NHK教育を見て29665倍賢くセンター試験まで後少し

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43外国人参政権法案断固粉砕
 天安門広場で学生たちのデモが始まる直前、ポーランドで自主的な労働組合の存在を政府が正式に認め、六月に選挙をおこなうことが決められた(中略)。
 ポーランド共産党はマスメディアを支配し、選挙の仕組みを共産党に絶対有利なように定め、十二分の手だてを講じたにもかかわらず、勝つことができなかった。
共産党の支配体制はずるずると崩れはじめた。
 つぎは東ドイツだった。市民のデモがつづいていた。十月、東ドイツの支配者、ホーネッカーは部下のクレンツにデモ隊に武力を使えと命じた。
ホーネッカーが思い浮かべたのは六月四日の北京の弾圧だった。クレンツも同じことを思った。ところが、クレンツは中国がやったことを真似てはならないと考えた。
武力の行使をしなかった。さらなる譲歩として、市民に自由な通行を許そうとしてベルリンの壁を開放した。壁の崩壊、つづいては東ドイツ政府の崩壊となり、共産党の独裁も消えた。