった数か月後に、サラは他界してしまった。すっと息を引き取るように、何事もなかったかのように逝ってしまった。
こんな数奇な運命だったのかと思うと、君と引き離してしまった私の選択が過ちだったと心から思う。謝っても許されることだとは思わないが、心よりお詫びしたい。
ときに新聞で、君の活躍を目にする機会が増えてきたよ。調子がよさそうで何よりだ。
こちらはというと、君と同様に、カリフォルニアの奥地で鉱山発掘の事業に手を染めたのだが、爆発事故を起こしてしまってね。
もちろん、遺族への贖罪を行いすべての責任を被るつもりだ。何年かかろうとも。
ヘイウッド家の財産は、それで全部なくなってしまうことになるが、それもいいだろう。社会の敵になってまで、家系を存続させようという気はない。サラの名を汚したくないからね。君に失礼のないようにしたい。
さて、念のために記すが決して金の無心で手紙を書いたわけではない。誤解しないでほしい。ただ、娘の最後の写真を君に贈りたいと思ったのだ。受け取って欲しい。
色々とこちらのわがままばかり書き連ねてしまったが、どうか許して欲しい。
そして、君もどうか娘のことを気にせず幸せをつかんでほしい。それでは。
――アーサー・ヘイウッド』
私は、ほんのりと色味が残っているカラー写真を手に取った。保存状態には自信があった。
だいぶ弱くなった視力を頼りに目を細めると、記憶がそれを補ってくれる。
そう"ファーバー・カステル"の絵の具で彩ったように。
写真の中の彼女は両手を後ろに組み、少し小首を前に突き出していた。そして唇を上向きにして、遠くの誰かに見せている仕草をしている。
彼女は、私が送ったローズマリーの口紅をつけていた。誰に向けたわけでもない、私だけのために――。
私は答えた。
《よく見えるよ、大丈夫。こんな年寄になった私にもきちんと見えているよ。
ありがとう、私を愛してくれて。君は私の青春そのものだったよ。今でも時々思い出すんだ。はじめて会った、あの日の驚きのこと、そして、手に汗握る取引で大逆転した日のことを。
でも、すまない。君にもっと世界を見せてあげたかった。それだけが心残りだ》
目頭が熱くなり、これ以上は見続けるのが困難だった。最後に、写真の彼女に向かってそっと口づけをした。
使用人を声をかけようとしたが、ろれつがうまく回らず、独り言のようになった。
《私が、財産を寄付すると決めたあの女性の方は、何て名前だったかな……何度聞いても忘れてしまってな……ええと、サリバン、たしかそんな名前で、女性の先生だったかな。
熱心な先生で、今は全盲の少女へ尽力しているそうだ。サラのように、きっと可愛らしい少女なのだろう。彼女は幸せになる権利がある。そして、世界を見知る権利も。
きっと、私とサラが行けなかったジパングへも代わりに行ってくれることだろう……よし、うまく思い出せた。もう思い残すことは……》
私は、ゆっくりと目を閉じた。スローモーションの回転木馬にふたりで乗っている。
漆黒の闇が広がり、静かで長い沈黙に――吸い込まれていった。
Fin
ぎゃあぁあああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああ
泣いたお(T_T)
置いかいよい話を
ありがとうです
しかし、よくも毎回こんなにまとめれるよな
どっかからパっクてきてると思いたいけど、ちゃんと相場の話に絡めてくる辺りソレはないだろうな
だとしたらそうとう文才あるよ、
試しに、ドコかに送ってみたら?
試しに、ここに口座番号書いて、一定の金額がたまり次第、次回作をノセますってw
お見事ですな
市況2から作家誕生ですか、胸が熱くなるなw
退場した俺にとっては、もはやこっちが本スレ
今回も良かったっス、次回作楽しみにしています。
面白いかったです。次回作楽しみにしています。
110 :
1:2013/03/13(水) 10:39:08.42 ID:bBkVUCBN
皆さん、ありがとうございます。とても筆が進みやすいお言葉をいただき光栄です。
次回作について鋭意執筆中ですので、よろしくお願いいたします。
まってるお
また来週かな?
サックと読めるし時間も取らせない。
で、ちゃんと面白い。
次も面白いの期待してるよ
113 :
1:2013/03/14(木) 19:24:22.74 ID:Et5dZ8zC
進めていた長編の方が、原稿用紙300枚レベルになってしまった関係で、そちらは別用途のお蔵入りとしました。
※ちょっと引いちゃう長さでしたので。またの機会ですね(ラノベ風の江戸日記でした)。
セミ短編を、進めてますので今しばらくお待ちいただけると幸いです(おそらく来週です)。
こちらは少し、投資に軸足を置いたものにする予定です。皆さんに爆益あれ。
114 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/03/16(土) 20:20:19.80 ID:Ue6lznSR
新作、長そうだったから時間がある時にまとめて読ませてもらおうと
思ってて今読んだよ。そしたらまた目から汗が。。
一番最初の作品は突っ込みどころ満載だったけど、回を追うごとに
どんどんクオリティーが高まってるよね。
特に今回の物語は文才大爆発。ホント素晴らしい。まるで映画みたい。
個人的にはしんみり系も大好きだけど、しばらく切ない気持ちになるから
たまにはニヤッとする系とかほのぼの系とかもお願いします。。
あんま長いのはイヤよ
FXの息抜き程度がいい
山手発見
117 :
1:2013/03/17(日) 22:27:40.54 ID:QOzfoWI/
お待たせいたしました。
五つ目のショート・ストーリーです。
118 :
1:2013/03/17(日) 22:28:19.99 ID:QOzfoWI/
『The Lady』
世の中には二種類の人間しかいない。
男と――悪女だ。
――名もなき詩人
(1)
ジョン・ボリンジャーが提唱した五本のラインは、値動きが小さくなるとその幅を狭めていく。ボリンジャーバンドが息をひそめると、もぎたてのグレープフルーツをスクイーズするように、人為的に形が引き絞られる。
市場がひっそりと静まり返った直後、上下のどちらかに大きく跳ね上がり、そこからトレンドを形成し、バンドラインに沿ってウォーク(追随)していく。
これが、セクシーボリンジャーと呼ばれる、大きな値動き前の挙動だ。
言い換えると、きゅっと引き締まったクビレのラインは嵐の前の静けさを示し、不吉の前兆と言える。
男は、彼女が惜しげもなく披露するその腰のラインを目で追わずにはいられなかった。
世の男性が道端ですれ違おうものなら、その半数が振り返り、残りの半数がUターンして残り香を集める。そんな魔性の女と待ち合わせるのも悪い気分ではない。
ロシア系移民のハーフと聞いた。残りの半分はきっと、美の女神アフロディーテだろう。樫の木の香りが充満する店内で、私をみとめた彼女はピンヒールを鳴らしながらゆっくりと近づいてくる。
「早いのね、私はマンハッタンをいただこうかしら」
スツールに座り、右足を組むと太ももがあらわになる。ライ・ウイスキーをベースにスイート・ベルモットをチェイスしたそのカクテルは、中に飾られたマラスキーノ・チェリーを反射し、彼女の服と同じ赤みがかった緋色に染まる。
この界隈では珍しい女性バーテンダーが、赤のドレス風キャミソールの彼女を見て、眉を吊り上げる。見事なブルネットの巻き髪を見せつけられた女性バーテンを気の毒に思い、男は二杯目のギムレットを注文した。
男は気が気ではなかった。彼女との今夜の予定がどうなるかについて? いや、それも確かにある。それでも思考の半分以上を占めているのは、今日の値動きについてだ。
彼女――オリビアという、ややオーソドックスな名前が不似合いだが――が、化粧直しに席を立った瞬間、多機能携帯端末――平たく言うとスマートフォン――に手を伸ばす。
「お、おいおい。何かニュースでも出たのか、この値下がり……まずいな、二円もいかれてる」
男は動揺を隠せなかった。どんなに気取ったふりを見せても、この顛末を平然とやり過ごすことができるほど、豪胆な内臓を持ち合わせていない。この会員制クラブの支払いが日本円で約四万円。百回来店してもお釣りがくるほどの損失だ――っと、今の下げで五百万円を超えた。
デートの最中にスマートフォンを確認するほど、野暮なことはない。日本から遠く離れたここロンバード・ストリートにおいてはなおさらだ。ウォール街に引けをとらない英国の金融街――、十七世紀から続く紳士の街なのだ。
男は髪を引きちぎりる衝動に駆られた。いや、落ち着け。こんはずではない、こんなはずでは……
119 :
1:2013/03/17(日) 22:28:58.86 ID:QOzfoWI/
(2)
オリビア・ワトソンは個室に入り、その光り輝く端末を眺めるとほくそ笑んでいた。
《そうよ。ポンドなんて暴落しちゃえばいいのよ。誰も欲しがらないわ、この国の通貨なんて。あっ、今のクロス円の下げで……五百万を超えたかしら、今夜の利益。まだ、まだよ、もう少し引き付けておかなきゃ、しっかりと下げトレンドに入ったでしょう、間違いない》
一本の線が、人生を左右する。たった一本の線が私の人生を塗り替えてくれる。
オリビアは、自分の人生を変えてくれたトレンドを示す青いラインにうっとりしながら、腰をくねらせた。
この状態に没入してしまうと、自分でも止めることができなくなる。体が火照り、感情が強く波うってくるのだ。――男なんていらない。無機質なチャートと数字の提示を雄々しく見せてくれるだけでいい。そう、とても素敵。
彼女は、左手に文明の利器を持ちながら、右手の中指を人類の起源とも言える神秘的な場所へそっと滑らせた。初秋の小麦が穂をなびかせるその丘陵を、リズミカルに触れるだけですぐに高みへと登りつめていった――
彼女が生まれてはじめてついた仕事は、モデルだった。十にも満たない彼女は、フリルがたくさん付いたピンク色の洋服で飾り立てられていた。手には子供なら誰しも見覚えがある小熊のぬいぐるみを抱いている。少女はご機嫌だった――数十分の間は。
父親が見守る中、少女の衣服が少しづつ替わっていく。他の可愛らしい衣装に着替えるのではない、一枚づつ剥ぎ取られていくのだ。オリビアは寒さより、恐怖を感じたことを今でも覚えている、いや、一生忘れないだろう。
鼻息を荒げる男たちの視線と、赤いランプを宿した黒いレンズがこちらを見つめる。
父親は肩を落とし、うなだれた表情を見せる。娘の叫びが聞こえない、とでもいう風に。
そこからの記憶は、途切れ途切れだ。人体には不思議な防衛本能が備わっている。
思い出したくない一部分については、脳が隠蔽してくれるのだ。
それだけが、彼女の唯一の救いだった。
どんな手段を用いて金策を講じても、父親の借金が減る事はなかった。そればかりか、雪球が坂を転げ落ちるように増え続けていった。
少女がジュニアハイスクールを卒業する年、彼は丸い輪の形をしたロープに首を通し全体重を地球の重力に預けた。父親は銃を買う金すら持ち合わせていなかった。
学校から帰った少女は、その光景に全身を雷で打たれたような衝撃を受ける。
そして、今のオリビアが少しづつ形成されていく。
《お金は力よ、力こそこの国ではすべて。資本主義経済の発祥の地、ここイギリスでは特にそう。おお、神よ。私に大いなる力をお与えください。そして、すべての汚らわしい男性に断罪の雷を!》
少女の願いは、成長するごとに豊潤していくその美貌で叶えられることになる。
男の欲望は彼女への対価となり、彼女の戦う血肉となった。
マネー戦争の様相を呈す投機の世界で、戦いの女神アテナとなったのだ。
(3)
オリビアはしっかりと手を清めてから席に戻ると、証券会社に勤めていると言うその男を横目で眺めた。
ただの勝利だけでなく、惨めな男の有様を真横で味わうことが至高の楽しみなのだ。
汗の匂いまで分かるほどのこの距離で。
当然、男がここ最近ポンドを買い進めていることも知っている。同僚男性からのリークなど、カクテル一杯の付き合いで簡単に手に入るのだ。
惨めな男? その匂い? ああ、いやだ、父親のことを思い出しちゃうじゃない。
でも、どうして私ったら、自分の嫌う男性が落ちていくさまをみて興奮するのかしら?
己に問いかけても明確な答えはみつからなかった。
その日は結局一千万円の利益を積み上げ、男が慌しく三回目のトイレに駆け込んだところでお開きとなった。男には、二件目を誘う気力も持ち合わせていなかった。
(4)
――日本から来たその男は、渡辺と名乗った。
物腰の柔らかい、いかにも謙虚な日本人の典型と見えるその男は、めがねを丁寧にふき取っている。和紙を使ったクロスらしく、艶やかな友禅文様のケースにくるまれていた。
「すいません、オリビアさん。ツアーガイドのご依頼で、こんな夜のお店までお付き合いさせてしまって……」
「いいえ、構いませんわ。これもお仕事の一環ですもの。東京では兜町の方にお勤めだそうで」
銀座のクラブでも勤まりそうな流暢な日本語で答える。彼女は並大抵の努力で、現在の自分を築き上げたのではない。
「あ、はい。そんな大層なものではありませんが。勤め先は金融関係です」
ビンゴ! 彼女は心の中で手拍子とウインクをした。彼らは滞在先で気が大きくなるのか、さまざまな裏情報を耳打ちしてくれる。オリビアは為替以外に、海外株などにも手を染めており新たな情報源の開拓に余念がないのだ。
猛獣の檻に閉じ込められた飼育員のようだ――オリビアに貢いだ末に捨てられた、哀れな男の談である。
最初は手なずけるつもりで近づいても、気が付くとどうにもならない状況になっている。綺麗なバラにはトゲがある、ミイラ取りがミイラになる、彼女をたとえるフレーズには事欠かない。
彼女の色香を、真正面から受け流すにはどうすればよいのだろう?
日本から来た細身の青年がひとつの解を示す。
「じゃあ、今日はありがとうございました。これ、少ないですけどタクシー代にしてください。まだこちらにはいるので、機会があればまたお願いするかもしれません。
本当に、分かりやすくて助かります、オリビアさんの日本語。そうだ、今度日本に来られた際は僕が案内しますよ。東京でも京都でも」
彼女はこの台詞に拍子抜けした。夜がふけるにはまだ早い。
ええっ、それだけ? 世の男共であれば、ここから二回戦を申し込むところだわ。
実はいい店を知ってるんだ、とか何とか言って。
そこをじらして、次に有利な展開に持ち越すのが私の流儀なのに。
これじゃちっとも腰がスイングしないじゃない。それとも、日本ではこうした数pipsのスキャルピングデートが主流なのかしら?
FXになぞらえて、東洋の草食系男子の行動を分析しようと試みる。しかし、何も答えは生まれてこなかった。
その日はそれでストップ&リミットした。
122 :
1:2013/03/17(日) 22:29:58.62 ID:QOzfoWI/
(5)
彼女のトレードは、常に絶好調だった。移動平均線を、彼女が小指で引いたトレンドラインが突き破る。日本で流行っていると聞くネイルファッションは、オリビアの小指にもあしらわれいる。
大小のパールは本物の真珠を使い、トパーズやダイヤモンドもちりばめられている。自分を慰めるときに使う中指だけは、よけいな装飾を施していない。
彼女の欲求は、ただの勝利では満たされなくなってきていた。心のトラウマが大きな爪跡を彼女自身に残しているのだ。そんな時、頭に浮かぶのはあのとぼけた東洋人のことだった。
彼女がダイヤルすると、八回目の呼び出し音の前に彼が出た。
「ああ、オリビアさん。どうも、渡辺です。どうされました? あっ、ちょうどよかったオペラって興味あります? たまたまチケットが手に入ったんですよ……」
あら、残念――オリビアは思った。この男も他の男と同様に私の肉体の虜になってしまうのね、あっけない。もう少し楽しませてくれるかと思ったのに。本当、男って簡単ね……
ふと子供の頃の思い出が蘇ってきた。
「ほうら、オリビア、簡単でしょ。こうやって上からお洋服を着させてあげて、スーツケースを持たせてあげると――出来上がり!」
コーンスープとホールトマトの匂いがキッチンから流れてくる中、夕食の支度の合間を縫って、母のメアリーが娘に優しく話しかける。
幼いオリビアは、夕食の匂いが大好きだった。そして、陽射しのように優しく語りかけてくれる母の言葉のひとつひとつが。
「オリビアちゃんは、どんな男性と結婚するのかな? パパみたいな素敵な男性かな、それとも、このお人形さんのような人かな」
「いやだあ、このお人形さん格好悪いもの」
娘は、スーツを着込んだいかにも営業マンといった男性の人形を、ちょんと小突く。
これは、バービーハウスへ営業に来る人を形どった――おままごと遊びにおける、ちょっとした遊びキャラだ。
「そう? ママはいいと思うわ。こういう人が案外、あなたを幸せにしてくれるのよ。ようく見てみなさい」
そういって子供をあやしつけると、途中だった夕食の仕上げに取り掛かった。
そんな優しい母親が、娘を置いて家を出て行ってしまうとはそのときは露ほども思わなかった。
家を出た理由が父が抱えた莫大な借金のせいかどうかは、彼が死んだせいで結局分からずじまいだった。
東洋人の男が運命の人? オリビアはその思いつきに自分で笑った。確かに日本人特有のダークグレーのスーツを着ているところは、子供の頃に遊んだあの人形に瓜二つだった。
だからと言って、それが何だと言うのだ。いっそのこと、世の男はすべて私の操り人形になればいいのに。そう思うようになっていた。
123 :
1:2013/03/17(日) 22:30:17.20 ID:QOzfoWI/
(6)
『オペラ座の怪人』――ニューヨークのブロードウェイミュージカルとして有名だが、ここロンドンが初演であり、人気も未だに高い。
渡辺のつたない英語力は、その公演を楽しめるものとは到底思えないが、オペラが初めてとあって、その重厚な雰囲気を楽しんでいた。
もっとも、オリビアはその公演を何十とはなく観覧しているのだが。
世の殿方は、オペラは女性受けするもの――そう思っているのね――オリビアはふんと鼻を鳴らす。
たしかに、ここウエストエンドにおける上演はアンドリュー・ロイド=ウェバーによる旋律が荘厳さを増す。加えて豪華絢爛な貴婦人たちのドレスや、盛大なパーティがロンドンっ子を魅了する。
大づかみに言うと、ファントムと呼ばれる特徴的なマスクを被った怪人の、ラブロマンスと言える。怪人の悲哀に満ちた切ない恋模様が、世の女性の心を打つと考えられているのだ。
たしかに、今日のオリビアは特にファントムの一挙手一投足に魅かれた。
《あの無様なマスクはなに? あんな醜い姿になってまで女性を愛する? でもね、ファントムさん、私の心はあなたの恋する主演女優"クリスティーヌ"より醜いのよ。それでも愛し続ける事ができるかしら?》
それは、隣に座る渡辺への問いかけに等しかった。彼はきっと心の仮面を破り捨て、オリビアを連れ去るつもりなのだ。ファントムが地下の牢屋に若手女優クリスティーヌを幽閉したように。
124 :
1:2013/03/17(日) 22:30:34.76 ID:QOzfoWI/
(7)
またしてもオリビアの当ては外れることになる。彼は英国紳士さながらに彼女を送り届け、最後に感謝の言葉を述べる始末だった。とても楽しかった、と。
左手の甲に口づけする事すらなかった。
《あっきれた、とんだ甲斐性なしね。それとも、テレビで見た……何ていったっけ"オカマ"かな? あれよ、きっと。日本のテレビくらいだわ。あんなに女装癖のある男性が四六時中映っているのは。まあ、渡辺は女装はしていないけど……》
オリビアの闘志に火が宿った。これまでにしたこともない料理に手を伸ばし、和食のお弁当をこしらえる。イギリスのブックストアにも日本の料理本はいくつも陳列されている。
玉子焼きにおむすび、鳥のから揚げ風のフライドチキン。色とりどりのフルーツも添えて。
和食だけでは心もとない。たっぷりのチェダーチーズと厚切りベーコン、そして新鮮なレタスをはさんだ本場のクラブハウスサンドをバスケットに詰め込んだ。
準備万端、満面の笑みを浮かべる――あれっ? 何で私はこんな表情をするの? 彼をその気にさせてから懲らしめてやるためでしょ。あの紳士ぶった仮面を剥ぎ取って、笑いものにするために。
二人はある晴れた日曜日、レスター・スクエアからゴシック調のタワーブリッジを渡り、テムズ河上流を目指していた。
河川敷で腰を下ろし、バスケットを広げた。雑貨屋でわざわざ買ったランチボックスの中から色とりどりの料理が顔を出す。
「おお! おいしい! オリビアさん。あなたは料理の天才ですね。いやあ、これはとても素晴らしい。今までこんなに美味しいご飯は食べた事がない。気付いていますか? あなたがこんなに……」
オリビアは喉を鳴らして食べる男性をはじめて目の当たりにした。彼女の周りを飛び回る男性は皆一様にすかした人種ばかりで、やれミシュランでは三ツ星だのといった講釈に忙しく、本当に美味しそうに食べる人に出会ったことがない。
いや、あの男だけは本当に食事を楽しんでいた記憶がある――母親の手料理を、娘と一緒に。
125 :
1:2013/03/17(日) 22:30:59.06 ID:QOzfoWI/
(8)
その日の締めくくりは、セスナによる夜間飛行だった。観光客向けの子供だましのアトラクションだと高をくくっていたが、度肝を抜かれることになる。
体が重力に逆らうように上昇し始めると、ロンドンの夜景を一望できる高さまで昇り続ける。日頃から乱高下を目の当たりにしている彼女にとって、その動きは心臓に悪い。
パイロットのストーンは、後ろのカップルを見やると一本調子の台詞を口にする。
「おおっと、乱気流に巻き込まれたようです。どうかお客様、機内にしっかりとつかまってください。このままだと、本機は墜落してしまいます」
きゃあ! 普段はまず聞く事のできない彼女の叫び声が機内にこだまする。渡辺も顔をこわばらせ、サービス精神旺盛な機長のアクロバット飛行に耐える。
十分ほどのジェットコースター体験を終え、地面に降り立つ頃には二人はくたくただった。
それでも、無事に両足で降り立った際には無事を二人で笑いあった。戦争から無事に帰還したかのように。
「ちょっと失礼するわね」
オリビアは、髪型や化粧を直そうと思い、セスナの発着場の待合室に渡辺を待たせた。
戻り際、セスナのお返しに驚かせてやろうと思いつき、ガラス越しに抜き足で忍び寄る――。
彼がスマートフォンを触っている光景が目についた。しばしば目にするが、細かい事が好きな日本人である、特におかしい話ではない。
ただ、一心不乱に動かしているそれはどこか見慣れた概観をしていた。セスナ飛行の際に彼にバッグごと預けた彼女の端末なのだ。
数分間の間、その光景を見つめていた。渡辺はオリビアのスマートフォンを手に持って、タッチパネルに向かい指を動かしている。
《そういうことか……》
オリビアは小さくつぶやいた。これで彼女の魅力に渡辺がなびかなかった謎が解けた。
はじめから彼女の資産が目的だったのだ。彼女に恨みをもつ男性ネットワークから情報を仕入れたのだろう。
私って、まるでウブな女学生だったわ。馬鹿みたい、彼のようなヤサ男に私が心引かれるとでも思ってるの……
彼女は、ゆっくりと自分の姿を見せるように戻っていった。彼はそそくさと彼女の端末から手を戻していた。周囲にいるカップルの男性の目が自分に注がれているのが分かった。
そう、私は女神なの。オリビアの目には青白い炎が宿っていた。
彼を追い落とすプランを練り上げる。
同じ金融に携わるものとして、共通の土俵で破滅に追いやるシナリオがふさわしいだろう。そのためには、彼の取引端末であるスマートフォンを手に入れる必要がある。
あとは、金曜の雇用統計の日に限界までポジションを建てさえすれば、上下どちらかのストップロスに引っかかり資産が壊滅するだろう。
彼には、裏切りの代償を支払ってもらいましょう。ねえ、仮面を被ったファントムさん。
端末の入手は、あっけなく行われた。ほんの数分でよかった。ある程度の情報をスマートフォンから吸い上げたら、そこから先はPCの方からハックして注文を入れればいい。
その道の知り合いも彼女の人脈には揃っている。そういう方面が得意な人種には、下心を持った輩が多いのだ。
手料理を振る舞うという口実で、オリビアは自宅のマンションに彼を招き入れた。彼女のポストモダン風のインテリアの趣味と、そこかしこに溢れる女性のシンボルが彼の落ち着きを奪った。
ワインを買ってきて欲しいというおねだりに、渡辺は即座に従った。
しかし、充電するという名目で預かった彼の端末は、多くを語らなかった。
意外なラインナップだった。FX取引にツールがないばかりか、ゲームのアプリケーションがいくつかあるだけだった。赤、青、緑の石をパズルのようにそろえるもの、ドラゴンの絵が描かれたアイコン。彼女にはさっぱりだったが、ひとつ重要な事が分かった。
彼は、この端末では取引をしていない、ということだった。
その日の彼は美味しく彼女の手料理をいただき、そしてまた紳士ぶりを発揮して彼女を悩ませた。
126 :
1:2013/03/17(日) 22:31:29.67 ID:QOzfoWI/
(9)
相場の変動は突然やってくる。そう、別れのときも同じく突然に。
「オリビアさん、実は日本に帰る事が決まったんです。どうも、こちらでのディーリング業務が軌道に乗れないようで。ディーラーの面々が、イギリスの方のハイレベルなテクニックに圧倒されて、自信を失ってしまったようで……
あっ、私は経理なので特にダメージは受けていないんですけど」
経理? オリビアは目を丸くした。ディーラーじゃなかったんだ。それじゃあ、いつも懸命に操作していたのは、あのなんちゃらドラゴンとかいうやつのため……
で、でも、私の端末を盗み見していたのは……
「本当に、オリビアさんにはお世話になりました。イギリスにいる間、とても楽しく過ごせました。本当はもっと親密になりたかったんですけど、僕なんて……あっ、オペラ座の怪人はとてもいい思い出になりました。それと……」
渡辺は、さっと手元から小さな包み紙を取り出す。
「オリビアさん、結構スマートフォンを使うじゃないですか。それと、京都にも行ってみたいって言ってたんで、これどうかなって思って」
オリビアは渡された包み紙を開けた。中から友禅染めのパッケージが出てきた。
「スマホの液晶の掃除にいいかなって思って。この前、ちょっと試してみたんですけど、結構汚れていたのが上手く落ちましたよ。メガネ以外にも案外いけるものですね」
こ、この前の……あ、あれね……オリビアは、乾いた笑いを浮かべるよりほかなかった。
東洋の好青年を乗せた飛行機が、さっと飛び立つ。一条の飛行機雲を残して――。
《ママ、こんなに疑い深い性格じゃ、恋なんて当分できそうもないわ。やっぱり誰か、お金の匂いがする人を、やりこめるのが一番幸せかも》
「おっと、失礼、お嬢さん。イギリスの方ですかな。実は私、出張で今日着いたのですが……。つかぬことをお尋ねしますが、ここら辺はお詳しいですかな。もし、ご案内いただけるのであれば、謝礼は弾ませていただきますよ」
いかにも成金風でイタリアマフィアのような男は、蛇のような目を彼女の胸元と腰の辺りへと這わせた。
「ええ、構いませんわ。ちょうど暇してたところですわ。それで、こちらにはどういったお仕事で?」
マフィア風の男は彼女の乗り気な態度に、まるで自動販売機で自分が押した商品が違うもので落ちてきたときのように驚いた。
「ええ、主に為替とかそっち方面ですよ。勤務先は、ゴールド……」
彼女の目が怪しく光った。飛行機雲は長く――長く、一本のラインを引き続けていた。
Fin
良スレ発見
アダムまでしか読めてないけど他の作品も期待してる
ありがとー
ありがとう
有り難う
有難う
アリガトウ
ARIGATO
全米が抜いた
パンツを濡らした
2回
それは不思議な光景だった。目の前でのび太がしずかちゃんに襲い掛かり、そのままレイープしている。
「やめて、のび太さんっ! お願いやめてっ!」
国民的パンチラ美少女にして、入浴ロリヌードのカリスマ、しずかちゃんは、発情したのび太の汚らわしい欲情に穢されてゆく。
「しずかちゃん! ぼ、ぼく、しずかちゃんの事がずっと好きだったんだっ!」
のび太はそのまましずかちゃんのスカートをめくり上げると、可愛らしいパンティーに手を掛け、強引に剥ぎ取った。
「いやあっ!」
しずかちゃんの悲痛な叫びが響き渡る。
しかしのび太は止まらなかった。
傍らに横たわるジャイアンやスネ夫、出来杉くんの無残な死体。
破壊されたドラえもんの部品が散らばる、そんな地獄のような光景の中で、のび太はしずかちゃんに圧しかかり、その可愛らしい乳房を嘗め回した。
「しずかちゃん、しずかちゃんの肌の匂いがたまらないよっ!」
のび太は狂ったようにしずかちゃんの肌を舐め、さらにはしずかちゃんの秘所に指先を埋める。
「ああっ! い、いやっ! 駄目よ、のび太さん!」
トヨタのCMのキャスティングで脳内変換お願いします。
荒らしが出れば立派な板だ
>>114 >たまにはニヤッとする系
リクエストどうりだお
133 :
三日月丸 ◆Zr7xGQEFxhNx :2013/03/20(水) 21:07:34.01 ID:YhayyjeE
>>132 ホントだー!
