1 :
名無しさん@HOME:
小さいとき父ちゃんの腕にぶらさがった時の
父ちゃんの腕は太くて強かったね
2 :
名無しさん@HOME:2012/03/29(木) 09:51:55.19 0
幼稚園から帰ってくると母ちゃんの
膝まくらで昼寝してた記憶がある
あったかくて柔らかかった
もう一度あの頃にもどりたい
いいことは数少ないから覚えてるんだと思う
悪いことは覚えてても不思議じゃないのに忘れてる
きっと、脳が拒否るほどひどかったんだろう
誰もいないがちょいっと思い出。
うちのお父さん、高校入る前位からバイク乗り回すちょい悪(もち無免許)。
ついでに柔道やってたらしく大会でも上位に入ったりする実力があったらしい。
けど意外な事に酒は全く無理。むしろ仕事から帰ってきたら牛乳。風呂上がりに牛乳。
(・∀・*)プハー ってすごく美味しそうに飲む。
続き
姉から聞いた話だけど姉2人がお父さんと居間にいたんだって。
お父さんは牛乳飲みながらテレビ見てて姉二人は話をしてたらしい。すると突然
(・ω・^父)「あのな俺さ…」
(姉゜д゜)д゜)「何?」
(・ω・^父)「妖精…見たことあるんだよ」
(姉゜д゜)д゜)「は?!」
(・ω・^父)「花の影にいてさぁビックリした」
(姉゜д゜)д゜)「……」
(・∀・父)プハー
かつてDQNだった父はアリ○ッティの目撃者だった。
また別な話。
アリ○ッティ目撃談を聞いた姉も昔DQNだった。
夜遊びに行こうとトイレの前にある窓から抜け出すためよじ登っていると(・ω・*父)登場。
(゜д゜;姉)「…」
(・ω・*父)「何してるんだ?」
(゜д゜姉)「いや、何も…」
(゜д゜姉)。oO(ヤベーシメられる)
(・ω・*父)「窓にはのぼるな。危ないから。出かけるなら玄関から出なさい。」
(゜д゜姉)「え…あ、うん…」靴を持って玄関へ。
(゜д゜姉)「じゃ、じゃあ…」
(・ω・*父)「あ、」
(゜д゜姉)「な、何?!」
(・ω・*父)「ほら、小遣い。」
(゜д゜姉)「は?!!」
(・ω・*父)ノシ
注意する所間違ってるよ。
それに彼女は当時未成年だ。なぜに夜遊び推進する。
ある日の夜の事。
その日は母がいなかった。理由は覚えてないけど。
DQNの姉もいなかった。理由は何となくわかるけど。
当時幼稚園生位だった私は父から「ポン太」と呼ばれていた。他の姉より歳が離れてたから犬みたいなものだったんだと思う。いつも一緒に遊んでたし。
(・ω・*父)「お、ポン太!苺があるぞ。食べるか?」
(´ω`ポ)「うん!」
(´ω(・ω・*父)ムシャムシャウマー
(・ω・*父)「…」
(´ω`ポ)「ねぇお父さん…最後の一個どうしよう…。」
(・ω・*父)「…じゃんけん…するか」
(´ω`;)。oO(くれないんだ…)(´ω`;)「うんわかった」
(・ω・*父)「最初はぐー。じゃーんけーん…」
続く
(´ω`;)。oO(うぅ…何出そうかな。負けたら苺食べられない。)
(´ω`ポ)。oO(!!)
