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名無しさん@HOME:
流れ読まず投下。登場人物多目&歴史長め&長文なので、嫌な人は完全スルーしてください。
念のためフェイク入れてるので矛盾あったらスマソ
余計な要素はカットしたのにドえらい長文になってしまった。さるさんくらったらゴメン。
登場人物
私:30代なかば♂
父:60代後半(じつは祖母の実子ではなく祖母の弟の子。出生届のみ祖父母の子)。アルバイト。
母:60代なかば。先日リタイヤして現在悠悠自適の専業主婦。
兄:アラフォー。屑の中の屑。専門学校2つ卒業。今は2輪整備工。
妹:アラサー。私立音大卒。ファミレスでバイトしつつエキストラで演奏する日々。実家に滅多に戻らない。
他に適当な書き方が思いつかず時系列順に書く。そのため私の出生前から始まる。
という訳で始める。
父と母は昭和40年代なかばに結婚。母は高卒で高校事務員として勤務。
結婚後約1年後に兄を出産。祖母が育児手伝いを一切放棄したため、10kmあまり離れた実家に預けて仕事を続けようと試みるも、自動車運転免許も無かったため困難を極め、結局退職する。
その頃には相当の嫁いびりが始まっていたらしい。
ちなみに父は「お前は私の子じゃない」と連呼されたこともあるらしいがシラネ
兄は「初孫」として祖父母に溺愛されたらしい。
事情はよく分からないが、私がものごころ付いた頃には、すさまじいワガママに成り果てていた。
Bブロックという名の子供向けのオモチャの容器に「○○(兄の名)せんよう、××(私の名)にはつかわせない」と、マジックで書かれていたのを今も覚えている。
年は2つしか違わない男兄弟のためか、ケンカは絶えず。
ただし、口下手な兄はいつも口喧嘩で負けて暴力というのがパターン。
そして母が間に入り「おにいちゃんはあんななんだから、あんたが我慢しなさい」となるのがいつものことだった。なんでそんな発言をしていたのか、今でもさっぱり分からない。
そうして、幼稚園の頃、妹誕生。
里帰り出産で、私は休園して、一時期は母が入院していた病院で暮らしていた。
素直に喜んだ。
幼いながらもオムツの交換など手伝った(何故か布オムツだった)。
当然ながら、妹が成長してくれば、私と喧嘩になることも(少なかったが)あった。
そこでメダマポーン発言を母がしてくれた。
「あんたはおにいちゃんなんだから我慢しなさい」
多分死ぬまで忘れられないと思う。言葉を失ったもん。
そして、小学生かそこらの頃。
父までDV開始(当然だが当時そんな単語なし)。
親子喧嘩で口喧嘩となった場合に私に勝てなくなり「言って分からない奴は殴る」といって黙るまで殴られた。いったい何度殴られたか数えられない。
正直、中学生までの記憶で結構抜けてる部分が少なくない。
多分、普段は自然と記憶を封印してるんだと思う。
その後、私は県内一の進学校と言われる公立高校へ進学(当時は公立に落ちた奴が私立というのが基本だった)。
そこで奮起して柔道部に入る。
体育の授業でベンチプレスがあり、他の生徒が軒並み30kg以上出来たにも関わらず、私は20kgがやっとだった。しかし、半年程度で45kgのバーベルも上げられるくらいに鍛えられて行った。
そのため家庭内暴力は止んだ。
部活自体は、性格がものすごく悪い2年生がいたため、結局初段も取らずに1年弱でやめたけれども、威嚇効果は充分だったらしい。
ただ、陰湿な嫌がらせは続いた。
1つ鮮明に覚えているのは、当時持っていた「ツルモク独身寮」の漫画本が、日々自分の部屋から減って行き、ついに全部無くなったこと。騒いだが家族は誰も相手にせず。
それもそうだろう、何せ、兄が全部隠れて盗んで持って行ってたのだから。
その年の末の大掃除のときに「ゴミだ」と称して渡して来たのを、きっと一生忘れないと思う。
なお、「おにいちゃんはあんななんだから」というセリフは逆用させて貰った。
中学時代の小遣いは月1,500円だったのだが、高校進学後に母と増額交渉。
「おにいちゃんはあんななのに6,000円も貰ってるんだから、私は1万円くらい貰って当然だよね」と。結局9,000円で妥結。
その後、浪人期間を経て、某旧帝大法学部へ進学(なお、浪人期間の授業料は成績優秀者に入り無料。入学金は高校の名簿が予備校に渡っていたため無料券を使った)。
進学した年の4月に父方祖父が亡くなった。正直、葬儀に参列した記憶がない。ひょっとしたら授業を優先して通夜のみだったかもしれない。まあ、今となってはどっちでも良い。
そして、問題の大学3年。
まず父方祖母が亡くなった。危篤だからすぐ帰れと言われて、臨終1時間前に病室に通された。
はっきりいって、「あれだけ母をいびっていた姑が亡くなって万々歳だ」と私は思った。
しかし母は号泣。メダマポーン。
おろおろする両親、最寄り駅からバスがあるのに何故か30分歩いた妹、頼りにならぬ兄を差し置いて、色々な手続を病院のナースやら職員やらに言われるままにこなす。幸い葬式屋は手配済みだったとのことで、それだけは親が連絡したらしい。
誰がカネを出したのか知らんけど祖父母は居士大姉。もうわけがわかりません。。
ここまでは序章。
そして、その年の暮れに母方祖父が亡くなる。これが泥沼のトラブルの始まり。
母の弟(長男)は会社を設立して社長をしていた。
同族経営で、義叔母は多分役員?