>>1 ふ〜じこちゃ〜ん(^з^)-☆
男って、ものすごく可愛い娘に意地悪したいS願望と
ものすごく綺麗な娘に振り回されたいM願望が同居してる気がするね。
新作も面白かったよー!また楽しみにしてるね!
134 :
Trader@Live!:2013/03/21(木) 22:15:25.26 ID:JTntChqM
保守age
135 :
1:2013/03/22(金) 12:58:58.33 ID:h9ri8N3u
……そして誰もいなくなった
136 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/03/24(日) 17:27:01.59 ID:Bantbbbb
うわーん新作読みたいよー!
138 :
1:2013/03/25(月) 10:26:55.44 ID:f1+SfqBN
キプロスショックなどものともせず、生き残られている数名のFX戦士へ捧げます。
最後の戦士が力尽きた時、このスレもひっそりとその役目を終えることでしょう。
ショート・ストーリーズ第6弾。今回は番外編です。
139 :
1:2013/03/25(月) 10:28:27.82 ID:f1+SfqBN
『The Hedge Fund』
The night is long that never finds the day.
明けない夜はない。そしてまた、日は昇るのだ。
――シェイクスピア『マクベス』より
ライオンであろうとガゼルであろうと、全力で走れ。
そう、夜が明けたならば。
――アフリカのことわざより
(1)
<ニューヨーク>
……眠い。このところの春の陽気のせいではない。
万年そうなのだ。つまり、我々ヘッジファンドの朝は早い――
私は水っぽい黒褐色の液体で胃液の逆流を力づくでなだめると、商売道具である飾り気のないPCを起動させた。
昨日の乱高下を見届けたのが、深夜三時を少し回った辺り。睡眠時間を数え上げるのも、酷使している体に対しておこがましいくらいだ。
それからしばしの休息をむさぼり、高速道路を心地よい風を舞い上げながら飛ばす。
遠くに見える早咲きの桜を横目で見ると、眩いばかりの薄赤色の光が放たれる――
ここニューヨーク、マンハッタン。マネーゲームの聖地においては睡眠時間の少なさを気に留める者はいない。眠い朝を迎えることがステータスのひとつであり、勝ち残るための条件のひとつでもある。
「Hey! Watanabe! Good morning! 調子はどうだい?」
……私の名は渡辺じゃない。と言うより、私は日本人ですらないだろう?
自由の国でも、こうしたいじめとも受け取れる言動は存在する。
渡辺は、最近イギリスから戻った経理畑の日本人だ。何でも出張中に向こうでトレードに興味を持ったらしく、帰国後に配置換えを強く希望したと聞いた。
しかし、そんな思いつきじみた理由で希望が通るのなら恐れ入る。うちは米国で一、二を争うヘッジファンドである。それも、かなりダークサイドな領域に足を踏み入れている本格派だ。
まあ、いい。……っと、おいおい、今度は私の席に彼を座らせようってのか、参ったな。体よく私を追い出そうという魂胆か……
。
たしかに、私の椅子は座り心地がいいだろう――メッシュ張りでそこそこ値の張るこしゃくな椅子だ。これから暖かい季節を迎えるにあたり、涼しげで重宝するのは間違いない。
それにしてもヘッジファンド連中のひがみ根性は嫌になる。私の成績が群をぬいてよいからといって、こんなあからさまな嫌がらせをするなんて。たしかに、自由な社風だからファンドマネージャー同士で相反するポジションを持つ事はしょっちゅうある。
つまり、私の席を排除するという狼藉は、このフロアのボスであるビル・ヘイウッド――名門旧家の出身だそうで――のポジションと真っ向から対立したことが原因か。
何でも遠い祖先が鉱山事業と取引所を経営していたとか何とか。ふう、昔は毎晩酒を酌み交わす仲だったと言うのに、私が結婚してからは随分と疎遠になってしまい、いつの間にか関係が悪化していたようだ。Hey! ボス、もう昔のようには戻れないのかい?
彼のポジションは、ドル売りのポジションだと聞いた。その戦略について、彼はとあるセミナーでこう講演した。
米国のごく一部の富裕層が世界の通貨価値を決める。その富裕層が自分たちの持っているドルを危険だと判断しているから円高になるのだと。円が好きなのではなく、ドルが嫌いな米国市民が非常に多いのである、と。
――好きに言えばいいさ。
たしかにその理屈/理論は1985年のプラザ合意から2011年ごろまで、いくつかの波はあったにせよ市場を席巻していたと言える。実際、大きな流れにおいては円高すなわち、チャートが右肩下がりを描いていったのだから。
――だからと言って、それがいつまでも通用するとは思わない。
私は天才の名を欲しいままに、年間数千万ドルをコンスタントに稼ぎつつけてきた。
マネー誌の表紙を飾ったことも一度ならずある。私の周囲はスポットライトで溢れ、常に光輝いていた。
そんな私が、円安――すなわちドル買いを声高に主張するのだから、対立する連中は心中穏やかではないだろう。私は稼ぎまくった。ダークな手法も織り交ぜながら。
強すぎる光は、より強い影を生み出す――誰かがそうつぶやいた。
140 :
1:2013/03/25(月) 10:28:56.63 ID:f1+SfqBN
(2)
私は為替以外に、個別株の投資も得意とした。自慢のトレード方法は、スワロウ・リバイス――通称、ツバメ返しと呼ぶテクニックだ。よろしい、説明しよう。
テクニックというより……これは上場企業の社長を抱き込むことからはじめる。
業績が芳しくなく、役員報酬も年々減少傾向にあり、なおかつ愛人からの愚痴が多くて困っている人物が望ましい。いくら景気が悪くなっても、子猫ちゃんのおねだりをその見栄から拒みきれないような人物が好ましい。
業績が悪いことを事前に入手し、それを惜しげもなく外資系証券にリークする。ここの情報料で一羽目のツバメを旋回させる。ツバメ――要は、利益だ。
すると、市場はこの悪い格付け情報を見て反応する。意外と市場は冷静で、逆にジリジリと値上がることもある。織り込み済みだとかなんとか、天邪鬼な理由をつけて。
だからこそ、ここですんなり売りで入って儲けようなどとはしない。
この後、来たるべきタイミングで業績が発表される。そこで赤裸々にされる脅威の数字は、格付け予想をはるかに下回る。なぜって? 証券会社に売る情報は、そこまで正直にする必要がないからだ。お分かりかな?
そのハルマゲドンの直前、できるだけ引き付けた安全圏で売りポジを仕込む――これが二匹目のツバメ。
事前予測を大きく下回る数値に、大暴落が発生。もちろん、このシナリオには続きがある。
売りポジションを速やかに利益確定させた後、手早く買いポジションにドテンして次のツバメを巣に放つ。
狸社長が、私から得た金を腹心の幹部連中に還流させ終わった時点で、スタンバイ完了。
そこから形ばかりの経営会議がはじまる。議題はズバリ、大規模な自社株買いの決議。社長の腹心ばかりの会議で、反対意見なんて出やしない。
茶番が通って自社株買いを発表した翌日には、朝から欲の皮が張った個人投資家が大量に群がってお祭りの開始。まあ、とんでもない金額で買い戻すっていうんだから、そこを買い占めて売りつけてやろうって輩が湧出してもおかしな話じゃない。
祭りの締めくくりが、数日分の下げ幅の戻しプラスオーバーシュートになるんだから、笑いが止まらない。
高騰を横目で眺めながらその山頂付近で三匹目のツバメが巣立ち、スワロウ・リバイスのコンプリート、というわけだ。
141 :
1:2013/03/25(月) 10:29:12.68 ID:f1+SfqBN
(3)
おかしい……どうも調子が悪い日々が続く。ダークな手法は、すっかりなりを潜めている。私は、正攻法でも稼ぐことができる数少ないトレーダーのひとりのはずだ……こうして自尊心をなだめ平静を保つように努める。
自信を失いそうになると私は、以前に息子と旅行した記憶を探りはじめる。宝の地図を探すように。
親子二人の水入らずの旅。名目上は息子のジュニアハイスクール入学祝いである。
ちょうどその時も、私のパフォーマンスは絶不調だった。そこで気分転換を兼ねた、記念すべきはじめての旅行を計画した。
ふらりと立ち寄ったケニアの荒野で、ツアーガイドを生業とする現地の親子に出会った。
父親が通訳を行い、息子が運転手の役割を果たす。私の息子よりは少し年上だろう。
免許が取得できるぎりぎりの年齢だろうが、ジープのドライビングテクニックは熟練したものだった――小さいころから、免許なしでこの商売を行っていたのかも知れない。
しわがれた声の父親が言う。人類が誕生したと言われるこのアフリカの地における、生物のことわりについて。
《ただ走れ、前へ向かって。それが生きることだ》
サバンナの早朝、そのことわりを体現する神々しいまでの景色が展開される――
トムソンガゼル、キリン、サバンナシマウマ。リカオンにイボイノシシ。セグロジャッカルやブチハイエナもいる。ダチョウもいればホロホロチョウも。
そして世界最大の動物――アフリカゾウが体躯を見せる。最後方からは、ライオンやチーターが一心不乱に追い立てる。
遠くでは、鮮やかな桃色のフラミンゴが大群で空を縦断している。
皆、全速力ではるかかなたに駆け抜けていく。力強く、前に向かって。
私はその血湧き、肉躍る風景に圧倒された――事実あっけにとられてしまい、突風で観光用に買ったとってつけの帽子を吹き飛ばしてしまう始末だった。
内臓や骨がすべて入れ替わるほどの衝撃を受けた。私は、ツアーガイドの息子に教わった地元の民芸品屋で編み上げられたバンダナを買うと、額にきつく結んだ。
そして、ふうっと息を吸い込むとつぶやいた。
「前を向いて、進もう、それが私にできることだ」
男同士のつながりを感じ取ったのか、私の言葉に息子は力強くうなずいた。
旅の終わりに差しかかるころ、ツアーガイドの親子に強く礼をした。
気をよくした私が多目のチップを渡すと、父親の方が真剣な眼差しで突き返してきた。
「No! 異国の友よ。正規の金額でも私たちには十分過ぎる。余りに多いマネーは災いを生む、これも私たちの国に古くから伝わる教えだ」
――確かに、そうだったのかもしれない。
142 :
1:2013/03/25(月) 10:29:29.66 ID:f1+SfqBN
(4)
<ペンシルベニア>
「こんなの無理、できっこないわ!」
女はヒステリックにわめき散らしていた。たしかに彼女には荷が重過ぎるだろう。
何せ金額が金額である。1pips動くだけで1万ドルが動く計算だ。みるみるうちに損失が積み上がっていく。しかし、しばらくするとロウソクが消えかかるように少しづつ動きが弱まり、徐々に値を下げていく。そして、急激に反発する。
そう、それでいい。
クレアはドル/円の買いポジションをしっかりと見つめる。ローソク足とはよく言ったもので、消える直前に強く燃えさかるところなどそっくりだ。
ああ、また下がってしまった。いったいどうすればいいの?
彼女の動きを、一人の男が注視している。そして「向いてないよ、もう終わりにした方がいい」と言い捨てた。
駄目、駄目よ。ここであきらめちゃ。
スレンダーな肢体は、学生時代に水泳で鍛えた賜物だ。水を玉のように弾くほどの張りと弾力は失われているが、十分に大人の女性の魅力を兼ね備えている。
とてもお子さんがいらっしゃるようには見えないわ――彼女の友人は、いつもそう言ってもてはやす。
もっとも、最近はこちらを気遣ってかそういう会合自体がめっきりなくなっている。
私の方から声をかけるなりして、積極的に増やしていかなくてはならない、そう思う。
だが彼女は、そうした出会いの機会を増やすことよりも口座の残額を増やすことに執心していた。
まるでそれが自分の課せられた運命のように――
143 :
1:2013/03/25(月) 10:29:46.55 ID:f1+SfqBN
(5)
「見て、クレア。彼、またあなたのことを見てるわよ」友人が、ちょんとクレアの肩を押しやってウインクする。
女学生の冷やかし方は、十五年前のアメリカにおいても大きな違いはない。
友人が指し示す方角には、いかにも女子からは人気がなさそうな、全体的に野暮ったい風貌の男が立ち尽くしていた。
「ひゅう、学年一番の成績の彼からご指名ですか。クレアも隅におけないね」
友人は、そう言い残すと春のつむじ風のようにさっと姿を消す。
「あっ、ちょっと……もう」
取り残されたクレアは、青年のことなど気にも留めない様子で、すたすたと歩きはじめる。その後を男がひたひたとついてくる。
数メートル歩いたところで立ち止まり、後ろを睨みつける。
「な、何か用ですか?」
「えっ、えっと。もしよかったら、この近くのインターナショナルスクールで、バザーをやってるんで見にいきませんか?」
見かけによらず、声は若々しかった。そりゃそうよね、確か私と同じ学年だもの。
少年の問いかけに何で私がと言いかけたが、そっと手渡されたクシャクシャのチケットが、彼の緊張を物語っていることに気づいた。
意地悪な気持ちが少し消え、学年一の秀才君の私生活を覗き見するのも悪くないと思った。
144 :
1:2013/03/25(月) 10:30:03.33 ID:f1+SfqBN
(6)
4月ともなると、ニューヨーク州にほど近いペンシルベニア州でも日本と同様に桜が満開となり、春を告げる――
http://www.nationalcherryblossomfestival.org/news/ インターナショナルスクールのバザーは大盛況だった。
文化祭さながらの出し物が多くあり、場内を歩き回る学生や来場者の肌の色はごった煮で、まさに人種のるつぼを醸し出していた。
中には障害を抱える学生たちも多くいた。彼らも皆一様に声を張り上げ、とても楽しげに見えた。校舎の正門には『ヘイウッド財団寄与』という石碑がいくつか立てられていた。
綿あめや、リンゴ飴と言った露店風の出し物。手作りベーカリーの匂いや、色とりどりのフルーツをその場で食べられるように切り落としたものが並べられ、二人の若い胃袋を刺激した。
クレアは、自分でもすっかり驚いていた。彼はもっとおどおどして話し下手だと想像していたのだが、なかなかどうして、興味の尽きない話題を提供してくれるのだ。
これは、街中で声をかけてくるような連中や自分の男友達にはない新鮮さを与えた。
プラネタリウムを見学し、学内を一周するころには、彼がぼくとつと語るストーリーテリングの虜になっていた。
「プラネタリウムがどういうきっかけで作られたか知ってるかい?」
「いいえ、知らないわ」
「あるところにとても仲の悪い二人の王子がいたんだ。それぞれ自分が見ている星の見え方が違う、自分の方が正しいんだって言い争いをはじめてね。ついには、それが引き金となって戦争が起きそうになった。
それで王様が、ならば機械を作って互いに証明せよと命じた。それで電球で星の配置を示す機械が作られた。
さて、作ったはいいが結局自分の思い描いた配置とは違うって、二人の言い争いは絶えなくてね。
どちらかがいない時に電球を壊したり、勝手に足したりする始末さ。それで王様が喧嘩の元を取り上げて、広く公開したのがプラネタリウムのはじまりと言われている。
街の人は大喜びで、その国は大いに栄えたのさ。二人の仲も、さすがにそれで収まった。
それで、喧嘩の元を失くして仲良くなったその逸話から、今は縁結びのスポットとして知られている」
……ウソばっかり、クレアは笑う。
フルーツパーラーを見かけても、すぐに即興で楽しませてくれる。
《ホワイトピタヤっていうのは、別名ドラゴンフルーツとも呼ばれていてね……えっ?
何でドラゴンって呼ばれてるかって……》
数時間の間で、一生分の笑いを使い切ってしまうほど二人は笑い合った。
「あっ、ちょうどいい、二人の記念に」
男はバザーのスタッフを呼び止めるとカメラを渡して髪をかき上げた。
そこには、理知的で意思の強さを感じさせる少年の顔があった。
へえ、意外。クレアも満更ではなかった。
春の明るい陽射しの中、二人の写真が幸せの額縁に収められた。
145 :
1:2013/03/25(月) 10:30:24.47 ID:f1+SfqBN
(7)
<ニューヨーク>
すでに私は我慢の限界だった。
席を追いやられるだけならまだいい。気に入らなければ、話しかけてもらわなくても結構。投資は個人プレーだ、一言も会話することなくとも与えられたノルマを達成することはできる。
だが、人として越えてはいけない一線がある。やってはいけない行為を親から習わなかったのか。型落ちのPCであれ、あれは私の商売道具だ。また、家族の写真をデスクに飾ることは、ここニューヨークでは珍しいことではない。
――私は、すべてを失くしたのか。才能も築き上げた信頼も……そして自分の荷物さえも。
私の席に座る東洋人の若造を、恨みがましく見つめる。渡辺と言ったな、たしか。
それならせいぜい見せてもらおう、君の腕前を。
146 :
1:2013/03/25(月) 10:30:40.78 ID:f1+SfqBN
(8)
<ペンシルベニア>
「ヘイウッドさん、すみません。わざわざご足労いただいて」
クレアはインターホン越しに言った。
「いえいえ、遠慮することはないですよ。困ったときはお互い様です」
ビル・ヘイウッドは神妙な面持ちで、マンションへ上り込む。
「散らかっていますが、どうぞ……それで、これなんですけど……」
すっかり成熟した女性となったクレアは、申し訳なさそうに話を切り出す。
チカチカと明滅するモニターを指し示した。
「なるほど、これはなかなかどうして。もの凄い建玉ですな。円ベースの時価にしてざっと10億円といったところでしょうか。さて、どうしましょう」
「それが分からないんです。ここでスパッと辞めてしまえるのなら簡単なのですが、そういうわけにもいかなくて。引き継いだものですし」
「分かります、分かります。私たちプロでも迷うぐらいですから。ですが、このポジションはお奨めできません。今、含み損だけで六億はいってますね。このままだと、すべてを失ってしまう可能性もあります」
男は眉間にしわを寄せながらも、丁寧に言葉を選んで説明する。
すると、少年がリビングの方から現れクレアに言い放った。
「母さん、そんな奴の言うこと聞く必要はないよ。父さんが言ってたんだ。あきらめたらそこでおしまいだって。同じ倒れるなら前に進んで、前のめりに倒れろって」
「でも、お前も言ってたじゃない、母さんには向いてないから終わりにしろって……」
「そりゃ、言ったさ、だけど……」言葉に詰まると、少年は悔し涙を浮かべた。
「ようし、分かった。そうだな、ここは息子さんの言うとおりかもしれない。いったん、そのままにしてみよう。落ち着いて、時期を見ながら慎重にトレードしていけばいい。それが正解だと思う」
ヘイウッドはそう言うと、落ち着いた色調のキャビネットの上に置かれた……ある一点を見つめた。
147 :
1:2013/03/25(月) 10:30:59.06 ID:f1+SfqBN
(9)
<ニューヨーク>
「ああ、駄目だ、駄目だよ! 渡辺! そこで売りで入っちゃ。絶好の押し目じゃないかそこ。買いだよ買い……」
私は渡辺の操作をモニター越しに眺めながら、声にならない声を上げる。
そして突然思い至った。天啓の閃きとも言える感覚。
誰か教えてくれ。私が建てたあの巨大なドル買いポジションはどこにいったのだ?
まさか、ロスカット……いや、そんなはずはない。
もう一つ気になることがある。私は、朝のハイウェイを疾走していなかったか?
早咲きの桜を遠目で眺めながら。
――そうだ、たしかにそんな記憶がある。
渡辺のポジションがロスカットに遭ったらしく、彼は頭を抱えた。
その瞬間、すべての道が一本につながった。頭の中で思考の糸がピンと張りつめ、思考の高速道路とつながる。
そこに映し出されているのは本物の高速道路だった。疾走するハイウェイ。
真っ赤な鮮血とサイレンの音――そこで途切れた。
「そうか……そうだったのか」
148 :
1:2013/03/25(月) 11:18:12.88 ID:f1+SfqBN
(10)
<ペンシルベニア>
ヘイウッドが、クレアに優しく話しかける。
「奥さん気落ちしないでください、彼が悲しみます。何というか、光に包まれた存在でしたから。性格的には多少ダークな一面を持ち合わせていたと思いますがね。それでも、やはり彼は光に包まれた天才でしたよ」
上司の男はゆっくりと、それでいて確実に言葉を続ける。
「生前の彼も、そのキャビネットに飾られているのと同じものを、飾っていました。そうそう、奥さんのものと息子さんの写真です。ああ、そちらについては後日お持ちします。ちゃんと丁寧に保管してありますからご安心ください」
「ええ、本当にありがとうございます。主人もきっと喜びますわ」
さっきまで口をとがらせていた息子も、来訪者の丁寧な物言いに納得したらしく、会釈で応えた。
ヘイウッドは立ち上がると、キャビネットの上に置かれた写真に近づいて言った。
「確かにこの写真だ。奥さんも彼もまだ若い。実に素敵だ」
桜が咲き誇る学生バザーの会場で、若い男女がぎこちないポーズをとる写真だった。
ヘイウッドが帰った後、クレアは時計を見た。まだお昼前だった。彼らの生活が常人より早いことに感心した。
そしてクレアは、ふと窓の外をみやった。女学生のような表情で優しくつぶやいた。
《ねえ、あなた。高速道路であっけなく逝ってしまった天才トレーダーさんのお話を、聞かせてくれないかしら? ユーモアをたっぷり盛り込んでね》
前を向いて、歩いて行こう。息子が最近、よく言う台詞だ。クレアもそう誓った。
「よし、桜でも見にいこっか。あっ、そのついでにあそこのバザーに立ち寄っていかない?」
「えー、やだよう。デートみたいじゃないか。俺もう、そんな年じゃないよ。でも、ご馳走してくれるなら……いいよ」
親子二人は笑いあった。
窓の外には、小さなつむじ風が巻き起こり、春の桜を舞い上げていった――
Fin
149 :
Trader@Live!:2013/03/26(火) 02:07:56.82 ID:TWj2Lpzc
おつ 多少難解なのが重層感を出してていいね
150 :
1:2013/03/27(水) 17:59:23.12 ID:K920zzh9
今、相場以外の小説を執筆/構想中なのですが、皆さんはどのお話であれば読んでみたいと思われますか?
お時間のあるときにでも、教えていただけると嬉しいです。
(1)『The Card』
舞台は明治初頭。三姉妹が、亡き親から引き継いだ女子寮を守るために奮闘する。
三人は妖怪カードバトルの達人で、寮の乗っ取りを企てる輩と全面戦争に突入する。
(2)『The Girl』
産業革命期前後のヨーロッパ。宇宙から落ちてきた少女を、その星に帰すべく少年が活躍するする冒険もの。果たして、宇宙人と思っていた彼女の正体とは。
(3)『The Hero』
中世RPG世界。主人公は英雄の家系に生まれた次男坊。陽気で天才肌の長男(勇者)の陰に隠れて少し屈折している。侍女というパートナーを得て、少しづつ苦手な魔法も習得していくが、兄貴が魔物に殺されて……
(4)『The Space』
スペースオペラ。宇宙をまたにかける賞金稼ぎの主人公は、フィージャロイドのイブと旅をしている。立ち寄った惑星のエディアン公国で、王位継承争いに巻き込まれる。
裏で糸を引く巨大な陰謀に気づき……
(5)『The Last』
舞台は江戸。兄と暮らすアオイは、成仏できない霊を見ることができる特殊な能力の持ち主。霊を成仏させるには、彼らの心残りである最後の願いを叶えてあげなくてはならない。
死後七日を過ぎてしまうと、この世のものではない生き物に変化してしまう。
賭博好きの兄の助言を受け、向かった先には――
全部ファンタジーwww
上げてくれた中のどれかを今の経済をモチーフにしてるなら読みたい
後で解説と言うか、どのシチュ使ったとか後日談でやってくれるといいな
でも、相場以外って言うなら3と4に期待したい
152 :
1:2013/03/29(金) 10:28:14.79 ID:K/rmLpm8
E・P・Cさん、貴重なご意見ありがとうございました。
とても参考になります。本当にありがとうございました。
相場以外のちょっと違うジャンルで文の練習を試みようとした次第です。
スレは過疎って参りましたか。。これも諸行無常のさだめですね。。
それでは!