↓
刹那、苺を掴んで口に放り込む。
(・ω・;父)「ぽん…」パーだかグーだか出しながらそれを見つめる
ε=ε=┏(ポ´〜`)┛苺ウマー →一番近い姉の部屋へ。
(・_・;姉)「何事…?」
(´〜`ポ)「お父はんと…モグモグ苺…モグモグ」
ドタドタ…
(・ω・;父)「苺…」
(´ω`ポ)「食べたー苺ウマー」
(・ω・`父)
(-ω-`父)
(・∀・`父)「アイスあったから食べるか?」
その後のアイスは仲良く食べた。
苺はほんとゴメソ。
9 :
名無しさん@HOME:2012/04/10(火) 18:49:07.63 0
また別な日の話。当時私=幼稚園
(・ω・*父)「ポン太寝るぞー」
(´ω`ポ)「うんー」
(・ω・*父)「あ、ポン太」
(´ω`ポ)「何ー?」
(・ω・*父)「ポン太はお母さんのことを『ママ』ってたまに呼んだりするけどお父さんのことは『お父さん』のままだな。
『パパ』って呼ばないの?」
(´ω`ポ)「うん、呼ばない。お父さんに『パパ』は似合わないから。お父さんなんだけど『パパ』って感じじゃないんだもん。」
(・ω・`父)「そうか…。」
消灯
当時から変に空気を読む子供だった。
でも今も思う。『パパ』は似合わない。
携帯慣れしちゃったからちょっとPCめんどくさい。
10 :
名無しさん@HOME:2012/04/11(水) 10:45:16.35 0
>>4 いくら牛乳を美味しそうに飲むお父さんでも無免許運転は絶対に許せません
通報させてもらいました
小学生の頃、単身赴任してる父のところに一人で電車を乗り継いで遊びに行った
お昼にラーメン作ってくれたんだけど、麺がのびのびですごく不味かった
でも「おいしい」って全部食べた
12 :
名無しさん@HOME:2012/04/11(水) 12:47:48.37 O
小学校の頃、夏休みのラジオ体操の後に親父とキャッチボールした。
明け方3時頃に出かけてかぶと虫採りに行った。
平和な日々だった。
親父はもういない。
息子が自分がかぶと虫採りに行った年になった。
今年の夏はどこか探して連れて行ってやろう。
13 :
名無しさん@HOME:2012/04/11(水) 13:53:34.47 0
父と母は別居する事になり4歳の私は母親と一緒に暮らす事になった
久しぶりに私だけ父の家へ泊まりに行くことになって夜になるとやはり母親が恋しくなり帰りたくて泣き出しそうになったが
「ずっとこの子(うさぎぬいぐるみ)を○○(私名)だと思って一緒に寝てたんだよ」と布団まで連れてきた
幼心に母親について行ってごめんね。今日はパパと寝るよと思った
ちょっとせつない父との思い出
スカートが長かったりボンタンはいたりって子がいた。古いなw
でもみんな大学進学した
>>10 すまぬ、それはそれは意味のない事をさせてしもうた。
じゃあまた一つ話でも。
私が幼稚園休みの日は良く遊んでくれた。といっても父は仕事がある。
つまりサボりだ。
幼稚園生の私さえ「クビにならないの?」と危惧する程遊んだ。まぁ自営業だったから多少融通が利いたんだろう。
ある日一緒に海にいった。
(´ω`ポ)「!お父さんカニがいるよー」
(・ω・*父)「おぉ!あの黒くてちっこいのか。」
(´ω`ポ)「持って帰ったらお母さん喜ぶかなー?ご飯のおかずになるかなー」←当時母Love
(・ω・*父)「おぅ喜ぶぞー持ってってやれ」
(´ω`ポ)「お母さーん、カニだよー」
(゜д゜#母)「何で持って帰って来たの??!!」
(´д`;ポ)「え…あのご飯のおかずに…」
(゜д゜#母)「なるわけないでしょうが!」
(´д`;ポ) (・ω・*父)
(´д`) (・ω・*父)
(ポ´д`) (・ω・*父)
(ポ´д`) (・ω・*父)
(ポ´д`) (・ω・)
(ポ´д`) (父*・ω・)
(ポ;´д`) (父*・∀・)プハー
何ということでしょう、父が華麗なスルーを決めてくれました。
16 :
名無しさん@HOME:2012/04/11(水) 20:49:33.91 O
>>13 切ないね。