そこでその2人が仰天する行為を。
なんと、祖父の御骨を骨壺に入れるのに、「共同作業」をしてくれた。
ここは結婚式場じゃねえ。
(ちなみに糞叔父のいない席で親戚縁者全員が不満垂れてた)
それだけならまだいい。
公正証書遺言があったそうな。
それだけなら別に誰も文句を言わない。
内容が非道かった。
もう1人の叔父(母の下の弟)も不動産会社を経営していたのだが、バブル崩壊の影響をモロにかぶっていた。そのため、祖父の土地を抵当に入れていたそうな。なんとその土地「のみ」が母の相続対象として指定。
その他の遺産分割方法の指定も無茶苦茶で、「それ以外一切の財産を長男に相続させる」だそうだ。
母は「なんで△△の担保のついた土地を相続なのよ」と号泣。
しかし、こんなのはまだ序の口に過ぎなかった。
その後しばらくして某地銀の行員2名様がウチを訪問。
そこで、父が約2,000万円の保証人になっていたことが発覚。期間継続の手続に来たらしい。
残念ながら座学の知識しかなかった私は大した反論も出来ず、親父が「もういい!ハンコ押せば良いんだろ!」とキレて終了。
さらに発覚したのが、叔母(母の2人いる妹のうちの末妹。その地銀勤務)の住む土地建物にも抵当権が設定されていたこと。土地自体は祖父名義だったので、
土地の方はなかばボケていたっぽい生前の祖父に署名捺印させたらしい。叔母は行員としての体面をダシにして署名捺印せざるを得なくなったとか。
遺言執行者は糞叔父が指定されていたが、当然ながら遺産の財産目録なんて作ろうともせず、結局、解任の脅し文句つきの内容証明郵便を送付。
時間が足りず、相続放棄ができなくなる危険性が出て来たため、家裁へ行って熟慮期間の伸長請求を行った。
ええ、その間、私以外の家族は何の役にも立ちませんでしたし、感謝の言葉ひとつありませんでしたよ(母本人からもね)。
そんなことをしているうちに、もう1人の叔父が祖父名義の20筆以上の土地全ての登記を調べあげ、何とほぼ全てに抵当権が設定されていたことも発覚。
しかも、祖父は何の見返りもなく糞叔父の会社の根保証人になっていたことも発覚。
どう見てもヤバかったので、結局、母と叔母2人は私の説得により相続放棄。
母方祖母については悩んだのだが、糞叔父が「税金対策をしてあるから祖母を困らせない」と言ったのを信じてしまい、何もせず(これが後で痛恨のミスとなる)。
最終的に、母方祖父の死後5年と経たず、糞叔父の会社は経営破綻。
具体的には、法的に破産の手続を行うこととなった。
しかも、ばーちゃんまで道連れ(そりゃそうだ、相続人は根保証債務も承継するんだし)。
まだ糞叔父にも良心があったのか、その手続を裁判所に対して行う日はウチに伝えてくれた。
そこで、母とともに母方祖母の家へ私の車で即日急行。
預金とか貯金とかめぼしい資産が無いか聞いたところ、かんぽの契約があるとのこと。
そこで即座に郵便局へ連れて行って解約手続ですよ。ああめんどくさ。
ばーちゃんは感謝してくれたけどな。。
ちなみに、その頃の私がフットワーク軽かったのは仕事をしてなかったから。
過労死寸前でドクターストップがかかり、会社がブラックだったため軟禁2時間の末辞表を書かされて放り出されたという。労働法勉強しとけば良かったよ(馬鹿)。
(ちなみに精神科通院。今も通院中。薬を飲んでいれば健常者と何ら区別はつかない)
で、最近の話だ。
会社の都合で転勤がちだった兄が県内の店舗に異動となり、実家に戻って来た。
この実家、5年弱前に新築したもの。
区画整理事業で補償金が出るかわりに家を取り壊す取決めになっていた。
土地は元来祖母名義で、相続により唯一の相続人として父名義になっている。
じつは2筆で、もう1筆は別人名義だったのだが、その件は詳述しない。居住開始後20年以上経ってから、区画整理事業が始まったのを契機に、時効取得により一旦祖父名義となり、相続2回を経て父名義となっている。