>>152 経済以外って書いてるもんねw
3が読みたい
でも割と重厚なのを期待してしまうからSSってわけにはいかないですよね
どこか別スレで投稿するなら誘導あるとありがたいです
154 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/03/30(土) 12:09:40.16 ID:kTmgqZXs
>>150 俺は5かなー。こないだ江戸時代の物語を書いてるって言ってたでしょ。
それにやっぱり賭博は相場と無関係ではないし。だから読んでみたいな。
今回の話が難解気味なのは、「私」が章によって誰なのか分かりにくいせいじゃないかな。
それで混乱するんじゃないかと思う。俺バカだから4回読み直してやっと分かったもんw
内容は面白かったよ!サイドストーリー的構成になってるのも世界観が広がっていい感じ。
あと、過疎り出したんじゃなくてやっぱり長文だからある程度時間がとれる時
じゃないとみんな読む時間がないんだよ。
俺もそうだけど、きっと週末に大勢読んでると思うよ。
また楽しみにしてるね!
155 :
1:2013/03/31(日) 23:59:05.42 ID:RMz/9EzW
三日月丸さん、いつも貴重なレスありがとうございます。
5については一応完成してるのですが、結構長いですね。。
まぁ、長くても何もUPしないよりはよいかもしれません。
※長めが苦手な方はスルーすればよいだけなので。
次回作へのつなぎとして検討してみます。
ではまたノシ
156 :
1:2013/04/01(月) 17:18:51.35 ID:t+oLGTlk
ショート・ストーリーズ第7弾。
ショート向けに改編していますが、それでも今回はいつもより長いのでお時間のあるときにでも。
なお、いつも連投規制に引っかかるので、投稿間隔を空けるようにします。ご了承ください。
江戸の賭場をモチーフに取り入れた作品です。
157 :
1:2013/04/01(月) 17:19:18.00 ID:t+oLGTlk
『The Last Message』Short_Ver
人生は、記憶を積み重ねていく過程で立ち現れる無数の溝に過ぎない。
幸福も悪夢も、その溝にひっそりと刻み込まれていく。
溝のもっとも奥底には、本人ですら気がつかない最後の願いが眠っている。
――天上 葵(テンジョウ アオイ)
(1)
また八丁堀で死体が揚がった。今月に入って二回目だ。
「おおい、アオイ。また揚がったってよ、本当に物騒な世の中になったもんだ。しみじみ普段の平穏な生活が一番幸せだよな」
「もう、お兄ちゃん!私の名前を呼ぶときにおおい、をつけるのは止めてって、あれほど、いってるでしょ。ポッピン屋の辰さんに、いつもそういう薄っぺらい呼び方でからかわれてるんだから」
アオイは口をとがらせて言った。
兄の天上 源九郎は、瓦版をめくりながら妹の話は聞こえないかのように続ける。
「それはそうと、アオイちゃん。今月のおこづかいの方なんけどさ……」
わら半紙の瓦版に顔を半分隠しながら兄がつぶやく。
「えっ、もしかしてもう使っちゃったの!?どうせまたあの米相場の賭け事に使っちゃったんでしょ! 何回同じことをいわせるのよ、うちにはそんな余ってるお金はありませんよーだ」
アオイの溜息混じりの口調も年季が入ったものだ。彼の相場狂いは今に始まったことではない。
「いや、今度こそ。今度こそなんだよ。。ほら、見てみろよ。軒先のカラスどもがこぞって大鳴きしてるだろ、こういうのは相場の大暴落の前兆なんだよ。間違いない、今度こそ大金を手にできるんだけどなぁ」
言葉尻では語気が弱くなってきた。どうやら絶対の自信があるわけではないらしい。
――江戸の初期、堂島で世界に先駆けて開始された米相場は現在の先物相場に相当する、とても高度なものだった。凶作やききんで米が高騰すると値ぶむのであれば先物を買い、逆に豊作で価値が暴落すると読むのであれば先物を売るのである。
先物取引は庶民にとって賭博の様相を呈していた。米価格の暴落に保険をかける生産者の思惑や、安定して米を買いたいという消費者の願いに答える――それは建前でしかなかった。誰しもが、ハイリスク・ハイリターンの魅力に酔いしれた。
予測が当たる瓦版は部数を伸ばし、巷には米先物による成金を多数生み出した。ご多聞に漏れず源九郎も、その熱気に当てられたひとりだった。
158 :
1:2013/04/01(月) 17:19:34.43 ID:t+oLGTlk
(2)
「だめ! そんなことより早くお使いに行ってきてくださいな。お供え物のお菓子を切らしちゃってるでしょ」
後ろで束ねられた肩までかかる長い黒髪を揺らした。母のかたみのべっこうのかんざしがとても似合っている。しかしそれも、家計が火の車となっては手放さなくてはならないのだ。
「それとね、お兄ちゃん。その集まってるカラスだけど……」
アオイはそこで口をつぐんだ。兄に説明しても分かってもらえるとは到底思えないし、そのことについては、ずっと秘密にしてきた。
「へーいへい、分かりましたよ。アオイちゃん。んじゃ、ちょっくら行ってくるわ。あっ! 帰りにちょっとだけチンチロを見てくるかも」
そう言うや否や、源九郎は長屋を飛び出した。高身長の一見色男であるが、いかんせんこの賭博癖が直らず、町の若い女子たちからも生暖かい目で見られていた。その癖を差し引けば、おそらくはモテる部類に入るだろう。
「もう、チンチロって、また賭け事じゃない! ほんとにもう」
頬をふくらませ、右足で軽く地団駄を踏んだ。十代後半にしてはあどけない癖が残る。
兄が駆け出していった開けっぱなしの戸口を見やり、眉をひそめた。
「さあて、お兄ちゃんがいない間に……そう、出ておいで。怖くないから、大丈夫。あなたのことは見えているわ、平気よ。そう、いい子だから」
アオイは誰もいない、がらんとした土間に向かって話しかけた。返事はない。
「いるんでしょ、だからカラスがあんなに鳴いているの。ここにいるよーって。だからもう怖がらないで、私がなんとかするから」
そう告げると、引き戸の陰からスゥーと男の子がその姿を現した。半透明で血色が全く見当たらない。
159 :
1:2013/04/01(月) 17:19:59.30 ID:t+oLGTlk
(3)
アオイは膝を曲げて少年の目線にまで顔を落とすと、ゆっくりと優しい口調で話し始めた。
「いい? もううっすらと気づいてくるかも知れないけどよく聞いて。そう、それでいい」
アオイは少年の頭をなでた。と言っても、手は頭を突き抜けてうまく触ることができない。
「あなたは……」
深呼吸してから丁寧に言葉を選っていく。
「もう死んでいるの」
言葉を一度区切り、そして続ける。
「でも、それに気づいていないからこの世界をまださまよってる。こういうことを成仏っていうんだけど、それがうまくできていないの、あなたの場合。それで、名前は何ていうのかなボク」
ややぽっちゃり体型の少年は答えた。
「ボクじゃないや、虎次郎って名前だい。それに、死んでるのだってもうとっくに分かってらい。おいらはそんなに子供じゃない!」
口をとがらせて答える口調が、あまりにも可愛らしい子供のそれだったので吹き出しそうになった。
「じゃあ、いいこと、虎次郎くん。お姉ちゃんはね、あなたを成仏させるために協力するつもり。とても特殊な能力なの、あなたが見えるっていうことはね。だから、この天から与えられた力をきちんと発揮するために、頑張らなくてはいけないの、あなたも協力してくれる?」
「いやだよ」
「ええっ!?」
予想外の答えに面食らった。
「あれ、変ね? 可愛い坊やがいま、イヤッて言ったかしら?おほほ」
顔の引きつりを抑えながら口元に手を当ててみせる。
「言った、おいらは何も協力する気なんかねえ! 今の状態が結構気に入ってるんだ、ちょいちょい物を通り抜けられて便利だし、腹も減らねえ。誰からも声をかけられないのは寂しいけんど、あんたがいるし」
「あんたじゃなくて、お姉ちゃんでしょ……」
つかめるはずもない、子ども幽霊のほっぺを引っ張りながら諭すように言う。
「それにね、虎次郎君。その状態がいいって言ってたけど、そうなってから七日を過ぎちゃうと、とっても恐ろしい状態になるのよ。ほら、初七日って聞いたことない?」
神妙な面持ちで説明を加えて言った。子供に理解できるかどうかは心元なかったが、それでもできる限り丁寧な口調で言った。七日以内に心残りを解決してこの世とお別れしなければならない、さまよう幽霊たちのルールについて――。
160 :
1:2013/04/01(月) 17:21:08.93 ID:t+oLGTlk
(4)
アオイがこの能力に気付いたのは、十二年前のある夏のことだった。
元々病弱だった母が夏の大飢饉と疫病の蔓延に重なってしまい、亡くなった日のことだ。
天上家は母親だけでなく父親も早くに亡くしていた。その理由については兄が言葉を濁すのでアオイは正確には理解していない。長年女手一つで兄弟姉妹を育てた母の喪失は、とうてい受け入れがたいものだった。
「お母さん、いかないで! いやっ! アオイたちを置いていかないで!」
病床に伏せった母親がこと切れたとき娘は布団越しに突っ伏し、母の体に顔をうずめた。言葉にならない叫びはその場に居合わせた親戚、親族、すべてのひとの涙を誘った。五歳年上の兄は気丈にも歯をくいしばり涙を見せないでいた。
長時間泣きじゃくると思われた娘は、ぴたりと泣くのを止めた。そして養生所を出ると裏の小道へ小走りで駆け込んでいった。
そこでアオイは、幽霊となった母からひととおりの説明を受ける。すべてを理解したわけではないが、天上家の女性には霊が見える特殊能力が備わることを知らされた。そして、その能力を生かして成仏できないで困っている人を助けなければいけないこと――それが宿命だと。
「お母さんは、どうしてそんなお水みたいな姿になっちゃったの? どうすれば戻るの?」
あどけなさが残る口調で問いかけた。
「ごめんなさい、アオイ。お母さんはこのままの状態ではいられないの。ううん、私だけじゃない。あなたがこれからの人生で出会う、すべての幽霊さんがそうなの。
この姿で七日を迎えてしまうと、とても恐ろしい死霊になってしまうの。このことを私のお母さん、つまりあなたのお婆ちゃんから教わったのよ」
「だって、でも……ひっく」
「お婆ちゃんもお母さんも、大勢の人を救ってきたわ。成仏できないでさまよっている人たちの最後の願いを聞いてあげてね。もちろん、つらいことや大変なこともたくさんあったわ。でもやり遂げた。
あなたもきっと人助けの大切さに気付くときがくる。ううん、もちろん分かるわ。だってお母さんの娘なんだもの」
娘の赤く染まった可愛らしい鼻を、ちょこんと小突く。
「いい、大丈夫よアオイ。私はこのことをあなたに伝えることが気がかりだったの。それで成仏できなかったんだけど、もう大丈夫。ちゃんと伝えたからね。
それとお兄ちゃんはお父さんと同じ賭け事好きの血を引いてるようだから、注意してあげてね? あ、賭け事っていうのはね……」
半分分かったような、分からないような会話だった。
アオイの母親は満足した表情を浮かべると、そっとアオイの頭をなでてやった。
そして片目で合図をすると天高く舞い上がり、シャボン玉がはじけるように消えていった。
これがアオイのはじめての幽霊との出会いだった。そしてこれまで何回も川沿いの柳の下などで出会い、成仏を手伝ってきた。そんな彼女が少年の霊をまじまじと見つめる。
161 :
1:2013/04/01(月) 17:21:34.07 ID:t+oLGTlk
(5)
「もう一度言うわね。虎次郎くん。心残りをなくして早く成仏しないと、困ったことになっちゃうの! だから、私に協力してくれる? 分かったわね」
怖い女性のことを巷で鬼嫁と呼ぶが、そんな感じだった。
「そ、そんなに言うなら協力してやらないこともないかな、うん。基本的に俺は女の味方だしな」
明らかにアオイの迫力に気おされていた。
「んだども、俺を成仏させるには条件があるべ。あれを、一度でいいからやってみたいんだ。それをかなえてくれるなら考えてやらないこともねえ」
事もなげに言い放った虎次郎に対して、アオイは目を輝かせた。
「なになに? 何でも言って! お姉さんがちょいちょいと叶えて進ぜましょう」
どうせ子どもの言うこと、楽勝楽勝。もしかして、それが最後の願いかも……アオイは内心でほくそえんだ。
「合体。俺、お姉ちゃんと合体がしてえ」
「こ、この、エロ河童(ガキ)……合体って」
右手のこぶしを握り締めつつ、顔を紅潮させた。
わ、私だって経験ないわよ、と喉まで出かかったが、天使のような微笑みを浮かべながら会話を続けた。
「へえ、おませさん。合体って何だか知っているのかしら。どこで覚えたのかしら一体」
からかうような口調に虎次郎は返す刀で切り返す。
「オトンが持ってた浮世絵に書いてあったべ。あれがしてみてえ」
「い、いいこと虎次郎君、あれはそのぅ大人同士がするものであって。あなたのような子供が、ねえ……じゃないのよ」
防戦一方だった。
「うーん、よく分かんねえけど、そんな難しいものなのか。ただ、おいら母ちゃんがいねえから、そうしたもんが心残りかと思ってたんだよ。両方の腕で、こう、体に回すだけのことだけどさ。やっぱおいらには、そんなことしたくねえってことだべか」
少年は肩を落とした。
「ええっ! それだけ……それなら今すぐにでも、ううん、ちゃんとしてあげるから待って。えっとこれでいいかな……うん、これでいいでしょう」
アオイは少年を両腕で抱きすくめると、力強く胸に引き寄せた。もちろんすり抜けてしまうのだが、感覚的なものは共有できたはずだ。
「うーん、おいらの記憶だともっと母ちゃんのは、ふかふかしてた覚えがあるんだけんども、まあ、いいか。あれ?」
「そ、そうですか、はは。それは暗にぺったらと言いたいのかしらね……」
子犬のように小刻みに震えながら小さくつぶやく。大きな両の目を怪しく光らせながら。
162 :
1:2013/04/01(月) 17:21:55.80 ID:t+oLGTlk
(6)
そこで異変に気付いた。虎次郎は一向に成仏の気配を見せないのだ。愛情いっぱいに抱きすくめてもらうことが少年の最後の願いではないことは明らかだった。
「違うわ虎次郎君。最後の願いが叶うと全身に光が宿って宙に舞って、それから天国へ旅立つの。でも全然起こる気配がないわ。他に心当たりはない? えっと、気になっていることっていうの」
取り繕うようにして言う。虎次郎は大きくかぶりを振る。
しばらくして――
「分かった! もしかして父ちゃんのことを心配してるのかも知れねえ。おいらの父ちゃんいつも金に困ってたから……」
「分かった、その線で調べていこうか。それはそうと虎次郎君、その耳ってどこかで怪我でもした? もしかして虎次郎君の死んじゃった原因って……」
少年の赤く腫れ上がった両耳を見る。
「うんにゃ違うよ。これは柔術の稽古でできたものさ。畳とこすれるとこうなるんだ。つええ奴になるともっと耳がぱんぱんになるんだ。
おいら毎週日曜日に父ちゃんに稽古つけてもらったりしてさ。昔は有名だったんだぜ父ちゃん。町一番の有段者だったんだから。
でもそっか、もうあのきつい稽古はやらなくてもいいのか……なんか寂しいかな」
ポツリと言う。何気ない会話にヒントが隠されているはずなのだ。
不意にある種の閃きが走った。天からの啓示と言ってよく、全身を貫かれる思いだった。
「お父さんって、ちゃんと生きてるよね……もしかして、お父さんに何か伝えたいことがあるんじゃないかな?」
「……それならあるかも」
「えっ、本当! どんなこと? 聞かせてくれるかな」
「お金……父ちゃんにお金持ちになって欲しいんだ。おかんが死んでから、ずっと苦労してきたから。それにおいらもこんな幽霊になっちまって……」
虎次郎の死因については、うまく聞き出せなかったのでうやむやのままにした。
163 :
1:2013/04/01(月) 17:22:31.32 ID:t+oLGTlk
(7)
次の日の朝早く、金稼ぎの方法を知るべく兄に切り出した。
「な、なにぃー。金稼ぎがしたいって! しかも金が今すぐ必要だと!? 何に使う気だ! まさか、おめえお嫁に行こうってんじゃ……」
「何言ってるの! このバカ兄貴!」
頭をポカリとやり顔を赤らめた。まだ異性と付き合ったことすらないのに。
「それで……そのぉ百両(現在の価値に換算すると一千万円程度)あれば足りるかなってことで、あのぉ、どこかいい稼ぎ場をお教えいただければ……はい」
「って、おめえ! 賭場で稼ぐつもりなのかい! そりゃ、知ってるには知ってるけどよぉ、巷じゃ八丁堀の源さんでとおってるくらいだからなぁ」
「何の自慢にもならないでしょ! でも今回は役に立ちそう、教えてお兄ちゃん。いつもお兄いがやってる米洗濯物とかってどうなの、そこのところ」
アオイは小首をかしげながら可愛く言う。夜の蝶々とまではいかないまでも、女の武器に兄は少しドギマギした。おしめが取れてまもないと思っていた少女が、女の色香を少しづつ身につけはじめているのだ。
「ばっかお前ぇ、米先物だろ洗濯してどうするんだ、糊でパリパリになっちまわあ」
複雑な冗談をかましたはいいが、妹が無反応なのを見て咳き込む。
「先物は結果が出るまでに時間がかかるんだ。その分、実入りもでかいんだけどな。で、その様子だとすぐに必要なんだろ、金が。それなら先物は向かねえなあ。すぐの限月でも秋になっちまうよ。
それとな、おめえ百両って簡単にいうけどな、そんなの俺が欲しいくらいだぜ。ったく、これだから素人は……今だったら《けもの三すくみ》ってのが流行ってててな。何でも勝つと倍になるらしんだよ。初心者のまぐれあたりが決まると、もの凄い儲けになるんだ」
「ありがとうお兄ちゃん助かったわ。勝てば倍に増えるんでしょ。だったら結構簡単じゃない?」
「甘い、甘すぎる。勝つのも負けるのも半々なんだぜ。今言った《けもの三すくみ》ってのは売出し中のやつだから、テラ銭はショバの入場料しかかからないけどよぉ。逆にいうと、向こうが自信があるってことなんだよ。
それにな、家にはそもそも一両金貨なんてありゃしないんだよ。あるのはせいぜい六文銭で、三途の川の渡し賃ぐらいにしかならねえよ」
兄の言葉に、妹は顔をしかめた。三途の川という響きに、虎次郎が反応しなかったか心配した。幸い気づいていないようで、胸をなでおろした。
もっとも、虎次郎が成仏した後に極楽浄土へいくのか地獄へ落ちてしまうか、そもそもそうした世界が存在するかどうかまではアオイの能力では分からないのだ。
アオイの着物の陰に隠れている虎次郎の表情は、特におびえているように見えなかった。
意を決したようにアオイが言う。
「大丈夫、私はきっと勝つわ。だってお兄ちゃんの妹だもん」
164 :
1:2013/04/01(月) 17:26:00.90 ID:t+oLGTlk
(8)
言葉の陰にはアオイの持つ特殊能力を生かした裏付けがあった。何とかこの能力を駆使して相手を出し抜こうとしているのだ。
「そうかい、よく分かった。そこまで言うんなら仏壇の陰にある茶色の壺を持ってこい」
「うん、分かった」
アオイは仏壇に小走りで向かい、言われた通りの場所へ手を伸ばした。正しくそこには壺があった。仏壇に飾られたいくつかの位牌からは目をそむけたまま、壺を引き出した。
「よし、そこに置け。おめえの嫁入り道具の足しにしようと、ため込んでいた俺の稼ぎだ、そいつは。へへ」
源九郎は鼻の下を一本指でこすって見せた。
この時代、この自信満々の表情を堂屋顔(どうやがお)と呼んだ。
繁華街で興行している侍芝居の一座に堂屋(どうや)があり、その芝居を観た若い衆はみな粋な侍気取りの得意満面な顔で小屋を出てくるのだ。そこから転じて、若い輩の間でそう呼ばれるようになった。
鈍い茶色の壺の中に手を伸ばすと、中から三枚の金貨がのぞいた。実に三両である。
妹はそれを見るなり思わず涙ぐんでしまった。涙を兄には見せないと心に誓ったはずなのに。すぐに涙を拭うと、取り繕うかのように話を戻した。
「御免ね、うん。本当はこのお金に手を付けたくはないんだけど、どうしても必要なの。理由は聞かないで。でも、正しいことに使うことは間違いないの。人助けだと思って」
「手はじめに《けもの三すくみ》のやり方から説明しておかないとな」兄が言う。
「あっ、はい! 先生お願いします」妹がぺこりとお辞儀をする。
「まず自分と相手――相手っていうのは胴元と呼ばれるお店の人だな、これが手札を互いに三枚づつ持ち合う」
「手札?」
「そうだ、木製の札で表面に三種類の図柄が描かれている。裏面には何も書かれていないか、その場を仕切っている一家の代紋が入っているのが一般的だな。その図柄なんだけどな。お前、ナメクジって好きか」
アオイは小さく首を振る。
「じゃあ、イボガエルは好きか?」
少し考えた後、両肩を抱き寒気を抑えるようにぶるぶると上半身を振る。
「よし、それなら大蛇はどうだ?」
即座に両手を左右にもの凄い勢いで交差させる。蛇が好きな女子がいるなら会ってみたい、そう言わんばかりだ。
「今の図柄をしっかりと覚えるんだ。ナメクジ、蛙、そして蛇。これの組み合わせによって勝敗が決まる。まずお前の嫌いな蛇だが、こいつは蛙をひと飲みにできる。つまり相手が蛙を出した時に、こちらが蛇なら勝てるということだ」
「うんうん」
「それで、蛙はナメクジをひと飲みにできる。これも簡単、蛙の勝ちだな」
「なるほど、あれっ、蛇はナメクジもひと飲みにできるんじゃないの? それって最強の手札になるわけ?」
「いや、それじゃ面白くも何ともないだろ。みんな蛇を出すに決まってら。確かに蛇はナメクジを喰らうことができる。でもな、ナメクジの体を覆う粘液が蛇の腹の中をすっかり溶かしちまうものだから、蛇は怖くて喰らうことができないんだ。
だからナメクジの勝ちとみなされる。そんな感じで三匹が出会ってしまうと、それぞれがすくんでしまって均衡が保たれるわけさ。それを賭け事に利用したのが《けもの三すくみ》になる」
「そっか、意外に簡単だね。町の子供たちの間でも似たようなのが流行ってるから、分かるわ。向こうは足を使って三種類のしぐさをするんだけど、それと一緒よね」
「そうだ、後は賭ける時機だな。基本は青天井で受けてくれるんだが、もちろんいきなり張りを大きくしても警戒されちまう。この手の商売はイカサマがつきものだからな。
こちらの力量を測らせることなく、いい鴨と思わせた上で勝負を挑まなくちゃならねえ。ある程度の撒き餌も必要なんだ」
「分かった、慎重にやればいいのね」
そういうアオイは、もう上の空だった。世にいう必勝法を思いついてしまったのだ。
165 :
1:2013/04/01(月) 17:26:29.66 ID:t+oLGTlk
(9)
そこは、この世の極彩色を散りばめた――よく言えば艶やかな、悪く言えば品位に欠けた――都だった。
話は八時間前の早朝にさかのぼる。
「ええっ、堂島? どうしてそこがいいの? 虎次郎君。ここからならもっと近い場所もあるんじゃないかな……お兄に聞いてみよっか?」
「うんにゃ、おら、そこがいい。前におとんとその近くに行ったことがあるんだ。でっけえ川がある近く。そこの一番大きなシマがいい」
「分かった」
小声でそう答えると、寝ぼけまなこの兄に問いかけた。
「お兄ぃ、賭場の場所なんだけど……堂島の川沿いにどこか大きなとこってある?」
「ああ、確か蜆川(しじみがわ)のほとりにでっけえとこがあったかもな。あそこら一帯は、曽根崎組のシマが仕切ってたはずだ。そこがお前のご指名なのかい?」
朝のそんな会話の後、お金を持っているように見せるかけるためのおめかしをし、何とか都の入り口にたどりついたのだ。
「ひゅう、北の遊里とはよく言ったもんだ。なんて華やかな町なんだろうな、なあアオイ?」
アオイは答えなかった。兄が行きかう若い女性の容姿に見とれて鼻の下を伸ばしているのが丸分かりだったからだ。妹の嫉妬には微塵も気にしない様子で兄は続ける。
「あのかすりの着物、梅田屋の新作だなきっと。あの蝶々と水玉模様のやつさ、きっとお前に似合うぞ。馬子にも衣装ってな、あれ?」
アオイは黙ったままだった。周囲を見て嫉妬している余裕はすでになく、これから迎える決戦に向けて気持ちが高ぶっている。
すっかり町並みは夕暮れに薄く染まり、そこから夜のとばりがゆっくりと下りてきて街を包んだ。それは人々の歓楽や狂気、あるいは悲劇を内包しているに違いない。
そして今日の三人の運命も――。
166 :
1:2013/04/02(火) 13:16:50.05 ID:3fhuotUu
(10)
細かい路地裏をいくつか抜け、綺麗な白壁の蔵が立ち並ぶ通りに出た。その先にはひときわ大きな屋敷が見える。
