真々・スワップ派のFX

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559山葵の2月2日 その2
真・スワップ派のFX part4
458 :Trader@Live![sage]:2013/02/02(土) 15:17:13.24 ID:jiO9Iury
 そういう場面に出くわすとは、考えたことさえ無かった。その強烈無比な想像力、どの位強力かというと、小学校に入った途端、
隣に座っていた女の子と結婚して幸せな家庭を築き「お帰りなさい、あなた」なんて言われちゃってる場面を想像したくらいである
のだが、そういう想像力をもって知られる私である。意表をつかれる事態に出くわすことなどひどくまれなことなのだ。むしろその
想像がめったに現実化しないということの方が問題なのだが、それでも時として予想外のケースは訪れる。

 目が覚めたら、家のなかが水浸しだったのだ。いや、水浸しなどというものではない。水の中にベッドがある、といったほうが正
確だ。玄関の扉のすき間からごうごうと水が流れ込み、昨夜その辺に脱ぎ散らかしておいた衣服が、ぷかぷかと漂っている。ふと、
「床上浸水」という言葉が胸に去来した。ああ、これがそれか。浸水具合は床上十数センチというところだが、流れ込んできた水は泥
で濁っており、もはや畳は見えない。あはは。床上浸水だよ。

 思えば、昨夜は雨であった。夢うつつにトタン屋根を雨がたたく音を聞いたような気がする。夜の間の集中豪雨に、下宿周辺の排
水能力が限界に達し、このありさまになったものだろう。学生向けのぼろアパートだという認識はあったのだが、まさかこのような仕打ちに会うとは思わなかった。

 せん方無く、私は部屋を観察した。普段暮らしていると、ベッドの下、テレビ台の裏、タンスのすき間などにいろいろな物がたま
っていくものである。コンビニの袋、仕掛けておいたゴキブリホイホイ、読み捨てた雑誌等々。そうした暮らしの垢のような、澱の
ような品々が、寄せては返す濁流にその隠れ場所を暴れ、部屋の中央を我がもの顔でたゆたっている。ああ、あれはスリッパだ。片方
なくなったんだよな。お、隠しておいたビデオテープじゃないか。ビデオテープって浮くんだな。

 とにかく脱出しようかな。そう決断しかけて思い止まった。考えてみれば、この水は相当得体のしれない水ではないか。雨水が主
成分であることは確かだが、そこにいろいろなものが溶け出している。最も厄介なのは下水であろう。昨日出したものとかが、その
辺に混ざっているはずなのだ。そのうえ、トガったものが水中に転がっていないとはだれにも保証できない。足の裏に庖丁がぶっす
り突き刺さって、そこに下水がざばー。い、嫌だ。破傷風必至ではないか。そう考え出すと、ざぶざぶと水をかき分けて表に出るこ
とはとてもできなくなった。幸い、いまのところこれ以上水位が上がる気配もない。しばらくこのまま様子を見ることにしよう。

 実は大阪でこのような事態になったのは二度目である。一度目は、今とは違う下宿で、秋の台風シーズンだった。夜半、あまりの
強風にカワラが天井ごと引っさらわれてしまったのである。夜中のことでもあり、いかにも打つ手無く、ふてくされてベッドに仰向
けに寝ころんだ私は、ドウドウと雨の降り込む天井を見つめてある境地に達していた。所詮この世は夢まぼろしである。松尾芭蕉も
言っている。衣服は破れておらず、宿は雨漏りしないことをもってよしとすべきであると。ということは、これはもはや宿ではないわけだが。
言っている。衣服は破れておらず、宿は雨漏りしないことをもってよしとすべきであると。ということは、これはもはや宿ではないわけだが。
言っている。衣服は破れておらず、宿は雨漏りしないことをもってよしとすべきであると。ということは、これはもはや宿ではないわけだが。
言っている。衣服は破れておらず、宿は雨漏りしないことをもってよしとすべきであると。ということは、これはもはや宿ではないわけだが。
言っている。衣服は破れておらず、宿は雨漏りしないことをもってよしとすべきであると。ということは、これはもはや宿ではないわけだが。
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言っている。衣服は破れておらず、宿は雨漏りしないことをもってよしとすべきであると。ということは、これはもはや宿ではないわけだが。