巨人小笠原、テロ10周年に悼む

このエントリーをはてなブックマークに追加
1>>2まで
2011年9月11日。NY同時多発テロからちょうど10年が過ぎた。
世界を包む悲哀は、あの畜生さえも抱え込む。
目を閉じて犠牲者に思いを馳せる。知らず、陰茎に涙が浮かんだ。顔にはお馴染みの下卑た笑みをたたえ、カッスは10年前の悲劇を悼んでいた。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子ども。そして遺族たちの絶望に満ちた表情。当時世界中に発信された映像を頭に描き、何度目かの絶頂を迎えて、少しだけカッスの体が震える。
余韻に浸りながら、はたと気付く。10年前の自分は何をしていたのか?
飛行機がビルにぶつかった瞬間は覚えているのに、10年前の自分を思い出すことができない。
記憶を辿ろうとする。頭痛を覚えた。顔をしかめながらなおも辿る。痛みが強くなる。それでも辿った。記憶の混沌からやっと掴んだ映像は、東京ドームの左打席から見るグラウンドの様子だった。
安堵する。やはり自分は野球をしていた。
マウンド上には松坂大輔や黒木知宏、ペドラザ、西口文也・・・懐かしい顔が入れ代わり立つ。
そしてまた思う。なぜパリーグの投手ばかりなのか?10年前は交流戦はない。巨人軍の選手である自分は彼らと対戦する機会は乏しかったはずだ。
思考は目まぐるしく展開する。交流戦の開始が6年前であることは覚えていても、6年前の自分を思い出すことができない。頭が痛い。