「すいません、えっと。ここであの賭け事なんてのをやっているとうかがったんですか」
半纏姿で長尺棒を右手に構えた、屈強な男に話しかける。門番らしきその男は、じろりと一瞥した。
「けえんな、嬢ちゃん。ここには何もねえよ」
「そこを何とか……ちゃんとお金は持ってますので……」
チラリと小判二枚を懐から取り出す。手早くこすり合わせて多く見せようとするが、どう見ても二枚にしか見えない。
「ったく、ショバ代は一両だ。いいのか、本当に?」
その額を聞いてさすがに面食らった。持ち金の半分を持っていかれる計算だ。リスクとリターンなどという言葉はこの時代にはないが、それでも破滅コースへ一直線に向かっている事はアオイにでもすぐに理解できた。
「ええ。もちろんよ。私は武家屋敷の娘ですので。おほほ」
引きつった表情を必死でこらえながら、屋敷の廊下を進む。金箔が張り巡らされたふすまを開けると、そこには見た事もない光景が広がった。
ピンと張り詰めた空気。左右それぞれに五人ほどの客がチンマリと座っていたが、一斉にこちらを向く。視線がアオイに注がれ、皆一様に怪訝そうな表情を浮かべた。
アオイの鼻腔に真新しいイグサの匂いが飛び込んできた。次いで男たちの汗の匂いが流れ込む。緊張と高まりを鼻腔から肺の中にまで押しやり、源九郎に話しかける。
「どうする? お兄ちゃん、いきなり勝負しちゃう?」
ずっと押し黙っている兄貴が、口を開いた。
「待て、待て、昨日の夜も言っただろう、もう忘れたのか。イカサマも警戒しなくちゃならねえし、そもそも賭け事や相場には流れってものがあってな。まずはそれをつかまないとならねえんだよ。
見てみろよ、そこの蛙みたいなおっさんが一勝負してるところだぜ。一勝負に十両張ってやがる、しびれるねえ」
賭場の胴元の男が木の札を返しているところだった。胴元はがっしりとした体つきを、紺色の半纏に無理やり押し込んでるように見えた。顔のある部分が常人のそれより大きく腫れ上がっていた。
167 :
1:2013/04/02(火) 13:17:08.01 ID:3fhuotUu
(11)
「お兄ちゃん四十文貸して。それで流れを確かめてみる。私に策あり、よ」
一両(十万円)が約四千文であることから、その百分の一の四十文は今の金額で約千円である。
「四十文ならお前のその茶巾袋に入ってるだろ。ほら、おれが買ってやった金魚柄のやつにさ」
四十文銭貨を取り出して畳の上に押しやり、恰幅のいい胴元に勝負の意思を示した。
「ほう、これはまた可愛らしいお嬢さんが可愛らしい金額で。ここははじめてですかな」
札を選択する胴元の横にいる男が口を開いた。どうやら、番頭という役目らしい。番頭の煽り文句に、客が笑い声と合いの手を入れる。
「ええ、はじめてなもので、これ位でお願いできるかしら。今宵の調子がよさそうならば、金額を上げていきますわ。勝てば倍々になる仕組みでしたっけ」
そういうと、周りから一段と高い笑いが起きる。
「おい、このねえちゃん、勝つ気でいるぞ。いやぁ怖いもんだねぇ。その鳥とーあっ素人はー、自分だけがー気づかーないー。己が鴨ーであることにー、チャンチャン」
酔っ払いの男が調子をつけて吟じると、笑いが巻き起こった。寡黙そうな胴元が促し番頭が収めなければ、賭けが続行できないほどだった。笑いが静寂に変わるころ胴元が切り出した。
「遊び方は知ってるな、客人。それじゃあ、手札をひざの前に出してくれ。いくぞ」
胴元の手首がくるりと上向き、アオイの手札が手際よく返される。
イボが泡のようについた茶色い蛙の図柄だった。
「うわ、趣味の悪い木札ねほんと。可愛さのかけらもありゃしない。でも、これでいいはずね」ひざがかすかに震えた。
「姉ちゃん、なかなか鋭いな」キツネのような鋭い目で胴元がつぶやく。
パサリと裏返された胴元の手札は、アオイと同じ蛙が彫られていた。
「ふう、引き分けか」兄の口から声が漏れる。
兄の勝負の成行きを見守る感情をよそに、妹は全く別の事を思っていた。
《きたわ、この必勝法に間違いはない》
168 :
1:2013/04/02(火) 13:17:40.48 ID:3fhuotUu
(12)
アオイは胴元の右後方に少しだけあごを向け、そっと目配せした。
その視線の先にはほっぺたをこれでもかとふくらませ、懸命に彼女に合図を送る虎之助の姿があった。
《大丈夫よ、そのかたちで分かるわ、えっと次は何々、両手を上下に開いたわね……取り決めておいた蛇の姿ね》
通しサイン――単純ながらこの手の博打においては抜群の威力を発揮する。と言うよりも、賭け事が成立しなくなるほどの破壊力である。それも、幽霊という絶対にばれないお引きを使った最強の方法だ。
アオイは虎次郎のサインに応じ、ナメクジを選ぼうとした。蛇にはナメクジで勝てるからである。しかしそこで思いとどまった。最初に負けを先行させ、紛れもない鴨だと印象付ける思惑なのだ。
蛙の手札が衆目にさらされる。ほい、そいつは負けだと誰かがいい、四十文銭が胴元の前に引き寄せされていく。
当然、兄はがっくりと肩を落とす。虎次郎も目をパチクリさせている。少年もルールは理解しているようだ。それでもアオイは虎次郎に平気よ、と言わんばかりに視線を返す。口元には笑みをたたえたままだ。
そこから二回、三回と勝負が続いた。引き分けを織り交ぜながら丁寧にそれでいてしっかりと負けていく。掛け金の額も四十文から八十文、百六十文と倍々に上げていく。
ちょうど一両がなくなりかけたころ、アオイは仕掛けを打つ。
「あら、ようやく勝てたわ。もう今日はこの辺でお開きにしようかしら。お父様がうるさくて……廻船問屋なんてきょうびはやらない商売に熱を上げちゃってて門限が厳しいのよ」
「へえ、おやっさんは何艘(そう)ぐらいの船と交渉してるんだい?」胴元の腰ぎんちゃくである、禿げ上がった番頭が口をはさむ。
「船の数? そうねえ、数えたこともないわ。だって全部自前の船ですもの。でも、ざっと百艘はあるかしら」と口をとがらせる。子供がポッピンを吹いて遊ぶときのかたちだ。
番頭の顔色がさっと変わった。
「へえぇ。百艘かい。そいつはすげえや。さぞかし名のある大将に違いねえ」
上ずった声から、まんまと搾り取ろうという魂胆が筒抜けになる。
アオイは膝元に戻った三百二十文を引き寄せようとする。すると袖の下からチャリンと、金貨が畳のうえに転げ落ちる。
普通小判などの金貨は大事に長財布にしまいこむものだ。それも京染や藍染めの生地に、麻のひもでぐるぐる巻きにするなどして、だ。それを無造作に袖の下に入れているということは……
169 :
1:2013/04/02(火) 13:18:14.25 ID:3fhuotUu
(13)
番頭と胴元は顔を見合わせた。そして言った。
「姉ちゃん、どうだいもう少しだけ遊んでかないかい? 何だったらツケでも構やしないぜ。本来は一見さんにはツケを認めてないんだが、特別だ。どうだい? 五百文でも、なんだったら一両でも構わないぜ」
《いざとなったら、この女の大将とやらに取り立てにいけばいい。これで、今月の稼ぎ歩合に届くぞ。まったく、この稼業も歩合がきつくて割に合わないんだよな》
番頭の顔がほころび始めた。その表情をアオイは見逃さなかった。
「それじゃあお言葉に甘えちゃおうかしら。ツケが効くのよね。それじゃあ百両の証文を書いて頂戴」こともなげに言う。
「ひゃっ、百両! 正気かおまえ!」とは兄の言葉。
肝心の番頭は、度胆を抜かれどう答えてよいか思案に暮れている。横から仕切るように、がっしりとした体つきの胴元が言う。
「本当にいいのかい? 百両といえばこちらも笑い話では済まない金額だぜ。かといって、大紋を掲げてる以上こちらも引く手はないとなる。つまりこの話、でかい玉の取り合いになるが……本当にいいんだろうな」
「ええ、いいわ。だって決めちゃったんだもの」
その言葉を受けて場に緊張が走る。これがどうい結果を招くのは皆、一様に想像がつくのだ。胴元側にとっても"負けました"では済まない金額。すなわち、どちらかの破滅が待っている――と。
あくまでも平静を装い話を進めていく。虎次郎に目やると顔色が悪い。すでに血色は失っているのだが、今はもう全体が土埃のような発色になってきている。緊張がそうさせるのか、はたまた時間経過により蝕まれてきているのか。
沈黙を打ち破ったのは胴元の一言だった。札を置け、と。
二つのレンズが、グルリと胴元の後ろに回り込み準備完了を知らせる。
虎次郎のつぶらな両の目だ。彼によると……
ナメクジ! ナメクジを手札に選んだらしい。となれば、ナメクジを丸飲みにする蛙を選べば必勝である。兄には必勝法の種明かしをしていないため、彼は気が気ではないようだ。
「アオイ! 俺はこのままでいいのか? 何もしなくて……何か手伝うか?」
「いいのよお兄ちゃん。普段通りにしていて……って、こんな状況普段にはないか。でもいいわ、ここは私に任せて。それがいつものお兄ちゃんでしょ」
空気がピンと張り詰め、源九郎の声はアオイにはほとんど届いていない。
アオイは思案に暮れた風を装い、苦渋の決断で札を選択する。準備万端整い、もう逃げも隠れもできない。百両(現代の価値に換算して約一千万円)の取り合いなのだ。
当人たちの心境を無視し、周囲は無神経にはやし立てる。ひとの金なのだ。どちらに転んでもその負け犬の姿を拝めればそれでいい。
ましてや若い無鉄砲のお姉ちゃんとくれば……下衆な男たちの喉仏は、飲み込む唾で下がりっぱなしだった。
例によって、ガタイのよい胴元の手札が先に開かれた。彼の両耳は赤く腫れ上がっているが、決して緊張のせいではないだろう。
開かれた手札は――ナメクジではなく、大きく口を開けた大蛇が示されていた。
170 :
1:2013/04/02(火) 13:18:38.35 ID:3fhuotUu
(14)
アオイの全身から冷たい汗が噴き出した。
手札をしっかりと確認した後、虎次郎を見た。少年はばつの悪い、悲しげな表情を浮かべていた。しかしそれ以上の情報は何も伝わってこなかった。少年の誤りなのか、それとも何か特別なイカサマを胴元が用いたのか知る由もなかった。
ただ『ナメクジと読んでいた手札が、蛇だった』それだけの事だ。
アオイが選んだ蛙は、蛇にひと飲みされる――残酷な運命を突き付けられた。
札の図柄が意思を持ったようにアオイをねめつける。その若い肢体を丸飲みするかのように。
「さあ、姉ちゃん。開いてくんな!」声を張り上げたのは番頭の方だった。
勝負に注視している胴元は、落ち着いて堂々と構えている。勝負師としての風格が伺われる。
天井を見上げ小さくとうなずいたかと思うと、アオイはおもむろに手札を開けた。
そこには――小さなナメクジの図柄が記されていた。
「えっ、えっ?……」遠くから虎次郎の声が聞こえてくる。
こんな場所に入り込んでいるとはいえ、やはり子供のそれだ。とても可愛らしい、驚いた声にほかならない。
「どうして……お姉ちゃん。僕、ちゃんと蛙を出してって伝えたよ。相手がナメクジを出すって……それなのに、どうして……」胴元のそばを離れ、アオイのもとにゆらゆらと近づく。
周囲が騒然としているのをいいことに、アオイは虎次郎にそっとささやいた。
「分かるわよ、だって、あの人があなたのお父さんでしょ。柔術の稽古をつけてもらっていたお父さん」
アオイは少年に、"柔術家特有の耳の腫れがあったこと"、"この賭博場を十にも満たない少年が名指ししたこと"、そして何より、胴元を見る少年の目で気づいたことを知らせた。
「最後の勝負でお父さんに勝たせたかったんでしょ。お金持ちにするために。でも、大丈夫よ。私のお金は約束通りあなたのお父さんにあげるから。でも負けちゃうとそうはいかなくなるから、ちょっと工夫したの」
虎次郎はその言葉を聞くと、安堵の表情を浮かべた。少年らしいはにかんだ笑顔だ。
源九郎はというと、あまりの大勝に腰を抜かしている。
「ええい、今日のところはこれでお開きだ!」番頭の一言で、潮が引くように開帳はお開きとなった。今しがた繰り広げられた熱い勝負を肴に酒を飲もうと、客人たちは繁華街へ繰り出していった。
うなだれている胴元をよそにアオイたちは冷たい廊下を抜けて、表に出た。
外履きが用意されていたので、中からではなく、一度庭に出てからこの広い屋敷を出ようとした。日本庭園の佇まいが随所に感じられる庭で、大きく息を吸い込む。
先ほどまで勝負の熱気に当てられていたが、アオイはふと我に返った。
171 :
1:2013/04/02(火) 13:19:15.20 ID:3fhuotUu
(15)
でも、待って……次の瞬間、アオイは青ざめた。
虎次郎と見比べてどちらが霊なのか分からないほどに。
「全然、虎次郎君の気配が変わってない。願いが叶えられたのなら、少しづつ光を帯びてくるはずなのに……違う! この願いじゃないのよ、虎ちゃん」
「そ、そうなのか? ごめん、お姉ちゃん。さっきは裏切ってだますようなことして、でもおいら、今度は本当に分からないんだ……本当に」
アオイは親指の爪を噛んだ。困窮極まった時に出る癖だ。これは、かなりまずい。
お父さん、お父さん……子供が家族と最後にしたいこと――彼女の顔つきが変わった。
もうこれしかない。違うにせよもう時間がないのだ。このままだと少年は人智を超えた生物の領域に足を踏み入れてしまう。
「虎次郎君、よく聞いて。合体するの」声高らかに言った。
兄はまだ賭場で腰を抜かしているのかそれともかわやへ行ったのか、都合よく近くにはいないようだ。おかげで変に思われないで済んだと、胸をなでおろした。
「合体? そりゃ、何回してもらっても構わないけんど」
「違うの、そのままゆっくりと私に重なるように進んできて。そしてひとつになるの。あなたの精神で私の肉体を動かすように、そう、いいわ。その調子」
んっ……
アオイを言葉にならない声を上げた。異性のまぐわいについてはよく知らないし、知らないながらもその行為とはまったく異なることには自信があった――耳年増ということはないが、年相応の知識はあるのだ。
今行われているのは、少年の霊体と自身の輪郭を重ね合わせているだけのこと。
それでも、妙に全身が敏感になってしまい、あらぬ声が漏れてしまう。安直な物言いをすれば、気持ちいいのだ。
合体――それは、天上家の女子に与えられた特殊な能力である。見方を変えると俗にいう憑依であり昔ながらのケモノ憑きである。その降霊術は現代でも恐山のイタコ達にその片鱗を見ることができる。
ぴったりと重なりあい、少年の見た目は透明度を増した深海生物の表皮と見まごうばかりになる。やがて……
「な、何だこれ……おいらが姉ちゃんの体を動かしてる感じ。これ面白いね」
少年の台詞が、アオイの透き通るメゾソプラノを通じて流れる。少年の地声である少しひび割れたテノールは聞こえてこない。
《どう? うまく動かせてる? これが合体》本当は憑依って言うんだけどね、と内心で思いつつ、話せば長くなりそうなので割愛した。
《慣れると簡単でしょ。まあ、自分の体のように動かせるって意味ではね》
「う、うにゃ。これちょっと難しいね、お姉ちゃん」
そう言うなり、華奢な鈴音の体躯がゆらゆらとかげろうの様に揺れた。
つんのめりそうになりながらも草履をつま先履きして、体勢を立て直す。しかし不意に眼前に現れた男の胸元に、勢い余って頭から激突してしまう。
《あいたたた……》
体の供給元であるアオイもその中の虎次郎も、衝撃は等しく受ける。痛みも一緒だ。
宿主の彼女が顔を上げてぶつかった相手を確認しようとすると、一足先に少年が口を操った。
172 :
1:2013/04/02(火) 13:19:59.50 ID:3fhuotUu
(16)
「父ちゃん……」
「父ちゃんだぁ? お客人、さっきの大勝でいかれちまったのかい? 帰り口はあっちだ。まあ、また来てくれよ。今度は本丸の親父さんでも連れてさ」
そこには先ほど大勝負を交わした胴元が立っていた。アオイの激突にびくともしないどっしりとした体幹は、やはり柔術の賜物と言えるだろう。
アオイは素早く状況を飲み込み、口の操作を自分に切り替えた。
「待って、私は……あなたの息子の虎次郎君なんです」そう言い放ち相手の言葉を待つ。
「何言ってるんだ、お前。うちの……死んじまった息子は、男だぞ。それもまだ年端もいかない……」思い出したくもない惨事が、男の頭に去来した。
本来であれば、とてもサイコロを振ったり札をめくったりする心境ではない。しかし、それも渡世人としての定め――。ここ数日の間そう割り切ってきたのに、この女はよりによってそこに踏み込んでこようというのか。男の全身から怒りの感情が見て取れた。
「どっからそんな話を仕入れてきたのか知らねえが、お前さんちょっと度が過ぎやしないか。まだ何か企んでいるのか! さっきの勝ちぶりもどうもインチキくせえと睨んでいたが、てめえ何が望みなんだ」
般若の形相に思わずたじろいだ。すると、そのタイミングで主が入れ替わる。
「父ちゃん、おらだよ虎だ。いつもおねしょばっかりして怒られてた、金魚の千代を飼ってて、いつも隣ん家のドラ猫を追っ払ってた……いつか、父ちゃんをお金持ちにするから……母ちゃんの故郷にでっかいお墓を作ってあげようって約束した」
喉がむせび最後の方は言葉にならない。
虎次郎の思いが、アオイの両目から滝のようにあふれ流れ落ちる。
「お、おい……お前、いい加減にしねえと……」
静まり返った屋敷の庭に、虎の空気を引き込む鼻音だけが響き渡る。
「もしかして、本当に虎なのか」
小さなあごを手前に引き、こくりとうなずく。
「どうして……こんな、おい! 虎ぁ」
「父ちゃん!」
173 :
1:2013/04/02(火) 13:20:17.28 ID:3fhuotUu
(17)
少年が体ごと父親に飛び込む。たとえアオイの体越しであっても、父のぬくもりは十分に少年に届く。目線が少年のものとなり、周囲の風の音色も目まぐるしく変わる。
この世の理(ことわり)を超える現象に、まるで大気や虫たちが武者震いしているようだ。
「この馬鹿野郎! 親より先に逝っちまうやつがあるか!」アオイの頭頂部に柔術譲りの鉄槌が振り降ろされる。
思わずビクンと反応はしたがちっとも痛くなかった。共有している感覚器官に間違いはなさそうだ。父親は息子の頭を叩くのではなく優しくなでると、こう言った。
「いつか、お前の仇は取ってやるからな。辻斬りだか何だか知らねえが。可愛い一人息子を殺った落とし前は必ずつけてやるから、安心しろ。それで……お前はこのちんちくりんな格好で何をやってるんだ」
アオイはありったけの語彙を駆使して説明した。虎次郎が霊になって彷徨っていること、自分はその成仏の手助けをする者であること――そして、最後の願いが見つかれば成仏できるのだが、行き詰ってしまったことを話した。
しばしの沈黙が流れた後、虎次郎は言った。
「平気だ父ちゃん。おいら最後に父ちゃんと話したかっただけなんだ。うん、もう何もいらねえ。それだけなんだ本当に」父親の背中に回した両腕に、力が強く込められる。
「馬鹿野郎! 生きろ、生きてくれ……そばにいてくれ。なあ! 姉ちゃん! 何とかならないのか! だってここにいるんだろう、虎が。今ここに!」
アオイの体を強く前後に揺さぶる。その勢いで虎次郎が飛び出してくることを期待しているかのように。
「こいつはまだこんな若い、育ち盛りのガキなんだぞ。殺生にもほどがある……頼む! この子を返してくれ。頼むよ……」
父親は膝から地面に崩れ落ちる。長身とは言えないアオイの視界からも、完全に消えてしまった。着物の裾を力なく引く力から、彼の精神の瓦解が感じられた。
174 :
1:2013/04/02(火) 13:20:43.29 ID:3fhuotUu
(18)
――アオイが成仏を手助けするのは、これがはじめてではない。もちろん、合体/憑依を行って生あるゆかりの者に説明することも。
毎回、この嫌な瞬間が訪れるのだ。医者が余命宣告するときのような、絶望をもたらす物言いを行わなければならない瞬間が。
「ごめんなさい。死者を蘇らせることはできないんです……絶対に。私たち生けとし生きるものは、それを送り出すだけ。それが使命なんです」
簡潔に、そして交渉の余地がないことを力強く伝える。
こう言い放つことにより人でなしと罵倒されることは珍しいことではない。やり場のない怒りと絶望の矛先を自分に向かわせることも、能力者としての役目だと肝に命じている。
少年の父親は、アオイに不毛な時間を使わせない選択をした。
賭場を仕切る胴元にふさわしい、実に男ぶりがする潔さで言った。
「分かった。すまないお嬢ちゃん。俺の息子のために色々と手間をかけさせてしまって。おい、虎、聞こえるか。混乱させちまって悪かったな、ちきしょうめ。
お前も、上から楽しそうに見ていてくれ。あっ、そっちで母ちゃんに合ったらよろしく言ってくれるか」
虎次郎が力強くうなずく。
夏夜の源氏蛍のような青白く幻想的な光が、アオイの肢体を包み込む。
「きた……この感覚、間違いない。虎ちゃん、準備はできてる?」
虎次郎の魂がふうっと空中に浮かび上がった。
「何これ……やっぱり怖い、何で浮いているの? どうなっちゃうの?」
シャボン玉に包まれたように、少年の幻影は宙に浮く。
「大丈夫……大丈夫だから」
少年が分離した肉体から、アオイは声を絞り出す。
「うぉおおい、虎。大丈夫か! 頑張れ! お前ならできる、俺の自慢の息子だからな!」
少女の視線の先をたどり、暗闇の天上へ向けて叫ぶ。
あまりの大声に屋敷の中から組のものが何人か顔をのぞかせたが、負けたせいでおかしくなったんだろう、と庭に降りてもこなかった。敗れた渡世人に世間は冷たいものだ。
虎次郎は泣きじゃくるのを止め、手を振って答えた。その姿はアオイの目にはしっかりと焼きついた。アオイは小さく拳を握りしめた。
南の空にひときわ輝く一条の星が見える。金色に輝く星で、夜空を見上げるのが好きな彼女であっても、いままでに見たことがないような美しさだった。
アオイは少年の父親にその星を指し示してみせた後、ゆっくりと帰路についた。
175 :
1:2013/04/02(火) 13:23:27.08 ID:3fhuotUu
(19)
翌日は見事な快晴だった。この天気は兄が大好きだ。
能天気な兄は、この時代では珍しいクリスチャンだった。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルが広めたキリスト教は、無論、仏教ほどではないにしろ江戸の生活に伝播していた。
仏教で言うところの墓石は、この時代に形づくられていく。位牌が転化したような笠付きの角石型墓標などが現代にもそのかたちを残す。一方、キリスト教のお墓は仏教よりも明るい印象のある場所に置かれる。台型の地面に置かれた石板に、十字架がりりしくそびえたつ。
アオイは眺めの良い草原のように広がるその墓地に、一人でいた。
「うーん、いい天気。最高だね、お兄ちゃん」
この墓地には、父と母が埋葬されている。
アオイは、天気に恵まれたことを感謝した。別れの朝として申し分なかった。
白い小ぶりのユリを石板の上にそっと乗せ、プレートの刻みを優しくなぞっていく。
『Tenjo……G.e.n.k.u.r.o.u』
「うん、間違いない。寺子屋さんで習った……ええと、こういうのスペルって言うのかしら、お兄ちゃんの名前に間違いないわ」
「すまねえな。俺に学がないもんでここでも苦労かけちまったな」
「いいのよ。そんなことより、ここ数日はお兄ちゃんの願いどおりの毎日だったかしら? ちょっと、非日常なことも含まれちゃったけど」
舌を出して、半透明の姿の兄に微笑みかけた。
妹の言葉に兄は照れくさそうに、くるりと背を向けた。
そこには真一文字の切り傷が痛々しく残っている。虎次郎の背中にあった傷と、深さは異なれどほぼ一致している。左上から右下にかけて一度に振りぬいた、直刃による殺傷傷である。
その傷跡は下手人が相当な手練れであることと、左利きの可能性が高いことを示唆している。だが、それだけだった。
気まずさを打ち破るように妹が言う。
「でも、お兄ちゃん変わってるよね。最後の願いがもう一度、普通の生活をしてみたい、何てね。まあ、最近見送った子もそんな感じだったから、特別なことじゃないのかなあ、もしかして」
つぶやくように、誰にともなく言う。
176 :
1:2013/04/02(火) 14:10:25.80 ID:3fhuotUu
(20)
「だって、普通だったらできなかったことや、どうしてもやりたかったことから考えるでしょ、最後の願いなんだから。もちろん……残念ながら妹に何でもかなえてあげられる便利な能力なんてないんですけどね。でも、本当によかったのこんなことで……」
アオイは右手の人差し指で、右目の下をぬぐう。