四歳の子供がそんな気遣いをしなきゃならなかったなんて切なすぎるよ…
17 :
名無しさん@HOME:2012/04/14(土) 00:32:38.63 0
親父は数年前に亡くなったんだけど、絶対忘れない言葉がある。
親父「お母さんのこと頼んだぞ...」
オレ「何言ってんの、早く良くなれよ」
3日後に息を引き取ったんだけど、遊んでもらった思い出もあるけど
この言葉だけは、思い出みたいでずっと忘れないんだよね。
なんで「わかったよ」って言えなかったのか、ずっと後悔してる。
親父に顔向け出来ないようなこと、そろそろ改めないとな...。
18 :
名無しさん@HOME:2012/04/14(土) 03:09:01.87 0
親父は戦争映画と格闘技が大好き、子供の頃から何となく親父と一緒に見ていた。
今俺は自衛隊員で格闘技を趣味としている。刷り込みは恐ろしい・・・・・
30年ちょっと前、グラタンと言う食べ物があると知った昭和一桁生まれの父。
うどんを牛乳とチーズでとじて「グラタン・・・」と出してくれた。
めったに料理もしない父だった。
52歳で亡くなって30年弱です。
おとうさんグラタン上手につくれるようになったよ。娘達に食べさせてるよ。
食べさせてあげたかった。
お節の大好きだったうちの亡き父。
「一度栗きんとんをどんぶりにいっぱい食べてみたいなあ」と言った言葉が
いまだに鮮明に父の声で再生されます。うちも毎年作ってる。
21 :
名無しさん@HOME:2012/05/14(月) 13:16:12.61 0
小学生低学年だったと思うけど家は風呂がなく銭湯へ
お父ちゃんといってた。風呂から上がると妹たちはお母ちゃんと
女湯にはいっているので「内緒だぞ」といって「パイゲンC」
を飲ませてくれた。夜道を二人で記憶にはないが何か話して
かえっていった。この頃夜道を歩いているとその頃の記憶が鮮明に
よみがえってくる。また二人で夜道を歩きたいな・・・
なんだか切ないな
私にとっては、最低なクズ夫だけど娘からしたらお父さんだもんね。
今度から死ねって思わないようにする。
単身赴任してくれホントにしてくれ
23 :
名無しさん@HOME:2012/05/15(火) 15:01:19.64 0
>21
私は、マミー飲んでた
「子供の前だけでは喧嘩しない」
ってのを死ぬまで通し続けてくれた両親に感謝してる。
愚痴を聞くことはあったけど、絶対に子供の前では喧嘩しなかった。
この約束は酔った親父から聞いたけど、
その時なぜ自分の家がやたら平和だったのかってのが解って両親がその時からさらにでかく見えるようになった。
孫の顔、見せてやりたかったな。
25 :
名無しさん@HOME:2012/05/18(金) 11:54:23.61 0
今家を建てているんだけど様子を見にお父ちゃんと行ったとき
まだ階段はなく2階にはしごがかかっていた。俺が先にのぼり
お父ちゃんが上ってくるとき俺は手をさしのべたら
父ちゃんは俺の腕をギュッと握ってきた
昔は俺が怖かった時父ちゃんの腕を握ったよな
もっと頼れる息子になりたいよ
26 :
名無しさん@HOME:2012/05/25(金) 10:05:09.80 0
俺が小学生の頃お父ちゃんと釣りへいく約束をした
日曜日が待ち遠しく日曜日の朝早起きして父ちゃん
を起こしたが起きないので母ちゃんに言ったら今日は
お父さんは体の調子が悪いのでやめなさいといわれ俺は
だだをこねた。それを見ていたお父ちゃんは調子が悪いけど
釣りにつれてってくれた。海についたら父ちゃんは吐いた
怖くて、心配で釣りも少しで家へ帰ろうといった
今思えば二日酔いだったようだ。本当に強くて優しい父ちゃんだ
いつまでもそばにいてほしい。
自分が大学生の頃の話
私の通った大学は、
実家から通うにはちょっと遠かった大学だったため、
アパートを借りて、そこで独り暮らししていた。
勉強もろくにせず、アルバイトばかりしていた。
そんな状況を知らないお袋が、
急に俺のアパートに来ると言ってきた。
別に問題も無いのでOKを出して、