ここまでは別にどうでも良い。
しかし、なんと、父の年齢の都合で、補償金で足りない部分につき、父名義で住宅ローンが組めないことに。
仕方なく母名義で住宅ローンを組み、支払口座を父名義の口座指定ということで契約は進んだ。
だけどさ…。
祖母が破産してから7年経ってないんだぜ。。
もし仮に私が説得して相続放棄してなかったらローン組めずアボンだろ。。
この件について感謝されたことは一度もない。てゆか私自身今夜気付いた(アホス)
まあ、ここまでは良い。
問題はこれからだ。
フラバに最近悩まされてます。
子供の頃も、寝言で罵倒文句を大声で怒鳴り、自分の声で目覚めるということがあった。
大学の頃には収まっていたのだが、見事に復活してしまったよ。
何の偶然だか知らんけど、兄も精神科通院で、なんと主治医おなじなのだ。。あーあ。
主治医は(医師には珍しくと言ったら失礼なのだろうが)人格者なんだけど…。
まあ、職業倫理に忠実なのかも知れんけど、こっちも気を使ってしまうよ。。
どうしたもんだろね。
ちなみに、私の職業倫理は結構怪しいかもです。過労死寸前まで働かされたトラウマが発動するのか「報酬並にしか働かない」って感じでここ数年働いてます。本当は良い傾向じゃないんですけど。。裁量のある仕事を最近したためしが無いのもあるかな。
で、もう1つの問題。
私自身はこの最近約10年、正規雇用で働いたことが無いのだな。今は正社員募集案件または制度として機能している正社員登用のある案件に絞って探してるんだが…。
ともあれ、私は実家に、給料の10%(名目ベース)をキッチリ入れている訳。
先月は稼働が少なかったため今月の手取6万だったけど。今は別案件でフルに稼働中。
ところが、あやつは月2万しか家に入れない。
どうやら、年収が400万を越えたことが一度たりとも無いらしい。。
ええ…私は大卒2年目の時点で390万越えてましたが…。
そこに追い打ちをかけるように、「もっと寄越せ」と、昨日夕方に母が言ってきた訳。
あきれたね。。
で、私は決意した。
「老後を楽しく過ごしたければ、もう少し私にやさしくしないと駄目だよ。せめて平等に扱おうと心掛けないと駄目だよ」と母に言おうと。
「遺言で妙なことを書いてあったら、遺留分減殺請求権をネタにして最大限暴れるから覚悟しな」と。
「私が給料の10%をキッチリ家に入れていることを、兄に言え。最低でも名目賃金の10%を取れ」と言うように、と。
うん、普通に無理。
現状維持だったら、私の精神が確実に壊れるもん。
仕事決まって、転居資金と余裕資金が貯まったら家出るかな。。
(うん、色々あって今普通に資産が10万切ってる。自動車は車検通さず一時抹消)
で、最後に相談。
逃げた方が良い?
それともエネ家族と折り合いつけて節約に徹して、家政婦代わりに母を当面コキ使ってやった方がマシ?
じつは母は去年夏に10時間以上に渡る大手術を受けて、仕事を止めることになったのもそのせいだったんだよね。
病気がなければ、もう少し居座るつもりだったらしい。傷病手当金がらみで会社の総務担当者も社労士も下手こいて、入院期間を有給に充てちまいおった。
退院後の休業については「診断書が書けない」と断られて発覚。まったくどいつもこいつも…。
母は今は普通に暮らせてる。ただ、あんまり遠出はしたくないらしい。
家事全般は手術前と同様に出来てる。
よくある「サレ妻が夫をATMにする」みたいな感じで、「DV被害者が、加害者を空気とみなし、幇助者の母を家政婦にする」みたいにした方が節約にはなるかもなんですよねえ。
加害者2人とも、本気で暴れた私に勝てないのは先日確認済ですしね。
ただ健康面だけを純粋に考えたら、精神衛生上、経済状態が許すようになったら直ちに逃げるのが正解かもですけど…。
本当に迷ってます。。どうしたもんだか。