「ああ、俺にはお前と過ごした毎日が、幸せだったんだ。それ以上多くは望まないさ。あまりに身近で、あまりに自然だったから、見過ごしてしまってたけどな。
普通の生活が幸せだったなんて、あまりにも贅沢な話さ。
でも、後悔はしていない。だって最後にこうしてそのことに気付くことができたし。何より、お前とこうして話ができるなんて。ほんと、その不思議な能力には感謝しなくちゃな」
「そうね、家族の特権だね」無理に笑って見せた。
「お前の花嫁姿を見られなかったのは残念だけど、まあ、そいつはいいだろ。変な男に引っかかって、やきもきするのはたまらんからな」
「あ、何かちょっと偉そう。私だって見る目はありますよーだ。お母さん譲りの千里眼がありますから。だから、どうぞ安心して天国へ旅立ってくださいな」
言葉とは裏腹に、これ以上は自分の気持ちをこらえられそうになかった。
源九郎が優しいまなざしをたたえたまま、すべてを打ち消すかのようにふわりと浮きあがった。日差しとコンフリクトして見えにくいが、彼の体からは昇華の発光がなされている。
別れのときが迫る。突風が吹き、黒髪と共に心が巻き上げられる。
「うそ……やめて……いかないで、私を一人にしないで、ほんとはお兄ちゃんが思ってるよりずっと強くないの、私。夜も怖いし、一人でお店に入ることもできない。髪だって上手に結べないし、草履の鼻緒もうまく直せない……料理だって、読み書きだって……」
そこで大きくしゃくりあげてしまった。
「今まで強いところを見せてきたつもりだけど、それももう無理。もう無理なんだって……」
そこには、霊を助けるときの気丈なアオイの姿はなかった。ただただ、直面した不幸に耐え切れない十代の少女の姿だった。
「大丈夫、俺が見守ってやる、絶対だ。任せておけ、だからお前はもう、俺のことを気にしなくていい。その授かった特殊な能力……きっと、何か意味があるんだと思う。その能力で人々を助けなさいって、そう神様がお前に託しているのかもしれない」
兄の言葉は、妹を時空を超えた記憶のはざまにいざなった。
「前を向いて走り続けろ、それがお前の――」
屋根を越えたシャボン玉がはじける様に、あっけなく姿を消した。
ひとすじのつむじ風を残して。
その風で巻き上げられた後ろ髪を、べっこうのかんざしで強く留め直した。
数時間の間、そこにたたずんでいたが、やがてしっかりと顔を上げた。
そして「分かった……前を向いて――ね」
本格的な夏の到来を告げるセミ時雨の第一声が、アオイの耳元に届こうとしていた――
177 :
1:2013/04/02(火) 14:12:40.28 ID:3fhuotUu
(21)
エピローグ
それから無事に七日が過ぎようとしていた。兄へのお供え物は、最近のお気に入りの金つばだ。もちろん、後で自分でおいしくいただくためである。
アオイが庭で洗濯をしていると人の気配を感じた。
手を止め戸口の方を振り返ると、そこには大きなカラスがいた。
《号外、号外ー今期の米相場は、豊作予測だよー。今日の天気が秋晴れを予測してるよー。今なら買いがお奨めとくらあ、絶対当たる瓦版、一部十文でどうだーい》
「ほら、外で号外が配られてるでしょ。豊作だって。あなたたちカラスが集まったら、大暴落なんて何の当てにもなりゃしないんだから。あっちにいきなさいよ」カラスに向かって話しかける。
手で追い払う素振りをした後、アオイは数秒間身動きが取れなくなる――
一尺ほどもある大きなカラスが怪しく目を光らせたかと思うと、人語をしゃべり出したのだ。
「俺の話に興味があるはずだ。俺はお前の手伝いができる」
「な、何を」
カラスがしゃべったことに大きく驚きはしたが、幽霊を間近で見ている身だ。まして、前向きに生きると誓った矢先、こんなことでひるむわけにはいかない。
「お前の兄貴を殺した奴を見つける手伝いだ」
アオイは言葉にならず、二の句が継げなかった。心の中でカラスの言葉を反芻する。
《お兄ちゃんを殺した奴……このカラスは何者?……まさか》
「気づいたかな、特殊な能力を持つお嬢さん。そうとも、俺は成仏しそこなったなれの果て、異形の者さ。まあ、運よくカラス程度で済んだから儲けものかな、空も一応飛べるしな」
流暢に話す大カラスは不気味だったが、その言葉をうのみにするならば元は人間であり、もしそうならば気味悪がっている場合ではない。アオイは声を振り絞る。
「そう言うあなたが犯人でしょう!」
草履のまま土間に上がり、立てかけてあった柄ぼうきを握り締めると、電光石火のごとき早さでカラスに向かって天誅を下す。
「お、おおい、アオイ。待ってくれ、冗談だ! 冗談だよう」カラスが人語で弁明する。
「へっ、そ、そのしゃべりは、お、お兄?」
目をパチクリ、キョトンとした表情を浮かべきっちり十秒の思考停止――。
「えっ、えー!」
感動の再開に触れ、抱きつこうにも向こうは薄汚い怪鳥である。アオイは大いに迷い、そしてほうきで左右に大きく振り払った。カラスの源九郎は大きく被弾し、見事に吹き飛ぶ。
どうやら、兄妹愛を超越した末の愛情表現らしい。
「や、やるな。アオイ。また薙刀の腕を上げたと見た」口の中を切らして源九郎が言う。
アオイが得意とする無明神影流の型は"真一文字蔓落とし"で、左右の攻撃から相手を切っ先にひっかけ、地面に叩きつけるものだ。
通常であれば、致命傷を負いかねない大技だが、そこは兄の面目――いや、異形の耐久力のなせる技なのか、歯のないカラスの口内出血だけで済んだ。
「しっかし、お兄ちゃん。その格好で何を言ってもねえ……おかしくなっちゃう」
さっきまでは恐怖の権化に見えていた黒怪鳥が、可愛げのある愛玩鳥に見える。
アオイはプププと笑いをこらえるのを隠そうとしなくなっていた。
「ち、ちきしょう。とっとと下手人を見つけて成仏してやるんだカア、な」
「カア?」
語尾の鳴き声風に、アオイは益々声を出して笑う。兄を失ってから、大笑いするのは今日がはじめてだ。
「そうだ! 犯人探しの前に……ちょっと米相場の瓦版を見せてくれないか? 気になっちゃってさあ、あっ、もしかしてこれが俺の心残りだったのかも」
「あっきれた! そんなわけないでしょ! もう、ちっとも変ってないんだから。それに、のんびりしていて大丈夫って保証はないでしょ。もっと変な生き物に変わっちゃうかもしれないんだし。少しは慌てなさいよ。
じゃあ今日は天気もいいし、お散歩がてらに行くわよ、犯人探しと……困ってる人の手助けを目指して!」
アオイが右手を突き上げて外に飛び出すと、兄も渋々羽を広げて大空に舞う。
今日もお江戸は快晴だ。秋は大豊作で間違いないだろう。
源九郎が台所の壺に隠している「米の買い」権は、天上家にほくほくの利益をもたらすことだろう――
――シーズン2へ続く
虎の父ちゃんは読めたのですが、その後は・・・お見事です。
続編も期待してます。
179 :
1:2013/04/04(木) 16:17:12.75 ID:bdLnuGkn
178さん、レスありがとうございました。
正直、とても励みになります。
リアクションをいただく度に、次の作品を書く意欲が湧いてくるという感じでしょうか。
ありがたくお言葉を頂戴し、次につなげてまいりますノシ
心理テストかと思ってみて
コピペ貼りつけただけかよ
と思いながらも最後まで全部読んでしまいました
途中からオリジナルと知りさらに驚き
素晴らしい文才ですね
これからもたまにでいいので読ませてください
失礼な書き方でゴメンナサイ
181 :
1:2013/04/05(金) 12:44:55.35 ID:JYaX1eQH
180さん、とても光栄なレスありがとうございました。
冒頭のメンタルテストの含意には、著者自身の(物書きとしての)メンタルテストもあり、
ある種メタ的な試みを忍ばせておりました。
ですが、皆さんの実に心を揺さぶられるレスをいただくにつれ、より積極的な文筆活動に
傾倒していった次第です。
読んで楽しく、清涼感があり、どこか得をした気分になれる――そんなシンプルな読み物を
目指しています。
荒れたり、誰かが不快な思いをするであればそこで終了いたしますが、それまでの間はひっそりと
相場の片手間に楽しんでいただける空間をご提供できればと考えております。
182 :
Trader@Live!:2013/04/06(土) 00:48:08.36 ID:6nX1gJc0
今回のやつも面白かった
でも米先物だと豊作の年は下落するんじゃないかと思います
183 :
1:2013/04/07(日) 15:13:10.97 ID:D6Hmf4XL
182さん、レスありがとうございます。
ご指摘の箇所、その通りですね。ありがとうございます。
プットオプション風の(誤った)表現を気取るのではなく;
「豊作をあてこんだ先物の売り権」ですね。
184 :
1:2013/04/07(日) 15:37:19.60 ID:D6Hmf4XL
ちょっとした、自分用小説作法メモです。
『春の日の殺意』より
◆(1)テンポ重視で持っていくケース
彼女はとても優しい子だ。
まるで春の日の暖かな日差しのような笑顔を一度も絶やしたことはない。
なのに、なぜだ。どうして私はこんな恐ろしい決意をしているのだ。
どこでどのようにボタンを掛け違えてしまったのだろう。
告白しなければならない――。今日私は、彼女を殺すつもりだ。
◆(2)景観の描写で引き込むケース
春になると遊園地を思い出す。
彼女とはじめてのデートで来たことを、今でも覚えている。
長蛇の列で込み合うトイレから戻ると、君は腰をかがめて子供に話しかけていたね。
あたり構わず大声で泣き喚く、見知らぬ子供。おなかの位置には買ったばかりと思われるソフトクリームが、見るも無残にはりついている。
彼女は自分の目線を子供の高さまで下げ、ゆっくりと話しかける。
「大丈夫、もう泣かないの。お姉さんが新しいのもういっこ、ううん、二個買ってあげるから、ほら泣かないで。お父さんかお母さんはどこか分かる? 頑張って買ってきたんだよね、偉いぞ」
少年の頭をクシュクシュとやりながら、手際よくおなかの汚れをレース付きのハンカチでふき取る。ハンカチでは足りないと見ると、地面に放り出したハンドバックからポケットティッシュを二つほど取り出し、胸や口のソフトクリームの残骸をぬぐう。
あどけない口元はすっかり綺麗に拭き取られた。すると少年は見知らぬお姉さんの行動力に圧倒されたのか、泣くのが少し治まった。ひざの具合もほんのかすり傷のように見えた。
「うん、偉いぞ。じゃあ、お店屋さんに行こうか。お母さんたち心配してるかもね。急がなくっちゃ、ほら走るぞ」
そう言い、戻ってきた私のことを見とめると右手と右目でちょっと待っててという合図を送ってよこした。
私はそれに微笑みで答えた。あのころの私は禁煙前だった。喫煙所でのんびりと彼女を待った。
彼女を思うと、春の日差しのような暖かな気持ちになる。それは今でも変わらない。
だが、そんなうららかな春の日差しを頬に受ける十年後の今日。
私はある決意を胸にしたためている。
彼女を殺すのだ――それも、今日この日に。
==
(2)は、彼女の優しさを言葉ではなくシーンの切り取りで描写した例。
(1)は、ポンと言葉を放り投げた例。
できれば常に(2)で表現したいと自分は考えています。
(2)で表現したい彼女の(隠れた)優しさの部分は、ハンドバックを地面に放り出しているシーンの描写。汚れてしまうことも気にせず、という含みがあります。
(1)は、言葉の小石を文脈の水面に投げ込む手法で、そのあとの流れに身を任せるパターン。筆が進まないときには、これで自分の文章ソナーがどう反応するか(あるいかしないか)を観察します。
いずれにしても自分の戒め用ですね。。
185 :
1:2013/04/08(月) 12:20:36.29 ID:HpIPlU/p
早いもので、今回で8作目になります。
クライムサスペンスものです。FXは控えめな味付けとしての位置づけです。
ちょっと長くなってしまい、連投規制に引っ掛かるのもあれなので、今回はパブーというパブリッシングサイトにUPしてみました。
http://p.booklog.jp/book/69502/read この次は、また短いものを直接掲載するスタイルを考えていますが、色々と試してみたい思いがありました。
何卒ご容赦くださいませ。
186 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/04/08(月) 20:00:49.72 ID:x65m0KDA
アオイちゃんの物語も素晴らしいね。今回の作品はぜひアニメ化してほしい感じw
1先生の作品は物語の世界に入り込めるというか情景に溶け込めるというか、
書かれてるのではなくまさに描かれてるよね。
きっとその効果を高めてるのが
>>184みたいな部分なのかなあ。
今回は今までとはガラッと雰囲気が違うアニメ的なライトな作風だったけど、
その文体の中に時折前作までのやや高尚というかカチッとした表現が
入り混じっていたから出だしは世界観に戸惑ったけど、
慣れてきたらすっかり引き込まれたよ。
もはや1先生の創作能力の優秀さは明白だからあえて聞きたいのは、
ぶっちゃけ1作目と2作目はそれ以降の作品に比べて質が落ちるのは間違いないと思う。
3作目のイブの話から物語の質が劇的に向上したよね。これはなんでだろ?
とにかく素晴らしい作品ばかりだから規制でバイバイさるさん食らってもめげずに連投してほしいw
次作も時間ある時に読ませてもらうね!いつも楽しい時間をありがとう。
187 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/04/08(月) 20:04:22.67 ID:x65m0KDA
あと気になるのは、俺は日頃小説は全然読まないからよく分からないんだけど、
1先生の文才は素人目から見ても凡人の域を超えてると思うし、端々にムラは感じるけど
全体としてプロレベルの域にほとんど到達してると思うんだけどプロでは通用しないの?
この才能はもっと活かさないともったいないよね。
188 :
1:2013/04/08(月) 23:00:04.42 ID:csuE1gBD
三日月丸さん、いつもレスありがとうございます。
一日千秋の想いでお待ちしていました。
このスレに投稿するのは、三日月丸さんのような素敵なレスをいただけることがあるからです。
さて、いくつかご返信を。
1作目と2作目に関しては、スレの距離感を図っていたのが正直なところです。
気負わない文章の方が読んでもらえる、あるいは自分もすぐに止められるなどの思惑がありました。
ですが、やはり知恵を絞って創作したものの方が心を打つと分かりましたので、セーブしていた部分を開放していった次第です。
※もっとも、作品を書き続けることによる向上は、自分自身も期待するところでありますし、実感できます。
作家のお話が出たので少々。。
昨今の出版事情を鑑みるとやはりラノベとの距離感が重要になり、そこで(公募に際し)思案しているのが現状です。
ラノベ寄りの作品も上梓してみて、悩んでみたいと思います。
ちなみに小説というカテゴリーではなくWebのテクニカル本――結城浩さんという方が有名です――においては商業出版の経験がある次第です。
そのおかげも多少あるかもしれません、お楽しみいただけることを光栄に思います。
人の人生に清涼剤のような効果を与える事が、自分の人生におけるひとつの目標です。
自分も、レスをいただくことで大きく人生観が(いいように)変わっていますからね!
では、またノシ
189 :
1:2013/04/12(金) 23:04:49.82 ID:VCkRmhPq
第9弾はベリーショートです。
ある有名作家へのオマージュです。
190 :
1:2013/04/12(金) 23:05:31.60 ID:VCkRmhPq
『The Number』
――世の中に普遍なものがあるとすれば、それは「変わり続ける」ということだ。
(1)
「ねえ、自分の価値って考えたことある?」赤石零奈はそう聞いた。
「価値?」青山保は同じことを繰り返すように聞いた。
「そう、価値」彼女は冷え切ったラザニアを見るような目をして言った。
考え抜いた結果、仮に答えが脳裏にうっすらとでも浮かぶようであれば、その問答につきあうのも一興だ。なにしろ、わたしたちの人生はおしなべて退屈なものだからだ。
いや、正しくは「私たちにとって」退屈なのだろう。他の人たちからすればとても興味深い、という可能性を否定することはできない。
いずれにせよ、ものごとの価値であったり尺度というものに対して確固たる己の考えを持ち合わせているわけではなかった。少なくとも保はそういう男だった。
「価値とは、相対的なものだ。自分の意思のみで決めつけることは難しい」
彼女が期待していたものがそういった類のものではないと分かってはいたが、ついそうした言葉が口をついた。彼女は少し意外な顔を見せ、
「たしかにそういう一面は否定できないわ。というより、ほとんど正解ねそれ。気に入ったわ、そのフレーズ」
意外なのは保の方だった。さまざまな情報源(を持った男たち)が彼女の上を通過していくことを知っていたので、使い古された言い回しは鼻で笑われると思ったからだ。
191 :
1:2013/04/12(金) 23:05:59.64 ID:VCkRmhPq
(2)
「じゃあ、違う質問をしていいかしら?」
「ああ構わないよ」
「ある有名な作家が書いたパラグラフを、名前を伏せて見せられたらどう反応する?」
零奈の意図を図りかねたが保は逡巡し、最終的にありきたりの答えを返した。モデルルームに備え付けられた家具のように。
「よい文章だと思ったのなら、よいと感想を述べると思うよ。反対に、悪文だと感じたらそう言ってしまうかも」
「そう。悪文だと宣言――すなわち言い切ってしまったあとにそのパラグラフの作者が有名な作家だと知った場合は?」
「もの凄く有名?」
「そう、もの凄く有名。過去にジャズ喫茶を経営していた人ぐらいに」
「ジャズ喫茶を経営していた人ぐらいか。そいつは困るな。おそらく、訂正させてもらうんじゃないかな。あるいは」
「あるいは」と彼女は反芻した。
192 :
1:2013/04/12(金) 23:06:20.60 ID:VCkRmhPq
(3)
「で、何が言いたいのかな? 自分の好みや思い込みすら相対的なもので、なんら価値を有していないってことを言いたいのかな」
それも一理ある、とでも言いたげな表情を見せ、零奈は眉根を寄せた。しかしまたも不思議な物言いをした。バターを塗ったトーストが落ちるときにバターの面が下になるのと同じように、理屈では表せない台詞だった。
「それならこの文章はどう思う? ただの三文文士が書いたものとも、あるいは有名な作家が書いたものとも?」
どういうことだ? その形而上学的な物言いに保は混乱した。彼の眼前には何も文章は並べられていないからだ。この、が何を指すのかを推し量ることは宇宙を知ることと同義だった。
「私たちは常に見られている、多くの人間に」
「たしかに。それは認めないわけにはいかない。私たち二人は、常に衆目にさらされている。特に君は多くの他人によって強く求められ、そして買われていく。僕はそれに耐えられない」
保の目には、零奈の存在はコールガールのそれだった。
二人の距離は基本的には一定だった。だがそれも当然のことのように普遍ではなかった。
時には大きくひろがることがあっても、ぴったりと薄皮のように寄り添うことは絶望的になかった。
193 :
1:2013/04/12(金) 23:06:41.28 ID:VCkRmhPq
(4)
「君が欲しい。そう考えるのは自然なことじゃないかい」
「自然なことかもしれない、だってこの世界は私とあなたの二人きりですもの。でも、それは叶わないわ」
「どうして?」
彼女は答えに窮した。まっかな顔をいつも以上に赤く染め上げた。そして言った。
「あなたが私を買うことをしないから」
会話はそこで途切れた。二人は衆人の前に、裸で連れ出されていく。
直接的な性格の零奈、曲線的な保。おそらく二人の体の組織構成がそうした特長をはじめから具えているのだ。
「君が欲しい……そう思う僕は誰なんだ」
その瞬間、大きな石をどけた際にうごめく虫たちのように、保の全身がさざめいた。
自分たちの存在についてはっきりと、明確に思い出したのだ。
長く退屈な時間をすごしたせいで現実を見失っていた。僕と彼女はただの数字。
彼女はASK、僕はBIDと呼ばれていたことをはっきりと思い出した。
了
194 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/04/13(土) 01:35:53.69 ID:RZjNkUpN
クリエイターやパフォーマーがその作品やパフォーマンスを無料で公開する時って、
純粋にみんなに楽しんでほしいっていうサービス精神による場合もあるし、見てほしい、知ってほしい
っていう欲求もあるかもしれないけど、結構重要な目的としてスキルアップもあると思うんだよね。
感想や反応をもらうことで、より技術なりを改善したり向上したりできるわけで。
だから、無料で楽しませてもらってるお礼はそういうところで返したいなと思ってるよ。
それで現状の読者層を想定すると、
>>185の文章量はやっぱりヘビーじゃないかなあ。
それと
>>185の作品は読者にサプライズを与えようとする意図が先行してて、
物語としてそのサプライズの根拠がちょっと希薄になってる感じがする。
でも、stream先生が目指したい作風というか表現はすごく伝わったよw
>>190-193の作品は全体的にはとても面白いんだけど、俺がバカ過ぎるのか
前半から後半のかけ橋部分が理解できなくてそこだけ釈然としないかな。
着想は素晴らしいと思う!
>>185は「いいね!」を増やしてあげたかったけど俺フェイスブックやってないから
無理だった。。ゴメンね。次回作も楽しみにしてるからねー!
195 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/04/13(土) 01:39:35.39 ID:RZjNkUpN
あとレス数が増えてきたから、そろそろ新規にこのスレを発見した人にとってはここがどんな趣旨のスレかとか、
どこから読んだらいいかとか分かりづらくなってきてスレに参加しにくくなってきてるんじゃないかと思うんだよね。
それで一応ここまでのstream先生の作品のレス番を↓にまとめてみたから、よかったらそれぞれにstream先生が
>>150みたいな
簡単なあらすじをつけてテンプレというか作品リストにして、それを一区切り毎に定期的にスレに貼っていってみたらどうかな。
そしたらたぶん新規にこのスレを発見した人もきっともっと参加しやすくなると思うよ!
名作の数々が埋もれちゃうのはもったいない!
>>1-26『The Mental Test』
>>28-38『The Strange Mail』
>>60-70『The Android』
>>87-103『The Silent』
>>118-126『The Lady』
>>139-148『The Hedge Fund』
>>157-177『The Last Message』Short_Ver
>>185『The Lipper』
>>190-193『The Number』
tesu
三日月丸さん、いつもありがとうございます。
レス番まとめなど、頭が下がる思いで一杯です。
毎回、いただいたコメントにたいしては一から十を知るように深く省察している次第です。
現在、ラノベ調文体の長編にとりかかっており、てこずっています。
今度、冒頭部分を掲載しますので、続きがよみたくなるものかどうかお伺いできると幸いです。
FXの息抜きとして楽しめるショートストーリーを掲載しています。
相場全般を主題に取り上げていますが、著者の実験的側面もあり、それ以外の物語も含みます。
気に入った物語があったときはそっとレスいただけると内心嬉しいです。。
あくまでも息抜きの場所であることを目指しますので、日没後の黄昏――薄暮のようなゆっくりとした雰囲気にできると幸いです。
>>1-26『The Mental Test』
優れたメンタルの持ち主にはどのような特徴があるのか?
不可思議な実験に参加した五人は続々と落伍していき、
最後の部屋に残されていたのは……
>>28-38『The Strange Mail』
男の元にトレード必勝法が記載されたメールが届く。
はじめは信じていなかったが、危険な魅力に少しづつ
吸い寄せられていく。果たしてそれは本物か?
>>60-70『The Android』
未来は何が変わったか?