その週末にお袋がやってきたんだが、
俺がろくに食べていないんじゃないかと思って、
タッパーに色々なおかずを入れて持ってきて一緒に食べたり、
勝手に洗濯をしたり、掃除したり・・・
そんなことをしていると、あっという間に時間はたち、
外は暗くなっていた。
泊まっていくのかと思ったが、帰るというお袋。
続きます
仕方なく、最寄りのバス停まで、
お袋を送って行ったんだが、
バスが来て、お袋が乗り込んだときに
なんか切ない気持ちになった。
乗り込む時のお袋の背中を見たときに、
「こんなに小さかったっけ・・・」
って。
で、バスが走り出すときに、
足を引きずりながら、バスの一番後ろの席まで歩いて、
小さな体をめいいっぱい起こして、
後ろの窓から、大きく手を振ってるのよ・・・
バイバイって。
それを見ながら、俺も手を振ってさ。
それでアパートに帰ったら、
まだ、お袋がタッパーに詰めたおかずがテーブルにあって、
それを見ていたら、ぶわっと涙が出てきたよ・・・
その時に思った。
家族は大切にしようと。
そっけなくするのは止めようと。
やがて、俺にも家族が出来ると思って。
あれから20年。
お袋はまだまだ健在だが
こんな俺にも家族ができ、小さな娘もいる。
孫ができて、ちょっとは親孝行したかな・・・
29 :
名無しさん@HOME:2012/05/26(土) 09:54:24.99 0
俺がまだ20代の頃
親父から電話があって「今、○○にいるけどくるか?」
と言われ親父の行きつけの寿司屋にいったら親父は
熱燗を飲みながら刺身をたべていた。俺もビールと刺身
をもらって飲んでいたけど別にこれといって話をする
わけでもないけど親父はうれしそうにその店の大将と
はなしをしていたなぁ。俺にも息子ができて親父の
気持ちがわかるようになったよ。ありがとう。
30 :
名無しさん@HOME:2012/06/18(月) 02:39:23.67 O
今ではキャラ弁とかいっぱいあるけど、私が小さい時はもちろんなかった。
保育園だったので普段は園が用意するお弁当、行事がある時のみ手作り弁当だった。
回りの子達は俵型でのりが巻いてあってふりかけでいろんな色のおにぎり。
私のお弁当には普通の梅が入ったおにぎり2つ。
でも毎回必ず私と一つ下の弟の似顔絵がのりで切ってはってあった。
年少だった私はみんなと違うおにぎりが恥ずかしくて、隠すように食べてた。
その事はすっかり忘れて社会人になり、テレビで幼稚園のお弁当の特集をしてて、ふと昔を思い出した。
当時の母は離れて暮らす父方の祖母からネチネチ言われ、さらに父は仕事で週2でしか帰らない。
家は古い団地で6階建てなのにエレベーターもない、年子の私と弟を抱えて買い物に行っていた。
パートと内職をしながら、遠足の日は早く起きてお弁当をつくってくれていた。
急に涙が出てきて、実家に帰った時に母にありがとう、と伝えた。
あの時はわからなかったけど、愛情がいっぱいこもった、私だけのお弁当は大事な思い出です。
お母さんに気づけなかった分以上にこれから親孝行する。
共働きで授業参観はいつも来れなかったけど
行事にはお弁当もつくってくれたし、旅行もつれてってもらった。
保育園の運動会なんかでは私をおんぶして走ったりなんてこともしてくれた。
最近タイムカプセルを開けに小学校に行く機会があって、
子供の頃の写真を当時の教師から貰ってきた。
それを母親に見せたら↑みたいな思い出話をしてくれた。
今はニートとフリーターを行ったり来たりしてるような生活で
親にはたくさん迷惑かけてると思う。
それでも、わかってても、ありがとうもごめんも言えなくて。
「この頃は楽しかったね。私もちっちゃくてかわいいね」
なんてふざけて言うくらいで。
でも母がその写真を見ながら
「そうだね…戻りたいね」
そう言ったときに私は言わせてはいけないことを言わせてしまったようで、
その夜は泣いた。
正社員になれるかどうかは分からないけど、がんばるから。
直接は言えないけど、がんばるから。
そう思いましたおしまい。情けないなぁ!