メイドロイドのイブとの奇妙な共同生活。
偽りの幸福は少しづつ綻びの様相を呈していく。
>>87-103『The Silent』
1880年代のゴールドラッシュの喧騒。
時代に翻弄される少年と少女。
沈黙の美少女と少年の絵の具はカラフルに彩られて――
>>118-126『The Lady』
魔性の女、オリビア。裏切りの曲線と快楽の直線。
二つの線が交錯するほどエスカレートしていく。
カクテルとFX、それだけが彼女を満たす。
>>139-148『The Hedge Fund』
天才トレーダーの光と影。
一瞬垣間見た閃光は、幻想の世界へいざなっていく。
番外編。
>>157-177『The Last Message』Short_Ver
舞台は江戸。兄と暮らすアオイは、成仏できない霊を見ることができる特殊な能力の持ち主。霊を成仏させるには、彼らの心残りである最後の願いを叶えてあげなくてはならない。
死後七日を過ぎてしまうと、この世のものではない生き物に変化してしまう。
賭博好きの兄の助言を受け、向かった先には――
>>185『The Lipper』
プロファイリング探偵、神咲ジンシリーズ。
左足が残される猟奇殺人が発生。切り裂きジャックのような
サイコパスを相手に、丁寧に論理を紡ぎ上げていく。
>>190-193『The Number』
某有名作家へのオマージュ。
色彩を持ちたい二人は、現実と虚構のはざまで……
199 :
Trader@Live!:2013/04/13(土) 14:48:34.09 ID:RZjNkUpN
(ノ゜ー゜)ノage↑
200 :
Trader@Live!:2013/04/21(日) 13:16:51.15 ID:lXy/Z8QX
保守
201 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:24:05.80 ID:2fKiaI7a
1です。10作目となりますが、この作品で最後となります。
2か月という短い間でしたが、ありがとうございました。
色々な意味で勉強させていただきました。
基本的には、これでスレの更新終了とお考え頂けますと幸いです。
それでは。
202 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:33:57.90 ID:2fKiaI7a
『The XXX』
――はじまりがあれば終わりがある。
(1)
「はーいどうもー、シュールでーす」
「さて今日もね、張り切っていきたいと思うんですけど」
客のまばらな拍手。こんな定型の紋切り口調ではじまる漫才では仕方がないか。
自分だったら、ものの五分で席を立つのは間違いない。退屈な高校の学園祭とはいえ、もっと他に見るべきものがあるだろう。
ステージ上の安っぽい照明機器が頬の温度を上げる中、アキラは頭の片隅でそんなことを思っていた。
元々のネタが少ないこととテレビなどへの露出は皆無なため、ほとんどのネタが使い回しである。だからこそ、威張れたものではないがネタはの途中で考え事をしてもやり遂げる自信があった。
しかし――
「えっ、ええとですね……」
おいおい、お前の方が噛むのか――と、相方のコウジを睨みつける。
ツッコミが言葉に詰まったら、どうしようもないだろう。
溜息をこらえつつ、自分たちの中では鉄板と思われるネタに入っていく。
「僕ね、いいアニメ見つけちゃったんですよ。知ってますか? エヴァっていうんですよ」とボケのアキラが話を振る。
「そりゃ、知ってるでしょ。見てくださいよ、一面若者だらけでしょうが。我々ぐらいなもんですよ、いいおっさんなのは。何言ってるんですか」と突っ込みのコウジが返す。
微妙なクスクスとした笑い。
「知ってますか、そうですか。それじゃあ登場人物言えますか? 僕、詳しいですよ」
「ええっ! そうなんですか、どうぞ」
「まずね、綾波ちゃん」
「はいはい、人気ありますからね、あの神秘的な感じが」テンポよく合いの手を入れる。
「続いて、レイちゃんね」
「……」
「で、胸がぺったんこの女の子ね」
「…………」
「……って、どれも、綾波じゃねえかよ! あんたどんだけ綾波好きなんだよ」
コウジがアキラの頭部をペチンと突っ込みと、少し笑いが起きる。笑いのレベル1だ。
「で、エヴァというのがどういうストーリーかご存知ですか?」とアキラ。
「いや、そんな漠然と言われると……」とコウジが首を傾げる。
「シンジ君がね、これ主人公なんですけどね。こういうなんかおもちゃみたいなのに乗るんですよ」
アキラは両手で三十センチほどの高さを示す。
「いや、それは小さすぎでしょ。直ぐにやられちゃうよ、何でそんなに小さいの。もっと大きいでしょさすがに」
「でね、敵はこのぐらいの大きさなんですよ」
親指と人差し指を目の前に持ってきて、目を細める。
「うわ、敵ちっちゃ。うん、それなら、その大きさでもバランスよく戦えるよね……って! なるわけないでしょ。なんでそんなミニカーみたいにちっちゃいの。何か違うアニメになってるよそれ」
「いや、だからね、綾波ちゃんの胸もちっちゃくてね」
「ってやめなさいよ! その貧乳とかいうネタを引きずるのは。もう、ただでさえシモはウケないのに……ねえ。そういうのはせめて秋葉原近辺でやってくださいよ。どうせそこでも駄目でしょうけど」
客のうなずくような、失笑が起こる。笑いのレベル2にはまだ遠い。
203 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:34:36.01 ID:2fKiaI7a
(2)
「じゃあ、アタックNo.1って知ってますか」
「あ、あなた、切り替え早いな。って古いな今度! まったくもって、一切合切、知らないでしょ今日のお客さんだと」
「あら、知らない、よし! あれならわかるでしょ、ガソダム」
「何が、よし! ですか。言いにくいボケもやめなさいよ、文字に起こしたら何にも伝わらないでしょ、ガソダムって言いにくいし。普通にガンダムって言いなさいよ」
「ああ、そっちの方ね、それでいいや。で、その主人公が乗るモビルスーツっていうのが、こんぐらいでね」
アキラは、再び三十センチのサイズを示す。
「ちっちゃ! それじゃ子供に踏みつぶされて終わっちゃうでしょ。いい加減にしなさい」
二人は軽くお辞儀をして舞台を降りる。
登場のときよりは幾分拍手が多めだが、まばらと言うことに変わりない。笑いの第三段階である大爆笑に届くことは今日もなかった。
入れ替わるように登場した後輩芸人コンビは、ステージに上がった瞬間に黄色い声が飛び交っている。アキラとコウジの二人は、その声を背中で聞いた。
アキラは控室に戻るなり、自腹で買ったミネラルウォーターを飲み干して口を開く。
「おい、今日のあれ、どういうつもりだよ。またしょっぱなで詰まりやがって、何考えてんだ」
アキラとコウジは結成十五年目を迎える、売れない芸人だ。見た目はまだ若いのだが、社会的に若者と呼ぶには厳しい年齢であることは、二人自身がよく理解している。
まったく売れていないので、若手芸人というくくりに分類されることが辛い今日この頃だ。
結成のきっかけは、卒業式での一言だった。それほど親しいとは言えない間柄だったコウジの方からアキラへ話しかけてきたのだった。
「アキラ君、東京の学校に行くんだよね。僕もそうなんだけど、向こうに行ったら会わない?」
「え、何? そうなのお前もなの? マジかよ! 東京行くのは俺だけかと思ってた。結構心細かったんだよな実は。仲良くやろうぜ、おい」
片田舎の高校卒業式。無駄に高揚しているアキラにとって、コウジの言葉は天の恵みだった。コウジはクラスの中でも目立たないタイプだったので、どこに進学あるいは就職するかについてはまったく興味がなかった。
とは言え、同郷の者が近くにいるのはありがたい。そこで初めてメールアドレスを交換した。
204 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:34:58.64 ID:2fKiaI7a
(3)
あれから十五年。上京してすぐにお笑い芸人を目指したわけではなく、単につるんで遊び始めたのがそこからと言うだけなのだが、芸歴はあえてその数字にしている。もっぱらインパクト重視のためだ。本当に十五年もキャリアがあれば、もっとどでかい笑いが起きるはずである。
ツッコミのコウジは、お世辞にもお笑いに適正があるとは言い難かった。ぼくとつなキャラクターで緊張するタイプで、物事を深く洞察する能力には長けているがそれを言語化するのは苦手だった。だからこそ面白くなるとアキラは踏んだのだが、その読みは見事に外れた。
ちょっとしたミニライブの打ち上げでも、話題に上るのは地味なコウジではなく、お調子者のアキラの方だけだった。
いずれにせよ台本だけはコウジがすべて書き上げていた。文章を書くのが好きだと聞いた。
内容が頭に入っているはずなのに、つっかえてしまうのがいつも不思議でならなかった。
友人よりは親密な関係。それでいて、いざステージを終えてみるとぎくしゃくとした関係。上京したての頃は、お目当ての女子のことや将来の夢、そして人生について語り合ったりしたがそれももう遠い昔の記憶だ。
「今日のとちりだって、集中できてないからだろう。毎日毎日スマホばっかいじりやがってよ、そんなにその、FXってやつが大事か! お笑いよりもよ」
アキラは狭苦しい控室の中でなりふり構わず毒づいた。コウジはその端正な顔立ちに、暗い影を落としている。ろくに笑いも取らないくせに、女性客に自分より人気があることも、彼をいらだたせる理由のひとつだった。
「今日は、えらく値段が下がったそうじゃねえか。ご愁傷様。って、まさかそんなのが理由でしゃべりに集中できなかったんじゃないだろうな!」
アキラは頭に血が上った。胸ぐらをつかみ、自分より頭半分小さく華奢なコウジの体を振り回した。
無抵抗なコウジを見て、余計に怒りが収まらなくなった。心の中では、それは違うと言い訳して欲しいのだ。少なくとも、自分たちが青春を賭して追いかけたこの夢に対して。
つかんだ胸ぐらもろとも、コウジをロッカーに突き放した。ロッカーがひしゃげる音と小さなうめき声が飛散する。幸い、売れない芸人の楽屋には誰も声を入ってこない。しかし、それ以上の暴力は振るわなかった。アキラは、一気に気持ちが萎えてしまっていた。
「解散だな、俺ら。こんなんじゃやっていけないだろ。解散、解散。シュールは解散だよ。そうだ、来週漫才グランプリの予選あるだろ。あれで最後にしようぜ。そいつがいいや、それで決定だ。俺は別の相方でも見つけるわ、じゃあな、ボンクラ野郎」
コウジは何も反論しなかった。二人はもう分かち合う術を持ち合わせていなかった。
205 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:35:29.63 ID:2fKiaI7a
(4)
なんだよ、あの野郎。そんなに損してんのかよ。前に聞いたときは月に数万円は稼いでいて、売れなくなったら俺のことをそれで養ってやる、なんて大見得切っていたくせによ。
そんなうまい話は、なかなかないんだよな……俺もそろそろ身の振り方を考えなくちゃな。
正直、これもいい機会かと思う自分がいた。
待てよ? 俺ってなんでお笑い芸人を目指そうと思ってたんだっけ? と自問自答する。
ああ、そうか、きっかけは小学校のときの学芸会か。爆笑を取って、すっかりその気になっちまったんだよなあ。
あいつは……そうか、コウジはマジックかなんかをやったんだ。俺の前にやって、意外とウケたんだよな。普段はおとなしいあいつが、思いのほかうまくやるもんだから、クラスの皆から大好評だった。
でもその次に、担任を真似たひとりコントをやった俺が大爆笑をさらっちまったもんだから。あんときは悪いことしたな。
アキラは四畳半の畳に寝ころび、そんなことを思い出していた。
あれっ、そうだ。たしかあいつには妹がいたような……それで、あいつの家かどこかに行って、妹にコントを披露した記憶がある。あれは小学四年生ぐらいだったかな。
なんでだっけ……。でも、あいつの妹も笑っていた記憶がある。
『妹がお笑い好きだから、目の前でやってくれないかい? アキラ君にはとてつもない才能がある』
小学校の時に俺の才能を見出していたのか……でも悪かったな。
その才能は道端に転がっている少し大きめの石のようなもんだ。道端で目にしたときは、蹴りながら道路を歩いたりして楽しいものだが、決して拾い上げてポケットにしまい込むほどものじゃないんだ。
東京に出てきて、自分の才能のなさを痛感した。そして、そのやり切れなさを彼にぶつけていたのかもしれない――コウジの演者としての至らなさを糾弾することで。
彼との思い出で、強く覚えているものがある。数組の芸人ライブにお情けで呼ばれた、渋谷のスタジオからの帰り道のことだ。
二人組の女子高生に、コウジといるときに話しかけられた。
「すいませーん、写真いいですか?」
写真をお願いされるのは、それまではカップルに頼まれてシャッターを押す時だけだ。
今かけられた言葉が、一緒に写った写真が欲しいと言うニュアンスであると気づくまでに、十秒はかかった。
サインもなければ、決めポーズもジョークもない。そんな二人だったが、精一杯の変顔をして楽しげにフレームに収まった。
それから何年の月日が経っただろう。今では人の目も気にならなくなり、すっかり肉がついた腹周りがそれを物語っている。
「なんだかなあ……」心の内が声になって漏れ出した。
206 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:35:48.87 ID:2fKiaI7a
(5)
漫才グランプリ予選、決戦の朝――
ガラにもなく緊張した。最後の舞台と決めたせいなのか、それは自分でも分からなかった。
解散については改めて触れなかったが、コウジも分かっているはずだ。
いつもと同じ、少し寝癖がついた頭のままこちらへ向かってくる。
言葉少な目だが、こちらの笑顔に安っぽい炭酸飲料みたいな顔で返してくる。
控室や舞台袖のあちこちで、空気が重くこり固まっている。
このわだかまりを何と呼べばいいのか。人々の無言とつぶやきの数々。
数多もの練習を繰り返しても、なおその直前で繰り返される言葉。
我々が発する言葉が高尚なものであるならば、おそらく緊張はしないだろう――ふと、そんなことを思う。
正論や主張というものには魂が宿り、それが言葉の力を鼓舞する。そして何より、そうしたスピーチにおいてはスベるという概念はないのだ。
どんなに退屈な講演であっても、足を運んだ人たちは盛大に拍手をする。小難しい話だからこそ退屈なのであり、それを長時間聞いていたということは、それを理解する頭脳を持ち合わせていることと同義なのだ。
そうした思考の結末は「過ごした時間を無理にしないためにも、盛大な拍手で素晴らしかったと肯定する」ことにつながる。
笑いは違う――。スベるという行為は万死に値する。コウジがはまっているFXで例えるのであれば、すなわち破産といえるだろう。
笑いの破産か、それも何か面白そうだ――俺たちは果たして残金いくらなのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、青ジャンパーにスタッフホルダーを首から下げた男に声をかけられた。
出番だ。緊張が走る。
何はともあれ、笑いを取りに行こう。すべての人のために。
スポットライトが走り、Go!Go!Go!という例のあおり音楽が流れた。
さあ、出番だ。俺たちの最後のステージへ。
207 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:36:06.47 ID:2fKiaI7a
(6)
「はーいどうもー、シュールでーす」とコウジのお決まりの挨拶。
「と、言うわけでしてね。出てきていきなり、何がと言うわけなのかよく分かりませんけど」とアキラ。
「分かんないのかい! それでよく話が切り出せますねあなた」
「いや、先日ね。面白いものを見つけましてね。いや、これ知ってるかな? もしかしたら知らないかもな? 聞いたら絶対、驚きますから」
「絶対驚くって……そりゃすごいな。絶対ですよね、それ。もったいぶらないで早く教えてくださいよ。またどうせ、みんな知ってるやつなんだから」
「そうですかね。ええと、このぐらいの四角いやつでね。携帯電話くらいの大きさなんですよ」
「ほうほう」
「それで、見たところ、何もボタンがなさそうな感じでしてね」
「ちょっと、待って。何か嫌な予感するんですけど。まさか、まさかですよ、単純にスマホっていうんじゃないですよね、いや、まさかね……」
「ああ、あれスマホっていうんですか、初めて聞いたな」
「って、おい! 知らなかったのかい! しかも初めて聞いたって、そっちの方が驚きだよ!」
「ね、驚いたでしょ」
「って、そっちかい!」
「いやね、何でしたっけ、そのスマポでしたっけ」
「いや、ス・マ・ホ! そのちょいちょい言葉間違いぶっこんでくるの止めてくれる?」
「ああ、スマホね。スマートなホね」
「何なんですか、そのホの中身は。適当に知ったかするのも止めてもらえますか」
ここまでの流れは上々だった。ベタなネタであっても会場は笑いに来るお客さんでヒートアップしている。テンポで押し切れば、誘い笑いとなってやがて雪崩笑いも期待できるだろう。
「それで、こいつもいっちょ前にスマホを使っててね。何ていうんですか、あのスタンプとかいうやつ、あれ嫌ですね。スタンプって何なんですか」
「ああ、LINEですか。知り合いにメッセージを送ったりできて、キャラクターのね、絵とかそういうのが送れる奴ですね。それをスタンプっていうんですけど」
「まあ、確かに荷物来た時に便利ですよね。ここに朱肉をおいてね」
「おーい! この人ただのスタンプ台にしてるよ。スマホをスタンプ台として使っちゃってますか。もったいないことしますね、ホント」
客の反応は上々だった。漫才全体を、スマホの使い方をしらない中年男性の流れとし、豚に真珠のようなこっけいな雰囲気を作り出したのだ。これであれば、スマホをもたない客層にとっても胸のすくような笑いを引き寄せることができる。
208 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:36:23.07 ID:2fKiaI7a
(7)
「そうそう、これなんですけどね」
そういってウエストバッグから取り出したスマホは、巨大な衛星電話のような大きさだ。
アンテナも長く、ショルダー掛けしてもおかしくない旧式である。
ただしそれを加工してタッチパネル操作ができそうな感じにしている。手作り感満載だ。
観客は爆笑し、笑いのレベル2を超える。いよいよ大爆笑のレベル3も視野に入ってきた。
異変はその直後に起きた。
「いや、スマホを眺めるたびにいつも思うんですよ、誰かから電話がかかってこないかなって。一回もかかってこないんですよ」
「って、一回もってそれおかしいでしょ、さすがに。一回ぐらいかかってくるでしょ、さすがに」
「それがね、一回もこないんですよ。おかしいな、誰からもかかってこないよ。知り合いはみんな死んじゃったのかなあ」」
「そんなわけないでしょ。俺だっているし」とコウジが言う。
そこから、ツッコミのコウジがおもむろにその巨大電話を取り上げ、確認する予定だった。
そして「何これ、電波五十本も立ってるよ、すごいな! 軍事用か!」と言い、アキラが(たいして似てない)ゴルゴ13の物真似――俺の背後に立つな――をする流れだった。
だが、コウジはそこでステージ上で立ちすくんでしまった。携帯電話に手を伸ばす素振りもない。まるで糸の切れた操り人形みたいだった。言葉も何ひとつ発しない。
一…二…三…五…十……
十秒以上何も話さなければ完全に放送事故であり、演者としてあってはならない間だ。
アキラの頭の中は真っ白になった。これまでの人生において、一度もかいたことのない汗が脇の下を滑り落ちる。それはとても冷たかった。
無言の相方を見つめ、放心した。そして……
コウジに両手を広げて抱きつき、「もういい、よくやった……お前はもう休め」と言った。
とっさの判断で、間を埋めた。戦争映画などで使われる台詞なのかもしれない。
それがなぜか、とっさに思い浮かんだ。すると照明スタッフがその危機を感じ取り、舞台を暗転させた。そのコントラストのおかげで場内は、失笑ではあるが笑いの渦に包まれた。
209 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:36:39.00 ID:2fKiaI7a
(8)
舞台を下がり控室に戻った。開口一番、アキラは吠えた。
「どうしたんだよ、また別のことを考えてたのか。ったく、最後の最後まで!」
怒髪天を突くとはこのことだと思った。悔しさと恥ずかしさが入り混じり、アキラはコウジを力任せに殴っていた。
ここは大部屋の控室だ。出番待ちで緊張している他の出演者も多くいる。無論、周囲の多くが二人の揉め事に気づいている。それでも、誰かが仲裁に入ることはない。
「悪いな、最後の最後まで……」コウジは切れた口を拭いながらそう言った。
「何なんだよ、本当に。せめて理由を言えよ! 俺が納得できるように。何でそんなにいい加減なんだよ」
アキラは恫喝した。
「……ごめん俺、田舎に帰ることにしたんだ。でも言い出せなくてさ。すまない」
その言葉に対し、アキラは答えなかった。振り上げた拳の行き場を失ってしまった。
「そうかよ、分かったよ。もう二度と俺の前に現れるなよ」
そう言い捨てた。コウジと過ごした青春の日々のすべてを否定するかのように。
210 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 15:36:54.64 ID:2fKiaI7a
(9)
月日の流れるのは早いものだ。また、エンターテインメント業界のサイクルも早い。
二年の月日が流れ、アキラは口に糊をする生活ながらも、一応はお笑いで生計を立てるまでになっていた。
例の漫才グランプリでのアドリブが観覧にきていた番組プロデューサーの目に留まり、深夜番組のレポーターに抜擢されたのだった。そこからはトントン拍子だった。二年で出演したテレビ番組の数は五十を超えるまでになった。
ひな壇芸人の補欠要員がメインではあるが、それなりに顔も知られるようになった。
そんなある夏の日、同窓会を知らせる便りが舞い込んできた。
凱旋帰郷とまではいかないが、たまには気分のいい骨休めを考えても罰は当たらないだろう――そう思った。
正直、久しぶりに相方に会ってみたくなった。多少なりとも成功した自分を見せつけようというわけではない。
心に余裕が出てきたのか、そういうやましい思いは一切なかった。
周囲の人間に助けられてここにいる。そう思うと、常に頭を下げる自分がいた。
アキラは帰郷した。
蝉の鳴き声が体に染み渡る。田舎の蝉はなんでこうも激しいのだろう。そんなことを駅に着くなり感じた。
鳥居が続く長い石段をとおり、慣れ親しんだ道を歩く。呼吸を乱しながら我が家へ到着した。両親とのかたちばかりの土産話を終え、ベランダに腰掛けた。
夕涼みに冷えたビール。最高の組み合わせだろう。
母親が、茹でたトウモロコシを持ってくる。これも悪くない。
母親が話しかける。
「あんだも、そろそろ着替えなさいよ。行くんでしょ?」
「え? どこに?」
アキラはそう言ったが、母親の喪服姿に目を奪われた。
「どこって、そのために戻って来たんじゃないの? コウジ君のお通夜でしょ。何いつまでもそんな恰好でいるのさ。礼服はクリーニングに出しといたから、箪笥の横にかかってるやつだよ」
体が砂でつくった城のように、ゆっくりと崩れていく感じだった。
同窓会は通夜の席での酒宴に取って変わった。懐かしい顔ぶれの同級生が揃った。
211 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 16:15:48.95 ID:2fKiaI7a
(10)
《アキラ君、凄いじゃない、最近テレビでちょくちょく見かけるようになったわよ。ふふ、友達に自慢しなくちゃ、後でサインもらえる?》
《おお、アキラ。大活躍じゃないか。こっちには、あまり戻ってきてないんだろ。まま、一杯飲んで。そうだ、コウジとも仲良かったんだろ。俺も聞いて驚いたよ……》
コウジと東京でコンビを組んでいたことは、まったく知られていない。それはそうだろう――売れていなかったのだから。東京でも、知っている人は数えるほどしかいない。
ここにいる連中は、アキラが最初からピン芸人でデビューしたのだと信じ込んでいた。たしかに事務所の方針もそれを貫き通している。彼が初めてテレビに映ったときには、その横には誰もいなかったのだから。
アキラはうすぼんやりとした酒の席で、ようやく重い腰を上げ、聞きたくない質問をした。
コウジの死因についてだ。
誰かが言った。
「白血病だよ。何でもここ数年看病してた妹さんも同じ症状だったそうだ。まあ、遺伝したんだろうな。妹さんが亡くなった直後に彼も発症したらしい。
うちのカミさんが看護婦やってるからそれとなく聞いたんだけど。カミさんもそれを聞いて泣いたらしいよ、あまりにも理不尽すぎるってね」
――妹さんか、あの子だよな。
やっぱりそうか、LINEで頻繁にやり取りしてたって言ってたな。多分、彼女がずっと入院してたってことだろう。
そのとき、自分の過ちに思い至った。もしかしたら、彼がスマホを手放せなかったのは、FXなどではなくそのせいだったのかも知れない。照れ隠しのつもりで、FXだなんてうそぶいていたが、実は妹さんの容体が常に気になっていたのだろう。
メールアドレスを交換したはいいが、一度もコウジからメールをもらったことはなかった。
いつも会って直接話していたからだ。
コウジにメールを打った。もちろん返事はなかった。
しかし東京に返って十日も過ぎたころ、手紙が届いた。母が実家に届いた手紙を転送したものらしく、それはコウジからだった。
アキラは動揺して手の震えを感じながらもゆっくりと開封した。
今はこの世にいない者からの手紙だった。日付指定郵便ということは、自分の死期を知っていたのかも知れない。
212 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 16:16:09.04 ID:2fKiaI7a
(11)
『アキラへ
これが、初めての手紙になるかな。何か気恥ずかしいものがあるな。
まずは、おめでとう。夢に向かって一歩づつ着実に前進しているようだね。
いつも全力の君だったから、それも当然だろう。
僕がいなくなって厄が落ちたのかもしれないね。おっと、今のはクスリと笑っていいところだよ。
さて、いくつか君に打ち明け話をして、そしてお別れをしなければならない。
この手紙を君が受け取るころには、僕はもうこの世にいないのがとても残念だけれど。
僕は、君と出会ってたくさんの勇気をもらった。だからこそ、君のことをずっと大好きだった妹の世話をするために田舎に戻る決断をしたんだ。帰省する理由を君に言うと、僕の決断が鈍ると思ったし、何より妹も嫌がると思ったんだ。
だから、僕たちはあの終わり方でよかった。僕自身が仕向けたわけではないけど、必然的にそうなったんだ。
もちろん、僕自身も君のことが好きだったよ。ある意味においてね(ここも、一応は笑うところだよ)。
こっちに帰ってきて、妹の手伝いを始めた。知ってるかな? 妹は作家だったんだ。病院のベッドから出ることは最後まで叶わなかったけど、小説の中で彼女は自由だった。
だからこそ、いくつもの作品を上梓できたんだと思う。
頭文字にTheがつくシリーズと言えば分かるかも知れない。後半の作品については、僕も手直しに長い時間付き合った。大きな書店にいってもらえれば、おそらく目にすることができると思う。以下に、そのリストを記載しておくよ。
《The Mental Test、The Strange Mail、The Android、The Silent、The Lady、The Hedge Fund、The Last Message、The Lipperそして、The Number》
中には、君と自分との関係を彷彿させるような作品も忍ばせたらしい。自分のような少女と君のような少年の恋物語だったらしいけど、そこはフィクションということで許してほしい。
いずれにせよ、妹は見事にやり遂げた。彼女は彼女なりの人生をまっとうしたんだ。』
アキラはそこで一旦読む手を止めた。その一連の小説群は知っている。なにせ、有名なシリーズだ。書店では平積みされ、いくつかの賞に毎回ノミネートされている。
覆面作家が執筆しているようなので詳しくは知らない上、アキラ自身は生来、あまり本を読む方ではない。だが、そんな彼でも知っているということが、そのセールスを雄弁に語っていた。
コウジとの久しぶりの対面に涙がこぼれ、止まらなかった。手紙であることすら忘れるほど、そこには彼の姿があった。ちょっと斜に構えたはにかんだ笑いと、そして聡明そうな顔。
涙をぬぐい、ゆっくりと続きを読んだ。
213 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/04/23(火) 16:16:36.84 ID:2fKiaI7a
(12)
『知ってるかい? 有名な作家であるほど死を自ら選ぶということ。何て冗談は通じないよねきっと。まあ、この病気のことについてはとやかく言っても仕方がない。
自覚症状もいくつかあったんだ、ロレツが回らなくなったり。まあ、それはいい。
僕が言いたいのは、君と出会えて青春と呼べる日々を共に過ごしてくれたことに感謝してる。それだけだ。もし君がいなかったら、もし自分だけだったら、そう考えるだけでぞっとするよ。退屈な日々を過ごし、気がついたら病に蝕まれて終わっていただろうね。
妹に君のことをたくさん話した。どうやら、本当に好きだったらしいよ。
笑っちゃうよね、小学生のときにお見舞いに一度来ただけなのにさ。
でも僕がよく、アキラの写真を内緒で送ってたかな。スマホに添付してさ、そのせいかな。
うん、これだけ最後に君と話ができれば十分だ。えっ? 手紙だろうって? ここも笑うところかな。
そうだ、妹が書いた最後の小説のタイトルを教えておくね。書店で見かけたら手に取ってみて欲しい。そうしてくれると、僕も妹も嬉しい。
多分これで、何ですべての作品を「The〜」というタイトルでナンバリングしていたのかも分かると思うんだ。すべては、最後の作品に通じる道筋だったってことかな。
つまり彼女は、自分の最後の作品名を決めてから、タイトルを考えていたというわけさ。
長くなっちゃったね。もう行かなくちゃ。これでお別れだよ。そう、みんなとも。
この世界で会うことはもうないだろう、きっと。楽しかった。
長いような短いような時間だったけどありがとう。
友達と呼べる、親友と呼べる人とも出会えたよ、僕はこの人生で。
君のことを例えるなら、あの綺麗な夜空に浮かんだ三日月のようだ。そう、違いない。
さようなら、友よ。またどこかでお会いしましょう。
あなたに会えてとても嬉しかった――それだけは覚えておいて欲しい。
たまにでいい――そうだな、天気のいい日にシーツかなんかを外に干して、その匂いを体全部で嗅いだ時にでも僕のことを思い出してくれたら嬉しい。
僕の存在と君の人生が交差した証しさ。
それでは。』
アキラは、手紙を置き深呼吸した。
そして最後の文字を指でなぞりながら、唇をかみしめた。
手紙の最後には丁寧な筆跡で、最後の小説のタイトルが書かれていた――
『The End』
214 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/04/25(木) 19:46:58.19 ID:JTAjJf6L
今となっては素晴らしいという言葉しか見つからないくらい、素晴らしい短編集だったねこのスレは。。
終わってしまうのはとても寂しいけど、でも最後の10作目がすべての作品を短編集として縫い合わせる
美しいエンディングだったからこそ、このスレに収録されたすべての作品がより一層素晴らしく感じられるんだと思う。
自分にとって大好きな小説や映画やドラマやアニメはもっと続きを読みたいし見たいけど、
でもそれと同時に長続きさせるためだけに作られた作品を目にするのは悲しいことだよね。
惜しまれつつも完璧に美しいエンディングを迎えた作品は、名作としてずっと心に残り続ける。
このスレはまさに心に残る美しい短編集となりました。
2ヶ月間楽しい時間をどうもありがとう!
まだ3作目までしか読み終えてませんが
本当に素晴らしいです。
残りも楽しみに読ませていただきます
ありがとうございました。
3日前にこのスレ知りました
少しずつ読み進めてきましたが
もう終わりなんですか
残念ですね
stream先生また戻ってきてくださいね!
個人的には2作目のメールの話が気に入ってます。
1作目は途中までは面白いけどラストがわかりにくいです。
結局社員たちはピストル自殺したという事なのかな?
それとリーマンショックの乱高下見せられて自殺したのか
閉じ込められた社員たちのトレードの結果リーマンショックが
起きたのかがわかりにくいですね
218 :
Trader@Live!:2013/05/07(火) 15:06:22.27 ID:KPIqOnP50
ありがとうage
メンタリスト
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)< 更新マダー?
\_/⊂ ⊂_)_ \_______
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
|  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
| .|/
221 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 10:58:09.22 ID:RpurUAgn
『The Children』
I'll be back.
誰かが言った。
戻りたい未来に、果たしてなっているのだろうか。
――デヴィッド・コールフィールド博士『もうひとつの未来』
(1)
こんな未来を、俺たちは望んでいたのだろうか?
人類が繁栄を求め、突き進んだ結果がこれなのだろうか?