32 :
名無しさん@HOME:2012/06/18(月) 15:06:51.83 0
お弁当かぁ
家は裕福なほうではなく小学校の運動会でのお昼は
母ちゃんと歳が近い姉妹たちとおかかのおにぎり、
母ちゃんはなぜか三角形に握れなくていつもまんまる
だった。ゆでたまごと塩はアルミはくにはいっていて
あとは卵焼き、とあおい(緑?)のみかん、おいしかったな
家の女房も丸いおにぎりだ・・・不思議だなぁ
13歳から19歳まで、ずっと父に対して反抗期だった。でも、20の誕生日を迎える直前に和解した。
和解後、数ヶ月も経たない間に、父の癌が発覚した。
医師に自分の肝臓移植できないかと頼んだが、すでにステージWで手遅れ。断られた。
父の前で泣くまいと、父が亡くなる直前まで涙は見せないように気をつけた。
父が亡くなった後、父の汚い字で書かれたノートが見つかった。
内容は全部、いろんな人にむけた「ありがとう」だった。
「肝移植をすすめてくれた時は本当に嬉しかった。
お前がお父さんに涙を見せまいと、一番必死でいてくれたことはわかってた。
今までありがとう、妹や弟、母さんを頼んだぞ」って私には書かれてた。
父さん、私の心配もちょっとはしてくれよw
人の心配ばかりして、どうするんだよ。もっと生きてよ。一緒にお酒飲みたかったよ。旅行行くって約束したのに。
私は今年になって勉強好きで、頑固者で、生真面目で、短足だった父さんより足の長い、
でも、中身は父さんとちょっとにてる人と結婚したよ。
幸せにしてるよ。結婚式見てほしかったな。一緒にバージンロード歩きたかったよ。
子供生まれたら抱っこしてほしかったよ。
反抗ばかりしてごめん。不出来な娘で本当にごめん。
あの時は言えなかったけど、父さん大好きだよ。
34 :
名無しさん@HOME:2012/06/22(金) 11:35:01.77 0
俺が幼稚園のころ40年まえは給食はなくお弁当だった
おかずは甘い卵焼きだけだけどおいしかったと記憶している
大人になって思えば子供のために砂糖をいれてつくって
くれたんだね。
>>33 美談にしようとしてるけど、ヒステリー火病を6年とか人間としておかしい
父ちゃんかわいそうだな…
祖父母に育てられたけど、私にとっては父なので…
父は単身赴任をしていた
たまに(一年に一、二回)帰ってくるけど、親戚のおじちゃんって感じ
お盆やお正月にしか帰ってこないから。
その父が中学卒業とともに定年し、一緒に住むことになった
最初はよかったけど、だんだんうざくなった
酒を飲んではわけのわからないことをいう父が嫌いだった。
高校卒業とともに私は他県に進学して、その時に出会った彼氏と同棲した。婚約もした
それからしばらくして私の親戚の法事があり帰郷した
その時ふと父を許そうと思った
酒を飲んでは暴言を吐き、理解できないことをまくしたてる人だったけど。
父はずいぶんおだやかになっていて、私の結婚を楽しみにしているんだと親戚に話した
同棲している彼氏もいい人そうだから…と。
それから一年経って、私は結婚式を挙げた
もちろん相手は婚約&同棲した彼。
バージンロードは父と歩いた
最後のスピーチ、父は泣いていた
不器用な人なんだなと今は思える
今年古希だが、健康には気をつけてほしい
映画化決定
寅さんで脳内変換された不思議
38 :
名無しさん@HOME:2012/09/16(日) 01:41:00.04 0
小三の時、明け方父に突然、起こされた
「着替えろ 寒いからパジャマのうえにジャージはけ」
寝ぼけたまま父の後について行ったら
近所に大きな川があり、そこに降りて行った
川幅が広く、川向かいに渡る為、父の背中におんぶされて渡った
岩のうえで懐中電灯を「おい ちょっと持っておけ」と手渡された
上釣りと言う、いわゆるうなぎを捕る竹筒の仕掛けをしていた
数ヶ所に仕掛けた竹筒にはうなぎはかかっていなかった
「なんだ ボウズだったな」と言った父とすっかり目覚めた私は家路につき、その後、学校に登校した
父は野うさぎ、子フクロウ、野鳥など野生の生き物もよく連れてきた
「俺は優しいから近寄ってくるんだよ」と自分で言ってた
今年13回忌を迎えるけど少年のような父だった
母も父の2年後に亡くなったけど、現実的な母は父に苦労をかけられっぱなしだったらしい
最近、夢をみたが夫婦と愛犬が仲良さげで安心した
たぶん小4の頃の記憶。
母が夜遅くまで毎日仕事で家をあけて深夜にしか帰らなくなり、
何となく両親の仲や家族間の不穏な空気を感じ始めた頃。
珍しく両親共夕方揃ってベランダのある和室にいて一緒に洗濯物を取り込んで畳んでた。
私が毛布にくるまり「みのむしー!」とゴロゴロ転がると父も母も笑った。
笑ったのが嬉しくて、何度も転がった。
嬉しかった気持ち、ベランダから見えた薄曇りの空、笑った両親の顔を覚えてる。
思い出どころか現在進行形だけど、父からくるメールには必ずペンネームがついている。
既に定年退職済みだが、退職するまで社内メールで使ってたらしい。
そのペンネームにはルールがあって、自分の住んでる場所+の+何か独自の言葉 にしなきゃならんらしく、
例えば新宿に住んでるなら、 新宿の太陽 みたいな。
で、父が使ってるのが…何て言うのか、思わず「なんでやねん」と突っ込みたくなるようなペンネームで…
それこそ、 新宿のブリーフ みたいな脱力感。
先ほど、ものっすごいお怒りのメールを頂いた。悪いのは当方。それも全面的に悪い。
だから真面目に返事書きたいんだが、お怒りメールの文末に律義にペンネーム書いてあるもんだから力が抜ける…。
父上、どうか、真面目な話のときだけはそのペンネーム、ご容赦を…。
41 :
名無しさん@HOME:2012/11/12(月) 07:36:29.70 O
お父さんが肩車してくれるのが、小さい頃はすごく嬉しかった。
お父さんがすごく大きく見えたな。
今私はあの時の父親の年齢に近くなりました。
今でも父と母が大好きすぎる!
自分達が贅沢するより、私と弟の学費を優先してくれた両親。
本当にありがとう。親孝行いっぱいしたいです。
42 :
名無しさん@HOME:2012/11/26(月) 16:59:33.03 O
おまいら たまには手を繋いであげろ
小学生の頃までは毎年夏に家族旅行へ行っていた
海いったり山いったりキャンプしたりと私達を楽しませてくれた
記憶に残る家族の顔は皆笑顔で幸せそうなんだよね
でも年を重ねるに連れて家族で旅行とかかったるいし恥ずかしいしでまったくいかなくなってしまった
またみんなで旅行に行きたいな…今度は両親をたのしませる旅行に行きたい
44 :
名無しさん@HOME:2012/11/27(火) 05:17:50.78 0
思い出っていうか現在進行形な話。
ずっと絵描きになりたくて暇さえあれば延々絵を描いてる自分。
実はそうなったきっかけが母ちゃんが褒めてくれたから、だった。
特に頭も良い訳じゃなくて、運動してもビリから数えたほうが早い。
そういう自分でも共働きの両親は仕事に行く前に授業参観とか仕事着のままで
来てくれたり貧乏ながらに愛されてる状況下だったと思う。
たまたま、小学生の時に図工で描いた絵が佳作貰った。
賞状持って家に帰ったら母ちゃん大喜び。
でも、まだ小さかったのもあってそれを勘違いしたんだな、絵を描けば
喜んでくれるもんなんだって。そっからはもうひたすら絵、絵、絵の日々。
夜10時過ぎに帰ってくる母ちゃん待ってて描いた絵を見せて喜んでもらってた。
それが自分の機動力みたいな感じになって。夢になった。
家に金もなかったし、他にも色々あって専門にすら行けなかったけど
独学でずっと絵は描いてたし新しい技術は出来るだけ取り込んだ。
美大とか行ってた人からしたら笑える話かもしんねーけど、
働きながら家に金入れて、夜中寝る時間削って絵描いてるってのも結構楽しかった。
45 :
44:2012/11/27(火) 05:19:16.37 0
長いって怒られた。続き。
んで、もうすぐ三十路。ようやくデビュー決まったんだ。
嬉しいけど、無名の新人。注文も結構厳しい。
母ちゃんに愚痴りながらも必死に自分の持てる画力全部でやってた。
そしたらさ、昨日家で飲んでた母ちゃんと伯母さんが喧嘩してんの。
母ちゃんと伯母さん(母ちゃんの姉)はすげー仲良くて、月1くらいで家に来ては
飲んだくれてるんだけど大喧嘩。
なんだなんだって思ってる内に伯母さん怒って帰っちゃった。
理由聞いたら自分がもう三十路近いのに実家で引き篭もって絵描いてるのが
恥ずかしいつったから叩き出した、だとさ。
そりゃ、傍からみたら結婚もしない実家にいる、会社勤めでもない女なんざ
みっともないと思うだろうって言ったらめっちゃ怒られた。
ようやく花が咲いた夢で仕事してる子供と一緒に住んで、笑って、生きて何が悪いってさ。
あんまりにもすごい剣幕で言うからきっかけは母ちゃんだって言ったら今度は泣かれたよ。
今度、初めて手がけた絵の仕事の金が振り込まれるんだ。
母ちゃんとうまい飯食いに行こうと思ってる。
ずっと信じ続けて「絶対にうまくいく」って言い続けてくれて、ありがとう。
おめでとうおめでとう!