そもそも未来とは、あらかじめ決まっているものなのか?
仲間からスペードと呼ばれる少年は、少しかびが付着したブドウパンを噛み千切りながら考え続けていた。
食糧については贅沢を言っていられない、なにせ三日ぶりの食事なのだ。
いつもどおり周到に注意深く視線を走らせながら食べる――決して気を緩めたりはしない。
ガチャリ。倉庫の扉に誰かが手をかけた音が聞こえた。さっと緊張が走る。
扉の向こうから小太りの少年がひょいと顔をのぞかせ、小声で合い言葉を言う。
合図が正しいものだと分かると、小太りの少年――クローバーと呼ばれていた――は倉庫の奥に通された。山積みされた荷物の最上段から別の少女が拳銃で狙いを定めていたが、仲間だと分かると照準を外した。
「スペード君、お待たせ。大漁だったよ!」クローバーは両手で抱えた茶色の紙袋を見せながら言う。
「おう、やるなクローバー。中身は何だい。さてはまた食料だな」と倉庫の中央ブロックからスペードが飛び降りて言う。
「どうせまた、バタークッキーでしょ」最上段で銃を構えていた少女も降りてきて会話に加わった。
「鋭いなあ、ハートちゃんは。聞いて聞いて、おれ死にもの狂いで盗って来たんだからさ。ちょうど奴等の運搬車の幌が開いてる隙にね……」クローバーが息を弾ませて答える。
「わお、やるじゃない、クローバー。あなたの分のブドウパンは残しているから、それと一緒に食べましょう」
彼らは三人は皆、名前すらないみなしごだ。名前がないと不便なので、それぞれをトランプの柄になぞらえて呼んでいる。
リーダー格の短髪の少年がスペード。小太りで大食いの少年がクローバー。気が強いが、優しい少女のことはハートと呼んでいる。
三人とも十代半ばの少年少女で、親はいない。と言うより、大人たちはすべて自分たちの敵と認識していた。意味論的な敵ということではない。この時代の大人たちは、彼らのような少年少女を全力で殺しに来る。
手には火炎放射器などの武器を携えて――大人たちによる、子供狩りが行われていた。
222 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 10:59:05.62 ID:RpurUAgn
(2)
最近も少年たちの仲間の一人が殺された。それは彼らがダイヤと呼んでいた少年だった。敵は防護マスクで顔を隠し、少年を丸焦げにし焼き払った。後には骨のかけらひとつ残らなかった。
「で、他に何か分かったかい、クローバー? 奴等に接近できたんだろう」スペードが問う。
「それが、盗むものの吟味に夢中で……でもあいつら何も喋らないんだ。無言のまま、子供を殺していくんだ」
「俺たち以外にまだ生き残りがいたんだ! ちきしょう……ダイヤの仇も討ってやらないとな」スペードは小刻みに体を震わせる。
「そうね……あっ、そう言えばさっき通信端末にデータ受信があったわ。そっか、今日はハイローの日ね」
ハートが腰の小物入れから携帯端末を取り出した。透明な四角いフィルムだけで構成される代物で、そこに情報を映し出す。ハイローというのは中央政府が行っている一種の公営賭博で、質問の答えを二択形式で答えるものだ。
ハイローに正解すると、この時代の通貨を獲得できる。子供だと言う素性さえばれなければ、買物もすることができる。いつの時代も、金は生きていく上で少なからず役立つ。
『質問――現在、全世界に存在する十六歳未満の子供の数は、百人より上か下か?』
「えっ? 何これ? こんなの分かんないよ。スペード、クローバー、どう思う? ハイかローか」
フィルムに制限時間が表示される。残り一分で答えを導き出さなくてはならない。しかしどんなに子供が減っているとは言え、全世界で百人未満はないだろう。スペードは『ハイ(High)』と言った。クローバーもそれに同意した。
しかし、ハートの考えは違った。前回のハイローのときの質問を思い起こしていたのだ。
前回の質問は『子供狩りを正しい行いと考える大人の数は、全体の九十パーセントより上か下か?』というものだった。そのときも同様の壁に突き当たった。そのときはまだ生きていたダイヤが言った。
「そんなの、九十パーセントもいるわけ無いよ。馬鹿げてる。ロー! ローに決まっている」彼はそう言ったのだ。
答えはフィルム上に『ハイ』であると映し出された。おかげで賞金を獲得できないばかりか、全員を落胆させた。実に九十九パーセントの大人が、子供を虐殺する行為を正とみなしていたと言うのだから。
ハートはフィルムを隅々まで眺め、やがて決したように『ロー』を選択した。
クローバーは悲鳴にも似た声を上げた――これでまた、ブドウパンを好きなだけ食べる夢から遠ざかってしまう。
今回の結果もすぐに示された。スピードはその内容に複雑な表情を浮かべ、クローバーは単純に喜んだ。
『全世界に存在する十六歳未満の子供の数は、既に五十人を切っている(中央政府調べ)』
「まあ、何にせよ。賞金獲得を喜びましょう。結構張り込んだから当座の資金は確保できたわ」ハートは長い黒髪を揺らす。
スペードはハートを見て思った。
《彼女の綺麗な髪も、カットしてやることもできねえ、もっと着飾ってもおかしくないのに。この時代の大人共は何をしたいんだ? どうしてこんなに俺たちを追い込むんだ? いいだろう、ここまでするのなら全力で戦ってやろうじゃないか。あの兄貴のように》
223 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 10:59:56.36 ID:RpurUAgn
(3)
スペードには、少し年の離れた兄貴がいた。孤児たちが結束し徒党を組んだとき、彼はその伝説的なリーダーであり、キングと呼ばれていた。
二十名ほどの集団で始まったそのグループ『Nothing All(何も持たざる者たち)』は、次第に力をつけて武力を駆使し、大人たちに恐れられるほどになった。
凄惨な銃撃戦もあった。火炎弾が飛び交い、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開した。それでも大人たちの攻撃がやむ事は無かった。
数の理論で、子供は次第に蹂躙されていった。なぜ大人が子供を襲うのかは、誰にも分からなかった。それと同様に、スペードの兄貴が不意に姿を消した理由も誰にも分からなかった。
――ハートが稼いだ賞金で、キングが好きだったシュレップスでも飲むか。そうスペードが提案すると、食いしん坊のクローバーは即座にうなずいた。彼は、食欲と睡眠欲の権化だった。美味しいものを食べて、ぐっすり眠る事が一番の幸せだそうだ。
ハートもすんなり同意した。彼女の場合は、好奇心や向上心が旺盛で知識欲が強い。おそらく美の欲望も少女なりにあるのだろうが、おくびにも出さずかみ殺しているようだった。
自分はと言えば……性欲かなとスペードは自嘲した。こんな戦禍にあってハートに恋心を抱くなんてどうかしてる。自分に何度も言い聞かせた。しかし、日増しに彼女への思いは募っていった。それでも戦闘が終結するまではこの思いを成就させることはないだろう。
恋人は自分の生命線、すなわち弱点になると考えているからだ。そのフラストレーションを爆発させるために戦っているという一面があることも否定できなかった。
シュレップスを買いに行くのに、俺たちの誰かが行くわけにはいかない。いくら変装したとしても子供だということはすぐにばれてしまう。しかし、いつの時代でも抜け道はある。ちょっとしたお金で協力してくれる大人はいるのだ。
まあ、フミばあさんの場合は小銭稼ぎと言うよりは単に俺たちの味方をしたいらしいのだが。
そのフミさんが、倉庫に姿を現した。
五十代という話は聞いたことがあるが、とてもそうは見えなかった。そういう女性に対しては、妙齢と言うのが良いそうだ。スペードはよく理解できなかったが、耳年増のハートに教えてもらった。
フミは若い頃、旅のサーカス一座で大砲ショーに出演する看板女優だった。そのスレンダーな肢体は観客を魅了し、今でもその片鱗を残している。
目じりや首にしわは残っているが、まだまだ現役と言わんばかりの小柄な体躯は贅肉がほとんどなく、十代のハートとあまり変わらない。社交ダンスの先生、と言えば一番しっくり来るかも知れない。
「あんら、スペードちゃん、クローバーちゃん、ハートちゃん。元気にしてた? しばらくぶりね? あれ、ダイヤちゃんの姿が見えないようね」
その質問に対して、誰も答えなかった。フミは声のトーンを落として、話を続けた。
「それで、何か必要なものでもあるのかな。私で良ければいつもの所から仕入れてくるよ」
ハートがフィルムの端末をフミに手渡す。端末を市場の決済システムにかざすだけで買物はできる仕組みだ。ただしそこでの監視カメラで、簡単に子供は判別されてしまい、店の奥から大人が飛び出してくる算段だ。そして直ちに殺戮が開始されるのだ。
「フミさん、風のうわさで聞いたんだけど虚無の塔って聞いたこと無い? 何でもそこに子供が大勢幽閉されているらしいの」ハートが尋ねた。
「何だって? 俺はそんな情報初めて聞いたぜ。どこで聞いたんだハート?」リーダー気取りでスペードが聞く。
「えっと……ごめん。ダイヤがやられる間際に、私だけに……」ばつが悪そうに言う。
「そ……そっか。それならいいんだ。悪かったな、話の腰を折って」
スペードは言葉の端々から動揺を隠せなかった。何となく、ダイヤの気持ちが分かった気がした。きっと俺と同じ感情を抱いていたのだろう。
「虚無の塔? 港の灯台を言ってるんかねぇ。確かにあそこに子供たちが隔離されているという噂はよく聞くさね。それでもあそこはダメさ。もの凄い警備で幾らあんたたちでも蜂の巣にされちまうよ」
「大丈夫だよ、俺たちがいつまでも無防備だと思ってるのは、バカな大人どもだけさ」
スペードはそう言って、一番上の箱から三丁の自動拳銃を取り出した。
224 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 11:01:16.50 ID:RpurUAgn
(4)
三人は虚無の塔に乗り込んですぐに、ここに来た事を後悔し始めていた。
警備兵が多かったのではない――その逆だ。あまりにも人の気配が無く、銃を片手に意気揚々と乗り込んで来たことが馬鹿らしく思えてきたのだ。
さらに言うと、通行手段の螺旋階段は海への吹きさらしで、吹き上がる夜風が凍りつくほど冷たかった。
それでも三人は、黙々と屋上へ歩を進める。しかし中腹ほどの高さへ来たときハートが口を開いた。
「ねえ、スペード、今夜はやめにしない? 多分上まで行っても何も無いよ。ほら、ここら辺もクモの巣だらけじゃない」
「僕も賛成だな、スペード君。それにこんなに急な階段は、僕にはとてもきついよ」
「いい運動になってちょうどいいじゃないか、クローバー。でも、ハートの言うとおりだな。帰るとするか。でも、せっかくここまで来たんだから屋上の景色でも拝んでいかないか?」
「エーッ」と二人から反対の声が上がる。
そのとき……
「いやー、今日の見回りはきついな」
「大体、こんな薄気味悪いところ、誰もこないぜ。ったく人使いが荒いよな、うちのボスも」
上の方から二人の男の声が耳に飛び込んできた。
螺旋階段は一本道でどこにも逃げ道は無い。このまま後戻りするにも、足音でばれる可能性の方が高い。
スペードはハートの顔を見た。顔面蒼白だった。クローバーは、先ほどまでの辛そうな表情とは異なる顔を見せていた。
「ここは僕に任せて。見張りがいるってことは、やっぱりここで合ってたんだよ。二人はその手すりからちょっとの間だけぶらさがっていてもらえればいい」
「何言ってる! 俺たちも戦うよ」
「そうよ」
「ごめん、押し問答してる時間はなさそうだね」そう言うと、クローバーは二人を手すりに追いやった。押し出される格好となった二人は、勢い宙吊りになる。
「何だ、貴様は!」衛兵が上段から、小太りの少年を見つけて叫ぶ。
その声に呼応するように、クローバーが階段を全力で駆け下りていく。二人の衛兵はそれを反射的に追った。暗闇にまぎれてぶら下がっているスペードとハートに気づく素振りは無かった。
クローバーは疾走した。しかし、登りで体力の半分を使い切ったらしく足がもつれてしまった。階段をもの凄い勢いで転げ落ちる。海に落ちることは免れたが、全身を打ちつけてしまい起き上がれそうも無かった。
階段で倒れこむ少年を見つけ、見下ろす二人の男。
「何だこいつ、自分でのびちまいやがった」
「おい、ガキだぜ。ってことは、また殺さなきゃならないのか」
「そうだな、おっ、便利なものがあるぜ。こいつ自分で殺されるために、わざわざ銃を用意してきたのか」
「間抜けなやつだ」片方の男が銃を取り、クローバーに突きつける。
クローバーはぐったりした体を起こされるとカッと目を見開き、男につばを吐きかけた。そして言った。
「俺は最後までこんなんだな。でもな……」
ドウリャア! という掛け声と共に、男二人に両手を回して突進した。
意表を突くその動きが勝負の明暗を分けた。男二人は、真っ直ぐに突っ込んでくるとは予測していなかったのだ。何せ、その先には断崖が切り立つ漆黒の海が待ち構えているのだから。
スペードとハートは、クローバーの決死の覚悟を受け止めつつも、やはり見過ごす事はできないと階段を駆け下りた。しかし彼の最後の姿を見ることはできなかった。二人が聞いたのは、海に落ちていく大人の絶叫だけだった。
「クローバー、何でだよ……格好つけやがって」
「ほんとバカよ……こんなことなら……私のブドウパン、もっと分けてあげたかった。……バカ」
225 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 11:03:06.69 ID:RpurUAgn
(5)
屋上は想像していた以上に広かった。そしてその光景に圧倒された。
鎖でつながれた幾つもの人間。月明かりが十分に届き、その異様な景観を映し出していた。
全員が子供でなく……老人の姿だった。
「何、これ……どうなっているの」
鎖でつながれた老人たちは、言葉を忘れた子供のように見えた。
広い空間に、明かりが付いた。心臓が早鐘を打つ。スペードは拳銃を持ち、身構えた。
奥に一人の男の姿が見える。それは防護マスクを被った男で、前に子供を火炎放射器で殺すところを見たことがあった。何度か見た他の男たちと雰囲気が違うことは明らかだった。
全身で威圧するような足取りで、ゆっくりとスペードたちに近づいてくる。
スペードは拳銃を構え、声を上げた。
「これからあんたは、俺を殺すつもりだろ。それなら最後に教えてくれないか? どうして大人どもは俺たちを殺そうとするのか、それに何の意味があるのか知りたいんだ!」
男はマスクを外さずに答えた。それでもその声は、闇夜に響き渡った。
「ミドリムシ理論を知っているか?」
スピードはハートの方を見た。仲間内での知識担当――その彼女が首を横に振った。
「――聞いたこともない。それが何なんだ」スペードが答える。
「では、質問を変えよう。この世界が平和になればいいと考えた事はあるか?」
それには即答できた。
「あるさ、もちろん。争いのない平和な世界になればどれだけいいかって、いつも考えてるさ」
「それが過ちなんだよ」少年の反応を待つ前に、男は続けた。
「生物が本当の意味で平和になると……つまり食物連鎖や弱肉強食がなくなるとどうなるか考えてみればいい。互いに殺し合わなくていい世界になると、そこでの一番の強者は、太陽だけで生活できる生き物になる。
それがすなわちミドリムシ理論だ。強い者など必要が無くなり、生物のバランスがすべて崩壊する。惑星は緑色に埋め尽くされ……永遠に時を止める」
「それと、子供たちを殺す事に何の関係があるんだ!」
「大有りだよ。食物連鎖の頂点に君臨する人間が戦うことを放棄し始めたのだから。お前らみたいな反抗的なガキを除いて、世界中のガキがどうなっちまったのか知らないだろう」
「そりゃ知るわけ無いさ。お前ら大人どもが様々な情報を統制し、俺たちには何も教えないようにしたんだからな」
「……それは、ある種の不可抗力だ。まあいい、教えてやろう。ある時期から、世界中のガキどもはな、大人になるまでに自ら死を選ぶようになったんだ。世界や社会に何の希望を見出す事ができず、絶望する。
そして必ず自殺を図るんだ。必ずだ。そこには完全な平和を見ているのかも知れない。そして生物界のバランスは無に帰した」
226 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 11:03:53.16 ID:RpurUAgn
(6)
「そんなのって……」ハートが言葉を漏らす。
「そこのつながれた奴らを見てみろ」男はあごをしゃくった。「こいつらをガキの頃からつなぎとめて学者連中が観察してたらしいが、誰一人として生きようとするものはいなかったんだよ。
鎖を外そうとすらしないし、外してやってもすぐに死のうとするだけなのさ。ただ繋がれているだけの、抜け殻のような成れの果てさ」
「それは、こんなところに縛り付けているからだろ!」スペードが怒鳴った。
「どこであっても結果は同じだよ、スペード。世界各国で実験はすでに終わっている。これは生物学的な問題なんだ。人間がそういう具合になっちまったんだよ。その絶滅への道を回避するためには……」
「生存競争をしかけて、種の保存特性を発現させようという試みね」
「いい答えだよ。大づかみに言えばそういうことだ。危険な状態にさらされて始めて、生きようという意識が働くらしい。子供の世話を焼く大人もそれなりに大変なんだぜ」
そう言うと男は、ゆっくりと防護マスクを取り外した。
年を重ねてはいたが、その顔は紛れもなくキングだった。
「キング……ちくしょう! 兄貴だったのかよ!」
キングは無表情で弟を見つめた。
「俺もまだガキの頃は、お前らと同じ考えで抵抗していただろ? だが事実を知って何もかもバカらしくなった。分かるだろお前なら、スペード?」
「だからと言って、殺し合いに自ら加担する事はないだろう。他にやり方はなかったのかよ!」
「俺が言いたい事はそこじゃない。人間が進化を遂げて、無性に死を選ぶ種族になった。それは分かるな? 生きる意識を完全に失ってしまったってことだ。そこで立ち現れるのが――需要と供給。全ての経済活動がそうだが、不思議とその両方が無いと成立しないんだ」
「いったい何の話だ?」
「死を望む者が生まれるのと同時に、それを供給する側の進化も始まったってわけだ。俺はある時期から、ただ殺す事が生きがいの人間に変化した。息を吸うように、食事をするように、あるいは眠るように殺す。
そうしなければ全てのバランスや秩序が保たれない。それが俺のたどった進化なんだよ」
言霊に聞き入ってしまい、スペードとハートの反応が遅れた。スウッと構えられたキングの手には、この時代には珍しいリボルバー式の拳銃が握られていた。
227 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 11:04:10.37 ID:RpurUAgn
(7)
「どうやら、お前らが最後の二人のガキらしいな。お前らより上の世代はすでに絶望に支配されて、交尾するやつなどひとりもいなくなっちまった。これで終わりさ……」
キングはゆっくりと引き金を引き絞った。照準はスペードに合わされている。外す事は無いだろう。スペードとハートは目を固く閉じた。
ドスンッ! パァァン!
何かの塊が激突する音と、乾いた音が交錯した。
黒い影がキングに覆いかぶさっている……
「フミさん!」スペードは叫んだ。
キングに馬乗りとなって、拳銃を床に弾き飛ばしたのはフミだった。大砲ショーのように、遠くの物陰から一直線に空中ダイブをしたのだ。床に滴り落ちる血液と硝煙の臭い。
ハートはキングの手からこぼれ落ちた銃を右足で踏み、倒れているキングに銃口を向けた――チェックメイト。
スペードはフミの下に駆け寄った。キングの上から崩れ落ち、仰向けに横たわっている。腹部からの出血がおびただしい。
「フミさん、何でだよ。どうしてこんな無茶を……」
スペードはフミの手を握り、くたっとなった弱々しい小さな体を胸に抱きすくめた。
「いいんだよ、私はもう十分に生きた。これがきっと私の役目じゃろうて」呼吸を整えながら、フミが言った。
「フミさん、俺まだあんたに何もしてあげられてないよ」
「いいさね。子供なんてそういうものさ。その成長していく姿を見せてくれるだけでいんだよ」
「……ごめんよ、フミさん」
「そうでもない。まんざらでもないさね。若い子の腕の中で抱きしめられながら、死ぬのものね……」
フミは軽くウィンクしてみせた。それは若かりし頃サーカス団で大いに観客を魅了した、チャーミングな看板女優の笑顔だった。
228 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 11:06:49.03 ID:RpurUAgn
(8)
ハートは拳銃を持っていない手で、思わず嗚咽がこみ上げる自分の口を押さえた。その瞬間をキングは見逃さなかった。
ハートの拳銃を平手で叩き落し、すばやく奪い取った。キングの拳銃はハートの足で押さえたままだが、それを拾い上げる前にキングに撃ち抜かれてしまうだろう。
キングは拳銃をひらひらさせた。
「これで逆転だな。お二人さん。スペードはそのばあさんを抱えたせいで両手が使えない。ハートは足元の拳銃を拾い上げるにはとても間に合わない。どうだ? 論理的だろ。これが大人なんだよ。もう諦めな」
スピードはその言葉に逆らうように、事切れたフミを両手でしっかりと抱え上げた。
「それがそうとも限らないんだ、キング」
「な、んだと……?」
「お前からは見えなくても、存在するものは確かにある。お前の言葉を借りるなら、生きる意識ってやつかな。俺はそれを持っている」
「ほう、そうかい。それは残念だな。そのせっかくの芽を俺が摘み取ってしまうんだからな」
キングは残忍な目を光らせる。それはもう、スペードの思い出の兄貴ではなかった。ただの獣のぎらついた目だった。
「いや、お前には見えていない」
雷霆のような銃声が鳴り響いた。フミを持ち上げる両手の下から、煙が立ち昇った。
「こういう持ち方だってあるだろ。角度的に見えなかったとしても、それは存在する。大人の上からの目線からだと死角になって、見えなかったんだろうよ」
フミの体をゆっくりと床に下ろす手には、しっかりと拳銃が握られてた。
「なるほどな……旧式のリボルバーと違って、自動拳銃なら、銃身の上に何があっても撃てるってわけか。見事だ」
それだけ言うと、キングはよろめきながら手すりの近くへ向かった。
「最後は決めてあるんだ。それが定めだろう。自分のことぐらい自分で殺させてくれよ、なあ、スペード」
キングはふっと笑ったかに見えた。最後の瞬間に人間らしい感情を取り戻したのかもしれない。
キングは夜の海へ吸い込まれていった。その後には、静寂だけが残された。
「スペード……」
ハートが胸に飛び込んできた。彼女の体を、フミと同様に強く抱きすくめる。
229 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/13(月) 11:07:18.99 ID:RpurUAgn
(9)
「フミさん、ありがとう」ハートが泣きながら言う。「スペード、私たちはこれからどうなっちゃうの?」
「それは俺たち次第ってことだろう。戦わなきゃ守れないものがあるなら、俺は戦い続ける。決して自分の運命を諦めたりはしない。決してだ。最後まであがき続けてやるさ」
「それも悪くないわね。じゃあ、戻りましょう。ここは寒すぎるわ……んっ、ちょっと待って。こんなときに……」
ハートは苦笑しながら、携帯端末のフィルムを見せた。
「ねぇ、この質問にはどう答えればいいかな? しかもこれ、ハイ/ローじゃなくて、ハイ/イイエになってるわよ。壊れちゃったのかしら」
『質問――ここは、あなたとあなたの隣の人しか存在しない世界です。あなたは隣人と共に歩み、世界を繁栄させていこうと思いますか?』
二人は互いの顔を見合わせ、そして端末の回答ボタンをじっと見つめた。
せーのっ! 二人は掛け声に合わせて、同時にボタンを押した。
答えはもちろん――決まってるだろ?
Fin
230 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/05/13(月) 18:33:21.02 ID:Fz5lUon7
うわあああああ
stream先生が帰ってきたよー!
+。:.゜ヽ(´∀`。)ノ゜.:。+゜
これから出かけなきゃいけないから後で読ませてねー。
おかえりー!
231 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/05/17(金) 18:15:07.24 ID:Rdh9JWuF
ヾ(´^ω^)ノ わーい面白かったよー。
いつもよりは推敲する前のスケッチみたいな段階の作品なのかなあ。
練り込んだら良作になる予感!
俺は日頃小説を読まないけど、こうやってstream先生の作品を読むようになって発見したことがある!
物語の面白さって、長さ自体はまったく無関係だね。その物語の世界に
浸れるかどうかで面白さの半分以上が決まると思う。
昔アルジャーノンに花束をは短編も長編も両方読んだけど、
長編は短編の持つ斬新さや鮮烈な儚さや切なさが失われて極端につまらなかった。
それもきっとその世界に引き込む力の差だよね。
232 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/05/20(月) 12:38:57.99 ID:adoGlCRW
三日月丸さん、レスありがとうございました。
いつもながら示唆に富み、とても助かります。
アルジャーノンに花束を、名作ですね。
書き込み規制でしょうかね。。気配がない。。。
さて、ラノベの長編(ジャンル的には勇者ものですかね)がようやく完成しました。
今度、何かの折りでもご紹介できたらと思っています。
それでは。
233 :
Trader@Live!:2013/05/28(火) 19:57:08.62 ID:9IsATeUb
∩(゜∀゜∩)age↑
f
やっとアク禁解除された〜
stream先生、新作楽しみに待ってます!