おいしいご飯食べてね!
47 :
名無しさん@HOME:2012/11/27(火) 18:39:52.01 O
伯母さんも呼んで 母ちゃんに自慢させれ
小五の頃の話。
母はいつも口うるさく、私は毎日叱られてばかりいた。
「お母さんはきっと私のことが嫌いなんだ…」
そう思っていた。
ある日、母と一緒に自転車でスーパーに出掛けた。
その時私は横から飛び出してきた車に轢かれそうになった。
だがその瞬間、母が私の前に身を乗り出して守ってくれた。
その時に初めて気付いた。
お母さん、私を愛してくれて本当にありがとう。
49 :
名無しさん@HOME:2013/03/02(土) 21:34:09.29 O
中学2年の時の卒業式で在校生代表送辞を読むことになり、そのことを親父に話すと「よっしゃ、よっしゃ」と喜んでくれた。
当日、壇上に立つと体育館の出口に親父の姿が!何故!!
動揺したものの読みはじめた。最後の方で泣き声が聞こえた。親父だ!親父が泣いてる。しかも担任が何か話してる。
式が終わって担任に「何を話してたんですか?」と聞いたら、、、、
「○○が卒業するのは来年ですから、泣くのはまだ早いですよ、ね、ね、って慰めてた。お父さんには言っちゃいかんよ」
50 :
名無しさん@HOME:2013/03/03(日) 07:56:03.43 O
小さい頃 母親とお肉屋のショーケースの前に立った。私は大声で
「このウインナー絵の具塗ってるから食べちゃ駄目なんだよねドャァ」って言った瞬間に頬っぺたつねられた。
1年位前にここにお父さんの話をいくつか書かせてもらったんだけど、最近某SNSでその話がコピペされててふっと思い出した。
コメ見てたらさ、「和む」とか「良いトーチャン」って書いてくれてて嬉しかった。
でもここで結末は書かなかったから、当然みんなその先を知らなくてさ、少し切なかった。
関係ない話でゴメン。
52 :
名無しさん@HOME:2013/04/05(金) 10:20:29.61 0
父ちゃんのような男になりたい
父ちゃんのような経営者になりたい
父ちゃんのような人生を送りたい
そして女房も母ちゃんのようになったらいいな
53 :
名無しさん@HOME:2013/04/06(土) 20:22:11.48 O
思い出というか、ちょっとしんみりとしますが、これだけは忘れない会話。
親父が病で亡くなる3日前に、お母さん頼むぞ〜(笑)って…
何いってんの早く元気になれよ〜…
ドラマみたいな最後の会話。
任せとけ!って、なんで言えなかったのか…。
親父…ありがとう
もう10年だな…
54 :
名無しさん@HOME:2013/04/11(木) 11:25:56.59 0
小学生のころ「8時だよ全員集合」を見ながら
父ちゃんが買ってくれたアイスを家族で食べたなぁ
母ちゃんは「仮面ライダーカード」のアルバムの
応募をこたつにはいりながら書いてくれた
あの世があるならまた一緒に暮らしたいな
父にはあまりいい思い出がない。
高校を卒業するまで家族4人で2DK(6/6/DK4.5)の社宅に住んでいて、いつもみんなイライラしていた。
ある夜中に花粉症の発作が出て苦しんでいると、父が子供部屋に入ってきて
「うるさいからもっと静かに鼻をかめ」
と言った時は、本当に頭にきたよ。
56 :
名無しさん@HOME:2013/05/23(木) 11:50:51.13 0
この間夢をみた
お母ちゃんと手をつないで歩いていた
お母ちゃんはニコニコ笑っていた
お母ちゃんを見ると自分の記憶のなかで
小学生くらいの時のお母ちゃんだった
自分はお母ちゃんより背がおおきく
成人しているようだった
手をつないでいる手が暖かく何ともいえない
安心感につつまれたとき目がさめてしまった
もっとてをつないでいたかったのに
ちなみにお母ちゃんは歳をとったけど
まだ元気でいる
57 :
名無しさん@HOME:2013/05/24(金) 10:12:41.73 0
父ちゃん
あなたは本当に強い人ですね。
子供の頃近所のやつが酔って怒鳴り込んで
きたときも子供3人に心配かけないようすぐ外に
だしてくれたね
どんなにつらいことがあっても絶対にげなかったね
今俺は問題をかかえてて父ちゃんならにげないよな