236 :
Trader@Live!:2013/06/05(水) 14:33:10.53 ID:gSNB6mfx
解禁age
237 :
Trader@Live!:2013/06/10(月) 22:39:18.72 ID:09aal+EP
┌─────┐
│ │
│ 目次
>>198 |
│ │
(ヨ─∧_∧─E)
\(* ´∀`)/
Y Y
238 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/06/19(水) 15:56:11.89 ID:dpqI7nEg
ご無沙汰しております。
ここまでの作品のいくつかを「小説家になろう」というサイトへUPしてみました。
http://mypage.syosetu.com/344933/ お時間のあるときにでも、足を運んでいただけますと幸いです(評価などもいただけると励みになります)。
また書いてみたいテーマが、ふつふつとわき上がっている次第です。その際には、よろしくお願いいたします。
※長編の執筆を、長々と続けており、文筆活動はずっと続けております。
それでは、またお会いしましょう ノシ
アク禁解けたぞな
240 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:42:26.98 ID:eB+PB8ve
『The Earth』
敵が悪魔だったらよかったのに。
それなら、まだやり返すことができた。
だが、よりによって……。
――靴磨き少年のつぶやき
(一)
地球が終わった。
いや、決して誇張ではなく、自分の中でたった今、終わりを告げたのだ。
証拠金維持率? それは一体、俺の何を維持しようと言うんだ。肉体と精神からあらゆるものを奪い尽くしても、まだ足りないというのか。
いいだろう、この身をささげようではないか。為替市場という魔物に、哀れにも骨まで食い尽くされたこの身でよければ。
俺は、FXの口座残高がゼロになるのを見定めると、商売道具であるタブレット端末の電源を落とした。もう二度と、この画面を目にすることもないだろう。
短い夢だった。はかない夢だった。幾ら後悔しても、時計の針を戻すことはできない。それならば、誇りを持って前へ進もう。身支度は、思ったよりも簡単に済んだ。
――目の前に広がる光景は、線路でもなく、樹海でもなく、ましてやビルの屋上でもなかった。
たとえこの人生において、ヒーローになれなかったとしても、人に迷惑をかけるほどに落ちぶれちゃいない。
この健康そのものの肉体が無駄になってしまうのは、実に惜しまれるが……俺は断崖絶壁を終の場所に選んだ。
水彩絵の具を混ぜ合わせ、それを一度にぶちまけた場所。崖下をのぞき込んだ最初の印象がそれだった。
水しぶきはちっとも白に見えなかった。全てが暗黒で彩られた奈落の底に見えた。
「おーい、俺はここにいるぞー!」
無性に叫びたくなった。最後に地球に一泡吹かせてやりたかった。もちろん地球は、俺のようなちっぽけな存在を、丸のみしたことすら気づかないだろうが。
膝が震えた。これから夏を迎えるのだから、寒さからくるものではない。そして、膝だけではなく、全身が震えた。
巨大な力で遠くまで引きちぎられるようだった。地面にへばりつき、その恐怖の風がやむのを待つ。それでも一向にやむ気配はなく、吹きすさぶ一方だった。
やがて、ひとつの考えが首をもたげてしまった。この風に乗って飛んでいこう。
そうだ、それがいい、と。
俺の意識は、宙を舞った。羽を持った天使でもないのに。
そして、意識の根源もろとも、盛大な波しぶきとともに砕け散った。
241 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:43:28.89 ID:eB+PB8ve
(二)
思ったより明るい場所だな、これが天国だったら意外に悪くない――それが第一印象だった。
そして次に、このことを誰に話そうかと思い悩んだ末、落胆した。どのみち、話す相手はロクにいなかったのだ。
目が光に慣れていくにつれ、二つの塊がこちらをのぞき込んでいることが分かった。
一人は男性で、白衣を着ていた。もう一人は、控えめのボーダー柄を来た……女の子か。
ネイビーと白のバスクシャツを着た少女は、自分よりは年下に見えた。なぜか次第にはっきりしていく頭の中で、そう見つくろった。
「うむ、よかった、大きなけがはなさそうだ。まだ若いのに、むちゃをするのう」
「お父さん、この人は崖の前で倒れてただけなんでしょ? 勝手に決めつけちゃ悪いわ。幾ら、あそこが名所だからって……」
うっすらと目を開きつつ、意識を失っているふりをするのも、なかなか面倒に思えた。ならば、ひと思いに動いて見せよう。きっと、彼らは驚くはずだ。
体は……動く! うん大丈夫だ、死んでしまったわけでは、なさそうだった。なぜか素直にほっとした。人間というものは、やはりそういうふうに作られているのだろう。
「おっと、無理はしないでくれ。自分に何が起こったのかよく分かっていないんだ。私の専門はロケット工学だから、体についてはよく分からん。
さて、これから医者に連れて行こうと思うが、それでいいかな?」博士風の中年男が、口ひげを触りながら言う。
少し困った表情を浮かべていると、バスクシャツの少女が言った。
「もしかしたら、おなかがすいてるのかも! 私、何か作ってくるから待ってて」そう言うなり、小走りで姿を消した。
「え、えっと……すいません。何か偉い御迷惑をかけてしまって」
「いいんだよ、別に。まだ若いのにそんなこと気になさんな。それより、うちの娘の手料理は期待していいぞ。食べ過ぎて、逆におなかを壊さないようにな」
父親と見られる博士のセリフは、ちょっとした皮肉かと勘ぐったが、額面通りのものだった。
黄身がとろりと溶け出すオムライスに、じゃがいもの冷製スープ――ビシソワーズ。プリップリの小エビをのせた、カクテルサラダが彩りを添えた。
死のうとしていた人間とは思えないほどの食欲を披露し、博士と娘を驚かせた。
「こんな、おいしいもの生まれて初めて食べました……あれっ? どうしたんだろ、おかしいな」
俺のほほを、大粒の涙が伝った。そんなつもりはなかった。
家庭的な雰囲気がささくれだったこの身に染みたのか、それとも他人の愛情に触れることで、思わず心が動かされたのか。
ただそれが、今までに流したことのない、不思議な涙だったことは間違いない。
242 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:44:22.07 ID:eB+PB8ve
(三)
体力が回復するのには、それほどの時間はかからなかった。何しろ、崖から飛び降りたわけでは、なかったのだから。
娘のリオはこれまでに出会ったことがない、とても気さくな子だった。俺のことを買物に付き合わせては、荷物も平気で持たせる。
そのくせ、その買い込んだものを使って、手の込んだ料理で丁寧にもてなしてくれる。不思議なことに、俺の好物ばかりが食卓に並んだ。
数日間のほどよい居候の後、俺はその家を出る決意をした。
博士を名乗る父親は、ロケット工学の権威と聞いた。しかし、栄光と没落の荒波にもまれ続けた結果、今はそれが嫌になって学会からは遠ざかっているそうだ。
リオは、そんな父親の研究をかいがいしく手伝っている。小型のロケット開発については、その特許だけではなく既に試乗実験も済んでいると言う。
国からベンチャー科学者への投資が流行した頃に、その礎を作ったのだ(現在は、その頃の余剰資金で細々と暮らしている)。
「本当に、お世話になりました。このお礼は必ずしますので。また、何かの折にでも」
すっかり回復したところを見せるために、両腕をグルリと回して見せた。細身の体で、無理に背伸びしている俺に対し、リオは小さく笑顔を作った。
小奇麗な玄関で、博士が口を開いた。
「ふむ、もし、君がよければじゃが……。宇宙飛行士の試験を受けてみないかね?」
「はいっ!?」俺とリオは、同時に言った。
博士の説明は、およそ自分には似つかわしくないものだった。少なくともこれまでの人生においては。俺は、余り日の当たる道を通ってきたという自信はない。
その俺を、いきなりスポットライトが降り注ぐステージに引きずり出そうというのか。
――面白い。
どうせ、一度は捨てた身だ。その日から早速、無謀な挑戦へ向けての訓練が開始された。
243 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:45:15.76 ID:eB+PB8ve
(四)
トレードマークのバスクシャツから、きゃしゃな鎖骨のラインをのぞかせて、リオが言う。
「とても大変な試験があるのよ。適性検査に加えて、その試験に合格しなければ、宇宙飛行士にはなれない。とても厳しいものなの――メンタルテストって呼ばれてるわ」
「へえ、精神的なテストねぇ。何か懐かしい響きがするな。そいつはさておき、結局のところ宇宙飛行士になるには、何が一番大切なんだい?」
俺は余裕を持った笑顔で尋ねる。もとより、これ以上失うものはないのだ。
「そうね、決め手は……愛じゃないかしら」リオはいたずらっぽく笑って見せた。
「えっ? それって、宇宙に対する愛ってこと? それはどうかな……。でも、俺は海の藻くずにならないで、こうして大きなやり直しのチャンスを与えられたんだ。
まるで、ロスカット寸前からのプラス転換だよ。すごいことさ。そうなると、愛は芽生えてくるかな」
「えっと、何? そのロスカットとプラス転換って話?」きょとんと、猫のようにつぶらな瞳で言う。
「いや、いいんだ。何て言うか……昔の話さ。そういうことにずっと夢中になっていたけど、やっぱり俺には合わなかったんだ。うん、忘れてくれ」
宇宙飛行士には、肉体的な筋力や持久力はもとより、多大な項目への適正が求められる。動体視力の検査や、宇宙食との相性。
論理的思考を持ち合わせて、問題を解決していく能力も必要だ。
不思議なことに、俺はそうした(博士が用意した)予備試験を次々とクリアしていった。キツネか何かにつままれているように感じたが、それはさほど気にならなかった。
博士は小型宇宙船の製作以外に、宇宙飛行士の育成も過去に行っていたそうだ。つまり、それに沿った訓練を行っているから順調なのだと自分を納得させた。
何かを手に入れると、何かがこぼれ落ちる。俺のこれまでの人生はそんな感じだった。
そして、降って沸いた幸せの日々に手がかかったとき、そのサイクルが訪れた。
始めに、まるで空襲警報のような、聞いたことのない音が流れた。その音は、テレビに特殊な機能として組み込まれていた。その音を流すのは、後にも先にも一度きりだと言う。
「全国民の皆様へ、臨時ニュースをお知らせいたします。ただ今、地球へ軌道を向けた、巨大な宇宙デブリの存在が確認されました。これは、国防総省からの情報です――」
不気味なサイレン音を発した後、世の中の映像を出力する機器は、そのニュースを伝え始めた。宇宙デブリとは、宇宙に漂うゴミのことで、人工衛星の残骸などを指す。
そのデブリのひとつが核を成して、巨大ないん石ほどの大きさに膨れ上がったという話だ。
日本語、英語、アラビア語――あらゆる国の言語で、たったひとつの内容を伝えていた。
――地球がごく近いうちに、宇宙デブリの衝突により滅亡することを。
244 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:47:00.26 ID:eB+PB8ve
(五)
数週間前の自分が、同じニュースを聞いたらどう思っただろう? 恐らく、両手を上げて喜んだはずだ。
何せ、この世の中に対して失望――いや、絶望していたのだから。
「ねえ、地球最後の日も大体分かったことだし、映画でも一緒にどうかな?」
リオの誘い文句に、俺は苦笑いするよりなかった。断る理由がみつからなかったからだ。
博士の家は、町から少し離れている場所にあるので気が付かなかったが、町の光景はすっかり様変わりしていた。営業している映画館など一軒もなかった。
それはそうだろう――誰が好きこのんで、地球が終わる間近に働こうと言うのだ。
冷めて固くなったハンバーガーのような町並みに、何も魅力は感じられなかった。そんな、廃虚の一歩手前のような光景を目にしても、彼女は動じていないようだった。
「うーん、困ったな。それじゃあ、代わりに別のとこに行こっか?」彼女は、淡いくり色のポニーテールを揺らした。
やはり彼女は変わっていた。どこをどうすれば、向かう先が刑務所になる?
冷房などは、かなり前に切られたのだろう。真夏を迎えた、うだるような暑さがまん延していた。当然のように、看守はいなかった。
人間の生命力には目を見張るものがある。俺とリオの姿が、いわゆる牢屋越しに見えた途端に、受刑者が声を上げた。
〈おいっ! 助けてくれ! もう地球は終わっちまうんだろ? だったら、せめて家族の元へ帰らせてくれよ、お願いだ!〉
〈チキショウめ! どうせ、あたいたちの間抜け面を拝みに来ただけなんだろう。この腰抜け! 何も取って食ぃやしないよ。
食ったってその後にはおっ死んじまうんだろうからさ! 早くこっから出しやがれ!〉
二人の囚人から罵声が飛んだが、思ったほどの数ではなかった。この二人以外は、息絶えているのだろう。生き残ったこの二人の生命力には、目を見張るものがある。
リオはテキパキと行動を開始した。まるで最初から決めてつけていたように。
どこからともなく牢屋の鍵を入手してきたかと思うと、世間から見捨てられたその二人の牢を開けた。
「おいっ、リオ! いいのか、そんなことをして?」俺は、彼女を名前で呼ぶようになっていた。
しかしその心配は的外れだったようで、牢を開けられた二人の方が、驚いている始末だった。
「おー、助かったよ。若いねえちゃんと、暗そうなあんちゃん! 早速、家族の元へ帰らせてもらうな、ありがとよ!」
丸坊主が伸び放題になった男が、声をかける。
「マジで? あんたたちはいいヤツだよ、本当。間違いなく長生きするよ!」
女の囚人が、原型のないソバージュをなびかせて言った。自分では、気の利いたジョークを言ったつもりらしく、ケタケタと笑っている。
彼女たちも当然、宇宙デブリのことは知っているのだ。
二人の囚人におびえるでもなく、リオは言った。
「本当は家族なんていないんでしょ、二人とも。いたら、とっくにその人たちが助けにきてるはずじゃない。
ボーズさんとソバージュさん。私たちはそれほど、いい人じゃないかも知れませんよ。だって、あなた方二人にお願いごとをしに、きたんですから」
リオは、犬の散歩でも頼むかのような気軽さで、そう言った。
245 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:47:55.56 ID:eB+PB8ve
(六)
ボーズ男とソバージュ女は、リオに従うより他なかった。というより、余りに腹をすかせていたため、文字通り彼女のおいしい話に食いついたのだった。
その日の夕食は、一段とにぎやかなものになった。腹ぺこの男女二人は、次々と運ばれてくる手料理を、喉を鳴らして胃に押し込んでいた。
せわしなくしゃべり、お酒もたいらげた。まるで海賊の宴だった。博士もリオも、そして俺もこの奇妙な夕食を大いに楽しんだ。ある文脈において、最後の晩餐と言えたのかもしれない。
宴が終わりを見せる頃、博士が本題を切り出した。
「お二人とも、もうお気づきかと思うが……。実は、折り入った頼みごとがあるんだ」
「何だい? こんなにたらふく食べさせてもらった後なら、何だって聞いてやるぜ」とボーズが誇らしげに言う。
「どうせ、そんなこったろうと思ってたけどさ。早くお言いよ。あたしら、スネに傷を持つもんに手伝えるんなら、やってやろうじゃないか。どうせ、残りわずかの命なんだから」
ソバージュが、あおるような口調で言う。
「おお、そうだ! このことは、君にも関係することだから……一緒に聞いてほしい」
俺は少々面食らった。この二人を連れ出したのが、何やら計画的に思えたてきたからだ。もしそうだとしたら、その計画に最初から自分も組み込まれていたのかもしれない。
すると、少し気が重くなった。
「三人には、この地球を救う任務をお願いしたいと思っている。わしが開発した宇宙船に搭乗し、例のデブリを撃墜してほしいんだ」
「はぁ?」ボーズとソバージュが同時に言った。俺は言葉を失ったようになり、同時に合わせることはできなかった。
その日から、訓練に二人も加わった。コーチはリオが勤め、川沿いの土手をひたすら走った。リオは自転車に乗ってゲキを飛ばした。
刑務所上がりの二人は、なぜか体力的に文句のつけようがなかった。恐らく、塀の中でもきちんと鍛えていたのだろう。
「おい、あんちゃん。どうした? まだ若いのに、もうへばっちまったのか?」
「ホント、情けないわねえ、坊や。夜の方も、すぐに駄目になっちゃう口かい?」
クッソウ! 一番後方を走りながら、俺はそうつぶやいた。それでも、なぜか顔は笑っていた。きっと、こんな自分でも頼ってくれる人がいて、仲間と思える身近な人がいるのが、うれしかったのだろう。
遅かれ早かれ、人は皆死ぬのだ。そして、地球滅亡の時期まで明らかになっている。今から一週間もないだろう。だったら、最後に一花咲かせる機会が与えられたのは、幸運と思わなくてはいけない。
ロスカット寸前からの復活劇さ――自分の好きだったFXになぞらえた。
246 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:48:45.52 ID:eB+PB8ve
(七)
数日の特訓だけでも、十分に成果を上げることができた。
博士は、今回のミッションにおいてもっとも重要なことを端的に示した。
「いいか、三人とも、よく聞いてくれたまえ。一番大切なのは、メンタルの強さ、すなわち精神力だ。宇宙船には、デブリを打ち落とすだけの装備は積んでいる。
だが、最後の最後に、勝負を決めるのは心の強さだということを肝に銘じてほしい」
「なるほど、そんで、俺っちが選ばれたわけだ。確かに、死を一度覚悟した死刑囚なら、うってつけだ。健康で、肝が据わってるのが条件ってわけだ」
ボーズは、そのとき初めて自分の罪の大きさを明かした。俺は、あえてその類いのことは聞かないようにしていた。
「あたいも、その口か。でも、このあんちゃんは? どう見てもハートが強い、タフなタイプには見えないけどな。いざってときに、縮こまっちゃうんじゃないの?」
好物のローストチキンをほおばりながら、ソバージュが言う。
俺は確かに、健康はともかく自分の精神力に、絶対の自信があるとは言えなかった。
ただ、待てよ? 俺はメンタルを必要とするトレードを、生きがいにしてたじゃないか!
「大丈夫よ、きっと。私が太鼓判を押すから」俺の代わりに、リオが言い放った。
その言葉に、俺はこれまでの人生全てを認めてもらった気になった。その瞬間に心が決まったと言っていい。この子のためなら、何事でもやり遂げられる――そんな気がした。
「だが、わしの船に乗るからには、最後に困難な試験をさせてもらう、そのつもりでな」
それから、瞬く間に数日が過ぎ、やがて出発の朝を迎えた。
この数週間は、正に夢のような日々だった。ボーズやソバージュとは、本名を聞かずとも仲良くなれた。きっと地球が終わるときに、争いをする人などいないんだろう。そんなことを思った。
博士はすばらしい人だった。私費を投じて作り上げた小型宇宙船三機は、想像したものよりはずっと小さかったが、それでも見事なものだった。
リオは――どこだ? 俺は早朝から彼女の姿を探した。俺の気持ちを打ち明けたら、君はきっと笑い飛ばすことだろう。たった数週間なのに、随分とほれっぽい人なのね、と言って。
しかし肝腎な別れの朝に、彼女の姿はなかった。残りわずかの時間で宇宙へ旅立たなければならないと言うのに。デブリの衝突は、今日の深夜になると聞いた。
すると、後ろから大きく右の手首を捕まれた。
リオだ! 俺の手を引き、町の方へと駆け足で下っていく。町は、既に廃虚になっていた。実はもう、守るべきものなんて、ないのかもしれない。
博士の家のある丘から大分離れた場所にきて、ようやくリオが口を開いた。
全力で走ったので、彼女の息も大きく弾んでいる。
「ねえ、逃げましょ。もう、これ以上あなたにウソを突き通せないの! あの宇宙船はね……」
「何だい? 何があるっていうんだ? 博士が作った、立派なものじゃないか。あの丸っこいのに乗り込んで、ミサイルか何かで打ち落とすだけだろ。三人もいれば、何とかなるから心配すんな!」
「違うの……あの宇宙船はね……」リオは今にも泣き出しそうな顔で、呼吸を整えながら続けた。
「帰りの燃料は、一切積んでないのよ!」
247 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:51:07.84 ID:eB+PB8ve
(八)
俺はしばらくの間、彼女の表情を見つめていた。もちろんそれは、見納めになることが分かっているからだ。
「そんなことか、リオ。だったら大丈夫だよ。そんなことは分かってたさ。だから、俺が選ばれたんだろ。一度自分の命を粗末にしてしまった……そんな俺なら適任だって。俺が崖から飛び降りようとしたときに、麻酔銃かなんかで、博士が後ろから止めてくれたんだよな、きっと」
「気づいてたの……。でも、だからと言って、あなたが……やるべきことじゃない」
「大丈夫さ、リオ。俺の決心に揺るぎはない。守ってあげたいんだ。地球じゃなくて、君のことを。あっ! もちろん、博士のこともだよ」
リオは半分泣きながら、その付け加えた冗談に笑った。俺は言う。
「こういうときって、ヒーローは何て言えばいいんだろうね。もう行かなくっちゃ、とかかな?」
「まるで新米のヒーローさんね。じゃあ新米のヒロインの私は、こう言えばいいのかな? お願い、どこにも行かないでって……」
二人の影は、立ったままそっと重なり合った。
世紀末の町並みにふさわしくないほど、人間らしい光景だった。
「おっせーぞ! あんちゃん。何やってたんだよー」
「そうよ、こんなのちゃっちゃと終わらせて、またリオちゃんのうまい料理を食べに戻ってこなきゃー」
二人は簡素な宇宙服に身を包み、すっかり待ちくたびれた様子で言った。
博士から操作の説明を受けたが、離陸するまでは半信半疑だった。
大気圏突破用のロケットが打ち上げられ、そこに三機の小型宇宙船がぶら下がった。
そして大気圏を軽々と超えたときには、博士の腕に信頼を寄せ、撃墜の成功に確信めいたものが生まれていた。
「さあて、いっちょ、デブリさんをぶっ飛ばしてやりますか!」
248 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:51:59.07 ID:eB+PB8ve
(九)
宇宙空間は、黒くて冷たいものであると同時に、何とも形容しにくいものだった。
自分の想像をはるかに超える深い闇は、生物の理と万物の真理を鮮明に映しだしていた。
「ガキの頃に見たアニメにこういうのあったよな! あんちゃん、聞こえるか!」
宇宙船の通信機は、使い物にならなかった。そこまでのテストは、間に合っていなかった。
「ふう、あたいもとうとう、ここまで来ちまったか。リオちゃんの読みは外れで……こう見えて、ガキがいたんだけどね。まいっか、これがうまくいきゃ、あの子にたんまり金がいくみたいだからさ」
ソバージュも通信機が使えないのが分かると、自分に向けて、大きくため息をついた。
照準を合わせて、デブリの中央めがけて……トリガーを引く。失敗は許されない。チャンスは一度きりだ。
ふと、窓から宇宙の姿を見た。すると、見慣れた国旗をペイントした機体群が目に飛び込んできた。あれは……! アメリカの国旗、NASAか! それに、実に頼もしい日の丸もあった。
昔取ったきねづかのおかげで、どこの国旗かはスラスラと分かった。ユーロ諸国にイギリス、オーストラリアとニュージーランド。えっと、あれはスイスにカナダか! アフリカ国旗を貼り付けた宇宙船まである!
俺は思わず涙ぐんだ。交信はできないが、そこに確かな地球の仲間がいるのだ。姿は見えないが、アメリカの飛行士などはきっと、こちらに向けて親指を上げたポーズをしているに違いない。グッドラック、と。
――もっと、時間に余裕があると思っていた。宇宙観光とはいかないまでも、相応の時間があると勝手に思っていた。しかしそいつは突如、目の前に現れた。
確かに、地球めがけて接近しているのだから、そんなに遠くにあるのもおかしな話なのだが……それにしても急過ぎる。
巨大なデブリは、正に廃虚だった。小惑星や人工衛星のガラクタを吸着し、人類を滅ぼすための鉄ついを兼ね備えていた。ここまで大きい物体を、こんなちっぽけな宇宙船のミサイルで撃ち落とせるものなのだろうか?
一瞬の出来事だった。細かく浮遊している無数のデブリが、俺たちを除いた諸国の宇宙船に向かって吸い寄せられた。まるで静電気で吸い付くゴミのように。
そして、各国の宇宙船はなすすべなく視界を塞がれ、宇宙ゴミの一部として取り込まれていった。俺たちの機体は、博士が施したアースガードのような仕組みで、たまたま難を逃れた。
その惨状を見かねてミサイルを発射したのは、ソバージュだった。声が聞こえないのにも関わらず、「こんちくしょう! いっけー!」というかけ声が聞こえてきそうだった。
彼女の放ったミサイルは、確かに命中した。しかし、破片を生み出しただけで、それ以上の効果はなかった。そして、全てのツキに見放されたかのように、その流星群が彼女の宇宙船を直撃した。
ボーズはきっと、慌てたのだろう。飛び散ったデブリの破片に対してミサイルを発射した。大きな破片は更に小さな破片となり、散弾銃のように彼の宇宙船を直撃した。
二人の機体は音も、光も出さすに、無情に砕け散った。
期待から絶望まで切り替わる時間は本当に短く、あっけなかった。俺はどこかで、そんなはかない世界を体験してきた気がした。
一人取り残された俺は、ある選択をした。宇宙に飛び出す前から、思い描いていた構想だ。昔好んだ言葉を使うなら、リスクを計算しておき、最悪の状況に備えておく――リスクヘッジだ。
――俺は、ミサイルを発射することを止めた。
249 :
stream ◆7BCqQNeXLU :2013/07/19(金) 11:52:46.26 ID:eB+PB8ve
(十)
博士とリオが、家の外の丘にたたずんでいた。
「本当にすまなかったな、リオ。彼らをだます片棒を担がせてしまって……。本当に申し訳ない」
「いいのよ、お父さん。あの人たちは、知っていたのよ、帰りの燃料がないことについて」
「そうか、それならば……。でも、あのことについては、彼をだましたことになる。本当にすまない。あんなかたちでしか、最終試験をできなかったことを許してくれ、リオ。
メンタルの強さ、信念の強さを測るために、あれしか思いつかなかったんだ」
博士は肩を落とし、空に祈るように言葉を絞り出した。
「一緒に逃げようって、彼の手を引いて、その決心が本物かどうかを試したこと? あれは確かに、だましたことになるなぁ。でも……」
リオは一呼吸おき、満足げな表情で言った。
「私がだましたのは、お父さんになるかな。もし、彼が逃げようって……それでいいって言ったら、私は喜んでついて行ったから……」
博士はその言葉を聞き、ゆっくりとうなずいた。
「そうか……お前は、真剣に彼のことを……」
父親は娘を見て、目を細めた。そして、再び空を見上げた。
巨大なデブリの中央に、ミサイルを積んだままの宇宙船が命中した。
その爆風でデブリは損傷し、大きく軌道を変えた。破壊はできなかったが、少なくとも地球への激突は免れた。
宇宙船は跡形もなかった――不思議と、宇宙の藻くずとなるような小さな破片も残らなかった。
リオは、宇宙に向かってつぶやいた。
「ありがとう――私の素敵なヒーローさん」
地球上の全てのひとが、それぞれの都市から感謝をささげるように空を見上げた。
南の空に、一際明るい星が見えた。
Fin
250 :
Trader@Live!:2013/07/20(土) 00:26:52.98 ID:Rqc5xJ5V
age
メントスコーラに見えた
252 :
三日月丸 ◆u16xjoLub8vy :2013/07/20(土) 14:56:42.10 ID:46KLSNZ/
>>240-249 粗削りではあるけど、このスレの名作ショートショート上位に入る傑作だね!
良い意味で飛躍する展開が楽しい。でもなぜか目から汗が。。
stream先生いるー?
小説家になろうのサイトの連載、続き読もうとして今開いたらアカウント削除されてたよ(;△;)
規約違反なんて無かったよね?どういうことあのサイト。。
254 :
Trader@Live!:2013/08/20(火) 01:05:41.38 ID:sgpy1lfg
age
stream先生は●持ちじゃないよね?
いま●持ちの個人情報流出で祭り状態だからもし●持ちなら2ch内調べて対策してね。
あと元気にしてますか?
またね!とも言えずに去ってしまって、ちょっと寂しいよ。