俺も逃げないであの時家族をまもってくれたように
家族を守るよ
自分がまだ幼稚園通いのころだったと思う。
朝起きれずグズってたのを父親がお姫様だっこで運んでくれた。
二階から一階への回り階段、足を滑らせる父。
とっさに両手を壁にバッとついて 、自身が落ちるのを防いだ。
父の腕の中にいた私は、無論そのまま一階へ。
滑り落ちるんではなく、前転を繰り返し、文字通り転がり落ちた。
しかも小4くらいまで、自分で寝ぼけて落ちたと思い込んでた。
母にこの話をすると、いまだに爆笑される。
皆さん、くれぐれも階段は子供を抱えて降りないでください。
うちは父子家庭だった、7歳下の妹が小さい頃怖い夢を見た時なんか俺の布団に
ベソかきながら潜り込んで来た、遅くに帰った親父がそれを見て潜り込んで来た
狭いわ
60 :
名無しさん@HOME:2013/09/09(月) 02:30:57.68 0
このスレこの時間に読むもんじゃないね
両親に会いたくなってきた。
いねかりの時に、母ちゃんの野良仕事用割烹着?エプロン?に抱きついたら、ほれ、こんなんあったぞって、ポケットから、稲の間に作ってた綺麗な丸いネズミか小鳥の巣を出してきてくれた。
中学生1年生の時
父に「出て行きなさい!」とめちゃくちゃ怒られたことがあった。
私も負けじと「あぁ!出て行ってやる!」
と何も持たずに家を出て、ぶらぶらと歩き始めた時後ろから
「待ちなさい!」と走って追ってくる父と母。
追いかけられたら逃げたくなるのが人間ってもんでしょ?
10分ぐらい私vs父&母の追いかけっこが始まった
父と母が全力で走っている姿を見たのはあれが最初で最後。
最後は父と母が笑い始めたのがわかってつられて笑ってしまい、呆気なく捕まり仲良く缶ジュースを買って家に帰宅。
しかし追いかけられた時は本当に怖かったな…w
近所の人数人に見られていたらしく、あれから10年近く経つのに未だについ最近の出来事のようにその話題が会うたびに出てくるw
素敵な話
父は厳しいというより自分勝手だった。
ある日ちゃぶ台返しをして、家族が夕御飯抜きだった時、父が外出したかと
思ったら自分の弁当だけを買って帰ってきた(炊飯器が無事と分かっていたのでおかず抜きで)。
ご飯をよそった後、炊飯器を横倒しにしたまま自分の部屋に帰っていった父の姿は、憎しみと共に
いつまでも忘れられないでいる。
>>1 ■増税されたので節約しよう (テレビ・新聞)限定
(生きていく上で無くても困らない、かつ有害)
【社会】消費税率8%に引き上げ
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1396280733/ ■黙殺された野村総研の『テレビを消せばエアコンの1.7倍節電』報告
http://www.news-postseven.com/archives/20110810_28053.html 「こまめに電灯を消そう」「エアコンの設定温度を28度に」
テレビのワイドショーでは、様々な節電方法が連日紹介されている。その一方で、黙殺され続けている
「一番効果的な節電方法」がある。それはズバリ「テレビを消すこと」だ。
興味深いデータがある。野村総合研究所が4月15日に発表した『家庭における節電対策の推進』なるレポート。
注目したいのは「主な節電対策を講じた場合の1軒あたりの期待節電量」という試算だ。
これによれば、エアコン1台を止めることで期待できる節電効果(1時間あたりの消費電力)は130ワット。
一方、液晶テレビを1台消すと220ワットとなる。単純に比較しても、テレビを消す節電効果は、エアコンの約1.7倍にもなるということだ。
この夏、エアコンを使わずに熱中症で亡くなる人が続出しているにもかかわらず
「テレビを消す」という選択肢を国民に知らせないテレビ局は社会の公器といえるのか。
自分たちにとって「不都合な真実」を隠しつつ、今日もテレビはつまらない番組を垂れ流し続けている。
■新聞購読を止めてみる?年間約5万円の節約に
なんとなくダラダラと購読し続けてしまう新聞・・・「契約の更新のときも、なんとなくサインしてしまっていませんか?」
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